2016年12月03日
ここでで生きている
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母の身体は、もうこの世には存在しない。
あるのは骨だけである。
あの細くて小さい母の身体を覚えている。
声も笑顔も、歩き方も、自転車をこいでいる姿も、
家事をしている姿も、父と話している姿も、
全部覚えている。
今ここに居たら何を言うか・・・どんな様子か、
どのような表情で私に話しかけ、
どのようなリアクションを取るか・・・
全て予想できる。
それは、妄想なものかもしれないが・・・
でも、いろんな母を想い出すことは容易だ。
なにがあっても母が浮かぶ。
こんな時に母だったら・・・と考えることは沢山ある、
もはやそれでしかない時もある・・・。
だから思うことがある。
母は生きている・・・ここで生きている。
私の心の中で。
私の知っている母だけが私の母ではない。
だから時々姉と答え合わせをしてみる。
すると、知らなかった母を知ることが出来る。
姉の前での母と、私の前での母は少しずつ違う。
異性と同性では会話も態度も違う。
母も子供の私たちも同様して親を使い分けてきた。
現在中学生の息子と高校生の娘を持つ父親としても
それぞれに会話も態度も変わる。
気を遣うところも違う。
こうして親の気持ちを理解しながら年を取っていくのだろう。
そうやって答え合わせをしながら生き続ける私の心の中では
同じように母が生き続けることになる。
母はそれぞれの”ここで生きている”・・・ずっと、私の心の中で。
姉の心の中で・・・みんなの心の中で・・・
それぞれが知っている母を胸に抱きながら・・・
肉体が滅びても、人はこうして生き続けるのだと思う。
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母の身体は、もうこの世には存在しない。
あるのは骨だけである。
あの細くて小さい母の身体を覚えている。
声も笑顔も、歩き方も、自転車をこいでいる姿も、
家事をしている姿も、父と話している姿も、
全部覚えている。
今ここに居たら何を言うか・・・どんな様子か、
どのような表情で私に話しかけ、
どのようなリアクションを取るか・・・
全て予想できる。
それは、妄想なものかもしれないが・・・
でも、いろんな母を想い出すことは容易だ。
なにがあっても母が浮かぶ。
こんな時に母だったら・・・と考えることは沢山ある、
もはやそれでしかない時もある・・・。
だから思うことがある。
母は生きている・・・ここで生きている。
私の心の中で。
私の知っている母だけが私の母ではない。
だから時々姉と答え合わせをしてみる。
すると、知らなかった母を知ることが出来る。
姉の前での母と、私の前での母は少しずつ違う。
異性と同性では会話も態度も違う。
母も子供の私たちも同様して親を使い分けてきた。
現在中学生の息子と高校生の娘を持つ父親としても
それぞれに会話も態度も変わる。
気を遣うところも違う。
こうして親の気持ちを理解しながら年を取っていくのだろう。
そうやって答え合わせをしながら生き続ける私の心の中では
同じように母が生き続けることになる。
母はそれぞれの”ここで生きている”・・・ずっと、私の心の中で。
姉の心の中で・・・みんなの心の中で・・・
それぞれが知っている母を胸に抱きながら・・・
肉体が滅びても、人はこうして生き続けるのだと思う。
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