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2018年11月22日
タイでの日常生活(18)ーー朝の散歩
数ヶ月前から、体調は悪くないのですが、人間ドックのようなものを受けないといけないと思っていました。仕事を辞めて、4年になり、その間、これと言って体の検査を受けたことがありませんでした。仕事に就いている間は、半強制的に、年に一回の定期検診がありました。それで、以前から知っていた病院で日帰りのドックを受けました。すると、現代の3大成人病に見事に合格していたのです。薬でも治療をするが、自分でも体調管理をするようにドクターに言われ、朝の散歩をする決意をしました。前から散歩はしていたのですが、距離と時間を延ばすことにしました。朝5キロで一時間の設定です。今回はこの朝の散歩についてお伝えします。
朝5時15分起床。じっくり屈伸運動をして、準備を整えます。老人ですから、脚などの怪我は思いがけないところから起こると言われています。それを防ぐためにもじっくり、整備運動です。私が住んでいる周辺には絶好の散歩場所があるのです。
ゴルフコースの案内版です。日本語で書いてあるのも嬉しいですね。その道でも犬は右に行ったり左に行ったり。コントロールが大変ですが、犬には犬の論理があるんでしょうね。ゴルフコースの道を進むと、その終わりの頃に、元のお寺にたどり着きます。
再び、別の大通りに出ます。大通りに出るとまず目に入ってくるのが、近くに病院があるというサインです。この頃は6:15頃で、周りはすっかり夜が明けています。
大通りに入る左角には、テスコというスーパーがあることを示す標識が出ています。タイにはどこにでも、テスコがあります。セブンイレブンと違ってスーパーです。多くの人が利用しています。
テスコ標識の左手に白い塀が見えると思います。これはお寺の塀です。ここから朝、お坊さんが托鉢のために、いろいろな方向に出ていきます。私の家の近くにも、この寺から出てくるお坊さんがやって来ます。
ここまで朝の散歩と、散歩後のアクティビティを少しご紹介しました。これが終わる頃は、7時を回っているのが普通です。この他に、毎日ではありませんが、庭木を切ったり、草刈りをしたり、池の掃除をしたりという、追加の仕事があり、終わるのが朝の9時頃になることもあります。もう年ですから、一度に沢山のことは出来ませんし、9時頃になると、太陽も高く昇ってきて、とても仕事が出来る状態ではないので、さっさと止めるのです。しんどいですが、楽しいですね。日本にも家があり、庭木もあったので、同じようなことをしていたのですが、こちらでする方がなんか楽しいんだな。
今回は朝の散歩について、時間の流れに沿って、記して見ました。お付き合いくださり、ありがとうございました。
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2018年11月21日
タイでの日常生活ーー(17)ーー日本語大好き
今回は、タイの人たちに関心の高い、日本語に関して、記してみたいと思います。中でも、日本語がどのくらい使われているかを、衣服に書かれたプリントからみて行きます。
《日本語の学習者》
日本に関心を持つタイ人の数は増加しています。国際交流基金の数字では、タイ人の日本語学習者の数は、2012年129,616人だったのが、2015年には、173,817人に増加しています。同じく、2012年と2015年を世界全体で比較してみると、日本語学習者の数は、減少しています。3,985,669名から3,651,725名の333,954名の減少です。中でも、中国や韓国、インドネシアの学習者の数の減少は大きいです。逆に、タイでは34%増加しています。日本への関心がタイでは高まっていることが分かります。その流れの中には、2013年に実施された、日本訪問の際の15日間のビザ免除の措置が大きいと思われます。
《日本語のプリント》
タイの街を歩いていると、日本語が一種の柄としてプリントしてある、衣服を着ている人を、時々、見かけます。
その他、「つづく」とか「一番」「よいしょ」[横綱」なんて日本語をプリントしてあるシャツを着ている人も見たことがあります。だから、単に、漫画からだけでなく、タイの人たちの日本語への親近感を感じてしまいます。
この程度なら、いいですけど、最後の写真のようなのは、ちょっとまずいって感じですね。これにはコメントはありません。
《飾りとしての言葉》
言葉のプリントは、一種の飾りに過ぎないという意識があるのでしょう。だから、意味の前に、かっこよさ、文字フォントの形態、いかに自分のフィーリングに合っているかどうか、等々、ファッションの一つになっているのでしょう。
日本人の中にも、こりゃまずいでしょって感じの英語をプリントして着ている人を時々、見かけます。
「MAD」や「OSAKA6」はいいとして、その後のシャツは頂けませんね。意味は十分過ぎる位通じますが、通じるからこそ、感心しないと言えるでしょう。これらは、少し奇異な日本語のプリントと違って、品の無さ禁じ得ず、飾りを通り超していると言えるでしょう。古い! そうかも知れません。
今回は、街で時々見かける日本語がプリントしてあるシャツを紹介しました。これからまだまだ、奇抜なシャツを見かけることもあると思います。またその時は、ご紹介します。
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2018年11月20日
ショートショート(超短編)−−第7話 母への伝言
第7話 母への伝言
先日の脳梗塞の後遺症で母は喉の部分に麻痺が残ってしまった。体でいえば、左半身が麻痺していたが、それは驚異的に回復して、握力も戻っている。右を向いていた頭も正面を向くようになり、右につっていた眼も正面を向いている。このように回復するとは想像できなかった。しかし、喉に麻痺が残り、声に出したり、物を飲み込むのみ苦労がある。脳を損傷しているのだろう、思考も集中できないところがあり、何かをしていると、食べ物などを飲み込むのを忘れている感じだ。周りで飲み忘れているよ、飲まないと、といってあげないと、口の中にいっぱいになっても、次のものを入れようとする。そんな状態で、食べ物が気管に詰まる可能性が出てきた。病院にいくたびに、もう長くないなという感じを持つ。だからこそ、母が少しでも話せるうちに、少しでも物事が認識できるうちに、話しておかないといけないと思っている。母に言っておかないといけないことがあると考えている。
「すっかり、肉が落ちたね。なかなか食べるのが大変だからね。おなか、すく?」反応が鈍い母に語りかけた。言葉を作るのがうまくいかないようで、何とか言葉にしようとしている様子は伺える。しかし、自分では自分の体を思うように動かせなくなっている。リハビリのためと思って、何とか言葉にさせるような聞き方をする。それに答えて、頭を上下や左右に動かして、意思表示をしてくれる。リハビリなんてもういいかとも思い、答えやすい感じの質問にしてみたりする。母には通じないだろうし理解できないだろうと思うことも言ってみる。「今日は本当に疲れたよ。本当に大変なことが会社でいろいろあってね。中間管理職ってのはいやになるね。あちらが立てばこちらが立たずで、みんなの板ばさみで、もう厭になってきたよ。今日も、いろいろ問題が起きて、その処理や調整に追われて、来るのがおそくなったんよ。」こんなことを言っても、頭の回転が思うようにいかなくなっている母に理解ができるはずがないとわかっているのだが、それでもこんな話をすることで、母が自分にも相談しているのだという印象を持ってくれればいいがという気持ちをこちらも持ってのことだ。母は昔からそんなところがあった。人から相談されるのが好きなほうだった。特に子供たちに相談されるのは、母でなくても親なら、嬉しいものだろう。そのように思いながら、その日にあったとりとめもないことや、少々フィクション化した話を母にしてやった。本当のところ話がわかっているかどうかは、わからなかった。
ひとしきりその日にあったことを母に話した後、躊躇いの気持ちをようやく乗り越えて、明子の話を始めた。「どうしても話しておかないといけないことがあるんよ。今までどうしてもいえなかったんだけど、明子のことだけどね。死んでしまったんだよ。3年前にね。どうすることも、何もしてやれなかった。可愛そうなことをしてしまった。なかなかこの話ができなくてね、ごめん。心配かけたのに、肝心なことは話せなかったんだよ。今までどうしようか、どうしようかと迷っていたけど、お母さんがまだわかるうちに話しておかなければいけないと思ってね。黙っていてごめんね。でも、いろいろ、悩ませたりなんかしたくなかったんだ。僕の心のうちで片付けられたら、それでいいと思ったんだ。お父さんにもまだ話していないんだよ。陽子がまだアメリカにいるころのことだけどね。僕も明子が死んだとき、アメリカにいたんだよ。だから、どうすることもできなかったんだ。もちろん、日本にいてもどうすることもできなかったと思うけどね。でも、長い間苦しんでいたんだから、あれでよかったのかもしれないって思うことにしてるんだ。10年以上になるからね。病気になって。いいときもあったけど、悪いときのほうが多かったので、苦しい人生だったと思うんだ。お母さんと同じだね。足が痛くなってもう30年以上になるでしょ。苦しい人生だったね。いろいろ、何度か死にそうになったけど、生き延びてきたけどね。でも、30年も痛みを抱えていて、苦しかったと思うよ。人生なんてわからないね。明子も苦しい人生だったと思うんだ。今でもよく夢に出てくるんだよ。いつになったらこんな状態でなくなるんだろうっ思うんだけど、一生だろうっても思うんだよ。」
母はうっすらと涙を浮かべていた。2度ほどうなずくだけだった。
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2018年11月19日
タイでの日常生活ーー(16)ーータイ生活の中で嫌だったこと
タイに暮らし始めて3年。「光陰矢のごとし」を実感しているところです。3年前に、タイなら、昭和の日本をもう一度見られるかも知れないと思ってやってきました。その我が儘な私の期待に十分応えてくれているなと思っています。それでも、この3年の中で、クソーと頭にくることも、なかった訳ではありません。今回はそのようなNegativeになりかけた自分を記してみたいと思います。
《日本でのアメリカの友人1》
友人のアメリカ人がよく言っていたことがあります。まだ、日本に来たばかりの頃のことです。二人の子持ちの夫婦でした。特に、奥さんは日本の生活になかなか馴染めず、苦闘していました。よく私に言っていたことがあります。小学生の子供が自分に近づいてきて、This is a penといって指をかざして来るというのです。そして、一緒の友達と大声を上げて、笑うんだという訳です。
それに対して、私はI am not a penと言い返したらいいと言いました。勿論、冗談交じりのつもりで言ったんですが、今になって、思うと、その時、友人の気持ちをあまり理解していなかったと反省しています。彼女にすれば、Helloとか、Hi位は言って欲しかったんです。きっと。
《日本でのアメリカの友人2》
別のアメリカ人の友人がいつもいっていたことは、店などに行くと、自分が外国人だと思うと、なかなか対応してくれない、それで、自分はいい方法を考えたという訳です。彼が荷物を送りたくて郵便局に行った時のことです。
その郵便局は荷物を送るときの場所が、手紙などの郵便物を送るときの窓口と違っていたようです。まず、彼は荷物発送窓口に行きました。担当者が別のことに忙しくしているときで、その窓口には立っていませんでした。それで、彼は「すいません、小包お願いします」と言ったそうです。すると、担当者が「はーい」と言って振り向きながら彼の方に来ようとしました。しかし、局員はハットした顔をして、一瞬、歩を弛めたのですが、時既に遅しで、私の友人の荷物の発送を受け付ける仕事をしてくれたそうです。
この話の種明かしは、彼らしいんです。彼は、郵便局に行く前に、「すいません、小包お願いします」を何度も何度も練習したそうです。テープに録音して、何度も聞き直し、日本人が喋るような音になるまで練習して、郵便局に行ったんだということです。結局、郵便局員の耳には、日本人が喋る日本語に聞こえたという訳です。
彼は、日本が大好きで、日本人女性と結婚した位の人です。日本語もとても熱心に勉強していました。そして、その後、アメリカに帰って、日本語関係で博士になった程の人です。そのような人でも、異国の地で、好きな異国の地でも、初めは悪戦苦闘するものだということを、今更ながら思います。
《アメリカ人の社会》
アメリカに行くと、特に、西海岸では、人種混合が進んでいて、国際性も高いせいか、一見Friendlyに見える態度を取ります。歩いていて目が逢うと、Hiと言ってくれます。外国人をじろじろ見たり、特別扱いするようなことは少ないのです。
また、1回目か2回目にアメリカに行って街を歩いていた時、アメリカ人の家族から、道を聞かれたことがあります。また、時間を聞かれたこともあります。皆さんは、日本で、外国人に道を聞きますか?今なんじですか?と時間を聞きますか?恐らくNoでしょう。
異人種混合が進み、自分と異なる人種に対しても寛大に受容する文化が醸成されているアメリカでは、外国人は彼らに取って外国人ではなく、普通のアメリカ人なのです。しかし、同時に、心の何処かに、人種差別意識があることも確かです。今のトランプをみているとそれがよく分かりますね。
日本でも、外国人、外国文化に寛容であろうとする意識は高まっているのは確かですが、まだまだ、「外人」と言って、特別扱いするところがあります。
《タイの社会――ファラン》
タイでも、同じところがあります。彼らは、外国人のことを「ファラン」と言います。その意味は恐らくForeignerからきているのだろうと思います、日本人が「がいじん」と言うのと同じように。日本人がファランカテゴリーに入っているときも、入っていない時もあるようです。私のことをみて、「ファラン」と言われるときもあるし、「ニーポン」と言われ時もあります。日本のこと、日本人のことを「ニーポン」と言います。
初めての人と話していると、すぐに、「日本人」、「ニーポン」かということが必ずと言っていいほど、話題になります。もう慣れましたが、最初、あまりいい気持ちはしませんでした。私は、それで、南アフリカ人だとか、考えられない内容のことを言って、笑いで誤魔化したりしていました。誤魔化す対象は、自分の嫌悪感をです。
更に、最も気分が悪かった思い出は、年を取った女性の態度です。ある、レストランに入って行ったとき、家族で夕食を食べるためにそのレストランに来ていた老女が、ためらうことなく、じろじろ見る。しかも、ただの、じろじろではなく、レストランの入り口、即ち、私が入って行った方向に、体を、わざわざ回して、まるで、瞬き一つしないかのように、じっーーーと見ているんです。何か異人でも入って来たかのような態度です。それへの対抗して、私に出来ることは、顔に何かついていますか?といっているように、顔を手でなでるジェスチャーをするのがやっとでした。この老女のような人は、老若男女を問わず、沢山います。今では、一つ一つ腹を立ててもしょうがないと思えるようになって、ようやく、来ました。
《タイの社会――謝らない》
謝らないのも、最初いい気分ではありませんでした。彼らは何か間違ったことをしても、決して謝らない。容易に謝らない。日本人の規準が私の中にあることをいつも認識させられていました。日本人ですから、当然ですが。
高校生くらいの年齢の男性が、同年齢の女性を後ろに乗せて、粗暴な運転をしていたことを以前書きました。彼の乗っていたバイクは、整備不足で、ブレーキが殆ど利かない状態でした。裏道の小さな道路の交差点で、私の車が交差点を通り過ぎる位の時、車の後ろの部分にガンとぶつかってきました。
しかし、バイクに乗っている少年は、決して謝ることはありませんでした。「ごめんなさい」のタイ語を知っているので、それを言えば、仮に、通じなくても、「馬鹿やろーー、気をつけろ」くらいの怒鳴り声で、ことは終わっていたでしょうが、決して謝らないんですね。謝れば、自分の責任を認めることになるという考えが根底にあるのです。
これは日本人もよく言いますね。外国に行って何か事故に巻き込まれると、決して、「ごめんなさい」と言うなって。しかし、日本人は直ぐに、I’m sorryと言ってしまいます。それは、日本人の心の根底には、「まず、謝れ!!」と言う意識があるからです。よく言いますね、「あんなことして、謝りもしない」とか。だから、日本人社会で会社等が何か不祥事を起こすと、お偉方がマスコミの前に出てきて、「誠に申し訳ありませんでした」ってお頭を下げますね。それは極めて、日本人的な風景なのです。
国が違えば、人々の考え方も生活の仕方も変わってくるのは当然です。分かっていても、なかなか、その違いに順応するには時間がかかりますね。
今回はやや不平に満ちた内容になりましたが、書いた内容ほど、タイの生活に絶望しているのではありません。しかし、最初は、即ち、慣れていない頃は、ほんとに頭にきましたね。これがタイ人の文化だということを認められなかったですね。しかし、要は、「習うより慣れろ」ですね。そこに住んでいるんですもの。違いは乗り越えなければなりません。人間皆同じ。
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2018年11月18日
タイでの日常生活(15)ーー病院
今回は、タイでの病院に関して記したいと思います。
誰でも、外国に行くと、病気をすることが一番心配です。病気の名前は勿論のこと、症状をどのように説明しようか、言葉はどのくらい通じるだろうか、料金は高いのではないか、薬や注射は自分の体に合うだろうか、等々、心配はつきません。
病気のことは以前、少し書きましたが、今回は、病院関係のことを書いてみようと思っています。
《病院》
私が住んでいる街は、小さな街でも、交通の要に位置していることもあり、公立病院が充実しています。機器も現代的な物をそろえ、医者の数も(数も)十分いますし、診療する科も沢山あります。しかも、セクションも明確に分かれていて、患者への対応も悪くないように思います。それで、私も、それなりにこの公立病院を時々、利用させて貰っています。
これは、日本の血圧計ですが、私が時々行く病院も、ほぼ同じものを使っています。病院に行くと、まず、受付を済ませます。そして、広間(総合待合室)に置いてある、血圧計で血圧測定や、身長・体重測定をDIYの感じで行います。その記録を頭に入れておく必要があります。順番が来ると、看護師が問診をしてくれます。再診でも、同じように行います。しかし、総合待合室の(病院の中の)環境が悪いんです。特に血圧測定にはあまり適さない環境のように思えます。扇風機は動いているのですが、クーラーは効いていないので、暑いんです。しかも、とても沢山の患者さんがその部屋で待っているんです。その中での血圧は信頼出来るのだろうか?少し低めに結果が出るように設定してあるのかな?なんて思う時もあります。でも患者さんたちは、血圧計から出た記録の紙を手にし、看護師の問診に臨みます。日本のあの静かで清潔な感じの病院とは、相当かけ離れています。
(もっとも、私が行く公立病院だけの話です。別の大きな病院に行けば、環境は充実しているかも知れません)
治療費は安い感じです。殆どが薬代だと言うことです。血液検査などを受けても、無保険で1000バーツになることはないようです。とはいえ、1000バーツは一般タイ人にとったら、大金です。
ただ、市民は治療費が無料なんですね。そのため、昔の日本のように、沢山の薬を貰って戻っていきます。だから、お金を払う外国人はありがたい患者だと冗談に言われるます。とほほ?!しかし、治療費無料もそう長くは続かないと思われます。それは、薬を入れるナイロン袋を今度から廃止しますからと言っていました。勿論、環境問題との繋がりで、スーパーのように、My bag持参って方向性に沿ってのことですかね?
治療費の面については、アメリカのような、病院第一のところはタイにはないようです。アメリカでは、保険を持たないと、所謂、門前払いをする病院が多く、支払能力を示せないと、治療も受けられないのです。タイではそのようなところはなく、治療は施してくれます。まぁ、それ以上に、貧困層の人たちは、相当病気が酷くない限り、病院には行かないと言うことです。下で書きます歯医者で、外国人の若者が治療にどのくらいかかるかを最初聞いていました。受付の女性は、その総額を示していました。すると、彼は治療を諦めて帰っていきました。こういうことはよく起こるようです。
《クリニック》
治療器具を置いているところとおいてないとところがあります。また、血液検査も同じです。あるクリニックでは、血液検査が必要なら公立の病院に行ってくれと言われたこともあります。このあたりも日本と同じですかね。日本も町医者によれば、血液検査は外注をして、検査会社が血液を回収にきていますから、日本とタイのクリニックは大きくは違わないようです。私が時々世話になっているクリニックは、血糖値も中性脂肪もはかれる検査機器を持っているようです。
写真は、日本の薬局の写真です。タイの薬局は、こんなに清潔感に溢れていません。
薬の調剤は、病院でもやってくれます。昔の日本では、どの病院も調剤してくれましたが、最近では分業になり、薬は調剤薬局でするようになりました。これは大きな病院でも同じですね。タイでは、公立病院も町医者も自分のところで、基本調剤してくれます。しかし、町医者には、時々、薬を切らしていることがあり、近くの薬局で買って下さいってこともあります。このあたりは、日本と違うところです。と言うことは、町医者が調剤する薬と同じ薬を街の薬局で購入することが出来ると言うことです。街薬局で買うと少し安いんです。
治療費は、クリニックは安い。
殆どのクリニックは朝8時くらいから10時くらいまでと、夕方6時くらいから8時くらいまでしか治療しません。その理由は医者が病院勤務をしているからです。所謂、掛け持ちドクターということです。これで、わざわざ、病院に行って、長い時間待たされるより、近くのクリニックで済ませる理由が分かります。
《歯医者》
元々、子供の頃から、歯にいつも問題を持っていました。虫歯が多く、その治療に何度も歯医者に行ったものです。タイに来て、最初の2年は時に歯の問題は起きませんでした。しかし、3年目から、歯が痛み始めて、歯医者に行くことを決意しました。
アメリカでも、歯医者に行ったことがあるのですが、保険は利かないのです。利く保険に入っていなかった訳です。歯までカバーする保険は非常に高いのです。子供を産むときの保険のように高いのです。それもあって、歯医者に行くのは戦々恐々とする境地なんです。しかし、行かないわけにはいかない。意を決して、行きました。問題は、お金だけではありませんでした。歯医者としては、全体的には歯の治療をするわけですから、日本と変わりません。治療台のベッドにしても、耳障りな歯を削る音にしても、医者の言うはい開けて、咬んで、なんて指示も、同じです。しかし、どうしても解せないことがありました。ここから、もしかしたら、ちょっと不平になりそうです。
★ 毎回必ず、麻酔の注射をすること。ちょっと歯を削るだけなのに、麻酔注射をします。しかも、注射の前に簡単な塗り薬での予備麻酔をしないんです。だから、3回目の針を刺す頃まで、痛いのなんのって、痛いーーー!!
★ 毎回、受付の姉ちゃんが血圧を測るんです。血圧を測る理由は、聞いていませんが、理解できます。痛みの為、発作を起こされたら困ると言うことです。しかし、血圧を測る条件があまりに悪い。受付に到着すると、直ぐに測り始めるんです。こちらは、外国人ですし、タイ語がよく分からないので、緊張しています。それに、立ったままで測るんです。そのため、時に、高い血圧の結果が出て、今日は治療出来ません。えぇぇーーうそーー。嘘じゃないです。ほんとです。
★ 歯が痛いと言うと、どこが痛いかを確認するために、金属の器具で歯を叩きながら、ここですか?って聞くんです。そりゃ金具で叩かれれば、どこでも痛いです。あまりに何度も叩くので、痛くないところの歯が痛くなり、その歯が欠けてしまい半分になってしまいました。
★ これは医者の技量の問題になりますが、治療の最後に、この歯が痛いですか、といいながらまた叩くんです。しかし、その時はまだ、麻酔が効いていて、痛いかどうか分からないじゃないですか。そう言うと、あぁそうですね。当たり前だろーー。
★ 治療費はとにかく歯医者は高いです。他のクリニックでの治療費が頭にあるので、法外な治療医費に唖然としました。奥歯を一本治療をして、日本円で5万くらい取られた。保険に入っていないからだろうと自分に言い聞かせました。他のクリニックの時も保険に入っていなかったんだけどな。
★ 治療の期間がやたら長いんです。決して、短いのがいいとは思いません。しかし、例えば、削って仮の詰め物をして、次の治療が再開されるまで、3週間もかかるんですね。日本で何度も歯の治療をしていますが、こんなに長く間が開くことは初めてです。今度行く頃には、詰め物が剥がれ始めているほどです。仮詰め物のやり方も下手なんでしょうね。
結局、歯一本の治療にかかった時間は、5ヶ月です。ぼられたかなって気持ちになってはいけないのでしょうが、そう思いたくもなる歯医者でした。2度と行かないと思います。
今回は、病院について記してみました。最後の歯医者のところは、愚痴になってしまいすいません。誰かにいつか言わないと気が済まなかったもので。お付き合いありがとうございました。すっきりしました。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。少し、長くなってすいません。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。