2017年01月19日
母親との電話が重い!?最終的になまりを背負わされているような気分になる。
私自身はアダルトチルドレン(以下AC)であります。
コレに気がついたのは嫁がアスペルガー受動型と気がついて
さらにしばらくしてからです。
自分がACであると気がついてから、一時期は母親に対する憎しみというか
悲しみというか、切なさというか、さまざまな感情が入り交じった複雑な感情を
抱くことがおおくなりました。
幼少期から私自身は自分の考えを伝えるのがうまい方とは言えませんでした。
兄弟ケンカをして泣いたり、親に怒られて泣いたりすると、
「男なんだからめそめそするんじゃない!」
「いつまで泣いているんだ!外に出すぞ!」
「まったく男なのに情けない」
小学校の低学年のころは泣き虫でかなり母親をいらだたせた気がします。
今思えば、子どもなのだからそれが普通だよなと感じられますが、
当時は、泣いてしまい、泣き止まない自分が悪いと思っていたと感じます。
子どもって一回泣き始めると、泣き止めって言って急に泣くのを止めるってできないんですよ^^
それを「うるさい!泣き止め」といわれ続けたので、大人になってから見事に泣かない人間になりました^^
そんな母親とたまに電話をする機会があります。
特に用はないのに、話し相手になって欲しくて掛けてくるという感じです。
こちらも時間があるときや、気持ち的に前向きになれるような話なら良いのですが、
たいていは、誰かに対するグチです。本人はグチと思っていないのでしょうが、
〇〇さんはもっとこうすべきだ!とか〇〇は常識が無いとか…
しまいには、テレビに出演している芸能人に対して☓☓はきらいだとかそんなのばかりです。
対処の方法は頭では分かっているのですが、だんだんイラっとしてくるときがあります。
「そうなんだぁ」
「そうだよね」
そんな風に肯定的に取れるような返事をしていれば問題ないんです。
でも、ついイラっとして「〇〇もこういういいところあるんだよ」なんていった日には
面倒なことになります。
おおむね肯定的な回答でやり過ごすときの方が多いのですが、1年で1、2回は
言い返したくなるときがあるのです。
そうすると大変。一気に口数が減って電話で話しているのにもかかわらず
不穏な空気がよく伝わってくるぐらいテンションが下がります^^
そうなるとたいてい私がなにか用事を思い出して切るという流れになるのですが、
次の電話のときにそのことについてねちねちと遠回しに言ってきます。
「こないだ電話でなんで〇〇の肩を持つようなこと言うの?」みたいに、
子どもかよ!というような感じでこころに突き刺さります。
私の場合はこういう電話でなければまだいいのですが、こういうパターンの
ときは電話を切った後凄く体が重くなり、調子も悪くなるのです。
そのたびに、「あーこの感情の中で育てられたから罪悪感を感じるんだ」と
再認識するようになりました。いわゆるACの根源となる部分ですね。
母親のこういう子どもみたいなところが凄く嫌いなんですが、私も子どものころは
こういうことをよく母親に言っていたんです。
うちの母親は私のことはあまり褒めないのに、友達の子どもは凄く褒めるんですね。
「〇〇ちゃんはすごいよね。」「〇〇ちゃんは立派だね」みたいに。
そんなことを言われる度に私はへそを曲げてよく泣き寝入りしたものです。
要はすねているということです。母のこういうところは嫌いですが、母親の中にも
私の中にも、「相手にわかってもらいたい」「わかってくれなきゃもうしらない」という
すねてしまうようなインナーチャイルドがまだまだ残っているんだとも思います。
インナーチャイルドが回復している人はこういう母親を見てもイラっとはしても
受け止めることもできるでしょうが、私にはまだまだ修行が足りないようです^^
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悲しみというか、切なさというか、さまざまな感情が入り交じった複雑な感情を
抱くことがおおくなりました。
幼少期から私自身は自分の考えを伝えるのがうまい方とは言えませんでした。
兄弟ケンカをして泣いたり、親に怒られて泣いたりすると、
「男なんだからめそめそするんじゃない!」
「いつまで泣いているんだ!外に出すぞ!」
「まったく男なのに情けない」
小学校の低学年のころは泣き虫でかなり母親をいらだたせた気がします。
今思えば、子どもなのだからそれが普通だよなと感じられますが、
当時は、泣いてしまい、泣き止まない自分が悪いと思っていたと感じます。
子どもって一回泣き始めると、泣き止めって言って急に泣くのを止めるってできないんですよ^^
それを「うるさい!泣き止め」といわれ続けたので、大人になってから見事に泣かない人間になりました^^
そんな母親とたまに電話をする機会があります。
特に用はないのに、話し相手になって欲しくて掛けてくるという感じです。
こちらも時間があるときや、気持ち的に前向きになれるような話なら良いのですが、
たいていは、誰かに対するグチです。本人はグチと思っていないのでしょうが、
〇〇さんはもっとこうすべきだ!とか〇〇は常識が無いとか…
しまいには、テレビに出演している芸能人に対して☓☓はきらいだとかそんなのばかりです。
対処の方法は頭では分かっているのですが、だんだんイラっとしてくるときがあります。
「そうなんだぁ」
「そうだよね」
そんな風に肯定的に取れるような返事をしていれば問題ないんです。
でも、ついイラっとして「〇〇もこういういいところあるんだよ」なんていった日には
面倒なことになります。
おおむね肯定的な回答でやり過ごすときの方が多いのですが、1年で1、2回は
言い返したくなるときがあるのです。
そうすると大変。一気に口数が減って電話で話しているのにもかかわらず
不穏な空気がよく伝わってくるぐらいテンションが下がります^^
そうなるとたいてい私がなにか用事を思い出して切るという流れになるのですが、
次の電話のときにそのことについてねちねちと遠回しに言ってきます。
「こないだ電話でなんで〇〇の肩を持つようなこと言うの?」みたいに、
子どもかよ!というような感じでこころに突き刺さります。
私の場合はこういう電話でなければまだいいのですが、こういうパターンの
ときは電話を切った後凄く体が重くなり、調子も悪くなるのです。
そのたびに、「あーこの感情の中で育てられたから罪悪感を感じるんだ」と
再認識するようになりました。いわゆるACの根源となる部分ですね。
母親のこういう子どもみたいなところが凄く嫌いなんですが、私も子どものころは
こういうことをよく母親に言っていたんです。
うちの母親は私のことはあまり褒めないのに、友達の子どもは凄く褒めるんですね。
「〇〇ちゃんはすごいよね。」「〇〇ちゃんは立派だね」みたいに。
そんなことを言われる度に私はへそを曲げてよく泣き寝入りしたものです。
要はすねているということです。母のこういうところは嫌いですが、母親の中にも
私の中にも、「相手にわかってもらいたい」「わかってくれなきゃもうしらない」という
すねてしまうようなインナーチャイルドがまだまだ残っているんだとも思います。
インナーチャイルドが回復している人はこういう母親を見てもイラっとはしても
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お忙しい中いつもコメント有難うございます!
マロン様の家庭はお話を聞く限りではかなり複雑な家族関係だったのでしょう。
あくまで一般的にですが、ヒステリックな母親と無関心な父親という組合せ(うちの親の場合)
は機能不全家族の典型みたいな家族になります。
マロン様がすごいなぁと感じますね。それだけ苛酷な環境で育つとどうしても
その矛先を自分自身に向けてしまってもおかしくありません。
そこを自分でなくこの環境が悪いのだと環境から抜け出すことに尽力したのですから。
もう十分心も体も傷つけられてますでしょうから、社会に出たら
自分が傷つかないよう選択も慎重にしてこられたのだと思います。
閉塞された家族は本当にさまざまな危険をはらんでいますね。
一歩間違えば、ひどい事件としてニュースになってもおかしくないのでは?
と思えるようなことが我が家でもあった気がします。
なにはともあれ、いまもしんどいことだらけですが、
客観的に自分をみつめるじかんをネットを通して持てたことを
うれしく思います。
いつも参考になるコメント有難うございます!
人間的に成熟しているお友達ですね。その方が言うとおりだと思います。
ACであることや毒親のせいで自分が不幸だという概念が強くなると
どうしても自己防衛本能が優先して他人に責任転嫁して自分を変えることは
後回しという行動に陥りがちです。
でも、お友達の対応は凄いですね。家の嫁は子どもに何で出来ないの?
といわれて逆ギレしてますけどね^^人間的な器と未熟さの問題でしょうね。
私自身も大変勉強になりました。
母は、父にはよその子の話題を出していません。
父に、だから何や⁈と言われるのが分かってたからだとおもいます。
母も母なりに家庭と仕事とその他諸々のなかで、他人には分からないストレスを感じていたということは想像できます。特にウチは兄が高機能自閉症なので。
母はそんなストレスを子供に話して鬱憤晴らししてたのかと思います。
子供の頃にそんな事に気付き、私は母が憎かったです。
心理的に母をそうしてしまう父も憎かったです。
諸悪の根源のような兄も憎かったです。
次第に心蝕まれて、高校生の頃の私は思考が捻れてきました。
今でこそ分かりますが、あの頃私は恐らく鬱でした。なぜそう思うかというと、『家族の誰かに死んでもらうか、私が死ぬか、どちらかでないと状況は打破できない』と、1人で鬱々と真剣に考えていたからです。
今思うと、非常に危なかったです。
幸い私には、ある日突然名案が浮かびました。
誰か死ぬくらいなら、どう言われようが私がこの家から逃げればいい、と。
想像通りに困難は多かったですが、結果的に実現でき、今私は犯罪者にのらずにここにいれます。
話がまとまりないですが、閉塞した家族という関係は時にはとても危険だと思いました。
一般的に、家族は円満仲良しであるべき、家庭は幸せであるべきという考えが誰しも生まれながらにあるからと思います。
だけど結局は個人です。
親からもらった命でも、生きていく責任は自分にあるわけで、だからこそ自分を守ればいときもあると思います。
私の話になってしまいごめんなさい。
ブログを読んでいると、蓋をしたはずの過去をふと振り返ってみたりしたくなりました。
友人の母は塾の講師をしていました。
友人は子供の頃から母親から「お母さんはあれが出来ない、これが出来ない」と良く言われたそうです。当然、子供からは「何で出来ないの?」と言います。
すると母親は「(息子)はお料理つくれる?お母さんも無理(笑)だけど、お母さんは塾で皆に勉強を教える事が出来るし(息子)はプラモデル組み立てられるでしょ?大人でも出来ないところがあるの」と返されたと言ってました。
そんな友人の祖母は典型的な毒親でした。
しかし気にした事は無かったそうです。
「自分は完璧だと主張するくせに人に頼ってくるもんね、矛盾してるよ。毒親とか言われてもうちの母はただ単に不器用を不器用だと言えない不器用な生き方しただけだよ、親以上でも親以下でも無いよ」と仰ってました。