2016年06月15日
映画「時をかける少女(1997年版)」を観た感想…吾朗の可愛そう感ハンパない。
以前、大林宣彦監督作品の映画「時をかける少女(1983年版)」を観た感想を書いたので、
とりあえず1997年版(角川春樹監督)の「時をかける少女」も書いておこうと。
という事で、映画「時をかける少女(1997年版)」の感想です。
通称、角川春樹監督版。
もちろん、大林宣彦監督作品の映画「時をかける少女(1983年版)」にも、
角川春樹は制作でかかわっているのですが監督してる1997年版が角川春樹監督版。
14年の月日が流れてのリメイクである映画「時をかける少女(1997年版)」ですが、
どうしてもリメイクという作品なので映画「時をかける少女(1983年版)」と比べられるのは仕方がない。
以前にも書いたのですが、「時をかける少女」の映画バージョンは現在4つありまして、
1983年の大林宣彦監督作、1997年の角川春樹作、2006年の細田守監督のアニメ版、
そして、2010年の谷口正晃監督作です。
アニメ版、2010年版はタイトルは同じ「時をかける少女」ですが、それぞれ違う話。
1983年版と1997年版は同じ芳山和子と深町一夫の話です。
ただ、同じ話と言ってもディテールは結構変えてありまして、
角川春樹監督がどんな感じで映画「時をかける少女」を作りたかったかが分かる作品かなと。
はっきり言ってこの1997年版の「時をかける少女」はほとんど記憶がありませんでした。
やはり映画「時をかける少女」と言ったら大林宣彦監督の1983年版のイメージが強すぎるし、
話としても「時をかける少女」と言ったら1983年版のものが「時をかける少女の話」として自分に残ってました。
改めて1997年版を観て、「あーこんな感じだったっけ」って。
今回も前回と同じく「dTV」を「Chromecast」で家のテレビで鑑賞しました。
月500円だったら安いと思うんですよね。
ただ、「今観たい」という映画があるかは別ですが…。
さて、それでは映画「時をかける少女(1997年版)」の感想です。
さっきも書いたのですがやっぱり比べられるのがリメイク作品。
で、大林宣彦監督の映画「時をかける少女(1983年版)」はツッコミどころがない訳じゃないどころか、
映画として、演出としておかしいんですよね。
なのに「なんかわかんないけど説得力がある」っていう、まさに大林宣彦監督の作品。
あれと比べられるのは可愛そうって気もするが…。
そんな事は100も承知で角川春樹監督はリメイクしてるのでしょう。
不勉強なもので、原作を読んでいないのですが、
原作に近いのは1983年版の方との事なので、そこから変更されている点はどこかのか、
「どんな内容に変わっているのかという事を考えると角川春樹監督の伝えたかったことが分かる」のかなと。
まず話とは関係ないところからなのですが、この映画「時をかける少女(1997年版)」はモノクロ映画です。
14年も前の大林宣彦監督版が効果的にというか映像効果でモノクロからカラーにしていたので、
今回もそんな感じでカラーになるのかと思ったら違っていました。
97年当時からしても昔の出来事なのでモノクロの雰囲気が合わない訳ではないけども…。
制作費とかもろもろ都合があったのかもしれないが、1983年版が印象的にモノクロ・カラーを使っているので、
全編モノクロはなんか物足りない印象が強くなってしまった気がしました。
主演は中本奈奈。
1997年という事もありモノクロではあるが、1983年版の原田知世の芳山和子と比べると、
今の女子高生な感じに近いかなと思う。
綺麗ですよね。
ただ、彼女の演技が悪いわけではないですが、
ストーリーが「和子と深町と吾朗」の話から「和子と深町」の話になっているため、
吾朗に対しての行動や言動が酷いし、終盤の展開のオメーのせいじゃん!ってのもあって、
なんとなく応援できない感じになっているような。
主人公に共感できないってのは結構マイナス要素だと思う。
深町を演じるのは中村俊介。
映画よりもドラマ俳優なイメージですがイケメンですよね。
1997年版では和子の幼馴染ではなく、20歳の転校生という設定に。
なんでそんな設定にしちゃったのかなとも思いますが、
大人な魅力はあるような気がします。
早見城演じる吾朗がメインキャラから明らかに脇役になってしまい、
そのためにも和子からの扱いが本当に酷いので観ていて切ない。
まあ好きな女性の持ち物を盗んでおいて、お守りだと思ってるとか、
そんな事したら嫌われても仕方がないんだけどさ…こんな役になって吾朗可愛そう。
あと俳優では、渡瀬恒彦が20年前の映画でも渡瀬恒彦だったのがビックリ。
ストーリーですが、大筋としては変わってません。
前回同様なるべくネタバレはしないように書いていきますが、
1983年版との比較のために書かなくてはいかないことも出てくるので…ご容赦ください。
まず映画冒頭、高校生ではなく大人の和子が登場。
「誰かを思い出せない」と。
1997年版を観る人で1983年版を観ていない人はいない様な気もしますが、
この映画単体で観ると「こういう導入方法」もありなのかなと。
ただ、さきほども書きましたが深町君が和子の幼馴染ではなく、
同じクラスに転校してきた20歳の帰国子女。
1983年版の和子と深町と吾朗の幼馴染関係は良い設定だと思うのだが、
この1997年版は突然転校してきた男にゾッコンで、幼馴染が言い寄ってきて困ってるみたいな話に。
吾朗の家の近くが火事になった時の「私を助けて!」みたいなの、酷いよね。
やっぱり1983年版と比較すると話がどうこうよりも吾朗が可愛そうだよなあ。
吾朗は同級生だが別のクラスという設定なので、ほとんど出てこないし、
出てきたら和子の事が好きってだけの迷惑キャラだし…角川監督の吾朗に対しての気持ちが伝わりますわ。
基本的な作りとしては、丁寧だと思うんですよね。
なので比較をしなかったら、まあSF要素もある単純なラブストーリーって見方もできる。
そもそも大林宣彦監督のものが異常なんだとも思いますが、
「分かりやすいラブストーリー」…それを作りたかったのかなあ。
それにしても深町を追ってくる謎の男たち。
見るからに怪しすぎるだろ!
ちゃんとした職業ならもうちょっとまともな格好しなさいよ。
しかも、記憶を消す行為は2度すると脳みそが破壊されるそうなのだが、
最初にあれを使ったときって、まだ何も知られてないのに使ってるんだけど!!
なんで使ったのそれ!?
あいつらが悪人だったら別に気にしないが…ちょっとさ…2度目は脳が破壊されるほどのものは慎重に使ってよ。
そして、些細な事が未来に与える影響は大きいって事で和子が過去に戻って、
とあることをやり直しにいくんだけど、「時計を受け取ることだけ」が問題な訳じゃないような…。
些細な事で未来が変わるから過去を変えちゃいけないんだったら、逃げ出すとこまでしないといけないような。
いや、そもそも過去を変えるなって言うなら深町君…。
…。
映画終盤にこのままいけばうまくいく…って状況で和子がたまらず行動を起こすのだが、
あの感じだとただダメな奴じゃないか。
例えばあの男達が深町のことをこのあと酷い目に合わせる趣旨のことをわざと和子に聴かせて、
深町のことを思ってたまらず行動を起こす、だったら分かるんだけど。
ただ連れてかれるだけで行動するんだったら、取調べの時にせっかく騙せてたのに〜って。
まあ、それぐらい深町君の事が好きだったのね、いざ連れてかれる時に耐えられなかったと。
ちょっとネタバレになるけども、
1983年版は深町が未来を変えないために自分で和子の記憶を消すのに対し、
1997年版は深町は和子への想いを消せず他社が記憶を消す。
この差は大きいですよね、自分は消したくなかった…想いを断ち切れなかった。
あんなに些細なことでも未来が変わるからダメといっていたにその行動という事は、
深町は未来よりも和子を選んだ…という事なのかな。
まあ…単純なラブストーリーですよね。
そこで止めとけばいいのに、ラストの衝撃の展開。
いやいや…記憶はどうしたのさ。
ここまですると「都合のいいラブストーリー」に成り下がっちゃいますよね。
うーん。
やっぱり1983年版の方がストーリーとしても良いし映画としても力強い。
ずっと2人なんだねっておじいちゃん、おばあちゃんの良い味とかもそうだけど、
ちょっと比べると1997年版は全体的に軽いんですよね。
大幅に変更された点の「ハッピーエンドのラブストーリー」ですが、
この結末を観ると角川春樹監督は1983年版ではうまくいかなかった2人を、
自分で作るんだったらなんとかくっつけたいんだ、っていう思いのこもった映画なんじゃないかな。
まあ凄いことですよね、それはそれで。
角川春樹のための映画「時をかける少女」であるのだなと。
それに対して1983年版のほうが良いとか、色々言うのも何か違うのかなという気もします。
前も書きましたが今年の7月にドラマが始まるそうなので、
それをきっかけに「時をかける少女」というものに興味が出た人には、
こんな「時をかける少女」もあったんだよってぐらいのところで。
それにしても好きじゃない人が時計を盗んだら返して!って言うのに、
好きな人がオルゴールを盗んだら良いよって言う差は切ないですね。
あと、最初に会ったときに「生まれる前から会ってる気がする」ってセリフはどういう事なんだろうか。
すでに深町君は和子が生まれるもっと前の過去にもタイムリープしているのかな。
それにしても和子がなんで深町に惹かれるのか、深町がなんで和子に惹かれるのか、
あんまり分からないよなあ…。
まあ、当時の角川春樹監督は自分の力で話を変えられるほどの力があった、という歴史の作品。
とりあえず1997年版(角川春樹監督)の「時をかける少女」も書いておこうと。
という事で、映画「時をかける少女(1997年版)」の感想です。
通称、角川春樹監督版。
もちろん、大林宣彦監督作品の映画「時をかける少女(1983年版)」にも、
角川春樹は制作でかかわっているのですが監督してる1997年版が角川春樹監督版。
14年の月日が流れてのリメイクである映画「時をかける少女(1997年版)」ですが、
どうしてもリメイクという作品なので映画「時をかける少女(1983年版)」と比べられるのは仕方がない。
以前にも書いたのですが、「時をかける少女」の映画バージョンは現在4つありまして、
1983年の大林宣彦監督作、1997年の角川春樹作、2006年の細田守監督のアニメ版、
そして、2010年の谷口正晃監督作です。
アニメ版、2010年版はタイトルは同じ「時をかける少女」ですが、それぞれ違う話。
1983年版と1997年版は同じ芳山和子と深町一夫の話です。
ただ、同じ話と言ってもディテールは結構変えてありまして、
角川春樹監督がどんな感じで映画「時をかける少女」を作りたかったかが分かる作品かなと。
はっきり言ってこの1997年版の「時をかける少女」はほとんど記憶がありませんでした。
やはり映画「時をかける少女」と言ったら大林宣彦監督の1983年版のイメージが強すぎるし、
話としても「時をかける少女」と言ったら1983年版のものが「時をかける少女の話」として自分に残ってました。
改めて1997年版を観て、「あーこんな感じだったっけ」って。
今回も前回と同じく「dTV」を「Chromecast」で家のテレビで鑑賞しました。
月500円だったら安いと思うんですよね。
ただ、「今観たい」という映画があるかは別ですが…。
さて、それでは映画「時をかける少女(1997年版)」の感想です。
さっきも書いたのですがやっぱり比べられるのがリメイク作品。
で、大林宣彦監督の映画「時をかける少女(1983年版)」はツッコミどころがない訳じゃないどころか、
映画として、演出としておかしいんですよね。
なのに「なんかわかんないけど説得力がある」っていう、まさに大林宣彦監督の作品。
あれと比べられるのは可愛そうって気もするが…。
そんな事は100も承知で角川春樹監督はリメイクしてるのでしょう。
不勉強なもので、原作を読んでいないのですが、
原作に近いのは1983年版の方との事なので、そこから変更されている点はどこかのか、
「どんな内容に変わっているのかという事を考えると角川春樹監督の伝えたかったことが分かる」のかなと。
まず話とは関係ないところからなのですが、この映画「時をかける少女(1997年版)」はモノクロ映画です。
14年も前の大林宣彦監督版が効果的にというか映像効果でモノクロからカラーにしていたので、
今回もそんな感じでカラーになるのかと思ったら違っていました。
97年当時からしても昔の出来事なのでモノクロの雰囲気が合わない訳ではないけども…。
制作費とかもろもろ都合があったのかもしれないが、1983年版が印象的にモノクロ・カラーを使っているので、
全編モノクロはなんか物足りない印象が強くなってしまった気がしました。
主演は中本奈奈。
1997年という事もありモノクロではあるが、1983年版の原田知世の芳山和子と比べると、
今の女子高生な感じに近いかなと思う。
綺麗ですよね。
ただ、彼女の演技が悪いわけではないですが、
ストーリーが「和子と深町と吾朗」の話から「和子と深町」の話になっているため、
吾朗に対しての行動や言動が酷いし、終盤の展開のオメーのせいじゃん!ってのもあって、
なんとなく応援できない感じになっているような。
主人公に共感できないってのは結構マイナス要素だと思う。
深町を演じるのは中村俊介。
映画よりもドラマ俳優なイメージですがイケメンですよね。
1997年版では和子の幼馴染ではなく、20歳の転校生という設定に。
なんでそんな設定にしちゃったのかなとも思いますが、
大人な魅力はあるような気がします。
早見城演じる吾朗がメインキャラから明らかに脇役になってしまい、
そのためにも和子からの扱いが本当に酷いので観ていて切ない。
まあ好きな女性の持ち物を盗んでおいて、お守りだと思ってるとか、
そんな事したら嫌われても仕方がないんだけどさ…こんな役になって吾朗可愛そう。
あと俳優では、渡瀬恒彦が20年前の映画でも渡瀬恒彦だったのがビックリ。
ストーリーですが、大筋としては変わってません。
前回同様なるべくネタバレはしないように書いていきますが、
1983年版との比較のために書かなくてはいかないことも出てくるので…ご容赦ください。
まず映画冒頭、高校生ではなく大人の和子が登場。
「誰かを思い出せない」と。
1997年版を観る人で1983年版を観ていない人はいない様な気もしますが、
この映画単体で観ると「こういう導入方法」もありなのかなと。
ただ、さきほども書きましたが深町君が和子の幼馴染ではなく、
同じクラスに転校してきた20歳の帰国子女。
1983年版の和子と深町と吾朗の幼馴染関係は良い設定だと思うのだが、
この1997年版は突然転校してきた男にゾッコンで、幼馴染が言い寄ってきて困ってるみたいな話に。
吾朗の家の近くが火事になった時の「私を助けて!」みたいなの、酷いよね。
やっぱり1983年版と比較すると話がどうこうよりも吾朗が可愛そうだよなあ。
吾朗は同級生だが別のクラスという設定なので、ほとんど出てこないし、
出てきたら和子の事が好きってだけの迷惑キャラだし…角川監督の吾朗に対しての気持ちが伝わりますわ。
基本的な作りとしては、丁寧だと思うんですよね。
なので比較をしなかったら、まあSF要素もある単純なラブストーリーって見方もできる。
そもそも大林宣彦監督のものが異常なんだとも思いますが、
「分かりやすいラブストーリー」…それを作りたかったのかなあ。
それにしても深町を追ってくる謎の男たち。
見るからに怪しすぎるだろ!
ちゃんとした職業ならもうちょっとまともな格好しなさいよ。
しかも、記憶を消す行為は2度すると脳みそが破壊されるそうなのだが、
最初にあれを使ったときって、まだ何も知られてないのに使ってるんだけど!!
なんで使ったのそれ!?
あいつらが悪人だったら別に気にしないが…ちょっとさ…2度目は脳が破壊されるほどのものは慎重に使ってよ。
そして、些細な事が未来に与える影響は大きいって事で和子が過去に戻って、
とあることをやり直しにいくんだけど、「時計を受け取ることだけ」が問題な訳じゃないような…。
些細な事で未来が変わるから過去を変えちゃいけないんだったら、逃げ出すとこまでしないといけないような。
いや、そもそも過去を変えるなって言うなら深町君…。
…。
映画終盤にこのままいけばうまくいく…って状況で和子がたまらず行動を起こすのだが、
あの感じだとただダメな奴じゃないか。
例えばあの男達が深町のことをこのあと酷い目に合わせる趣旨のことをわざと和子に聴かせて、
深町のことを思ってたまらず行動を起こす、だったら分かるんだけど。
ただ連れてかれるだけで行動するんだったら、取調べの時にせっかく騙せてたのに〜って。
まあ、それぐらい深町君の事が好きだったのね、いざ連れてかれる時に耐えられなかったと。
ちょっとネタバレになるけども、
1983年版は深町が未来を変えないために自分で和子の記憶を消すのに対し、
1997年版は深町は和子への想いを消せず他社が記憶を消す。
この差は大きいですよね、自分は消したくなかった…想いを断ち切れなかった。
あんなに些細なことでも未来が変わるからダメといっていたにその行動という事は、
深町は未来よりも和子を選んだ…という事なのかな。
まあ…単純なラブストーリーですよね。
そこで止めとけばいいのに、ラストの衝撃の展開。
いやいや…記憶はどうしたのさ。
ここまですると「都合のいいラブストーリー」に成り下がっちゃいますよね。
うーん。
やっぱり1983年版の方がストーリーとしても良いし映画としても力強い。
ずっと2人なんだねっておじいちゃん、おばあちゃんの良い味とかもそうだけど、
ちょっと比べると1997年版は全体的に軽いんですよね。
大幅に変更された点の「ハッピーエンドのラブストーリー」ですが、
この結末を観ると角川春樹監督は1983年版ではうまくいかなかった2人を、
自分で作るんだったらなんとかくっつけたいんだ、っていう思いのこもった映画なんじゃないかな。
まあ凄いことですよね、それはそれで。
角川春樹のための映画「時をかける少女」であるのだなと。
それに対して1983年版のほうが良いとか、色々言うのも何か違うのかなという気もします。
前も書きましたが今年の7月にドラマが始まるそうなので、
それをきっかけに「時をかける少女」というものに興味が出た人には、
こんな「時をかける少女」もあったんだよってぐらいのところで。
それにしても好きじゃない人が時計を盗んだら返して!って言うのに、
好きな人がオルゴールを盗んだら良いよって言う差は切ないですね。
あと、最初に会ったときに「生まれる前から会ってる気がする」ってセリフはどういう事なんだろうか。
すでに深町君は和子が生まれるもっと前の過去にもタイムリープしているのかな。
それにしても和子がなんで深町に惹かれるのか、深町がなんで和子に惹かれるのか、
あんまり分からないよなあ…。
まあ、当時の角川春樹監督は自分の力で話を変えられるほどの力があった、という歴史の作品。
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