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2018年11月27日

タイでの日常生活(23)ーー不思議に思うこと Part 1

今回は、日本ではあり得ないしょ、えぇ!! とタイで思うようなことを記します。小さいことも大きいことも。えぇ、これって、変わっているなと思えることです。面白いなと思えることです。しかし、長くその地に住んで見ると、知らないうちに自分もやってるだろうなということです。

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《他所の庭に生えている花や果物を、その主に断りなく、取っていく》

これは初め驚きましたね。最初に見たのは、私の家の前の家でのことです。老婆が一人住んでいるのですが、その家にはタイ人が好きな、豆のような果物がはえています。その豆を取って行く人が沢山います。隣の女性は自分で露店をやっているようですが、その露店で使うのに、ごっそり豆を取っています。勿論、断りなどしません。
他の人がある日トラックで来て、その荷台にのっかって、豆を取って行っていました。この家には白い花がよく咲いているのですが、その花を取って行く人もいます。その花は飾りを作るときに使う花です。勿論、老婆に断って花を取っているのではありません。別の果物を他所の家になっているのを、もいでいく人を見たこともあります。
自由なんでしょうね。私が住んでいる家には、マンゴーやパパイヤがなっていますが、時々、黙って取って行かれます。日本では考えられないことですね。小さい頃、隣の柿を取ってこっぴどく叱られたことがありますが、タイではOK。

《他所の家のビールは私のもの》
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他所の家に行ったとき、断りもなく、冷蔵庫を開けて、ビールやジュースを取って飲むことがあります。水は勿論のことです。喉が渇いているのだから、飲むのだって感じです。勿論、全く知らない人というわけではないのです。知っているので、ビールくらいいいでしょ、ジュースくらいいいでしょ、ということでしょうね。
聞いてい見ると、飲まれた方も別段、嫌な人ね、なんて思うことはなく、気にしないようです。大らかですね。まだ私にはそれは出来ません。後数年もすれば、やっているんですかね。

《招待なしで、夕食をシェア》
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招待もしていないのに、夕食の席に着いて、一緒に夕食を食べる人が時々います。日本では近所の人とか、知り合いを招いて、自分の家で食事を一緒にすることが少なくなったと思いませんか。
昔、私が子供の頃、いつも人が来て、昼食や夕食を一緒に食べていた記憶があります。昔ですから、家も大きかったためですかね。今は、マンションに住んだり、家の食堂も小さくなり、人を招いて一緒に自分の家で食事をするということは少なくなっているのだと思います。タイでは人を招いて食事を一緒にすることが、日本と比べると圧倒的に多いです。それに加え、招待していないのに、夕食時とか昼食時にそのまま、家に居座り、一緒に食事をする人をよく見かけます。みんなで食べれば美味しいのから、いいじゃんんん。

《パーティは手ぶらで》
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パーティを開いても、多くの人は、手ぶらでやって来て、飲んで食って帰って行きます。そして、パーティに招待した人をもてなすのが、こちらの役割です。ビールや食べ物を用意して、どうぞ召し上がれ、といった感じです。招待されているのだから、少しは遠慮をしなさいよ、なんてことはありません。ビールがなくなると、「うぅん!」といって、空になったグラスを差し出して、ビールをつげというという仕草をします。勿論、それは年上の人が年下の人にする行動です。30代の若造が、年上の人にこのような行動をすることはありません。
手ぶらですから、アメリカなどであるような、花束を持って行くとか、ワインを持って行くようなことは殆どありません。全くの手ぶらです。しっかり飲んで食って、腹一杯になると、黙って帰っていく人もいます。挨拶なしです。美味しかった位、言って欲しいですがね。今日は美味しかった、ありがとう、なんて言葉は期待してはいけません。

《ビールは薄めの方がいい?》
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ビールに氷を入れて飲む人が多いですね。だから、アルコール濃度は低く、酔うのに時間がかかる感じです。
しかも、パーティは楽しむためのものですから、殆どのタイ人は飲みながら、カラオケを歌います。thNQNW230N.jpg
どこでもカラオケ。バス旅行に一度参加したことがあるのですが、移動中バスの中で歌っていました。それが一種の発散の方法なんでしょうね。自分の家にカラオケセットをもっている人が多くいます。タイ人は全体的に陽気とよく言われますが、パーティでカラオケを使って、一晩中歌っている時もあります。それもスピーカーを最大限上げて、歌うのです。近所に迷惑がかかるなどとは考えないのです。お互い様ということでしょう。

このように、日本人と比べてみると、ちょっとした違いですが、タイ人の行動は面白いですね。日本人の目からすると、これらの違いは面白いとも言えるし、駄目だよとも言えます。しかし、これがタイ人の生活でなんです。即ち、タイ文化なのです。簡単に受け入れられないこともありますが、彼らの日常ですから、これは受け入れないといけない訳です。そんなことして、駄目だよ、直せ、なんて、考えると、異文化を受け入れる心が出来ていないことになりますし、タイ人を認めないことになります。異文化間コミュニケーションとは、こういうことなんだと思います。まだまだ、あるのですが、また、次回にします。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。
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2018年11月26日

タイでの日常生活(22)ーー蓮の池


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今回は先日訪れた蓮の池を材料にして、蓮に関わることをトピックとして、記して見ます。
日本人の心にも、タイ人の心にも、蓮は静かに存在していると言えます。それは、共に仏教を心の支えにしている面があるからです。仏教に対する信心は、タイ人の方が日常生活の中で、日本より、より具象化しているという感じです。国民性ですから、具象化が強いのがいい、弱いのが悪いと言う視点ではなく、心の深いところに息づいている、潜在的意識が共通していることに関心を抱きました。

《蓮の池訪問》
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蓮の入り口に、近辺の地図を含めた、蓮の池の所在地が分かるような地図が掲示してあります。右手には、蓮の名前と簡単な説明を付した写真が展示してあります。残念ながら、タイ語での説明でした。
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車を駐車場に駐めて、入り口を進むと、直ぐに板の道に入ります。板の道は池の真ん中に設置してあります。周りの景色や池や、蓮を見ながら、ゆっくり進みます。まだ、2割程度ですが、十分に花を楽しめる状態です。

《蓮の花》

まだ、最盛期ではないとは言え、いろんな種類の蓮をカメラに収めることが出来ました。残念ながら、名前をご紹介出来ません。なぜなら、タイ語での説明だったからです。タイ語が出来たらな〜〜。
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《蓮池には魚もいる》

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池の中には沢山の魚が泳いでいます。蓮以外に、藻がはっているので、魚に取ったら格好のすみかと言えるでしょう。小さい魚も沢山いましたが、大きな魚を見つけたので、ワンショット。












《蓮の池の横の竜》
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竜の周りに、大きな壺に蓮が植えられて、竜を囲むように並べてあります。やがて、1ヶ月もすると、この壺の中の蓮も、花を咲かせるのでしょう。






《別の蓮の池》
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以前、別の蓮の池を訪問したことがあります。そこは、広大な池全体に蓮が咲いていて、壮大です。私が訪問したときは、まだ、花の始まりの時だったので、花は多くはありませんでした。その後1ヶ月もすると、この池に蓮の花が咲き誇るのでしょう。その時期は12月に入ってからだといわれています。

《蓮の実》
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タイの人達は蓮の実を食べます。日本人の中にも、食べる人がいますね。花の真ん中に蜂の巣のような形の部分があり、花が散ると、その部分が蓮の実として、人々は収穫します。ナッツのような感じがします。蓮の花が終わる頃になると、道路端に開いている露店で蓮の実を売っているのをよく見かけます。

《蓮の池にあった店1》
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信心より、食い気?ではありませんが、蓮の池を散策したあと、一休みが出来るコーヒーショップもあります。私たちが行ったとき、外国人夫妻と子供たちと思える人達が、そこで一息入れていました。

《蓮の池にあった店2》
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この店は、もしかすると、お土産品店かも知れません。しかし、PGSの看板にもあるように、Organicの品物を販売している点に感心しました。自分が今、Organicの野菜を作っているからです。下に貼り付ける写真は、その店で販売していたOrganic商品です。なかなか、いいでしょ。
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《蓮の意味とタイ社会》
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蓮がタイ人や日本人の心の中で静かに存在しているということは、「極楽」との関わりがあるからでしょう。タイの仏像は、蓮の花の上に座っていることはあまりありませんが、日本では花の上に座っていますね。タイでは「こんにちは」というとき、手を合わせますが、その形は、蓮の花を形作っていると言われます。ガソリンスタンドのPTTを前回紹介しましたが、この会社のロゴは蓮の花をモチーフにしています。全国的にチェーン店を展開するTESCOというスーパーはLotus TESCOといわれて、蓮の名前を副名として使っています。
日本人である私には、「蓮の花」というと、何処か「はかなさ」も感じます。それは、花の弱さから来るのでしょうか。朝咲き、夕方にはしぼんでしまうんです。美人薄命???


今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。

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2018年11月25日

タイでの日常生活(21)ーーガソリンスタンド


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今回は、タイ人の日常生活で重要な役割をなしているガソリンスタンドに関して、記してみたいと思います。
基本的に、ガソリンスタンドといえば、ガソリンを入れるところですので、基本的な面では世界共通だと思って間違いないでしょう。しかし、よく見ると、タイと日本のガソリンスタンドとは、面白い違いがあることが分かります。その面白い違いに注目したいと思います。

《よく見かけるガソリンスタンド》
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蓮のマークのガソリンスタンド。名前はPTT。タイで最もよく見かけるガソリンスタンドです。
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PTのマークのガソリンスタンド。庶民的ガソリンスタンドという感じです。唯一ガソリン代の一部を慈善活動に使っているガソリンスタンドです。
その他、Caltex、Shell、SUSCO、Essoなども、多くはないですが、ガソリンスタンドを開いています。

《ガソリン代》
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最近ではガソリン代が高騰しています。1年くらい前は、22バーツくらいだったものが、今は、30バーツを超えている。最近(11月末)になって、原油価格が下がったこともあり、29バーツのレベルになりましたが、タイ人の平均的な日当や月給を考えると、高いといわざるを得ません。人々はそれでも車に乗るのは、何でかな?って気もします。田舎では、月に2万バーツの給料を貰う人は、あまり多くないはずなので、一回、車にガソリンを満タンにすると、1000バーツを越えたりします。これでは生活をかなり圧迫していると思われます。それでも車に乗る。便利だからでしょうね。ある人に言わせると、見栄もあるのだとか。

《ガソリンの種類》
大体、日本と同じに近いと考えていいようです。一部呼び方が違うガソリンスタンドもありますが、全般的に、「95」といわれているガソリンが,日本ではハイオクに当たります。当然、これはが一番高いガソリンになります。次は、「91」と言われるガソリンです。日本でいう「無鉛」に当たります。多くの人は、この「91」を入れます。次は、「ベンジン」と言われるガソリンです。「91」より混合物が多いのでしょうか、価格は「91」の10%安という感じです。ガソリンの質としては、無鉛の領域に入るようで、「91」の代わりに「ベンジン」を入れる人もかなりいます。エンジンの負担は大きくなるということでした。最後は、「軽油」です。軽油が最も安い燃料になりますが、対応する車は、ディーゼルのみです。

《ガソリンスタンドのサービス》
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ガソリンスタンドに車を入れると、「ぴぴぴーー」という笛の音が聞こえてくるところがあります。例の運動会などでよく先生が吹いていた笛の音です。こちらの給油機の方に来いという合図なのです。これは始め少しびっくりしましたね。「ダメダメ、そっちじゃない」って注意を受けているような気がして、一時スローダウン。
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給油サービスはフルサービスです。日本はセルフが多くなりましたね。タイではセルフは見たことがありません。タイでは、人件費が安いので、スタンドマンを沢山雇っていても、儲けが出るのでしょう。PTでは、水をくれたりするところもあります。日本ではペットボトル入りの水をくれるところにお目にかかったことはありません。いいサービスですね。日本のフルサービスでは、スタンドの人がオイルを見たり、水を見たりしてくれますね。また、窓を拭いてくれるところもあります。これらのサービスはタイでは一切期待できません。彼らの中には、ガソリンスタンドは、ガソリンを売るのが仕事だと思っているのでしょう。
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その為、写真のような設備はガソリンスタンドにはありません。写真は日本のガソリンスタンドの写真です。洗車機は日本のガソリンスタンドに取って、必要条件のようです。
勿論、オイル交換など出来る設備もありません。給油だけでその他のカーケァはしないのです。元々、ガソリンスタンドに、エンジンなどのケアが出来る技師がいなくて、スタッフは全員普通の人なのです。エンジンを見てくれなど、考えられないお願いになるようです。それは、カーディラーに持っていってくれということです。フルサービスなので、タイヤに空気を入れるくらいはしてくれそうですが、タイヤの空気は自分で入れないといけません。空気入れのコンプレッサーが独立して、ガソリンスタンドにあるので、そこまで車を動かして、自分で空気を入れます。「エアのチェック頼むね」、なんて言葉は使われないのです。

《ガソリンスタンドの役割》
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タイでは、ガソリンスタンドそのものは、ガソリンを売ることだけがその役割なのです。その他はないのです。ガソリンスタンドといえば、給油機を思い出しますが、広い意味でタイでは、小さいのは別ですが、ガソリンスタンドといえば、一種のミニショッピングモールの役割を担っています。ガソリンスタンドの敷地の中で様々なショッピングが出来ます。
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服を売る店、Amazonというコーヒーショップ、フードコートと言っているが、ちょっと大げさな表現になりますが、レストラン、いろいろな食事が出来る、小型のレストラン、衣服を売る店、コンビニ(セブンイレブン)、銀行のATM、個人がテントを張って食べ物を売る一種の露店、等々。様々な店が並んでいます。マッサージや美容室まであるところがあります。
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その他重要なのはトイレが完備していることです。日本のガソリンスタンドではトイレをお借りするのは少し難しいですね。タイでは自由に使えますし、係の人がいつも綺麗に掃除していますから、気持ちよく利用できます。
必要な物が大体そろっているので、人によると、ここに来て、時間を潰す人もいるようです。タイ在住になれて来た外国人は、Amazonへラップトップを持ち込んで何時間でもそこでねばる人もいるということ。
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タイではガソリンスタンドは生活全般をカバーする重要な生活スポットになっている感じがします。しかし、全てのガソリンスタンドがミニショッピングモールのようになっている訳ではなく、ガソリンを販売するだけの小規模なガソリンスタンドもあります。しかし、必ず、トイレは利用できる。トイレにこだわりますが。

《最後に》
いかがでしたか。描写があまり上手でないので、理解しにくいところもあったかと思いますが、お許しください。私の全般的なタイのガソリンスタンドへの印象は、とてもタイの人達は合理的だということです。ガソリンスタンドへ行けば、大体何でも済ませられる、これって便利ですよね。ゆったりしている感じのするタイ人ですが、生活のしやすさということからいうと、現実主義者的ですね。

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2018年11月24日

タイでの日常生活(20)ーーロイカトン


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今回は11月22日にあった「ロイカトン」に関して記してみます。
この時期の祭りで直ぐに思え出せるのは、アメリカのThanksgiving Day(感謝祭)です。また、日本で言えば「秋祭り」が頭に浮かびます。基本的に秋という時期は収穫の時期で、科学が発展する前の時代は、人々は豊穣に感謝して、お祭りを行ったのだろうと想像しています。それに宗教的意味合いが加味されて、それぞれの宗教的色合いをミックスしながら、人々の間で、伝統的に行われて来たんでしょう。

《ロイカトンの表記、発音》
ロイカトンは別な表記もあるようです。大きな違いではないんでが、「ローイカトン」と言ったり、「ロイカトーン」と言ったり、「ロイクラトーン」と言ったりするようです。元々タイ人はあまり、綴りにこだわらない人たちなので、人によって、時々、発音が異なることがよくあります。
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また、タイの中でも、別の呼び名を使うところもあるようです。北部のチェンマイなどの地域では、イーペンといい、コムローイ(別名コムファイ)と言われる、所謂、ちょうちん(灯籠)を空に飛ばしたりするようです。中国でもチェンマイなどと同じように、ちょうちんを飛ばしますから、同じ思いの歴史を持っているのだろうと想像できます。国は違っても、この時期の人々の心は、基本的に共通しているのでしょう。

《ロイカトンの基本》
基本は「秋祭り」ですから、農業との関係で、行われるようになった儀式と考えていいようです。
タイのロイカトンは今回を入れて、3回目になりました。
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タイ語で「ロイ」は「流す」の意味で、「クラトン」とは灯籠の意味です。基本は、「川に灯籠を流す」ということが分かります。灯籠は自分で作ってくる人もいますが、その場に行くと、沢山の手作り灯籠を売っています。安いのは20バーツくらいからあり、高いのは100バーツのもあります。その場で追加で、家族総出で、灯籠を作っている人たちもいます。灯籠の材料は、バナナの葉を加工したり、果物や野菜(特に人参)をカットしたり、花や芋なども使って、蓮の花のように見せたりして、その真ん中にローソクを立てています。14th9_0267[1].jpg



《ロイカトンの祝い方》

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灯籠を持って、水縁に行き、ローソクに火をつけて、祈りながら、流します。昔だと、無事収穫があったことを感謝したのでしょうが、今は、農民だけではないので、家族の健康や幸せを祈っているのでしょう。川のある地域では、川に灯籠を流しますが、私が住んでいる地域の中心地には、川がありません。その為、人々は池の中に灯籠を流します。
豊穣への感謝と共に、それをもたらしてくれた水への感謝の気持ちも込められていことが、川(水)に流すということからうかがい知ることが出来ます。それと同時に、人によれば、切った爪や髪の毛を流すということです。一種の厄除け的な意味合いもあるようです。
地域によると、盛大に催し物をするところもあるようです。ステージを組んで、踊り子たちがそこでまったり、カラオケを開くところもあるようです。
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今のロイカトンは始まった頃のような、単に豊穣への感謝から、人々の楽しみ、一種のエンターテインメントとして、開かれている感がします。その為、出店がズラート並び、ロイカトンにやって来た人達に様々なものを販売しています。灯籠はもとより、焼き鳥、かき氷、ジュース、人形、寿司、クレープ等々。
また、「ロイカトン」の歌もあるようです。そういえば、会場で皆さんが口ずさんでいたのは「ロイかトンの歌」なんでしょう。

《アメリカの秋祭り》
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アメリカの秋祭りを思い出してみると、最初に思い出すのが、State Fairです。これはそれぞれの州が開く一種の家畜や農産物の品評会が基本でしたが、今は、それに加えて、一種のエンターテインメントになって来ています。農民だけでなく、一般の人々が楽しみにしているイベントです。開催の時期は8−9月で、開催期間は10日から2週間です。人々は、中心地から出るバスに乗って、会場まで行き、一日中見て回りながら、食べ物などを買って、Fairを楽しむのです。

iStock_21246327_MEDIUM[1].jpgThanksgiving dayは日本でも最近、一緒に祝うようになって来たので、よく知られているところです。この起こりはアメリカにイギリスからメイフラワー号に乗って渡って来た清教徒たちが、アメリカンインディアンたちも招いて収穫に感謝して行ったお祭りです。清教徒というと、宗教的色合いが濃いように思えますが、基本は収穫を祝う行事だったと言うことです。

《日本の秋祭り》
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稲刈りもほぼ終わった頃から、私の日本の実家にも、幟の季節がやって来ます。要所要所に高い幟が、大人たちによって、建てられて行きました。祭りの始まりだなと、子供心にも分かりました。豊穣への感謝ではなく、おはぎが食べられるということへの喜びです。子供ですから。
「秋祭り」を辞書で引いてみると、やはり「収穫」という語がキーワードになっています。今年の豊穣に感謝し、来年の豊作を心の中で祈るための行事です。
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日本の秋祭りというと、私の思い出は、神社での出店や、広い神社の庭で繰り広げられる、喧噪です。鬼やひょっとこに追いかけられたこと、出店でスルメイカを食べたこと、金魚すくいをしたことなど、など。これを少し、冷静に思い出してみると、神社で行われていたということが大事です。お寺ではないのです。即ち、日本の秋祭りは「神道」との関わり合いが強い中で行われていたのだろうと想像できます。しかし、基本は農作の安定を願う人々の気持ち、即ち、自然を畏敬することを、お祭りの中で人々は実感、実践していたのだと思われます。宗教は後付でしょう。

《秋祭りから思うこと》
国の主義主張、宗教の違い等々があるにもかかわらず、秋の祭りを考えてみると、人々の思いは、時代を超えて、共通の思いを持っていた(る)ことが分かります。自然への畏敬の念、豊穣への感謝の気持ち、お互いの一年の努力と苦労を労い合おうとする気持ちが、秋祭りには込められていると思うのです。人間は科学を発展させる時間の中で、心の底にある人間の共通的繋がりを失って来たのかも知れません。


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2018年11月23日

タイでの日常生活(19)ーー農業


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今回は、タイの農業について記したいと思います。
タイでは様々な種類の業種がありますが、農業はその中でも、タイ国に取って重要な役割を担っています。中心部の地域を除いて、ほぼ、全土で農業地帯をなしています。中心部周辺では農地も、耕地整理が実施されて、広大な農地を機械が効率よく、耕作する形態になっています。また、気候は安定していて、収穫量も一定の状態を常時保てる状況です。そのため、国際的にも競争力は高く、輸出される米は順調にその上げ幅を伸ばしています。今回は、米を取り上げますが、他の主要農産物として、タピオカ、天然ゴム、砂糖などあります。

《イサーン地域での農業》
イサーン地域とはタイの東北部を言います。この地域は、土質が悪く、米生産にはマイナス要因が高い地域です。それでも人々は、米作りに固執しているところがあります。日本の昔の農家のような感じです。私の日本の実家も農家です。父がよく、やっぱり稲作が一番手がかからなくていいと言ってました。タイでも同じような感じです。一度米を植えると、その後、殆ど何もしません。雨季を経て、乾期になると、稲刈りをして、売るというサイクルです。売った後は何もしないで、次の植え付けの時期を待つという流れです。

《タイの季――暑季》
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タイでは暑季、雨季、乾季とあります。暑季は3月から4月で、最も暑い時期です。気温は40度近くに上ることもあります。とても暑い時期です。この暑さを象徴するのが、「タイ正月」のソンクランです。これは別名「水掛祭り」とも言われています。お互いに水を掛け合って、暑さを凌ぐと言う感じです。水を掛けられても誰も文句は言わず、ニコニコしています。この時期にパーティに参加すると、いつの間にか服がずぶ濡れになっています。食べたり飲んだりしている時に、後ろから容器に入れた水をザブーーンと掛けられるのです。勿論、ニコニコ。ここは怒る場面ではないのです。

《タイの季――雨季――田植え》
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雨季は4月下旬から、10月です。ほぼ、毎日雨、雨、雨です。強く降るときもありますが、長くじっくり降るという感じです。農家の人たちはこの時期を待って、田んぼに水を入れ始めます。入れるというより、田んぼに水を溜め始めると言った方が正確です。タイの、特に小規模田んぼで農業を営んでいる農家の田んぼには、溝がありません。日本の田んぼは灌漑設備がしっかりしていて、溝を水が流れてきて、それを自分の田んぼに入れるという仕組みになっています。そのため、高いところにある田んぼが優先的に水を自分の田んぼに引くということになります。しかし、早く自分の田んぼに水を引きたい人は、夜出こっそり出かけていて、水が自分の田んぼに来るように操作したりします。その為、争いが起こることもありました。タイでは溝がないので、そのようなことは起こらないのです。お天道さまから貰った雨という恵みを大切に自分の田んぼの中で確保維持するのです。水が溜まってくると、田植えです。

《雨季と稲の田ごしらえ》
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田ごしらえは、最近ではトラクターを使って行う農家が増えて来たようです。これも日本の50年位前と同じで、牛や馬で耕作を行っていたのが、機械で行うようになりました。タイでもその変化の時代になって来ているようです。(耕地整備をしてある、広大な農地は既に完全な機械化が進み、効率のよい耕作をしています)雨季の中、稲は順調に生育します。タイの雨季は10月ですから、その頃には、米を順調に生って行きます。mmexport1501850632664.jpg

《タイの季――乾季》
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10月の終わり頃から、雨の回数が少なくなって来ます。乾季の到来を農家の人たちは待ちわびています。刈り取りも機械化が進んで来ていますが、まだ、手でかる農家が多いです。しかし、田植えにしても稲刈りにしても、人を雇ったり、近所の農家と協力しあって、行います。みんな楽しそうに作業をします。近所の農家と協力して行うことも、昔の日本とよく似ていますね。今日はお隣さんの作業を、明日は私のところの作業をって感じで、お互い協力しあって、農業を行っていました。今は、そんなこと・・・って感じで、横の繋がりを、日本では徐々に失ってしまいましたね。タイもそう長くない将来、機械化が更に進み、隣と協力して作業をするということがなくなるのかも知れません。機械化は人間の肉体的負担を軽減したことは確かですが、人間と人間の繋がりを弱めていったことは確かです。

《脱穀と稲乾し》
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刈り取った稲は、田んぼで乾燥させます。そうしないと、脱穀出来ないからです。脱穀も田んぼで行います。稲を乾燥させるのは、脱穀前に稲を乾燥させておかないと、米がうまく稲から脱穀しないからです。日本でも、刈った稲を田んぼの中に組んだ「はでご」(私の田舎ではこのように呼んでいましたが、共通語ではないと思います。長い木を横にはって、稲の束を掛けておく仕掛けです)に掛けて、乾燥させました。数日そのようにして、稲を乾燥させて、脱穀していきます。この脱穀は、殆どのタイの農家は機械を使います。脱穀した米は袋に入れて、家に持ち帰ります。そして、その米を庭や広いところに広げて、乾燥させます。数日乾燥された後、また、袋に入れて、自分の家の倉庫に保管します。タイにも農協のような組織がありますが、小規模農家は農協へは米を売りません。米を作っていない人に売ったり、レストランに売ったりします。狙いとしては、一番有利な時に売ろうとしているということです。一昔の日本でこのようは米を「闇米」として、批判的でした。しかし、タイ人は現実主義者なんでしょうね。少しずつ売っていき、日々の収入にします。米は殆どが、所謂、ロングライスです。この作業が終わり、倉庫が米でいっぱいになる頃は、11月終わり頃です。米の収穫が終わると、農家の人たちは、次の2月の暑季まで、長いHolidayになります。

《タイ米と日本米》
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タイ米の特徴はロングライスということは、広く知られています。日本米とタイ米の違いも一般的に知られたことです。このロングライスは品種としては「インディカ米」の一つです。タイでは、日本と同じように、この米を釜で炊いて食べます。最近では電気釜で炊く人が多くなって来たようです。タイ人はこれに加えて、餅米を好んで食べます。餅米もロングライスの一つなのかも知れませんが、日本米のように、粘り気があり、ロングでなく、ミドルって感じの長さです。餅米を炊く時は、日本の七輪のようなものに火をおこし、その上に釜を乗せます。釜の中身は餅米です。ロングライスを炊くときと同じですが、何故か、タイの人たちは餅米を炊くときは、昔の日本で米を炊いたときと同じようにします。炊いた餅米が冷めると、小型で持ち運びが出来るようになった、所謂、お鉢に入れます。また、食すときはその餅米を指で摘まんで、簡単なボール状にして、おかずの汁を付けたり、魚や肉と一生に口に入れます。この餅米は日本米と同じく、糖分が高いので、糖尿病の人には不向きだと言われています。

今回は、農業をトピックに記して見ました。何度も途中書いたように、農作業にしても、米収穫や収穫後の作業にしても、昔の日本そのままです。懐かしさと共に、大らかさを感じる一面です。昭和の日本かな〜〜。いいですね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。
posted by yuchan at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | タイ生活
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yuchan
定年前に退職し、人生が終わるまでに何かしたいと思っていました。それまでは、アメリカに仕事で訪問することが多かったのですが、アメリカ的価値観に少し食傷気味になっていました。仕事ではなく、いわば、自分探しの感覚でアジアの国々を短期間訪問するようになりました。そして、アジアこそ、自分の余生をおくるに最適な地だと確信しました。そして、中国に1年滞在し、その後、タイに渡り、retirement visaでlong stayを始めました。昭和の日本的空気を求めて、タイの中でも後進地方のイサーンに住んでいます。とにかく人生はチャレンジ。新しい可能性を求めて、何でもしてみよう、見てみようの精神で日々を送っています。
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