2018年12月09日
ショートショート(超短編)ーー第9話 母との思い出
第9話 母との思い出
村中にはどうしても乗り越えられない心のしこりがあった。大学に入る直前、母が父と離婚してしまったことにそれは発していた。父親不信の気持ちが強く、それは男性不信にも繋がっていったのだ。更に悪いことには、父への反発心が高じて、母への愛情のようなものが強まったってしまったのだ。四国の愛媛から関西学院大学に行くとき、彼は、いやがる母を連れて行く決心をしていたのだ。母は、このまま、愛媛に残りたいと思っていたのだが、村中はその母の気持ちを認めることが出来なかった。そして、彼は母とまるで恋人が同棲を始めるかのように、一緒に住み始めたのだ。そんな気持ちを、母は最初全く想像もしていなかった。自分の息子は優しい子だと思い、夫と別れた自分を思いやってくれていると思っていたのだった。そして母は関西に行って、昼間はスーパーでアルバイトを始めたのだ。そんな生活が数年続き、母は夫と別れた心の傷も、息子との生活の中で徐々に癒やされてきていた。しかし、こんな生活がいつまで続いてくれるのかという不安もないわけではなかった。いずれは息子も誰かいい人を見付けて、一人立ちする日が来るだろうと思っていた。それを思うと、寂しくもあったが、同時に、楽しみでもあった。早く息子が結婚する姿を見たいという気持ちの方が強かったと言ってもよかった。その日は決してやって来ない日だなどとは、そのころの母は思ってもみなかったのだ。
浩一さん、今夜は遅くなってもいいんでしょ、と葉子は周りの眼を気にしながら言った。村中は葉子との付き合いを考えると、このままだと知られたく内面を知られてしまうことになると言う気持ちを持っていた。今晩遅くなるのはいいが、葉子に知れてしまうのも困る。でも何時までも今までの状態を続ける訳にはいかない。何とかこの閉塞状態から抜け出さないといけないと、常々思っていたのだ。
やがて葉子と村中は居酒屋を出ると、何のあてどもなく、歩き始めた。酒が適度に入って、気持ちが大胆になっていたこともあって、葉子は村中の腕にしがみつくようにした。止せよ、誰が見ているか分からないんだぞ。いいじゃないの、見られたって。ここいらにはよく学生がいるんだからな、と周りに眼をやりながら、村中は言った。いや、と葉子はいつもになく、村中に一層体を絡ませ、じゃ、今夜は私の所に来てね。そう言った、葉子はタクシーに手を挙げて、さっさと乗り込んで行って、早くーー、と村中をせかせた。どうしようかと思いながら、そこでもたもたするのも示しがつかない気のした村中は、渋々とタクシーに乗り込んで行った。じゃ運転手さんお願いします、と葉子が言うと、タクシーは動き始めた。
村中は夜になるのが厭でたまらなかった。いつも聞こえる父と母の、息づかい。喘ぐような母のうめき声を聞きながら、何度となくそこに飛び込んで行って、父親に怒鳴り付けようと思ったか分からなかった。幼かった彼に、二人が大人の営みをしているなど、想像もつかなかったのである。いや、薄々は、もしかしたら二人は自分のまだ知らない世界の何かをしているのではとも思ったが、昼間の険悪な二人の状態を思うと、その思いを打ち消すしかなかった。母は父にいじめられているのだ、自分は、何とか早く大人になって、母を守ってやらなければならない、といつも村中は思っていた。だから、父と母が別れると決まった時、嬉しくてたまらなかったのだ。これで母は父から解放されて、母を自分は守りながら、一緒に暮らしていけると思ったのだ。
浩一さん、私のこと嫌いなの?と私はたまらなくなって、聞いてしまったのです。そんなことないよと村中先生は答えたのですが、その声には力がありませんでした。何かがあるような気がしたのですが、それを探し出すのが私には恐かったのです。元気がでないわね。じゃ、私が元気にしてあげるから、って私は彼を口にふくんだのです。一生懸命だったのですが、それでも駄目でした。その晩はもうどうなってもいいという気持ちより、早く何とかして欲しいって感じだったのです。最初は面白い先生だなぁと思っていたのですが、だんだん、それ以上の気持ちになって来たような気がします。やっぱり駄目だ、って彼は小声で言ったのですが、それは私には聞こえて欲しくないって感じでした。その後、直ぐに、教務の仕事が詰まっていて、疲れているんだな。やっぱり、俺ももう年なのかな、って言い訳がましく言ったからです。まだ、35歳ですよ。何が年ですか。とんでもないって私は思ったのですが、それ以上は何も言いませんでした。そうですねって言って、その晩はそのまま寝てしまったのです。彼は本当に疲れていたのかも知れません。そんなことがあったのに、直ぐに寝息を立てて寝始めたからです。でも、ことはそれで終わらなかったのです。私は残念ながら直ぐには寝付けなかったのです。それで、横目で彼の寝顔をみていると、彼が、お母さん、ごめんね、お母さん、お母さんって言って、泣き始めたんです。夢をみていたようです。直ぐに泣かなくなって、また、寝息を立てて寝始めたのです。その時私は背筋が寒くなるような感じがして、彼に背中を向けて、ベッドの一番端によってじっと朝が来るのを待っていました。
俺はお母さんを絶対に幸せにするんだ。これが村中の口癖だった。学生仲間とも飲みに行ったり、お遊びをしたりすることもなかった。授業が終わると、急いで家に帰って、母の顔を見たくてたまらなかったのだ。
お母さん、背中流すから。いいよ、浩一。自分で洗うから。そう言うなよかあちゃん。流してやるから。そう言いながら、浩一自身は大きく堅くなって来ていた。母はいつものことが始まったと思いながら、涙がでそうになるのをじっとこらえていた。こんな息子にしてしまったのは自分に責任があるのだと思いながら、どうすることも出来ない自分に歯がゆさを感じて、いつかは神の重い裁きが下るのだろうと覚悟するのであった。かあちゃんの背中って本当にいいね。苦労ばっかりだからね。何とか僕がかあちゃんを幸せにするからね。待っててね。そういいながら、いつものように浩一の手は動きを背中から私の脇腹や背中の下の方に伸びて行ったのです。そして、その手は私の胸に触り、更にそのまま、下の方に這って降りて来て、茂みの中をまさぐるように下へ下へと降りてきて、赤いボタンを必死で見付けようにするのです。いつものことなのです。自分の息子とは分かっていても、ボタンが堅くなってしまったこともありました。そうすると、浩一はとても喜んでいました。かあちゃん。嬉しいよって言ってました。その後は、おきまりのコースでした。大きく堅くなったものを手に持って、浩一は私の前に立って、私の口に持って来て、かあちゃんっていいながら、押し込んで来るのでした。まだ、大学生ですから、どうすることも出来なかったのかも知れません。力が入りすぎて、私は何度も喉が痛い思いをしました。何度も嗚咽が出て仕方がないときがありました。それでも、息子は自分がいってしまうまで、止めることはありません。まだ、大学生ですから。一回出した位では終わってしまうことはありません。その後は、大概、後ろからでした。だんだん息子の声は大きくなって行きました。まだ、若かったのですから。でも、いつものことで、私はじっと我慢するしかなかったのです。止めなさいと何度も言いました。それでも止めることはなかったのです。何度か息子をそれで殴って、殴って、殴り倒したのですが、それでも、息子は涙を流しながら、じっと私の拳が振り下ろされるのを耐えているような感じでした。それを見ると、もう殴られないと私は思ったのです。世間の人達が知る訳はないし、家の中で起こっていることなので、誰に知られることもないんだと、自分に言い聞かせるようになって行ってしまったのです。自分だけがじっとして時間が過ぎるのを待っていれば、それで、片づくと自分に言い聞かせるようになっていったのです。このまま、時間が過ぎるのを待とうといつも思っていたのです。
平田は村中から年末の喪中の知らせに驚いた。その葉書はいつもの喪中を知らせるものであったが、内容に驚いたのである。その内容は伯父が死亡したので、喪中なので、年始の挨拶を失礼するというものであった。最初、特別に何の気なしに見たその葉書を、よく見ると、伯父の喪中だということだった。伯父や伯母の喪中ってのもおかしなものだ。そう平田は思ったのである。平田はそう言えば9月に田舎の愛媛に母親と一緒に帰るのだといっていたことを思い出した。身内の人が亡くなったので、葬式だということだった。そのときも平田は何とも思わなかった。お気を付けてといっただけだった。でも、何かそのとき、村中が何かそわそわしている風な動きに不自然さを感じていたことも事実である。年々自分勝手な言動が目立って来ている村中にしては、やけに神妙だなと思ったことは事実であった。そうしている内に、年が明けて、出版社の小川という男が、毎年、年が明けて一月の中頃になると、平田のところにやってきて、挨拶をしていった。来年もテキストを宜しくということで、平田と一緒に一杯やるのである。彼は愛媛の出身で、村中の出身地とあまり離れていないところであった。だから、村中のことはよく知っていて、平田に以前、先生、今度、本当にいい人を採られましたね、と村中が採用された5年前に、変な口調でいったのである。その頃は、平田の眼には村中は面白くて、何でも進んでやり、学生の面倒見もいい感じの人だという印象があり、小川に本当にいい人に来て貰ってよかったんですよと、答えていた。平田にしてみると、その頃小川がいったいい人という言葉の裏の意味が飲み込めていなかったのである。小川の話では、この前亡くなった村中の伯父さんというのは本当は伯父さんではないということなのである。本当は村中の父親で、母と離婚した後も、なかなか縁が切れなくて、母親につきまとっていたというのだ。しつこくつきまとう父から母を守るために、村中は関西学院大学に入学したとき、母を説得して一緒に関西に行ったのだった。
先生、何とかならないでしょうか。このままだと俺は結婚できない。村中は涙を流さんばかりに医者の藤本にすがりつくようにいった。だめなんです、どうしても立たないんです。あなたの場合は、肉体的な問題ではなく、精神的な何かがあるんですよ。今まで話した中では、何が原因かはよくわからないんです。他に何かまだこの一年で話してないことはないんですか。
村中はすでに35歳になろうとしていた。母の口癖は、浩一もそろそろ身を固めなければいけないねという言葉だった。でも、母の中には、まだまだという気持ちもあったし、このこと分かれて暮らすようになりたくないという気持ちもあった。決して、自分の息子との許されない関係に未練があるというわけではなかった。むしろ、母にとっては息子が早く結婚して自分の下から去って行ってくれたほうがいいという気持ちの方が強かったかもしれない。彼女にも本当の所は分からなかったのだ。
すべてをお話してますよ、先生。でも、あなたは子供頃のことは殆ど忘れてしまっているといっていますし、小学校や中学校の頃のことも殆ど話してくれてないんですよ。何があったんですか、医者には本当のことを言ってくれないと、診断のしようがないんですよ。ただ、セックスができないだけじゃ、どうしようもないんですよ。お母さんとお父さんの関係ですけどね、あなたがまだ保育所に行っている頃になくなったっていわれていましたね。そのあと、お母さんは再婚はされなかったんですか?
村中の母と父は、彼が子供頃から折り合いが悪かった。その頃のことが鮮明に蘇って来てからだが動かなくなるなどということでもなかった。父親と母親は決してうまくいっているとはいえなかったが、父が母を殴るのをみたことはなかった。口での言い合いは何度もあり、言い合いのたびに母はただ黙り込むだけだった。母と父がどんなことでいつも激しい口喧嘩をしていたのかは分からなかった。ただ、彼の記憶にあるのは、父がいつも母に言っていた、おまえって女はメス犬とかわらねぇんだからのぉって言葉だった。子供心にその父の言葉が母を侮辱するための言葉だとは分かったが、なぜ、母にそのような言葉を浴びせかけるのかは分からなかった。メス犬ってどういう意味なんだろうと考えてみたが、幼い彼には想像もつかなかった。
「村中、おまえの親父は、本当はだれなんじゃ?おかしげな噂を聞いたぞ」
「何言うとるんじゃ、そげんなことわかっとろうが。どんな噂じゃい?」
村中が高校生の頃、友達の機嫌が悪いとき、何気なく言ったこと言葉は彼の脳裏のそこにこびりついて離れることはなかった。それでも、親友が何の悪気もなく言ったその言葉の重さと真実味をかみしめていたのだ。あいつは、ありもしないことは言うわけはない。そう心でいつも、何度も繰り返してみた。いや、あのときのあいつはどっか変じゃったんだ。あんなやつの言うことに振り回されてはだめだ。そうも彼は何度も自分に言い聞かせた。しかし、言い聞かせようとすればするほど、言葉の重みと膨らみは彼の中でますます大きくなっていって、決して拭い去ることのできない深いしこりとなって残ったのである。はっきりさせなきゃいかん。何なんだ。
「お、お、ぉ、ぉ、伯父さん、そんな」伯父さんという言葉が今回は素直に村中の口から流れてこなかった。しかし、ようやく今まで言いなれた伯父さんという言葉を発することができた。「それは酷い。何でですか。何でそんな。母を苦しめるようなことを、何で、平気で、何で、そんなことを、何で、何で、・・・」言葉が続かなかった。あまりに衝撃的な話で、まるでテレビのドラマでも見ているような感じであった。嘘だ、これは現実ではない、何でだ。嘘だ。そんなことはありえない。あるはずがない。何度も何度も心の中で声を上げたが、それが口から外に形をなすことは容易なことではなかった。「若かった?それじゃ、獣ですよ」あぁ、メス犬か。おまえはメス犬とかわらねぇ。おまえはメス犬だ。そのときの言葉が蘇ってきたが、不思議なことに、それ以外今まで一度も表に現れなかった、父の言葉が連なってきたのだ。メス犬とオス犬の子を何で俺が育てにゃいけんのじゃ。オス犬が育てりゃええじゃろう。おまえはあいつに股をおっぴろげての、おまんこすりすりしてもらって、ひぃひぃ言うのがええんじゃろうけな。兄貴のが俺んより固とうって太いってことなんじゃろうの。やっぱり兄妹じゃの。どっちもどっちじゃ。こげんなこと誰も信じんじゃろうけの。俺と兄貴ゃ血液型も同じじゃけんの。おまえと俺と兄貴が黙っとりゃ、誰も何にもわからんけの。じゃが、俺ゃもうおまえとやっていくことはできんの。それがおまえの願いじゃろうけの。伯父さんが、俺の、ぉ、ぉ、ぉ、おやじ、おやじか?そんな、嘘だ。嘘だ。「それは酷いですよ。酷すぎる。そんなことってないですよ」(父と母はその後すぐには別れることはなかった。父の決心はついていたが、世間体ということもあり、子供が生まれたばかりで、分かれてしまうと世間がなんと言うかという気持ちが父にあったのである。それで、村中が中学を出る前まで、父は好き放題にして暮らした。それに、父はいずれ分かれてやるが、仕返しをしてやろうと心に決めていたのだ。だから、毎日毎日、母をいびり、ことあるごとに伯父との関係を持ち出し、母を攻め立てたのだ。その父の母いびりが村中の記憶には鮮明に残っているところであった。)
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