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2018年11月17日

タイでの日常生活(14)ーーバイクなど


今回は、タイでよく見かける、「タクシー」について書いてみたいと思います。タイにもタクシーはあります。日本と同じような、メータータクシーが今は主流です。以前は、メーターのないタクシーが走っていて、観光客に法外の料金を要求したりすることがありました。しかし、今ではそのようなタクシーは殆ど姿を消して、メーターを運転席横に設置しています。とはいえ、最短距離を走らないタクシーもいますから、まだ、観光客には用心が必要です。

《トゥクトゥク》
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写真にように、簡易乗り合いタクシーという感じの車のことを「トゥクトゥク」といいます。基本、三輪車です。初めてタイに行ったとき、「トクトク」というと、「トゥクトゥク」と直されました。今は、やや、まともに発音出来るようになりました。
ウイッキペディアによると、「三輪タクシー」。東南アジアや南アジアで普及。最近では南欧でも普及しているということ。タイでは、トゥクトゥク(或いは、サムロー」)というが、国によって呼び名は違っているようです。例えば、インドやパキスタンでは「オート・リクシャー」で、バングラディッシュでは「baby taxi」というそうです。可愛い名前がついているんですね。インドネシアでは「「バジャイ」、フィリピンでは「トライシクル」だそうです。国によって様々ですね。
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「トゥクトゥク」は、日本のダイハツミゼットが輸出されたのが始まりだとされています。年配の方は「ミゼット」をご存じだと思います。私も知っていますし、日本で乗ったこともあります。名前は、走るときの音にちなんで名付けられたようです。
「トゥクトゥク」は庶民の脚として大いに役立っています。ちょっとした買い物、お友達の家まで、荷物を届けたいとき、等々、様々に活用されています。
料金は、距離によって決まるようですが、10バーツから、高くても50バーツになることはありません。

《トゥクトゥクの延長版》
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少し距離が遠くになったり、大勢の人を運ぶために、トラックを改造した4輪トゥクトゥクがありました。これは、学校の生徒を運ぶ一種のスクールバス的な使い方をされる場合があります。学校が終わる時間になると、沢山の車が校門の前に並んでいます。車によって向かう方向が違うので、自分の行きたい方向に行く車を目指して、乗って行きます。料金の支払いは、3輪と同じで、降りるときに、運転手に渡します。三輪も同じですが、降りるところは、乗車前に運転手に言っておくと、そこで止まってくれます。4輪の場合は、屋根のところに紐があり、それを引っ張って、運転手に合図します。どちらにしても、止まりたいところで止まってくれます。乗るときも同じで、乗りたいところで乗れるのです。日本と随分違いますね。日本は厳しくて、ちょっとバス停をそれると、降ろしてくれませんからね。
バスも走っていますが、基本的にバスは長距離よう乗り物です。

《バイクタクシー》
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3輪や4輪とは別に、バイクそのもでタクシーをする人もいます。小さな街には、このようなビジネスはないのですが、中程度の街になると、見かけることが出来ます。バスセンターには、運転手が2輪タクシーの運転手だと分かるように、チョッキを着ています。背中には番号があります。確認はしてないのですが、認可制なのだと思えます。バンコクのような大きな街になると、沢山のバイクタクシーを見かけます。タイの人に取ったら、手軽に始められるビジネスということになるのでしょう。

《人々にとってのバイク》Motorbikes_in_Bangkok-940x580[1].jpgタイでは、自転車を見かけることもありますが、圧倒的にバイクの数が多いです。このことはよく出てくる話なので、ご存じの方も多いと思います。一般的な印象としては、日本で考えると、朝の通勤時間の時の道路の状況を想像すれば、納得しやすいところです。程度はその4−5倍の状況です。日本はバイクが多いと言っても、たかが知れているという感じです。中国も、ベトナムも、韓国も、ラオスも、カンボジアも、タイも、・・・バイクがどこから出てきたのだろうかという位、沢山走っています。しかも、傍若無人、やり放題、という印象を持つ程です。田舎に行くと、道路の左端が50cm位幅が取ってあって、バイク用のスペースとなっていますが、そこを走る人はあまり多くないです。
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日本の社会は明確な交通規制を決め、それに従うように、警察も社会の人々も、一致協力して、守って行こうとします。タイを初め、バイク愛好国では、交通規則はあっても、それにあまり厳しく縛られることはありません。元々、緩い社会ですから。例えば、バイクの排気量制限はない、複数で乗車することOK、バイクに乗りながら傘を差すことOK、子供の運転OK、事故をしても警察は厳しくとがめない、ヘルメット無着用OK、等々、自由とは言いませんが、かなりの面で縛りが緩いですね。マイペンライです。
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それもそのはず、小さい頃から、子供をバイクの前に乗せて、走っている親や家族の人たちを見かけます。一定の年(2−3歳)になると、盛んに子供(幼児)をバイクの前に乗せて、何か話しながら、同乗を楽しんでいます。
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少し、念の入った人は、バイクの前に子供用の椅子を取り付けている人もいます。こうして、タイの子供たちは自然にバイクに乗ることを覚える訳です。最初は、親の運転する前に立って乗っていたのが、やがて、後ろの席に乗るようになり、次に、運転席に座ってハンドルを持って、アクセルをふかして乗るようになるのです。

今回はバイクやその他の乗り物について書いてみました。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。少し、長くなってすいません。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。
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2018年11月16日

タイでの日常生活(13)――運転免許証


今回は、タイで経験した運転免許証の書き換えや運転に関してお伝えします。

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外国に住む場合、車の運転が出来るととても便利です。1週間以内の旅の場合は、バスやタクシーで事足りることが多いですが、それ以上になると、レンタカーを借りたり、自分の車を所有し運転できた方が、便利です。しかし、お国柄もあり、車の運転となると、注意が必要です。

《国際運転免許証》
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外国で車を運転する時は、取り敢えず必要なものは、国際運転免許証だということはご存じですよね。日本を出発する前に、免許センターで、日本の免許証を持参したら、殆ど、何の制限もなく、簡単に入手できます。有効期間は1年間。それ以上、同じ国に滞在する人は、現地の免許証が必要になりますね。ところによると、国際免許証が利かないところもあるようです。必ず、日本の免許証を持参して、日本の国際運転免許証が有効なものであることを、説明することが必要な時もあります。

《アメリカでの免許証の話》
嘗て、アメリカに住んでいたとき、国際運転免許証はあまり信用してもらえませんでした。アメリカ人は普段、カードや小切手で買い物をして、その時人物確認の為に、車の免許証の提示を求めます。
合点がいかなかったことがあります。それは、買い物をする時、人物確認の為に国際運転免許証とパスポートを提示しても、これでは駄目だというんですね。
国際的に最も権威がある書類ですよ、といっても駄目なものは駄目なんですね。結局、現金払いをしました。アメリカとはそんな国なんです。自分以外はあまり信用しないってところがあります。

《アメリカでの書き換え》
要は、IDとして、運転免許証が最も強いということです。
それで、アメリカの免許証を取ることにしました。最初、日本の国際運転免許証を使って、書き換えようとしました。カリフォルニア州での話です。日本のように、地区ごとにある、所謂、免許センターに行って、書き換えの手続をしたいと言ったのですが、それはやってないということで、追い返されました。いくら議論しても、勝ち目はないので、カリフォルニア州の運転免許証を新たに取得しました。
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アメリカという国は、面白い?国ですね。他の州にも住んだことがあるのですが、カリフォルニア州の車の免許証は使えない、もう一度、この州の免許証を取り直しなさいと言う州が沢山あるのです。まぁ、それはUnited States(「州が一つにまとまった」)の国なので、仕方がないのでしょうね。アメリカでは国際運転免許証の書き換えは出来ませんでした。

《タイでの書き換え》
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タイで日本の国際運転免許証をタイの普通の運転免許証に書き換えるのは簡単にできました。必要な書類を提出するのは、日本で免許証を新たに取るのと同じですが、その後の、手続はとても簡単です。
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勿論、何もしないという訳ではなく、すべきことはちゃんとやります。そのやり方、取り組み方が、『マイペンライ』ということです。主な検査は、目の検査です。日本で行う目のチェックと基本は同じことをします。それに加えて、動体視力的検査をします。光がネオンサインのように棒状になったところを、上から下へ流れ落ちます。その棒状の物の上の方と下の方に目盛りがついています。自分の近くにボタンがあり、それを押すと、光が流れ落ちます。検査を受ける人は、その目盛りの間で、ペダルを踏まなければなりません。反応を調べる検査です。私は実はうまくいきませんでした。早すぎたり、遅すぎたり。挙げ句の果ては、これは壊れているかも知れないと言うと、係の女性が自分で試していました。勿論、目盛りの間で止まりました。しかし、「マイペンライ」でOK。助かった。それで、晴れて、免許証の書き換えは終了し、タイの免許証を貰うことが出来ました。
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タイの免許証で面白いのは、免許証の裏です。日本の免許証と比べると、免許証の種類が裏に示してあるというところです。私は、車の免許証とバイクの免許証を持っていましたから、写真のように、2つ獲得しました。

《タイの免許証事情》
無免許の人が多い。特に田舎は非常に多いと言われています。実際に私もそう思います。何度も言いますけど、田舎ではということかも知れません。子供、小学生から高校生。彼らは時に学校へバイクで行きます。しかも、2人乗り3人乗りで、また、時には痩せていれば、4人乗りで。学校の前には、交通整理のための警官が立っているのですが、見て見ぬふりです。勿論、先生は何も言いません。20140220193527[1].jpg
女性の中にも、免許を持たない人が多いようです。警察は時々交通検問をしますが、その時、何度も、女性が方向転換して、別の方向に行ったのを見ています。言葉の上で、何故方向転換するのだと聞き詰めたことはないのですが、明らかに、無免許なので、止められると困るからでしょう。10年前くらいまでは、お金で免許を買っていたという話も聞きます。すなわち、試験場には行くが、何もしないで、免許証だけ持って帰って来たということです。
タイでは、昔の日本のように、ノーヘルメットで運転出来ました。しかし、事故が多く当局は、ヘルメット着用を義務づけ始めています。キャンペーンでヘルメット着用を強く勧めています。

《タイの田舎の交通事情》
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田舎と言っても、程度があるが、大都会でない道路という前提。
スピード制限は90キロ。大型トラックは80キロ。バイクも90キロです。バイクも90キロまでOKですから、少しのろのろ走っていると、50CCのバイクが追い抜いて行きます。尚、バイクの免許所持者は、排気量制限がありません。中には、50CC、中には125CCと、好きな大きさのバイクに乗れます。日本のように細かく分かれていないのです。
道路の状態は、アメリカの大都会でないところのフリーウエイと似ています。都会と都会を結ぶ道路は、2−3車線で、真ん中に溝の中央分離帯があります。車は、日本と同じく左側通行です。
交通違反はカメラで行うのが中心です。日本のようなネズミ取りはあるのでしょうが、引っかかったことはありません。カメラでの取り締まりに引っかかったことは何度かあります。スピード違反です。街中は60キロ制限ですから、ちょっと油断すると、すぐに80キロでてしいます。
また、側道からメインストリートに入るところと、その逆のところがあり、間違って、側道からメインストリートに入ってはいけないところで入ってしまい、写真を撮られました。その写真が送られてくる訳です。罰金は地区を管轄する交通局に行って支払うことになります。多分、銀行やコンビニ払いもOKなのでしょう。

今回は、タイの免許証や交通事情に関して記しました。少々、長くなってすいません。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。
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2018年11月15日

タイでの日常生活(12)ーー床屋


今回は、タイの(田舎の)床屋に関して、お伝えしたいと思います。

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《床屋とは》
床屋とは、日本では一般に、男性が行くHair salonという捉え方が一般的です。タイでも同じような感じで人々は考えているようです。しかし、男性は床屋にも行くし、(主に)女性用のBeauty salonへも行きます。
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右のイラストのような、理髪店独特のサインを時々タイでも見かけますが、経費節約の為に、殆ど見かけることはありません。考え方は、日本もタイも同じで、髪をカットするということですから、あまり異なるところはないはずです。

《私の行く床屋》
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以前は、知り合いの女性の営業しているBeauty salonで髪を切って貰っていたのですが、そういつもいつもお願いするのも、遠慮があり、床屋に行くことにしました。裏道にこぢんまりとその床屋はあります。(外で床屋をやっている人もいますので、店を構えていることは上出来と言えるでしょう)

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《床屋の値段》
これがびっくりする位の値段です。70バーツです。大体、300円弱です。タイの田舎での平均的な日給は、350−400バーツと言われています。5−6人お客があれば、一日の売り上げ予定は満たすことになります。少しお金のある人は、また、少し色気のある人は、主に女性客用のBeauty salonで髪をカットします。そこでは、150−200バーツ取られるようです。

《床屋の中》
床屋の中は、綺麗かどうかは別として、日本で見かける物とさほど変わりません。
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お客が座って待つ椅子です。その横は、カットして貰うときに座る椅子です。
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常連の客となると、木の椅子ではなく、座り心地もややいい、カット用の椅子に座って新聞を読んだりします。
床屋の中の写真を貼り付けると、以下のようになります。床は殆どのところが、タイル張りです。掃除がしやすいですから。でも、ここの床屋は汚い。





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理容師はパンという名前の人で、既に、70歳近い年齢です。とても元気で、若い頃から、ジョギングやカラオケが趣味のおじさんです。趣味は、それだけでなく、ここでは詳述出来ないようなエロな趣味もあるようです。


この写真で想像して下さい。thumbnail_20181114_094734[1].jpg

           《最後に》
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安いのはいいのですが、清潔感に欠けるところが困りますね。どの床屋も皆そうだとは思いませんが、全てにおいて雑です。櫛はいつ洗ったか分からない感じですし、ハサミも手垢で汚れています。髭剃りも単純です。脱脂綿に水を含ませアルコールを少し足して、軽く顔を拭くだけです。髭剃りの刃は替えているので、まぁいいか、マイペンライです。勿論、洗面台などのないので、カットと髭剃りが終わると、ウエットティッシュで顔を軽く拭ってくれるだけです。カットの前に体にかけるエプロンも、いつ洗ったのか、という感じですし、それを体に掛けるとき、首の周りの閉め方が悪いので、カットした髪の毛が自分の着ている服について、いつまでも痒いのです。しかし、マイペンライ。
私も最初は気分が悪かったのですが、70バーツだからね。当然、当然。これでいいのだ。ってところです。マイペンライ。あなたはタイの田舎で床屋に行けますか???

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2018年11月14日

第6話 母の病気

第6話 母の病気

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 もう佐々木病院には帰さないことにした。佐々木病院はアパートのようなもので、糖尿病だというのに、食べ物は隣の足を折ったおばさんと同じ食事になっている。ベッドの横にあるテレビなどを置くキャビネットの上には、清涼飲料水が何本もおいてあるのに、看護士はなんともいわない。今日はポカリなので、おいしかった石川さん?って看護士が言っている。なんということか。清涼飲料水ほど糖分がいっぱい入っているものはないはずなのに、まったく気に留める節はない。田舎の病院とはこんなものだとはわかっていたが、このままだと殺されるために病院に入れているようなもので、佐々木病院の収入増のために協力していることになる。そんな義理はないと思って、決断することにした。父は近所の手前もあり気分はよくないだろうが、こうすることが母親に最後にしてやれる孝行だと思って、決断することにした。実際、2〜3日前に、母の顔が歪んでいたのを看護士に報告し、医者によく診てくれるように頼んでおいたのだが、それもだめだった。もちろんこちらが、直接医師に会って、頼まなかったのが悪いのだとはわかっているが、それでも許せないという気持ちが強いのはやはり自分もエゴの塊なのだろう。そのとき、看護士に血糖値はどのくらいですかと聞いたが、看護士は300くらいなので、ちょっとおかしいってところもあるかもしれない、と他人事で全く気にとめていなかった。300という数字がどのくらいの大変な数字かという認識が看護士にはないのだ。田舎の看護士でもそのくらいの認識は持ってほしい。いや、持つべきだ。これはまさに犯罪である。糖尿病の患者に食事療法はしないうえに清涼飲料水は飲ませ放題飲ませ、血糖値が高いことが認識できないということは、病院として機能していないといっても過言ではない。

 「先生、せっかく佐々木病院に帰っていいといわれたのですが、もう少し吉田病院においてもらえないでしょうか?もう少し安定するまでおいてもらえたらありがたいのですが。」僕は恐る恐るという印象を強く醸し出すように母親の主治医の川本先生に切り出した。
 「あぁ、えぇ。」川本先生は口ごもって、驚きの口調であった。「佐々木病院の方からベッドが空いたという連絡もありましたし、左半身の麻痺も驚異的に回復しているので、佐々木病院のほうに帰ってもいいと思っていたのですが・・・。普通はこんなに麻痺が回復することは稀だといってもいいくらい、よく動くようになっていますね。こちらにこられたときは左手がまったく動かなかったですからね。それに比べたら、よく動くようになっていますし、これ以上は回復することは期待しないほうがいいかもしれませんね、そのくらいよく回復していますからね。」
 「はい、おかげさまで、わたしも先ほど見てびっくりしました。こちらに来たときに見たときは、もうだめだと思いました。首は右にゆがんで戻りませんでしたし、目も右に攣っていましたし、声をかけても全くっていっていいくらい反応しませんでしたから。これもちゃんと治療してもらったからだと、本当に感謝しています。ただ、まだ、よくなったとはいえ、あれから1週間しかたっていませんので、もう少しおいてもらって、その間にじっくり治療してもらえるところを探してみようと思っているのです。」中途半端な言い方をすると、佐々木病院に戻すという方向に話がいってはいけないと思いつつ、だからといってあまり露骨な批判的な言い方にならないようにと思いながら、言葉を選びながら言った。「家族とよく相談したのですが、もう少し様子を見るためにも、こちらの病院で診てもらえたらありがたいのだということを話し合っているのですが。」自分でわざと言葉が文法的に正しくない文にしていると思いながら、調子もしどろもどろの感じをなるべく出しながら、いった。「母は先生もご存知のように、心臓の手術をしましたし、股関節に問題を抱えていますし、腰のことで足が思うように動きませんし、複合的に病んでいますので、出来れば総合的に治療をしてもらえる病院がいいだろうと、家族では話し合って、結論に達したのですが・・・。素人ですから、よくわからないのですが、母も長くはないでしょうから、家族のものとしては、出来るだけのことはしてやりたいと思っているんです。佐々木病院の先生は外科の先生ですので、母の複合的な病気を考えますと、しばらく、先生のところにおいて、診ていただけないかと希望しているのですが・・・」なるべく、診てくださいといった、断定的に言い回しにならないように、文章を終わらせないようにと気を配りながら話した。
 「あぁ、そうですか。それでも・・・そうですか?ぁあ。もう・・・」と川本先生は言葉が作れないくらいだった。それでも医者の間の連携意識は強いのだろう。佐々木病院から転院してきたとき、看護士に佐々木病院での治療に不満があるというニュアンスのことを、問診のときに伝えておいたことが、川本医師から出てきた。「心臓の治療をしていても、脳梗塞になることはありますからね。」私はその言葉に少しむっときて、「ワーファリンを使っていると、普通の人より血の濃度が低いはずだと思っていましたが、こんなこともあるんですね。私は本当にびっくりしているんです。しかも、口が歪むという症状が発作の2〜3日前に出ていたのにですね。私としては残念だって気持ちがあるんです、実は。でも、素人ですから、・・・」なるべく申し訳ないという感じを出しながら話をしようと思っていた気持ちが少し薄れてきているなということを自分では感じながら、口を滑らせてしまった。
 「口が歪んでいても、それで全部脳梗塞になっているって訳ではないですからね。急いで開けてみても、どこが詰まっているかわからなかったりするんですよ。脳の中は複雑でなかなか外からはわからないし、中からもよくわかりませんからね。」一般的な言い訳をしているなと思いながら、これ以上攻めることに意味はないと思って、「そうですね。ほんとうに。」といってごまかしてしまった。川本先生は更に、「心臓の治療の薬を飲んでいる人も、全然脳梗塞にならないかといったら、そんなことはありませんからね。中にはなる人もいるんですよ。」とまた、医者の連帯感をにじませてくれた。こんなものだろう。世の中は。自分でも同じことを言ったりしたりするだろうと思いながら、はぁ、はぁと繰り返しておいた。それでも、一通り、こちらの説明、お願いを繰り返し、医師側の説明と言い訳に後、結論はもう少し置いてくれることになった。そして、川本先生は「わかりました。それでは佐々木病院のほうには連絡を取っておきますから。」と親切に言ってくれたが、佐々木病院に帰りたくないということは、十分に理解したようで、「でも、なかなか病院は空いていませんよ、今は、なかなか、探すのは大変ですよ。」といった。川本先生にしては、精一杯の不満の言葉だったのだろう。
 こうして母は数日吉田病院においてもらえることになった。そして、僕の戦争の日々がいよいよその後始まるのだった。半分は覚悟していたが、半分は、これは大変なことになるなという気持ちでいっぱいだった。


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2018年11月13日

タイでの旅(4)ーーコンケン

6月の中頃、2泊3日でコンケン、および、その周辺を旅してきました。今回は、その時の写真をアップしたいと思います。

《コンケンの地理的位置》
khonkaen[1].png左の写真はタイ国政府観光庁のサイトからお借りしました。ご覧の通り、コンケンの地理的位置はタイの真ん中に位置しています。バンコクからは約450キロあります。イサーン地域ではコラートに続いて2番目に大きな都市です。経済的にも発展目覚ましい都市で、コンケン大学はタイでも有数の大学の一つです。20世紀の後半恐竜の化石が発見され、にわかに、恐竜の街として有名になってきました。街に入ると、各地に恐竜のオブジェが眼に入ってきます。

《恐竜》

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コンケン周辺は、恐竜の化石が多く発見されています。また、恐竜の痕跡があるところとして有名です。この写真は、恐竜の子供の足跡です(?)、山の中に、無造作に散在している遺跡です。人々は自由にその地に行き、あぁ、ここ、ここ、なんていいながら、石に残った足跡をみて、喜ぶわけです。(これは私のことです)
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恐竜博物館もあります。ここには、沢山の恐竜の骨や模型が並べられています。名前は、写真の通り、プーウイアン恐竜博物館と言います。この中に、この地区で発見された恐竜の化石が保存展示してあります。
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小中学生には格好の研修の場所になっているようで、私が訪問したときも、先生に連れられて、沢山の子供たちが観察し、レポートの用意をしていました。
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外には、恐竜のオブジェがあり、人々は自由に触れられます。
また、恐竜の卵に似せたオブジェもあり、そこで写真を撮る人もいます。

《お寺》
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このお寺は、ローイエットという、コンケンから南東に100キロくらい行ったところにある、お寺です。1200年前に建てられたという、とても歴史のあるお寺で、Wat Neua(ヌア寺、「北の寺」の意味)と言う名前です。今は、周りは苔むしていて、中で、お祈りとか何か出来る状態ではありませんが、厳かな雰囲気を漂わせている建物です。
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お寺の中には、このような「ドラ」がよく見かけられます。たたき棒が横にあるのが分かると思います。そこを訪れた人々は「ゴーン」と叩いたり、真ん中の出っ張りをなでたりします。
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現代的な新しいお寺です。お寺にはお金はないのですが、(建前かな?)信者たち、すなわち、人々がお金を出して、このような立派なお寺を建てます。
お寺を建てると、その中や周辺に立派な仏像を作ります。
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お寺の中には、沢山の仏像が並んでいます。
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外には、竜(大蛇?)の像があるお寺もあります。以前に書いたように、川に近いところほど、竜(大蛇)への畏敬の念が強いようです。








《仏像》

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この旅で、特に関心を持ったことは、変わった仏像が多いなということです。一つの仏像に、いくつも顔がある仏像がありました。手がいくつもある仏像(羅漢像というんですかね?)は、日本でもみたことがあるのですが、タイの仏像は、一風変わった、多面仏像でした。
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子供に見えるの仏像で、手の配置が普通の仏像と違うのには驚かされました。長崎の平和の像のような、上と下に指を突き出しているんですね。
お坊さんの像もよく見かけますが、お寺の壁にいくつも配置された僧侶の仏像は、首をかしげているんです。このような仏像も初めて見ました。
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所謂、涅槃像は日本にもあります。タイにもそれがありました。洞窟の中に寝ている仏像。その横に子供の仏像が立っていました。
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大きな仏像もありました。これは、ローイエットというところにある仏像です。Wat Burapha Phiramという名前のお寺に立っている仏像です。とても背が高く、約60メートルあります。人間そのものを思わせる感じの仏像です。
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仏像は大体男性が中心ですが、女性の仏像も時々見かけます。これは僧侶と言うより、お祈りをしている女性の信者のように思えます。このような像がいくつも並んだ公園がありました。

今回は、こういうことで、タイのほぼ真ん中あたりに位置する、コンケンやその周辺を訪問した時の思い出話でした。

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定年前に退職し、人生が終わるまでに何かしたいと思っていました。それまでは、アメリカに仕事で訪問することが多かったのですが、アメリカ的価値観に少し食傷気味になっていました。仕事ではなく、いわば、自分探しの感覚でアジアの国々を短期間訪問するようになりました。そして、アジアこそ、自分の余生をおくるに最適な地だと確信しました。そして、中国に1年滞在し、その後、タイに渡り、retirement visaでlong stayを始めました。昭和の日本的空気を求めて、タイの中でも後進地方のイサーンに住んでいます。とにかく人生はチャレンジ。新しい可能性を求めて、何でもしてみよう、見てみようの精神で日々を送っています。
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