2019年01月29日
クロア篇−2章7
エメリが操縦する馬車は招獣専門店を目指した。馬車内でクロアとレジィは対面して座る。クロアはレジィとの雑談は後回しにし、窓の外を眺めた。
大通りに面した建物は商いをする店舗が多い。いろんな人が店へ出入りしている。その中に戦えそうな者はいないか、とクロアは捜した。クロアの膝にのったベニトラも窓のふちに前足を置いて、同じ景色を見ていた。
「あのう、クロアさまはロレンツ公と仲がいいんですか?」
レジィが突拍子なく聞いてくる。クロアは視線を変えずに「知り合いではあるわ」と答えた。
「ロレンツ公にお声をかけて、討伐に協力してもらうのはどうです?」
「人が集まらなかったらそうするわ。でも最初からよその戦力をあてにしてはダメね」
「どうしてですか?」
「いつも援軍を頼んでいたら、そのうちほかの領主や国の者にあなどられてしまう。自衛力のない町だとか、兵をまともに統率できない無力な領主と……そんなの言われたら、わたしがくやしくってたまらないわ」
現段階でもアンペレを低く見る風評は存在する。アンペレから見て西隣りの国では、その土地の戦士がアンペレの兵士になるのを恥とする噂があるのだ。この町は財政に余裕があり、兵士の給与が相場より良いらしい。その金目当てにアンペレに仕える戦士は卑しいやつ、などと思う人がいるのだとか。やたらと誇り高い戦士の多い国ではクロアに理解しがたい常識がまかり通っている。ただ実際問題、アンペレで武官になっても箔が付かないのはたしかだ。この国で名誉ある兵士といえば聖王のおわす聖都の武官である。そちらに有能な人材は流れていく。
クロアは視線をやや下に落とした。クロアが頼りとする朱色の仲間が、無邪気に景色を眺めている。
「せっかく飛獣を見つけたんだもの。わたしはひとりででも戦う気よ」
「クノードさまがイヤがっていらしても?」
「お父さまに心配をかけるのは、気が引けるけど……」
父に従順であること以上にクロアが大切にしたいものがあった。
「憧れなのよ、悪党を倒す英雄って」
「きっかけはエミディオ王の英雄譚ですね?」
エミディオ王とは聖王国の東隣りに位置する国の先王だ。その国は武道第一の国風こそないが、彼は武断の王だった。数々の反乱をみずからの手腕で鎮圧したという。その雄々しい活躍の影には失ったものも多く、先王の生き様はしばしば演芸の場で再現がなされる。クロアは脚本家の脚色が混じった人物像に親しんでおり、この王のことはいたく気に入っている。
「ええ、そう。『あの方のような立派な人になるんだ』って小さいときはよく思ったもの」
レジィは笑って「変わっていますね」と不躾な感想を述べる。
「エミディオ王はかっこいい人ですけど、女の子は普通『ああなりたい』とは思いませんよ。『ああいう男性のお嫁さんになりたい』と思うんです」
「いいじゃない、わたしは普通じゃないんだもの」
クロアは自分の腕を見た。衣服で覆うと筋肉が発達していることなぞわからなくなる程度の太さだ。しかしこの腕は常人の臂力の何倍もの力を出せる。
「この腕力を活かさない手はないわ」
「はい、きっと……神さまはアンペレのためにクロアさまを遣わしたんだと思います」
戦士が集まらない土地に、武勇にすぐれた公女が誕生する──その天の采配は的確だ。
「どうせなら男に生まれさせてくれたらよかったのだけどね」
「クロアさまが男だったらたぶん、バリバリに戦いすぎて早死しちゃいますよ。剣王国の第一王子がそんな危険のある人らしいですよ」
聖王国の西隣りは尚武の国。それゆえ王族も勇猛果敢な戦士に育つ。特に現王の長男は無鉄砲なきらいがある。住民を脅かす存在を討伐する際にはまっさきに名乗り出て、大怪我をして帰還する──と、いうふうに聖王国内では話題にのぼる。その向こう見ずな性格はクロアと性情が通じるのではないか、とも言われる。
「あの王子はわたしと似たような方らしいけれど、一番のちがいは腕の良い療術士がそばにいるかどうかよね」
クロアが同意を求めてレジィを見る。彼女は照れて「そ〜ですかね」と否定はしなかった。クロアはふふっと笑う。そしてふとした謎が頭をよぎる。
「あちらの国では療術を扱える人が極端にすくないんでしょう? この国だと騎士でも当たり前のように使うのに、ちょっと信じがたいわ」
「剣王国はお国柄、気性の荒い人が多いらしいですから……療術は思いやりのある人でないと習得がむずかしいそうです。もちろん、生まれつきの素質も重要なんですけど」
「血筋の影響が強いのかしらね。カスバンなんか心優しさのカケラもなさそうだけど、療術はちゃんと使えるんでしょ」
「えっと、どうなんでしょう……あ、そうそう」
レジィは答えづらい話題を転換し、自身の招獣を呼び出した。首輪を巻いた獣が現れる。薄黄色の鼬(いたち)だ。胴が細長く、一本の襟巻きのようでもある。
「これから招獣の首輪を買うんでしたよね」
鼬はレジィに胴体を持たれる。その状態でクロアのそばにいる猫を見つめた。
「マルくんは変身しないですけど、いちおうは伸縮自在の首輪をつけてるんです。いつかは変身できるくらいに強くなるかも、と思って」
「ふーん、見た目は普通の首輪なのね」
鼬の首元には一粒の宝石が光っていた。クロアは飛馬の馬装を思い出す。
「うちの飛馬も宝石のついた飾りを着けた気がするわ。同じ種類なの?」
「ええと、用途がちがうんです。お屋敷の飛馬はみんなが使える招獣ですよね。それは盟約を交わさずに道具で縛りつけているんです。道具でしたがわせられる個体には条件があって、人の言葉を話せるような魔力の高い魔獣には効きませんけど……」
レジィがクロアの顔色を見ながら説明する。言葉を選んでいるようだ。クロアはレジィの反応の意味がわからない。
「どうしたの? 知ってることは全部教えてちょうだい」
「はい、でも……あたしは仕官したときに『基礎知識だから』と学官に教えてもらったんです。クロアさまもたぶん……」
レジィは言葉尻をにごす。百官が知り得ることを主君が知らない、無知だとはっきり言う度胸がないのだ。クロアは自信満々に「わすれたわ!」と断言する。
「道具で服従させるのはわたしの好みじゃないの。だいたい呼び出せないんじゃ不便よ」
「それが……呼べるんですよ。飛馬の装身具と対になる道具を持っていれば、だれでも招術が使えるんです」
「対になる道具って?」
「一般的には指輪ですね。飛馬に騎乗するまえに厩舎の人がくれませんか?」
「いつもダムトが飛馬を操るから、よくわからないわ」
「いつも相乗りしてるんですか?」
レジィが顔を赤くした。クロアはまたも少女の意図がわからない。
「むかしからそうしてたわ。これは変?」
「いえ、変じゃないです。だって、ひとりで乗ってて落馬したら危ないですもんね」
「そうでしょう。みんな過保護なのよ、わたしひとりになにかをさせたら事件が起きると思っているんだもの。だから二人も専属の付き人をはべらすことになってるの。妹たちにはいないのにね」
クロアたちの体が前後に揺らぐ。車窓から見える景色は止まっている。馬車が目的地に到着したらしい。クロアはベニトラを抱えた。みずから戸を開ける。すると御者台から降りたエメリが笑っている。
「相変わらず気がお早いですね。貴人は御者が戸を開けるのを待つものですよ」
「あら、よその貴族は非力すぎて馬車の戸も開けられないのね」
クロアの冗談を受け、またもエメリは笑う。クロアはエメリに馬車の見張りを任せ、目当ての店へ入った。
大通りに面した建物は商いをする店舗が多い。いろんな人が店へ出入りしている。その中に戦えそうな者はいないか、とクロアは捜した。クロアの膝にのったベニトラも窓のふちに前足を置いて、同じ景色を見ていた。
「あのう、クロアさまはロレンツ公と仲がいいんですか?」
レジィが突拍子なく聞いてくる。クロアは視線を変えずに「知り合いではあるわ」と答えた。
「ロレンツ公にお声をかけて、討伐に協力してもらうのはどうです?」
「人が集まらなかったらそうするわ。でも最初からよその戦力をあてにしてはダメね」
「どうしてですか?」
「いつも援軍を頼んでいたら、そのうちほかの領主や国の者にあなどられてしまう。自衛力のない町だとか、兵をまともに統率できない無力な領主と……そんなの言われたら、わたしがくやしくってたまらないわ」
現段階でもアンペレを低く見る風評は存在する。アンペレから見て西隣りの国では、その土地の戦士がアンペレの兵士になるのを恥とする噂があるのだ。この町は財政に余裕があり、兵士の給与が相場より良いらしい。その金目当てにアンペレに仕える戦士は卑しいやつ、などと思う人がいるのだとか。やたらと誇り高い戦士の多い国ではクロアに理解しがたい常識がまかり通っている。ただ実際問題、アンペレで武官になっても箔が付かないのはたしかだ。この国で名誉ある兵士といえば聖王のおわす聖都の武官である。そちらに有能な人材は流れていく。
クロアは視線をやや下に落とした。クロアが頼りとする朱色の仲間が、無邪気に景色を眺めている。
「せっかく飛獣を見つけたんだもの。わたしはひとりででも戦う気よ」
「クノードさまがイヤがっていらしても?」
「お父さまに心配をかけるのは、気が引けるけど……」
父に従順であること以上にクロアが大切にしたいものがあった。
「憧れなのよ、悪党を倒す英雄って」
「きっかけはエミディオ王の英雄譚ですね?」
エミディオ王とは聖王国の東隣りに位置する国の先王だ。その国は武道第一の国風こそないが、彼は武断の王だった。数々の反乱をみずからの手腕で鎮圧したという。その雄々しい活躍の影には失ったものも多く、先王の生き様はしばしば演芸の場で再現がなされる。クロアは脚本家の脚色が混じった人物像に親しんでおり、この王のことはいたく気に入っている。
「ええ、そう。『あの方のような立派な人になるんだ』って小さいときはよく思ったもの」
レジィは笑って「変わっていますね」と不躾な感想を述べる。
「エミディオ王はかっこいい人ですけど、女の子は普通『ああなりたい』とは思いませんよ。『ああいう男性のお嫁さんになりたい』と思うんです」
「いいじゃない、わたしは普通じゃないんだもの」
クロアは自分の腕を見た。衣服で覆うと筋肉が発達していることなぞわからなくなる程度の太さだ。しかしこの腕は常人の臂力の何倍もの力を出せる。
「この腕力を活かさない手はないわ」
「はい、きっと……神さまはアンペレのためにクロアさまを遣わしたんだと思います」
戦士が集まらない土地に、武勇にすぐれた公女が誕生する──その天の采配は的確だ。
「どうせなら男に生まれさせてくれたらよかったのだけどね」
「クロアさまが男だったらたぶん、バリバリに戦いすぎて早死しちゃいますよ。剣王国の第一王子がそんな危険のある人らしいですよ」
聖王国の西隣りは尚武の国。それゆえ王族も勇猛果敢な戦士に育つ。特に現王の長男は無鉄砲なきらいがある。住民を脅かす存在を討伐する際にはまっさきに名乗り出て、大怪我をして帰還する──と、いうふうに聖王国内では話題にのぼる。その向こう見ずな性格はクロアと性情が通じるのではないか、とも言われる。
「あの王子はわたしと似たような方らしいけれど、一番のちがいは腕の良い療術士がそばにいるかどうかよね」
クロアが同意を求めてレジィを見る。彼女は照れて「そ〜ですかね」と否定はしなかった。クロアはふふっと笑う。そしてふとした謎が頭をよぎる。
「あちらの国では療術を扱える人が極端にすくないんでしょう? この国だと騎士でも当たり前のように使うのに、ちょっと信じがたいわ」
「剣王国はお国柄、気性の荒い人が多いらしいですから……療術は思いやりのある人でないと習得がむずかしいそうです。もちろん、生まれつきの素質も重要なんですけど」
「血筋の影響が強いのかしらね。カスバンなんか心優しさのカケラもなさそうだけど、療術はちゃんと使えるんでしょ」
「えっと、どうなんでしょう……あ、そうそう」
レジィは答えづらい話題を転換し、自身の招獣を呼び出した。首輪を巻いた獣が現れる。薄黄色の鼬(いたち)だ。胴が細長く、一本の襟巻きのようでもある。
「これから招獣の首輪を買うんでしたよね」
鼬はレジィに胴体を持たれる。その状態でクロアのそばにいる猫を見つめた。
「マルくんは変身しないですけど、いちおうは伸縮自在の首輪をつけてるんです。いつかは変身できるくらいに強くなるかも、と思って」
「ふーん、見た目は普通の首輪なのね」
鼬の首元には一粒の宝石が光っていた。クロアは飛馬の馬装を思い出す。
「うちの飛馬も宝石のついた飾りを着けた気がするわ。同じ種類なの?」
「ええと、用途がちがうんです。お屋敷の飛馬はみんなが使える招獣ですよね。それは盟約を交わさずに道具で縛りつけているんです。道具でしたがわせられる個体には条件があって、人の言葉を話せるような魔力の高い魔獣には効きませんけど……」
レジィがクロアの顔色を見ながら説明する。言葉を選んでいるようだ。クロアはレジィの反応の意味がわからない。
「どうしたの? 知ってることは全部教えてちょうだい」
「はい、でも……あたしは仕官したときに『基礎知識だから』と学官に教えてもらったんです。クロアさまもたぶん……」
レジィは言葉尻をにごす。百官が知り得ることを主君が知らない、無知だとはっきり言う度胸がないのだ。クロアは自信満々に「わすれたわ!」と断言する。
「道具で服従させるのはわたしの好みじゃないの。だいたい呼び出せないんじゃ不便よ」
「それが……呼べるんですよ。飛馬の装身具と対になる道具を持っていれば、だれでも招術が使えるんです」
「対になる道具って?」
「一般的には指輪ですね。飛馬に騎乗するまえに厩舎の人がくれませんか?」
「いつもダムトが飛馬を操るから、よくわからないわ」
「いつも相乗りしてるんですか?」
レジィが顔を赤くした。クロアはまたも少女の意図がわからない。
「むかしからそうしてたわ。これは変?」
「いえ、変じゃないです。だって、ひとりで乗ってて落馬したら危ないですもんね」
「そうでしょう。みんな過保護なのよ、わたしひとりになにかをさせたら事件が起きると思っているんだもの。だから二人も専属の付き人をはべらすことになってるの。妹たちにはいないのにね」
クロアたちの体が前後に揺らぐ。車窓から見える景色は止まっている。馬車が目的地に到着したらしい。クロアはベニトラを抱えた。みずから戸を開ける。すると御者台から降りたエメリが笑っている。
「相変わらず気がお早いですね。貴人は御者が戸を開けるのを待つものですよ」
「あら、よその貴族は非力すぎて馬車の戸も開けられないのね」
クロアの冗談を受け、またもエメリは笑う。クロアはエメリに馬車の見張りを任せ、目当ての店へ入った。
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