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2018年12月09日
ショートショート(超短編)ーー第9話 母との思い出
第9話 母との思い出
村中にはどうしても乗り越えられない心のしこりがあった。大学に入る直前、母が父と離婚してしまったことにそれは発していた。父親不信の気持ちが強く、それは男性不信にも繋がっていったのだ。更に悪いことには、父への反発心が高じて、母への愛情のようなものが強まったってしまったのだ。四国の愛媛から関西学院大学に行くとき、彼は、いやがる母を連れて行く決心をしていたのだ。母は、このまま、愛媛に残りたいと思っていたのだが、村中はその母の気持ちを認めることが出来なかった。そして、彼は母とまるで恋人が同棲を始めるかのように、一緒に住み始めたのだ。そんな気持ちを、母は最初全く想像もしていなかった。自分の息子は優しい子だと思い、夫と別れた自分を思いやってくれていると思っていたのだった。そして母は関西に行って、昼間はスーパーでアルバイトを始めたのだ。そんな生活が数年続き、母は夫と別れた心の傷も、息子との生活の中で徐々に癒やされてきていた。しかし、こんな生活がいつまで続いてくれるのかという不安もないわけではなかった。いずれは息子も誰かいい人を見付けて、一人立ちする日が来るだろうと思っていた。それを思うと、寂しくもあったが、同時に、楽しみでもあった。早く息子が結婚する姿を見たいという気持ちの方が強かったと言ってもよかった。その日は決してやって来ない日だなどとは、そのころの母は思ってもみなかったのだ。
浩一さん、今夜は遅くなってもいいんでしょ、と葉子は周りの眼を気にしながら言った。村中は葉子との付き合いを考えると、このままだと知られたく内面を知られてしまうことになると言う気持ちを持っていた。今晩遅くなるのはいいが、葉子に知れてしまうのも困る。でも何時までも今までの状態を続ける訳にはいかない。何とかこの閉塞状態から抜け出さないといけないと、常々思っていたのだ。
やがて葉子と村中は居酒屋を出ると、何のあてどもなく、歩き始めた。酒が適度に入って、気持ちが大胆になっていたこともあって、葉子は村中の腕にしがみつくようにした。止せよ、誰が見ているか分からないんだぞ。いいじゃないの、見られたって。ここいらにはよく学生がいるんだからな、と周りに眼をやりながら、村中は言った。いや、と葉子はいつもになく、村中に一層体を絡ませ、じゃ、今夜は私の所に来てね。そう言った、葉子はタクシーに手を挙げて、さっさと乗り込んで行って、早くーー、と村中をせかせた。どうしようかと思いながら、そこでもたもたするのも示しがつかない気のした村中は、渋々とタクシーに乗り込んで行った。じゃ運転手さんお願いします、と葉子が言うと、タクシーは動き始めた。
村中は夜になるのが厭でたまらなかった。いつも聞こえる父と母の、息づかい。喘ぐような母のうめき声を聞きながら、何度となくそこに飛び込んで行って、父親に怒鳴り付けようと思ったか分からなかった。幼かった彼に、二人が大人の営みをしているなど、想像もつかなかったのである。いや、薄々は、もしかしたら二人は自分のまだ知らない世界の何かをしているのではとも思ったが、昼間の険悪な二人の状態を思うと、その思いを打ち消すしかなかった。母は父にいじめられているのだ、自分は、何とか早く大人になって、母を守ってやらなければならない、といつも村中は思っていた。だから、父と母が別れると決まった時、嬉しくてたまらなかったのだ。これで母は父から解放されて、母を自分は守りながら、一緒に暮らしていけると思ったのだ。
浩一さん、私のこと嫌いなの?と私はたまらなくなって、聞いてしまったのです。そんなことないよと村中先生は答えたのですが、その声には力がありませんでした。何かがあるような気がしたのですが、それを探し出すのが私には恐かったのです。元気がでないわね。じゃ、私が元気にしてあげるから、って私は彼を口にふくんだのです。一生懸命だったのですが、それでも駄目でした。その晩はもうどうなってもいいという気持ちより、早く何とかして欲しいって感じだったのです。最初は面白い先生だなぁと思っていたのですが、だんだん、それ以上の気持ちになって来たような気がします。やっぱり駄目だ、って彼は小声で言ったのですが、それは私には聞こえて欲しくないって感じでした。その後、直ぐに、教務の仕事が詰まっていて、疲れているんだな。やっぱり、俺ももう年なのかな、って言い訳がましく言ったからです。まだ、35歳ですよ。何が年ですか。とんでもないって私は思ったのですが、それ以上は何も言いませんでした。そうですねって言って、その晩はそのまま寝てしまったのです。彼は本当に疲れていたのかも知れません。そんなことがあったのに、直ぐに寝息を立てて寝始めたからです。でも、ことはそれで終わらなかったのです。私は残念ながら直ぐには寝付けなかったのです。それで、横目で彼の寝顔をみていると、彼が、お母さん、ごめんね、お母さん、お母さんって言って、泣き始めたんです。夢をみていたようです。直ぐに泣かなくなって、また、寝息を立てて寝始めたのです。その時私は背筋が寒くなるような感じがして、彼に背中を向けて、ベッドの一番端によってじっと朝が来るのを待っていました。
俺はお母さんを絶対に幸せにするんだ。これが村中の口癖だった。学生仲間とも飲みに行ったり、お遊びをしたりすることもなかった。授業が終わると、急いで家に帰って、母の顔を見たくてたまらなかったのだ。
お母さん、背中流すから。いいよ、浩一。自分で洗うから。そう言うなよかあちゃん。流してやるから。そう言いながら、浩一自身は大きく堅くなって来ていた。母はいつものことが始まったと思いながら、涙がでそうになるのをじっとこらえていた。こんな息子にしてしまったのは自分に責任があるのだと思いながら、どうすることも出来ない自分に歯がゆさを感じて、いつかは神の重い裁きが下るのだろうと覚悟するのであった。かあちゃんの背中って本当にいいね。苦労ばっかりだからね。何とか僕がかあちゃんを幸せにするからね。待っててね。そういいながら、いつものように浩一の手は動きを背中から私の脇腹や背中の下の方に伸びて行ったのです。そして、その手は私の胸に触り、更にそのまま、下の方に這って降りて来て、茂みの中をまさぐるように下へ下へと降りてきて、赤いボタンを必死で見付けようにするのです。いつものことなのです。自分の息子とは分かっていても、ボタンが堅くなってしまったこともありました。そうすると、浩一はとても喜んでいました。かあちゃん。嬉しいよって言ってました。その後は、おきまりのコースでした。大きく堅くなったものを手に持って、浩一は私の前に立って、私の口に持って来て、かあちゃんっていいながら、押し込んで来るのでした。まだ、大学生ですから、どうすることも出来なかったのかも知れません。力が入りすぎて、私は何度も喉が痛い思いをしました。何度も嗚咽が出て仕方がないときがありました。それでも、息子は自分がいってしまうまで、止めることはありません。まだ、大学生ですから。一回出した位では終わってしまうことはありません。その後は、大概、後ろからでした。だんだん息子の声は大きくなって行きました。まだ、若かったのですから。でも、いつものことで、私はじっと我慢するしかなかったのです。止めなさいと何度も言いました。それでも止めることはなかったのです。何度か息子をそれで殴って、殴って、殴り倒したのですが、それでも、息子は涙を流しながら、じっと私の拳が振り下ろされるのを耐えているような感じでした。それを見ると、もう殴られないと私は思ったのです。世間の人達が知る訳はないし、家の中で起こっていることなので、誰に知られることもないんだと、自分に言い聞かせるようになって行ってしまったのです。自分だけがじっとして時間が過ぎるのを待っていれば、それで、片づくと自分に言い聞かせるようになっていったのです。このまま、時間が過ぎるのを待とうといつも思っていたのです。
平田は村中から年末の喪中の知らせに驚いた。その葉書はいつもの喪中を知らせるものであったが、内容に驚いたのである。その内容は伯父が死亡したので、喪中なので、年始の挨拶を失礼するというものであった。最初、特別に何の気なしに見たその葉書を、よく見ると、伯父の喪中だということだった。伯父や伯母の喪中ってのもおかしなものだ。そう平田は思ったのである。平田はそう言えば9月に田舎の愛媛に母親と一緒に帰るのだといっていたことを思い出した。身内の人が亡くなったので、葬式だということだった。そのときも平田は何とも思わなかった。お気を付けてといっただけだった。でも、何かそのとき、村中が何かそわそわしている風な動きに不自然さを感じていたことも事実である。年々自分勝手な言動が目立って来ている村中にしては、やけに神妙だなと思ったことは事実であった。そうしている内に、年が明けて、出版社の小川という男が、毎年、年が明けて一月の中頃になると、平田のところにやってきて、挨拶をしていった。来年もテキストを宜しくということで、平田と一緒に一杯やるのである。彼は愛媛の出身で、村中の出身地とあまり離れていないところであった。だから、村中のことはよく知っていて、平田に以前、先生、今度、本当にいい人を採られましたね、と村中が採用された5年前に、変な口調でいったのである。その頃は、平田の眼には村中は面白くて、何でも進んでやり、学生の面倒見もいい感じの人だという印象があり、小川に本当にいい人に来て貰ってよかったんですよと、答えていた。平田にしてみると、その頃小川がいったいい人という言葉の裏の意味が飲み込めていなかったのである。小川の話では、この前亡くなった村中の伯父さんというのは本当は伯父さんではないということなのである。本当は村中の父親で、母と離婚した後も、なかなか縁が切れなくて、母親につきまとっていたというのだ。しつこくつきまとう父から母を守るために、村中は関西学院大学に入学したとき、母を説得して一緒に関西に行ったのだった。
先生、何とかならないでしょうか。このままだと俺は結婚できない。村中は涙を流さんばかりに医者の藤本にすがりつくようにいった。だめなんです、どうしても立たないんです。あなたの場合は、肉体的な問題ではなく、精神的な何かがあるんですよ。今まで話した中では、何が原因かはよくわからないんです。他に何かまだこの一年で話してないことはないんですか。
村中はすでに35歳になろうとしていた。母の口癖は、浩一もそろそろ身を固めなければいけないねという言葉だった。でも、母の中には、まだまだという気持ちもあったし、このこと分かれて暮らすようになりたくないという気持ちもあった。決して、自分の息子との許されない関係に未練があるというわけではなかった。むしろ、母にとっては息子が早く結婚して自分の下から去って行ってくれたほうがいいという気持ちの方が強かったかもしれない。彼女にも本当の所は分からなかったのだ。
すべてをお話してますよ、先生。でも、あなたは子供頃のことは殆ど忘れてしまっているといっていますし、小学校や中学校の頃のことも殆ど話してくれてないんですよ。何があったんですか、医者には本当のことを言ってくれないと、診断のしようがないんですよ。ただ、セックスができないだけじゃ、どうしようもないんですよ。お母さんとお父さんの関係ですけどね、あなたがまだ保育所に行っている頃になくなったっていわれていましたね。そのあと、お母さんは再婚はされなかったんですか?
村中の母と父は、彼が子供頃から折り合いが悪かった。その頃のことが鮮明に蘇って来てからだが動かなくなるなどということでもなかった。父親と母親は決してうまくいっているとはいえなかったが、父が母を殴るのをみたことはなかった。口での言い合いは何度もあり、言い合いのたびに母はただ黙り込むだけだった。母と父がどんなことでいつも激しい口喧嘩をしていたのかは分からなかった。ただ、彼の記憶にあるのは、父がいつも母に言っていた、おまえって女はメス犬とかわらねぇんだからのぉって言葉だった。子供心にその父の言葉が母を侮辱するための言葉だとは分かったが、なぜ、母にそのような言葉を浴びせかけるのかは分からなかった。メス犬ってどういう意味なんだろうと考えてみたが、幼い彼には想像もつかなかった。
「村中、おまえの親父は、本当はだれなんじゃ?おかしげな噂を聞いたぞ」
「何言うとるんじゃ、そげんなことわかっとろうが。どんな噂じゃい?」
村中が高校生の頃、友達の機嫌が悪いとき、何気なく言ったこと言葉は彼の脳裏のそこにこびりついて離れることはなかった。それでも、親友が何の悪気もなく言ったその言葉の重さと真実味をかみしめていたのだ。あいつは、ありもしないことは言うわけはない。そう心でいつも、何度も繰り返してみた。いや、あのときのあいつはどっか変じゃったんだ。あんなやつの言うことに振り回されてはだめだ。そうも彼は何度も自分に言い聞かせた。しかし、言い聞かせようとすればするほど、言葉の重みと膨らみは彼の中でますます大きくなっていって、決して拭い去ることのできない深いしこりとなって残ったのである。はっきりさせなきゃいかん。何なんだ。
「お、お、ぉ、ぉ、伯父さん、そんな」伯父さんという言葉が今回は素直に村中の口から流れてこなかった。しかし、ようやく今まで言いなれた伯父さんという言葉を発することができた。「それは酷い。何でですか。何でそんな。母を苦しめるようなことを、何で、平気で、何で、そんなことを、何で、何で、・・・」言葉が続かなかった。あまりに衝撃的な話で、まるでテレビのドラマでも見ているような感じであった。嘘だ、これは現実ではない、何でだ。嘘だ。そんなことはありえない。あるはずがない。何度も何度も心の中で声を上げたが、それが口から外に形をなすことは容易なことではなかった。「若かった?それじゃ、獣ですよ」あぁ、メス犬か。おまえはメス犬とかわらねぇ。おまえはメス犬だ。そのときの言葉が蘇ってきたが、不思議なことに、それ以外今まで一度も表に現れなかった、父の言葉が連なってきたのだ。メス犬とオス犬の子を何で俺が育てにゃいけんのじゃ。オス犬が育てりゃええじゃろう。おまえはあいつに股をおっぴろげての、おまんこすりすりしてもらって、ひぃひぃ言うのがええんじゃろうけな。兄貴のが俺んより固とうって太いってことなんじゃろうの。やっぱり兄妹じゃの。どっちもどっちじゃ。こげんなこと誰も信じんじゃろうけの。俺と兄貴ゃ血液型も同じじゃけんの。おまえと俺と兄貴が黙っとりゃ、誰も何にもわからんけの。じゃが、俺ゃもうおまえとやっていくことはできんの。それがおまえの願いじゃろうけの。伯父さんが、俺の、ぉ、ぉ、ぉ、おやじ、おやじか?そんな、嘘だ。嘘だ。「それは酷いですよ。酷すぎる。そんなことってないですよ」(父と母はその後すぐには別れることはなかった。父の決心はついていたが、世間体ということもあり、子供が生まれたばかりで、分かれてしまうと世間がなんと言うかという気持ちが父にあったのである。それで、村中が中学を出る前まで、父は好き放題にして暮らした。それに、父はいずれ分かれてやるが、仕返しをしてやろうと心に決めていたのだ。だから、毎日毎日、母をいびり、ことあるごとに伯父との関係を持ち出し、母を攻め立てたのだ。その父の母いびりが村中の記憶には鮮明に残っているところであった。)
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2018年12月08日
タイでの日常生活(30)ーー門
今回は、家庭に設置されている「門」について、お伝えします。
都会の豪邸の門はともかくとして、私が住んでいるような田舎の一般家庭に設置されている門にも、いろいろあるなというのが実感です。あまり、目立たないテーマですが、タイの人達の生活の一端に接していただけるのではないかと思っています。
田舎でも門をつける家庭が増えていると聞きます。タイ全体の犯罪率は決して高くありません。インターネットを見てみると、安全な国の中で、タイは第5位に入っています。その記事を更に見てみると、南部は危険とか、北部は安全という記事が見られます。私の経験では、どこの国でも同じことが言えると思います。危ないと思えるところに、危ないと思える時間に、出かけないということです。
門というと、田舎では、一種のステイタス的要素もあるようです。お金持ちの家ほど、立派な門を設置するようです。まだ、門に関しての分析がしっかり出来ていないのですが、これから門の写真を紹介します。これらの写真は私が住んでいる近所の門を撮影したものです。
これは私の家の門です。最初、観音開きの門にしていたのですが、鉄枠のため、門が重く、コンクリートを削る状態でした。それで、門の下にローラーをつけて、右と左の門を結合して、一枚の門にしました。レールを上を走る形になっているので、開閉も依然と比べるとスムースになりました。 |
これは、朝の散歩の途中で通る道に立っている家です。形も面白いのですが、色が明るいですね。ちょっと目立ちたがり屋さんでしょうか。この手の色の門は見たことがなかったので、写真を一枚。 |
この家のは私の家から10メートルくらいのところにあります。私が今の家に住み始めた頃、この家を建設していました。クリーム色の壁で、スペイン風の建物で、なかなかおしゃれです。夜撮影したので、あまりはき利しないかも知れませんが、とてもいい門です。 |
こちらのお宅は、私の家から更に10メートルくらい行ったところに立っている家です。庭がとてもいい庭です。少し狭いのですが、庭に東屋のような建物を建てている家です。黒い犬がいて、毎朝、この家の横を通るのですが、塀から飛び出して来そうな勢いで、グググーといっています。決して鳴かないんですね。不思議なことですが。 |
この門は、後から取ってつけたような門で、ちょっと可哀想な感じのする門です。以前はこの門はなかったのでしょうが、恐らく防犯のこともあり、この門を設置したのだろうと想像しています。これは朝、散歩するコースでいつも見かける門です。前にある家の後ろにこの門の持ち主の家があるのでしょう。車を駐めるためにDrivewayを舗装し、門をつけたんでしょう。ちょっとかっこよくないですね。 |
この家の門はちょっと貧弱ですね。庭のレイアウトはよく出来ていますが、門をそれに合わせたものにすれば、庭ももっとは生えるのにという印象を持っています。木々が沢山植わっているのですが、手入れがよく出来ていないので、せっかくのいいレイアウトの庭も泣いている感じがします。入り口やそれに繋がる庭の道はとてもよく出来ていますね。 |
この写真は、郊外に出かけたときに目にした家とその門です。シンプルでいいですね。家もこじんまりとした感じで、いい家です。門は決して、豪華なものではないですが、塀とマッチしていますし、家とも融合している感じがいいなと思って写真を一枚、失礼しました。 |
これは単なるゲートという感じの門です。この先には、学校の先生たちの社宅があり、他人が勝手に出入り出来ないようにするための、単なる防犯用の門です。実用第一に作ったと言えますね。まぁ、ここに豪華な門を設置するのも変ですから、これでいいんでしょう。 |
最後の門は、時々見かける門です。門といっていいかな?元々タイの家庭には門はなかったのだと思うのです。垣根として、庭の周辺に植えていた木々が大きくなって、塀になるように剪定する。出入りようのスペースは確保しておいた。その両サイドに棒を立てて、入り口らしくした。それで、人が入らないように、竹を横に通した。こんな感じの時代の流れの中で、写真のような門を設置するようになったのではないかと想像しています。まだまだ、この手の門はよく見かけます。もっとも、門そのものがない家も、田舎では沢山あります。 |
今回は、門のいろいろをお伝えしました。門はどの国でも、その家の内実を物語る要素があります。例えば私の家は私が子供頃は、門がありませんでした。お隣さんも同じく門がありませんでした。私が年を重ねてきて、家の修理をする時、門をつけました。お隣さんも同じです。若夫婦が家を新たに建てた時に、とても立派な門を作りました。家もその家庭を物語っていますが、門も、同じく、その家庭を物語っているようです。古今東西同じですね。
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2018年12月07日
タイでの日常生活(29)ーーショッピングセンター
今回は、タイでよく利用するショッピングセンターについてお伝えしたいと思います。
私の出身地の広島で、よく行ったショッピングセンターはユアーズやゆめタウンなどです。勿論、セブンイレブンやローソンといった、コンビニも利用しました。今回は、コンビニではなく、スーパー、ショッピングセンターセンターをトピックとしたいと思います。
《よく行くショッピングセンター》
TESCOは今住んでいるところから、近いところにあるので、比較的よく買い物をするところです。私がよくTESCOは、コンビニを少し大きくしたくらいの規模なので、あまり沢山の品物をおいていません。しかし、日常的に必要なものは大体揃っているので、よく利用します。コンビニと比べてTESCOにあるものは、生野菜、魚、肉などです。生野菜はともかくとして、魚も肉も新鮮なものを置いていて、好感を持っています。それに加えて、店員の商品管理がとても丁寧です。小さいスーパーなので、その他の店員さんとも時々会話が出来るのも好感度が上がる点です。これからも利用しようと思っています。
《大型ショッピングセンターMakro》
Sakon Nakhonまで買い物に出かけることがあります。150キロくらいありますので、毎日とかはあり得ませんが、週に1回位は、Sakon Nakhonまで出かけて行きます。そこにあるショッピングセンターはMakroという店です。タイの人達は「マッコー」と発音しています。元々、タイ人は /kr/の発音が得意ではないので、どうしても「マッコー」という発音になります。インターネット上でMakroを紹介している人もいましたが、「マクロ」と書いていました。「マクロ」という人もいるのかも知れません。
《Makroの商品》
販売の仕方は、箱販売の方法をとっています。箱を切ってそのまま陳列するという方法です。日本でも、ディスカウントストアがよくする方法です。こうすることで、店員の仕事量を建言し、未成の売り上げが上がるというもくろみです。また、多くのものはいちセットで売っています。例えば、コーラは2リットルボトルが10本セットになっているとかといった売り方です。
《商品の値段》
野菜にしても魚、肉にしても、日本と比べると、半分くらいになります。勿論、タイのものでないもの、即ち、輸入品は高めになります。ウナギもあると上に書きましたが、小型の冷凍ウナギで、160バーツ位します。もう既に多くのタイ人に受け入れられている豆腐なども若干、日本より高めですが、日本と比べると安く買えます。卵は分け売りもするようですが、サイズにもよりますが、大体24コが入ったケースで、99バーツくらいです。やはり、安いですね。
卵で面白いことに気づきました。タイの卵は殆ど茶色の殻の卵です。白い殻の卵は見たことがありません。家庭でも鶏を放し飼いにしている家庭が多いのですが、日本の鶏のように白い鶏は殆ど飼われていません。茶色と黒が混じった種類です。そのルースターは茶色の卵を産むのです。有精卵なんですかね?
《Makroで気づいた面白いこと》
商品の購入には2種類あるようです。私のような個人の客と店経営者の客とを区別しているようです。店経営者は大量に商品を購入してレジに行きます。それをレジ係の人は、手際よく処理していきます。全ての商品にバーコーがついているので、そのバーコードに読み機をかざして、次々と品物を処理していきます。店経営者の場合は、レジを済ませると、経営者用のレシートが出てきます。私のような個人の場合も、一つ一つの商品の処理は同じですが、全てのチェックが終わって、レシートが出てくるとき、長細い紙に打たれた商品代金が示されています。これがレシートです。
そして、いよいよ、品物を車に積むために、店を出るとき、出口のところに係員がいて、レシートと商品が逢っているかをチェックします。合っていれば、そのまま、レシートにスタンプ押してくれます。そして、車のところまで、カートを押していくのです。このチェックは、私の目には、一見、形式的に見えます。なぜなら、レシートとカートの商品が一致しているかを詳しくチェックしていたら、相当時間がかかる筈だからです。
今回は、タイのMakroというショッピングセンターを中心にお伝えしました。このレポートからも、タイの消費物価が安いことを理解していただけると思います。日本と比べて、半値のものから、3分の1のものまであります。日当がタイでは安いのだから、消費物価が安くてあたりまえです。Makroでの購入ではなかったのですが、最近草刈り機を買いました。インターネットで日本とタイでの値段をチェックしてみると、同じものなのに、タイの方が3分の2で買えました。随分得した気分になりました。
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2018年12月06日
タイでの日常生活(28)ーーHomePro
今回は、日本でいうホームセンターについてお伝えします。
日本ではここ30年前くらいから、郊外型の店が増えて来ました。市内だと、駐車場を確保するのが大変で、設立までの費用がかさむということになります。それに比べて、郊外となると、土地も安く、広い敷地を確保できることから、郊外型の店舗が増えていった訳です。少し、脱線しますが、大学も同じような方向性を持っていました。都内では十分な敷地が確保できないということで、私立の大学はどんどん郊外にキャンパスを移して行きました。しかし、ここ10年くらい、Uターン現象が起きています。郊外型の店舗が大学と同じ現象を起こすかも知れません。
タイでは、バンコクはともかくとして、土地はまだまだ十分にありますから、あまり郊外に行かなくても、街の少し周辺部まで行けば、広い敷地を確保出来ることになります。今回お伝えするタイのホームセンターはHomeProという店です。
《HomeProとは》
タイのホームセンターの中でも、評判のいい店といえば、HomeProです。株式も上場していて、株主にも人気が高い会社です。全国チェーンで、タイの各地に支店があります。私がよく訪れるのは、Sakon NakhonのHomeProです。
《何を売っているか》
《HomeProの評判》
評判はいいです。店員教育もしっかり出来ていて、今まで何度も行っていますが、一度を除いて、不快になったことはありません。一度というのは、電気湯沸かし器を買った時、レジに行こうとすると、別のセクションの女性店員が接続パイプが必要だと、執拗に迫って来たときです。そのパイプは湯沸かし器に付属しているもので、もう一つつける必要はないものでした。話を聞いても、はっきりしないので、もう一度湯沸かし器のセクションに戻って、そこの店員に詳しく質問をしました。私が思った通り、付属品で十分だということが確認出来たので、先ほどの別のセクションの女性店員に、今度は文句を言いました。しかし、英語があまり出来ない人だったので、どの位理解してくれたか。これは本当に例外です。どこの店でも、店員は売ることで、ポイントが上がるので、必死で売ろうとするのです。その弊害が出ていたのでしょう。その他は店長とも話したことがありますが、とても頭の切れる人でした。
《HomePro以外のホームセンター概略》
大型のショッピングセンターやホームセンターを設置する商法は、アメリカ生まれだと言われています。レイアウトにしても、売り方にしても、アメリカからやってきたものだといわれています。これはスーパーに関しても言えることのようです。レイアウト、商品管理など、アメリカをモデルにしているのです。客の視点からすると、便利になったなと、ありがたく思うのですが、・・・ 時代の流れは、日本だけでなく、発展途中のタイにも及んでいるのでしょう。店員のお客対応は、とても熱心です熱心過ぎるくらいに日本人には感じられるでしょう。これは中国でも同じで、店員がしっかりとお客について、品物を推薦します。店員のお客への接し方は、日本と違うところでしょう。
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2018年12月05日
ショートショート(超短編)ーー第8話 ペットの反乱
第8話 ペットの反乱
「朝一番のニュースをお伝えします。最近のペットブームを象徴する事件がおきました。東京都渋谷区青山2丁目のペットショップ、ケンネルから、全てのペットが昨夜の内に盗まれました。ご覧の映像はもぬけの殻になったペットの檻や籠などです。いつもいる犬も猫も蛇も金魚も、何もかもすべて盗まれてしまいました。警察の正式の発表はまだありませんが、先程、捜査に駆けつけたばかりの捜査員に聞くと、こんなことは今まで聞いたことがないということです。一夜のうちに全てのペットが盗まれたという事件は、私も初めてです。とても考えられない状況といえます。組織的犯罪にしても、このように、少し語弊がありますが、このように見事に全てのペットを盗むことが本当に可能なのだろうかと思えてしまいます。犬だけとか猫だけというのでなく、ケンネルの全てのペットが盗まれているのです。まだ目撃者探しが終わっていませんが、この青山通りのまん前にあるペットショップで、トラックを乗り付けてきたとしても、また、それに20人の窃盗団が一緒に盗みをはたらいたにしても、こんなことが可能でしょうか。まだ捜査が本格的に進んでいませんので、どのようなペットが盗まれたのかは定かではありませんが、先程捜査員と話していたオーナーの話ですと、少なくとも50種類以上のペットがいたようです。そのような沢山のペットをこのように組織的に盗むことが本当に可能なのか、本当に不思議な事件がおきました。詳しいことが判明し次第また、お伝えします。ひとまず、現場からの中継はこれで終わりたいと思います。スタジオどうぞ。」
「今晩こそ実行するぞ。いいかナポレオン、お前達を今日こそ自由にしてやるからな。」と言いながら平田はシャムネコの檻を用意した鍵を使ってあけた。するとシャムネコのナポレオンは檻からニャアーンとなきながら平田の足に体を擦り付けて、愛情表現をした。「何をしてるんだ、いつもの挨拶なんていらないんだ。急がないと時間がないんだ。」平田は急かすようにナポレオンにいった。すると、ナポレオンは急にきりりとした顔立ちになって、サルのゾラの檻に行って、尻尾で鍵を上手に開けて、ゾラを出してやった。状況を見ていたことや、ここ数日の間に計画が実行に移されることを伝えられていたゾラは、緊張した面持ちで折から出てきて、急いで平田のところにやってきて、鍵を受け取って、次から次へと檻を空けて歩いた。檻から出てきたペット達は、一目散に逃げ出すことはなく、檻の前に一歩だけ出て、指示を待っていた。ゾラが哺乳動物の檻を全て空けて中のペットが出てきたことを確認すると、チンパンジーのナナがキーキーと二回大きな悲鳴を上げた。すると、ペット達はグループに分かれて散らばっていった。あるグループは鳥の籠のあるところに行って、籠から次々と鳥を解放した。あるグループは両生類のいる水槽に行き、中からペットが出やすいように、木を立てかけた。すると中から亀やイグアナや蛇といったペットが次々と外に出てきた。また、他のグループは魚の水槽のあるところに行って、水槽の中に次々とスポンジのようなものを放り投げ始めた。するとそれに飛びつくようにして、魚達は外に出てきた。驚いたことに、水槽の外に飛び出してきた魚達は、水の中で呼吸をしていたように、そのスポンジのようなものをうまく利用して、息をしていた。このように青山ケンネルの中は静かに、ナポレオンの指示の元、ことが進められた。全てが統制が取れていて、とてもペットの行動とは思えなかった。このように、全てが檻や水槽から出たことが確認されると、オウムの洋子がチーチーと甲高い鳴き声を上げた。この泣き声を合図に、哺乳類を先頭に、ペット達が店から次々と出てきた。そのときよく見ると、行動に時間のかかる両生類や魚達は、哺乳類の背中や鳥達の羽の上に乗っかっていた。それも、ただちゃっかり乗っているというのではなく、ナビゲーターの役割も充分心得ていて、店から外に出るときも、右左や前方に危険がないか確認をして、乗っているサルやアヒルなどのペットに合図をすることを怠ることはなかった。
「ペットショップの事件に関して、続報が入りましたので、お伝えします。青山ケンネルの平田和夫という従業員が現在、警察に事情を聞かれているようです。この従業員は、今朝店に来たときの第1発見者です。話によると今朝一番に出勤してきてみて、ペットが全ていなくなっているので、驚いて警察に通報したということですが、証言に辻褄の合わないことが多く、警察では従業員平田仁容疑者を逮捕して、事情を聞くことにしたようです。現在のところ、まだ容疑者と確定したわけではありませんが、警察はこの方向で捜査を進めるようです。平田容疑者に関する詳細はまだ入ってきていませんが、青山ケンネルの創始の時から勤めているようで、従業員の中では最も長いようです。ペットがめっぽう好きで、誰よりも早く出勤して、誰よりも遅くまで仕事をしている熱心で真面目な人として評判は高いのですが、もし、彼が犯人なら何故、そのようなことをしたのでしょうか?いつも好きなペットに囲まれた仕事をしていたわけですから、不満はあまりなかったような気がするのですが、詳細は不明です。人間的にも特に、悪いことをするような人だという批判的なことを言う人は一人もいないようです。また、盗みをはたらくことなど到底考えられないというのが同僚達の一致した意見でした。何かの間違いだろうと、皆言っています。ひとまず、このあたりでスタジオにお返しします。」
結局、平田は証拠不十分で釈放されることになった。平田一人でペットショップの全てのペットを片付けるなど不可能であったし、平田に仲間がいるという状況を何一つ発見できなかったからだ。確かに、平田はペットを愛していたが、だから、彼がペットを盗むなんて考えられないというのが、オーナーを初め仲間達の共通した意見だった。平田を悪く言う人は誰一人いなかった。ペットが大好きで、ペットをどこかにもっていって売り払うとか、そんなことは出来る人ではないし、店で充分愛情を注いでいたので、わざわざ外のどこかにペットを連れて行く必要はなかったのではないか。店の従業員だったけど、店は彼のものみたいで、彼がすることを邪魔する人は誰もいなかったわけだし、自分の好きなようにやれたわけだから、彼にも不平不満はなかったはずだというのが、みんなの意見だった。そんな彼がペットを全部盗んでも意味がないだろうというのが結論だった。警察も、平田の証言が曖昧でおかしいというところもあったが、結局、何一つ実証できそうもないだろうということで、釈放することになった。
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