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2016年08月23日

母の死に絡んだ数字・・・それは3つの”6”

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母は昨年末、肺がんで他界しました。

闘病すること1年。

手術と放射線治療と抗がん剤治療すべてを経験し

最期は緩和治療を受けていました。

肺の機能が低下し、骨と腎臓に転移していたと推測される。

病院に搬入されたのは他界する3日前でした。

すべてが機能低下し、意識レベルも低い状況・・・

救急車で搬送されたその直後

今夜にも他界する可能性があることを告げられた。

覚悟はできているつもりだった。

母に用意された病室は勿論個室。

酸素マスクが装着された母は、ゴムが痛いと訴えた。

目は開いているが焦点は合っていない・・・。

母の目には何が見えていたのだろうか・・・?

時折意識がこっちの世界に帰ってくる。

私死ぬんだね・・・母も最期だと認識できていた・・・。

その病室は3階の6号室・・・「6」という数字が気になった。

母の命は一晩では終わらなかった。

しかしその分、母にとっては生き地獄でもあったはずだ。

早く逝かせてくれと、何度もマスクを外した。

やがて母の腕はベッドに縛り付けられた。
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次の日・・・モルヒネの投与が始まった。

病室も移ることになった。

ICUだった・・・そしてそのICUにはベッドが6つあった。

一番奥の仕切られている部屋だった・・・。

ICUの6号室・・・またまた「6」だった。

偶然だがいい気はしなかった。

その翌朝、母は永眠した。

モルヒネによって眠らされるように・・・。

テレビや映画で何度も目にした光景・・・

医者が患者の死を確認する行為・・・

何時何分・・・ご逝去・・・

最期の数字・・・7時46分・・・

最期は少々こじつけ気味だが、下一桁が「6」だった。

解釈は各々の自由です。

ただ、3つの「6」がとても印象に残ってしまった。


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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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