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2019年01月29日
クロア篇−2章7
エメリが操縦する馬車は招獣専門店を目指した。馬車内でクロアとレジィは対面して座る。クロアはレジィとの雑談は後回しにし、窓の外を眺めた。
大通りに面した建物は商いをする店舗が多い。いろんな人が店へ出入りしている。その中に戦えそうな者はいないか、とクロアは捜した。クロアの膝にのったベニトラも窓のふちに前足を置いて、同じ景色を見ていた。
「あのう、クロアさまはロレンツ公と仲がいいんですか?」
レジィが突拍子なく聞いてくる。クロアは視線を変えずに「知り合いではあるわ」と答えた。
「ロレンツ公にお声をかけて、討伐に協力してもらうのはどうです?」
「人が集まらなかったらそうするわ。でも最初からよその戦力をあてにしてはダメね」
「どうしてですか?」
「いつも援軍を頼んでいたら、そのうちほかの領主や国の者にあなどられてしまう。自衛力のない町だとか、兵をまともに統率できない無力な領主と……そんなの言われたら、わたしがくやしくってたまらないわ」
現段階でもアンペレを低く見る風評は存在する。アンペレから見て西隣りの国では、その土地の戦士がアンペレの兵士になるのを恥とする噂があるのだ。この町は財政に余裕があり、兵士の給与が相場より良いらしい。その金目当てにアンペレに仕える戦士は卑しいやつ、などと思う人がいるのだとか。やたらと誇り高い戦士の多い国ではクロアに理解しがたい常識がまかり通っている。ただ実際問題、アンペレで武官になっても箔が付かないのはたしかだ。この国で名誉ある兵士といえば聖王のおわす聖都の武官である。そちらに有能な人材は流れていく。
クロアは視線をやや下に落とした。クロアが頼りとする朱色の仲間が、無邪気に景色を眺めている。
「せっかく飛獣を見つけたんだもの。わたしはひとりででも戦う気よ」
「クノードさまがイヤがっていらしても?」
「お父さまに心配をかけるのは、気が引けるけど……」
父に従順であること以上にクロアが大切にしたいものがあった。
「憧れなのよ、悪党を倒す英雄って」
「きっかけはエミディオ王の英雄譚ですね?」
エミディオ王とは聖王国の東隣りに位置する国の先王だ。その国は武道第一の国風こそないが、彼は武断の王だった。数々の反乱をみずからの手腕で鎮圧したという。その雄々しい活躍の影には失ったものも多く、先王の生き様はしばしば演芸の場で再現がなされる。クロアは脚本家の脚色が混じった人物像に親しんでおり、この王のことはいたく気に入っている。
「ええ、そう。『あの方のような立派な人になるんだ』って小さいときはよく思ったもの」
レジィは笑って「変わっていますね」と不躾な感想を述べる。
「エミディオ王はかっこいい人ですけど、女の子は普通『ああなりたい』とは思いませんよ。『ああいう男性のお嫁さんになりたい』と思うんです」
「いいじゃない、わたしは普通じゃないんだもの」
クロアは自分の腕を見た。衣服で覆うと筋肉が発達していることなぞわからなくなる程度の太さだ。しかしこの腕は常人の臂力の何倍もの力を出せる。
「この腕力を活かさない手はないわ」
「はい、きっと……神さまはアンペレのためにクロアさまを遣わしたんだと思います」
戦士が集まらない土地に、武勇にすぐれた公女が誕生する──その天の采配は的確だ。
「どうせなら男に生まれさせてくれたらよかったのだけどね」
「クロアさまが男だったらたぶん、バリバリに戦いすぎて早死しちゃいますよ。剣王国の第一王子がそんな危険のある人らしいですよ」
聖王国の西隣りは尚武の国。それゆえ王族も勇猛果敢な戦士に育つ。特に現王の長男は無鉄砲なきらいがある。住民を脅かす存在を討伐する際にはまっさきに名乗り出て、大怪我をして帰還する──と、いうふうに聖王国内では話題にのぼる。その向こう見ずな性格はクロアと性情が通じるのではないか、とも言われる。
「あの王子はわたしと似たような方らしいけれど、一番のちがいは腕の良い療術士がそばにいるかどうかよね」
クロアが同意を求めてレジィを見る。彼女は照れて「そ〜ですかね」と否定はしなかった。クロアはふふっと笑う。そしてふとした謎が頭をよぎる。
「あちらの国では療術を扱える人が極端にすくないんでしょう? この国だと騎士でも当たり前のように使うのに、ちょっと信じがたいわ」
「剣王国はお国柄、気性の荒い人が多いらしいですから……療術は思いやりのある人でないと習得がむずかしいそうです。もちろん、生まれつきの素質も重要なんですけど」
「血筋の影響が強いのかしらね。カスバンなんか心優しさのカケラもなさそうだけど、療術はちゃんと使えるんでしょ」
「えっと、どうなんでしょう……あ、そうそう」
レジィは答えづらい話題を転換し、自身の招獣を呼び出した。首輪を巻いた獣が現れる。薄黄色の鼬(いたち)だ。胴が細長く、一本の襟巻きのようでもある。
「これから招獣の首輪を買うんでしたよね」
鼬はレジィに胴体を持たれる。その状態でクロアのそばにいる猫を見つめた。
「マルくんは変身しないですけど、いちおうは伸縮自在の首輪をつけてるんです。いつかは変身できるくらいに強くなるかも、と思って」
「ふーん、見た目は普通の首輪なのね」
鼬の首元には一粒の宝石が光っていた。クロアは飛馬の馬装を思い出す。
「うちの飛馬も宝石のついた飾りを着けた気がするわ。同じ種類なの?」
「ええと、用途がちがうんです。お屋敷の飛馬はみんなが使える招獣ですよね。それは盟約を交わさずに道具で縛りつけているんです。道具でしたがわせられる個体には条件があって、人の言葉を話せるような魔力の高い魔獣には効きませんけど……」
レジィがクロアの顔色を見ながら説明する。言葉を選んでいるようだ。クロアはレジィの反応の意味がわからない。
「どうしたの? 知ってることは全部教えてちょうだい」
「はい、でも……あたしは仕官したときに『基礎知識だから』と学官に教えてもらったんです。クロアさまもたぶん……」
レジィは言葉尻をにごす。百官が知り得ることを主君が知らない、無知だとはっきり言う度胸がないのだ。クロアは自信満々に「わすれたわ!」と断言する。
「道具で服従させるのはわたしの好みじゃないの。だいたい呼び出せないんじゃ不便よ」
「それが……呼べるんですよ。飛馬の装身具と対になる道具を持っていれば、だれでも招術が使えるんです」
「対になる道具って?」
「一般的には指輪ですね。飛馬に騎乗するまえに厩舎の人がくれませんか?」
「いつもダムトが飛馬を操るから、よくわからないわ」
「いつも相乗りしてるんですか?」
レジィが顔を赤くした。クロアはまたも少女の意図がわからない。
「むかしからそうしてたわ。これは変?」
「いえ、変じゃないです。だって、ひとりで乗ってて落馬したら危ないですもんね」
「そうでしょう。みんな過保護なのよ、わたしひとりになにかをさせたら事件が起きると思っているんだもの。だから二人も専属の付き人をはべらすことになってるの。妹たちにはいないのにね」
クロアたちの体が前後に揺らぐ。車窓から見える景色は止まっている。馬車が目的地に到着したらしい。クロアはベニトラを抱えた。みずから戸を開ける。すると御者台から降りたエメリが笑っている。
「相変わらず気がお早いですね。貴人は御者が戸を開けるのを待つものですよ」
「あら、よその貴族は非力すぎて馬車の戸も開けられないのね」
クロアの冗談を受け、またもエメリは笑う。クロアはエメリに馬車の見張りを任せ、目当ての店へ入った。
大通りに面した建物は商いをする店舗が多い。いろんな人が店へ出入りしている。その中に戦えそうな者はいないか、とクロアは捜した。クロアの膝にのったベニトラも窓のふちに前足を置いて、同じ景色を見ていた。
「あのう、クロアさまはロレンツ公と仲がいいんですか?」
レジィが突拍子なく聞いてくる。クロアは視線を変えずに「知り合いではあるわ」と答えた。
「ロレンツ公にお声をかけて、討伐に協力してもらうのはどうです?」
「人が集まらなかったらそうするわ。でも最初からよその戦力をあてにしてはダメね」
「どうしてですか?」
「いつも援軍を頼んでいたら、そのうちほかの領主や国の者にあなどられてしまう。自衛力のない町だとか、兵をまともに統率できない無力な領主と……そんなの言われたら、わたしがくやしくってたまらないわ」
現段階でもアンペレを低く見る風評は存在する。アンペレから見て西隣りの国では、その土地の戦士がアンペレの兵士になるのを恥とする噂があるのだ。この町は財政に余裕があり、兵士の給与が相場より良いらしい。その金目当てにアンペレに仕える戦士は卑しいやつ、などと思う人がいるのだとか。やたらと誇り高い戦士の多い国ではクロアに理解しがたい常識がまかり通っている。ただ実際問題、アンペレで武官になっても箔が付かないのはたしかだ。この国で名誉ある兵士といえば聖王のおわす聖都の武官である。そちらに有能な人材は流れていく。
クロアは視線をやや下に落とした。クロアが頼りとする朱色の仲間が、無邪気に景色を眺めている。
「せっかく飛獣を見つけたんだもの。わたしはひとりででも戦う気よ」
「クノードさまがイヤがっていらしても?」
「お父さまに心配をかけるのは、気が引けるけど……」
父に従順であること以上にクロアが大切にしたいものがあった。
「憧れなのよ、悪党を倒す英雄って」
「きっかけはエミディオ王の英雄譚ですね?」
エミディオ王とは聖王国の東隣りに位置する国の先王だ。その国は武道第一の国風こそないが、彼は武断の王だった。数々の反乱をみずからの手腕で鎮圧したという。その雄々しい活躍の影には失ったものも多く、先王の生き様はしばしば演芸の場で再現がなされる。クロアは脚本家の脚色が混じった人物像に親しんでおり、この王のことはいたく気に入っている。
「ええ、そう。『あの方のような立派な人になるんだ』って小さいときはよく思ったもの」
レジィは笑って「変わっていますね」と不躾な感想を述べる。
「エミディオ王はかっこいい人ですけど、女の子は普通『ああなりたい』とは思いませんよ。『ああいう男性のお嫁さんになりたい』と思うんです」
「いいじゃない、わたしは普通じゃないんだもの」
クロアは自分の腕を見た。衣服で覆うと筋肉が発達していることなぞわからなくなる程度の太さだ。しかしこの腕は常人の臂力の何倍もの力を出せる。
「この腕力を活かさない手はないわ」
「はい、きっと……神さまはアンペレのためにクロアさまを遣わしたんだと思います」
戦士が集まらない土地に、武勇にすぐれた公女が誕生する──その天の采配は的確だ。
「どうせなら男に生まれさせてくれたらよかったのだけどね」
「クロアさまが男だったらたぶん、バリバリに戦いすぎて早死しちゃいますよ。剣王国の第一王子がそんな危険のある人らしいですよ」
聖王国の西隣りは尚武の国。それゆえ王族も勇猛果敢な戦士に育つ。特に現王の長男は無鉄砲なきらいがある。住民を脅かす存在を討伐する際にはまっさきに名乗り出て、大怪我をして帰還する──と、いうふうに聖王国内では話題にのぼる。その向こう見ずな性格はクロアと性情が通じるのではないか、とも言われる。
「あの王子はわたしと似たような方らしいけれど、一番のちがいは腕の良い療術士がそばにいるかどうかよね」
クロアが同意を求めてレジィを見る。彼女は照れて「そ〜ですかね」と否定はしなかった。クロアはふふっと笑う。そしてふとした謎が頭をよぎる。
「あちらの国では療術を扱える人が極端にすくないんでしょう? この国だと騎士でも当たり前のように使うのに、ちょっと信じがたいわ」
「剣王国はお国柄、気性の荒い人が多いらしいですから……療術は思いやりのある人でないと習得がむずかしいそうです。もちろん、生まれつきの素質も重要なんですけど」
「血筋の影響が強いのかしらね。カスバンなんか心優しさのカケラもなさそうだけど、療術はちゃんと使えるんでしょ」
「えっと、どうなんでしょう……あ、そうそう」
レジィは答えづらい話題を転換し、自身の招獣を呼び出した。首輪を巻いた獣が現れる。薄黄色の鼬(いたち)だ。胴が細長く、一本の襟巻きのようでもある。
「これから招獣の首輪を買うんでしたよね」
鼬はレジィに胴体を持たれる。その状態でクロアのそばにいる猫を見つめた。
「マルくんは変身しないですけど、いちおうは伸縮自在の首輪をつけてるんです。いつかは変身できるくらいに強くなるかも、と思って」
「ふーん、見た目は普通の首輪なのね」
鼬の首元には一粒の宝石が光っていた。クロアは飛馬の馬装を思い出す。
「うちの飛馬も宝石のついた飾りを着けた気がするわ。同じ種類なの?」
「ええと、用途がちがうんです。お屋敷の飛馬はみんなが使える招獣ですよね。それは盟約を交わさずに道具で縛りつけているんです。道具でしたがわせられる個体には条件があって、人の言葉を話せるような魔力の高い魔獣には効きませんけど……」
レジィがクロアの顔色を見ながら説明する。言葉を選んでいるようだ。クロアはレジィの反応の意味がわからない。
「どうしたの? 知ってることは全部教えてちょうだい」
「はい、でも……あたしは仕官したときに『基礎知識だから』と学官に教えてもらったんです。クロアさまもたぶん……」
レジィは言葉尻をにごす。百官が知り得ることを主君が知らない、無知だとはっきり言う度胸がないのだ。クロアは自信満々に「わすれたわ!」と断言する。
「道具で服従させるのはわたしの好みじゃないの。だいたい呼び出せないんじゃ不便よ」
「それが……呼べるんですよ。飛馬の装身具と対になる道具を持っていれば、だれでも招術が使えるんです」
「対になる道具って?」
「一般的には指輪ですね。飛馬に騎乗するまえに厩舎の人がくれませんか?」
「いつもダムトが飛馬を操るから、よくわからないわ」
「いつも相乗りしてるんですか?」
レジィが顔を赤くした。クロアはまたも少女の意図がわからない。
「むかしからそうしてたわ。これは変?」
「いえ、変じゃないです。だって、ひとりで乗ってて落馬したら危ないですもんね」
「そうでしょう。みんな過保護なのよ、わたしひとりになにかをさせたら事件が起きると思っているんだもの。だから二人も専属の付き人をはべらすことになってるの。妹たちにはいないのにね」
クロアたちの体が前後に揺らぐ。車窓から見える景色は止まっている。馬車が目的地に到着したらしい。クロアはベニトラを抱えた。みずから戸を開ける。すると御者台から降りたエメリが笑っている。
「相変わらず気がお早いですね。貴人は御者が戸を開けるのを待つものですよ」
「あら、よその貴族は非力すぎて馬車の戸も開けられないのね」
クロアの冗談を受け、またもエメリは笑う。クロアはエメリに馬車の見張りを任せ、目当ての店へ入った。
タグ:クロア
2019年01月28日
クロア篇−2章6
アンペレの町は広大である。この町を徒歩で移動していてはたいへん骨が折れる。それゆえクロアは私用の馬車を使うことにした。馬車を牽引する馬は厩舎で飼育している。厩舎には普通の馬のほかにも飛行能力のある魔獣──通称を飛獣──が区分けして管理してあった。
今回使うのは普通の馬だ。利便性では飛獣のほうが移動速度が速いが、町中では飛獣の乱用を禁止している。領主一族も例外ではない。緊急時以外は馬か馬車での移動をする。その際は厩舎にいる者に声をかけ、馬か馬車の用意を頼む。馬車に乗るときは同時に御者の任にも就かせた。
「今日はだれがいるのかしら……あら?」
舎内の掃き掃除をする女性がいた。厩舎では見慣れぬ新人であろうが、その体格としぐさが大切な知人とかさなって見えた。姉のような庇護者であった女性に。
「あなた、エメリではなくて?」
掃除婦は顔をあげた。やはり長年クロアの従者を務めた女性だ。彼女は外面が優しい淑女でいながら、内面は剛毅な女傑である。内なる頑強さをうまく隠した女性がはにかむ。
「はい、そのとおりです」
「子どもをみていなくて平気なの? まだ乳飲み子でしょう」
エメリは既婚者だ。妊娠と出産を機に従者の務めをしりぞいた。お相手の男性は名うての工房の跡取り息子。資産のある嫁ぎ先なので、彼女自身が勤めにいかなくとも生活は成り立つ。それゆえ、エメリは復職しないものだとクロアは思っていた。
「母が面倒を看てくれていますよ。孫ができたおかげで、張り合いが出たみたいです」
「そうなの……元気そうでよかった」
クロアは旧知の女性との再会を心からよろこんだ。ただ気になることがあった。彼女がなぜ厩舎に配属されたかということだ。
「それで、どうしてエメリが馬丁(ばてい)をしているの?」
「勤務時間の融通が利いて、お嬢さまとも関われそうな職務が、ここでした」
「わたしと?」
「はい。お嬢さまは飛馬がお好きでしょう? 乗って出かける機会がなくても、飛馬を触りに厩舎へ出向くことがあったので──」
「ここにいればわたしに会えると、思ってくれたの?」
エメリは笑ってうなずいた。彼女が従者の任を解かれてなお公女を気遣っている。その事実にクロアは歓喜し、照れくさくなった。
「お嬢さまはなんの御用でこちらに?」
「じつはね、昨日お父さまが町中へ出かけてもいいとおっしゃったの」
新人の馬丁は笑顔のまま「それはよかったですね」と言う。彼女はこの外出がたまの遊興だと思っていそうだ。
「行く場所はもうお決めになったのですか?」
「最初に招獣のお店に行きたいの」
「『最初』とおっしゃいますと、ほかにも目当ての行き先があるのですね?」
「そうなの。強い人が集まりそうなところ、どこか知っていて?」
「……移動の間によく考えてみます。これからお出かけになりますか?」
「ええ、御者をお願いするわ」
「お任せください。準備しますので、しばしお待ちを」
エメリは床に集まった塵や藁くずを回収し、掃除道具を片付けた。ほかの馬丁にも声をかけて、支度を手伝ってもらっている。その光景をクロアは懐かしい気持ちでながめた。
レジィも転身した前任者をまじまじと見ている。だがその視線には懐疑が入り混じっている。
「エメリさん……今度は厩舎でずっとはたらくんでしょうか?」
「そうみたいね」
「もったいないんじゃないですか? あの方は戦えるし、療術も上手で……」
「そう、なんでもできる器用な人よ。だけど母親になったの」
クロアはレジィの横顔を見る。いつかはこの少女もエメリのようになる、という歓迎と不安の気持ちがじわじわと湧いてくる。
「危険も体の負担もすくない仕事をえらぶのは……いいことだと思うわ」
レジィは急にしょぼくれる。
「やっぱり、従者って危ない仕事ですか?」
「わたしに付き添っていると危険は多くなるでしょうね」
クロアは十歳にならぬころから武力行使する公務に参加した。どこそこの村に魔物が出てくる、山賊が住みついた、気性の荒い旅人が揉めごとを起こしている──そういった平和的解決がむずかしい問題に関わってきた。クロアは小さいときから尋常でない怪力をそなえていたので、その力を役立てたかったのだ。
「それがどうかして?」
留意事項は従者に取り立てる際に説明があったはず、とクロアは不思議がった。
レジィが袖をまくって腕を見せる。筋肉の隆起が目立たない、弱々しい腕だ。
「あたし、クロアさまを守れますか?」
少女は従者の任を引き受けたのちに、護身用の戦い方を教わったという。それまでの彼女は医官の見習いという、戦いに縁のない分野で奉仕していた。そんな非戦闘員がいきなり戦闘訓練を受けるのだから、よくレジィは従者教育についてこれたものだとクロアは感心している。
「その細腕じゃあ期待できないわね」
クロアはほほえみ、冗談めかして本音をのべた。か細い少女は「すいません」と真面目に謝る。
「がんばって鍛えてるつもりなんですけど……」
「あなたは自分の身を守れたらいいの」
クロアはもとよりその考えでいた。少女に武芸を習わせる目的は本人の自衛のため。彼女の本業は別にある。レジィならではの役目こそをクロアは求めている。
「わたしがケガをしたらすぐに治す、それがあなたの仕事よ」
「はい……それはわかってるんですけど……」
「敵を倒すのはわたしの専門なんだもの。あなたはいまのままでいいわ」
「でも、エメリさんは武芸が達者なんでしょう?」
「そうよ。だからってレジィがエメリを目標にしなくていいの」
エメリはアンペレにおいて高名な武官の家の出身だ。生まれ落ちたときから武官になるのを約束された人物と、普通な家庭で育った少女とを、同じ尺度で測ることはできない。なにより、クロアが成長するごとに求める従者の資質も変容していた。
「彼女は幼いわたしの護衛役だったの。そのときはお父さまがわたしに『戦える侍女が必要だ』とお考えになったのよ。いまとなってはわたしがアンペレ最強なのだから、もうそんなふうに考えていらっしゃらないわ」
レジィはくすっと笑い、袖をもとにもどす。
「それじゃ、あたしが危ない目に遭ったら……クロアさまが守ってくださいます?」
「もちろんよ。レジィを一生守れる殿方が現れるまでは、わたしがぜんぶ守ってあげる」
「ダンナさんが見つからなかったら?」
「ずっとわたしに仕えたらいいわ」
それが叶わない未来だとクロアはわかっていた。母親となったエメリは十年とすこしで従者生活を終えた。前例にならえばレジィもあと十年前後で退任する。このような心根のよい可憐な少女に、男性が言い寄らないとは考えにくいのだ。
(わたしのそばを離れても……また、わたしに会いにきてくれる?)
その問いはいつかくる日までにとっておくことにした。クロアたちはこれから町中へ出かける。めったにない楽しみを目の前にして、そんなさびしい話題を持ちかけなくてもいいと思った。
クロアはふとベニトラの行方が気になりだす。エメリに気を取られ、朱色の獣のことはすっかり放置していた。クロアのあとをついてきたはずの猫はクロアの周囲にいない。
「ベニトラったら、どこに行って──」
「あ、馬車が出てきましたよ」
エメリが二頭の馬を引き連れてきた。その後方には人間が乗る、屋根付きの四輪馬車がついてくる。御者の席には朱色の毛玉がいた。
「あら、あんなところにいたの」
クロアは安堵をおぼえた。招獣は術で呼びよせられるとはいえ、そのやり方を熟知していないクロアには敷居の高い技だ。ベニトラが見つからなかったときはその場でレジィに招術を習わねばならぬところだった。
エメリがベニトラを両手で抱きかかえた。それをクロアに差し出す。
「町中ではこの獣を抱えていてもらえますか?」
「いまみたいにはぐれて、捜すはめになるから?」
「それもありますが、住民は魔獣に敏感になっていますので──」
クロアは猫を受け取りながら「この子が魔獣だと知っているの?」とたずねた。その事実は家族と一部の官吏だけが認知していると思っていた。
「はい、クロアさまが朱の毛皮の魔獣を招獣にしたのだと聞きましたから」
「昨日の今日で、もう話が広まってるのね」
「町中はそうともかぎりません。住民とおしゃべりする機会があれば、その獣を紹介なさるとよいかもしれませんね。まだ恐怖を抱いている人たちがいると思います」
「では車内へ」とエメリにうながされ、クロアたちは馬車へ乗りこんだ。クロアは童心に返ったかのようにウキウキして、車窓越しに見える景色を堪能した。
今回使うのは普通の馬だ。利便性では飛獣のほうが移動速度が速いが、町中では飛獣の乱用を禁止している。領主一族も例外ではない。緊急時以外は馬か馬車での移動をする。その際は厩舎にいる者に声をかけ、馬か馬車の用意を頼む。馬車に乗るときは同時に御者の任にも就かせた。
「今日はだれがいるのかしら……あら?」
舎内の掃き掃除をする女性がいた。厩舎では見慣れぬ新人であろうが、その体格としぐさが大切な知人とかさなって見えた。姉のような庇護者であった女性に。
「あなた、エメリではなくて?」
掃除婦は顔をあげた。やはり長年クロアの従者を務めた女性だ。彼女は外面が優しい淑女でいながら、内面は剛毅な女傑である。内なる頑強さをうまく隠した女性がはにかむ。
「はい、そのとおりです」
「子どもをみていなくて平気なの? まだ乳飲み子でしょう」
エメリは既婚者だ。妊娠と出産を機に従者の務めをしりぞいた。お相手の男性は名うての工房の跡取り息子。資産のある嫁ぎ先なので、彼女自身が勤めにいかなくとも生活は成り立つ。それゆえ、エメリは復職しないものだとクロアは思っていた。
「母が面倒を看てくれていますよ。孫ができたおかげで、張り合いが出たみたいです」
「そうなの……元気そうでよかった」
クロアは旧知の女性との再会を心からよろこんだ。ただ気になることがあった。彼女がなぜ厩舎に配属されたかということだ。
「それで、どうしてエメリが馬丁(ばてい)をしているの?」
「勤務時間の融通が利いて、お嬢さまとも関われそうな職務が、ここでした」
「わたしと?」
「はい。お嬢さまは飛馬がお好きでしょう? 乗って出かける機会がなくても、飛馬を触りに厩舎へ出向くことがあったので──」
「ここにいればわたしに会えると、思ってくれたの?」
エメリは笑ってうなずいた。彼女が従者の任を解かれてなお公女を気遣っている。その事実にクロアは歓喜し、照れくさくなった。
「お嬢さまはなんの御用でこちらに?」
「じつはね、昨日お父さまが町中へ出かけてもいいとおっしゃったの」
新人の馬丁は笑顔のまま「それはよかったですね」と言う。彼女はこの外出がたまの遊興だと思っていそうだ。
「行く場所はもうお決めになったのですか?」
「最初に招獣のお店に行きたいの」
「『最初』とおっしゃいますと、ほかにも目当ての行き先があるのですね?」
「そうなの。強い人が集まりそうなところ、どこか知っていて?」
「……移動の間によく考えてみます。これからお出かけになりますか?」
「ええ、御者をお願いするわ」
「お任せください。準備しますので、しばしお待ちを」
エメリは床に集まった塵や藁くずを回収し、掃除道具を片付けた。ほかの馬丁にも声をかけて、支度を手伝ってもらっている。その光景をクロアは懐かしい気持ちでながめた。
レジィも転身した前任者をまじまじと見ている。だがその視線には懐疑が入り混じっている。
「エメリさん……今度は厩舎でずっとはたらくんでしょうか?」
「そうみたいね」
「もったいないんじゃないですか? あの方は戦えるし、療術も上手で……」
「そう、なんでもできる器用な人よ。だけど母親になったの」
クロアはレジィの横顔を見る。いつかはこの少女もエメリのようになる、という歓迎と不安の気持ちがじわじわと湧いてくる。
「危険も体の負担もすくない仕事をえらぶのは……いいことだと思うわ」
レジィは急にしょぼくれる。
「やっぱり、従者って危ない仕事ですか?」
「わたしに付き添っていると危険は多くなるでしょうね」
クロアは十歳にならぬころから武力行使する公務に参加した。どこそこの村に魔物が出てくる、山賊が住みついた、気性の荒い旅人が揉めごとを起こしている──そういった平和的解決がむずかしい問題に関わってきた。クロアは小さいときから尋常でない怪力をそなえていたので、その力を役立てたかったのだ。
「それがどうかして?」
留意事項は従者に取り立てる際に説明があったはず、とクロアは不思議がった。
レジィが袖をまくって腕を見せる。筋肉の隆起が目立たない、弱々しい腕だ。
「あたし、クロアさまを守れますか?」
少女は従者の任を引き受けたのちに、護身用の戦い方を教わったという。それまでの彼女は医官の見習いという、戦いに縁のない分野で奉仕していた。そんな非戦闘員がいきなり戦闘訓練を受けるのだから、よくレジィは従者教育についてこれたものだとクロアは感心している。
「その細腕じゃあ期待できないわね」
クロアはほほえみ、冗談めかして本音をのべた。か細い少女は「すいません」と真面目に謝る。
「がんばって鍛えてるつもりなんですけど……」
「あなたは自分の身を守れたらいいの」
クロアはもとよりその考えでいた。少女に武芸を習わせる目的は本人の自衛のため。彼女の本業は別にある。レジィならではの役目こそをクロアは求めている。
「わたしがケガをしたらすぐに治す、それがあなたの仕事よ」
「はい……それはわかってるんですけど……」
「敵を倒すのはわたしの専門なんだもの。あなたはいまのままでいいわ」
「でも、エメリさんは武芸が達者なんでしょう?」
「そうよ。だからってレジィがエメリを目標にしなくていいの」
エメリはアンペレにおいて高名な武官の家の出身だ。生まれ落ちたときから武官になるのを約束された人物と、普通な家庭で育った少女とを、同じ尺度で測ることはできない。なにより、クロアが成長するごとに求める従者の資質も変容していた。
「彼女は幼いわたしの護衛役だったの。そのときはお父さまがわたしに『戦える侍女が必要だ』とお考えになったのよ。いまとなってはわたしがアンペレ最強なのだから、もうそんなふうに考えていらっしゃらないわ」
レジィはくすっと笑い、袖をもとにもどす。
「それじゃ、あたしが危ない目に遭ったら……クロアさまが守ってくださいます?」
「もちろんよ。レジィを一生守れる殿方が現れるまでは、わたしがぜんぶ守ってあげる」
「ダンナさんが見つからなかったら?」
「ずっとわたしに仕えたらいいわ」
それが叶わない未来だとクロアはわかっていた。母親となったエメリは十年とすこしで従者生活を終えた。前例にならえばレジィもあと十年前後で退任する。このような心根のよい可憐な少女に、男性が言い寄らないとは考えにくいのだ。
(わたしのそばを離れても……また、わたしに会いにきてくれる?)
その問いはいつかくる日までにとっておくことにした。クロアたちはこれから町中へ出かける。めったにない楽しみを目の前にして、そんなさびしい話題を持ちかけなくてもいいと思った。
クロアはふとベニトラの行方が気になりだす。エメリに気を取られ、朱色の獣のことはすっかり放置していた。クロアのあとをついてきたはずの猫はクロアの周囲にいない。
「ベニトラったら、どこに行って──」
「あ、馬車が出てきましたよ」
エメリが二頭の馬を引き連れてきた。その後方には人間が乗る、屋根付きの四輪馬車がついてくる。御者の席には朱色の毛玉がいた。
「あら、あんなところにいたの」
クロアは安堵をおぼえた。招獣は術で呼びよせられるとはいえ、そのやり方を熟知していないクロアには敷居の高い技だ。ベニトラが見つからなかったときはその場でレジィに招術を習わねばならぬところだった。
エメリがベニトラを両手で抱きかかえた。それをクロアに差し出す。
「町中ではこの獣を抱えていてもらえますか?」
「いまみたいにはぐれて、捜すはめになるから?」
「それもありますが、住民は魔獣に敏感になっていますので──」
クロアは猫を受け取りながら「この子が魔獣だと知っているの?」とたずねた。その事実は家族と一部の官吏だけが認知していると思っていた。
「はい、クロアさまが朱の毛皮の魔獣を招獣にしたのだと聞きましたから」
「昨日の今日で、もう話が広まってるのね」
「町中はそうともかぎりません。住民とおしゃべりする機会があれば、その獣を紹介なさるとよいかもしれませんね。まだ恐怖を抱いている人たちがいると思います」
「では車内へ」とエメリにうながされ、クロアたちは馬車へ乗りこんだ。クロアは童心に返ったかのようにウキウキして、車窓越しに見える景色を堪能した。
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