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2018年11月19日

タイでの日常生活ーー(16)ーータイ生活の中で嫌だったこと


タイに暮らし始めて3年。「光陰矢のごとし」を実感しているところです。3年前に、タイなら、昭和の日本をもう一度見られるかも知れないと思ってやってきました。その我が儘な私の期待に十分応えてくれているなと思っています。それでも、この3年の中で、クソーと頭にくることも、なかった訳ではありません。今回はそのようなNegativeになりかけた自分を記してみたいと思います。

《日本でのアメリカの友人1》
pen[1].jpg
友人のアメリカ人がよく言っていたことがあります。まだ、日本に来たばかりの頃のことです。二人の子持ちの夫婦でした。特に、奥さんは日本の生活になかなか馴染めず、苦闘していました。よく私に言っていたことがあります。小学生の子供が自分に近づいてきて、This is a penといって指をかざして来るというのです。そして、一緒の友達と大声を上げて、笑うんだという訳です。
それに対して、私はI am not a penと言い返したらいいと言いました。勿論、冗談交じりのつもりで言ったんですが、今になって、思うと、その時、友人の気持ちをあまり理解していなかったと反省しています。彼女にすれば、Helloとか、Hi位は言って欲しかったんです。きっと。

《日本でのアメリカの友人2》
matu092[1].jpg
別のアメリカ人の友人がいつもいっていたことは、店などに行くと、自分が外国人だと思うと、なかなか対応してくれない、それで、自分はいい方法を考えたという訳です。彼が荷物を送りたくて郵便局に行った時のことです。
その郵便局は荷物を送るときの場所が、手紙などの郵便物を送るときの窓口と違っていたようです。まず、彼は荷物発送窓口に行きました。担当者が別のことに忙しくしているときで、その窓口には立っていませんでした。それで、彼は「すいません、小包お願いします」と言ったそうです。すると、担当者が「はーい」と言って振り向きながら彼の方に来ようとしました。しかし、局員はハットした顔をして、一瞬、歩を弛めたのですが、時既に遅しで、私の友人の荷物の発送を受け付ける仕事をしてくれたそうです。
この話の種明かしは、彼らしいんです。彼は、郵便局に行く前に、「すいません、小包お願いします」を何度も何度も練習したそうです。テープに録音して、何度も聞き直し、日本人が喋るような音になるまで練習して、郵便局に行ったんだということです。結局、郵便局員の耳には、日本人が喋る日本語に聞こえたという訳です。
彼は、日本が大好きで、日本人女性と結婚した位の人です。日本語もとても熱心に勉強していました。そして、その後、アメリカに帰って、日本語関係で博士になった程の人です。そのような人でも、異国の地で、好きな異国の地でも、初めは悪戦苦闘するものだということを、今更ながら思います。

《アメリカ人の社会》
americakakusa5[1].jpg
アメリカに行くと、特に、西海岸では、人種混合が進んでいて、国際性も高いせいか、一見Friendlyに見える態度を取ります。歩いていて目が逢うと、Hiと言ってくれます。外国人をじろじろ見たり、特別扱いするようなことは少ないのです。
また、1回目か2回目にアメリカに行って街を歩いていた時、アメリカ人の家族から、道を聞かれたことがあります。また、時間を聞かれたこともあります。皆さんは、日本で、外国人に道を聞きますか?今なんじですか?と時間を聞きますか?恐らくNoでしょう。
異人種混合が進み、自分と異なる人種に対しても寛大に受容する文化が醸成されているアメリカでは、外国人は彼らに取って外国人ではなく、普通のアメリカ人なのです。しかし、同時に、心の何処かに、人種差別意識があることも確かです。今のトランプをみているとそれがよく分かりますね。
日本でも、外国人、外国文化に寛容であろうとする意識は高まっているのは確かですが、まだまだ、「外人」と言って、特別扱いするところがあります。

《タイの社会――ファラン》

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タイでも、同じところがあります。彼らは、外国人のことを「ファラン」と言います。その意味は恐らくForeignerからきているのだろうと思います、日本人が「がいじん」と言うのと同じように。日本人がファランカテゴリーに入っているときも、入っていない時もあるようです。私のことをみて、「ファラン」と言われるときもあるし、「ニーポン」と言われ時もあります。日本のこと、日本人のことを「ニーポン」と言います。
初めての人と話していると、すぐに、「日本人」、「ニーポン」かということが必ずと言っていいほど、話題になります。もう慣れましたが、最初、あまりいい気持ちはしませんでした。私は、それで、南アフリカ人だとか、考えられない内容のことを言って、笑いで誤魔化したりしていました。誤魔化す対象は、自分の嫌悪感をです。

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更に、最も気分が悪かった思い出は、年を取った女性の態度です。ある、レストランに入って行ったとき、家族で夕食を食べるためにそのレストランに来ていた老女が、ためらうことなく、じろじろ見る。しかも、ただの、じろじろではなく、レストランの入り口、即ち、私が入って行った方向に、体を、わざわざ回して、まるで、瞬き一つしないかのように、じっーーーと見ているんです。何か異人でも入って来たかのような態度です。それへの対抗して、私に出来ることは、顔に何かついていますか?といっているように、顔を手でなでるジェスチャーをするのがやっとでした。この老女のような人は、老若男女を問わず、沢山います。今では、一つ一つ腹を立ててもしょうがないと思えるようになって、ようやく、来ました。
《タイの社会――謝らない》
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謝らないのも、最初いい気分ではありませんでした。彼らは何か間違ったことをしても、決して謝らない。容易に謝らない。日本人の規準が私の中にあることをいつも認識させられていました。日本人ですから、当然ですが。
高校生くらいの年齢の男性が、同年齢の女性を後ろに乗せて、粗暴な運転をしていたことを以前書きました。彼の乗っていたバイクは、整備不足で、ブレーキが殆ど利かない状態でした。裏道の小さな道路の交差点で、私の車が交差点を通り過ぎる位の時、車の後ろの部分にガンとぶつかってきました。
しかし、バイクに乗っている少年は、決して謝ることはありませんでした。「ごめんなさい」のタイ語を知っているので、それを言えば、仮に、通じなくても、「馬鹿やろーー、気をつけろ」くらいの怒鳴り声で、ことは終わっていたでしょうが、決して謝らないんですね。謝れば、自分の責任を認めることになるという考えが根底にあるのです。
japanesemap-10012[1].png
これは日本人もよく言いますね。外国に行って何か事故に巻き込まれると、決して、「ごめんなさい」と言うなって。しかし、日本人は直ぐに、I’m sorryと言ってしまいます。それは、日本人の心の根底には、「まず、謝れ!!」と言う意識があるからです。よく言いますね、「あんなことして、謝りもしない」とか。だから、日本人社会で会社等が何か不祥事を起こすと、お偉方がマスコミの前に出てきて、「誠に申し訳ありませんでした」ってお頭を下げますね。それは極めて、日本人的な風景なのです。

20160723045725[1].jpg
国が違えば、人々の考え方も生活の仕方も変わってくるのは当然です。分かっていても、なかなか、その違いに順応するには時間がかかりますね。

今回はやや不平に満ちた内容になりましたが、書いた内容ほど、タイの生活に絶望しているのではありません。しかし、最初は、即ち、慣れていない頃は、ほんとに頭にきましたね。これがタイ人の文化だということを認められなかったですね。しかし、要は、「習うより慣れろ」ですね。そこに住んでいるんですもの。違いは乗り越えなければなりません。人間皆同じ。


今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。
posted by yuchan at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | タイ生活
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定年前に退職し、人生が終わるまでに何かしたいと思っていました。それまでは、アメリカに仕事で訪問することが多かったのですが、アメリカ的価値観に少し食傷気味になっていました。仕事ではなく、いわば、自分探しの感覚でアジアの国々を短期間訪問するようになりました。そして、アジアこそ、自分の余生をおくるに最適な地だと確信しました。そして、中国に1年滞在し、その後、タイに渡り、retirement visaでlong stayを始めました。昭和の日本的空気を求めて、タイの中でも後進地方のイサーンに住んでいます。とにかく人生はチャレンジ。新しい可能性を求めて、何でもしてみよう、見てみようの精神で日々を送っています。
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