2016年10月04日
100均の商品や、100円回転寿司に異常なまでにクオリティーを求める毒親な母(その2)
⇒100均の商品や、100円回転寿司に異常なまでにクオリティーを求める毒親な母(その1)
最近でこそものは減らそう精神が高まってきて、断捨離とまでは行かないまでも、
お得なものではなく、必要なものや欲しいと思ったものを買うようにしています。
お得だ〜と思って購入しても何年も使わなかったり、埃まみれになっていたり
かなりありますよ。染みついているんですよ。こういうものが。
あるひ母親と100円ショップへいったときがあります。
貧乏人思考の私からすると、まさに楽園?というか楽しい気持ちになります。
これが全部100円なんだーと(ちがうのもありますけどね)
安いものを購入しているはずが、これもあったら便利かなー、これも、これも
なんてかごにぽいぽいいれて会計をすると2000円近くなることもちらほら。
まあ、100円だし失敗しても良いよね!みたいな自分へのかけ声まで掛けちゃって^^
この癖は自分も全く同じ事をやっていたので驚愕しました…
ここまでならただの浪費だからいいのです。自己責任です。
しかしですね。母親の場合はここで論評会がはじまります。
自分が吟味して買ってきたくせに、この商品はもっとこうすべきだとか、
思ったより使えない!なんだやっぱり100円のものはダメね。みたいなダメだし。
なにを100円ショップに求めているのだろうこの人は…と正直思いました。
せっかく楽しい出買い物したのに、なんか申し訳ない気持ちが残るんです。
100円寿司なんかでもよくありました。
そこそこ美味しく食べて満足できれば良いじゃないですか?100円寿司ですから。
でも、毒親は妥協を許さないというか、食べながら論評会がはじまります。
アレ食べてみようかな〜。でも美味しくなかったら嫌だからなぁどうしよう。
うにといくらはどうしようかな〜。といって結局頼みます。
そして、必ず毒を吐きます。
「あー食べなきゃ良かった。やっぱり100円ね!」
本当に一緒に食べていてこちらが気が滅入ります。
いやいや、100円の寿司ネタにどこまで期待をするのでしょうかこの人は^^
その値段で提供して利益を出さなくちゃいけないわけですから、それなりのネタでしょう?
でも私も昔は母と同じかんかくだったのですかどね。
呪縛は本当に怖いです。
徐々にシフトできて最近では200円で1貫しかのっていないプレミアムネタや
特選ネタみたいのありますよね?あれを普通に頼むことができるようになりました。
以前母親と食事したときに頼んだときは
「えーっ!200円で1つのなんか頼むの?もったいなくない?」
なんて言われながら食欲が失せましたけど。それなりに美味しいので
自分で食べたいと思ったのを頼むように心がけています。
まずかったらどうしよう…という母親の気持ちは少し分からないではないのですが、
まずかったら、それはそれで仕方が無いという発想が今ではありますので、
それを恐れず、自分の感性を優先するようにしています。
当たり外れがあるときがあるのは確かですが、吐いてしまうほどまずい
ということはあまりありません。せっかく食べるのですから、お金は払うにしても
感謝の気持ちを持って食事はしたいなぁと思ってしまいます。
よくよく考えると、幼いときは今ほど回転寿司もメジャーではなく、たまに食べる
御馳走的な位置づけでした。しかもなにか割引セールや特価の時にしかいかない
イメージでした。おそらく母親がチェックしていたのでしょうね。
貧乏思考に陥ってしまうと、
・お得なもの=すばらしい買い物や消費
・自分が好きなもの=わがまま
という位置づけなので、必然的に自分が欲しいものや必要なもの、好きなものは
抑制されて、お得だという認識がないと購入できないんですね。
こういうことを繰り返していると、自分がなにが好きなのか必要なのかが
分からなくなってしまうんです。
お得に購入して、次の日もっとやすくなっていたりすると、
1週間ぐらい落ち込んだり、イライラしたりしてしまうんですよ^^
お得命で必要か好きなものかを二の次に生きてきたことになります。
ものごとじたいも損得勘定で考えすぎてしまい、自分の大切な気持ちを
置き去りにしていることも間々ありました。今でも油断するとこの感情は
私の中で再燃してきますので、意識的にものを減らして本当に必要なもの
だけに囲まれて生活できることが当面の目標です。
そのうち、嫁を捨てる…なんてことがないようにしたいですが^^
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最近でこそものは減らそう精神が高まってきて、断捨離とまでは行かないまでも、
お得なものではなく、必要なものや欲しいと思ったものを買うようにしています。
お得だ〜と思って購入しても何年も使わなかったり、埃まみれになっていたり
かなりありますよ。染みついているんですよ。こういうものが。
あるひ母親と100円ショップへいったときがあります。
貧乏人思考の私からすると、まさに楽園?というか楽しい気持ちになります。
これが全部100円なんだーと(ちがうのもありますけどね)
安いものを購入しているはずが、これもあったら便利かなー、これも、これも
なんてかごにぽいぽいいれて会計をすると2000円近くなることもちらほら。
まあ、100円だし失敗しても良いよね!みたいな自分へのかけ声まで掛けちゃって^^
この癖は自分も全く同じ事をやっていたので驚愕しました…
ここまでならただの浪費だからいいのです。自己責任です。
しかしですね。母親の場合はここで論評会がはじまります。
自分が吟味して買ってきたくせに、この商品はもっとこうすべきだとか、
思ったより使えない!なんだやっぱり100円のものはダメね。みたいなダメだし。
なにを100円ショップに求めているのだろうこの人は…と正直思いました。
せっかく楽しい出買い物したのに、なんか申し訳ない気持ちが残るんです。
100円寿司なんかでもよくありました。
そこそこ美味しく食べて満足できれば良いじゃないですか?100円寿司ですから。
でも、毒親は妥協を許さないというか、食べながら論評会がはじまります。
アレ食べてみようかな〜。でも美味しくなかったら嫌だからなぁどうしよう。
うにといくらはどうしようかな〜。といって結局頼みます。
そして、必ず毒を吐きます。
「あー食べなきゃ良かった。やっぱり100円ね!」
本当に一緒に食べていてこちらが気が滅入ります。
いやいや、100円の寿司ネタにどこまで期待をするのでしょうかこの人は^^
その値段で提供して利益を出さなくちゃいけないわけですから、それなりのネタでしょう?
でも私も昔は母と同じかんかくだったのですかどね。
呪縛は本当に怖いです。
徐々にシフトできて最近では200円で1貫しかのっていないプレミアムネタや
特選ネタみたいのありますよね?あれを普通に頼むことができるようになりました。
以前母親と食事したときに頼んだときは
「えーっ!200円で1つのなんか頼むの?もったいなくない?」
なんて言われながら食欲が失せましたけど。それなりに美味しいので
自分で食べたいと思ったのを頼むように心がけています。
まずかったらどうしよう…という母親の気持ちは少し分からないではないのですが、
まずかったら、それはそれで仕方が無いという発想が今ではありますので、
それを恐れず、自分の感性を優先するようにしています。
当たり外れがあるときがあるのは確かですが、吐いてしまうほどまずい
ということはあまりありません。せっかく食べるのですから、お金は払うにしても
感謝の気持ちを持って食事はしたいなぁと思ってしまいます。
よくよく考えると、幼いときは今ほど回転寿司もメジャーではなく、たまに食べる
御馳走的な位置づけでした。しかもなにか割引セールや特価の時にしかいかない
イメージでした。おそらく母親がチェックしていたのでしょうね。
貧乏思考に陥ってしまうと、
・お得なもの=すばらしい買い物や消費
・自分が好きなもの=わがまま
という位置づけなので、必然的に自分が欲しいものや必要なもの、好きなものは
抑制されて、お得だという認識がないと購入できないんですね。
こういうことを繰り返していると、自分がなにが好きなのか必要なのかが
分からなくなってしまうんです。
お得に購入して、次の日もっとやすくなっていたりすると、
1週間ぐらい落ち込んだり、イライラしたりしてしまうんですよ^^
お得命で必要か好きなものかを二の次に生きてきたことになります。
ものごとじたいも損得勘定で考えすぎてしまい、自分の大切な気持ちを
置き去りにしていることも間々ありました。今でも油断するとこの感情は
私の中で再燃してきますので、意識的にものを減らして本当に必要なもの
だけに囲まれて生活できることが当面の目標です。
そのうち、嫁を捨てる…なんてことがないようにしたいですが^^
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