アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年01月21日

中学入試の採点

今日は、中学試験の採点日。
ほとんどの学校の入試の採点は入試当日。試験が終わるたびに、答案用紙が採点場所に運ばれ、主として教科単位で採点する。マンモス校では、事務職員までも動員されての採点にもなる。これが私立学校の姿だ。

私が初めて勤めた学校では、採点場所には、いろいろな「お菓子」が並べられ、楽しく採点ができた。
私立学校にとっては、入学試験は大切な収入源。そういう意味もあって、「お菓子」が提供されたのかどうかは分からないが、とにかく、お茶だの、お菓子が食べ放題状態で採点できたものだ。
血眼になって、プレッシャがかかり、高ストレスの中での採点では、ミスも多発するだろうから、多少のリフレッシュは必要だろう。

「先生方、根詰めてやらないで、適度に休憩しながらやってくださいね。早さよりもミスがない方が大事ですから…。」
と、言われたことを思い出す。

もしかしたら入試経費の中に、「お茶菓子代」が含まれていたのかも知れない。

受験生たちは、まさかお菓子をバリバリ食べながら採点しているとは、夢にも思ってはいないだろうが、そういう学校だってあるのだ。
その後、私もいつくつも学校を巡ったが、この時のような採点風景は、二度となかった。

何でもそれが当たり前になると、単段感覚が狂ってくる。
「今年はお菓子が少ないな。もっと出してよ。」
とか、
「このお菓子は好かん。」
などと、わがまま放題言う先生方も現れ、それはそれで、醜い世界になる。

採点業務は、だいたいが分業だろう。割り当てられた問題を、淡々と採点していく。正誤に迷う答案は、その都度、採点責任者の裁量を仰ぐ。
一つの問題で、概ね3回はチェックし、合計点についても、そのようなシステムで、慎重の上に慎重を期す。

もちろん点数は非公開であるし、私立学校の場合、合否は「総合判定」という大変便利な方法がある。
たくさんの寄付をいただいている方のご子息は、何とか入学させなくてはならないし、あまりに学校生活が困難な場合は、「総合判定」として、お断りしなければならない。

少子化の波により、選抜できない入学試験になりつつあるのも事実。
入試もなんだかセレモニー化しつつある。

以前は合格発表も、掲示が当たり前だったが、今はかなり少ない。
どれだけの受験者があって、どれだけ不合格になったかが、あまりに明らかになりすぎるからだろう。
だいたいはインターネット上で発表させるが、こちらも、全体の一覧ではなく、各人がパスワードを入れると、「合否が分かる」というものだ。

これなら、隣の子が受かったが落ちたかどうかは分からない。
秘匿性もあるので、いらぬ倍率だの、定員割れだのを暗に告知するような、不要な気を遣うこともないというわけだ。

小学生にとっては、中学入試は少し酷だ。
それを乗り越えてあまりある価値がなければ、私自身だってあまりお勧めしない。

「他の人を蹴落としででも、自分が成功への道を上っていきたい」、という生徒を育てるのなら、やはり間違っている。
親の見栄だけで私立中学校に通わせるというのも、賛同できない。

我々は教育活動をしているのだ。
営利目的だけの、事業ではない…。








【このカテゴリーの最新記事】

2019年01月20日

入試業務

中学入試当日。ほとんどの先生方は、全国の試験会場で入試業務をしている中、私は、職員室で明日の採点そして審議に向けての資料作り。

とは言っても、先週末から極度の体調不良に陥ってる。
昨日そして今日と、部活動を予定していたが、外部のグランドへ連れて行くこともなく、高校生のコーチに見ていてくれ、と学校内で遊ばせる程度が精一杯。

この先、熱が出ることはあるまいが、土曜、日曜とかなりの時間ゴロゴロしていた。
そんな中でも、授業のネタを仕入れることは怠らず、ずっとTVerをつけっぱなし。
時々、眠りに落ちているので、真剣に見ているわけではないが、火曜日からの週明けの授業には、とりあえず、こと欠かないだけの話題は入手している。

ただ、しゃべることが苦痛なので、授業になるかどうかは甚だ不安だ。

今日は少しは調子が良くなったので、「午後からは、外部のグランドへ出掛けでもいいかな、指導は高校生コーチに任せて、自分はたき火にでも当たっていようかな」、とも思ったが、公用車が出払っていて、使える車が一台もなかった。

「それでは仕方ない」、とばかり、私はまたしても休養。

問題なのは、この数日ほとんど何も食べていないこと。これで体重は少しは減るだろうかと思ったが、昨日の入浴時にはほとんど変わっていなかった。正月太りが効いているのだろう。さて、今夜はどうだろう。

そんな夕暮れ、教頭から電話があり、
「入試の資料を一部手直してしてくれ。」
とのこと。学校のPCリモートで制御できるので、これから学校へ行く必要はなさそうだが、いつもながら、絶妙なタイミングで連絡がくる。

今日はセンター二日目。
理系の強者たちが、受験会場へと大型バスで向かった。
明日早速自己採点して、予備校に判定してもらう。

昼に、野球部の一年生とすれ違い、
「先生、体調どうですか?」
と、声を掛けられた。
私はおどけて、
「隊長(快調)。」
と、腕を上げたら、引かれてしまった。

こんなやりとりが、私の普段の学校生活でもある。

若い生徒たちと関わっていると、歳を取りにくい理由も、こういうところにあるのかも知れない。








2019年01月19日

センター試験

「受験票を見せなさい。受験票、持ったか?」

早朝、バスに乗り込む高3を先生たちが見送る。
今日は、センター試験の第一日目。私の学校からは、近隣の大学へ、大型バス2台で生徒たち送った。

中学一年生から高校2年生、はたまたセンター試験を受けない高校3年生皆で見送る。

全校生徒で生徒会が作った横断幕を生徒会メンバーが掲げる。
彼らは、バスが見えなくなるまで、高く持ち続けた。

中高一貫の六年間の生活は重い。
高3ともなれば、真剣に受験勉強をする姿を相まって、後輩たちからは尊敬の眼差しで見られる。

見送る在校生たちは、多くを語らない。
「先輩、頑張ってください。」
などと、口に出すまでもなく、全員がそうした思いで、高3の姿を見ているのだ。

校長は、見送りにはいなかった。
すでに現地に入り、彼ら高3のバスを、旗を振って迎える…。

件からの要請で、自校で入学試験をしてはいけないために、明日の入試に向けて、多くの先生方が不在だが、学校に残っている人は全員が、高3を讃えた。

夕方、センター試験から戻ってきた高3に声を掛けた。
「楽しかったか…。」
「…楽しくはなかったですけど、…疲れました。」

センター試験は明日も続く。
「明日の試験の方が重要なんです。
そうだ、明日は理系の科目だ。

中学に入学した頃の実力テストの時間は45分。
高校生になり、鍛えられた、いつしか80分とも100分もの長い試験時間に耐えられるようになった。

『勉強も心の修行である』、と、入学以来、教育している。
『「君たちが勉強することで、ある程度の自己実現はできるだろうが、それは社会に貢献するものではなくてはならない』、とも教え込んでいる。

『勉強できる人が、自己中心的な生活をするのではなく、騎士道精神で社会に役に立つ人材になろう』、と諭しているのだ。

だから、「誰かを蹴落として」、という姿は、私の学校では皆無だ。

成績優秀者は、全校生徒全員で祝福する。
嫉妬心がないわけではなかろうが、ありすぎでもだめだ。

彼らの健闘を祈ろう…。

センター試験が終わると、彼らとの別れが、いよいよカウントダウンに突入する。








2019年01月18日

どこに座るか

学校では、座席はたいてい指定席。番号順に座るか、あるいは何らかの手段で座席を決め、決まったところに座る。
だが、世の中では、必ずしも指定席ばかりではない。
コンサートや映画館は指定席が普通だが、ことセミナーなどでは、自由な席に座れる場合も多い。
大学での講義の座席も、ほとんどが自由席だろう。

自由席の座席で大切なのが、「どこに座るか」である。

もし学校の授業で、生徒たちに、「座席は自由でいいよ…」、と言ったら、彼らはどこに座るだろうか。
なかなか、一番前の座席に座らないのではないだろうか。

予備校の授業や大学の講義で、意識の高い人は、中央の一番前の席に座る。
「先生に顔と名前を覚えてもらいたい」、という意図もあるだろう。
「すぐに質問できる」、というメリットもあるだろう。
また、「意欲を感じてもらう」、という思いもあるだろう。
しかし、何より、「本気で、真剣に、一言も漏らさず、先生の講義を聴きたい」、という思いが大きいのではないだろうか。

逆に、後ろの方に、とにかく目立たないように座っている人は、「仕方なく出席している人」であり、「できたら参加したくない人」であり、「意欲的でない人」である可能性がきわめて高い。

もちろん、「時間ぎりぎりにやってきて、もう空席がない」、という状況もあろうが、このことだって、意欲的な人、積極的な人ならば、時間に余裕を持って来るだろうし、「前の方の席に座りたい」、と思えば、相応の準備をする。

これが、企業の経営者向けセミナーであったらどうだろう。
一回数百万円のセミナーだったら、わざわざ末席に座ろうとする経営者はいるまい。
こぞって、前の方の席を選ぶか、誰もが平等になるように、座席指定になっているかも知れない。

「経営における何かヒントはないだろうか」、という問題意識、目的意識がある人ばかりが集まっている。会社の経費で落とせるかどうかは分からないが、受講料も高額。「どうでもいい」、と思って参加している人はいないだろう。

つまり座席選びは、意識の差と言ってもよい。

私も、講習や補講などの時には、特に座席を指定しない。後ろに座る生徒を前に促す程度である。
それでも遠慮して、一列目に座らなかったり、後ろに座ろうとする人がいるが、私はそれを許さない。

勉強という面でも、意識の差が、実力向上、成績向上の差を生むからだ。

およそ学校の授業で、「どうでもいい」講義など一つもない。

どんなにわかりにくい授業であったとしても、必ず学びはあるはずだ。

「前からつめて座りなさい。」
と、促して遠慮がちに座るならば、意識の高さがまだまだだと言ってもよいだろう。

金銭の多寡にかかわらず、何事も意欲的に、学びを得ようという心がけが大事である。
人間は本来、学びたいという欲求を持っている。

そんな話を、時折私は授業中にする。

一度、自由席で授業してみようかしらん…。







2019年01月17日

入学試験準備

週末の入試に向けて、少し細かな仕事している。
私は情報処理の係なので、願書の入力から、各種表簿、机に貼るカードなど、一切の作業を担当している。少し気を遣う作業だ。

「名簿や、机のカードの名前の間違いは、必ず最終チェックをお願いします。」
職員打ち合わせで、毎年私はそう叫ぶ。
学校側のミスにより、受験生にいらぬ動揺を与えないためだ。
万一、不合格になり、「名前が違っていたんです。だから落ち着いて試験を受けられなかったのです」、などというクレームがあったら、洒落にならない。

もちろん何人ものチェックがあってのことだが、人間は完璧ではないので、それでもチェック漏れが起こることもある。

気を遣う作業がこの先も続く。
入試の合否判定審議のための資料から、合格通知、不合通知、宛名ラベル等々、私が一切を請け負っているのだ。

だから、入試当日はすべてデーター処理に専念することになる。

できるだけ手動部分を減らしてシステムを作っているが、それでも圧倒的多数の処理は手作業。
ミスなく、作業をするにはとても神経を使う。

これが、中学入試と高校入試の2回ある。
願書の入力と合わせると、かなり面倒な仕事になる。

その中でも一番のプレッシャーが合格者リストの作成だろう。
これを間違えると、間違った合格発表をしかねず、後々禍根を残す。

以前勤めていた学校で、教務主任が不合格者を合格として扱ってしまって、それをそのまま発表してしまったことがある。

もちろん、後から合格取り消しにすることもできず、本来不合格でありながら、合格に加えたというミスがあった。受験生にとっては、ラッキーかも知れないが、すべては裏で処理されているので、傍目には分からない。その教務主任は、心労が重なり、その後定年を迎える前に退職してしまった。
入試は、かなりプレッシャーのかかる仕事なのだ。

私立学校では、すべてを自校で処理しなければならないので、全員の協力とチームワークが必要だ。

私の行う入試処理では、ACCESSでデーターベース化し、Excelにリンクさせ、出力する。宛名はラベルソフト、ワープロソフトの差し込み印刷も行う。
ACCESSでは、いろいろな条件検索や、いろいろな資料を結合できるのでとても便利なのだ。

私のコンピュータースキルを期待しての仕事の割り振りなのだろうが、なかなかなのプレッシャーでもある。

そろそろ若手のどなたかに引き継いでいかねばなるまい…。








2019年01月16日

宿題テスト

私の教科、数学の冬休みの宿題は、K社の「冬期テキスト」を利用している。
ただし、中2はこの時期中学校の内容を終えているので、中3用の教材、といった具合に、だいたい一年分ズレている。

問題は、この宿題冊子を、どうこの先の授業に使うか、である。
休み明けにテストをしたところで、果たして宿題内容が習得できているかどうかは、なかなか判定できない。と言って、次の定期テストの試験範囲にするだけ、というのは、何となくぼんやりする。

そこで、今回は各学年とも、毎時間宿題テストを行うことにした。

あらかじめ範囲を指定しておいて、その問題の中から授業の初めに私が選んだ問題を解く、というものだ。

これならば、確実に復習させることができる。勉強の習慣も半ば強制的に作ることができる。
その上、たとえ宿題の取り組みがいい加減であっても、再度勉強させることができる。

デメリットをあえて挙げるとすれば、毎回授業時間の15分ほどを、このテストに奪われるくらいだろう。

生徒たちも、範囲が限られているので、勉強のモチベーションも高まる。
採点も、お互い交換させているので、あまりに勉強不足だとやはり恥ずかしい。ここにも、勉強を促すモチベーションアップの仕組みを入れてある。

ちょうど、インフルエンザが流行っている時期でもあり、シャカリキになって授業を進めるわけにもいかない。と言って、足踏みばかりでもいけない。

と言うわけで、この時期のテストの繰り返しは、とてもいい感じになっている。

「あっ、一問間違えたー。」
と、中1が叫ぶ。

「まずい、計算ミスで行き詰まった…。」
と、中2がうそぶく。

やはり出来が一番いいのが中3。
系列高校へは、進学がほぼ保証されているとはいえ、やはり勉強している。
今回のテストも、ほとんどが一問間違い程度で、非常に出来がいい。

「真剣になって必死に解くこと」、は数学の実力アップにとても大切だ。
できたら、その間は他に気を引くものがない方がいい。

音楽を聴きながら数学を勉強すると、やっぱり気持ちが音楽の方に流れる。
そうすると、大切な閃きが失われてしまうのだ。
また、リラックスしすぎて、計算ミスを防ぐためのいい意味での緊張感も緩む。

学年が上がれば、お互い、教え合うようにもなる。

私たち教師の仕事は、ほんのちょっとだけ、背中を教えてあげるだけのことだ。

しばらくは、このテストを続けよう。
これで、ちょっと実力アップすればいいな…。








2019年01月15日

臨戦態勢

いよいよ今度の土日がセンター試験。学校としても臨戦態勢に入った。
センター試験は、人生を左右する大切な大学受験のステップ。
この日のために、高3の受験生たちは年末年始返上で勉強してきた。
学校上げて応援しなくてはならない…。

ところが、この連休から一気に中学生の低学年を中心に、体調不良者が続発した。
あるクラスでは熱発で10人以上が欠席していた。

その教室は、授業に行くと、頭が痛くなってくるくらい嫌な波動を感じた。
窓を開けても、その状態は変わらない。
その教室に座っている生徒たちは元気なのだが、何となく空気が重い。
インフルエンザのウイルスが蔓延しているような、そんな感じの教室だった。

授業が終わって、廊下に出ると、ぱっと雰囲気が変わった。
他のクラスに入っても、そうした感じはない。
やっぱり、「菌がうようよいるんだな…」、と思った。

と言うわけで、今日から全校全員マスク着用。
朝の会で、全員にマスクが配られ、学校生活中は教員も含めて全員がマスクを着用するという、別の意味での臨戦態勢になった。

昨年は、校内でインフルエンザが発症しても、内緒にしていたのだが、今年はいち早く発表。
もしかしたら、この施策が、学齢の低い生徒には、
「私も罹ってしまったかも…。」
という不安と、弱気にさせて、免疫力を落としたのかも知れない。

また、土曜日の全校集会で、一気に広がってしまったのかも知れない…。

いずれにせよ、気持ちが萎えたときが一番危ない。

しかも、土日は、中学入試でもあるので、先生たちも体調を崩してはいけないのだ。

「インフルエンザの予防接種は、効くと思う人には効く。効かないと思う人には効かない。」
という。

これは、「効くか効かないかは、気持ちの問題だ」、という意味ではない。
現に、予防接種は効果があり、世界中で多くの人の命を救っている。

要は、「効く」と思う確信が、「自分は絶対にインフルエンザには罹らないぞ」、という強い気持ちを生み、その思いが、予防策と相まって、免疫機能までを高めるという訳だ。
逆に、「どうせ効かないから…」、という思いが、「何をしても駄目だから…」、というマイナスの思いを引き込み、それが精神的な弱さとなって、体調不良を誘発するのだ。

「体調不良になっている場合ではない!」
という、強い気持ちが、負けない体を作る意味でも大切なのだろう。

「絶対に負けない!」
明日の朝の会で、皆にそう言わせようか…。








ファン
検索
<< 2023年09月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
丹澤三郎さんの画像
丹澤三郎
プロフィール
リンク集
おすすめ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。