2016年09月21日
自分の思っている回答が得られないと拗ねる毒親という名の母親(その2)
⇒自分の思っている回答が得られないと拗ねる毒親という名の母親(その1)
■話しを共感して聞いてあげると本題へとうつっていく。
一番場を乱さないためには、「そうだよね〜」「大変だよね〜」
「近くにいられなくてごめんね〜」といっていれば丸く収まる。
要は、毒親である母親も潜在的には誰かに承認欲求を求めたいのです。
だから、私の意見やアドバイスがほしいというわけではなく、同意か
共感をする相手を探しているとも言えます。
私自身にもこういう気持ちのときはありますが、親子といえども
全ての考えがシンクロするわけではありません。
つまらない抗争でストレスを溜めるのもいやなので、
共感と同意で話しをうまくあわせると自分から話しをすすめてきます。
おそらく話し相手がいなくてさみしいとか自分の話をうんうんと聞いてくれる
ひとが欲しかったと言うこともあるでしょう。
近くに行くとめんどくさがり、離れていくとさみしがるという現代版でいえば
本当にかまってちゃん的な要素が強いと実感しました。
母親は相手が十分共感してくれていると実感できると、テンポ良く
いろいろと話しをしてきます。近くの医者があまり態度が良くないとか。
近所の人がなんとなくなじめないとか。毒を吐いてすっきりしたいのかしら?
という感じですが、これでも昔に比べればましになった方でもあります。
母親と電話でもリアルでも話をしていてしんどいと感じるのは、
なにかしらにケチを付けたり、不平不満・愚痴・泣き言的な内容を
無意識に吐いてました。聞いている方は毒を浴びせられたかのように
ストレスが溜まるのです。
「それは、古い考えでいまはこうだよ」なんて意見やアドバイスをしようものなら
あなたにはまだわからないといわれ、なんか馬鹿にされているような感じです。
こんな感じを子どものころも感じたことあるなぁとデジャヴのように思い出されます。
暴力やネグレクト、性的虐待などはなかった家庭ですが、精神的な虐待
というのか過干渉気味だったことは確かです。子ども達の思っていることまで
自分の思っている回答にコントロールさせようということに違和感を感じていました。
■母が重いと感じたら距離を適度に保つことも必要。
話は飛んでしまいましたが、結局母親の本題は、本屋で読みたい本が
みつからないからネットで探して欲しいと言うことでした…
こちらからするとメールで言ってくれれば良いのにという内容ですが、
先日の件でこちらからあまりにも連絡がかかってこなかったので業を煮やして
こちらの態度を様子見に電話したような面もあります。
その理由として、最後の方に「あんなに懐かなくて大泣きしている子どもは珍しい」
とぼそっと話していました。「子どももいろいろだと思うよ」と擁護するようなことをいえば、
「もっと日中は遊ばせないからだとか、食事がしっかりできていないとか」アドバイスがした
かったのかもしれません。「母さんのころはこうするのが普通だよ」と押しつけがましい
教育論も飛び出します。
あまり反論して事を荒立てるのも大人げないと思い、
「そうだね、これからいろいろ試してみるよ」とかわして電話終了。
はぁーしんどいわ。重い。母が重いと言いますが、見えない重圧で
子どものころから押しつけられていたのか、コントロールさせられたのか、
複雑な気持ちです。70近くになっても承認欲求がつよくてあるいみ
理解してくるをいまでも探し続けているのだと実感。
一番理解していかなくてはいけないのは自分自身の傷ついた
心の方なのですが…親子とはいえどむずかしいもんだいです。
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