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2019年11月03日
地元の祭り
江戸時代から続く地元の祭りに参加した。
高校の生徒会を中心に出店を開き、中学生の野球部を中心に山車を引いた。
地元のお祭りへの参加は、これで三年目である。
新参者にとって、「いかに地元に溶け込むか」、というのが重要で、通り一遍のつきあいでは、いつまでも距離が縮まらない。その意味でも、お祭りへの参加はとても重要だ。
春に地元に隠れ家を購入したので、私自身も地元の人間になった。
以来、少しずつ地元に入り込もうと、奮闘しているが、朝晩隠れ家に行くくらいでは、なかなかその接点は広まらない。だが、今回は、山車の休憩場所が私の隠れ家に庭、ということもあり、昨年よりは、また一歩地域に入り込める願ってもないチャンス。
山車を引く子供たちも、私が顧問をしている野球部の生徒たち。
願ってもないシチュエーションだ。
山車は、地元を一日かけて練り歩く。
その、要所要素で、休憩時間があるが、そこでは地域の人が「まかない」をする。
皆で一品用意し、「よくぞ、ここまで山車を引いてきてくれました」、と彼らをもてなすのだ。
だから、私はもてなす側でもあり、もてなされる側でもあり、と何とも複雑になっているのだ。
「楽しく飲み食いするのがお祭りだから、遠慮はしなくていいけど、あんまりがめつくならないように…。」
生徒たちにはそんな風に注意を促しておいたので、今年は少し落ちつき、恥ずかしい思いはしなかった。
「煮卵うめぇ〜。」
ある生徒が、出された料理の一つを褒めちぎった。
「ほら、近くに作ったいるから、『おいしかった』って、行ってきなさい。」
かれは、早速おいしかったお礼をしに行った。
地元の人も、おいしく食べていただけるなら、大喜びなのだ。
「来年もまた、頑張って作ろう!」、という気持ちになる。
朝の7時過ぎから午後4時頃までの参加。本当は暗くなってからが、祭りの盛り上がりがピークに達するのだが、今年も生徒たちを参加させることはできなかった。
山車の上では、お囃子が鳴り響く。
その中に、近隣の野球部の中学生がいた。
連れて行った生徒たちも顔見知りだ。
「本当は、君たちにも太鼓を叩いて欲しいんだよね…。」
そう告げると、生徒の一人が、
「僕、やってみたいです。」
と言う。
「地域にお世話になっている自分も、貢献したいんです。」
と熱く語った。
そんな気持ちになれた生徒が出ただけでも、祭りへの参加は成功かな…。
高校の生徒会を中心に出店を開き、中学生の野球部を中心に山車を引いた。
地元のお祭りへの参加は、これで三年目である。
新参者にとって、「いかに地元に溶け込むか」、というのが重要で、通り一遍のつきあいでは、いつまでも距離が縮まらない。その意味でも、お祭りへの参加はとても重要だ。
春に地元に隠れ家を購入したので、私自身も地元の人間になった。
以来、少しずつ地元に入り込もうと、奮闘しているが、朝晩隠れ家に行くくらいでは、なかなかその接点は広まらない。だが、今回は、山車の休憩場所が私の隠れ家に庭、ということもあり、昨年よりは、また一歩地域に入り込める願ってもないチャンス。
山車を引く子供たちも、私が顧問をしている野球部の生徒たち。
願ってもないシチュエーションだ。
山車は、地元を一日かけて練り歩く。
その、要所要素で、休憩時間があるが、そこでは地域の人が「まかない」をする。
皆で一品用意し、「よくぞ、ここまで山車を引いてきてくれました」、と彼らをもてなすのだ。
だから、私はもてなす側でもあり、もてなされる側でもあり、と何とも複雑になっているのだ。
「楽しく飲み食いするのがお祭りだから、遠慮はしなくていいけど、あんまりがめつくならないように…。」
生徒たちにはそんな風に注意を促しておいたので、今年は少し落ちつき、恥ずかしい思いはしなかった。
「煮卵うめぇ〜。」
ある生徒が、出された料理の一つを褒めちぎった。
「ほら、近くに作ったいるから、『おいしかった』って、行ってきなさい。」
かれは、早速おいしかったお礼をしに行った。
地元の人も、おいしく食べていただけるなら、大喜びなのだ。
「来年もまた、頑張って作ろう!」、という気持ちになる。
朝の7時過ぎから午後4時頃までの参加。本当は暗くなってからが、祭りの盛り上がりがピークに達するのだが、今年も生徒たちを参加させることはできなかった。
山車の上では、お囃子が鳴り響く。
その中に、近隣の野球部の中学生がいた。
連れて行った生徒たちも顔見知りだ。
「本当は、君たちにも太鼓を叩いて欲しいんだよね…。」
そう告げると、生徒の一人が、
「僕、やってみたいです。」
と言う。
「地域にお世話になっている自分も、貢献したいんです。」
と熱く語った。
そんな気持ちになれた生徒が出ただけでも、祭りへの参加は成功かな…。
2019年11月02日
お祭り初日
お祭り初日
お祭りの初日である。
本当は、駆けつけて、何かしらのお手伝いをしたいと思うのが、出勤日なので何もできない。
早朝、飾り付けをした。
この祭りには独特の飾りがあり、家々の前にくくりつけることになっている。
その花は、近所の奥さんに頼んで作ってもらったのだが、その付け方が分からない。
そこで、これまた懇意にしている地元のお弁当屋の奥さんに尋ね、ようやくそれなりの飾りをつけた。
それから出勤。
午後の練習中、お囃子の音が聞こえてきた。
「先生、あの音なんですか?」
中1の生徒が尋ねる。
すぐ近くに山車がきているようで、そのお囃子が聞こえてきたのだ。
「明日、お囃子を乗せた山車をみんなで引くんだよ。」
昨今の生徒は、祭りに参加した生徒が少ない。
たとえ祭りを見たことがあっても、そこに関わった生徒は、ごくごくわずかだろう。
山車を練り歩いていると、地元の親子がやってきて、
「この子にも引かせてもらってもいいですか。」
と言われることが多い。
せめて家の近くだけでも、そうした経験をさせたいと思ってのことだ。
中には、
「ちゃんと引かないと、お菓子、食べられないわよ。」
などと子供をあやしながら、山車を引かせる母親もいる。
山車はところどころで休憩するが、そこにはたくさんのお菓子が用意されているのだ。
「明日は、楽しくそして、責任感をもって山車をひいてくれるかな?」
そんなことを思いながら、練習を見る。
暗くなると、祭りは最高潮を迎える。
ちょうど練習を終える時間と、一番の盛り上がりが重なるので、「練習帰りに立ち寄ってもよかったな…」、と思いながら、帰路につく。
『出会い』と言って、2台の山車が向かい合い、互いの町のお囃子を奏で合うのだ。
「きっときれいだろうな。荘厳だろうな。感動するだろうな…」、とすっかり暗くなった道を、生徒たちを乗せて学校に向かう。
彼らはいつもどおり、たわいのない話で盛り上がっている。
いよいよ明日は、ご奉仕だ。
お祭りの初日である。
本当は、駆けつけて、何かしらのお手伝いをしたいと思うのが、出勤日なので何もできない。
早朝、飾り付けをした。
この祭りには独特の飾りがあり、家々の前にくくりつけることになっている。
その花は、近所の奥さんに頼んで作ってもらったのだが、その付け方が分からない。
そこで、これまた懇意にしている地元のお弁当屋の奥さんに尋ね、ようやくそれなりの飾りをつけた。
それから出勤。
午後の練習中、お囃子の音が聞こえてきた。
「先生、あの音なんですか?」
中1の生徒が尋ねる。
すぐ近くに山車がきているようで、そのお囃子が聞こえてきたのだ。
「明日、お囃子を乗せた山車をみんなで引くんだよ。」
昨今の生徒は、祭りに参加した生徒が少ない。
たとえ祭りを見たことがあっても、そこに関わった生徒は、ごくごくわずかだろう。
山車を練り歩いていると、地元の親子がやってきて、
「この子にも引かせてもらってもいいですか。」
と言われることが多い。
せめて家の近くだけでも、そうした経験をさせたいと思ってのことだ。
中には、
「ちゃんと引かないと、お菓子、食べられないわよ。」
などと子供をあやしながら、山車を引かせる母親もいる。
山車はところどころで休憩するが、そこにはたくさんのお菓子が用意されているのだ。
「明日は、楽しくそして、責任感をもって山車をひいてくれるかな?」
そんなことを思いながら、練習を見る。
暗くなると、祭りは最高潮を迎える。
ちょうど練習を終える時間と、一番の盛り上がりが重なるので、「練習帰りに立ち寄ってもよかったな…」、と思いながら、帰路につく。
『出会い』と言って、2台の山車が向かい合い、互いの町のお囃子を奏で合うのだ。
「きっときれいだろうな。荘厳だろうな。感動するだろうな…」、とすっかり暗くなった道を、生徒たちを乗せて学校に向かう。
彼らはいつもどおり、たわいのない話で盛り上がっている。
いよいよ明日は、ご奉仕だ。
2019年11月01日
貴重な海外体験
中3がオーストラリアの語学研修から戻ってきて最初の登校日。
その1時間目が数学であった。
私は、例年、帰国後最初の中3の授業は、全員にその感想を発表させている。
数学とは関係ないが、お互いの経験を共有するのは勉強になるし、私自身も参考になることが多い。
何より、印象の強いうちに他の人に話しておけば、記憶にもとどまりやすいはずだ。
「迎えに来た車の中で、ほとんど話しかけてもらえず、沈黙が続いて、気まずかった…。」
「暖めてぐちょぐちょになったシリアルを朝食で出されて、食べるのが苦しかった…。」
「無理に食べることはないのよ!、と言われ、苦手なモノは残してしまった。」
「アジア系の料理で、草(ハーブ)が口に合わなかった。」
「ホストファミリーの子供とエアガンで遊んだら、はまってしまった。」
「両親が仕事で出掛けてしまったので、起きたら昼前の11時半だった。」
「現地校のバディは、日本語ばかりしゃべるので、英語が話せなかった。」
「野菜が苦手と伝えておいたためか、肉ばかり出た。」
「犬好きと伝えておいたからか、犬が7匹いた。」
「父親の勤務先である遊園地に連れて行ってもらったが、入園料50ドルは自腹だった。その上、ネットで検索したら、もっと安かった。」
「空港でドルを換金したら、半額くらいの円になってしまった。使ってくればよかった。」
「食事中、突然ホストマザーとファーザーがキスをして、うろたえてしまった。」
一人ひとりの発表は、だんだん熱を帯び、長く話をする生徒が増えてきたので、一時間だけでは終わらなくなった。
ほとんどの生徒が海外初体験。
異文化に触れ、異言語に触れ、中学生でありながら貴重な経験をしたに違いない。
かれらの中1、中2時代は、私が主任や担任をした学年。
一年前くらいは、自分が引率すると思っていた生徒たち。
私の手を離れてどんどん成長している。
生徒たちをしゃかりきになって叱らないと、逆に彼らが可愛く見えてくるものだ。
授業後、隣のクラスの生徒が言う。
「丹澤先生のクラス、オーストラリアの発表だったんですよね。うちは、普通の授業でしたよ…。」
「それは残念。」
と、私はほくそ笑む。
次回も発表が続く。
併せて、中間考査の再テストも。
いつしか、霜の降りる季節になった…。
その1時間目が数学であった。
私は、例年、帰国後最初の中3の授業は、全員にその感想を発表させている。
数学とは関係ないが、お互いの経験を共有するのは勉強になるし、私自身も参考になることが多い。
何より、印象の強いうちに他の人に話しておけば、記憶にもとどまりやすいはずだ。
「迎えに来た車の中で、ほとんど話しかけてもらえず、沈黙が続いて、気まずかった…。」
「暖めてぐちょぐちょになったシリアルを朝食で出されて、食べるのが苦しかった…。」
「無理に食べることはないのよ!、と言われ、苦手なモノは残してしまった。」
「アジア系の料理で、草(ハーブ)が口に合わなかった。」
「ホストファミリーの子供とエアガンで遊んだら、はまってしまった。」
「両親が仕事で出掛けてしまったので、起きたら昼前の11時半だった。」
「現地校のバディは、日本語ばかりしゃべるので、英語が話せなかった。」
「野菜が苦手と伝えておいたためか、肉ばかり出た。」
「犬好きと伝えておいたからか、犬が7匹いた。」
「父親の勤務先である遊園地に連れて行ってもらったが、入園料50ドルは自腹だった。その上、ネットで検索したら、もっと安かった。」
「空港でドルを換金したら、半額くらいの円になってしまった。使ってくればよかった。」
「食事中、突然ホストマザーとファーザーがキスをして、うろたえてしまった。」
一人ひとりの発表は、だんだん熱を帯び、長く話をする生徒が増えてきたので、一時間だけでは終わらなくなった。
ほとんどの生徒が海外初体験。
異文化に触れ、異言語に触れ、中学生でありながら貴重な経験をしたに違いない。
かれらの中1、中2時代は、私が主任や担任をした学年。
一年前くらいは、自分が引率すると思っていた生徒たち。
私の手を離れてどんどん成長している。
生徒たちをしゃかりきになって叱らないと、逆に彼らが可愛く見えてくるものだ。
授業後、隣のクラスの生徒が言う。
「丹澤先生のクラス、オーストラリアの発表だったんですよね。うちは、普通の授業でしたよ…。」
「それは残念。」
と、私はほくそ笑む。
次回も発表が続く。
併せて、中間考査の再テストも。
いつしか、霜の降りる季節になった…。
2019年10月31日
地域清掃
学活の時間を使って学年で地域清掃に出掛けた。
この田舎でも、道路端や、駐車スペースには結構ゴミがある。
全国どこでもそうなのだろうが、自動車利用の人が、安易にゴミを捨てるのだ。
自家用車で、窓の外はゴミ箱だと思っているらしい。
結局自分の目の前からゴミが消えれば、それでいいのだ。
公共スペースでも、ゴミ箱に捨てればそれで終わり。
その後、片付けている人のことを思い巡らせることはない。
家庭ゴミだって、集積場に持っていけば、それでゴミは消えたことになる。
そんなシステムが、あるいはポイ捨て者を増やしているのかも知れない。
以前見たテレビ番組で、ある後進国は、「ゴミは川に捨てるもの」、と皆が思い、川がゴミだらけになっていた。その川のゴミは海に流れ、海洋の環境破壊を助長する。
こうした地域清掃を通して、生徒は何を感じるのだろう。
「かつて、自分はボランティア活動で、ゴミを拾ったことがある」、という経験は、どこかで活きてくるのだろうか。
「丹澤先生、すごいものがありました。」
元気な男子生徒が、嬉しそうに私を呼び寄せる…。
パッケージごと捨てられたアダルトDVDである。
こんなものをどうして駐車場に捨てるのか、と思ったが、彼らは興奮が収まらない。
「燃えないゴミかな?」
と、簡単にあしらう。
ゴミは社会の縮図でもある。
その駐車場には、コンビニゴミは当然のこととして、栄養ドリンク、酒瓶、一部家庭ゴミと思われるものまで捨てられていた。
「そんなに不用意に茂みに入ると、蜂の巣があるかも知れないよ。」
と、注意を促したが、生徒たちはどんどん草むらのゴミを集めてくる。
ほんの15分ほどであったが、どんどんゴミ袋が一杯になる。
本来は自治体のボランティア袋を使うのだが、あとでセンターまで持って行くのが大変なので、学校ゴミとして出すことにした。
いくつかのグループ分けをして、ゴミの収集場所を変えたのだが、あるグループが、設置されている自販機横のゴミ箱内のビン・缶まで回収してきた。
若手の先生が、そうしたゴミまでをも集めると、信じ切っていたらしい。
あきれた学年主任が、優しく教え諭す。
短い時間だけれど、地域貢献ができたことに、生徒たちの顔は、少し満足げに見えた。
この田舎でも、道路端や、駐車スペースには結構ゴミがある。
全国どこでもそうなのだろうが、自動車利用の人が、安易にゴミを捨てるのだ。
自家用車で、窓の外はゴミ箱だと思っているらしい。
結局自分の目の前からゴミが消えれば、それでいいのだ。
公共スペースでも、ゴミ箱に捨てればそれで終わり。
その後、片付けている人のことを思い巡らせることはない。
家庭ゴミだって、集積場に持っていけば、それでゴミは消えたことになる。
そんなシステムが、あるいはポイ捨て者を増やしているのかも知れない。
以前見たテレビ番組で、ある後進国は、「ゴミは川に捨てるもの」、と皆が思い、川がゴミだらけになっていた。その川のゴミは海に流れ、海洋の環境破壊を助長する。
こうした地域清掃を通して、生徒は何を感じるのだろう。
「かつて、自分はボランティア活動で、ゴミを拾ったことがある」、という経験は、どこかで活きてくるのだろうか。
「丹澤先生、すごいものがありました。」
元気な男子生徒が、嬉しそうに私を呼び寄せる…。
パッケージごと捨てられたアダルトDVDである。
こんなものをどうして駐車場に捨てるのか、と思ったが、彼らは興奮が収まらない。
「燃えないゴミかな?」
と、簡単にあしらう。
ゴミは社会の縮図でもある。
その駐車場には、コンビニゴミは当然のこととして、栄養ドリンク、酒瓶、一部家庭ゴミと思われるものまで捨てられていた。
「そんなに不用意に茂みに入ると、蜂の巣があるかも知れないよ。」
と、注意を促したが、生徒たちはどんどん草むらのゴミを集めてくる。
ほんの15分ほどであったが、どんどんゴミ袋が一杯になる。
本来は自治体のボランティア袋を使うのだが、あとでセンターまで持って行くのが大変なので、学校ゴミとして出すことにした。
いくつかのグループ分けをして、ゴミの収集場所を変えたのだが、あるグループが、設置されている自販機横のゴミ箱内のビン・缶まで回収してきた。
若手の先生が、そうしたゴミまでをも集めると、信じ切っていたらしい。
あきれた学年主任が、優しく教え諭す。
短い時間だけれど、地域貢献ができたことに、生徒たちの顔は、少し満足げに見えた。
2019年10月30日
資料館見学
5、6時間目を利用して、中2学年全体で、近くの資料館に出掛けた。
その資料館は地元の歴史中心のものだが、時々特設展で、科学的な展示も行われる。
今回、県立博物館から地元の化石が出張展示されたということで、理科の授業の一環として、見学に出掛けたわけだ。併せて、ボランティアガイドに地元を紹介してもらった。
地方の町には博物館がない。
そうなると、なかなかホンモノの資料を見ることができない。
昨今はインターネットで写真や動画をいくらでも見ることができるが、やはり、ホンモノにかなわない。
そういうわけで、地方の資料館に、県立博物館からの出張展示を行い、教育活動に役立てようするのだ。
もちろん、その展示スペースはきわめて狭く、大きな博物館には及ばないが、それなりの解説があれば、十分学習にはなる。
残念ながら、企画した理科の若い先生は、全体を集めての解説をしなかったので、生徒たちはさらっと通過するだけになってしまった。
それでも、化石そのものを手で触れるのは、なかなか貴重な機会ではあった。
理科の授業と言っても、実際は社会科見学のようになったが、ボランティアガイドたちは、いろいろな自然や城跡の堀、地元の成り立ちや生活、などいろいろな分野の解説をしてくださった。
五、六名の一つの班に一人のガイドがついての散策で、私はなかなか面白かった。
自分でも何度も歩いたことがある地域だが、ガイドがつくと、また別の視点が見えてとても面白い。
あらたな知識が増える喜びを、かみしめたひとときであった。
今回の課外授業で、生徒たちが何を感じ、何を学んだかは、「まとめ」や「感想」を見なければ分からないが、普段閉じこもりがちな彼らを、外に連れ出しただけでも、十分意義はあっただろう。
芭蕉が訪ねた柳を訪ねたのちに、クラスごとに記念撮影した。
収穫を終えた淋しげな田んぼの真ん中での集合写真は、地元ならの風景でなかなか面白い。
私は、生徒たちが、この散策を通して、何かしらを感じてくれればいいと思っている。
制服を着て、礼儀正しく振る舞えたし、見学の態度もなかなか良かった。
こうした刺激は、中高生の子供たちにはとても大切なことだと思う。
いろいろな経験がこの先の人生の肥やしになり、どこかで効いてくることもあろう。
何よりボランティアの方々。子供たちと触れあえて楽しかったのではないかな。
願わくば生徒たちがもう少し積極的で、ガイドさんたちに話しかけられたらもっとよかったが、欲は出すまい…。
その資料館は地元の歴史中心のものだが、時々特設展で、科学的な展示も行われる。
今回、県立博物館から地元の化石が出張展示されたということで、理科の授業の一環として、見学に出掛けたわけだ。併せて、ボランティアガイドに地元を紹介してもらった。
地方の町には博物館がない。
そうなると、なかなかホンモノの資料を見ることができない。
昨今はインターネットで写真や動画をいくらでも見ることができるが、やはり、ホンモノにかなわない。
そういうわけで、地方の資料館に、県立博物館からの出張展示を行い、教育活動に役立てようするのだ。
もちろん、その展示スペースはきわめて狭く、大きな博物館には及ばないが、それなりの解説があれば、十分学習にはなる。
残念ながら、企画した理科の若い先生は、全体を集めての解説をしなかったので、生徒たちはさらっと通過するだけになってしまった。
それでも、化石そのものを手で触れるのは、なかなか貴重な機会ではあった。
理科の授業と言っても、実際は社会科見学のようになったが、ボランティアガイドたちは、いろいろな自然や城跡の堀、地元の成り立ちや生活、などいろいろな分野の解説をしてくださった。
五、六名の一つの班に一人のガイドがついての散策で、私はなかなか面白かった。
自分でも何度も歩いたことがある地域だが、ガイドがつくと、また別の視点が見えてとても面白い。
あらたな知識が増える喜びを、かみしめたひとときであった。
今回の課外授業で、生徒たちが何を感じ、何を学んだかは、「まとめ」や「感想」を見なければ分からないが、普段閉じこもりがちな彼らを、外に連れ出しただけでも、十分意義はあっただろう。
芭蕉が訪ねた柳を訪ねたのちに、クラスごとに記念撮影した。
収穫を終えた淋しげな田んぼの真ん中での集合写真は、地元ならの風景でなかなか面白い。
私は、生徒たちが、この散策を通して、何かしらを感じてくれればいいと思っている。
制服を着て、礼儀正しく振る舞えたし、見学の態度もなかなか良かった。
こうした刺激は、中高生の子供たちにはとても大切なことだと思う。
いろいろな経験がこの先の人生の肥やしになり、どこかで効いてくることもあろう。
何よりボランティアの方々。子供たちと触れあえて楽しかったのではないかな。
願わくば生徒たちがもう少し積極的で、ガイドさんたちに話しかけられたらもっとよかったが、欲は出すまい…。
2019年10月29日
ふらふらっと
ここ半年以上なかったのだが、今日は授業中に「ふらふらっと」きた。
そのまま意識を失いそうになる、というか、立ちくらみというか、表現するとすれば、やはり、ふらふらっと」、としか言いようがない。
生徒たちには、
「倒れたらよろしくね。」
などと、言いながら授業を続ける。
彼らからしてみれば、冗談だと思っているが、私の方は、「ちょっとやばいかな…」、と思いながら授業を続けているのである。
年初にもこうしたことが続いて、けっこう苦しい時期があったが、しばらくなかったので、ちょっと油断していたようだ。
いつも通りの授業なので、私の異変に気づいている人はほとんどいないはず。
プロなのだから、何があっても授業には手を抜かないことを心掛けている。
夢も目標も見失っていた頃、「授業中に倒れてそのまま逝ってしまうのがいいかな」、と思っていたが、今は執着の塊になってしまい、やりたいことはまだまだたくさんある…。
最後の断末魔が、特定の生徒への注意だったら、彼らの一生の思いでなってしまう、
ちょっと休もうと、午後は身体を横にしていたら、6時間目の学年会をすっかり忘れてしまった。
今度の木曜日の地域清掃の打ち合わせだ。
そのことに気づいたのは夜中になってから。私は何と責任感のない人間なのだろう。
歳をとったのか、だんだんと抜けが多くなった。
教務主任が来て、
「考査時間割の作成も、細かくて大変だし、ミスもあったみたいだから、S先生に任せましょう。」
と言う。
「こんな感じで引退時期が近づいていくんのだなあ」、と、頭をがつんと投げられた感じがした。
学年初めに、
「私は役に立ちませんよ…。」
と、主任に言っておいたが、本当に、役に立たなくなってきつつある。
「会社等の組織は、給料の倍くらいの経費がかかっているんだよ。」
社会人になり始めの頃、そんな話を聞いたことがある。
だからこそ、「給料の2倍働け」、と教えられてきた。
歳をとるとはこういうことか…。
そのまま意識を失いそうになる、というか、立ちくらみというか、表現するとすれば、やはり、ふらふらっと」、としか言いようがない。
生徒たちには、
「倒れたらよろしくね。」
などと、言いながら授業を続ける。
彼らからしてみれば、冗談だと思っているが、私の方は、「ちょっとやばいかな…」、と思いながら授業を続けているのである。
年初にもこうしたことが続いて、けっこう苦しい時期があったが、しばらくなかったので、ちょっと油断していたようだ。
いつも通りの授業なので、私の異変に気づいている人はほとんどいないはず。
プロなのだから、何があっても授業には手を抜かないことを心掛けている。
夢も目標も見失っていた頃、「授業中に倒れてそのまま逝ってしまうのがいいかな」、と思っていたが、今は執着の塊になってしまい、やりたいことはまだまだたくさんある…。
最後の断末魔が、特定の生徒への注意だったら、彼らの一生の思いでなってしまう、
ちょっと休もうと、午後は身体を横にしていたら、6時間目の学年会をすっかり忘れてしまった。
今度の木曜日の地域清掃の打ち合わせだ。
そのことに気づいたのは夜中になってから。私は何と責任感のない人間なのだろう。
歳をとったのか、だんだんと抜けが多くなった。
教務主任が来て、
「考査時間割の作成も、細かくて大変だし、ミスもあったみたいだから、S先生に任せましょう。」
と言う。
「こんな感じで引退時期が近づいていくんのだなあ」、と、頭をがつんと投げられた感じがした。
学年初めに、
「私は役に立ちませんよ…。」
と、主任に言っておいたが、本当に、役に立たなくなってきつつある。
「会社等の組織は、給料の倍くらいの経費がかかっているんだよ。」
社会人になり始めの頃、そんな話を聞いたことがある。
だからこそ、「給料の2倍働け」、と教えられてきた。
歳をとるとはこういうことか…。
2019年10月28日
鍵の交換
借りているグランドの管理棟の鍵が壊れたので、午前中は役場に交換に出掛けた。
土曜日の練習時に、中1が、
「丹澤先生、鍵が抜けません。」
と言うので、そっと鍵を抜いたら、やや変形していた。
その日の練習後、鍵をかけようとしたら、折れてしまったらしい。
キャプテンが申し訳なさそうな顔をして、
「鍵が折れてしまいました…。」
と来た。
確か昨年も折れたことがあり、翌日の試合を控え、慌てて役場の夜間受付に電話したことがある。
さすがに毎日使っていると、劣化するし、細い鍵なので、壊れやすいようだ。
最初に支所に行き、役場に連絡を入れておいてくれたので、役場ではスムーズに交換することができた。
以前は結構責められたが、今回は何事もなく終わった。
町から借りている施設だが、毎日使っていると注意する気持ちが少なくなっていくものだ。
「今日は午前中、役場に行ってくるから…。」
と部員たちに言うと、2年生は状況を把握してか、「よろしくお願いします」、と返ってきた。
言ってみれば教師は叱られ役。
生徒のしでかしたことは、教師が謝り、
親から苦情が来れば、教師が謝る。
昔から、「学校は何をやっているんだ」、と言われ続けたが、昨今は、「先生は何をしているんだ」、という形になりつつある。
本来謝り役のはずだった校長から、担任やら担当教師に下りてきている感じだ。
今日は、部の練習を休みにした。
来週にも練習試合が控えているが、このところ負荷がかかっているから少し休ませようという配慮だ。
明日は雨の予報で、練習ができなくなるかも知れないが、それでもいい。
練習はモチベーションが高まったときにこそ効果をあげる。
夕方、愛犬を連れてお世話になっている犬舎を訪ねた。
頼んでおいた豚の骨を取りに行ったのである。
犬舎のご主人と犬談義をするのはとても楽しい。
私もいつかは、動物取り扱い責任者の資格をとって、自分の犬舎の仲間入りをしてみたい、と思う。
学校に戻ると生徒が駆け寄ってきた。
「丹澤先生、怒られましたか?」
「いや、大丈夫だったよ。」
と、私はほくそ笑む…。
土曜日の練習時に、中1が、
「丹澤先生、鍵が抜けません。」
と言うので、そっと鍵を抜いたら、やや変形していた。
その日の練習後、鍵をかけようとしたら、折れてしまったらしい。
キャプテンが申し訳なさそうな顔をして、
「鍵が折れてしまいました…。」
と来た。
確か昨年も折れたことがあり、翌日の試合を控え、慌てて役場の夜間受付に電話したことがある。
さすがに毎日使っていると、劣化するし、細い鍵なので、壊れやすいようだ。
最初に支所に行き、役場に連絡を入れておいてくれたので、役場ではスムーズに交換することができた。
以前は結構責められたが、今回は何事もなく終わった。
町から借りている施設だが、毎日使っていると注意する気持ちが少なくなっていくものだ。
「今日は午前中、役場に行ってくるから…。」
と部員たちに言うと、2年生は状況を把握してか、「よろしくお願いします」、と返ってきた。
言ってみれば教師は叱られ役。
生徒のしでかしたことは、教師が謝り、
親から苦情が来れば、教師が謝る。
昔から、「学校は何をやっているんだ」、と言われ続けたが、昨今は、「先生は何をしているんだ」、という形になりつつある。
本来謝り役のはずだった校長から、担任やら担当教師に下りてきている感じだ。
今日は、部の練習を休みにした。
来週にも練習試合が控えているが、このところ負荷がかかっているから少し休ませようという配慮だ。
明日は雨の予報で、練習ができなくなるかも知れないが、それでもいい。
練習はモチベーションが高まったときにこそ効果をあげる。
夕方、愛犬を連れてお世話になっている犬舎を訪ねた。
頼んでおいた豚の骨を取りに行ったのである。
犬舎のご主人と犬談義をするのはとても楽しい。
私もいつかは、動物取り扱い責任者の資格をとって、自分の犬舎の仲間入りをしてみたい、と思う。
学校に戻ると生徒が駆け寄ってきた。
「丹澤先生、怒られましたか?」
「いや、大丈夫だったよ。」
と、私はほくそ笑む…。