2015年11月05日
子育ての中から、我慢をすることと、コントロールすることの違いを学ぶ。
毎日の子どもの成長を目の当たりにしながら、生活をしていると、
なんて自分は子どもで未熟なのだろうかと感じるときが間々あります。
頭ではわかっているのに、子どもを怒ってしまう、アスペ嫁を怒ってしまう。
そういう表面的な理解がなかなか体の芯まで浸透していかないがために、
分かってもらえないという感情を怒りでぶつけてしまうという未熟さ。
もちろん私自身、聖人でも仏様でもないわけですから怒りという
感情を出すことが悪いことだとは思っていません。
しかし、私の悪い癖で、怒り一辺倒になってしまったり、
その場をやり過ごしても、感情を引きずってしまうことが多いので、
怒りすぎてしまうと言うことがあるのです。
怒りすぎると、怒りという感情に支配されてしまい、
怒りが怒りを呼ぶ悪循環に陥ることはこまったものです。
その怒りは結局どこから来るのかと言えば、
我が子にしろ、アスペ嫁にしろ、
・言ったことを理解してくれていない。
・思った通りに行動してくれていない。
・約束やルールを守っていない。
私の場合は、ほぼこれが酷くなると「怒り」信号が点滅します。
そして、子どもが小さいうちは、「怒り」をぶつけることで、
なんとなくかたち的には、その場が納まってしまうことが多く、
「相手が言うことを聞いていくれているような錯覚」に陥るのです。
結果的に見れば、怒ると子どももアスペ嫁も、だんまりになってしまうこと
がほとんどで、こちらが言いたいことを理解しているかまでは確認しません。
「本当にわかってるのかよ!?」
「何やってるんだよ!?」
「いい加減にしろよ!?」
右脳中心の感情的なボルテージが上がっているときは、
論理的な言葉遣いも出来なくなり、荒い言葉や短絡的で
抽象的な問い詰めが多くなってしまいます。
しかし、子どももアスペ嫁も、抽象的なことを頭の中で具現化していく
ということは非常にむずかしいのです。
結果的にこちらが怒れば怒るほど、
「パパが怒っている」
「怒られるの嫌だなぁ」
「何でこんなに怒るのだろう」
こういうことにしか意識が行かず、全く逆効果なのです。
ある日、アスペ嫁の失態を問い詰めたあとのこと、子どもが
アスペ嫁に対して、こういったのです。
子「ママは変なことしてパパを怒らせないでよ」
嫁「ママの事心配してくれてるの〜♪」
子「違うよ、怒られているのを聞いているのがいやなの!」
嫁「ママは怒られるようなことしてないもん」
子「もういいよ。そうやってママ話聞いてくれないから」
この会話をちょっと小耳に挟んだときは、これはアスペ嫁もアスペ嫁だけど、
私がいかんなと。平気で子どもの前で嫁を叱責するのになれてしまいすぎている。
私が感情のコントロールが出来ないばかりに、アスペ嫁だけを注意
するどころか、怒っていない人に対しても嫌な思いをさせてしまって
いるのだと。
冷静に考えれば、誰かが怒っている姿って楽しいものでも嬉しいものでも
ないですよね。むしろ嫌な気持ちにさせられたということでしょう。
誰でもそうですが、些細なことでも毎日怒られ続けられると、
どんどん自己肯定感は低下していきます。こういう些細な生活が、
子どもの心を壊していくのだろうなと感じました。
むろん、冷静に論理的に話したからと言っても
相手は子どもとアスペ嫁ですから、すんなり理解できるというわけでもありません。
話の結びを怒りで解決しようと癖が付いてしまうと、
最終的には私が怒って話が途切れるという流れになるわけです。
アスペ嫁に関しては、フリーズして返答が全くなくなり、
口を開いたとしても、全く関係ない話が出てきたりするので、
余計に私の心の火に油を注ぐような感じ。
一般家庭でもそうだと思いますが、怒りは心の底の
自分の分かって欲しいという叫び声だと思います。
これを私が、我慢をするのか、コントロールするのかで大きく家庭内の
雰囲気は変わっていくというのも事実です。
つづく
「怒り」がスーッと消える本―「対人関係療法」の精神科医が教える
なんて自分は子どもで未熟なのだろうかと感じるときが間々あります。
頭ではわかっているのに、子どもを怒ってしまう、アスペ嫁を怒ってしまう。
そういう表面的な理解がなかなか体の芯まで浸透していかないがために、
分かってもらえないという感情を怒りでぶつけてしまうという未熟さ。
もちろん私自身、聖人でも仏様でもないわけですから怒りという
感情を出すことが悪いことだとは思っていません。
しかし、私の悪い癖で、怒り一辺倒になってしまったり、
その場をやり過ごしても、感情を引きずってしまうことが多いので、
怒りすぎてしまうと言うことがあるのです。
怒りすぎると、怒りという感情に支配されてしまい、
怒りが怒りを呼ぶ悪循環に陥ることはこまったものです。
その怒りは結局どこから来るのかと言えば、
我が子にしろ、アスペ嫁にしろ、
・言ったことを理解してくれていない。
・思った通りに行動してくれていない。
・約束やルールを守っていない。
私の場合は、ほぼこれが酷くなると「怒り」信号が点滅します。
そして、子どもが小さいうちは、「怒り」をぶつけることで、
なんとなくかたち的には、その場が納まってしまうことが多く、
「相手が言うことを聞いていくれているような錯覚」に陥るのです。
結果的に見れば、怒ると子どももアスペ嫁も、だんまりになってしまうこと
がほとんどで、こちらが言いたいことを理解しているかまでは確認しません。
「本当にわかってるのかよ!?」
「何やってるんだよ!?」
「いい加減にしろよ!?」
右脳中心の感情的なボルテージが上がっているときは、
論理的な言葉遣いも出来なくなり、荒い言葉や短絡的で
抽象的な問い詰めが多くなってしまいます。
しかし、子どももアスペ嫁も、抽象的なことを頭の中で具現化していく
ということは非常にむずかしいのです。
結果的にこちらが怒れば怒るほど、
「パパが怒っている」
「怒られるの嫌だなぁ」
「何でこんなに怒るのだろう」
こういうことにしか意識が行かず、全く逆効果なのです。
ある日、アスペ嫁の失態を問い詰めたあとのこと、子どもが
アスペ嫁に対して、こういったのです。
子「ママは変なことしてパパを怒らせないでよ」
嫁「ママの事心配してくれてるの〜♪」
子「違うよ、怒られているのを聞いているのがいやなの!」
嫁「ママは怒られるようなことしてないもん」
子「もういいよ。そうやってママ話聞いてくれないから」
この会話をちょっと小耳に挟んだときは、これはアスペ嫁もアスペ嫁だけど、
私がいかんなと。平気で子どもの前で嫁を叱責するのになれてしまいすぎている。
私が感情のコントロールが出来ないばかりに、アスペ嫁だけを注意
するどころか、怒っていない人に対しても嫌な思いをさせてしまって
いるのだと。
冷静に考えれば、誰かが怒っている姿って楽しいものでも嬉しいものでも
ないですよね。むしろ嫌な気持ちにさせられたということでしょう。
誰でもそうですが、些細なことでも毎日怒られ続けられると、
どんどん自己肯定感は低下していきます。こういう些細な生活が、
子どもの心を壊していくのだろうなと感じました。
むろん、冷静に論理的に話したからと言っても
相手は子どもとアスペ嫁ですから、すんなり理解できるというわけでもありません。
話の結びを怒りで解決しようと癖が付いてしまうと、
最終的には私が怒って話が途切れるという流れになるわけです。
アスペ嫁に関しては、フリーズして返答が全くなくなり、
口を開いたとしても、全く関係ない話が出てきたりするので、
余計に私の心の火に油を注ぐような感じ。
一般家庭でもそうだと思いますが、怒りは心の底の
自分の分かって欲しいという叫び声だと思います。
これを私が、我慢をするのか、コントロールするのかで大きく家庭内の
雰囲気は変わっていくというのも事実です。
つづく
「怒り」がスーッと消える本―「対人関係療法」の精神科医が教える
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