新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2019年02月01日
クロア篇−3章2
店員は招獣用の首輪の棚へクロアたちを案内した。首輪は陳列棚に並ぶものもあれば、鍵付きの透明な戸棚に展示されたものもある。厳重な管理をされた商品のほうは高級な装飾品のごとき待遇だ。その棚を店員が開けた。彼は大粒の淡黄色の宝石がついた帯を取り出す。
「これがおすすめの、伸縮自在の首輪です」
クロアに見せたのち、帯を幼獣形態のベニトラの首に装着する。
「ちゃんと首輪が大きくなるか、こっちで試してみますか」
彼は商品棚同士の間隔が広い場所へ移動した。クロアはベニトラの本当の姿がどれだけ大きいのか覚えていない。念のため、外に出たほうがいいのではないかと思った。が、それはそれで大騒ぎになる。それゆえ店員の指示にしたがった。
クロアは広めな通路にてベニトラの変化を解除させた。ベニトラは一時的に本来の大きさにもどる。その際に店員はベニトラの正体をわかっていながら、おののいてしまった。昨日まで凶悪な魔獣でいた者の姿が、そこにあるせいだ。ベニトラは自身が周囲に畏怖を与える存在だとわかってか、その場に静止した。
ベニトラの首輪は分厚い毛皮の奥に見え隠れしている。クロアはベニトラの首元をさぐった。暖かい毛にまぎれて、首輪の感触をとらえた。その首輪の下に指を入れてみる。密集した毛を押さえれば指が二、三本ほど入る余裕があった。
「これくらいがちょうどいいのかしら。首輪の着け心地はどう?」
「不都合は無し」
「そう。じゃあ首輪を買う方向でいくわよ」
ベニトラの返答はない。おそらくは了承の態度だ。クロアはほかの首輪もいくつか試着してみようと思い、ベニトラの首輪を外そうとした。
「あ、それが一番いいやつなんですよ」
店員はクロアの行動を引き止めにかかる。
「その首輪は長さを変えるだけじゃないんです。術の耐性を高める術具でもあります」
「術の耐性? 術が効きにくくなるということ?」
「そうです。その魔獣がまた同じような凶暴化の術をかけられても、耐えられるということです」
「ふーん、それはよい性能かもしれませんわね」
クロアがそう言うと店員はにっこり笑った。彼はそれきりなにも言わない。実際に術を無効化できるか、という実験はやらないようだ。
(まあ、この人が術士じゃないのなら試しようがないわ)
クロアは術が不得意。レジィも療術以外はさほど得意とは言えない。かろうじてレジィの招獣が術による雷撃を使える程度だ。ただしその術をベニトラにぶつけたとしても、ベニトラ自身の防御力が高ければ道具の効果は計測できない。
(あとは見た目と値段で決めるしかないわ)
クロアはベニトラからすこし距離を置いた。獣と首輪の全体像を正面から見る。朱色の毛皮と、淡黄色の宝石が付いた首輪。この取り合わせは色彩的に問題がないように感じる。
「んー、色はまあまあかしら」
店員は困り顔で「色なんて些細なことを!」と言い出す。
「また変な術のせいで暴れるかどうかってことが重要じゃあないんですか」
「あなたの主張なさることはわかります。けれど、見た目も気に入ってこそ道具は長く使えるのですわ」
店員はクロアの好み次第で推奨商品が買われなくなると知った途端、慌てはじめた。棚にある商品をさぐり、ひとつ持ってくる。固形の薬がつまった小瓶のようだ。
「これ、疲れた招獣の回復に効く薬です。首輪を買ってくださればおまけしますよ!」
「回復薬……使う機会はあるでしょうね。でも──」
苦い薬の服用はだれしも嫌がるもの。そんな考えからクロアはベニトラの顔をうかがう。
「もっと食べやすいものがいいかしら?」
朱色の猛獣は頭をかしげ、なにも言わなかった。すると店員はまた別の商品を取ってくる。
「お菓子感覚で食べられるものもあります。これもお付けしましょう」
「それはありがたいのですけど……」
クロアはさっきから見せつけてくる店員の情熱に困惑する。
「なぜわたくしにこの首輪を買わせようとなさるの?」
店員が口ごもった。そのうえ視線が泳いでいる。彼の態度の裏にはなにかやましいことがありそうだ、とクロアは怪しむ。
「うまいことを言って、ほんとーは伸び縮みするだけの首輪なんじゃなくて?」
「ちがいます! 術効果を弱めるのは本当です」
「ではどうして?」
「買い手がつかないんですよ。値が張るし、クセが強くて……」
「クセ?」
術具にクセというものがあるのか、クロアは知らなかった。この場でもっとも術に長けているであろうレジィの顔を見たところ、彼女もきょとんとしていた。
店員は言いにくそうに「長所に欠点があるんです」と不可解な説明をする。
「混乱したり、ねむくなったりする術が効かなくなるのはいいんですが、効いてほしい術も効き目が悪くなります。たとえば招獣がケガをしたとき、療術をかけると──」
「治りがわるくなるんですね?」
レジィが店員の説明をいちはやく理解した。店員が後ろめたい気持ちが吹っ切れたように深呼吸する。
「はー、おっしゃるとおりで」
「それは使いにくそうですね……」
レジィが商品の短所を明言してしまうと、店員は落ち込んだ。商品購入の決定者たるクロアは単純な克服策を思いつく。
「ケガを治療するときは首輪を外せばよろしいのね?」
店員はうなずいて「ええ、そういうことです」と答える。
「めんどくさいと思いますけどね」
「『クセが強い』の意味はわかりましたわ。ところで『値が張る』というお値段はいかほどですの?」
「お代は八万ほど……」
え、と声をあげたのはレジィだった。一般家庭の金銭感覚をもつ彼女が驚くのだから、世間一般的にはかなりの高額なのだとクロアは察する。
「いまの手持ちで、足りる?」
「あ、はい……それはだいじょうぶです」
レジィは自身の腰に提げた鞄に触れた。その中にはクロアの私用の財布が入っている。今日の外出目的は招獣専門店での買い物と、強い戦士の勧誘。この二つを達成するには多額のお金が必要になるかもしれない──そう思ったクロアが外出前、余分にお金を持っていくようレジィに言いつけた。その総額が十万だったとクロアはなんとなくおぼえている。
「ちょっと聞くけど、レジィは八万のお金があったらなにができる?」
「えっと……うちの家族が二ヶ月くらい暮らせますかね」
「二ヶ月分の生活費……首輪一個にしちゃ法外な額ね」
店員が「法外なもんですか」と反論する。
「いい術具はそれぐらいしますとも」
「あなた、『クセが強い』売れ残りの品物を『いい術具』とくらべますの?」
クロアがツッコむと店員はうらめしげににらんでくる。
「そんなことをおっしゃっても……本当に高かったんですよ」
「それはわかりますわ。術具の効果が付け足された首輪に価値を見出して、高い仕入れ値で引き取ってしまったのでしょ」
「ええ、まあ……こんなに不評ならもっと値切ればよかったですよ」
首輪に余計な効果があるせいで、逆に商品の価値を落とすことになるとは。不幸な現実だ。
(術具性能のない、伸びる首輪だったら価格はどうなるのかしら?)
術具でなければ価格は落ちるはず。クロアはその相場を知っているはずのレジィにたずねる。
「レジィのその招獣、大きさが変わる首輪を着けているんだったわね?」
「はい、マルくんの首輪はそうです。ほかはなんにも特徴がないですけど」
少女は自分の肩に乗る鼬のあごの下をなでた。
「その首輪はいくら──」
問いをさえぎるようにして店員が「わかりました!」と叫ぶ。
「もー、値引きしますよ! 売れ残りが捌(は)ければいい!」
店員は勘定台の定位置にもどり、そこで帳簿を開いた。商品の原価を確認するのだろう。クロアは意図せず店員に負い目を感じさせてしまったことを反省する。
(やけっぱちにさせてしまったようね)
このまま店に金銭的な負担をかけたくはなかった。クロア自身はお金を出し惜しむつもりはない。支払えるものはきちんと払ってこそ、健全な経済が成り立つのだとどこかで教わった。
(どうせなら値引きじゃなくて、なにかオマケしてもらったら……)
クロアは頭に引っ掛かりをおぼえた。なんらかの、他人に依頼したいことがあった、という記憶の残骸がある。
(ほかに、ベニトラに必要なこと……?)
クロアは投資する対象に目を向けた。店内の通路を占領していた猛獣が、徐々に小さくなっていく。最終的な姿は成猫と同じ大きさになる。そしてその場で丸まった。まるで入眠するかのような姿勢を見て、クロアはやっと記憶の本体を探りあてる。
(ああ、この子の寝床を用意したいんだったわ)
その要求が店員に通るか、ためしにクロアは話しかけた。
「これがおすすめの、伸縮自在の首輪です」
クロアに見せたのち、帯を幼獣形態のベニトラの首に装着する。
「ちゃんと首輪が大きくなるか、こっちで試してみますか」
彼は商品棚同士の間隔が広い場所へ移動した。クロアはベニトラの本当の姿がどれだけ大きいのか覚えていない。念のため、外に出たほうがいいのではないかと思った。が、それはそれで大騒ぎになる。それゆえ店員の指示にしたがった。
クロアは広めな通路にてベニトラの変化を解除させた。ベニトラは一時的に本来の大きさにもどる。その際に店員はベニトラの正体をわかっていながら、おののいてしまった。昨日まで凶悪な魔獣でいた者の姿が、そこにあるせいだ。ベニトラは自身が周囲に畏怖を与える存在だとわかってか、その場に静止した。
ベニトラの首輪は分厚い毛皮の奥に見え隠れしている。クロアはベニトラの首元をさぐった。暖かい毛にまぎれて、首輪の感触をとらえた。その首輪の下に指を入れてみる。密集した毛を押さえれば指が二、三本ほど入る余裕があった。
「これくらいがちょうどいいのかしら。首輪の着け心地はどう?」
「不都合は無し」
「そう。じゃあ首輪を買う方向でいくわよ」
ベニトラの返答はない。おそらくは了承の態度だ。クロアはほかの首輪もいくつか試着してみようと思い、ベニトラの首輪を外そうとした。
「あ、それが一番いいやつなんですよ」
店員はクロアの行動を引き止めにかかる。
「その首輪は長さを変えるだけじゃないんです。術の耐性を高める術具でもあります」
「術の耐性? 術が効きにくくなるということ?」
「そうです。その魔獣がまた同じような凶暴化の術をかけられても、耐えられるということです」
「ふーん、それはよい性能かもしれませんわね」
クロアがそう言うと店員はにっこり笑った。彼はそれきりなにも言わない。実際に術を無効化できるか、という実験はやらないようだ。
(まあ、この人が術士じゃないのなら試しようがないわ)
クロアは術が不得意。レジィも療術以外はさほど得意とは言えない。かろうじてレジィの招獣が術による雷撃を使える程度だ。ただしその術をベニトラにぶつけたとしても、ベニトラ自身の防御力が高ければ道具の効果は計測できない。
(あとは見た目と値段で決めるしかないわ)
クロアはベニトラからすこし距離を置いた。獣と首輪の全体像を正面から見る。朱色の毛皮と、淡黄色の宝石が付いた首輪。この取り合わせは色彩的に問題がないように感じる。
「んー、色はまあまあかしら」
店員は困り顔で「色なんて些細なことを!」と言い出す。
「また変な術のせいで暴れるかどうかってことが重要じゃあないんですか」
「あなたの主張なさることはわかります。けれど、見た目も気に入ってこそ道具は長く使えるのですわ」
店員はクロアの好み次第で推奨商品が買われなくなると知った途端、慌てはじめた。棚にある商品をさぐり、ひとつ持ってくる。固形の薬がつまった小瓶のようだ。
「これ、疲れた招獣の回復に効く薬です。首輪を買ってくださればおまけしますよ!」
「回復薬……使う機会はあるでしょうね。でも──」
苦い薬の服用はだれしも嫌がるもの。そんな考えからクロアはベニトラの顔をうかがう。
「もっと食べやすいものがいいかしら?」
朱色の猛獣は頭をかしげ、なにも言わなかった。すると店員はまた別の商品を取ってくる。
「お菓子感覚で食べられるものもあります。これもお付けしましょう」
「それはありがたいのですけど……」
クロアはさっきから見せつけてくる店員の情熱に困惑する。
「なぜわたくしにこの首輪を買わせようとなさるの?」
店員が口ごもった。そのうえ視線が泳いでいる。彼の態度の裏にはなにかやましいことがありそうだ、とクロアは怪しむ。
「うまいことを言って、ほんとーは伸び縮みするだけの首輪なんじゃなくて?」
「ちがいます! 術効果を弱めるのは本当です」
「ではどうして?」
「買い手がつかないんですよ。値が張るし、クセが強くて……」
「クセ?」
術具にクセというものがあるのか、クロアは知らなかった。この場でもっとも術に長けているであろうレジィの顔を見たところ、彼女もきょとんとしていた。
店員は言いにくそうに「長所に欠点があるんです」と不可解な説明をする。
「混乱したり、ねむくなったりする術が効かなくなるのはいいんですが、効いてほしい術も効き目が悪くなります。たとえば招獣がケガをしたとき、療術をかけると──」
「治りがわるくなるんですね?」
レジィが店員の説明をいちはやく理解した。店員が後ろめたい気持ちが吹っ切れたように深呼吸する。
「はー、おっしゃるとおりで」
「それは使いにくそうですね……」
レジィが商品の短所を明言してしまうと、店員は落ち込んだ。商品購入の決定者たるクロアは単純な克服策を思いつく。
「ケガを治療するときは首輪を外せばよろしいのね?」
店員はうなずいて「ええ、そういうことです」と答える。
「めんどくさいと思いますけどね」
「『クセが強い』の意味はわかりましたわ。ところで『値が張る』というお値段はいかほどですの?」
「お代は八万ほど……」
え、と声をあげたのはレジィだった。一般家庭の金銭感覚をもつ彼女が驚くのだから、世間一般的にはかなりの高額なのだとクロアは察する。
「いまの手持ちで、足りる?」
「あ、はい……それはだいじょうぶです」
レジィは自身の腰に提げた鞄に触れた。その中にはクロアの私用の財布が入っている。今日の外出目的は招獣専門店での買い物と、強い戦士の勧誘。この二つを達成するには多額のお金が必要になるかもしれない──そう思ったクロアが外出前、余分にお金を持っていくようレジィに言いつけた。その総額が十万だったとクロアはなんとなくおぼえている。
「ちょっと聞くけど、レジィは八万のお金があったらなにができる?」
「えっと……うちの家族が二ヶ月くらい暮らせますかね」
「二ヶ月分の生活費……首輪一個にしちゃ法外な額ね」
店員が「法外なもんですか」と反論する。
「いい術具はそれぐらいしますとも」
「あなた、『クセが強い』売れ残りの品物を『いい術具』とくらべますの?」
クロアがツッコむと店員はうらめしげににらんでくる。
「そんなことをおっしゃっても……本当に高かったんですよ」
「それはわかりますわ。術具の効果が付け足された首輪に価値を見出して、高い仕入れ値で引き取ってしまったのでしょ」
「ええ、まあ……こんなに不評ならもっと値切ればよかったですよ」
首輪に余計な効果があるせいで、逆に商品の価値を落とすことになるとは。不幸な現実だ。
(術具性能のない、伸びる首輪だったら価格はどうなるのかしら?)
術具でなければ価格は落ちるはず。クロアはその相場を知っているはずのレジィにたずねる。
「レジィのその招獣、大きさが変わる首輪を着けているんだったわね?」
「はい、マルくんの首輪はそうです。ほかはなんにも特徴がないですけど」
少女は自分の肩に乗る鼬のあごの下をなでた。
「その首輪はいくら──」
問いをさえぎるようにして店員が「わかりました!」と叫ぶ。
「もー、値引きしますよ! 売れ残りが捌(は)ければいい!」
店員は勘定台の定位置にもどり、そこで帳簿を開いた。商品の原価を確認するのだろう。クロアは意図せず店員に負い目を感じさせてしまったことを反省する。
(やけっぱちにさせてしまったようね)
このまま店に金銭的な負担をかけたくはなかった。クロア自身はお金を出し惜しむつもりはない。支払えるものはきちんと払ってこそ、健全な経済が成り立つのだとどこかで教わった。
(どうせなら値引きじゃなくて、なにかオマケしてもらったら……)
クロアは頭に引っ掛かりをおぼえた。なんらかの、他人に依頼したいことがあった、という記憶の残骸がある。
(ほかに、ベニトラに必要なこと……?)
クロアは投資する対象に目を向けた。店内の通路を占領していた猛獣が、徐々に小さくなっていく。最終的な姿は成猫と同じ大きさになる。そしてその場で丸まった。まるで入眠するかのような姿勢を見て、クロアはやっと記憶の本体を探りあてる。
(ああ、この子の寝床を用意したいんだったわ)
その要求が店員に通るか、ためしにクロアは話しかけた。
タグ:クロア
2019年01月30日
クロア篇−3章1
クロアはベニトラをぬいぐるみのように抱きかかえ、招獣の専門店へ入った。店内の戸棚に装飾品や薬などの商品が陳列してある。だが生物の姿は見えない。クロアは招獣の店には招獣もいるものだと想像していた。
「招獣は取りあつかっていないのね」
「あ、売り子さんの後ろにいますよ」
鼬を肩に乗せたレジィが勘定台の奥を指差した。勘定台では帳面になにかを書き付けるヒゲの中年男性がいる。その背後には檻に入った猫や鳥などが並んでいた。
「飛馬はいないのかしら。そういう飛獣は人気があるはずでしょ」
中年の男性が手を止めた。無愛想に「飛獣が御入り用で?」と聞いてくる。クロアは見ず知らずの他人用の、丁寧な対応に切り替える。
「いえ、いるかどうか気になるのですわ」
「店の後ろにいますよ。買ってくれる客には見せますがね」
「そうでしたの。では遠慮しますわ」
疑問を解決したクロアは商品の見物をはじめる。ここはこれまで訪れる機会のなかった店だ。好奇心を大いに刺激された。購入予定になかった物品にも注目し、手にとる。
「術を使用する招獣向けの精気回復薬……こんなものもあるのね」
瓶詰の丸薬から普通の焼き菓子にしか見えぬものまで、種類はさまざまだ。
「ベニーくんに要りますかね?」
ベニーとはベニトラの愛称だ。ベニトラの名はこの地域では馴染みの薄い音ゆえに、呼びやすい名前をレジィが付けた。ベニトラ自身に了解をとっていないが、別段不服はないようだ。本名と愛称のどちらで呼んでも、ベニトラは尻尾を揺らした。クロアがベニトラに「どう?」と聞くと、垂れていた尻尾が上がる。
「余財はあるのか?」
「ちゃんとあるわ」
「ならばひととおり食してみたい」
「ええ、よくてよ」
突然、店内で騒がしい音が鳴った。勘定台の店員が椅子を倒したらしい。椅子から立ち上がった店員はベニトラを凝視する。
「そ、の赤毛の猫……話せるんですかい?」
「そうですけど、そんなに驚くことですの?」
「いや、その……町を荒らしてた魔獣も、同じ毛色でしたね?」
「同じ子ですわ」
店員はおびえ、勘定台の後方へ倒れた。クロアたちはすぐさま勘定台に寄りかかり、店員の容態を確かめる。痛がる店員のそばに椅子が転がっていた。倒した椅子に足が引っ掛かったようだ。
「あのう、おケガはありませんか?」
レジィの声は店員に届いていなかった。彼は勘定台に座る朱色の猫に一点集中する。ベニトラは悠長に自身の胸をなめていた。
「ひ、人喰いの魔獣!」
「人喰い? 死者は出なかったと聞きましたけれど」
クロアはレジィと顔を見合わせた。二人とも、魔獣の被害に遭った現場には立ちあっていない。そのため実際の状況は把握していなかった。レジィは「治療にあたった医官によると……」と伝聞を思い出す。
「お腹を噛まれたまま振り回された人がいたらしいです。そのことを『人喰い』と言ってるんでしょうか?」
「それだけじゃない!」
男性店員が怯えたまま凄む。
「首を噛まれたり土手っ腹に爪が刺さったり、悲惨だった! そんなむごいことをしでかした魔獣を、よく連れて歩けるな!」
店員が剣突くをくらわせてくるが、クロアは冷静に首を横にふる。
「あれはこの子の意思でやったことじゃありませんわ」
「信じられんな。そいつは『人間が憎い』と言っていたそうじゃないか」
クロアの予期しない情報だ。「本当?」と不幸な加害者に問う。問われた獣は毛づくろいを止めた。こっくりうなずく。肯定の態度だと見たクロアは考えうる理由を挙げる。
「赤い石のせいで混乱して、そうしゃべったのでしょう?」
「いかにも。あの男への憤怒が転換されたとおぼしい」
店員は恐怖心が残る顔のまま、居住まいを正した。椅子に腰を下ろすが、その位置は勘定台から人一人分の距離がある。その距離が双方の心の遠さを意味した。
クロアはベニトラが脅威のない獣だと知らしめるため、その頭をぐりぐりなでる。
「わたくし、昨晩はこの子と一緒に寝ましたのよ」
就寝中のクロアは寝相でベニトラを苦しめた。それでもこの獣は寝台のすみで大人しくしていた。その我慢強さはベニトラに他者への思いやりがあることの証になる。
「一夜明かしてみて、無事に起きられましたもの。この子は自分から人を傷つけるような魔獣じゃありませんわ」
店員がしげしげとクロアの風貌に注目する。
「……あなたは公女様なのか? お付きの護衛と二人で魔獣を討ったっていう……」
「あら、いまお気づきになったの」
クロアは多くの住民が公女の姿を目にしたことがないとは知っていた。だが風貌の伝聞自体は広まっているものだと思っていた。
「わたくしの特徴をご存知なかったのね」
「いや、ま、特徴といえばいろいろ聞いていましたけど……想像とはちがったな、と」
「どんな特徴をお聞きになっていらしたの?」
クロアは自分の容姿が珍しいほうだと考えている。男性並みに身長があり、赤銅色の長い髪と、色香は母に劣れども肉感的な身体を持つ。加えるなら貴人らしい品格もあるだろう。これらを合わせもつ女性はありふれていないはずだ。
店員はクロアから目線を逸らした。あごのヒゲをいじって、なにかを考えている。
「その……髪の色が濃い赤だったり……」
「そういう人はわたくし以外にもいらっしゃるでしょうね。ほかには?」
「体が……」
「大きいでしょう?」
「熊みたいに大きくて粗暴だとか……」
熊を人にたとえる場合は通常、男性を指す。それも乱暴で荒々しい人に、だ。クロアは自己認識との乖離に憤慨する。
「なんてこと、わたしが粗雑な乱暴者ですって?」
店員は首を横にふるって「噂です、うわさ」と自分の発言に非がないことを強調した。無論クロアも目の前の男性を害するつもりはない。ただ自分が上品な立ち居振る舞いを心がけているのに、そうではない人と同じ見方をされたことに腹が立った。
ふぎゃっ、という鳴き声がクロアの手元から聞こえた。なでていたベニトラをうっかり手で押しつぶしたのだ。猫は腹ばいになっている。自由が利く尻尾でクロアの腕を叩いた。その尻尾攻撃に痛みは感じない。ただの抗議の態度だ。
「ごめんなさいね、つい力が入ってしまいましたわ」
クロアは猫の後頭部から尻までの毛先に手をすべらせた。その動作を何度かすると、ふさふさな尻尾の角度が下がる。尻尾は台の上を掃除するかのごとくうごいた。
店員がずずっと椅子を引きずり、接近する。
「……こうして見ると、大人しい猫みたいだな」
ベニトラの温柔さを店員が認める。彼は後方の売り物らしき黒猫や白猫を指して「あいつらのほうがよっぽど気性が荒かった」とつぶやく。
「で、公女様がうちになんのご用で?」
店員の顔にいくらか笑みが浮かんだ。クロアはさっそく本題に入る。
「この子に合う首輪をひとつ売っていただきたいのです。体型に合わせて伸縮する種類があると聞きましたわ」
「ああ、それなら……」
店員が勘定台の横に設置した自在扉を開けた。売り場へ出てくる。ベニトラに背を向けながら商品を紹介している。その姿には警戒心がなかった。
「招獣は取りあつかっていないのね」
「あ、売り子さんの後ろにいますよ」
鼬を肩に乗せたレジィが勘定台の奥を指差した。勘定台では帳面になにかを書き付けるヒゲの中年男性がいる。その背後には檻に入った猫や鳥などが並んでいた。
「飛馬はいないのかしら。そういう飛獣は人気があるはずでしょ」
中年の男性が手を止めた。無愛想に「飛獣が御入り用で?」と聞いてくる。クロアは見ず知らずの他人用の、丁寧な対応に切り替える。
「いえ、いるかどうか気になるのですわ」
「店の後ろにいますよ。買ってくれる客には見せますがね」
「そうでしたの。では遠慮しますわ」
疑問を解決したクロアは商品の見物をはじめる。ここはこれまで訪れる機会のなかった店だ。好奇心を大いに刺激された。購入予定になかった物品にも注目し、手にとる。
「術を使用する招獣向けの精気回復薬……こんなものもあるのね」
瓶詰の丸薬から普通の焼き菓子にしか見えぬものまで、種類はさまざまだ。
「ベニーくんに要りますかね?」
ベニーとはベニトラの愛称だ。ベニトラの名はこの地域では馴染みの薄い音ゆえに、呼びやすい名前をレジィが付けた。ベニトラ自身に了解をとっていないが、別段不服はないようだ。本名と愛称のどちらで呼んでも、ベニトラは尻尾を揺らした。クロアがベニトラに「どう?」と聞くと、垂れていた尻尾が上がる。
「余財はあるのか?」
「ちゃんとあるわ」
「ならばひととおり食してみたい」
「ええ、よくてよ」
突然、店内で騒がしい音が鳴った。勘定台の店員が椅子を倒したらしい。椅子から立ち上がった店員はベニトラを凝視する。
「そ、の赤毛の猫……話せるんですかい?」
「そうですけど、そんなに驚くことですの?」
「いや、その……町を荒らしてた魔獣も、同じ毛色でしたね?」
「同じ子ですわ」
店員はおびえ、勘定台の後方へ倒れた。クロアたちはすぐさま勘定台に寄りかかり、店員の容態を確かめる。痛がる店員のそばに椅子が転がっていた。倒した椅子に足が引っ掛かったようだ。
「あのう、おケガはありませんか?」
レジィの声は店員に届いていなかった。彼は勘定台に座る朱色の猫に一点集中する。ベニトラは悠長に自身の胸をなめていた。
「ひ、人喰いの魔獣!」
「人喰い? 死者は出なかったと聞きましたけれど」
クロアはレジィと顔を見合わせた。二人とも、魔獣の被害に遭った現場には立ちあっていない。そのため実際の状況は把握していなかった。レジィは「治療にあたった医官によると……」と伝聞を思い出す。
「お腹を噛まれたまま振り回された人がいたらしいです。そのことを『人喰い』と言ってるんでしょうか?」
「それだけじゃない!」
男性店員が怯えたまま凄む。
「首を噛まれたり土手っ腹に爪が刺さったり、悲惨だった! そんなむごいことをしでかした魔獣を、よく連れて歩けるな!」
店員が剣突くをくらわせてくるが、クロアは冷静に首を横にふる。
「あれはこの子の意思でやったことじゃありませんわ」
「信じられんな。そいつは『人間が憎い』と言っていたそうじゃないか」
クロアの予期しない情報だ。「本当?」と不幸な加害者に問う。問われた獣は毛づくろいを止めた。こっくりうなずく。肯定の態度だと見たクロアは考えうる理由を挙げる。
「赤い石のせいで混乱して、そうしゃべったのでしょう?」
「いかにも。あの男への憤怒が転換されたとおぼしい」
店員は恐怖心が残る顔のまま、居住まいを正した。椅子に腰を下ろすが、その位置は勘定台から人一人分の距離がある。その距離が双方の心の遠さを意味した。
クロアはベニトラが脅威のない獣だと知らしめるため、その頭をぐりぐりなでる。
「わたくし、昨晩はこの子と一緒に寝ましたのよ」
就寝中のクロアは寝相でベニトラを苦しめた。それでもこの獣は寝台のすみで大人しくしていた。その我慢強さはベニトラに他者への思いやりがあることの証になる。
「一夜明かしてみて、無事に起きられましたもの。この子は自分から人を傷つけるような魔獣じゃありませんわ」
店員がしげしげとクロアの風貌に注目する。
「……あなたは公女様なのか? お付きの護衛と二人で魔獣を討ったっていう……」
「あら、いまお気づきになったの」
クロアは多くの住民が公女の姿を目にしたことがないとは知っていた。だが風貌の伝聞自体は広まっているものだと思っていた。
「わたくしの特徴をご存知なかったのね」
「いや、ま、特徴といえばいろいろ聞いていましたけど……想像とはちがったな、と」
「どんな特徴をお聞きになっていらしたの?」
クロアは自分の容姿が珍しいほうだと考えている。男性並みに身長があり、赤銅色の長い髪と、色香は母に劣れども肉感的な身体を持つ。加えるなら貴人らしい品格もあるだろう。これらを合わせもつ女性はありふれていないはずだ。
店員はクロアから目線を逸らした。あごのヒゲをいじって、なにかを考えている。
「その……髪の色が濃い赤だったり……」
「そういう人はわたくし以外にもいらっしゃるでしょうね。ほかには?」
「体が……」
「大きいでしょう?」
「熊みたいに大きくて粗暴だとか……」
熊を人にたとえる場合は通常、男性を指す。それも乱暴で荒々しい人に、だ。クロアは自己認識との乖離に憤慨する。
「なんてこと、わたしが粗雑な乱暴者ですって?」
店員は首を横にふるって「噂です、うわさ」と自分の発言に非がないことを強調した。無論クロアも目の前の男性を害するつもりはない。ただ自分が上品な立ち居振る舞いを心がけているのに、そうではない人と同じ見方をされたことに腹が立った。
ふぎゃっ、という鳴き声がクロアの手元から聞こえた。なでていたベニトラをうっかり手で押しつぶしたのだ。猫は腹ばいになっている。自由が利く尻尾でクロアの腕を叩いた。その尻尾攻撃に痛みは感じない。ただの抗議の態度だ。
「ごめんなさいね、つい力が入ってしまいましたわ」
クロアは猫の後頭部から尻までの毛先に手をすべらせた。その動作を何度かすると、ふさふさな尻尾の角度が下がる。尻尾は台の上を掃除するかのごとくうごいた。
店員がずずっと椅子を引きずり、接近する。
「……こうして見ると、大人しい猫みたいだな」
ベニトラの温柔さを店員が認める。彼は後方の売り物らしき黒猫や白猫を指して「あいつらのほうがよっぽど気性が荒かった」とつぶやく。
「で、公女様がうちになんのご用で?」
店員の顔にいくらか笑みが浮かんだ。クロアはさっそく本題に入る。
「この子に合う首輪をひとつ売っていただきたいのです。体型に合わせて伸縮する種類があると聞きましたわ」
「ああ、それなら……」
店員が勘定台の横に設置した自在扉を開けた。売り場へ出てくる。ベニトラに背を向けながら商品を紹介している。その姿には警戒心がなかった。
タグ:クロア