2018年11月20日
ショートショート(超短編)−−第7話 母への伝言
第7話 母への伝言
先日の脳梗塞の後遺症で母は喉の部分に麻痺が残ってしまった。体でいえば、左半身が麻痺していたが、それは驚異的に回復して、握力も戻っている。右を向いていた頭も正面を向くようになり、右につっていた眼も正面を向いている。このように回復するとは想像できなかった。しかし、喉に麻痺が残り、声に出したり、物を飲み込むのみ苦労がある。脳を損傷しているのだろう、思考も集中できないところがあり、何かをしていると、食べ物などを飲み込むのを忘れている感じだ。周りで飲み忘れているよ、飲まないと、といってあげないと、口の中にいっぱいになっても、次のものを入れようとする。そんな状態で、食べ物が気管に詰まる可能性が出てきた。病院にいくたびに、もう長くないなという感じを持つ。だからこそ、母が少しでも話せるうちに、少しでも物事が認識できるうちに、話しておかないといけないと思っている。母に言っておかないといけないことがあると考えている。
「すっかり、肉が落ちたね。なかなか食べるのが大変だからね。おなか、すく?」反応が鈍い母に語りかけた。言葉を作るのがうまくいかないようで、何とか言葉にしようとしている様子は伺える。しかし、自分では自分の体を思うように動かせなくなっている。リハビリのためと思って、何とか言葉にさせるような聞き方をする。それに答えて、頭を上下や左右に動かして、意思表示をしてくれる。リハビリなんてもういいかとも思い、答えやすい感じの質問にしてみたりする。母には通じないだろうし理解できないだろうと思うことも言ってみる。「今日は本当に疲れたよ。本当に大変なことが会社でいろいろあってね。中間管理職ってのはいやになるね。あちらが立てばこちらが立たずで、みんなの板ばさみで、もう厭になってきたよ。今日も、いろいろ問題が起きて、その処理や調整に追われて、来るのがおそくなったんよ。」こんなことを言っても、頭の回転が思うようにいかなくなっている母に理解ができるはずがないとわかっているのだが、それでもこんな話をすることで、母が自分にも相談しているのだという印象を持ってくれればいいがという気持ちをこちらも持ってのことだ。母は昔からそんなところがあった。人から相談されるのが好きなほうだった。特に子供たちに相談されるのは、母でなくても親なら、嬉しいものだろう。そのように思いながら、その日にあったとりとめもないことや、少々フィクション化した話を母にしてやった。本当のところ話がわかっているかどうかは、わからなかった。
ひとしきりその日にあったことを母に話した後、躊躇いの気持ちをようやく乗り越えて、明子の話を始めた。「どうしても話しておかないといけないことがあるんよ。今までどうしてもいえなかったんだけど、明子のことだけどね。死んでしまったんだよ。3年前にね。どうすることも、何もしてやれなかった。可愛そうなことをしてしまった。なかなかこの話ができなくてね、ごめん。心配かけたのに、肝心なことは話せなかったんだよ。今までどうしようか、どうしようかと迷っていたけど、お母さんがまだわかるうちに話しておかなければいけないと思ってね。黙っていてごめんね。でも、いろいろ、悩ませたりなんかしたくなかったんだ。僕の心のうちで片付けられたら、それでいいと思ったんだ。お父さんにもまだ話していないんだよ。陽子がまだアメリカにいるころのことだけどね。僕も明子が死んだとき、アメリカにいたんだよ。だから、どうすることもできなかったんだ。もちろん、日本にいてもどうすることもできなかったと思うけどね。でも、長い間苦しんでいたんだから、あれでよかったのかもしれないって思うことにしてるんだ。10年以上になるからね。病気になって。いいときもあったけど、悪いときのほうが多かったので、苦しい人生だったと思うんだ。お母さんと同じだね。足が痛くなってもう30年以上になるでしょ。苦しい人生だったね。いろいろ、何度か死にそうになったけど、生き延びてきたけどね。でも、30年も痛みを抱えていて、苦しかったと思うよ。人生なんてわからないね。明子も苦しい人生だったと思うんだ。今でもよく夢に出てくるんだよ。いつになったらこんな状態でなくなるんだろうっ思うんだけど、一生だろうっても思うんだよ。」
母はうっすらと涙を浮かべていた。2度ほどうなずくだけだった。
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