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2019年02月10日
クロア篇−4章1
クロア一行はティオに傭兵の試験を受けさせるべく、屋敷へもどった。馬車は厩舎へ向かうまえに一時、敷地内に停まる。クロアはカゴを抱えて馬車を降りた。そこへ手ぶらな衛兵がやってくる。通常、彼らは槍をたずさえているのだが、物騒なものは持ち場に置いてきたらしかった。
「お帰りなさいませ」
衛兵が持ち場を離れてまで公女に声かけをする、という事態は慣例にない。この衛兵は見たところ年若い。経験の浅い者だと思ったクロアは「出迎えをありがとう」と礼を述べる。
「けれど、わざわざわたしにあいさつをしにこなくてもいいのよ」
「カスバン殿からクロア様に言づてがありましたので──」
「あら、なにかしら?」
クロアは衛兵の伝言に傾聴した。その内容はきっと戦士採用に関係することだと予想できた。
「第三訓練場にて、挑戦者と試験官を競わせるそうです」
「そこへ行けばいいのね」
「もう挑戦者を見つけられたのですか?」
言うと衛兵の視線は馬車から出てくる少年に注がれた。注目に気付いたティオはうんうんうなずく。
「オレは弓使いなんだけど、どう競うんだ?」
ティオはここでも他者に気さくに話しかけている。これから実施する試験に対する緊張をただよわせていなかった。
衛兵は兜をかぶった頭を左右に振る。
「そこまでは存じておりません」
「そっか。んじゃその訓練場ってとこに行くよ」
ティオはクロアを見た。クロアが案内してくれるという期待を持っているようだ。
「そうね、行きましょう」
「あの、失礼ですが……」
衛兵はクロアの持つカゴに着目する。
「そちらのお荷物は、持ち歩かれるのですか?」
「え? ああ、これはわたしの部屋に置きたいものなの」
「手が空いている者をつかまえて、お部屋まで届けさせましょうか?」
「そうよね……お願いするわ」
クロアはいまの自分に無用なカゴを衛兵に渡した。その際にこのカゴに必要とする物を連想する。
「あ、そうだわ。敷物とか毛布も……」
「お部屋に運ぶのですか?」
「屋敷に余っている布類を探してほしいの。この招獣の寝床に使うのよ」
クロアは自分の背に張り付くベニトラを衛兵に見せる。
「そのカゴに敷物を詰めるつもり。でもなかったら無いでいいわ。そんなふうにカゴを運ぶ者に伝えてちょうだい」
「承知しました」
衛兵は一礼し、屋内へ向かった。カゴの処遇が片付いたクロアはレジィに振り向く。
「レジィ、ついて来てちょうだい」
「はい、第三……ですもんね」
レジィが意味深に答えるので、ティオは「なにをするところだ?」と怪訝そうにたずねた。訓練場への移動中、レジィが説明する。
「簡単に言うと、一対一で模擬試合をする場所です」
「矢を……人に向けて撃つのか?」
ティオは痛ましい表情をつくる。
「当たり所がわるかったらどうする?」
「本物の矢は使いません。当たってもあまり痛くない矢があるんです」
「痛くないんなら、どうやって勝敗を決めるんだ?」
「それは……体に命中した部位や早撃ちで判断するんだと思います。あたしが観戦できた術士同士の試合は、そんな感じでした」
「弓士同士は見たことないんだな」
「弓の腕を競うときはたぶん、射場の的当てをするから……」
「フツーはそうだよな。人をねらって矢を撃ちあうなんて、やったことない」
ティオから合格を勝ち取る自信が薄れてきた。いままでの会話において、彼の心の余裕は的を正確に射る練習によって培われたのだとわかる。それをいきなり、予測不能にうごく対象を、かつ自分に攻撃を仕掛けてくる者を、相手にするのだ。この試験内容では少年の経験不足が露呈するさまが容易に想像がつく。クロアは好ましくない結果を迎える覚悟をしておいた。
クロアたちは網目状の柵で囲まれた一画にやってきた。柵の高さは一丈(三メートル)近く、縦は五丈、横は十丈の幅がある。人が出入りする部分には柵がなく、扉となる遮蔽物もない。あるのは柵と柵の間に掛けられる鎖だけ。その鎖が柵の片側に引っ掛かった状態で、地面に垂れ下がっている。
鎖のそばに、革鎧を着た男性が待ちぼうけていた。木剣を肩にのせた、色黒の三十歳くらいの戦士。彼は隣国出身の元傭兵だ。怪我が原因で傭兵業をやめ、このアンペレで戦いのない仕事を探しにきた過去がある。本人は平和的な仕事に就くつもりだったはずが、現在は武官として従事している。そうなった要因は、彼が剣以外の戦いの素質を有していたことにある。
「ユネス、あなたが試験官を務めるの?」
「そうですよ。ボーゼン将軍の言いつけでね」
ボーゼンとはアンペレで最高位に就く武官だ。彼は代々アンペレに仕える武家の出身であり、その一族は武才に秀でる。人材の発掘にも精を出しており、戦士生命を絶たれたユネスに新たな戦い方を提示したのも彼だ。そんなボーゼンこそ、新人の発掘に向いていそうなのだが。
「ボーゼンが試験官ではないのね」
「はい。カスバン殿は将軍にやってもらいたかったようですが、将軍は年齢を理由に辞退されましてね。おれに役がまわってきたわけです」
ボーゼンは五十代のなかば。並みの人間では白兵戦に自信がなくなっていく年齢ではある。だが本当の理由は別のところにありそうだ。
「ボーゼンが新人に負けたら、将軍の威信がへってしまうもの。ユネスならワケありだし、負けても平気ってことなのかしら」
「まあそんなところです」
ユネスは服の隠袋(かくし)から半透明な宝石を取り出した。それはこの場にいない相手との遠隔会話を果たす術具である。物によって連絡をとれる範囲は異なる。彼が持っているものは屋敷や官舎内での通話に用いる種類だ。
「これから挑戦者の力試しにとりかかります。見たけりゃどーぞ」
だれ宛てなのか、この一言では推察できない。クロアはユネスの石を持つ手が下がったのを見計らい、「だれと話してたの?」とたずねた。ユネスは肩をすくめる。
「将軍と同格の御仁ですよ」
「カスバンが、見物しにくるの?」
「そうみたいですね。きっと不正がないようにしたいんでしょう」
「あの爺はまーたわたしのことを疑っているのね」
「そう、なんでしょうか?」
ユネスがめずらしく自信なさげに答えた。クロア以外にもカスバンが信用ならないものが、ここにあるらしい。
「そんな話より、とっとと準備に入りますか」
次にユネスは近くの試合観戦用の長椅子を指差した。そこには試合用の、刃の付いていない武器がずらりと置いてあった
「お帰りなさいませ」
衛兵が持ち場を離れてまで公女に声かけをする、という事態は慣例にない。この衛兵は見たところ年若い。経験の浅い者だと思ったクロアは「出迎えをありがとう」と礼を述べる。
「けれど、わざわざわたしにあいさつをしにこなくてもいいのよ」
「カスバン殿からクロア様に言づてがありましたので──」
「あら、なにかしら?」
クロアは衛兵の伝言に傾聴した。その内容はきっと戦士採用に関係することだと予想できた。
「第三訓練場にて、挑戦者と試験官を競わせるそうです」
「そこへ行けばいいのね」
「もう挑戦者を見つけられたのですか?」
言うと衛兵の視線は馬車から出てくる少年に注がれた。注目に気付いたティオはうんうんうなずく。
「オレは弓使いなんだけど、どう競うんだ?」
ティオはここでも他者に気さくに話しかけている。これから実施する試験に対する緊張をただよわせていなかった。
衛兵は兜をかぶった頭を左右に振る。
「そこまでは存じておりません」
「そっか。んじゃその訓練場ってとこに行くよ」
ティオはクロアを見た。クロアが案内してくれるという期待を持っているようだ。
「そうね、行きましょう」
「あの、失礼ですが……」
衛兵はクロアの持つカゴに着目する。
「そちらのお荷物は、持ち歩かれるのですか?」
「え? ああ、これはわたしの部屋に置きたいものなの」
「手が空いている者をつかまえて、お部屋まで届けさせましょうか?」
「そうよね……お願いするわ」
クロアはいまの自分に無用なカゴを衛兵に渡した。その際にこのカゴに必要とする物を連想する。
「あ、そうだわ。敷物とか毛布も……」
「お部屋に運ぶのですか?」
「屋敷に余っている布類を探してほしいの。この招獣の寝床に使うのよ」
クロアは自分の背に張り付くベニトラを衛兵に見せる。
「そのカゴに敷物を詰めるつもり。でもなかったら無いでいいわ。そんなふうにカゴを運ぶ者に伝えてちょうだい」
「承知しました」
衛兵は一礼し、屋内へ向かった。カゴの処遇が片付いたクロアはレジィに振り向く。
「レジィ、ついて来てちょうだい」
「はい、第三……ですもんね」
レジィが意味深に答えるので、ティオは「なにをするところだ?」と怪訝そうにたずねた。訓練場への移動中、レジィが説明する。
「簡単に言うと、一対一で模擬試合をする場所です」
「矢を……人に向けて撃つのか?」
ティオは痛ましい表情をつくる。
「当たり所がわるかったらどうする?」
「本物の矢は使いません。当たってもあまり痛くない矢があるんです」
「痛くないんなら、どうやって勝敗を決めるんだ?」
「それは……体に命中した部位や早撃ちで判断するんだと思います。あたしが観戦できた術士同士の試合は、そんな感じでした」
「弓士同士は見たことないんだな」
「弓の腕を競うときはたぶん、射場の的当てをするから……」
「フツーはそうだよな。人をねらって矢を撃ちあうなんて、やったことない」
ティオから合格を勝ち取る自信が薄れてきた。いままでの会話において、彼の心の余裕は的を正確に射る練習によって培われたのだとわかる。それをいきなり、予測不能にうごく対象を、かつ自分に攻撃を仕掛けてくる者を、相手にするのだ。この試験内容では少年の経験不足が露呈するさまが容易に想像がつく。クロアは好ましくない結果を迎える覚悟をしておいた。
クロアたちは網目状の柵で囲まれた一画にやってきた。柵の高さは一丈(三メートル)近く、縦は五丈、横は十丈の幅がある。人が出入りする部分には柵がなく、扉となる遮蔽物もない。あるのは柵と柵の間に掛けられる鎖だけ。その鎖が柵の片側に引っ掛かった状態で、地面に垂れ下がっている。
鎖のそばに、革鎧を着た男性が待ちぼうけていた。木剣を肩にのせた、色黒の三十歳くらいの戦士。彼は隣国出身の元傭兵だ。怪我が原因で傭兵業をやめ、このアンペレで戦いのない仕事を探しにきた過去がある。本人は平和的な仕事に就くつもりだったはずが、現在は武官として従事している。そうなった要因は、彼が剣以外の戦いの素質を有していたことにある。
「ユネス、あなたが試験官を務めるの?」
「そうですよ。ボーゼン将軍の言いつけでね」
ボーゼンとはアンペレで最高位に就く武官だ。彼は代々アンペレに仕える武家の出身であり、その一族は武才に秀でる。人材の発掘にも精を出しており、戦士生命を絶たれたユネスに新たな戦い方を提示したのも彼だ。そんなボーゼンこそ、新人の発掘に向いていそうなのだが。
「ボーゼンが試験官ではないのね」
「はい。カスバン殿は将軍にやってもらいたかったようですが、将軍は年齢を理由に辞退されましてね。おれに役がまわってきたわけです」
ボーゼンは五十代のなかば。並みの人間では白兵戦に自信がなくなっていく年齢ではある。だが本当の理由は別のところにありそうだ。
「ボーゼンが新人に負けたら、将軍の威信がへってしまうもの。ユネスならワケありだし、負けても平気ってことなのかしら」
「まあそんなところです」
ユネスは服の隠袋(かくし)から半透明な宝石を取り出した。それはこの場にいない相手との遠隔会話を果たす術具である。物によって連絡をとれる範囲は異なる。彼が持っているものは屋敷や官舎内での通話に用いる種類だ。
「これから挑戦者の力試しにとりかかります。見たけりゃどーぞ」
だれ宛てなのか、この一言では推察できない。クロアはユネスの石を持つ手が下がったのを見計らい、「だれと話してたの?」とたずねた。ユネスは肩をすくめる。
「将軍と同格の御仁ですよ」
「カスバンが、見物しにくるの?」
「そうみたいですね。きっと不正がないようにしたいんでしょう」
「あの爺はまーたわたしのことを疑っているのね」
「そう、なんでしょうか?」
ユネスがめずらしく自信なさげに答えた。クロア以外にもカスバンが信用ならないものが、ここにあるらしい。
「そんな話より、とっとと準備に入りますか」
次にユネスは近くの試合観戦用の長椅子を指差した。そこには試合用の、刃の付いていない武器がずらりと置いてあった
タグ:クロア
2019年02月09日
クロア篇−3章7
クロアたちは馬車へ乗った。クロアは荷物の隣りに座り、クロアの対面にティオがいて、その隣りにレジィが座った。レジィが抱いていた二匹の鼬は車内で解放される。鼬たちは互いの招術士の間でころげまわった──とクロアは思ったが、ティオが招術士だという確証がないことに気付く。
「この茶色いイタチは、ティオさんの招獣?」
「ああ、ドナっていう名前なんだ」
「女の子みたいな名前ですわね」
「そう、メスだよ。レジィの招獣はオスだし、そのおかげですぐに打ち解けたのかもな」
ティオはクロアの身分を知ってなお、同世代の知人のような態度でいる。クロアは自分を対等な存在に見られる分には不快を感じないので、そのままにした。
「しっかし、公女さまが兵士の勧誘をしにくるとは思わなかったなぁ」
「わたくしも正直おどろいておりますの。いままで外出に制限がかかっていたものですから」
「そうだよな? 公女が外出するっていったら、悪者退治をするときばっかだって」
「ええ、その認識でだいたい合っていますわ」
「今日の外出も賊を退治する関係で、公女さま直々にやってるのか?」
「そのとおりですわ」
「そんくらいはほかの役人がやってもよくないか?」
ティオが至極正当な意見を言う。なにかと戦う役目はクロアでなくては失敗に終わることがあっても、人材の確保はちがう。公女以外の者でも遂行できる仕事だ。
「公女さまが直接やらなきゃいけないほど、人手がいろいろと足りないのか?」
「勧誘くらいは人員を割けるはずですわ。けれど一部の高官が賊の掃討に難色を示していますの。交渉の結果、わたしが戦士を集めて、その高官が試験を課すことになりました」
ティオは口をとがらせ、不満をあらわにする。
「わるいやつらを懲らしめちゃいけねえのか?」
「騒ぎが大きくなるまでは様子を見る、ということらしいのです」
「最初に被害に遭うやつがどうなると思ってんだ。物は盗られて、ケガさせられるっていうのに」
「出兵を渋るのにも事情がありまして……それはそうと、ティオさんのことをうかがってもよろしいかしら?」
「ん? なに?」
少年はころっと表情を変え、真顔でクロアを見つめてきた。クロアはティオとの会話をしていく中で、生じてきた疑問を告げる。
「あなたは官吏登用試験に参加なさらなかったの?」
アンペレでは年に二度、大々的な官吏の募集をかける。冬から春にかけた時期に文官、春が始まる時期に武官を一斉に登用するのだ。文官は行政を担う一般文官以外にも、学官や医官などの業種を分けて試験を行なう。一方、武官は一律一兵卒から始まり、基礎的な修練をこなした後で個々の適性と希望を考慮した配属に変わる。募集資格には年齢の下限も上限もない。それは種族によって成熟の早さ、寿命の長さが異なることを考慮しているためだ。
実家がアンペレの工房にあるティオは毎年挑戦の機会があった。ティオはしょぼくれた様子で、足元に置いた弓矢を見る。
「親が許してくれないんだ」
「どうしてです?」
「口すっぱく言うんだよ。『兵士になったら痛い思いをするだろう、運が悪けりゃ死んじまうだろう。そうまでして金を稼ぐ理由があるのか』ってね」
工房の主が言うと説得力のある主張だ。安定した稼業が手近にあるのに、ほかの仕事に手を出すのは理解しがたいだろう。まして命の危険が及ぶ職種ではなおさらだ。ティオへの反対意見はアンペレ住民の総意とも言える。それゆえこの町では兵士が足りなくなるのだ。
「それは正論なのでしょうね。この町の武官職は不人気ですもの」
「でも、だれかがやらなきゃいけない仕事だろ?」
「はい、必要としていますわ」
「戦う能力がオレに足りてないならあきらめはつくよ。まだためしてもいないのにダメだと言われるんじゃ、納得いかない」
ティオは一時的な傭兵の仕事だけで満足する少年ではなさそうだ。永続的な従事を希望しているようにクロアは見受ける。
「……ティオさんは、正規の武官になりたいと思っていらっしゃる?」
「ああ、親が認めてくれたらね」
言ってティオが「あ、そうだ」となにかひらめく。
「『公女さまにたのまれて兵士になるんだ』と言えばいいのか」
「わたしのおねがいで?」
「そうだよ、武芸達者な公女さまがオレを見つけてくれたっていうなら、親もだまるさ」
ティオの見解はまちがいではない。クロアはたしかに組合でこの少年を戦士として見い出した。だが実際にあった出来事の順番は多少前後している。
「最初に傭兵の話を持ちかけたのはレジィですけどね」
レジィは黄色い鼬を両手で持ち上げる。
「マルくんが声をかけるきっかけだったんですよ」
「そうだったわ、そのイタチがまっさきに駆けていったのよね」
女性二人が事実を修正していく。ティオは自分に都合のよい誤認をしていたと婉曲的に言われ、少々むくれる。
「じゃあなんだ、オレはイタチの縁で兵士になったと言えってか?」
彼は自身の膝の上に伸びてきた茶色の鼬をつついた。クロアはふふっと笑う。
「冗談ですわ。イタチとレジィがいなくても、わたしはティオさんにお声をかけるつもりでしたもの」
「べつの人を誘ったあとで?」
クロアはティオの言葉の意味がわからなかった。ティオは「男の人と話してただろ?」と言う。
「体の大きい人だったな。あの人には傭兵の話をしたのか?」
クロアはようやく自分が勧誘に失敗した一件を思い出す。
「そういえばわたし、薬草採取を依頼しにきていた男性と話してたわ」
「あの人さっさと行っちゃったし、ダメだったみたいだけど」
「ええ、断られてしまいましたわ。仕方ありませんわね、あの方は戦いがお好きではないようでしたもの」
「戦いが好きな人は薬士(くすりし)をやらなさそうだしなー」
クロアは半魔の男性との会話を想起してみた。その内容は募兵に関するやり取りのみ記憶にのこる。彼の去り際の勧告はもう頭から消えていた。
「この茶色いイタチは、ティオさんの招獣?」
「ああ、ドナっていう名前なんだ」
「女の子みたいな名前ですわね」
「そう、メスだよ。レジィの招獣はオスだし、そのおかげですぐに打ち解けたのかもな」
ティオはクロアの身分を知ってなお、同世代の知人のような態度でいる。クロアは自分を対等な存在に見られる分には不快を感じないので、そのままにした。
「しっかし、公女さまが兵士の勧誘をしにくるとは思わなかったなぁ」
「わたくしも正直おどろいておりますの。いままで外出に制限がかかっていたものですから」
「そうだよな? 公女が外出するっていったら、悪者退治をするときばっかだって」
「ええ、その認識でだいたい合っていますわ」
「今日の外出も賊を退治する関係で、公女さま直々にやってるのか?」
「そのとおりですわ」
「そんくらいはほかの役人がやってもよくないか?」
ティオが至極正当な意見を言う。なにかと戦う役目はクロアでなくては失敗に終わることがあっても、人材の確保はちがう。公女以外の者でも遂行できる仕事だ。
「公女さまが直接やらなきゃいけないほど、人手がいろいろと足りないのか?」
「勧誘くらいは人員を割けるはずですわ。けれど一部の高官が賊の掃討に難色を示していますの。交渉の結果、わたしが戦士を集めて、その高官が試験を課すことになりました」
ティオは口をとがらせ、不満をあらわにする。
「わるいやつらを懲らしめちゃいけねえのか?」
「騒ぎが大きくなるまでは様子を見る、ということらしいのです」
「最初に被害に遭うやつがどうなると思ってんだ。物は盗られて、ケガさせられるっていうのに」
「出兵を渋るのにも事情がありまして……それはそうと、ティオさんのことをうかがってもよろしいかしら?」
「ん? なに?」
少年はころっと表情を変え、真顔でクロアを見つめてきた。クロアはティオとの会話をしていく中で、生じてきた疑問を告げる。
「あなたは官吏登用試験に参加なさらなかったの?」
アンペレでは年に二度、大々的な官吏の募集をかける。冬から春にかけた時期に文官、春が始まる時期に武官を一斉に登用するのだ。文官は行政を担う一般文官以外にも、学官や医官などの業種を分けて試験を行なう。一方、武官は一律一兵卒から始まり、基礎的な修練をこなした後で個々の適性と希望を考慮した配属に変わる。募集資格には年齢の下限も上限もない。それは種族によって成熟の早さ、寿命の長さが異なることを考慮しているためだ。
実家がアンペレの工房にあるティオは毎年挑戦の機会があった。ティオはしょぼくれた様子で、足元に置いた弓矢を見る。
「親が許してくれないんだ」
「どうしてです?」
「口すっぱく言うんだよ。『兵士になったら痛い思いをするだろう、運が悪けりゃ死んじまうだろう。そうまでして金を稼ぐ理由があるのか』ってね」
工房の主が言うと説得力のある主張だ。安定した稼業が手近にあるのに、ほかの仕事に手を出すのは理解しがたいだろう。まして命の危険が及ぶ職種ではなおさらだ。ティオへの反対意見はアンペレ住民の総意とも言える。それゆえこの町では兵士が足りなくなるのだ。
「それは正論なのでしょうね。この町の武官職は不人気ですもの」
「でも、だれかがやらなきゃいけない仕事だろ?」
「はい、必要としていますわ」
「戦う能力がオレに足りてないならあきらめはつくよ。まだためしてもいないのにダメだと言われるんじゃ、納得いかない」
ティオは一時的な傭兵の仕事だけで満足する少年ではなさそうだ。永続的な従事を希望しているようにクロアは見受ける。
「……ティオさんは、正規の武官になりたいと思っていらっしゃる?」
「ああ、親が認めてくれたらね」
言ってティオが「あ、そうだ」となにかひらめく。
「『公女さまにたのまれて兵士になるんだ』と言えばいいのか」
「わたしのおねがいで?」
「そうだよ、武芸達者な公女さまがオレを見つけてくれたっていうなら、親もだまるさ」
ティオの見解はまちがいではない。クロアはたしかに組合でこの少年を戦士として見い出した。だが実際にあった出来事の順番は多少前後している。
「最初に傭兵の話を持ちかけたのはレジィですけどね」
レジィは黄色い鼬を両手で持ち上げる。
「マルくんが声をかけるきっかけだったんですよ」
「そうだったわ、そのイタチがまっさきに駆けていったのよね」
女性二人が事実を修正していく。ティオは自分に都合のよい誤認をしていたと婉曲的に言われ、少々むくれる。
「じゃあなんだ、オレはイタチの縁で兵士になったと言えってか?」
彼は自身の膝の上に伸びてきた茶色の鼬をつついた。クロアはふふっと笑う。
「冗談ですわ。イタチとレジィがいなくても、わたしはティオさんにお声をかけるつもりでしたもの」
「べつの人を誘ったあとで?」
クロアはティオの言葉の意味がわからなかった。ティオは「男の人と話してただろ?」と言う。
「体の大きい人だったな。あの人には傭兵の話をしたのか?」
クロアはようやく自分が勧誘に失敗した一件を思い出す。
「そういえばわたし、薬草採取を依頼しにきていた男性と話してたわ」
「あの人さっさと行っちゃったし、ダメだったみたいだけど」
「ええ、断られてしまいましたわ。仕方ありませんわね、あの方は戦いがお好きではないようでしたもの」
「戦いが好きな人は薬士(くすりし)をやらなさそうだしなー」
クロアは半魔の男性との会話を想起してみた。その内容は募兵に関するやり取りのみ記憶にのこる。彼の去り際の勧告はもう頭から消えていた。
タグ:クロア