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2015年11月12日
2015年11月11日のつぶやき
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アスペ夫、アスペ妻、子どもが好きでない人が子どもを育てるということ。
ネット上のアスペルガーの掲示板などでは、かなりアスペに対する
差別的な発言や、誤った障害の解釈などが平気で流れています。
ある意味、それが一般的な人たちが胸に秘める素直な感情なのでしょう。
ですから、それが良いとも悪いとも私は思いません。仮にアスペが世の中に
相当認知されたからといっても、自分の生活がころっと変わると言うことは
ありません。むしろカサンドラ症候群などが認知が深まった方が、アスペとの
生活に疲弊してしまったパートナーからすると安らぎになるのかもしれません。
アスペ配偶者だけであれば、まだしも子どもも絡んでくると内容の複雑さ
だけでなく、気持ちの複雑さが問題を大きくすることが多いです。
〇子どもが好きでないのに、子どもを産みたいという矛盾。
アスペ嫁は、子どもが大っ嫌いです。これは以前からお伝えしていることですが、
憶測とかで亡く、本人がそう言うので、そうなのでしょう。
とは言っても、解説が必要ですね。例外則があります。
「我が子」以外の子ども「4歳ぐらい〜中学生ぐらいまで」といった方が良いです。
子どもはどうしても成長過程ですと、自分中心な発言や行動が目立ちます。
まさにアスペ嫁の原型とも呼べるのでは?と私は思っていますが、それがアスペ嫁
にとってはダメなんです。自分は好きな発言をして、好きな行動をしてもOKなのに、
子どもがやると許せなくてイライラするんですって。
まさに、ジャイアンそのものですね。自分が良くて他人は駄目って…
例外則で好きなのは「0歳〜2歳ぐらいまでのまだ喋らない我が子」といった方が
適切な気がします。
それでも、子どもが産みたいって私には正直意味が分かりませんでした。
おそらく動物の本能みたいなものなのでしょうか。人間は動物の中で一番
世話がかかる赤ちゃんだと思います。馬やキリンのように生まれてすぐに
立つ何てことは出来ませんから。
〇どこかに連れて行くというのが限界。一緒に遊ぶのは困難。
アスペ嫁でなかったら自分もこんなに子育てに参加することは、
正直なかったであろうと思います。子育ては母親がやるもの!みたいな
先入観が私の中ではかなり強かったので、それが出来ないアスペ嫁が
おかしいんだという判断しか出来ない時期もありました。
アスペ嫁にとっての子どもと遊んであげるという発想は、どっかに
連れて行ってあげること。公園でも、遊園地でも、海でも、山でも、
どこでも良いのですが、景色が変わるとこへ連れて行くというのが、
本人の中では遊んであげたことになるそうです。
「あんなに、色んな所連れて行ったのだからもういいでしょ?」
みたいなことを子どもに言って、結果的に子どもが不服そうな気持ちで
やりとりが終わると言うことが多いアスペ嫁と子ども達。
どっかに、連れて行ってもぼけーっとしているんですよ。アスペ嫁は^^
アスペ夫なんかの場合は、衝動的でじっとしていられない人が多いから、
どんどん次へ次へと1人で歩いて行ってしまうことも多いかもしれません。
当然、子ども達はそれで満足する場合もありますが、本当に子どもが求めているのは、
どっかに連れて行ってくれると言うことだけでは無いのです。
親が、心底楽しんで遊んでくれているかがすごく重要なのです。
〇自分も得体の知れない動物だが、予測できない子どもはストレスの種
子育ては、正直アスペであろうがなかろうが、誰にも予測できない、
思い通りにならないストレスが溜まるという一面がどうしてもあります。
子どもの寝顔を見て可愛いなぁと思うときがある反面、起きていれば
子どもは癇癪を起こしたり、意味もなく泣きわめいたり、やめてといっても
止めずに延々と遊んでいたり、とにかく、親の思ったとおりに動かないのが
子どもなのでしょうね。
コレを支配するという意味でなく、どうコントロール出来るか、親の力量に
関わってくるのだろうと思います。
アスペ嫁の特性が分かってからは、アスペ嫁なりに相当頑張って
子育てをしているのだろうと実感をする事が出来るように多少はなりました。
しかし問題は、私が要ようやく受け入れられるようになってきても、今度は、
子どもが自分の母親の有様を受け入れられないという問題も出てくるのです。
子どももいつまでも、おんぶやおっぱいではありません。コミュニケーションの
なかで納得して行動したり理解したり、成長していきますので、自分の母親が
トンチンカンなことばかり言っていることに小学高学年ぐらいになると気づいてくるんです。
子どもは当然納得がいく答えをもらおうとアスペ嫁に詰め寄りますが、その回答も
トンチンカンで、会話が成立しません。
さらに、我が子が自閉症スペクトラム圏にいるという確率も高く、
より一層コミュニケーションが出来ない中で生活すると言うことが予測できるのです。
私も不安定、子どもも不安定、アスペ嫁はトンチンカン、どう転んでも
機能不全家族以外の何者でもありません^^でもこの中でうまく生活しやすい
方法を模索してければ良いかなとも最近は思います。
そこまでするか! モンスタークレーマー
差別的な発言や、誤った障害の解釈などが平気で流れています。
ある意味、それが一般的な人たちが胸に秘める素直な感情なのでしょう。
ですから、それが良いとも悪いとも私は思いません。仮にアスペが世の中に
相当認知されたからといっても、自分の生活がころっと変わると言うことは
ありません。むしろカサンドラ症候群などが認知が深まった方が、アスペとの
生活に疲弊してしまったパートナーからすると安らぎになるのかもしれません。
アスペ配偶者だけであれば、まだしも子どもも絡んでくると内容の複雑さ
だけでなく、気持ちの複雑さが問題を大きくすることが多いです。
〇子どもが好きでないのに、子どもを産みたいという矛盾。
アスペ嫁は、子どもが大っ嫌いです。これは以前からお伝えしていることですが、
憶測とかで亡く、本人がそう言うので、そうなのでしょう。
とは言っても、解説が必要ですね。例外則があります。
「我が子」以外の子ども「4歳ぐらい〜中学生ぐらいまで」といった方が良いです。
子どもはどうしても成長過程ですと、自分中心な発言や行動が目立ちます。
まさにアスペ嫁の原型とも呼べるのでは?と私は思っていますが、それがアスペ嫁
にとってはダメなんです。自分は好きな発言をして、好きな行動をしてもOKなのに、
子どもがやると許せなくてイライラするんですって。
まさに、ジャイアンそのものですね。自分が良くて他人は駄目って…
例外則で好きなのは「0歳〜2歳ぐらいまでのまだ喋らない我が子」といった方が
適切な気がします。
それでも、子どもが産みたいって私には正直意味が分かりませんでした。
おそらく動物の本能みたいなものなのでしょうか。人間は動物の中で一番
世話がかかる赤ちゃんだと思います。馬やキリンのように生まれてすぐに
立つ何てことは出来ませんから。
〇どこかに連れて行くというのが限界。一緒に遊ぶのは困難。
アスペ嫁でなかったら自分もこんなに子育てに参加することは、
正直なかったであろうと思います。子育ては母親がやるもの!みたいな
先入観が私の中ではかなり強かったので、それが出来ないアスペ嫁が
おかしいんだという判断しか出来ない時期もありました。
アスペ嫁にとっての子どもと遊んであげるという発想は、どっかに
連れて行ってあげること。公園でも、遊園地でも、海でも、山でも、
どこでも良いのですが、景色が変わるとこへ連れて行くというのが、
本人の中では遊んであげたことになるそうです。
「あんなに、色んな所連れて行ったのだからもういいでしょ?」
みたいなことを子どもに言って、結果的に子どもが不服そうな気持ちで
やりとりが終わると言うことが多いアスペ嫁と子ども達。
どっかに、連れて行ってもぼけーっとしているんですよ。アスペ嫁は^^
アスペ夫なんかの場合は、衝動的でじっとしていられない人が多いから、
どんどん次へ次へと1人で歩いて行ってしまうことも多いかもしれません。
当然、子ども達はそれで満足する場合もありますが、本当に子どもが求めているのは、
どっかに連れて行ってくれると言うことだけでは無いのです。
親が、心底楽しんで遊んでくれているかがすごく重要なのです。
〇自分も得体の知れない動物だが、予測できない子どもはストレスの種
子育ては、正直アスペであろうがなかろうが、誰にも予測できない、
思い通りにならないストレスが溜まるという一面がどうしてもあります。
子どもの寝顔を見て可愛いなぁと思うときがある反面、起きていれば
子どもは癇癪を起こしたり、意味もなく泣きわめいたり、やめてといっても
止めずに延々と遊んでいたり、とにかく、親の思ったとおりに動かないのが
子どもなのでしょうね。
コレを支配するという意味でなく、どうコントロール出来るか、親の力量に
関わってくるのだろうと思います。
アスペ嫁の特性が分かってからは、アスペ嫁なりに相当頑張って
子育てをしているのだろうと実感をする事が出来るように多少はなりました。
しかし問題は、私が要ようやく受け入れられるようになってきても、今度は、
子どもが自分の母親の有様を受け入れられないという問題も出てくるのです。
子どももいつまでも、おんぶやおっぱいではありません。コミュニケーションの
なかで納得して行動したり理解したり、成長していきますので、自分の母親が
トンチンカンなことばかり言っていることに小学高学年ぐらいになると気づいてくるんです。
子どもは当然納得がいく答えをもらおうとアスペ嫁に詰め寄りますが、その回答も
トンチンカンで、会話が成立しません。
さらに、我が子が自閉症スペクトラム圏にいるという確率も高く、
より一層コミュニケーションが出来ない中で生活すると言うことが予測できるのです。
私も不安定、子どもも不安定、アスペ嫁はトンチンカン、どう転んでも
機能不全家族以外の何者でもありません^^でもこの中でうまく生活しやすい
方法を模索してければ良いかなとも最近は思います。
そこまでするか! モンスタークレーマー
2015年11月11日
アスペ親をなんとかするのではなく、距離を取って自分の心に余裕を持とう!
アスペ親とどう向き合っていけば良いのだろう!?という問題は、
目に見えない積算された心の闇が埋もれています。アスペ嫁についても
同様のことが言えますが、実の親だったりすると、血がつながっているばかりに、
余計な感情がまぎれこんでより心理的な不安を複雑にさせるのです。
〇アスペ親とは距離を詰めすぎない。
一番簡単な方法は、距離を取るということです。
これは相手を無視をするというのとはちょっと違います。
親の恥は、自分の恥、自分の恥は親の恥という感覚があるため、
どうしても、親のやることなすことが目についてしまうと言うことがあります。
しかし、DNAは同じでも、同じ血が流れていても、親は、親、自分は自分なのです。
親の恥は、自分の恥ではありません。同居をしていると、この問題は非常に解決する
のに精神を疲弊させる面があります。いくら距離を取っても同じ屋根の下で生活を
していると、どうしてもはちあってしまうときがありますから。
別居している場合は、どんなに親がストレスに感じたとしても、
距離を取ると言うことは、こちらが心に決めれば比較的容易にできます。
ただ、ここでいっている距離を取ると言うことは、物理的に距離をとる
ということもありますが、精神的に依存し合わないという意味の距離を取るという
事も含まれています。
色んな事情があり、同居せざるをえないという人もいるでしょうが、
どうしてもアスペ親に我慢がならないという人は、同居しない生活スタイルを
自分なりに模索してみることが一番大切なポイントで無いかと思います。
同居にふんぎりをつけて、自立をすることには経済的な問題、精神的な問題や、
子どもの問題などがあったりするかもしれませんが、少なくともそういったことを
現実的に自分で解決できないという場合は、親にどうしても依存している部分はあるといえます。
世話になっているという持ちつ持たれつの関係だと割り切れれば、
なんとか生活は続けられると思いますが、我慢して毎日過ごしている人
の方が多いでしょうから、同居の人は色んな板挟みで大変だと思います。
相手が変わらないなら、力尽くでも言うことを聞かせよう!なんてことに
なってくると、かなり危険な域に入ってくるわけで、やはり我慢が継続できない
場合は、なんとか同居から自立へと向かい、物理的に顔を合わせなくてすむ環境を
作ると言うことも必要だと思います。
〇親を無理矢理「自閉症スペクトラム」確定診断へと誘い込まない。
60歳、70歳になって、仮に病院に行ってアスペルガー症候群です、自閉症スペクトラムです。
と診断されたとしても、それが本当に本人にとって良いかどうかは本人しか分かりません。
診断されたからと言っても、病気のように改善していかないのが障害の厳しい現実でもあります。
ましてや、残り数十年であろう人生を残して、
「あなたの人生間違っていたんだよ!」
「あなたがおかしい!」
と宣告されたとして向上心に胸を弾ませて残りの人生を楽しめるでしょうか?
そう考えると、アスペ親に、「あんたはアスペなんだよ!」ということ、つまり確定診断をする
ということは、本当に本人が悩んでいるときで無ければやるべきではありません。
共感する必要も、理解する必要もないですが、もうその生き方のスタイルを変えられない
人間なのだという認識の元で受け入れることでしか共生はむずかしいでしょう。
距離を取って、自分の気持ちにすこしずつ余裕が出てくれば、そんな親でも
部分的には受け入れられるときが来るかもしれません。
全てアスペ親を受け入れなくちゃとか、アスペ親を全部許してあげようとかは、あとで良いんです。
無理して、余裕のない心で教科書通りの対応を目指そうとしてもそれは自分に嘘をついていることになります。
「今はこの人が憎い、許せない」という自分の気持ちを自分でしっかり理解してあげること
が大切だったりするのです。
「この親は自分が居なくては何をしでかすか分からない!」
「心配でそばにいなければならない!」
そんな風に自分で自分のことを縛りすぎないようにしたいですね。逆過干渉ですね。
もちろん、心配で何をしでかすか分かりませんが、それを想像しているだけで
ストレスが溜まりそうです^^もしトラブルが起こってしまっても、それはそれで
その時に考えるというぐらいの割り切り方が必要だと思います。
これは、子育てにも同じような場面があると思います。
未成熟な幼児は成長の余地があるという点は異なりますが、
「あのこは何をするか分からない」
「私がいないと何もできない」
と親が何でも子どもにしてあげてしまうと、結果的に子どもの自立を阻害します。
親と離れるというのは、親に1人で頑張ってもらうという冷たい行為では無く、
むしろ自分自身の自立のためでもあるのです。
親であろうがパートナーであろうが、何人たりとも、自分自身の幸せを
阻害したり、ストレスの根源となり、それを受け止められない状態であれば、
やはり、距離を取って自分自身の幸せを見つめ直すということがたいせつなの
かもしれませんね。
本当に幸せ一杯な気持ちの時は、おそらく、周りが変な行動しようが発言しようが、
流したり、執着しなくてすみますから。
よくわかる心理カウンセリング (図解雑学)
目に見えない積算された心の闇が埋もれています。アスペ嫁についても
同様のことが言えますが、実の親だったりすると、血がつながっているばかりに、
余計な感情がまぎれこんでより心理的な不安を複雑にさせるのです。
〇アスペ親とは距離を詰めすぎない。
一番簡単な方法は、距離を取るということです。
これは相手を無視をするというのとはちょっと違います。
親の恥は、自分の恥、自分の恥は親の恥という感覚があるため、
どうしても、親のやることなすことが目についてしまうと言うことがあります。
しかし、DNAは同じでも、同じ血が流れていても、親は、親、自分は自分なのです。
親の恥は、自分の恥ではありません。同居をしていると、この問題は非常に解決する
のに精神を疲弊させる面があります。いくら距離を取っても同じ屋根の下で生活を
していると、どうしてもはちあってしまうときがありますから。
別居している場合は、どんなに親がストレスに感じたとしても、
距離を取ると言うことは、こちらが心に決めれば比較的容易にできます。
ただ、ここでいっている距離を取ると言うことは、物理的に距離をとる
ということもありますが、精神的に依存し合わないという意味の距離を取るという
事も含まれています。
色んな事情があり、同居せざるをえないという人もいるでしょうが、
どうしてもアスペ親に我慢がならないという人は、同居しない生活スタイルを
自分なりに模索してみることが一番大切なポイントで無いかと思います。
同居にふんぎりをつけて、自立をすることには経済的な問題、精神的な問題や、
子どもの問題などがあったりするかもしれませんが、少なくともそういったことを
現実的に自分で解決できないという場合は、親にどうしても依存している部分はあるといえます。
世話になっているという持ちつ持たれつの関係だと割り切れれば、
なんとか生活は続けられると思いますが、我慢して毎日過ごしている人
の方が多いでしょうから、同居の人は色んな板挟みで大変だと思います。
相手が変わらないなら、力尽くでも言うことを聞かせよう!なんてことに
なってくると、かなり危険な域に入ってくるわけで、やはり我慢が継続できない
場合は、なんとか同居から自立へと向かい、物理的に顔を合わせなくてすむ環境を
作ると言うことも必要だと思います。
〇親を無理矢理「自閉症スペクトラム」確定診断へと誘い込まない。
60歳、70歳になって、仮に病院に行ってアスペルガー症候群です、自閉症スペクトラムです。
と診断されたとしても、それが本当に本人にとって良いかどうかは本人しか分かりません。
診断されたからと言っても、病気のように改善していかないのが障害の厳しい現実でもあります。
ましてや、残り数十年であろう人生を残して、
「あなたの人生間違っていたんだよ!」
「あなたがおかしい!」
と宣告されたとして向上心に胸を弾ませて残りの人生を楽しめるでしょうか?
そう考えると、アスペ親に、「あんたはアスペなんだよ!」ということ、つまり確定診断をする
ということは、本当に本人が悩んでいるときで無ければやるべきではありません。
共感する必要も、理解する必要もないですが、もうその生き方のスタイルを変えられない
人間なのだという認識の元で受け入れることでしか共生はむずかしいでしょう。
距離を取って、自分の気持ちにすこしずつ余裕が出てくれば、そんな親でも
部分的には受け入れられるときが来るかもしれません。
全てアスペ親を受け入れなくちゃとか、アスペ親を全部許してあげようとかは、あとで良いんです。
無理して、余裕のない心で教科書通りの対応を目指そうとしてもそれは自分に嘘をついていることになります。
「今はこの人が憎い、許せない」という自分の気持ちを自分でしっかり理解してあげること
が大切だったりするのです。
「この親は自分が居なくては何をしでかすか分からない!」
「心配でそばにいなければならない!」
そんな風に自分で自分のことを縛りすぎないようにしたいですね。逆過干渉ですね。
もちろん、心配で何をしでかすか分かりませんが、それを想像しているだけで
ストレスが溜まりそうです^^もしトラブルが起こってしまっても、それはそれで
その時に考えるというぐらいの割り切り方が必要だと思います。
これは、子育てにも同じような場面があると思います。
未成熟な幼児は成長の余地があるという点は異なりますが、
「あのこは何をするか分からない」
「私がいないと何もできない」
と親が何でも子どもにしてあげてしまうと、結果的に子どもの自立を阻害します。
親と離れるというのは、親に1人で頑張ってもらうという冷たい行為では無く、
むしろ自分自身の自立のためでもあるのです。
親であろうがパートナーであろうが、何人たりとも、自分自身の幸せを
阻害したり、ストレスの根源となり、それを受け止められない状態であれば、
やはり、距離を取って自分自身の幸せを見つめ直すということがたいせつなの
かもしれませんね。
本当に幸せ一杯な気持ちの時は、おそらく、周りが変な行動しようが発言しようが、
流したり、執着しなくてすみますから。
よくわかる心理カウンセリング (図解雑学)
2015年11月10日
アスペルガー症候群の親に対する接し方。確定診断の強制は逆効果。期待は不幸感を割り増しにします。
アスペ嫁の母親は、未診断ですが、おそらくなんらかの発達障害があります。
これは決めつけているわけでは無く、本人の幼少期からの聞き取り、
近所の同級生の人からの聞き取り、子ども達からの聞き取り、実際に
起こしたトラブルなどから考察した結果、私の中でそう思ったと言うことです。
ADDが強いアスペという感じで、アスペ嫁とかなり似通った部分があります。
それでも細かいこだわり部分は、かなり違っている部分が多いので、
ひとことで、アスペといっても幅や症状が広すぎるというのが現実だと思います。
30代〜40代の親というと、団塊の世代と呼ばれる年齢層です。
戦後に生まれて、オイルショックや高度成長期、バブルなどさまざまな
昭和時代を駆け抜けてきた人たちです。
家庭内の役割として、仕事、家庭という分担が明確にされていた時代でもあるでしょう。
その親がもしアスペルガー症候群などの発達障害だったとしたら、
一体どうすれば良いのでしょうか?
こういうことに気づくときはいくつかケースがあると思います。
・自分自身がアダルトチルドレンではないかと実感した結果。
・自分自身が自閉症スペクトラムだと感じた結果。
・実際に親がトラブルを起こしてその尻ぬぐいをした結果。
・2世帯、3世帯で同居をし続けてコミュニケーションが取れないと実感した結果。
などなど、きっかけは人それぞれだと思います。
自分の親や、パートナーの親が、自閉症スペクトラムっぽい!
あの親はアスペだ!自分の親は発達障害だ!といったり思うのは簡単です。
おそらく、あながちその考え方は全てが間違っているわけでは無いと思います。
身を寄せようとすればするほど、ハリネズミのジレンマのごとく、
お互いが傷つけ合ってしまうと言う何とも悲しい関係。
実の親子なのに、どうしてこんなに意思疎通が出来ないのだろう。
そんな風に悩んで悩んでどんどん神経をすり減らしている人は決して
少なくありません。
でも、親子だから意思疎通できて当然と思うのは私たちのあくまでも理想なのです。
当然親子だって、意思疎通が出来ないという場合もあるのだとおもいます。特に
発達障害の場合は顕著になります。極論、今に始まった話では無いんです。
まず、私たちが認知した方が良い点は、
「親やパートナーの親がアスペや自閉症スペクトラムでも、私たちが変えることは出来ない」
ということ。
もっといえば、アスペの親に限らず、他人と過去はやはり変えられません。
アスペの親に不満を持つ人たちは、はじめは「もっとこちらが思っているようにこうして欲しい」
とか、「こちらが恥を掻くようなことはしないでほしい」と本人に助言していたりします。
しかし、相手はその言葉を聞いてはいても、一向に変わったり行動に移ることはありません。
こちらからすれば、無視されたとか、約束を破られたという被害者意識が強くなり、
だんだんその気持ちが肥大化していくと、憎悪という塊になっていくことも少なくありません。
感情を高ぶらせながら、アスペ親に「あーして、こーして」「あなたのココが良くない」
などだめ出しをしても、火に油を注ぐだけです。これをやり続けるともれなく、
関係が必ず劣悪になってきますので、「あれだけ言っているのだから…」「いい年してるのだから…」
などと、変わってくれることを期待するのは、おすすめできません。
こんな憎悪の塊をひとりで肩に背負いながら毎日を生活したって、
不幸感を増すだけです。不幸を求めているならおすすめできますが、
私たちが求めているのは幸せ感ですから、その一手となるのは期待しない心なのです。
つづく
大人の発達障害ってそういうことだったのか
これは決めつけているわけでは無く、本人の幼少期からの聞き取り、
近所の同級生の人からの聞き取り、子ども達からの聞き取り、実際に
起こしたトラブルなどから考察した結果、私の中でそう思ったと言うことです。
ADDが強いアスペという感じで、アスペ嫁とかなり似通った部分があります。
それでも細かいこだわり部分は、かなり違っている部分が多いので、
ひとことで、アスペといっても幅や症状が広すぎるというのが現実だと思います。
30代〜40代の親というと、団塊の世代と呼ばれる年齢層です。
戦後に生まれて、オイルショックや高度成長期、バブルなどさまざまな
昭和時代を駆け抜けてきた人たちです。
家庭内の役割として、仕事、家庭という分担が明確にされていた時代でもあるでしょう。
その親がもしアスペルガー症候群などの発達障害だったとしたら、
一体どうすれば良いのでしょうか?
こういうことに気づくときはいくつかケースがあると思います。
・自分自身がアダルトチルドレンではないかと実感した結果。
・自分自身が自閉症スペクトラムだと感じた結果。
・実際に親がトラブルを起こしてその尻ぬぐいをした結果。
・2世帯、3世帯で同居をし続けてコミュニケーションが取れないと実感した結果。
などなど、きっかけは人それぞれだと思います。
自分の親や、パートナーの親が、自閉症スペクトラムっぽい!
あの親はアスペだ!自分の親は発達障害だ!といったり思うのは簡単です。
おそらく、あながちその考え方は全てが間違っているわけでは無いと思います。
身を寄せようとすればするほど、ハリネズミのジレンマのごとく、
お互いが傷つけ合ってしまうと言う何とも悲しい関係。
実の親子なのに、どうしてこんなに意思疎通が出来ないのだろう。
そんな風に悩んで悩んでどんどん神経をすり減らしている人は決して
少なくありません。
でも、親子だから意思疎通できて当然と思うのは私たちのあくまでも理想なのです。
当然親子だって、意思疎通が出来ないという場合もあるのだとおもいます。特に
発達障害の場合は顕著になります。極論、今に始まった話では無いんです。
まず、私たちが認知した方が良い点は、
「親やパートナーの親がアスペや自閉症スペクトラムでも、私たちが変えることは出来ない」
ということ。
もっといえば、アスペの親に限らず、他人と過去はやはり変えられません。
アスペの親に不満を持つ人たちは、はじめは「もっとこちらが思っているようにこうして欲しい」
とか、「こちらが恥を掻くようなことはしないでほしい」と本人に助言していたりします。
しかし、相手はその言葉を聞いてはいても、一向に変わったり行動に移ることはありません。
こちらからすれば、無視されたとか、約束を破られたという被害者意識が強くなり、
だんだんその気持ちが肥大化していくと、憎悪という塊になっていくことも少なくありません。
感情を高ぶらせながら、アスペ親に「あーして、こーして」「あなたのココが良くない」
などだめ出しをしても、火に油を注ぐだけです。これをやり続けるともれなく、
関係が必ず劣悪になってきますので、「あれだけ言っているのだから…」「いい年してるのだから…」
などと、変わってくれることを期待するのは、おすすめできません。
こんな憎悪の塊をひとりで肩に背負いながら毎日を生活したって、
不幸感を増すだけです。不幸を求めているならおすすめできますが、
私たちが求めているのは幸せ感ですから、その一手となるのは期待しない心なのです。
つづく
大人の発達障害ってそういうことだったのか
2015年11月09日
モラハラや精神的虐待は、可愛さ余って憎さ百倍?!歪んだ愛情では自分も子どもも未熟なまま。
身体的な虐待、性的な虐待など、目に見える虐待は、
一般的な良識のある人間なら、誰が見ても瞬間的に
いけないことであると他人事でも実感できます。
当然、それが子どもの成長にとって想像が付かないような
影響を及ぼすことも間々あります。
テレビのニュースで悲惨な幼児虐待や、我が子を殺してしまった
、子どもが親を殺してしまったなどの事件を見ると自分のことではありませんが、
自分のことのように苦しくなるときも…
しかしながら、世の中で最も多い部類は、精神的な虐待ではないでしょうか。
幼児や子どもという子育てという対象だけで無く、大人になり社会に出てからも
モラルハラスメントという形で、自分の周りに迫ってくると言うこともあります。
結婚してパートナーからモラハラを受けることもあるでしょう。
精神的にダメージを与えるという行為は、非常に周りからはわかりにくい
問題です。そして、加害者側もそれを悪気無くやっている場合もあったり、
本当にそのしつけや、指導方法が良いと思い込んでやっている場合があったり、
基本的に良いことをしているという意識の元で行っている人もいるぐらいです。
親子関係では、それが愛情だとか、しつけという言葉のオブラートに包まれて、
親の支配コントロール下に洗脳されてしまう子どもが多いのかもしれません。
元々、生まれたときはおのおののポテンシャルというものは異なるものの、
脳みそのキャンバス自体は、誰もが真っ白な状態なのだろうと思います。
ひとりひとり、生まれた地域環境、家庭環境、経済環境など色々な外的要因にて
さまざまな絵が描かれていくことになるのでしょう。
ですから、幼少期というのは非常に人間を形成していく上で重要な時期という
ことは、理屈的には、誰でもわかっているはずなのです。
それでも、我が子に、自分の親と同じようなことを繰り返ししてしまう。
そのぐらい幼少期に親によって脳に描かれた絵の影響というのは消えにくいもの
であるため、たくさんの人が大人になってから苦しむことになるのです。
子どもを歪んだ条件付きの愛情でしか愛することが出来ない自分に対して、
自己嫌悪すら感じる毎日、そして自分の自己肯定感まで下げ続ける毎日。
これが続くと、子どもも、親の行動や発言に疑問を感じて反発が多くなります。
当然衝突が多くなり、親は子どもに対して言うことを聞かせようと、
さらにエスカレートした行動や発言に出ます。
小さなうちは、怒鳴ったり、叩いたりして子どもの気持ちを押し込めるという
形で一見収まりが付くようにみえますが、ある年齢を過ぎたらそれも通用
しなくなってくると思います。
子どもは、親に対して今まで以上に嫌悪感をあらわにして関係は
冷戦状態か、罵声の応酬、しまいには暴力で抵抗するという実力行為
に出る場合もあるでしょう。
このやりとりは、結局、親は親で「私の言うことわかってよ!」
子どもは子どもで「俺の言うことわかってよ!」という平行線のコミュニケーション。
どちらかが言うことを聞いているという状態は、納得や合意の元で
ない場合が多く、どちらかが我慢をしているということが多くなります。
戦後の食糧難で貧しい時期の、体さえ健康に大きくなってくれれば良い!
という時代ではありません。体だけはすくすく成長していくけど、脳は
成長することが出来ず、大人になってしまっている人が多いように思います。
(もちろん私も含めてですが^^)
これは、やはり親が未熟であると言うことにつきるでしょう。
別に格好いいことを言おうとかそういうのではなく、最近は子どもに育ててもらっている
と感じることが多いです。そのぐらい自分が未熟だと実感するのです。
自分の一方的な理想や気持ちの押しつけで、子どもの脳のキャンバス領域を
奪ってはいけないと。本来は、本人が自分で自分の脳に色んな絵を描いていくことを
見守っていくと言うことが親の役目なのかなとも感じます。
この未熟というのは悲観的に捉えるという意味でなく、
まだまだ至らない面がたくさんあるなという自戒。あくまで前向きな意味です。
正直、私は、最近まで未熟という言葉が好きではありませんでした。
要は至らない自分という烙印を押しているようなものですから。
ただ、少し見方が緩くなったのか、未熟だと言うことは、まだまだ成長の余地が
自分にもあるのだなぁと思える気持ちの余裕が出てきたのかもしれません。
幸か不幸かきめているのは、やはり自分自身の脳なんですね^^
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一般的な良識のある人間なら、誰が見ても瞬間的に
いけないことであると他人事でも実感できます。
当然、それが子どもの成長にとって想像が付かないような
影響を及ぼすことも間々あります。
テレビのニュースで悲惨な幼児虐待や、我が子を殺してしまった
、子どもが親を殺してしまったなどの事件を見ると自分のことではありませんが、
自分のことのように苦しくなるときも…
しかしながら、世の中で最も多い部類は、精神的な虐待ではないでしょうか。
幼児や子どもという子育てという対象だけで無く、大人になり社会に出てからも
モラルハラスメントという形で、自分の周りに迫ってくると言うこともあります。
結婚してパートナーからモラハラを受けることもあるでしょう。
精神的にダメージを与えるという行為は、非常に周りからはわかりにくい
問題です。そして、加害者側もそれを悪気無くやっている場合もあったり、
本当にそのしつけや、指導方法が良いと思い込んでやっている場合があったり、
基本的に良いことをしているという意識の元で行っている人もいるぐらいです。
親子関係では、それが愛情だとか、しつけという言葉のオブラートに包まれて、
親の支配コントロール下に洗脳されてしまう子どもが多いのかもしれません。
元々、生まれたときはおのおののポテンシャルというものは異なるものの、
脳みそのキャンバス自体は、誰もが真っ白な状態なのだろうと思います。
ひとりひとり、生まれた地域環境、家庭環境、経済環境など色々な外的要因にて
さまざまな絵が描かれていくことになるのでしょう。
ですから、幼少期というのは非常に人間を形成していく上で重要な時期という
ことは、理屈的には、誰でもわかっているはずなのです。
それでも、我が子に、自分の親と同じようなことを繰り返ししてしまう。
そのぐらい幼少期に親によって脳に描かれた絵の影響というのは消えにくいもの
であるため、たくさんの人が大人になってから苦しむことになるのです。
子どもを歪んだ条件付きの愛情でしか愛することが出来ない自分に対して、
自己嫌悪すら感じる毎日、そして自分の自己肯定感まで下げ続ける毎日。
これが続くと、子どもも、親の行動や発言に疑問を感じて反発が多くなります。
当然衝突が多くなり、親は子どもに対して言うことを聞かせようと、
さらにエスカレートした行動や発言に出ます。
小さなうちは、怒鳴ったり、叩いたりして子どもの気持ちを押し込めるという
形で一見収まりが付くようにみえますが、ある年齢を過ぎたらそれも通用
しなくなってくると思います。
子どもは、親に対して今まで以上に嫌悪感をあらわにして関係は
冷戦状態か、罵声の応酬、しまいには暴力で抵抗するという実力行為
に出る場合もあるでしょう。
このやりとりは、結局、親は親で「私の言うことわかってよ!」
子どもは子どもで「俺の言うことわかってよ!」という平行線のコミュニケーション。
どちらかが言うことを聞いているという状態は、納得や合意の元で
ない場合が多く、どちらかが我慢をしているということが多くなります。
戦後の食糧難で貧しい時期の、体さえ健康に大きくなってくれれば良い!
という時代ではありません。体だけはすくすく成長していくけど、脳は
成長することが出来ず、大人になってしまっている人が多いように思います。
(もちろん私も含めてですが^^)
これは、やはり親が未熟であると言うことにつきるでしょう。
別に格好いいことを言おうとかそういうのではなく、最近は子どもに育ててもらっている
と感じることが多いです。そのぐらい自分が未熟だと実感するのです。
自分の一方的な理想や気持ちの押しつけで、子どもの脳のキャンバス領域を
奪ってはいけないと。本来は、本人が自分で自分の脳に色んな絵を描いていくことを
見守っていくと言うことが親の役目なのかなとも感じます。
この未熟というのは悲観的に捉えるという意味でなく、
まだまだ至らない面がたくさんあるなという自戒。あくまで前向きな意味です。
正直、私は、最近まで未熟という言葉が好きではありませんでした。
要は至らない自分という烙印を押しているようなものですから。
ただ、少し見方が緩くなったのか、未熟だと言うことは、まだまだ成長の余地が
自分にもあるのだなぁと思える気持ちの余裕が出てきたのかもしれません。
幸か不幸かきめているのは、やはり自分自身の脳なんですね^^
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2015年11月08日
私の周りのアスペの人は、実年齢よりも若く見える人が多い?!
私がブログでアスペ、アスペと書くのは、
掲示板などで、差別的に見下した意味で書いているような
ニュアンスとは全く異なります。
一応、考察して何とかこの人達と上手く交流するすべはあるのか?
ということが最大のテーマでもありますから…
もっとも、理解できない場合は、自閉症スペクトラムの人に
関わらないで生活すると言うことが一番ストレスが軽減できると思います。
毎日、嫁の様なアスペや、その遺伝子を持っていると思われる親族と
顔を合わせたり、話を聞いていると、なんとなく発達障害的か、
アスペ的かがわかるようになってきました。
しかし、なんでもかんでも、空気が読めない人を「アスペ」と
括ってしまうのはちょっと違うと思います。かなり色んなものが
混在している人の方が多くて、純粋なアスペなんて人はいないでしょうからね。
ASD、ADHD、ADD、LDという先天的と思われる障害の混在に加え、
後天的な要素が強いAC、うつ病、躁鬱病、統合失調症、パニック障害など、
色んな要素が絡み合って大人になってますので、一概にアスペといってしまう
のは確実に勉強不足ということになります。
まあ、一般的な感覚ではそんな勉強したいなんて思いませんがね^^
でも、パートナーが発達障害の場合は、最低限は知識を入れておかないと
理解や受け止めるという段階には至ることはありませんので、難しい問題です。
軽度な発達障害の人は、実際にちょっとあって話したぐらいでは分かりません。
色んな話のエピソードを聞いたり、実際に同じ時間を共に
行動することが多くなったり、一緒に生活をすれば、
確実に分かる自信はあります^^
表面的につきあって、世間話ぐらいですと、むしろアスペの人って
面白い部類に入るから、私のようなAC夫からすると自分にないものを持っている
魅力的な人間にも思えてしまうときがあります。
それにしても、結構私の周りには、私から見てアスペと思われるような人が
たくさんいるんですよね。
私が依頼されなくても色々先回りして、手を貸してあげたり
することが多いせいなのか、そういう人が周りに集まってくるのかも
しれません。もしくは、私が引き寄せているのかも。
アスペの人とアスペの配偶者になる人って、共依存の関係に
陥っているケースが圧倒的に多い。
自分の近くに思った以上に発達障害ぽい人がいることから、
発達障害の人って脳の一部に障害があるわけですが、
外見的には全くわからないものなのか?という疑問を抱いていました。
そこで少し気がついたのが、私の主観になりますが、
実年齢からすると、5歳ぐらい若く見える人が多いんです。
人によってはひとまわりぐらい若くみえたりもするかも。
すごーくあいまいな私の主観ですけどね。
うちのアスペ嫁も、実年齢は30後半にも関わらず、20代に見られることが
多いみたいですし、私から見ても同年代に比べて若いと感じます。
知人友人も、比較的男女問わず、その気がある人は、
肌の張りが良かったりして若く見えるのですよね。
勝手な推測ですと、脳を酷使していないから、一般的な人よりも
老いが遅れているのか?
あまりにも短絡的ですが、ものすごーく苦労しすぎている人の人相を
テレビで見たり、自分の知人だったりを見ると、年齢以上に老け込んでしまって
いる人もたくさんいます。
脳細胞を酷使しすぎれば、脳細胞の死滅を早めると言うより、
ストレスが多すぎることが、免疫力の低下や、肌に大きく関係
していることはありそうな気がします。全く医学的根拠はありませんが^^
考えすぎても脳がショートしてしまうことから、ある意味
脳味噌には漏えい遮断機がついており、過度なストレスが
かかる前に、ブレーカーが落ちてしまうので、老化が防げて
いるのか?と勝手に仮説をたてたこともありました^^
まあ、わかったからってなにも変わりませんがね^^
結婚してからは、サキュバスのように、アスペ嫁に精も根も吸い取られているのでは?
と感じることも大いにあります。
あーこのひと、人の性器、もとい生気を吸い取って若々しさを保って
いるのではという被害者意識にさいなまれたことも数えきれません。
皆さんの周りはどんなかんじでしょうか?
診断済みアスペの方や、未診断でもアスペっぽい人は、
年齢よりも若くみえますか?すごく年齢よりも老けているなんて言う人も
やっぱり広い世の中ではいるのでしょうか?謎ですね〜。
掲示板などで、差別的に見下した意味で書いているような
ニュアンスとは全く異なります。
一応、考察して何とかこの人達と上手く交流するすべはあるのか?
ということが最大のテーマでもありますから…
もっとも、理解できない場合は、自閉症スペクトラムの人に
関わらないで生活すると言うことが一番ストレスが軽減できると思います。
毎日、嫁の様なアスペや、その遺伝子を持っていると思われる親族と
顔を合わせたり、話を聞いていると、なんとなく発達障害的か、
アスペ的かがわかるようになってきました。
しかし、なんでもかんでも、空気が読めない人を「アスペ」と
括ってしまうのはちょっと違うと思います。かなり色んなものが
混在している人の方が多くて、純粋なアスペなんて人はいないでしょうからね。
ASD、ADHD、ADD、LDという先天的と思われる障害の混在に加え、
後天的な要素が強いAC、うつ病、躁鬱病、統合失調症、パニック障害など、
色んな要素が絡み合って大人になってますので、一概にアスペといってしまう
のは確実に勉強不足ということになります。
まあ、一般的な感覚ではそんな勉強したいなんて思いませんがね^^
でも、パートナーが発達障害の場合は、最低限は知識を入れておかないと
理解や受け止めるという段階には至ることはありませんので、難しい問題です。
軽度な発達障害の人は、実際にちょっとあって話したぐらいでは分かりません。
色んな話のエピソードを聞いたり、実際に同じ時間を共に
行動することが多くなったり、一緒に生活をすれば、
確実に分かる自信はあります^^
表面的につきあって、世間話ぐらいですと、むしろアスペの人って
面白い部類に入るから、私のようなAC夫からすると自分にないものを持っている
魅力的な人間にも思えてしまうときがあります。
それにしても、結構私の周りには、私から見てアスペと思われるような人が
たくさんいるんですよね。
私が依頼されなくても色々先回りして、手を貸してあげたり
することが多いせいなのか、そういう人が周りに集まってくるのかも
しれません。もしくは、私が引き寄せているのかも。
アスペの人とアスペの配偶者になる人って、共依存の関係に
陥っているケースが圧倒的に多い。
自分の近くに思った以上に発達障害ぽい人がいることから、
発達障害の人って脳の一部に障害があるわけですが、
外見的には全くわからないものなのか?という疑問を抱いていました。
そこで少し気がついたのが、私の主観になりますが、
実年齢からすると、5歳ぐらい若く見える人が多いんです。
人によってはひとまわりぐらい若くみえたりもするかも。
すごーくあいまいな私の主観ですけどね。
うちのアスペ嫁も、実年齢は30後半にも関わらず、20代に見られることが
多いみたいですし、私から見ても同年代に比べて若いと感じます。
知人友人も、比較的男女問わず、その気がある人は、
肌の張りが良かったりして若く見えるのですよね。
勝手な推測ですと、脳を酷使していないから、一般的な人よりも
老いが遅れているのか?
あまりにも短絡的ですが、ものすごーく苦労しすぎている人の人相を
テレビで見たり、自分の知人だったりを見ると、年齢以上に老け込んでしまって
いる人もたくさんいます。
脳細胞を酷使しすぎれば、脳細胞の死滅を早めると言うより、
ストレスが多すぎることが、免疫力の低下や、肌に大きく関係
していることはありそうな気がします。全く医学的根拠はありませんが^^
考えすぎても脳がショートしてしまうことから、ある意味
脳味噌には漏えい遮断機がついており、過度なストレスが
かかる前に、ブレーカーが落ちてしまうので、老化が防げて
いるのか?と勝手に仮説をたてたこともありました^^
まあ、わかったからってなにも変わりませんがね^^
結婚してからは、サキュバスのように、アスペ嫁に精も根も吸い取られているのでは?
と感じることも大いにあります。
あーこのひと、人の性器、もとい生気を吸い取って若々しさを保って
いるのではという被害者意識にさいなまれたことも数えきれません。
皆さんの周りはどんなかんじでしょうか?
診断済みアスペの方や、未診断でもアスペっぽい人は、
年齢よりも若くみえますか?すごく年齢よりも老けているなんて言う人も
やっぱり広い世の中ではいるのでしょうか?謎ですね〜。
2015年11月07日
アスペはどっちか試してみよう!右脳派?左脳派?をアスペ嫁にやってみた結果…。
誰でも一度はやったことはある?!
かどうかはしりませんが、右脳タイプか左脳タイプかを
わかるとかわからないとか、どこまでが本当変わりませんが、
不思議な錯覚動画です。
以前も話したことがあるのですが、子どもとアスペ嫁にもやって
もらおうと試してみました!
人によって回っている方向が異なって見えるという錯覚。
これはいつやっても不思議なのですが、私の場合は、いつも左回りばかり!
白黒志向が強い頃見たときは、はじめ右回りにみえる人もいるというのが
嘘じゃ無いかと信じられないほどでした^^
未だにコツは分かりませんが、なれてくると右回りにみえることも
でてきて不思議だなぁというのが感想。
あまりにも統計や参考にもならないですが、アスペ嫁やアスペ息子、
アスペでない息子に見てもらったらどう見えるかが知りたくなりました^^
まず、アスペではない息子は…
⇒左回り!私と一緒でした(似てるからなぁ)
そして、アスペ息子…
⇒右回り!動物的感覚で行動していると言うことでしょうか?
ある意味私の目論見通りでした。
こうなってくると、アスペ嫁は普段の行動や発言の奇行さをかんがえると、
論理的と言うより、動物的直感という感じでしょうから断然右回り!という
結果になるだろうと推測しました。(あまりにも短絡的すぎますが)
その結果、アスペ嫁は…
⇒左回り!(???)
えーっ?なぜ?どうして右回りにみえないの?
この人の脳みそのどこが論理的なのか意味が分かりません^^
なかなか単純な憶測では理解が出来ないアスペ嫁の脳みそでした。
かどうかはしりませんが、右脳タイプか左脳タイプかを
わかるとかわからないとか、どこまでが本当変わりませんが、
不思議な錯覚動画です。
以前も話したことがあるのですが、子どもとアスペ嫁にもやって
もらおうと試してみました!
人によって回っている方向が異なって見えるという錯覚。
これはいつやっても不思議なのですが、私の場合は、いつも左回りばかり!
白黒志向が強い頃見たときは、はじめ右回りにみえる人もいるというのが
嘘じゃ無いかと信じられないほどでした^^
未だにコツは分かりませんが、なれてくると右回りにみえることも
でてきて不思議だなぁというのが感想。
あまりにも統計や参考にもならないですが、アスペ嫁やアスペ息子、
アスペでない息子に見てもらったらどう見えるかが知りたくなりました^^
左回りに見える人は左脳派らしい。
⇒理系?論理的で理屈っぽい感じなのかな。
右回りに見える人は右脳派らしい。
⇒情緒的で直感で行動することが多い人なのかな?
まず、アスペではない息子は…
⇒左回り!私と一緒でした(似てるからなぁ)
そして、アスペ息子…
⇒右回り!動物的感覚で行動していると言うことでしょうか?
ある意味私の目論見通りでした。
こうなってくると、アスペ嫁は普段の行動や発言の奇行さをかんがえると、
論理的と言うより、動物的直感という感じでしょうから断然右回り!という
結果になるだろうと推測しました。(あまりにも短絡的すぎますが)
その結果、アスペ嫁は…
⇒左回り!(???)
えーっ?なぜ?どうして右回りにみえないの?
この人の脳みそのどこが論理的なのか意味が分かりません^^
なかなか単純な憶測では理解が出来ないアスペ嫁の脳みそでした。