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2019年12月16日

救われるかどうかの違い

蓮如上人は、御文章3帖目12通に、
救われるかどうかの違いについて、

無宿善の機は信心を取り難し。まことに宿善開発の機は自ら信を決定すべし。
と教えられています。

そして、
いずれの経釈に依るとも、既に宿善に限れりと見えたり。
と教えられています。

どのお経やその解釈をみても、
宿善で決まる、ということです。

その根拠として、大無量寿経のお言葉をあげられています。

されば『大経』に云わく、「若人無善本・不得聞此経」ともいい、

大経とは大無量寿経のことです。
若人無善本・不得聞此経」とは、もし人、善本なくんば、この経を聞くことをえず
ということで、過去に善本がなければ聞けないということです。
この過去の善が宿善です。

また、七高僧の一人の中国の善導大師の根拠もあげられています。

善導は「過去已曽・修習此法・今得重聞・則生歓喜」とも釈せり。
過去にすでにかつて、この法を修習し、今重ねて聞くことを得て即ち歓喜を生ず
といわれています。

過去に聞いてきた人が今生も聞いてすくわれるということです。
ですから、宿善が大切です。

では、宿善が薄い人はどうすればいいのかというと、
宿善は、過去のということですから、
今生に宿善が厚くなるように求めればいいのです。
昨日やった善は、宿善ですから、
今日やった善は、すぐに過去の善になって、
宿善になります。

そして最もすばらしい宿善になるのは聴聞です。
仏教講座に行って仏教を聞きましょう。


posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 信心
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