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2019年02月20日
クロア篇−4章7
クロアは夕食の時間まで自室で休むことにした。レジィの寝室が見えた頃合いに、レジィにも休養をすすめた。今日はもうレジィにやらせたいことがなかったからだ。
「寝る支度をしちゃってていいわ」
「はい……今日はここでおわかれですね」
ベニトラを抱えていた彼女は名残惜しそうに猫を放した。レジィはまだ猫に触れていたいらしい。その動物好きぶりを見たクロアはほほえむ。
「そのうちあなたとベニトラが一緒に寝られる日を用意するわ」
「えへへ、たのしみにしてます」
レジィは屈託のない笑顔で部屋へもどった。クロアも自身の寝室へ入る。そこにはクロアが今日はじめて見る従者の後ろ姿があった。その健勝そうなたたずまいはクロアを歓喜させる。
「ダムト、帰ってきたのね」
偵察の任務をおえたダムトが振り向く。その手にはなぜか手ぬぐいがある。
「あら、それはどうしたの?」
「俺は知りません。部屋に着いたときにはすでにありました」
彼は数歩横へ移動する。彼が立っていた場所の奥には円卓があり、卓上にカゴが置かれていた。カゴには薬や菓子の入っている。それはクロアが招獣専門店にて譲りうけた品々だ。
カゴのまわりには座布団や膝掛けなどのクロアの私物ではない布類がある。クロアの見覚えはないものの、それらがそこにある理由をクロアは知っている。
「あ……それはわたしが衛兵にたのんだものだわ」
「衛兵に、これらを集めよと命じたのですか?」
クロアは自分の言い方が我ながらまずいと思った。カゴや布類の収拾を、本来の業務とは完全に異なる武官に任せた──そう誤解されてしまう物言いである。そのように解釈したダムトは当然難色を示す。
「屋敷にいる者たちにはそれぞれ本分が──」
「まって! 順を追って話すわ」
ダムトが主人をとがめようとするのを、クロアが制す。間髪を置かず、けして武官に畑違いの指示を出したわけでない経緯を説明しはじめた。
クロアが招獣専門店で起きたことと衛兵とのやり取りについて丁寧に話すと、ダムトは事情を理解してくれた。諫言を取りやめた彼はベニトラの寝床となるカゴに触れる。おもむろにカゴの中身を取りだした。空にしたカゴを持ち上げて、いろんな角度から検分する。
「店の者が使っていたカゴ……」
「ちょっと大きい気もするけど、敷物を詰めていけばちょうどよくなるでしょ?」
「そうですね。しかし気になることが一点」
ダムトはカゴの内側を覆う布のはしをつかむ。
「こちらの布は少々汚れています。まだお使いになるのなら、一度洗うべきかと」
「そう? では洗ってちょうだい」
クロアは視線を落とし、ベニトラが卓上にある布類にほおずりしていくのを見る。この獣が身に着ける首輪は多額の値がついていた。クロアは首輪のためにお金を多く使った自覚がある。それゆえ古い物を捨てて新品に変える行為を極力避けたいと考えた。
「使えるものはちゃんと使って、節約しなきゃね」
「倹約したいのなら首輪に八万も出さなければよろしい。浮いた金で布を大量に買えましたよ」
「いいじゃない、これがこの子にとっての鎧でもあるのよ」
首輪の防御効果は術耐性を高めること。そこに大金を投資する価値がある。
「お金をケチるところじゃないわ」
「クロア様が熟慮なさったうえでの資金投入でしたら、俺が異論をはさむ余地はありません」
ダムトが聞き分けのよいことを言った。クロアは彼の同意を得られたことを意外に思ったが、真意を問う気は起きなかった。あまり長話をしていられる場合ではないのだ。
「このカゴの布をいま洗濯したら、いつ乾く?」
「普通に干せば一晩かかりますね。それでは遅いのでしょう?」
「そう、今夜寝るときには乾いていてほしいの。ベニトラの寝床に使うから」
「わかりました、俺がどうにかします。多少時間がかかりますので、ほかにも俺に言っておきたいことがあるならおっしゃっていただけますか?」
ダムトに伝えたいことはたくさんある。それをいまこの場で喋っていては洗濯物を干す時間どころか、洗う時間まで無くなるだろう。
「それなんだけど……ちょっと話が長くなるわ。洗濯しながらでいい?」
「でしたら伝(つた)え石を使いますか」
ダムトはクロアの私物が入った箪笥の引き出しを無造作に開けた。ごそごそとさぐったのち、半透明な宝石を出す。それは今日ユネスがカスバンと連絡をとったときに使った術具と同じ種類だ。
「これに話してください」
ダムトが手のひら大の宝石をクロアに渡した。いくつもの小さな面が組み合わさった、淡い緑色の宝石だ。
「俺はおもに聞くだけにします。独り言をぶつくさ喋っている、と周りの者に思われたくないので」
彼のほうは歪曲した棒を耳にかける。その棒の先には直径一寸(三センチ)ほどの宝石がついていて、石は彼の耳の穴付近に位置した。
「その石の使い方はご存知ですね?」
「わかってるわ。話したい相手の姿を思い浮かべるんでしょ」
術が不得意なクロアはこういった術具を使えないときがある。ただダムト相手の通話は高確率でうまくいくので、今回も平気だと思った。が、一応は練習してみる。
「ちょっと廊下に出ててくれる? わたしの声が聞こえたら入ってきて」
ダムトが部屋を一時出ていった。クロアは部屋の出入口に背を向け、宝石を口元に寄せる。
「あー、あー。どう? 聞こえた?」
小声で伝え石の性能をたしかめた。しかし廊下からの反応はない。クロアの念じ方が足りないのだろう。
「ダムトのことを真剣に考えなきゃ……」
やはり伝え石を持つだけでは無意味。認識の甘さを再確認したクロアは目のまえにいない従者を想像する。
(背はわたしと同じくらいで、髪の毛が水色でふわふわしてて……)
外見の特徴を思い起こしていたところ、『まだできませんか』と男性の声が聞こえてきた。その音源は手中の石だ。
「そっちの石でも話せるの?」
『できますよ。本当はそちらから通話してもらったほうがいいんですが、まだまだ苦手なようですね』
「なによ、こんなときまでわたしをためさなくていいじゃないの」
『クロア様が試験をやり出したんでしょう』
言われてみればクロアが率先して伝え石の使用確認をおこなっていた。しかしクロアからの通話をさせたがったのはダムトだ。
「あなたがそう仕向けたんじゃなくて?」
『言い合いをしている時間が惜しいです。俺はとっとと洗濯場に行きますよ』
ダムトが部屋へ入ってくる。カゴを抱え、さっさと退室した。クロアは彼の態度への不満があったが、そんなことよりも情報共有が優先だと考える。
(まずはこれからダムトにしてもらうことを言わなくちゃ)
クロアは長椅子に座り、今日の夜の予定を説明した。その行動計画に対する父の了解は得ていることを告げると、簡単な返事があった。それだけで話を終わらせてはクロアの待機時間がもったいない。ついでに夜の外出をするきっかけとなった今朝の出来事も伝えた。つまりはカスバンとの舌戦だ。クロアがダムトに不適切な命令を出した、という理由でカスバンに絞られたことを正直に話す。「賊の偵察はダムトが勝手にやったこと」とクロアが主張しなかった点で彼がなじってくるかと覚悟していたが、ダムトは『クロア様ならそうすると思っていました』とかるく流した。
(あら、小言を言わないのね)
これほどダムトが傾聴に専念する状況はめずらしい。気を良くしたクロアは昼間にあった出来事も一方的に話しつづけた。
ティオのことを話していて、ふとティオと同時期に会った薬士のことを連想する。
「あ、そういえば組合に行ったとき、強そうな薬士にも会ったのだったわ」
『強そうな、くすりし?』
ダムトが食いついた。彼が反応を見せるのも無理はなく、その形容詞と名詞は組み合わさると異様な響きを放つ。ダムトの好奇心を満たせるよう、クロアは薬士について掘り下げる。
「薬草採取の依頼をしにこられた方でね。その人に傭兵の話をもちかけてみたのよ。でも『争いには関わりたくない』と言われたの。ことわられてしまったけれど、その人は戦う能力には自信がありそうだっだわ。杖を持っていたし、ベニトラを魔獣だと見破れていたし、お強い術士なのかもしれない。あの場で説得できなかったのが残念ね」
『そうですか。その者の名はお聞きになりましたか?』
「いいえ、聞けなかったわ。もしかして有名な方?」
『有名な者の息子、やもしれません』
「へえ、親が有名……」
薬士は片親が特殊であるふうに話していた。クロアはそれが多少なりとも自分に縁のある事柄だと覚えており、その記憶をたぐりよせる。
「その方は……半魔だと言っていたわ。彼が半魔なら、その親は、有名な魔人……?」
『半魔、となると可能性はぐっと高くなりますね』
「だれなの?」
『その件はまた今度お話ししましょう。もう夕食の時間です』
時計は夕餉が居室に出される時刻を指している。いや、すこし過ぎていた。これでは遅刻だ。クロアは夢中で話しこんでしまったのを反省し、ダムトとの会話を終えた。
「ベニトラ、わたしはご飯を食べに──」
クロアが話しかけた猫は円卓の座布団のうえで寝ていた。卓上の敷物は自分のものだと認識しているらしい。
「あなたは寝てていいわ。今晩がんばってもらうから、すこし休んでて」
クロアは猫を置きざりにして、部屋を出る。戸を閉める際、もう一度ベニトラを見たが、うごきはない。クロアはひとりで夕食をとりに向かった。
「寝る支度をしちゃってていいわ」
「はい……今日はここでおわかれですね」
ベニトラを抱えていた彼女は名残惜しそうに猫を放した。レジィはまだ猫に触れていたいらしい。その動物好きぶりを見たクロアはほほえむ。
「そのうちあなたとベニトラが一緒に寝られる日を用意するわ」
「えへへ、たのしみにしてます」
レジィは屈託のない笑顔で部屋へもどった。クロアも自身の寝室へ入る。そこにはクロアが今日はじめて見る従者の後ろ姿があった。その健勝そうなたたずまいはクロアを歓喜させる。
「ダムト、帰ってきたのね」
偵察の任務をおえたダムトが振り向く。その手にはなぜか手ぬぐいがある。
「あら、それはどうしたの?」
「俺は知りません。部屋に着いたときにはすでにありました」
彼は数歩横へ移動する。彼が立っていた場所の奥には円卓があり、卓上にカゴが置かれていた。カゴには薬や菓子の入っている。それはクロアが招獣専門店にて譲りうけた品々だ。
カゴのまわりには座布団や膝掛けなどのクロアの私物ではない布類がある。クロアの見覚えはないものの、それらがそこにある理由をクロアは知っている。
「あ……それはわたしが衛兵にたのんだものだわ」
「衛兵に、これらを集めよと命じたのですか?」
クロアは自分の言い方が我ながらまずいと思った。カゴや布類の収拾を、本来の業務とは完全に異なる武官に任せた──そう誤解されてしまう物言いである。そのように解釈したダムトは当然難色を示す。
「屋敷にいる者たちにはそれぞれ本分が──」
「まって! 順を追って話すわ」
ダムトが主人をとがめようとするのを、クロアが制す。間髪を置かず、けして武官に畑違いの指示を出したわけでない経緯を説明しはじめた。
クロアが招獣専門店で起きたことと衛兵とのやり取りについて丁寧に話すと、ダムトは事情を理解してくれた。諫言を取りやめた彼はベニトラの寝床となるカゴに触れる。おもむろにカゴの中身を取りだした。空にしたカゴを持ち上げて、いろんな角度から検分する。
「店の者が使っていたカゴ……」
「ちょっと大きい気もするけど、敷物を詰めていけばちょうどよくなるでしょ?」
「そうですね。しかし気になることが一点」
ダムトはカゴの内側を覆う布のはしをつかむ。
「こちらの布は少々汚れています。まだお使いになるのなら、一度洗うべきかと」
「そう? では洗ってちょうだい」
クロアは視線を落とし、ベニトラが卓上にある布類にほおずりしていくのを見る。この獣が身に着ける首輪は多額の値がついていた。クロアは首輪のためにお金を多く使った自覚がある。それゆえ古い物を捨てて新品に変える行為を極力避けたいと考えた。
「使えるものはちゃんと使って、節約しなきゃね」
「倹約したいのなら首輪に八万も出さなければよろしい。浮いた金で布を大量に買えましたよ」
「いいじゃない、これがこの子にとっての鎧でもあるのよ」
首輪の防御効果は術耐性を高めること。そこに大金を投資する価値がある。
「お金をケチるところじゃないわ」
「クロア様が熟慮なさったうえでの資金投入でしたら、俺が異論をはさむ余地はありません」
ダムトが聞き分けのよいことを言った。クロアは彼の同意を得られたことを意外に思ったが、真意を問う気は起きなかった。あまり長話をしていられる場合ではないのだ。
「このカゴの布をいま洗濯したら、いつ乾く?」
「普通に干せば一晩かかりますね。それでは遅いのでしょう?」
「そう、今夜寝るときには乾いていてほしいの。ベニトラの寝床に使うから」
「わかりました、俺がどうにかします。多少時間がかかりますので、ほかにも俺に言っておきたいことがあるならおっしゃっていただけますか?」
ダムトに伝えたいことはたくさんある。それをいまこの場で喋っていては洗濯物を干す時間どころか、洗う時間まで無くなるだろう。
「それなんだけど……ちょっと話が長くなるわ。洗濯しながらでいい?」
「でしたら伝(つた)え石を使いますか」
ダムトはクロアの私物が入った箪笥の引き出しを無造作に開けた。ごそごそとさぐったのち、半透明な宝石を出す。それは今日ユネスがカスバンと連絡をとったときに使った術具と同じ種類だ。
「これに話してください」
ダムトが手のひら大の宝石をクロアに渡した。いくつもの小さな面が組み合わさった、淡い緑色の宝石だ。
「俺はおもに聞くだけにします。独り言をぶつくさ喋っている、と周りの者に思われたくないので」
彼のほうは歪曲した棒を耳にかける。その棒の先には直径一寸(三センチ)ほどの宝石がついていて、石は彼の耳の穴付近に位置した。
「その石の使い方はご存知ですね?」
「わかってるわ。話したい相手の姿を思い浮かべるんでしょ」
術が不得意なクロアはこういった術具を使えないときがある。ただダムト相手の通話は高確率でうまくいくので、今回も平気だと思った。が、一応は練習してみる。
「ちょっと廊下に出ててくれる? わたしの声が聞こえたら入ってきて」
ダムトが部屋を一時出ていった。クロアは部屋の出入口に背を向け、宝石を口元に寄せる。
「あー、あー。どう? 聞こえた?」
小声で伝え石の性能をたしかめた。しかし廊下からの反応はない。クロアの念じ方が足りないのだろう。
「ダムトのことを真剣に考えなきゃ……」
やはり伝え石を持つだけでは無意味。認識の甘さを再確認したクロアは目のまえにいない従者を想像する。
(背はわたしと同じくらいで、髪の毛が水色でふわふわしてて……)
外見の特徴を思い起こしていたところ、『まだできませんか』と男性の声が聞こえてきた。その音源は手中の石だ。
「そっちの石でも話せるの?」
『できますよ。本当はそちらから通話してもらったほうがいいんですが、まだまだ苦手なようですね』
「なによ、こんなときまでわたしをためさなくていいじゃないの」
『クロア様が試験をやり出したんでしょう』
言われてみればクロアが率先して伝え石の使用確認をおこなっていた。しかしクロアからの通話をさせたがったのはダムトだ。
「あなたがそう仕向けたんじゃなくて?」
『言い合いをしている時間が惜しいです。俺はとっとと洗濯場に行きますよ』
ダムトが部屋へ入ってくる。カゴを抱え、さっさと退室した。クロアは彼の態度への不満があったが、そんなことよりも情報共有が優先だと考える。
(まずはこれからダムトにしてもらうことを言わなくちゃ)
クロアは長椅子に座り、今日の夜の予定を説明した。その行動計画に対する父の了解は得ていることを告げると、簡単な返事があった。それだけで話を終わらせてはクロアの待機時間がもったいない。ついでに夜の外出をするきっかけとなった今朝の出来事も伝えた。つまりはカスバンとの舌戦だ。クロアがダムトに不適切な命令を出した、という理由でカスバンに絞られたことを正直に話す。「賊の偵察はダムトが勝手にやったこと」とクロアが主張しなかった点で彼がなじってくるかと覚悟していたが、ダムトは『クロア様ならそうすると思っていました』とかるく流した。
(あら、小言を言わないのね)
これほどダムトが傾聴に専念する状況はめずらしい。気を良くしたクロアは昼間にあった出来事も一方的に話しつづけた。
ティオのことを話していて、ふとティオと同時期に会った薬士のことを連想する。
「あ、そういえば組合に行ったとき、強そうな薬士にも会ったのだったわ」
『強そうな、くすりし?』
ダムトが食いついた。彼が反応を見せるのも無理はなく、その形容詞と名詞は組み合わさると異様な響きを放つ。ダムトの好奇心を満たせるよう、クロアは薬士について掘り下げる。
「薬草採取の依頼をしにこられた方でね。その人に傭兵の話をもちかけてみたのよ。でも『争いには関わりたくない』と言われたの。ことわられてしまったけれど、その人は戦う能力には自信がありそうだっだわ。杖を持っていたし、ベニトラを魔獣だと見破れていたし、お強い術士なのかもしれない。あの場で説得できなかったのが残念ね」
『そうですか。その者の名はお聞きになりましたか?』
「いいえ、聞けなかったわ。もしかして有名な方?」
『有名な者の息子、やもしれません』
「へえ、親が有名……」
薬士は片親が特殊であるふうに話していた。クロアはそれが多少なりとも自分に縁のある事柄だと覚えており、その記憶をたぐりよせる。
「その方は……半魔だと言っていたわ。彼が半魔なら、その親は、有名な魔人……?」
『半魔、となると可能性はぐっと高くなりますね』
「だれなの?」
『その件はまた今度お話ししましょう。もう夕食の時間です』
時計は夕餉が居室に出される時刻を指している。いや、すこし過ぎていた。これでは遅刻だ。クロアは夢中で話しこんでしまったのを反省し、ダムトとの会話を終えた。
「ベニトラ、わたしはご飯を食べに──」
クロアが話しかけた猫は円卓の座布団のうえで寝ていた。卓上の敷物は自分のものだと認識しているらしい。
「あなたは寝てていいわ。今晩がんばってもらうから、すこし休んでて」
クロアは猫を置きざりにして、部屋を出る。戸を閉める際、もう一度ベニトラを見たが、うごきはない。クロアはひとりで夕食をとりに向かった。
タグ:クロア
2019年02月19日
クロア篇−4章6
クノードは仕事机とはべつにある机のそばに立った。そこは椅子が六脚ある。クノードが上座に着き、その対面する位置にクロアが座る。レジィは余っている椅子をうごかして、クロアの真横に座った。朱色の猫はゆっくり浮遊し、レジィの膝元におさまる。少女はベニトラが自分を休憩場に選んだことによろこび、顔をほころばせた。
「さっそく志願者を見つけてきたそうだね」
クノードが官吏たちから収集したらしい速報を述べた。クロアが物申したい話題とちかいので、クロアは頭を上下にうごかす。
「はい、結果的には賊討伐にくわわれない人員でしたけれど……」
「気にすることはない。この調子で人材を見つけていけば、そのうち及第する戦士があらわれるとも」
「前向きなお言葉をいただき、うれしく存じます」
クロアは父のやさしい声掛けをありがたく受け取った。この友好的な反応を見るに、夜間の外出も父が許容してくれそうだと思った。
「クロアの話というのは、今日の成果報告だけではないんだろう?」
「そうです。戦士捜しの件で、いくつか許可を得たく──」
「夜の外出、だね?」
「ご存知ですの?」
「ああ、じつはユネスからだいたいのことを聞いた」
クロアは首をかしげた。父がユネスと話す機会があっただろうか、と。
「私はキリのよいところで仕事をおわらせて、訓練場へ行ったんだ。残念なことに、すでに試合がおわったあとだったんだがね。けれど片付け中のユネスには会えたよ」
「そうでしたの。わたしと入れちがいになっていましたのね」
「クロアが私に会いにむかったと聞いたから、この部屋にもどってきたんだ」
「いきさつはよくわかりましたわ。あの、お父さまはわたしの外出をどのようにお考えでいらして?」
「クロアがどうしたいかによって、こちらが譲歩することも変わってくる」
「わたしがどうしたいか……?」
クロアは夜間の外出許可のほかに、自分が特殊な希望を秘めていた感覚をおぼえていた。しかしとっさには思い出せない。
「ええと、それは……わたしが夜に外出すること自体には許しがもらえる、ということですの?」
「そう思っていい。理想としてはクロアが屋敷に残って、ほかの者に行かせるほうが私は安心できるんだが」
「わたしごのみのやり方ではありませんわね」
「そうだろうな。自分の足で捜したいんだろう?」
「いえ、ベニトラに乗ってさがしたいのです」
中年は一瞬おどろき、次に憂いの表情になる。
「飛獣の飛行許可……しかも、先日まで町中で暴れていた魔獣を?」
「わたしたちの姿は住民に見られないようにしますわ。ダムトがいればできるはずです」
「……それなら不必要な騒ぎは起きないか」
口では同意するものの、クノードの顔から不安の色が消えない。
「連れて行くのはダムトとレジィかい?」
「ダムトがいればレジィはこなくてもいいかと……ねえ?」
クロアは横にいるレジィに顔を見合わせた。少女はだまってうなずく。レジィのほうからは「行きたくない」といった発言がしづらいので、それが精一杯の意思表示だった。
「私もそれがよいと思う。かよわい女の子が夜歩きをするものではないからね」
「お父さまはレジィを案じてくださっていたのね」
クノードが心配する何かをクロアはわかった。同時にその配慮に痛み入る。
「お心遣い、ありがとうございます」
「あ、いや……私が言いたかったことは、そこじゃない」
「そうでしたの? ではなにを心配なさっていらっしゃるの」
「クロアの護衛が足りないと思うんだ」
この指摘はクロアの想像になかった。クノードはびっくりした娘に説明をくわえる。
「夜は昼にくらべて予想外なことが起きやすい。だからダムトひとりでは手が回らなくなるかもしれない」
「ほかにも護衛をつけてから、外出せよと?」
「そうだ。戦いに慣れた武官がいい」
父の提案はもっともだ。しかし夜間の武官の出動はそう簡単にはいかない。昼間なら調練をやめさせてほかの仕事を与えてもいいのだが、夜の勤務には中止してよい業務がない。また非番の者にたのむにしても、緊急事態でもない用事で個人の自由時間をつぶすのはクロアの気が引ける。
「護衛を増やすのはよいのですが、護衛の任を与えられた者の本来の業務や休暇に差支えが出てしまいますわ」
「手が空いている者は私が捜そう」
「ではお父さまにおまかせしてよろしいのですね」
「ああ、夕食までに護衛役を決めておく」
「あまり時間の猶予がありませんけれど……『ちょうどよい護衛が見つからなかったら外出は無し』なんておっしゃいませんわよね?」
「そんなみっともない真似はしない。自分の不出来さを娘に押し付けていては父親失格だろう?」
クノードはなごやかな表情で娘の心配事をぬぐいさった。クロアがある程度予想できていた返事なのだが、それでも父の懐の広さには安堵をおぼえる。
「そうおっしゃっていただけて、よかったですわ。お父さまのお時間をとってはいけませんし、わたしはこれで退室します」
「そうだね、では夕食のときにまた会おう」
クロアとレジィは席を立った。使った椅子をもとにもどしたのち、二人が部屋を出る。執務室の扉のそばにはクノードの護衛役が立っている。彼はなにも言わず、クロアたちが去るのを見ていた。
「さっそく志願者を見つけてきたそうだね」
クノードが官吏たちから収集したらしい速報を述べた。クロアが物申したい話題とちかいので、クロアは頭を上下にうごかす。
「はい、結果的には賊討伐にくわわれない人員でしたけれど……」
「気にすることはない。この調子で人材を見つけていけば、そのうち及第する戦士があらわれるとも」
「前向きなお言葉をいただき、うれしく存じます」
クロアは父のやさしい声掛けをありがたく受け取った。この友好的な反応を見るに、夜間の外出も父が許容してくれそうだと思った。
「クロアの話というのは、今日の成果報告だけではないんだろう?」
「そうです。戦士捜しの件で、いくつか許可を得たく──」
「夜の外出、だね?」
「ご存知ですの?」
「ああ、じつはユネスからだいたいのことを聞いた」
クロアは首をかしげた。父がユネスと話す機会があっただろうか、と。
「私はキリのよいところで仕事をおわらせて、訓練場へ行ったんだ。残念なことに、すでに試合がおわったあとだったんだがね。けれど片付け中のユネスには会えたよ」
「そうでしたの。わたしと入れちがいになっていましたのね」
「クロアが私に会いにむかったと聞いたから、この部屋にもどってきたんだ」
「いきさつはよくわかりましたわ。あの、お父さまはわたしの外出をどのようにお考えでいらして?」
「クロアがどうしたいかによって、こちらが譲歩することも変わってくる」
「わたしがどうしたいか……?」
クロアは夜間の外出許可のほかに、自分が特殊な希望を秘めていた感覚をおぼえていた。しかしとっさには思い出せない。
「ええと、それは……わたしが夜に外出すること自体には許しがもらえる、ということですの?」
「そう思っていい。理想としてはクロアが屋敷に残って、ほかの者に行かせるほうが私は安心できるんだが」
「わたしごのみのやり方ではありませんわね」
「そうだろうな。自分の足で捜したいんだろう?」
「いえ、ベニトラに乗ってさがしたいのです」
中年は一瞬おどろき、次に憂いの表情になる。
「飛獣の飛行許可……しかも、先日まで町中で暴れていた魔獣を?」
「わたしたちの姿は住民に見られないようにしますわ。ダムトがいればできるはずです」
「……それなら不必要な騒ぎは起きないか」
口では同意するものの、クノードの顔から不安の色が消えない。
「連れて行くのはダムトとレジィかい?」
「ダムトがいればレジィはこなくてもいいかと……ねえ?」
クロアは横にいるレジィに顔を見合わせた。少女はだまってうなずく。レジィのほうからは「行きたくない」といった発言がしづらいので、それが精一杯の意思表示だった。
「私もそれがよいと思う。かよわい女の子が夜歩きをするものではないからね」
「お父さまはレジィを案じてくださっていたのね」
クノードが心配する何かをクロアはわかった。同時にその配慮に痛み入る。
「お心遣い、ありがとうございます」
「あ、いや……私が言いたかったことは、そこじゃない」
「そうでしたの? ではなにを心配なさっていらっしゃるの」
「クロアの護衛が足りないと思うんだ」
この指摘はクロアの想像になかった。クノードはびっくりした娘に説明をくわえる。
「夜は昼にくらべて予想外なことが起きやすい。だからダムトひとりでは手が回らなくなるかもしれない」
「ほかにも護衛をつけてから、外出せよと?」
「そうだ。戦いに慣れた武官がいい」
父の提案はもっともだ。しかし夜間の武官の出動はそう簡単にはいかない。昼間なら調練をやめさせてほかの仕事を与えてもいいのだが、夜の勤務には中止してよい業務がない。また非番の者にたのむにしても、緊急事態でもない用事で個人の自由時間をつぶすのはクロアの気が引ける。
「護衛を増やすのはよいのですが、護衛の任を与えられた者の本来の業務や休暇に差支えが出てしまいますわ」
「手が空いている者は私が捜そう」
「ではお父さまにおまかせしてよろしいのですね」
「ああ、夕食までに護衛役を決めておく」
「あまり時間の猶予がありませんけれど……『ちょうどよい護衛が見つからなかったら外出は無し』なんておっしゃいませんわよね?」
「そんなみっともない真似はしない。自分の不出来さを娘に押し付けていては父親失格だろう?」
クノードはなごやかな表情で娘の心配事をぬぐいさった。クロアがある程度予想できていた返事なのだが、それでも父の懐の広さには安堵をおぼえる。
「そうおっしゃっていただけて、よかったですわ。お父さまのお時間をとってはいけませんし、わたしはこれで退室します」
「そうだね、では夕食のときにまた会おう」
クロアとレジィは席を立った。使った椅子をもとにもどしたのち、二人が部屋を出る。執務室の扉のそばにはクノードの護衛役が立っている。彼はなにも言わず、クロアたちが去るのを見ていた。
タグ:クロア