2016年10月02日
映画「時をかける少女(2010年版)」の感想…良い映画だと思うけども。
ずっと見直そう、見直そうと思っていましたが、
やっと観る事が出来ました、映画「時をかける少女(2010年版)」!!
という事で、今回は映画「時をかける少女(2010年版)」の感想です。
今回はレンタルDVDでの鑑賞です。
今までに映画「時をかける少女」の感想を書いてきまして、ついに今出ている映画版の最後の感想です。
映画「時をかける少女(1983年版)」、映画「時をかける少女(1997年版)」、映画「時をかける少女(細田守版)」、
それぞれの感想は各ページにて。
さて、今回の映画「時をかける少女(2010年版)」は谷口正晃監督の2010年公開作品。
基本的には映画「時をかける少女(1983年版)」や映画「時をかける少女(1997年版)」の、
いわゆる筒井康隆の小説版「時をかける少女」のストーリーの後日談にあたる。
が、大体の話の流れのつながりというか、整合性が取れてない部分も出てくるので、
なんとなくの話の別ものストーリーという感じに観る方がいいかなと。
まあ、角川春樹監督の映画「時をかける少女(1997年版)」はあそこで完結しちゃってるからね。
「時をかける少女」で角川春樹版を最初に浮かべる人は少ないと思いますが、
映画としての評価よりも、あれをどうしても作りたくて、そして作ったという角川春樹の「想い」は相当だと思う。
今の世の中で一番人気はアニメーション映画である映画「時をかける少女(細田守版)」だと思いますが、
細田守版では芳山和子は絵の修復師なので、全くの別世界。
まだ映画「時をかける少女(2010年版)」を観てないって人は、もし過去の映画版を観ていないのであれば、
とりあえずは大林宣彦版の映画「時をかける少女(1983年版)」は観ておくか、小説版「時をかける少女」は読んでおいた方がいいのかなと。
さて、映画「時をかける少女(2010年版)」は先ほどからも書いてますが、筒井康隆の小説版「時をかける少女」の主人公である芳山和子、その娘である芳山あかりが主人公の話。
小さい頃に父親が出て行ってしまったため母親1人に育てられたあかり。
あかりが大学に合格したのも束の間、母親である和子が交通事故にあってしまう。
病室で意識を取り戻すも、朦朧とする和子は「会いにいかなきゃ」とベッドから起きようとする。
必死に止めるあかりは和子の変わりに「フカマチカズオ」という人物に会い行き伝言を伝えることに。
しかし会いに行く場所は「1972年の4月」…和子に言われたまま研究室の薬を飲んで強く念じたが、
とっさに強く念じた時間が「1974年の2月」だったため、1974年の2月にタイムリープしてしまう。
予定の時よりも2年後だったためか、なかなか「フカマチカズオ」という人物を知る人がいない。
たまたまタイムリープ先で出会った映画監督を目指す溝呂木涼太と共に「フカマチカズオ」を探し始めるのだが…とうい話。
主演のあかりを演じるのは、映画「時をかける少女(細田守版)」でも声優をした仲里依紗。
映画とは全然関係ないけど、仲里依紗みたいなちょっとキツめな感じの顔、好きなんですよね。
…と、個人的な好みを挟みつつ。
仲里依紗ってちょっと元SKEの佐藤聖羅と似てますよね…目の感じとか…うん、完全に個人的好み。
キャラクターとしてはアニメ版の主人公に近い様な、おちゃらけたというか活発な女の子。
あの和子からこんな娘が産まれるのか…と思ったら、和子もなんかイメージが変わっていた…、
というのはまた後ほど触れようと思います。
まあ、とりあえず仲里依紗はキレイだったからいっか…。
でも、ただのビジュアルだけの話じゃなくて、表情と仕草とかも良かったと思います。
あかりを助けてくれる溝呂木涼太役は中尾明慶。
このブログでは映画「闇金ウシジマ君 Part2」でもちょこっと触れていますが、
あの映画では演出のせいかイマイチだった感は否めないが、この映画「時をかける少女(2010年版)」ではしっかり見せてくれます。
さすが後に仲里依紗の夫になる人ですよ。
中尾明慶の顔つきがなんとなく昭和感があるのは凄く役にあっていたと思う。
他にも触れたい役者はいますが、なんといっても長谷川政道役の青木崇高。
今回はゴテツという溝呂木涼太の映画仲間でカメラマンの役。
ネタバレにもなると思うので、何とは書かないけど、ちょっとした役である。
青木崇高の持っているあの鋭い眼光は「只者じゃない」感じを今回も出してました。
結構、彼は好きなんですけどね…やっぱ映画「るろうに剣心 伝説の最期編」の相楽左之助は酷かった。
もちろん、彼のせいではなく監督の演出のせいなんだけど…本当に大友啓史監督の演出はダメだわ。
そして芳山和子役には安田成美。
さっきもちょっと書いたけど、例えば映画「時をかける少女(1983年版)」の和子のイメージとかみんなあるじゃないですか。
もともと活発な女の子って描写でもなかったし、特に映画最後の大人になってすれ違う時の感じとか。
どう観ても明るいってよりかは暗い感じの人間だと思うんですよね。
和子をあのイメージで持っていると愕然としますよね。
誰だお前は!…みたいな。
まあ、映画それぞれの世界観だから良いんだけど、どっちかというと映画「時をかける少女(細田守版)」に出てくる和子の方があの和子ですよね。
安田成美が悪いってよりは監督の演出なんだろうけど…まあ、なんかこれについてはちょっと残念な気持ちはあった。
さて、ちょっと感想を書くにあたって、どうしても今回はネタバレが出てしまうので、
「時をかける少女」って話を全く知らないって人は、まずは何も知らずに映画「時をかける少女(1983年版)」を観ましょう。
今観ても全然面白いですよ…今だからこそ奇抜に見える部分もありますし。
という事で、ここからネタバレが含まれてきますので要注意。
まず今回、良いなって思ったのは、主人公が未来人になる話であること。
映画「時をかける少女(1983年版)」とかで行ったら深町君視点。
この映画「時をかける少女(2010年版)」は映画で4回目の作品。
新作の「時をかける少女」をどんな話にするかって考えた際、主人公が未来人ってのはアリだと思う。
深町君がどんな悲しみ、どんな思いを抱いて生きているか、という感じが分かる。
そして、過去作品を知っていた方が楽しめるけど映画単体でもちゃんと話が完結してるのは良いね。
谷口正晃はこの映画「時をかける少女(2010年版)」が長編映画監督のデビュー作。
であるにもかかわらず、結構しっかり作っている。
色んな監督の助監督を務めた経験がしっかり活かされているんじゃないかなと。
うーん、ってところも後ほど書きますが、最初にこのレベルだったら凄いと思う。
なんというか、新人監督にしては凄い落ち着いた映画の作りだった。
後輩が言うにはイマイチだったと言っていたが、個人的には1つの映画としては良い出来だと思います。
ただ、手放しでこれは良作だーって言う訳にもいかないのでした。
和子のキャラがイメージと違うってのはとりあえず良しとして、
映画冒頭で和子が個人的実験で「アリ」がタイムリープしてる描写があるのですが、
「タイムリープ」が強く願うことが発動条件だったら「アリ」は無理だろ。
ネズミの実験だったとしてもどうかな〜って思うのに、「アリ」が強く願うものなのだろうか。
で、そもそもその時点は深町君の記憶は戻ってない。
何か「過去に戻る実験をしなきゃと使命感がでる」のは、なんとなく記憶に刻まれてるってのは分かるけど、
あそこで吾朗ちゃんが写真持ってこなくて、記憶が戻らなかったらどうしたんだろうか。
実験は成功したけど、じゃあどうしよう…みたいな感じにならないか…というかその成果発表した方が…。
納得できる順番としては、写真を見て記憶が戻ってから薬を完成させる方がなんかスムーズな運びな気もする。
まあ、そこら辺はいいや。
とりあえず、交通事故にあって自分は動けない…だったら動けるようになってから自分でいけよ!
…って思うけど、まあ大人の事情で娘のあかりが行く訳です、過去に。
過去に行くために実験室に行って、母のデスクから薬を出して飲む!
他に薬とかなくて良かったよね…何も書いてない試験管に入った薬とかよく飲むな、と思わずツッコミ。
まあ、薬を飲んで強く念じると…でも、念じるっつってもどう念じてるんだろうね、あれは。
なんとなく、自分の過去とかだったら強く念じれそうだけど、タイムリープって数字を強く念じれば良いものなの?
確かに深町君も未来からどう念じたのかって分からないけど…。
まあいいや、とりあえず強く念じてタイプリープすると。
…ね、あのタイムリープ時のCGは何?
すっげえダサいんだけど。
いや、大林宣彦版のダサさを少しは意識したのかもしれないけど、
CG使ってあれは単純にダサい…ダサすぎる。
映画を通してあそこだけ変なヴィジュアルになってるんだけど…なに?
あそこのシーンをカットしてつなげるだけでも映画の評価が上がりそうな気がするのだが。
タイムリープ後の1974年の日本は頑張って演出はしている。
街の人の着ているものから看板とかの雰囲気まで…頑張ってる。
あそこにいる未来からきた仲里依紗の格好が違和感に見えるってのはそういう事だと思う。
当時の日本では家に鍵かけないんだ…とか思ったりもするけど、そうなのかもしれない。
それにしても、可愛い女の子が男1人の部屋に泊まりこむってのは凄いよね。
涼太が良い奴で良かったよ。
貯めていた100円がこんな形で役に立ったか、と思わせる展開で遂に深町君と再会!
いつの間にか深町君が渋いおじ様になっていました。
もろもろ色々ありまして、現在に戻ってくる訳です。
やっぱすれ違うシーンは意識して入れたのでしょうが、今回は振り向かず。
まあ、本人同士じゃないし…仕方が無いか。
最後のフィルムのシーンとか好きだなあ。
どうしても入れたいラストカットがあかりが行ってしまうシーン。
涼太もいつかはあかりが未来にもどってしまうのは止められないと分かってしたのでしょう。
その彼女に残したメッセージ。
あのタイミングでそんな粋なメッセージを残すのは「まるで自分が帰ってこれないのを知っていた」かの様ですが。
ちょっと出来すぎかなって気もしなくはないですが、まあグッとくるシーンですよね。
全然関係ないけど、柄本時生がギターもって歌ってるとプロミスのCMにしか見えない。
そんな訳で、なんか乗り切れない部分もありますが、「時をかける少女」って感じで見なければ良い映画だと思うんだけどなあ。
つまり「時をかける少女」ってなんだって言ったら「過去と未来の成就できない恋」と共に、
「壊したくない三角関係」みたいな青春要素もあるもので。
「今このときを壊したくない」みたいな。
確かに「未来に戻らなくってもいい」っていう今を壊したくない感じはあるのだけど、
今回は三角関係要素がないので、ちょっと「時をかける少女」感が薄くなっちゃったかなあ。
「時をかける少女」としてじゃなく1本の映画として観るのをおススメ。
だけど一応過去作は見ておいた方が良いという…ちょっとそれは都合が良すぎるかなあ。
これはどうでも良いことだけど、最後のフィルムで監督溝呂木涼太って出るけど、
カメラマンとか他の人の名前は出て来なかったのだろうか…。
まあそれはいっか。
今回、劇中でバラードの歌が流れるのはちょっとうまい演出とは言えないなあ。
やっと観る事が出来ました、映画「時をかける少女(2010年版)」!!
という事で、今回は映画「時をかける少女(2010年版)」の感想です。
今回はレンタルDVDでの鑑賞です。
今までに映画「時をかける少女」の感想を書いてきまして、ついに今出ている映画版の最後の感想です。
映画「時をかける少女(1983年版)」、映画「時をかける少女(1997年版)」、映画「時をかける少女(細田守版)」、
それぞれの感想は各ページにて。
さて、今回の映画「時をかける少女(2010年版)」は谷口正晃監督の2010年公開作品。
基本的には映画「時をかける少女(1983年版)」や映画「時をかける少女(1997年版)」の、
いわゆる筒井康隆の小説版「時をかける少女」のストーリーの後日談にあたる。
が、大体の話の流れのつながりというか、整合性が取れてない部分も出てくるので、
なんとなくの話の別ものストーリーという感じに観る方がいいかなと。
まあ、角川春樹監督の映画「時をかける少女(1997年版)」はあそこで完結しちゃってるからね。
「時をかける少女」で角川春樹版を最初に浮かべる人は少ないと思いますが、
映画としての評価よりも、あれをどうしても作りたくて、そして作ったという角川春樹の「想い」は相当だと思う。
今の世の中で一番人気はアニメーション映画である映画「時をかける少女(細田守版)」だと思いますが、
細田守版では芳山和子は絵の修復師なので、全くの別世界。
まだ映画「時をかける少女(2010年版)」を観てないって人は、もし過去の映画版を観ていないのであれば、
とりあえずは大林宣彦版の映画「時をかける少女(1983年版)」は観ておくか、小説版「時をかける少女」は読んでおいた方がいいのかなと。
さて、映画「時をかける少女(2010年版)」は先ほどからも書いてますが、筒井康隆の小説版「時をかける少女」の主人公である芳山和子、その娘である芳山あかりが主人公の話。
小さい頃に父親が出て行ってしまったため母親1人に育てられたあかり。
あかりが大学に合格したのも束の間、母親である和子が交通事故にあってしまう。
病室で意識を取り戻すも、朦朧とする和子は「会いにいかなきゃ」とベッドから起きようとする。
必死に止めるあかりは和子の変わりに「フカマチカズオ」という人物に会い行き伝言を伝えることに。
しかし会いに行く場所は「1972年の4月」…和子に言われたまま研究室の薬を飲んで強く念じたが、
とっさに強く念じた時間が「1974年の2月」だったため、1974年の2月にタイムリープしてしまう。
予定の時よりも2年後だったためか、なかなか「フカマチカズオ」という人物を知る人がいない。
たまたまタイムリープ先で出会った映画監督を目指す溝呂木涼太と共に「フカマチカズオ」を探し始めるのだが…とうい話。
主演のあかりを演じるのは、映画「時をかける少女(細田守版)」でも声優をした仲里依紗。
映画とは全然関係ないけど、仲里依紗みたいなちょっとキツめな感じの顔、好きなんですよね。
…と、個人的な好みを挟みつつ。
仲里依紗ってちょっと元SKEの佐藤聖羅と似てますよね…目の感じとか…うん、完全に個人的好み。
キャラクターとしてはアニメ版の主人公に近い様な、おちゃらけたというか活発な女の子。
あの和子からこんな娘が産まれるのか…と思ったら、和子もなんかイメージが変わっていた…、
というのはまた後ほど触れようと思います。
まあ、とりあえず仲里依紗はキレイだったからいっか…。
でも、ただのビジュアルだけの話じゃなくて、表情と仕草とかも良かったと思います。
あかりを助けてくれる溝呂木涼太役は中尾明慶。
このブログでは映画「闇金ウシジマ君 Part2」でもちょこっと触れていますが、
あの映画では演出のせいかイマイチだった感は否めないが、この映画「時をかける少女(2010年版)」ではしっかり見せてくれます。
さすが後に仲里依紗の夫になる人ですよ。
中尾明慶の顔つきがなんとなく昭和感があるのは凄く役にあっていたと思う。
他にも触れたい役者はいますが、なんといっても長谷川政道役の青木崇高。
今回はゴテツという溝呂木涼太の映画仲間でカメラマンの役。
ネタバレにもなると思うので、何とは書かないけど、ちょっとした役である。
青木崇高の持っているあの鋭い眼光は「只者じゃない」感じを今回も出してました。
結構、彼は好きなんですけどね…やっぱ映画「るろうに剣心 伝説の最期編」の相楽左之助は酷かった。
もちろん、彼のせいではなく監督の演出のせいなんだけど…本当に大友啓史監督の演出はダメだわ。
そして芳山和子役には安田成美。
さっきもちょっと書いたけど、例えば映画「時をかける少女(1983年版)」の和子のイメージとかみんなあるじゃないですか。
もともと活発な女の子って描写でもなかったし、特に映画最後の大人になってすれ違う時の感じとか。
どう観ても明るいってよりかは暗い感じの人間だと思うんですよね。
和子をあのイメージで持っていると愕然としますよね。
誰だお前は!…みたいな。
まあ、映画それぞれの世界観だから良いんだけど、どっちかというと映画「時をかける少女(細田守版)」に出てくる和子の方があの和子ですよね。
安田成美が悪いってよりは監督の演出なんだろうけど…まあ、なんかこれについてはちょっと残念な気持ちはあった。
さて、ちょっと感想を書くにあたって、どうしても今回はネタバレが出てしまうので、
「時をかける少女」って話を全く知らないって人は、まずは何も知らずに映画「時をかける少女(1983年版)」を観ましょう。
今観ても全然面白いですよ…今だからこそ奇抜に見える部分もありますし。
という事で、ここからネタバレが含まれてきますので要注意。
まず今回、良いなって思ったのは、主人公が未来人になる話であること。
映画「時をかける少女(1983年版)」とかで行ったら深町君視点。
この映画「時をかける少女(2010年版)」は映画で4回目の作品。
新作の「時をかける少女」をどんな話にするかって考えた際、主人公が未来人ってのはアリだと思う。
深町君がどんな悲しみ、どんな思いを抱いて生きているか、という感じが分かる。
そして、過去作品を知っていた方が楽しめるけど映画単体でもちゃんと話が完結してるのは良いね。
谷口正晃はこの映画「時をかける少女(2010年版)」が長編映画監督のデビュー作。
であるにもかかわらず、結構しっかり作っている。
色んな監督の助監督を務めた経験がしっかり活かされているんじゃないかなと。
うーん、ってところも後ほど書きますが、最初にこのレベルだったら凄いと思う。
なんというか、新人監督にしては凄い落ち着いた映画の作りだった。
後輩が言うにはイマイチだったと言っていたが、個人的には1つの映画としては良い出来だと思います。
ただ、手放しでこれは良作だーって言う訳にもいかないのでした。
和子のキャラがイメージと違うってのはとりあえず良しとして、
映画冒頭で和子が個人的実験で「アリ」がタイムリープしてる描写があるのですが、
「タイムリープ」が強く願うことが発動条件だったら「アリ」は無理だろ。
ネズミの実験だったとしてもどうかな〜って思うのに、「アリ」が強く願うものなのだろうか。
で、そもそもその時点は深町君の記憶は戻ってない。
何か「過去に戻る実験をしなきゃと使命感がでる」のは、なんとなく記憶に刻まれてるってのは分かるけど、
あそこで吾朗ちゃんが写真持ってこなくて、記憶が戻らなかったらどうしたんだろうか。
実験は成功したけど、じゃあどうしよう…みたいな感じにならないか…というかその成果発表した方が…。
納得できる順番としては、写真を見て記憶が戻ってから薬を完成させる方がなんかスムーズな運びな気もする。
まあ、そこら辺はいいや。
とりあえず、交通事故にあって自分は動けない…だったら動けるようになってから自分でいけよ!
…って思うけど、まあ大人の事情で娘のあかりが行く訳です、過去に。
過去に行くために実験室に行って、母のデスクから薬を出して飲む!
他に薬とかなくて良かったよね…何も書いてない試験管に入った薬とかよく飲むな、と思わずツッコミ。
まあ、薬を飲んで強く念じると…でも、念じるっつってもどう念じてるんだろうね、あれは。
なんとなく、自分の過去とかだったら強く念じれそうだけど、タイムリープって数字を強く念じれば良いものなの?
確かに深町君も未来からどう念じたのかって分からないけど…。
まあいいや、とりあえず強く念じてタイプリープすると。
…ね、あのタイムリープ時のCGは何?
すっげえダサいんだけど。
いや、大林宣彦版のダサさを少しは意識したのかもしれないけど、
CG使ってあれは単純にダサい…ダサすぎる。
映画を通してあそこだけ変なヴィジュアルになってるんだけど…なに?
あそこのシーンをカットしてつなげるだけでも映画の評価が上がりそうな気がするのだが。
タイムリープ後の1974年の日本は頑張って演出はしている。
街の人の着ているものから看板とかの雰囲気まで…頑張ってる。
あそこにいる未来からきた仲里依紗の格好が違和感に見えるってのはそういう事だと思う。
当時の日本では家に鍵かけないんだ…とか思ったりもするけど、そうなのかもしれない。
それにしても、可愛い女の子が男1人の部屋に泊まりこむってのは凄いよね。
涼太が良い奴で良かったよ。
貯めていた100円がこんな形で役に立ったか、と思わせる展開で遂に深町君と再会!
いつの間にか深町君が渋いおじ様になっていました。
もろもろ色々ありまして、現在に戻ってくる訳です。
やっぱすれ違うシーンは意識して入れたのでしょうが、今回は振り向かず。
まあ、本人同士じゃないし…仕方が無いか。
最後のフィルムのシーンとか好きだなあ。
どうしても入れたいラストカットがあかりが行ってしまうシーン。
涼太もいつかはあかりが未来にもどってしまうのは止められないと分かってしたのでしょう。
その彼女に残したメッセージ。
あのタイミングでそんな粋なメッセージを残すのは「まるで自分が帰ってこれないのを知っていた」かの様ですが。
ちょっと出来すぎかなって気もしなくはないですが、まあグッとくるシーンですよね。
全然関係ないけど、柄本時生がギターもって歌ってるとプロミスのCMにしか見えない。
そんな訳で、なんか乗り切れない部分もありますが、「時をかける少女」って感じで見なければ良い映画だと思うんだけどなあ。
つまり「時をかける少女」ってなんだって言ったら「過去と未来の成就できない恋」と共に、
「壊したくない三角関係」みたいな青春要素もあるもので。
「今このときを壊したくない」みたいな。
確かに「未来に戻らなくってもいい」っていう今を壊したくない感じはあるのだけど、
今回は三角関係要素がないので、ちょっと「時をかける少女」感が薄くなっちゃったかなあ。
「時をかける少女」としてじゃなく1本の映画として観るのをおススメ。
だけど一応過去作は見ておいた方が良いという…ちょっとそれは都合が良すぎるかなあ。
これはどうでも良いことだけど、最後のフィルムで監督溝呂木涼太って出るけど、
カメラマンとか他の人の名前は出て来なかったのだろうか…。
まあそれはいっか。
今回、劇中でバラードの歌が流れるのはちょっとうまい演出とは言えないなあ。
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