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2019年03月05日

教師としての原点

人は嫌われてると感じると、どんどんエネルギーを消費する。
私が担任しているある保護者も、私を嫌っている人の一人らしい。

先日の卒業式で、高3の兄が卒業するに際し、両親とも来校していたのだが、私の挨拶には一瞥するだけで、笑顔すら見せなかった。

この二年間、私の不徳により、こうした保護者が何人かいる。

昨年の3月にも、
「丹澤先生だけは、担任につけないでください。」
と、当時の学年主任に直訴していたようだが、彼はそれを突っぱね、さらに私を担任につけた。
その生徒をもう一人の若手担任に任せることができない、と判断したからである。

こうした保護者の態度は、自然に子どもである生徒にも影響を与え、いわゆる利かん坊の性格を作りやすい。
叱られてもへっちゃらで、説教が通じない。
「そうですか。」
の一言で片付けてしまうこともあった。

だが、その生徒を育ていているのは担任であり、学年主任である私自身だ。
彼が、まっすぐ育たなかったのは、私の責任。
私のマイナス面の心の思いが、クラスや学年に影響を与え、そうした生徒を生む。

だが最近、その利かん坊の彼が、少し素直になった。
始めは、「もうすぐ中3だから、少しは精神的に成長したのかな」、とも思ったが、それだけではなかった。

変わったのは私自身の心だった。
相手の良くないところばかりを見てしまうと、生徒が可愛くなくなる。欠点ばかりが目につき、本来の姿が見られなくなる。

だが、良い部分を強調して見ていると、欠点は目につかない。逆に個性としてみて、それでも注意しなければならないときでも、冷静に、彼の将来のための話ができるものだ。

私は少し慢心していたのかも知れない。
事実、私の前で言うことを聞かない生徒はいない。
だが、真に心の絆でつながっていなければ、結局は私の目の届かない所では、反発するし、悪さを繰り返す。

教育は、見てくれだけを整えればいいわけではない。
生徒たちの一人ひとりの、その後の人生がかかっているのだ。

「いつもギリギリの生活しているとね。社会に出るととても困ることになるんだよ。ちょっと甘えすぎじゃないか?」

以前ならば、「ふざけるな。遅れてくるんじゃない!」と、一喝していただけだったかも知れない。

もう一度、教師に成り立ての頃の原点を思い起こし、「すべては生徒の成長のため」、とマインドを切り替えてみようと思う。








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