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2019年12月27日

冬の動物園

母にかわいい動物たちを見せたくて動物園に連れて行った。

動物とのふれあいを大切にする動物園なのだが、何せ厳寒期。
出発時は晴れていたが、山に近づくにつれ雨になり、虹のアーチが見えた。
だが、到着したら、標高758mの動物園は吹雪だった。

この動物園には、何度も行ったのあったが、最近工事がされたらしく、冬でも多少寒さを防げるような工夫がされていて、ほとんど濡れずに移動できた。

久しぶりにカメラを持っていたのだが、きれいな虹は、せっかく画角に収まったものの、レンズについた雨粒が邪魔をして航海するに耐えるものにはならなかった。

動物園内でも、外気温との差が激しく、レンズが曇ってしまったりと、動物たちのいい写真は撮れなかった。

その中でもベストショットの一枚がある。

ビントークの餌やりに母が手を挙げたのである。
餌やりを終えた後の、母の満面の笑顔の写真だ。

三日間の滞在中、母の写真はこの一枚だけである。

大型犬と触れあったりしながら、ほんの一時間くらいだったが、吹雪の中、動物園散策をした。
幸い、展示室のほとんどは室内だったので、寒さに凍えることはなかった。

さすがに寒かったので、ソフトクリームを食べるのはやめた。

動物園は、真冬だというのに、けっこうな賑わいだった。
もう目と鼻の先がスキー場、というロケーションでもある。

「餌作りも大変ね。全部、細かく切ってあげるのね…。」
カピバラの餌作りをしている飼育員に母が声を掛ける。

私が愛犬に作っている餌とかぶって見えたのだろう。

せっかく母が東京から出てきてくれたのに、親孝行らしいことは何一つできなかった。

次に母と会うのは、父の一周忌の三月。
今度は私が東京に行く。








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2019年12月26日

生徒への年賀状

私より一足早く年末の休みに入った若手の先生が作った年賀状が机の上に置いてあった。
聞けば、自分のクラス全員に年賀状を出すと言う。

そう言えば、かつての私もそのように、数多くの年賀状を出していた。
昨今では、生徒と保護者と別に出したこともある。

生徒から年賀状が来たら、その返信として、年賀状を送ることもあったが、年賀状の到着が遅くなればなるほど、返信も遅くなり、そのため「学校が始まってから届く」、という間抜けなこともあった。
だから、昨今は面倒になり、全員に出していた。

一人ひとりへのコメントは、生徒にとってはとても嬉しいもの。
自分専用のメッセージとして大事にしてくれる生徒も多いようだ。
だから、年賀状は生徒とのコミュニケーションツールの一つとも言える。

以前勤めた学校では、自分のクラスに年賀状を出すことが義務づけられ、学校から年賀状が支給された。
当時は、「そこまでやるのか…」、とも思ったが、そうでもしないと、賀状一つも出さない教員もおおいのだろう。
私にとっては、年賀状代金が少し浮いたので嬉しかったことを覚えている。

私自身、以前は300枚くらいは出した年賀状だが、昨今は50枚程度になった。
もっとも今年は喪中なので、賀状を作ってはいない。
計画性がなく、先延ばしの性格の私は、例年大晦日に作っていたように思う。

私の場合、一人ひとりのメッセージどころではなく、一人ひとり学校行事で撮った写真を印刷していたくらいだから、写真の加工やらで時間がかかったことは事実だが…。

「年末年始くらい、生徒のことは忘れたいよ…。」
と思われる先生方も多いのだろう。

一方で、年末年始も、「考えることは生徒の事ばかり…」、という先生もいるのだろう。

生徒に年賀状を出すことが、必要不可欠であるとは思わない。
そういう人もいてもいいだろう。
だからといって、そうした人の足を引っ張ることはすべきではない。

教師にはそれぞれの教育方針があっていい。
その中で、いろいろな先生とであった生徒たちが、何かしらを学び、成長していく。

若手の担任も、何かを感じて、そうした年賀状を作っているのだろう。








2019年12月25日

仕事人間

平日に一日お休みをもらっただけなのに、なんだか一週間ぶりに出勤したような気持ちになる。

以前の私だったら、病欠以外で学校を休んだことはなかった。
少しの熱なら何食わぬ顔で出勤していたし、身内に不幸があっても、誰にも知らせず、出勤し続けていたくらいだ。

自分が職場にいないと、なんだか迷惑を掛けそうな気持ちになったし、生徒が登校しているときには、何か事件が起こりそうで、結局休めなかったのだ。

だが、そうした生活をして数十年経ったが、このスタイルは正しくはなかったように思う。
たとえ聖職者としての学校の教師といえども、健全な身体と精神のもとに、教育活動を行うのであって、そのためには、適度な休養と、精神的なリフレッシュが大切だと思うに至ったのである。

「私には、丹澤先生の真似はできません。」
以前、若手の先生に、そう言われたことがある。
これは、授業スタイルや、生徒指導の話であったが、以前からそんな風に言われることは多かった。

言ってみれば、自己中心的な仕事の仕方をしていたのだろう。
潜在的に、「自分がいなければ、学校が回らない」という傲慢で、慢心した気持ちになっていたわけだ。

だからチームとしての仕事、組織としての取り組みが、なかなか上手くいかなかった。
一匹オオカミは、平和に過ごしている他の動物の群れには入れないのだ。

仕事人間は、退職時に心の中にぽっかりと穴が空くという。
「自分がいなくなっては仕事は回らない」、と思ってはいても、しばらくすると、何ごともなかったかのように、組織は動き出す。

「自分は仕事ができる人間だ」、と思っている人間ほど、実は他の人に迷惑を掛けていることが多いのだ。

私はそうしたタイムの人間なのだろう。

今日も「おはようございます」と、互いに声を掛け合いながら一日が始まる。
そして今日はまた、年内全員出勤の最終日。

朝の打ち合わせで学年主任が言う。
「今年一年ありがとうございました。年末、年始はゆっくりお休みください。また、新年に会いましょう。」
そんな労いの言葉は、ほっとする。

社員に過労による自殺者が出ると、その会社はブラック企業として認定されるようである。
企業の組織というより、上司の問題であるようにも思うが、会社としてイメージダウンになることは間違いあるまい。

みんな元気で、やる気に満ちた組織であってこそ、いい仕事ができるはずだ。
それが社会に貢献される仕事になり、やりがいになっていく。

私を末席に置いてくれてありがとう。








2019年12月24日

H君の誕生日祝い

高校生のY君から、「隠れ家でH君の誕生祝いしませんか」、と言われたのは、10日程前。
ちょうどクリスマスケーキも頼んでいたので、ちょうどいい、と快諾した。

昨日のバーベキューの肉も余っていたので、またしてもバーベキューになった。
今日はバーベキュー用の着火剤をつかったら、あっという間に炭に火がついた。

やっぱり炭焼きの肉はおいしい。

だが、人間そんなに食べられるものではない。
小一時間もすると、満腹になり、片付け開始。

昨日に引き続き、今日もY君が片付けをしてくれた。
本当にありがたい。

その後、小休止をして、挽き立てのコーヒーを飲みながら、チーズケーキを食べる。

「誕生日おめでとう!」

どの世代であっても、誕生祝いは健在だ。

「バーベキューの写真を送ったのか?」
「ああ、兄には送りました。」
「丹澤先生は元気か、って聞いてます。」
「もう、疲れた元気ない!、って答えておきなさい。」

などとたわいない会話をしながら、三人だけの誕生パーティーは進む…。

「丹澤先生、ホールケーキどのくらい食べますか?」
「欲しいだけ食べなさい。」

そういえば、面白いケーキの三等分の方法があったなぁ、と一人ほくそ笑む。
彼らは、結局ホールケーキを四等分して、三つを食べた。

H君が言う。
「丹澤先生、誕生日祝ってくれてありがとうございました。

H君もかつては中学野球部の一員だった。
キャプテンまで務めていたが、思春期の暗黒期に退部していった。

以前私に言ったことがある。
「野球、続けていてればよかったなぁ…。」

野球部をやめて一年半くらい頃、H君の母親と会った。
うちの息子、大丈夫でしょうか、と尋ねられたので、「絶対に大丈夫です」、と革新的に答えた。

H君はちゃんと立ち直り、大人への階段を登っている。
時に、私の相談相手にもなっている。

H君、誕生日おめでとう。








2019年12月23日

バーベキュー

マラソン大会のあと、野球部でバーベキューをした。
私の隠れ家の裏庭にある小屋がようやく役だったという訳だ。

その小屋は以前の持ち主が建てたもので、中央には囲炉裏がある。
ここでかつてはバーベキューをしたらしく、鉄板も網もそのままになっていた。
小屋の高い天井近くには、換気扇がついているし、入り口以外の三面にも窓がある。

この換気扇は、古くなってカタカタ音がしていたので、先日電気屋さんに交換してもらったばかりだ。

秋に10キロほど炭を調達しておいた。
だが実際は、火持ちがいいので、ほんの数キロでも十分すぎるようだ。

肉の量も加減が分からず余らせてしまった。

生徒たちは大喜びでバーベキューを楽しんだ。
高校生二人を手伝わせていたのだが、結果的には高校生がいて良かった。
火起こしやら、肉を焼くなど、都会育ちの中学生一年生では難しすぎる作業なのだ。

だから彼らは、もっぱら食べるだけになり、結局、高校生がお世話をする形になった。

以前は、彼らを旅行に連れて行ったり、スキーに連れて行ったりもしたが、最近は、私自身の生活が苦しくなったので、できなくなった。

裏庭の小屋でのバーベキューなら経費も安く済むと思ったが、実際は、お店で食べ放題に出掛けるくらいの食材の費用がかかっており、あまり変わらなくなった。

その上片付けもしなくてはならず、結構大変なのだが、皆で分担すれば早く終わる。

誰にも気兼ねすることなく、のんびり過ごせるのは良い。

季節は冬で、いろいろな虫に悩まされることもない。

このイベントが続けられるのなら、「先輩が後輩の面倒をみる」、という形が良いのだろう。

彼らは片付け早々に、たき火で遊んでいる。
昨今は、めっきり生火を使うことが少なくなった。

私は、しょっちゅうたき火をしているので、何でもなくなったが、始めた頃はやはり抵抗があったものだ。

火には人を引きつける力がある。

「もう、食えません!」
そう言ってもらえるのなら、バーベキューをやった甲斐がある。

飯を炊き、豚汁を作り、焼き肉の途中で焼きそばでも焼けば、あっというまに満腹になる。

やっぱり、「お店で食べ放題をして、途中から腹一杯になって飽きて遊び出す」よりいいのな…。

マラソンを終えて、小屋の掃除をさせ、風呂に入らせてからのバーベキュー。

まぁ、こんなもんでしょう…。








2019年12月22日

マラソン大会

地元のマラソン大会が行われた。
毎年学校として百人が参加している。
このマラソン大会のために、学校行事としてのマラソン大会はない。
原則部活単位での参加なのだが、そろそろ伝統行事になりつつあり、すっかり年末の風物詩になった。

仲でも中学生の男子の部は数百人が参加する高レベルの大会で、10位以内に入賞するには、5キロを15分程度で走れなければならない。

この地区は駅伝王国でもあるので、この部で入賞するのは、ハードルが高い。
そこで今回は、私の野球部員には目標タイムを申告させた。

こんな時にも性格が出る。
あとから「目標達成できなかった」、と責められないために、わざと遅いタイムを申告する者、
「丹澤先生、足が痛いから無理です…」、などとあらかじめ言い訳しておきて、走り終わってから、「やっぱり大丈夫でした」、などとあっけらかんとしている者。

いずれにせよ、19分から25分に全員がおさまっており、「まずまず頑張ったんだなぁ」、と思う。

以前は私も走っていたが、このところの急激な体力低下で、もはや走るどころではなくなってしまった。

「写真を撮りたいから、走れないんです。」
と、言い訳して走るのをやめてから、もう何年も経つ。
確かに自分が走ってしまうと、生徒たちの写真は撮れない。
マラソンを走ってゴール直前の、生き生きとした(?)写真を、何としてでも記録しておきたいと思ったのだ。

だが、今回はミスをした。
カメラの予備バッテリーを忘れたのだ。
カメラの電源を入れると、バッテリーが残りわずか。
外気温を考えると、電池の消耗が激しいので、最後まで撮影ができるか心配な状況。

最後に全員の記念撮影があるので、それが撮影できないか、あるいは、途中で撮影不能になるか…。

「撮影できないなら、走らない理由にはならないな…。」
などと思いながら、連写を控え、節約しながら撮影した。

最終的には最後まで撮影できたのだが、何ともドキドキのマラソン大会になった。

このマラソン大会には、先生たちもたくさん走っている。
若手の先生たちだけではなく、私と年齢の近い先生も、「マラソン大会を盛り上げよう」、ということで、あえて参加しているのだ。

また、近年は開催している市内の中学校、高校にも出場指令が出たようで、数多くの戦湯があつまり、二千人を超えるランナーになった。

走り終えた戦とたちは、皆、その達成感と爽快感で、「いい顔」をしている。

走り始めれば、あっという間に終わってしまうのだが、そのスタートまでが大変なマラソン。

これで年内の学校(?)行事はすべて終わった。








マラソン大会

地元のマラソン大会が行われた。
毎年学校として百人が参加している。
このマラソン大会のために、学校行事としてのマラソン大会はない。
原則部活単位での参加なのだが、そろそろ伝統行事になりつつあり、すっかり年末の風物詩になった。

仲でも中学生の男子の部は数百人が参加する高レベルの大会で、10位以内に入賞するには、5キロを15分程度で走れなければならない。

この地区は駅伝王国でもあるので、この部で入賞するのは、ハードルが高い。
そこで今回は、私の野球部員には目標タイムを申告させた。

こんな時にも性格が出る。
あとから「目標達成できなかった」、と責められないために、わざと遅いタイムを申告する者、
「丹澤先生、足が痛いから無理です…」、などとあらかじめ言い訳しておきて、走り終わってから、「やっぱり大丈夫でした」、などとあっけらかんとしている者。

いずれにせよ、19分から25分に全員がおさまっており、「まずまず頑張ったんだなぁ」、と思う。

以前は私も走っていたが、このところの急激な体力低下で、もはや走るどころではなくなってしまった。

「写真を撮りたいから、走れないんです。」
と、言い訳して走るのをやめてから、もう何年も経つ。
確かに自分が走ってしまうと、生徒たちの写真は撮れない。
マラソンを走ってゴール直前の、生き生きとした(?)写真を、何としてでも記録しておきたいと思ったのだ。

だが、今回はミスをした。
カメラの予備バッテリーを忘れたのだ。
カメラの電源を入れると、バッテリーが残りわずか。
外気温を考えると、電池の消耗が激しいので、最後まで撮影ができるか心配な状況。

最後に全員の記念撮影があるので、それが撮影できないか、あるいは、途中で撮影不能になるか…。

「撮影できないなら、走らない理由にはならないな…。」
などと思いながら、連写を控え、節約しながら撮影した。

最終的には最後まで撮影できたのだが、何ともドキドキのマラソン大会になった。

このマラソン大会には、先生たちもたくさん走っている。
若手の先生たちだけではなく、私と年齢の近い先生も、「マラソン大会を盛り上げよう」、ということで、あえて参加しているのだ。

また、近年は開催している市内の中学校、高校にも出場指令が出たようで、数多くの戦湯があつまり、二千人を超えるランナーになった。

走り終えた戦とたちは、皆、その達成感と爽快感で、「いい顔」をしている。

走り始めれば、あっという間に終わってしまうのだが、そのスタートまでが大変なマラソン。

これで年内の学校(?)行事はすべて終わった。








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