2019年01月30日
クロア篇−3章1
クロアはベニトラをぬいぐるみのように抱きかかえ、招獣の専門店へ入った。店内の戸棚に装飾品や薬などの商品が陳列してある。だが生物の姿は見えない。クロアは招獣の店には招獣もいるものだと想像していた。
「招獣は取りあつかっていないのね」
「あ、売り子さんの後ろにいますよ」
鼬を肩に乗せたレジィが勘定台の奥を指差した。勘定台では帳面になにかを書き付けるヒゲの中年男性がいる。その背後には檻に入った猫や鳥などが並んでいた。
「飛馬はいないのかしら。そういう飛獣は人気があるはずでしょ」
中年の男性が手を止めた。無愛想に「飛獣が御入り用で?」と聞いてくる。クロアは見ず知らずの他人用の、丁寧な対応に切り替える。
「いえ、いるかどうか気になるのですわ」
「店の後ろにいますよ。買ってくれる客には見せますがね」
「そうでしたの。では遠慮しますわ」
疑問を解決したクロアは商品の見物をはじめる。ここはこれまで訪れる機会のなかった店だ。好奇心を大いに刺激された。購入予定になかった物品にも注目し、手にとる。
「術を使用する招獣向けの精気回復薬……こんなものもあるのね」
瓶詰の丸薬から普通の焼き菓子にしか見えぬものまで、種類はさまざまだ。
「ベニーくんに要りますかね?」
ベニーとはベニトラの愛称だ。ベニトラの名はこの地域では馴染みの薄い音ゆえに、呼びやすい名前をレジィが付けた。ベニトラ自身に了解をとっていないが、別段不服はないようだ。本名と愛称のどちらで呼んでも、ベニトラは尻尾を揺らした。クロアがベニトラに「どう?」と聞くと、垂れていた尻尾が上がる。
「余財はあるのか?」
「ちゃんとあるわ」
「ならばひととおり食してみたい」
「ええ、よくてよ」
突然、店内で騒がしい音が鳴った。勘定台の店員が椅子を倒したらしい。椅子から立ち上がった店員はベニトラを凝視する。
「そ、の赤毛の猫……話せるんですかい?」
「そうですけど、そんなに驚くことですの?」
「いや、その……町を荒らしてた魔獣も、同じ毛色でしたね?」
「同じ子ですわ」
店員はおびえ、勘定台の後方へ倒れた。クロアたちはすぐさま勘定台に寄りかかり、店員の容態を確かめる。痛がる店員のそばに椅子が転がっていた。倒した椅子に足が引っ掛かったようだ。
「あのう、おケガはありませんか?」
レジィの声は店員に届いていなかった。彼は勘定台に座る朱色の猫に一点集中する。ベニトラは悠長に自身の胸をなめていた。
「ひ、人喰いの魔獣!」
「人喰い? 死者は出なかったと聞きましたけれど」
クロアはレジィと顔を見合わせた。二人とも、魔獣の被害に遭った現場には立ちあっていない。そのため実際の状況は把握していなかった。レジィは「治療にあたった医官によると……」と伝聞を思い出す。
「お腹を噛まれたまま振り回された人がいたらしいです。そのことを『人喰い』と言ってるんでしょうか?」
「それだけじゃない!」
男性店員が怯えたまま凄む。
「首を噛まれたり土手っ腹に爪が刺さったり、悲惨だった! そんなむごいことをしでかした魔獣を、よく連れて歩けるな!」
店員が剣突くをくらわせてくるが、クロアは冷静に首を横にふる。
「あれはこの子の意思でやったことじゃありませんわ」
「信じられんな。そいつは『人間が憎い』と言っていたそうじゃないか」
クロアの予期しない情報だ。「本当?」と不幸な加害者に問う。問われた獣は毛づくろいを止めた。こっくりうなずく。肯定の態度だと見たクロアは考えうる理由を挙げる。
「赤い石のせいで混乱して、そうしゃべったのでしょう?」
「いかにも。あの男への憤怒が転換されたとおぼしい」
店員は恐怖心が残る顔のまま、居住まいを正した。椅子に腰を下ろすが、その位置は勘定台から人一人分の距離がある。その距離が双方の心の遠さを意味した。
クロアはベニトラが脅威のない獣だと知らしめるため、その頭をぐりぐりなでる。
「わたくし、昨晩はこの子と一緒に寝ましたのよ」
就寝中のクロアは寝相でベニトラを苦しめた。それでもこの獣は寝台のすみで大人しくしていた。その我慢強さはベニトラに他者への思いやりがあることの証になる。
「一夜明かしてみて、無事に起きられましたもの。この子は自分から人を傷つけるような魔獣じゃありませんわ」
店員がしげしげとクロアの風貌に注目する。
「……あなたは公女様なのか? お付きの護衛と二人で魔獣を討ったっていう……」
「あら、いまお気づきになったの」
クロアは多くの住民が公女の姿を目にしたことがないとは知っていた。だが風貌の伝聞自体は広まっているものだと思っていた。
「わたくしの特徴をご存知なかったのね」
「いや、ま、特徴といえばいろいろ聞いていましたけど……想像とはちがったな、と」
「どんな特徴をお聞きになっていらしたの?」
クロアは自分の容姿が珍しいほうだと考えている。男性並みに身長があり、赤銅色の長い髪と、色香は母に劣れども肉感的な身体を持つ。加えるなら貴人らしい品格もあるだろう。これらを合わせもつ女性はありふれていないはずだ。
店員はクロアから目線を逸らした。あごのヒゲをいじって、なにかを考えている。
「その……髪の色が濃い赤だったり……」
「そういう人はわたくし以外にもいらっしゃるでしょうね。ほかには?」
「体が……」
「大きいでしょう?」
「熊みたいに大きくて粗暴だとか……」
熊を人にたとえる場合は通常、男性を指す。それも乱暴で荒々しい人に、だ。クロアは自己認識との乖離に憤慨する。
「なんてこと、わたしが粗雑な乱暴者ですって?」
店員は首を横にふるって「噂です、うわさ」と自分の発言に非がないことを強調した。無論クロアも目の前の男性を害するつもりはない。ただ自分が上品な立ち居振る舞いを心がけているのに、そうではない人と同じ見方をされたことに腹が立った。
ふぎゃっ、という鳴き声がクロアの手元から聞こえた。なでていたベニトラをうっかり手で押しつぶしたのだ。猫は腹ばいになっている。自由が利く尻尾でクロアの腕を叩いた。その尻尾攻撃に痛みは感じない。ただの抗議の態度だ。
「ごめんなさいね、つい力が入ってしまいましたわ」
クロアは猫の後頭部から尻までの毛先に手をすべらせた。その動作を何度かすると、ふさふさな尻尾の角度が下がる。尻尾は台の上を掃除するかのごとくうごいた。
店員がずずっと椅子を引きずり、接近する。
「……こうして見ると、大人しい猫みたいだな」
ベニトラの温柔さを店員が認める。彼は後方の売り物らしき黒猫や白猫を指して「あいつらのほうがよっぽど気性が荒かった」とつぶやく。
「で、公女様がうちになんのご用で?」
店員の顔にいくらか笑みが浮かんだ。クロアはさっそく本題に入る。
「この子に合う首輪をひとつ売っていただきたいのです。体型に合わせて伸縮する種類があると聞きましたわ」
「ああ、それなら……」
店員が勘定台の横に設置した自在扉を開けた。売り場へ出てくる。ベニトラに背を向けながら商品を紹介している。その姿には警戒心がなかった。
「招獣は取りあつかっていないのね」
「あ、売り子さんの後ろにいますよ」
鼬を肩に乗せたレジィが勘定台の奥を指差した。勘定台では帳面になにかを書き付けるヒゲの中年男性がいる。その背後には檻に入った猫や鳥などが並んでいた。
「飛馬はいないのかしら。そういう飛獣は人気があるはずでしょ」
中年の男性が手を止めた。無愛想に「飛獣が御入り用で?」と聞いてくる。クロアは見ず知らずの他人用の、丁寧な対応に切り替える。
「いえ、いるかどうか気になるのですわ」
「店の後ろにいますよ。買ってくれる客には見せますがね」
「そうでしたの。では遠慮しますわ」
疑問を解決したクロアは商品の見物をはじめる。ここはこれまで訪れる機会のなかった店だ。好奇心を大いに刺激された。購入予定になかった物品にも注目し、手にとる。
「術を使用する招獣向けの精気回復薬……こんなものもあるのね」
瓶詰の丸薬から普通の焼き菓子にしか見えぬものまで、種類はさまざまだ。
「ベニーくんに要りますかね?」
ベニーとはベニトラの愛称だ。ベニトラの名はこの地域では馴染みの薄い音ゆえに、呼びやすい名前をレジィが付けた。ベニトラ自身に了解をとっていないが、別段不服はないようだ。本名と愛称のどちらで呼んでも、ベニトラは尻尾を揺らした。クロアがベニトラに「どう?」と聞くと、垂れていた尻尾が上がる。
「余財はあるのか?」
「ちゃんとあるわ」
「ならばひととおり食してみたい」
「ええ、よくてよ」
突然、店内で騒がしい音が鳴った。勘定台の店員が椅子を倒したらしい。椅子から立ち上がった店員はベニトラを凝視する。
「そ、の赤毛の猫……話せるんですかい?」
「そうですけど、そんなに驚くことですの?」
「いや、その……町を荒らしてた魔獣も、同じ毛色でしたね?」
「同じ子ですわ」
店員はおびえ、勘定台の後方へ倒れた。クロアたちはすぐさま勘定台に寄りかかり、店員の容態を確かめる。痛がる店員のそばに椅子が転がっていた。倒した椅子に足が引っ掛かったようだ。
「あのう、おケガはありませんか?」
レジィの声は店員に届いていなかった。彼は勘定台に座る朱色の猫に一点集中する。ベニトラは悠長に自身の胸をなめていた。
「ひ、人喰いの魔獣!」
「人喰い? 死者は出なかったと聞きましたけれど」
クロアはレジィと顔を見合わせた。二人とも、魔獣の被害に遭った現場には立ちあっていない。そのため実際の状況は把握していなかった。レジィは「治療にあたった医官によると……」と伝聞を思い出す。
「お腹を噛まれたまま振り回された人がいたらしいです。そのことを『人喰い』と言ってるんでしょうか?」
「それだけじゃない!」
男性店員が怯えたまま凄む。
「首を噛まれたり土手っ腹に爪が刺さったり、悲惨だった! そんなむごいことをしでかした魔獣を、よく連れて歩けるな!」
店員が剣突くをくらわせてくるが、クロアは冷静に首を横にふる。
「あれはこの子の意思でやったことじゃありませんわ」
「信じられんな。そいつは『人間が憎い』と言っていたそうじゃないか」
クロアの予期しない情報だ。「本当?」と不幸な加害者に問う。問われた獣は毛づくろいを止めた。こっくりうなずく。肯定の態度だと見たクロアは考えうる理由を挙げる。
「赤い石のせいで混乱して、そうしゃべったのでしょう?」
「いかにも。あの男への憤怒が転換されたとおぼしい」
店員は恐怖心が残る顔のまま、居住まいを正した。椅子に腰を下ろすが、その位置は勘定台から人一人分の距離がある。その距離が双方の心の遠さを意味した。
クロアはベニトラが脅威のない獣だと知らしめるため、その頭をぐりぐりなでる。
「わたくし、昨晩はこの子と一緒に寝ましたのよ」
就寝中のクロアは寝相でベニトラを苦しめた。それでもこの獣は寝台のすみで大人しくしていた。その我慢強さはベニトラに他者への思いやりがあることの証になる。
「一夜明かしてみて、無事に起きられましたもの。この子は自分から人を傷つけるような魔獣じゃありませんわ」
店員がしげしげとクロアの風貌に注目する。
「……あなたは公女様なのか? お付きの護衛と二人で魔獣を討ったっていう……」
「あら、いまお気づきになったの」
クロアは多くの住民が公女の姿を目にしたことがないとは知っていた。だが風貌の伝聞自体は広まっているものだと思っていた。
「わたくしの特徴をご存知なかったのね」
「いや、ま、特徴といえばいろいろ聞いていましたけど……想像とはちがったな、と」
「どんな特徴をお聞きになっていらしたの?」
クロアは自分の容姿が珍しいほうだと考えている。男性並みに身長があり、赤銅色の長い髪と、色香は母に劣れども肉感的な身体を持つ。加えるなら貴人らしい品格もあるだろう。これらを合わせもつ女性はありふれていないはずだ。
店員はクロアから目線を逸らした。あごのヒゲをいじって、なにかを考えている。
「その……髪の色が濃い赤だったり……」
「そういう人はわたくし以外にもいらっしゃるでしょうね。ほかには?」
「体が……」
「大きいでしょう?」
「熊みたいに大きくて粗暴だとか……」
熊を人にたとえる場合は通常、男性を指す。それも乱暴で荒々しい人に、だ。クロアは自己認識との乖離に憤慨する。
「なんてこと、わたしが粗雑な乱暴者ですって?」
店員は首を横にふるって「噂です、うわさ」と自分の発言に非がないことを強調した。無論クロアも目の前の男性を害するつもりはない。ただ自分が上品な立ち居振る舞いを心がけているのに、そうではない人と同じ見方をされたことに腹が立った。
ふぎゃっ、という鳴き声がクロアの手元から聞こえた。なでていたベニトラをうっかり手で押しつぶしたのだ。猫は腹ばいになっている。自由が利く尻尾でクロアの腕を叩いた。その尻尾攻撃に痛みは感じない。ただの抗議の態度だ。
「ごめんなさいね、つい力が入ってしまいましたわ」
クロアは猫の後頭部から尻までの毛先に手をすべらせた。その動作を何度かすると、ふさふさな尻尾の角度が下がる。尻尾は台の上を掃除するかのごとくうごいた。
店員がずずっと椅子を引きずり、接近する。
「……こうして見ると、大人しい猫みたいだな」
ベニトラの温柔さを店員が認める。彼は後方の売り物らしき黒猫や白猫を指して「あいつらのほうがよっぽど気性が荒かった」とつぶやく。
「で、公女様がうちになんのご用で?」
店員の顔にいくらか笑みが浮かんだ。クロアはさっそく本題に入る。
「この子に合う首輪をひとつ売っていただきたいのです。体型に合わせて伸縮する種類があると聞きましたわ」
「ああ、それなら……」
店員が勘定台の横に設置した自在扉を開けた。売り場へ出てくる。ベニトラに背を向けながら商品を紹介している。その姿には警戒心がなかった。
タグ:クロア
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