2015年11月09日
モラハラや精神的虐待は、可愛さ余って憎さ百倍?!歪んだ愛情では自分も子どもも未熟なまま。
身体的な虐待、性的な虐待など、目に見える虐待は、
一般的な良識のある人間なら、誰が見ても瞬間的に
いけないことであると他人事でも実感できます。
当然、それが子どもの成長にとって想像が付かないような
影響を及ぼすことも間々あります。
テレビのニュースで悲惨な幼児虐待や、我が子を殺してしまった
、子どもが親を殺してしまったなどの事件を見ると自分のことではありませんが、
自分のことのように苦しくなるときも…
しかしながら、世の中で最も多い部類は、精神的な虐待ではないでしょうか。
幼児や子どもという子育てという対象だけで無く、大人になり社会に出てからも
モラルハラスメントという形で、自分の周りに迫ってくると言うこともあります。
結婚してパートナーからモラハラを受けることもあるでしょう。
精神的にダメージを与えるという行為は、非常に周りからはわかりにくい
問題です。そして、加害者側もそれを悪気無くやっている場合もあったり、
本当にそのしつけや、指導方法が良いと思い込んでやっている場合があったり、
基本的に良いことをしているという意識の元で行っている人もいるぐらいです。
親子関係では、それが愛情だとか、しつけという言葉のオブラートに包まれて、
親の支配コントロール下に洗脳されてしまう子どもが多いのかもしれません。
元々、生まれたときはおのおののポテンシャルというものは異なるものの、
脳みそのキャンバス自体は、誰もが真っ白な状態なのだろうと思います。
ひとりひとり、生まれた地域環境、家庭環境、経済環境など色々な外的要因にて
さまざまな絵が描かれていくことになるのでしょう。
ですから、幼少期というのは非常に人間を形成していく上で重要な時期という
ことは、理屈的には、誰でもわかっているはずなのです。
それでも、我が子に、自分の親と同じようなことを繰り返ししてしまう。
そのぐらい幼少期に親によって脳に描かれた絵の影響というのは消えにくいもの
であるため、たくさんの人が大人になってから苦しむことになるのです。
子どもを歪んだ条件付きの愛情でしか愛することが出来ない自分に対して、
自己嫌悪すら感じる毎日、そして自分の自己肯定感まで下げ続ける毎日。
これが続くと、子どもも、親の行動や発言に疑問を感じて反発が多くなります。
当然衝突が多くなり、親は子どもに対して言うことを聞かせようと、
さらにエスカレートした行動や発言に出ます。
小さなうちは、怒鳴ったり、叩いたりして子どもの気持ちを押し込めるという
形で一見収まりが付くようにみえますが、ある年齢を過ぎたらそれも通用
しなくなってくると思います。
子どもは、親に対して今まで以上に嫌悪感をあらわにして関係は
冷戦状態か、罵声の応酬、しまいには暴力で抵抗するという実力行為
に出る場合もあるでしょう。
このやりとりは、結局、親は親で「私の言うことわかってよ!」
子どもは子どもで「俺の言うことわかってよ!」という平行線のコミュニケーション。
どちらかが言うことを聞いているという状態は、納得や合意の元で
ない場合が多く、どちらかが我慢をしているということが多くなります。
戦後の食糧難で貧しい時期の、体さえ健康に大きくなってくれれば良い!
という時代ではありません。体だけはすくすく成長していくけど、脳は
成長することが出来ず、大人になってしまっている人が多いように思います。
(もちろん私も含めてですが^^)
これは、やはり親が未熟であると言うことにつきるでしょう。
別に格好いいことを言おうとかそういうのではなく、最近は子どもに育ててもらっている
と感じることが多いです。そのぐらい自分が未熟だと実感するのです。
自分の一方的な理想や気持ちの押しつけで、子どもの脳のキャンバス領域を
奪ってはいけないと。本来は、本人が自分で自分の脳に色んな絵を描いていくことを
見守っていくと言うことが親の役目なのかなとも感じます。
この未熟というのは悲観的に捉えるという意味でなく、
まだまだ至らない面がたくさんあるなという自戒。あくまで前向きな意味です。
正直、私は、最近まで未熟という言葉が好きではありませんでした。
要は至らない自分という烙印を押しているようなものですから。
ただ、少し見方が緩くなったのか、未熟だと言うことは、まだまだ成長の余地が
自分にもあるのだなぁと思える気持ちの余裕が出てきたのかもしれません。
幸か不幸かきめているのは、やはり自分自身の脳なんですね^^
【送料無料選択可!】新・気づいて乗りこえる 精神的DV〈夫のモラルハラスメント〉に悩む女性の...
一般的な良識のある人間なら、誰が見ても瞬間的に
いけないことであると他人事でも実感できます。
当然、それが子どもの成長にとって想像が付かないような
影響を及ぼすことも間々あります。
テレビのニュースで悲惨な幼児虐待や、我が子を殺してしまった
、子どもが親を殺してしまったなどの事件を見ると自分のことではありませんが、
自分のことのように苦しくなるときも…
しかしながら、世の中で最も多い部類は、精神的な虐待ではないでしょうか。
幼児や子どもという子育てという対象だけで無く、大人になり社会に出てからも
モラルハラスメントという形で、自分の周りに迫ってくると言うこともあります。
結婚してパートナーからモラハラを受けることもあるでしょう。
精神的にダメージを与えるという行為は、非常に周りからはわかりにくい
問題です。そして、加害者側もそれを悪気無くやっている場合もあったり、
本当にそのしつけや、指導方法が良いと思い込んでやっている場合があったり、
基本的に良いことをしているという意識の元で行っている人もいるぐらいです。
親子関係では、それが愛情だとか、しつけという言葉のオブラートに包まれて、
親の支配コントロール下に洗脳されてしまう子どもが多いのかもしれません。
元々、生まれたときはおのおののポテンシャルというものは異なるものの、
脳みそのキャンバス自体は、誰もが真っ白な状態なのだろうと思います。
ひとりひとり、生まれた地域環境、家庭環境、経済環境など色々な外的要因にて
さまざまな絵が描かれていくことになるのでしょう。
ですから、幼少期というのは非常に人間を形成していく上で重要な時期という
ことは、理屈的には、誰でもわかっているはずなのです。
それでも、我が子に、自分の親と同じようなことを繰り返ししてしまう。
そのぐらい幼少期に親によって脳に描かれた絵の影響というのは消えにくいもの
であるため、たくさんの人が大人になってから苦しむことになるのです。
子どもを歪んだ条件付きの愛情でしか愛することが出来ない自分に対して、
自己嫌悪すら感じる毎日、そして自分の自己肯定感まで下げ続ける毎日。
これが続くと、子どもも、親の行動や発言に疑問を感じて反発が多くなります。
当然衝突が多くなり、親は子どもに対して言うことを聞かせようと、
さらにエスカレートした行動や発言に出ます。
小さなうちは、怒鳴ったり、叩いたりして子どもの気持ちを押し込めるという
形で一見収まりが付くようにみえますが、ある年齢を過ぎたらそれも通用
しなくなってくると思います。
子どもは、親に対して今まで以上に嫌悪感をあらわにして関係は
冷戦状態か、罵声の応酬、しまいには暴力で抵抗するという実力行為
に出る場合もあるでしょう。
このやりとりは、結局、親は親で「私の言うことわかってよ!」
子どもは子どもで「俺の言うことわかってよ!」という平行線のコミュニケーション。
どちらかが言うことを聞いているという状態は、納得や合意の元で
ない場合が多く、どちらかが我慢をしているということが多くなります。
戦後の食糧難で貧しい時期の、体さえ健康に大きくなってくれれば良い!
という時代ではありません。体だけはすくすく成長していくけど、脳は
成長することが出来ず、大人になってしまっている人が多いように思います。
(もちろん私も含めてですが^^)
これは、やはり親が未熟であると言うことにつきるでしょう。
別に格好いいことを言おうとかそういうのではなく、最近は子どもに育ててもらっている
と感じることが多いです。そのぐらい自分が未熟だと実感するのです。
自分の一方的な理想や気持ちの押しつけで、子どもの脳のキャンバス領域を
奪ってはいけないと。本来は、本人が自分で自分の脳に色んな絵を描いていくことを
見守っていくと言うことが親の役目なのかなとも感じます。
この未熟というのは悲観的に捉えるという意味でなく、
まだまだ至らない面がたくさんあるなという自戒。あくまで前向きな意味です。
正直、私は、最近まで未熟という言葉が好きではありませんでした。
要は至らない自分という烙印を押しているようなものですから。
ただ、少し見方が緩くなったのか、未熟だと言うことは、まだまだ成長の余地が
自分にもあるのだなぁと思える気持ちの余裕が出てきたのかもしれません。
幸か不幸かきめているのは、やはり自分自身の脳なんですね^^
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