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2015年11月07日
2015年11月06日のつぶやき
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2015年11月06日
子育ての中から、我慢をすることと、コントロールすることの違いを学ぶ。その2
我慢とコントロールについて、怒りという内容を主題として書いてますが、
これは、決して怒りという感情だけではありません。
・おいしいものをもっと食べたいという食欲。
・〇〇さんが持っていたものが自分も欲しいという物欲。
・もっともっと体を重ね合いたいという性欲。
・ゲームやテレビ、パソコンをもっとしたいという欲求。
などなど、そういった人間の欲にも同じようなことが言えます。
我慢は体に毒とは良く言ったものです。欲が出てくるのは脳が私たちへ
指令を出しているわけで、この自分の脳を上手くコントロール出来ることが、
ある意味幸せになる近道なのでは?と個人的には考えています。
その中でも、アスペルガー症候群のパートナーを持つカサンドラ症候群気味の人は、
常に怒りというものを頻繁に感じながら生活をしていると思います。
怒りを発散できない場合は、我慢してため込んでいるか、怒りを別の欲求で
解消しているかどちらかになってくるでしょう。
怒りって本当に厄介だと思います。私のようなACタイプの場合ですと、
怒りという感情に脳が洗脳されてしまうと、普通の人よりも2倍も3倍も
怒りがこみ上げてくるシステムが確立しているのだろうと思います。
その理由は、
・今目の前の気に入らないことに対しての怒り。
・過去同じようなこと、関連したことに関しての怒り。
・その怒りに伴い、将来の不安に対する怒り。
今目の前の怒りたくなることだけで、自動思考がこんなことを
脳内で連想させてしまい、怒りを増幅させてコントロール不能にしていきます。
じゃあどうすりゃ良いのよ。この怒りという感情?
この感情の行き場に困っている人々はもの凄く多いのではないでしょうか。
エスカレートしすぎて、暴言になる人もいれば、暴力になる人もいるでしょう。
別の依存対象を求めて、この感情を相殺するという人もいるでしょう。
簡単に言うと、怒りがコントロール出来れば、つまらなくて、辛くて
イライラして仕方が無い毎日が、少しは緩和することにつながります。
とはいえ、「怒りを我慢」をすることは決して良いとは言えません。
必ずいつかは爆発してしまうからです。
「我慢」でなく、「コントロール」することが目標です。
我慢というのは、怒りという感情そのものを全否定してしまう事になりかねない
ので、怒ること=悪い事みたいな発想になりがちです。
コントロールというのは、怒りの感情ラインを自分で押さえきれないところまで
突破しないように、セーブするという感覚でしょうか。
怒っても良いけど、自分の怒りで自分を見失わないように「流す」部分も作る。
幸せ感を大きく奪ってしまいかねない「怒り」をコントロールするというのは
非常にむずかしいですが、一瞬でいいので相手の立場になって10秒ぐらい
考えてみると少し冷静さを取り戻せたりできます。
もっと簡単なのが、呼吸。腹式呼吸が交感神経へと傾いた自律神経を
副交感神経へと誘う効果があります。
腹式呼吸なんて習ってないから分からない!という人でも、
とにかく口をすぼめながら、なるべく時間をかけて、もうダメだ!
と思うぐらい苦しくなるまで息を吐き続けます。そのあとは自然に
鼻から吸い込めばOK!
慣れると、息を吐くだけで30秒ぐらいかかります。
真剣に3回ぐらいやると少し冷静さを取り戻せるかもしれません。
私は、出来るときはトイレに飛び込んでやってます^^
人によって怒りのポイントはかなり違うと思います。ですから、
自分の怒ってしまうポイントをよく押さえておくことも大切です。
私の場合は、乱暴な言葉遣いや、やる気のなさそうな表情が
一番カチンときてしまうポイント。この瞬間にボルテージを我慢では無く、
コントロール出来るように訓練していけば、少しは楽になるかなと。
時には「怒り」という感情で主張しなくてはいけないときということは、
必ずありますが、幸せな生活の中には怒りというのは、まず出てきません。
幸せの中に出てくるのは、「笑顔」です。疲労困憊な毎日過ぎて、
自分の顔さえ鏡で見ることも無くなっていると思いますが、
怒りを続けていると、かなり人相が悪くなってきます…
カサンドラ症候群気味の人たちは、鈍感というより繊細すぎるようなアンテナを
持っている人の方が多いと思います。ですから、自分が怒ったあとどういうことに
なるのか?「気持ちが良いことか」「気持ちが悪いことか?」「相手が分かってくれるのか?」
などを想像もたやすいと思います。それをすることで良い結果にならないことも
冷静になれば、容易に分かるはずなのです。
この怒りを自分なりに上手くコントロールすることが、私のAC回復の鍵の1つだと思って
いるので、道半ばではありますが、騙し騙しでなく自分の脳みそに向き合っていこうと思っています^^
「怒り」がスーッと消える本―「対人関係療法」の精神科医が教える
これは、決して怒りという感情だけではありません。
・おいしいものをもっと食べたいという食欲。
・〇〇さんが持っていたものが自分も欲しいという物欲。
・もっともっと体を重ね合いたいという性欲。
・ゲームやテレビ、パソコンをもっとしたいという欲求。
などなど、そういった人間の欲にも同じようなことが言えます。
我慢は体に毒とは良く言ったものです。欲が出てくるのは脳が私たちへ
指令を出しているわけで、この自分の脳を上手くコントロール出来ることが、
ある意味幸せになる近道なのでは?と個人的には考えています。
その中でも、アスペルガー症候群のパートナーを持つカサンドラ症候群気味の人は、
常に怒りというものを頻繁に感じながら生活をしていると思います。
怒りを発散できない場合は、我慢してため込んでいるか、怒りを別の欲求で
解消しているかどちらかになってくるでしょう。
怒りって本当に厄介だと思います。私のようなACタイプの場合ですと、
怒りという感情に脳が洗脳されてしまうと、普通の人よりも2倍も3倍も
怒りがこみ上げてくるシステムが確立しているのだろうと思います。
その理由は、
・今目の前の気に入らないことに対しての怒り。
・過去同じようなこと、関連したことに関しての怒り。
・その怒りに伴い、将来の不安に対する怒り。
今目の前の怒りたくなることだけで、自動思考がこんなことを
脳内で連想させてしまい、怒りを増幅させてコントロール不能にしていきます。
じゃあどうすりゃ良いのよ。この怒りという感情?
この感情の行き場に困っている人々はもの凄く多いのではないでしょうか。
エスカレートしすぎて、暴言になる人もいれば、暴力になる人もいるでしょう。
別の依存対象を求めて、この感情を相殺するという人もいるでしょう。
簡単に言うと、怒りがコントロール出来れば、つまらなくて、辛くて
イライラして仕方が無い毎日が、少しは緩和することにつながります。
とはいえ、「怒りを我慢」をすることは決して良いとは言えません。
必ずいつかは爆発してしまうからです。
「我慢」でなく、「コントロール」することが目標です。
我慢というのは、怒りという感情そのものを全否定してしまう事になりかねない
ので、怒ること=悪い事みたいな発想になりがちです。
コントロールというのは、怒りの感情ラインを自分で押さえきれないところまで
突破しないように、セーブするという感覚でしょうか。
怒っても良いけど、自分の怒りで自分を見失わないように「流す」部分も作る。
幸せ感を大きく奪ってしまいかねない「怒り」をコントロールするというのは
非常にむずかしいですが、一瞬でいいので相手の立場になって10秒ぐらい
考えてみると少し冷静さを取り戻せたりできます。
もっと簡単なのが、呼吸。腹式呼吸が交感神経へと傾いた自律神経を
副交感神経へと誘う効果があります。
腹式呼吸なんて習ってないから分からない!という人でも、
とにかく口をすぼめながら、なるべく時間をかけて、もうダメだ!
と思うぐらい苦しくなるまで息を吐き続けます。そのあとは自然に
鼻から吸い込めばOK!
慣れると、息を吐くだけで30秒ぐらいかかります。
真剣に3回ぐらいやると少し冷静さを取り戻せるかもしれません。
私は、出来るときはトイレに飛び込んでやってます^^
人によって怒りのポイントはかなり違うと思います。ですから、
自分の怒ってしまうポイントをよく押さえておくことも大切です。
私の場合は、乱暴な言葉遣いや、やる気のなさそうな表情が
一番カチンときてしまうポイント。この瞬間にボルテージを我慢では無く、
コントロール出来るように訓練していけば、少しは楽になるかなと。
時には「怒り」という感情で主張しなくてはいけないときということは、
必ずありますが、幸せな生活の中には怒りというのは、まず出てきません。
幸せの中に出てくるのは、「笑顔」です。疲労困憊な毎日過ぎて、
自分の顔さえ鏡で見ることも無くなっていると思いますが、
怒りを続けていると、かなり人相が悪くなってきます…
カサンドラ症候群気味の人たちは、鈍感というより繊細すぎるようなアンテナを
持っている人の方が多いと思います。ですから、自分が怒ったあとどういうことに
なるのか?「気持ちが良いことか」「気持ちが悪いことか?」「相手が分かってくれるのか?」
などを想像もたやすいと思います。それをすることで良い結果にならないことも
冷静になれば、容易に分かるはずなのです。
この怒りを自分なりに上手くコントロールすることが、私のAC回復の鍵の1つだと思って
いるので、道半ばではありますが、騙し騙しでなく自分の脳みそに向き合っていこうと思っています^^
「怒り」がスーッと消える本―「対人関係療法」の精神科医が教える
2015年11月05日
子育ての中から、我慢をすることと、コントロールすることの違いを学ぶ。
毎日の子どもの成長を目の当たりにしながら、生活をしていると、
なんて自分は子どもで未熟なのだろうかと感じるときが間々あります。
頭ではわかっているのに、子どもを怒ってしまう、アスペ嫁を怒ってしまう。
そういう表面的な理解がなかなか体の芯まで浸透していかないがために、
分かってもらえないという感情を怒りでぶつけてしまうという未熟さ。
もちろん私自身、聖人でも仏様でもないわけですから怒りという
感情を出すことが悪いことだとは思っていません。
しかし、私の悪い癖で、怒り一辺倒になってしまったり、
その場をやり過ごしても、感情を引きずってしまうことが多いので、
怒りすぎてしまうと言うことがあるのです。
怒りすぎると、怒りという感情に支配されてしまい、
怒りが怒りを呼ぶ悪循環に陥ることはこまったものです。
その怒りは結局どこから来るのかと言えば、
我が子にしろ、アスペ嫁にしろ、
・言ったことを理解してくれていない。
・思った通りに行動してくれていない。
・約束やルールを守っていない。
私の場合は、ほぼこれが酷くなると「怒り」信号が点滅します。
そして、子どもが小さいうちは、「怒り」をぶつけることで、
なんとなくかたち的には、その場が納まってしまうことが多く、
「相手が言うことを聞いていくれているような錯覚」に陥るのです。
結果的に見れば、怒ると子どももアスペ嫁も、だんまりになってしまうこと
がほとんどで、こちらが言いたいことを理解しているかまでは確認しません。
「本当にわかってるのかよ!?」
「何やってるんだよ!?」
「いい加減にしろよ!?」
右脳中心の感情的なボルテージが上がっているときは、
論理的な言葉遣いも出来なくなり、荒い言葉や短絡的で
抽象的な問い詰めが多くなってしまいます。
しかし、子どももアスペ嫁も、抽象的なことを頭の中で具現化していく
ということは非常にむずかしいのです。
結果的にこちらが怒れば怒るほど、
「パパが怒っている」
「怒られるの嫌だなぁ」
「何でこんなに怒るのだろう」
こういうことにしか意識が行かず、全く逆効果なのです。
ある日、アスペ嫁の失態を問い詰めたあとのこと、子どもが
アスペ嫁に対して、こういったのです。
子「ママは変なことしてパパを怒らせないでよ」
嫁「ママの事心配してくれてるの〜♪」
子「違うよ、怒られているのを聞いているのがいやなの!」
嫁「ママは怒られるようなことしてないもん」
子「もういいよ。そうやってママ話聞いてくれないから」
この会話をちょっと小耳に挟んだときは、これはアスペ嫁もアスペ嫁だけど、
私がいかんなと。平気で子どもの前で嫁を叱責するのになれてしまいすぎている。
私が感情のコントロールが出来ないばかりに、アスペ嫁だけを注意
するどころか、怒っていない人に対しても嫌な思いをさせてしまって
いるのだと。
冷静に考えれば、誰かが怒っている姿って楽しいものでも嬉しいものでも
ないですよね。むしろ嫌な気持ちにさせられたということでしょう。
誰でもそうですが、些細なことでも毎日怒られ続けられると、
どんどん自己肯定感は低下していきます。こういう些細な生活が、
子どもの心を壊していくのだろうなと感じました。
むろん、冷静に論理的に話したからと言っても
相手は子どもとアスペ嫁ですから、すんなり理解できるというわけでもありません。
話の結びを怒りで解決しようと癖が付いてしまうと、
最終的には私が怒って話が途切れるという流れになるわけです。
アスペ嫁に関しては、フリーズして返答が全くなくなり、
口を開いたとしても、全く関係ない話が出てきたりするので、
余計に私の心の火に油を注ぐような感じ。
一般家庭でもそうだと思いますが、怒りは心の底の
自分の分かって欲しいという叫び声だと思います。
これを私が、我慢をするのか、コントロールするのかで大きく家庭内の
雰囲気は変わっていくというのも事実です。
つづく
「怒り」がスーッと消える本―「対人関係療法」の精神科医が教える
なんて自分は子どもで未熟なのだろうかと感じるときが間々あります。
頭ではわかっているのに、子どもを怒ってしまう、アスペ嫁を怒ってしまう。
そういう表面的な理解がなかなか体の芯まで浸透していかないがために、
分かってもらえないという感情を怒りでぶつけてしまうという未熟さ。
もちろん私自身、聖人でも仏様でもないわけですから怒りという
感情を出すことが悪いことだとは思っていません。
しかし、私の悪い癖で、怒り一辺倒になってしまったり、
その場をやり過ごしても、感情を引きずってしまうことが多いので、
怒りすぎてしまうと言うことがあるのです。
怒りすぎると、怒りという感情に支配されてしまい、
怒りが怒りを呼ぶ悪循環に陥ることはこまったものです。
その怒りは結局どこから来るのかと言えば、
我が子にしろ、アスペ嫁にしろ、
・言ったことを理解してくれていない。
・思った通りに行動してくれていない。
・約束やルールを守っていない。
私の場合は、ほぼこれが酷くなると「怒り」信号が点滅します。
そして、子どもが小さいうちは、「怒り」をぶつけることで、
なんとなくかたち的には、その場が納まってしまうことが多く、
「相手が言うことを聞いていくれているような錯覚」に陥るのです。
結果的に見れば、怒ると子どももアスペ嫁も、だんまりになってしまうこと
がほとんどで、こちらが言いたいことを理解しているかまでは確認しません。
「本当にわかってるのかよ!?」
「何やってるんだよ!?」
「いい加減にしろよ!?」
右脳中心の感情的なボルテージが上がっているときは、
論理的な言葉遣いも出来なくなり、荒い言葉や短絡的で
抽象的な問い詰めが多くなってしまいます。
しかし、子どももアスペ嫁も、抽象的なことを頭の中で具現化していく
ということは非常にむずかしいのです。
結果的にこちらが怒れば怒るほど、
「パパが怒っている」
「怒られるの嫌だなぁ」
「何でこんなに怒るのだろう」
こういうことにしか意識が行かず、全く逆効果なのです。
ある日、アスペ嫁の失態を問い詰めたあとのこと、子どもが
アスペ嫁に対して、こういったのです。
子「ママは変なことしてパパを怒らせないでよ」
嫁「ママの事心配してくれてるの〜♪」
子「違うよ、怒られているのを聞いているのがいやなの!」
嫁「ママは怒られるようなことしてないもん」
子「もういいよ。そうやってママ話聞いてくれないから」
この会話をちょっと小耳に挟んだときは、これはアスペ嫁もアスペ嫁だけど、
私がいかんなと。平気で子どもの前で嫁を叱責するのになれてしまいすぎている。
私が感情のコントロールが出来ないばかりに、アスペ嫁だけを注意
するどころか、怒っていない人に対しても嫌な思いをさせてしまって
いるのだと。
冷静に考えれば、誰かが怒っている姿って楽しいものでも嬉しいものでも
ないですよね。むしろ嫌な気持ちにさせられたということでしょう。
誰でもそうですが、些細なことでも毎日怒られ続けられると、
どんどん自己肯定感は低下していきます。こういう些細な生活が、
子どもの心を壊していくのだろうなと感じました。
むろん、冷静に論理的に話したからと言っても
相手は子どもとアスペ嫁ですから、すんなり理解できるというわけでもありません。
話の結びを怒りで解決しようと癖が付いてしまうと、
最終的には私が怒って話が途切れるという流れになるわけです。
アスペ嫁に関しては、フリーズして返答が全くなくなり、
口を開いたとしても、全く関係ない話が出てきたりするので、
余計に私の心の火に油を注ぐような感じ。
一般家庭でもそうだと思いますが、怒りは心の底の
自分の分かって欲しいという叫び声だと思います。
これを私が、我慢をするのか、コントロールするのかで大きく家庭内の
雰囲気は変わっていくというのも事実です。
つづく
「怒り」がスーッと消える本―「対人関係療法」の精神科医が教える
2015年11月04日
アスペルガー気質の息子の爪噛み癖が治らない!「バイターストップ」の効果は?爪噛み行為は実は自傷行為です。
発達障害だとか自閉症スペクトラムに関係なく、
子育ての上で、困ってくるのが変な癖。
うちのアスペ息子が気になる行為は…
・自分股間を必要以上にいじる。
・爪を無意識に噛む。
・箸の持ち方がめちゃくちゃ。
・ものや人に寄りかかる。
どれも問題でなんとかしたいのですが、
今回は「爪を噛む」ということを書いてみたいと思います。
小学校1年生になるアスペ息子の爪を噛む行為は実は2回目です。
幼稚園に通っていた頃、そうですね5歳ぐらいでしょうか、
そのぐらいの時期にめちゃくちゃ噛み始めたのです。
そのおかげで爪切りいらず!全部の指を綺麗に噛むわ噛むわ、
ついつい「爪を噛むのをやめなさい!」と怒ってしまうのですが、
これが無意識に噛んでしまうから大変なんですよね。
その時に活躍したのがこのアイテム。
「バイターストップ」です。爪にマニキュアを塗って、
それを乾かせばOKというお手軽アイテム。
1200円程度で買えます。もう少し安いとありがたいのですが…
これを塗って、爪を噛むとにがーい味がして爪噛みを
ストップできるという優秀なものです。もちろん舐めても平気な
成分です。
「噛んじゃ駄目!噛んじゃ駄目!」といくら叫んでも無意識なものって
無理なんですよね。自分が爪を噛んでいることに気づくことが出来ない
ということから、改善するというのが難しいのです。
バイターストップを付ければ、苦いので「あ、爪噛んじゃった」ときづくので、
あっという間にアスペ息子の爪噛みはストップする事が出来ました。
それでも1ヶ月ぐらい塗って、無事卒業できたのです。
しかーし、小学校に入ってから、また爪噛みがスタート……。
爪を綺麗に切っているかという検査の時に先生に指摘されました。
伸びてはいないけど、噛んだとき特有のガジガジ爪になっているため
ばれちゃったみたいです。
学校は楽しいって行っていたし、勉強も楽しそうだし、普通学級でも
問題なくついて行っているようでしたが、脳にはかなりの負担がかかって
いたのかもしれません。
学校の先生にいわれたのですが、爪噛み行為は自傷行為の一つらしいです。
全くそう言う認識が私には無かったため、単純に癖なのでそのうち治るという
楽観的な見方をしていたのですが、衛生面でも、マナー的にも、歯の生え替わる
時期と言うこともあり、再度「バイターストップ」のお世話になることに…。
【ふたがカチカチに固まってしまったバイターストップ】
結構たくさん余っていたマニキュアは無残にも固まってしまい、ふたが開かなくなってしまって
使い物にならないので、結局、再度購入しました。
とりあえず、これで無意識に噛むと言うことを抑制することはできたのですが、
根本的なストレスの解消法など、別の視点からも見ていかないといけないと
感じました。
本人もつけることに抵抗はないのですが、このマニキュア、欠点もあります。
パンやお菓子などを食べるときに、直接手で食べる場合は、爪を噛まなくても
口に苦い味が付いてしまうと言うことです。うちの息子は、
「パンがまずーい」って笑いながら言ってますからまだいいのですけどね^^
指しゃぶりにも効果てきめんなのですが、うちの子が2、3歳ぐらいのときつかった
時は、年齢が小さすぎたからなのか、この苦さに大泣きして、よだれだらーーっと、
ずーっとしている状態になるので、使えなかったこともあります。
便利なものがあるのは確かですが、我が子に合うかどうかは人それぞれでしょうから、
爪噛みや指しゃぶりで苦労している人は、試してみる価値はあると思います。
ただ、爪噛みや指しゃぶりなどの根本的な原因は、夫婦関係や家族の中など
別の所にある場合も多いので、頭ごなしに怒ったり叱ったりするのでは無く、
子どもがどんなことにストレスを感じているかと言うことも気にしてあげたいですね。
子育ての上で、困ってくるのが変な癖。
うちのアスペ息子が気になる行為は…
・自分股間を必要以上にいじる。
・爪を無意識に噛む。
・箸の持ち方がめちゃくちゃ。
・ものや人に寄りかかる。
どれも問題でなんとかしたいのですが、
今回は「爪を噛む」ということを書いてみたいと思います。
小学校1年生になるアスペ息子の爪を噛む行為は実は2回目です。
幼稚園に通っていた頃、そうですね5歳ぐらいでしょうか、
そのぐらいの時期にめちゃくちゃ噛み始めたのです。
そのおかげで爪切りいらず!全部の指を綺麗に噛むわ噛むわ、
ついつい「爪を噛むのをやめなさい!」と怒ってしまうのですが、
これが無意識に噛んでしまうから大変なんですよね。
その時に活躍したのがこのアイテム。
「バイターストップ」です。爪にマニキュアを塗って、
それを乾かせばOKというお手軽アイテム。
1200円程度で買えます。もう少し安いとありがたいのですが…
これを塗って、爪を噛むとにがーい味がして爪噛みを
ストップできるという優秀なものです。もちろん舐めても平気な
成分です。
「噛んじゃ駄目!噛んじゃ駄目!」といくら叫んでも無意識なものって
無理なんですよね。自分が爪を噛んでいることに気づくことが出来ない
ということから、改善するというのが難しいのです。
バイターストップを付ければ、苦いので「あ、爪噛んじゃった」ときづくので、
あっという間にアスペ息子の爪噛みはストップする事が出来ました。
それでも1ヶ月ぐらい塗って、無事卒業できたのです。
しかーし、小学校に入ってから、また爪噛みがスタート……。
爪を綺麗に切っているかという検査の時に先生に指摘されました。
伸びてはいないけど、噛んだとき特有のガジガジ爪になっているため
ばれちゃったみたいです。
学校は楽しいって行っていたし、勉強も楽しそうだし、普通学級でも
問題なくついて行っているようでしたが、脳にはかなりの負担がかかって
いたのかもしれません。
学校の先生にいわれたのですが、爪噛み行為は自傷行為の一つらしいです。
全くそう言う認識が私には無かったため、単純に癖なのでそのうち治るという
楽観的な見方をしていたのですが、衛生面でも、マナー的にも、歯の生え替わる
時期と言うこともあり、再度「バイターストップ」のお世話になることに…。
【ふたがカチカチに固まってしまったバイターストップ】
結構たくさん余っていたマニキュアは無残にも固まってしまい、ふたが開かなくなってしまって
使い物にならないので、結局、再度購入しました。
とりあえず、これで無意識に噛むと言うことを抑制することはできたのですが、
根本的なストレスの解消法など、別の視点からも見ていかないといけないと
感じました。
本人もつけることに抵抗はないのですが、このマニキュア、欠点もあります。
パンやお菓子などを食べるときに、直接手で食べる場合は、爪を噛まなくても
口に苦い味が付いてしまうと言うことです。うちの息子は、
「パンがまずーい」って笑いながら言ってますからまだいいのですけどね^^
指しゃぶりにも効果てきめんなのですが、うちの子が2、3歳ぐらいのときつかった
時は、年齢が小さすぎたからなのか、この苦さに大泣きして、よだれだらーーっと、
ずーっとしている状態になるので、使えなかったこともあります。
便利なものがあるのは確かですが、我が子に合うかどうかは人それぞれでしょうから、
爪噛みや指しゃぶりで苦労している人は、試してみる価値はあると思います。
ただ、爪噛みや指しゃぶりなどの根本的な原因は、夫婦関係や家族の中など
別の所にある場合も多いので、頭ごなしに怒ったり叱ったりするのでは無く、
子どもがどんなことにストレスを感じているかと言うことも気にしてあげたいですね。
2015年11月03日
アスペ嫁には、片付け方の本よりもハンガーとクローゼットが必要。
ADHD。いわゆる注意欠陥多動性障害と呼ばれている障害。
一昔前に比べると「片付けられない女」というテレビや雑誌の
特集などから世間的な認知は多くなった発達障害だと思います。
同じようなものでADDというのもあります。
ADHDのHがないだけです。Hは多動性(hyperactivity)。
男性に比べて女性は多動性を伴わないことも多く、
ADDと診断されることも多いそうです。
アスペ嫁も細かく言うとADDになるのかと思いますが、
多動性が全くないと言うより、目立たないといった方が
良いかもしれません。よく観察していると目立たないけど多動性
的な行動はしていることは結構あります。
まあ、生活に支障が無ければぶっちゃけADHDでもADDでも
実際どちらでも構わないのですが…片付けすることが苦手である
と言うことは一緒でしょうね。
以前にも話したように、アスペ嫁に炊事、洗濯、家事、掃除など
一般的な主婦のようにやってもらうこと自体に無理があることなのでしょう。
私の中で、「家事は女性がやるもの!」「自分の母親は全部1人でやっていた」
という事実が先入観で頭にこびりついているため、どうしても、
いつかは自分の母親のような1人で家のことをやってくれるようなことを
アスペ嫁に望んでいるというのがあるのですよね。
でも、やっぱりそれは健常者であればこそ出来る話であるのだろうと思います。
そんな奥様になってもらいたいと、私自身が主婦の仕事を勉強して1から10まで、
洗濯の仕方、干し方、取り込み方、たたみ方、しまいかたまで何度も見本を
見せて躍起になって教えたことでしょう。
花嫁修業をなんで旦那が教えなくちゃいかんのだ?というもどかしさはありましたが、
こちらが誠心誠意、懸命に伝えれば最終的には当然分かってくれるときが来ると疑わず、
そういうことをしていたときがあります。
ADHDの本も何十冊も買いあさり、読みあさり
アスペ嫁にも読んで理解して欲しいと
読ませたりもいやというほどしました。
その結果得られたものは……。私のちょっとした知識と疲労感のみ。
本は読んでも自分が読みたいものではないので、アスペ嫁の頭に入らず、
人が見せてくれた見本は、その瞬間は分かるけど自分一人になると
忘れてしまうと言う問題があり、私の疲労感だけが残りました。
洗濯という話で言えば、しまって収納するところまでが
一般的な主婦の仕事になると思いますが、やはり一般的を
期待するというのが間違っているのでしょう。
「耳に障害があり聞こえない人に、頑張って耳を澄ましてご覧なさい」
とむちゃくちゃなことをいっているようなことなのだろうなぁと。
アスペ嫁は洗濯物をしまうというのが苦手なだけでなく、
その習慣もないのです。そう言う人にいくらこちらの理想を
押しつけても、3日続けば良くて、メッキはすぐに落ちます。
唯一アスペ嫁が出来るのは、洋服をハンガーにセットしてクローゼットへ
かけること。片付けられないもので多くなりがちなのが洗濯物や着るものなので、
わが家の場合は、もう「しまう」ということにこだわらず、「ハンガーでかける」という
ことが出来ていれば良しということにしたのです。
これはアスペ嫁にとって、すばらしい発達障害の本を読まされるより、
私の見本を見せられるより、やりやすかったようです。
しまい方を長時間レクチャーするより、ハンガーを掛けられる場所を増やすことで、
洗濯物がイスなどに散乱することが減りました。しかも、視覚に入ってきやすいので、
どこに何があるかもわかりやすいようです。
こういう感覚というのは、ADHDなど発達障害の度合いによってかなり異なると思います。
どうしても、自分の知っている正しいやり方を押しつけたくなるのですが、障害がある人
と生活をするわけですから、「今現在相手が出来ていること」を主軸にサポートする方法
という見方も必要なのだろうと実感させられました。
しかし、生活内の全ての細かいことをわからせようと躍起になる必要はないのだと
思います。理想や願望はおいておいて、客観的に「何なら出来て」「何が出来にくいのか」
というポイントをみると、何かしら改善の策がみえてくるのかもしれません。
出来ないものを頑張ってレクチャーしても期待通りに出来るようにはなりません。
そして、一般的な人間より障害があるが故に、「出来ないことが多い」ということも
認知していく必要があるのだと思います。
「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組み
一昔前に比べると「片付けられない女」というテレビや雑誌の
特集などから世間的な認知は多くなった発達障害だと思います。
同じようなものでADDというのもあります。
ADHDのHがないだけです。Hは多動性(hyperactivity)。
男性に比べて女性は多動性を伴わないことも多く、
ADDと診断されることも多いそうです。
アスペ嫁も細かく言うとADDになるのかと思いますが、
多動性が全くないと言うより、目立たないといった方が
良いかもしれません。よく観察していると目立たないけど多動性
的な行動はしていることは結構あります。
まあ、生活に支障が無ければぶっちゃけADHDでもADDでも
実際どちらでも構わないのですが…片付けすることが苦手である
と言うことは一緒でしょうね。
以前にも話したように、アスペ嫁に炊事、洗濯、家事、掃除など
一般的な主婦のようにやってもらうこと自体に無理があることなのでしょう。
私の中で、「家事は女性がやるもの!」「自分の母親は全部1人でやっていた」
という事実が先入観で頭にこびりついているため、どうしても、
いつかは自分の母親のような1人で家のことをやってくれるようなことを
アスペ嫁に望んでいるというのがあるのですよね。
でも、やっぱりそれは健常者であればこそ出来る話であるのだろうと思います。
そんな奥様になってもらいたいと、私自身が主婦の仕事を勉強して1から10まで、
洗濯の仕方、干し方、取り込み方、たたみ方、しまいかたまで何度も見本を
見せて躍起になって教えたことでしょう。
花嫁修業をなんで旦那が教えなくちゃいかんのだ?というもどかしさはありましたが、
こちらが誠心誠意、懸命に伝えれば最終的には当然分かってくれるときが来ると疑わず、
そういうことをしていたときがあります。
ADHDの本も何十冊も買いあさり、読みあさり
アスペ嫁にも読んで理解して欲しいと
読ませたりもいやというほどしました。
その結果得られたものは……。私のちょっとした知識と疲労感のみ。
本は読んでも自分が読みたいものではないので、アスペ嫁の頭に入らず、
人が見せてくれた見本は、その瞬間は分かるけど自分一人になると
忘れてしまうと言う問題があり、私の疲労感だけが残りました。
洗濯という話で言えば、しまって収納するところまでが
一般的な主婦の仕事になると思いますが、やはり一般的を
期待するというのが間違っているのでしょう。
「耳に障害があり聞こえない人に、頑張って耳を澄ましてご覧なさい」
とむちゃくちゃなことをいっているようなことなのだろうなぁと。
アスペ嫁は洗濯物をしまうというのが苦手なだけでなく、
その習慣もないのです。そう言う人にいくらこちらの理想を
押しつけても、3日続けば良くて、メッキはすぐに落ちます。
唯一アスペ嫁が出来るのは、洋服をハンガーにセットしてクローゼットへ
かけること。片付けられないもので多くなりがちなのが洗濯物や着るものなので、
わが家の場合は、もう「しまう」ということにこだわらず、「ハンガーでかける」という
ことが出来ていれば良しということにしたのです。
これはアスペ嫁にとって、すばらしい発達障害の本を読まされるより、
私の見本を見せられるより、やりやすかったようです。
しまい方を長時間レクチャーするより、ハンガーを掛けられる場所を増やすことで、
洗濯物がイスなどに散乱することが減りました。しかも、視覚に入ってきやすいので、
どこに何があるかもわかりやすいようです。
こういう感覚というのは、ADHDなど発達障害の度合いによってかなり異なると思います。
どうしても、自分の知っている正しいやり方を押しつけたくなるのですが、障害がある人
と生活をするわけですから、「今現在相手が出来ていること」を主軸にサポートする方法
という見方も必要なのだろうと実感させられました。
しかし、生活内の全ての細かいことをわからせようと躍起になる必要はないのだと
思います。理想や願望はおいておいて、客観的に「何なら出来て」「何が出来にくいのか」
というポイントをみると、何かしら改善の策がみえてくるのかもしれません。
出来ないものを頑張ってレクチャーしても期待通りに出来るようにはなりません。
そして、一般的な人間より障害があるが故に、「出来ないことが多い」ということも
認知していく必要があるのだと思います。
「わかっているのにできない」脳〈1〉エイメン博士が教えてくれるADDの脳の仕組み
2015年11月02日
人間は変化の中にしか幸せを見つけることが難しい生き物。
私の独り言でもよくでてくる「幸せ」という言葉。
この幸せというのは、人間の数だけあるのだと思いますので、
何が成功で何が失敗という基準もつくりにくいのが正直なところでしょう。
私の場合、自分が求める幸せ像に異常なぐらい「固執」「執着」をしていた、
というところが「毎日の不幸感」につながっているのだろうと自分で認識しています。
内容は人それぞれでしょうが、もし、ちょっとした幸せなことがあったとしても
結局、自分の理想にはほど遠いため、そのちょっとした幸せをかき消してしまいます。
そのかわり、他人のちょっとした幸せには、なぜかイラッとしてしまうという偏屈な
性格もあったりしました。
アスペ嫁の脳の中はどうなっているかを考察しても、死ぬまで解明できないのが
オチですので、自分がどういうときに幸せだなぁと感じることが出来ているのか?
をかんがえてみることにしました。
多分アスペ嫁が精一杯頑張って、私が望むような方向へ向かったとしても、
それが普通になってしまうと、またそれ以上のものを求め始めるのだろうと思います。
人間って、同じ環境など変化の内状態に染まっていくと、それが普通になってしまう。
という順応性を持っているのです。
毎日、最高級の食材を用いた料理を食べていたら、それが基準に成って普通になるでしょうし、
逆に、毎日質素な食事で生活していれば、それが基準に普通になると言うことです。
たまに、いつもと違うものを食べるという変化があると、それが生活の中では
刺激になり、もの凄く特別に感じたりします。
たとえが悪いですが、不倫なんかも同じような感覚では無いでしょうか。
毎日同じパートナーを見ているよりも、自分のパートナーでは見られないような
一面が見られる不倫相手に変化を求めて、その中に特別なものを感じて満たされたり。
もちろん、不倫が良くないというのは大前提ですが、
日常生活の中で、変化を生み出すことが出来ず、パートナーも協力してくれず、
その過程で、自分の理想へと誘ってくれるような変化を与えてくれる人が現れたら、
そこに幸せを見いだして動いてしまうのかもしれません。
これらは、周りに変化を求めて幸せを感じるというパターンなのだろうと思います。
人間は、変化がないと幸せというものを感じにくくなる生き物なのかもしれません。
どんなにすばらしいパートナーを見つけて一緒になっても、それが普通になってしまえば、
変化がない生活になってしまい、幸せ感が満たせなくなるという悪循環。
結局自分の外側に変化を求める。変化を追いかける。ということで幸せを得ると言うことも
できますが、それは刹那的でいつまでも続くものではないということになるのでしょう。
そう考えると、自分の外側に変化を求めるのでは無く、自分の内側に変化を
求めていくということが、本来の幸せを長く続けられる事なのかもしれません。
アスペ嫁に対して言えば、自分が思うように変わってくれれば幸せ!に感じ
られるのかもしれませんが、これは妄想の域の話ですから、自分の理想を
大きく下げて、その低いラインでちょっとでも幸せ感が得られるのであれば
毎日のストレスも溜まりにくく、相手も自己肯定感を下げず、お互いうまく
バランスが取れた生活が出来るのでは無いかと思います。
(※ただ、一般的な家庭や一般的な夫婦というのは追い求めてもむずかしいでしょう)
毎日のつまらないと思えるような生活の中で、自分の心に変化を起こして、
それをじっくりかみしめるという大切さを学んでいきたいです。
こんなに頑張ってるのにうまくいかない!!と思ったら読む本 1日1回のひと言で人生が劇的に変わるカンタン心理術 (impress QuickBooks)
この幸せというのは、人間の数だけあるのだと思いますので、
何が成功で何が失敗という基準もつくりにくいのが正直なところでしょう。
私の場合、自分が求める幸せ像に異常なぐらい「固執」「執着」をしていた、
というところが「毎日の不幸感」につながっているのだろうと自分で認識しています。
内容は人それぞれでしょうが、もし、ちょっとした幸せなことがあったとしても
結局、自分の理想にはほど遠いため、そのちょっとした幸せをかき消してしまいます。
そのかわり、他人のちょっとした幸せには、なぜかイラッとしてしまうという偏屈な
性格もあったりしました。
アスペ嫁の脳の中はどうなっているかを考察しても、死ぬまで解明できないのが
オチですので、自分がどういうときに幸せだなぁと感じることが出来ているのか?
をかんがえてみることにしました。
多分アスペ嫁が精一杯頑張って、私が望むような方向へ向かったとしても、
それが普通になってしまうと、またそれ以上のものを求め始めるのだろうと思います。
人間って、同じ環境など変化の内状態に染まっていくと、それが普通になってしまう。
という順応性を持っているのです。
毎日、最高級の食材を用いた料理を食べていたら、それが基準に成って普通になるでしょうし、
逆に、毎日質素な食事で生活していれば、それが基準に普通になると言うことです。
たまに、いつもと違うものを食べるという変化があると、それが生活の中では
刺激になり、もの凄く特別に感じたりします。
たとえが悪いですが、不倫なんかも同じような感覚では無いでしょうか。
毎日同じパートナーを見ているよりも、自分のパートナーでは見られないような
一面が見られる不倫相手に変化を求めて、その中に特別なものを感じて満たされたり。
もちろん、不倫が良くないというのは大前提ですが、
日常生活の中で、変化を生み出すことが出来ず、パートナーも協力してくれず、
その過程で、自分の理想へと誘ってくれるような変化を与えてくれる人が現れたら、
そこに幸せを見いだして動いてしまうのかもしれません。
これらは、周りに変化を求めて幸せを感じるというパターンなのだろうと思います。
人間は、変化がないと幸せというものを感じにくくなる生き物なのかもしれません。
どんなにすばらしいパートナーを見つけて一緒になっても、それが普通になってしまえば、
変化がない生活になってしまい、幸せ感が満たせなくなるという悪循環。
結局自分の外側に変化を求める。変化を追いかける。ということで幸せを得ると言うことも
できますが、それは刹那的でいつまでも続くものではないということになるのでしょう。
そう考えると、自分の外側に変化を求めるのでは無く、自分の内側に変化を
求めていくということが、本来の幸せを長く続けられる事なのかもしれません。
アスペ嫁に対して言えば、自分が思うように変わってくれれば幸せ!に感じ
られるのかもしれませんが、これは妄想の域の話ですから、自分の理想を
大きく下げて、その低いラインでちょっとでも幸せ感が得られるのであれば
毎日のストレスも溜まりにくく、相手も自己肯定感を下げず、お互いうまく
バランスが取れた生活が出来るのでは無いかと思います。
(※ただ、一般的な家庭や一般的な夫婦というのは追い求めてもむずかしいでしょう)
毎日のつまらないと思えるような生活の中で、自分の心に変化を起こして、
それをじっくりかみしめるという大切さを学んでいきたいです。
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