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2016年03月11日
東日本大震災から早くも5年ですね。意識が薄れている自分が怖い。
2011年3月11日の東日本大震災から早くも5年が経過しました。
当時、私は震度6強の場所におりました。今までに体感したことが
ないような長く、そして地球がぶっ壊れてしまったかのような横揺れ。
生まれて初めて地震で恐怖感を抱く経験となりました。
幸い怪我をすることもなかったものの、電気の復旧が丸1日
ストップしたことで、ラジオからの情報を頼りに現状把握をすることに。
大の大人でさえ、この恐怖心ですから、小さい子供にとっては、
トラウマになってしまってしまうのも分かる気が致します。
電気が復旧してテレビが見られるようになると、ようやく地震の
被害情報が断片的に把握できるようになりました。
テレビからの東北地区の「壊滅的被害」という報道に背筋が凍る思いを
したことを今でも思い出します。そしてこれが日本で起きているとは信じがたい
津波の映像が次々と流され、改めて自然の力の脅威を痛感。
気がつくと無意識に涙をにじませている自分がいました。
間髪入れずに、福島第一原子力発電所の爆発…
こんな生き地獄のような惨劇が、5年経過した今では
自分の中で薄れてしまっている気が致します。
いまもなお、原発の問題、震災での被害者の支援の問題は
解決出来ていないのだから驚かされます。
なんの罪も無い数十万にの人たちが、一瞬にして亡くなるのですから、
神も仏もないものだと感じざるを得ません。
当時のことを思うと、日頃のつまらないことで腹を立てて、
相手に責任転嫁したり、自分の正当性ばかり主張しようと
躍起になっている自分自身が恥ずかしく思えたりもします。
そして、私の場合は驚きだったのはこの未曾有の大災害にもかかわらず、
アスペ嫁は、大地震があったとき気づかなかったというのだからビビりました^^
本人は車で走行中だったようですが、震度6ぐらいの場所にいたにもかかわらず、
車内のゆれとリンクしてしまったのか、大震災になっているのを気づいたのは、
夜たまたまテレビをつけて知ったそうです。
私にとっては大地震な衝撃でしたが、まあ生きていると言うことを
考えればそんな小さな事は、気にしないのが良いのかもしれません^^
直接的に震災で亡くなられた方々、間接的な影響で亡くなられた方々と
ご遺族へお悔やみ申し上げます。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
当時、私は震度6強の場所におりました。今までに体感したことが
ないような長く、そして地球がぶっ壊れてしまったかのような横揺れ。
生まれて初めて地震で恐怖感を抱く経験となりました。
幸い怪我をすることもなかったものの、電気の復旧が丸1日
ストップしたことで、ラジオからの情報を頼りに現状把握をすることに。
大の大人でさえ、この恐怖心ですから、小さい子供にとっては、
トラウマになってしまってしまうのも分かる気が致します。
電気が復旧してテレビが見られるようになると、ようやく地震の
被害情報が断片的に把握できるようになりました。
テレビからの東北地区の「壊滅的被害」という報道に背筋が凍る思いを
したことを今でも思い出します。そしてこれが日本で起きているとは信じがたい
津波の映像が次々と流され、改めて自然の力の脅威を痛感。
気がつくと無意識に涙をにじませている自分がいました。
間髪入れずに、福島第一原子力発電所の爆発…
こんな生き地獄のような惨劇が、5年経過した今では
自分の中で薄れてしまっている気が致します。
いまもなお、原発の問題、震災での被害者の支援の問題は
解決出来ていないのだから驚かされます。
なんの罪も無い数十万にの人たちが、一瞬にして亡くなるのですから、
神も仏もないものだと感じざるを得ません。
当時のことを思うと、日頃のつまらないことで腹を立てて、
相手に責任転嫁したり、自分の正当性ばかり主張しようと
躍起になっている自分自身が恥ずかしく思えたりもします。
そして、私の場合は驚きだったのはこの未曾有の大災害にもかかわらず、
アスペ嫁は、大地震があったとき気づかなかったというのだからビビりました^^
本人は車で走行中だったようですが、震度6ぐらいの場所にいたにもかかわらず、
車内のゆれとリンクしてしまったのか、大震災になっているのを気づいたのは、
夜たまたまテレビをつけて知ったそうです。
私にとっては大地震な衝撃でしたが、まあ生きていると言うことを
考えればそんな小さな事は、気にしないのが良いのかもしれません^^
直接的に震災で亡くなられた方々、間接的な影響で亡くなられた方々と
ご遺族へお悔やみ申し上げます。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
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2016年03月10日
モンスターペアレントと毒親の違いとはなんだろう?
モンスターペアレントと毒親というと、類義語にも聞こえますが、もちろん別の意味です。
たしかに、モンスターの親は、結果的に毒親であることは多いです。
ただ、毒親要素があるから、全ての人がモンスターかというと、それはまた別の話。
このモンスターの重症程度、毒親の重症程度も家庭によってさまざまであります。
しかし、忘れてはいけないことがあります。
一般社会から見て、それは正当化どうかというよりも、この問題は、
実際子どもがどう思うかというポイントがないがしろにされがちになります。
〇モンスターペアレントと毒親の違いとは。
モンスターペアレントやヘリコプターペアレントというと、学校と保護者という関係要素
が強くなります。しかし、モンスターの人はモンスタークレーマーだったりもするわけで、
自分の意にそぐわない対象があれば、学校だけで無く、お店の店員や、近所の奥さんまで
とさまざまな人間が対象となり得ると言うことです。
モンスターペアレントとまでは言えない人間でも、毒親であるという場合があります。
毒親というのは、モンスターと敢えて大きく区別するならば、家庭内は独裁政治、
対外的には非常に温厚で良い人間性として評価されるような行動をしている感じが多い
のではないでしょうか。
ですから、毒親というと酷い言葉になりますが、外ではいいかっこしいだったり、
周りからの世間的な評価をすごく気にしており、家庭では自分の支配下に子どもを置く
という感じです。
〇問題点は、どちらも本人に自覚がなく、自分が正義だと思っていること。
大切なポイントですね。相手がどんなに理不尽なことを言っていても
端から否定してはいけないという
マニュアルが多いようですが、その理由はココにあります。
問題を起こしてしまっているモンスターや毒親本人達は、自分が正義である、
正しい主張であるということを曲げることはありません。
少しでも相手がひるむ姿を見せるようなら、そこにつけ込んで人の心に
土足で踏いりめちゃめちゃにしていきます。
じゃあ、ひるまないで真っ向勝負を受ければ良いかと言えば、反撃されると
一生根に持つタイプであるということも理解しておきましょう。
〇一番の被害者は子ども達
親が未熟で自己主張が強いという場合、一番被害を受けるのは、子ども達です。
実際は、たくさんの周りの人たちも不愉快な思いをするわけですが、心への
爪痕として、何年も何十年も残ってしまうのは子どもの心の傷なのです。
理不尽な行動を正当化しようとするモンスターな親を見て育てば、子どもは
それが標準の知識になります。大人になって自分も同じ価値観で物事を判断
するような人間へと種を植えられている状態です。
毒親のように、対外的には良識的で、常識人のような人は、モンスターとは異なり、
2面性を持っていますので、家の外と、家の中で全く別の顔だったりします。
そのため、外部からわかりにくいと言うことが問題点でもあり、問題が発覚するのは、
毒親に育てられた子どもが大きくなって、この支配から抜け出せないジレンマで
頭を悩ましたりすることで発覚することも多いです。
単純に子どもに精神的な虐待をするといってもさまざまです。
悪口、罵倒、罵声などは誰が見ても良くないと判断できるものから、
世話をしすぎる、なんでもやってあげすぎるということも実は毒親だったりします。
「立派な子ども」に育てることだけが目的になってしまい、子ども達の
心で何が動いているか、何が出来るか、そういった人間的な要素を根こそぎ
取ってしまうことが毒親要素が強いと言えるでしょう。
私たちが、子どもを育てるのは、親の理想のレールを歩かせるためではありません。
あくまで、自立させるためのしつけや教育ということが大切なのです。
自立とは自分自身で物事の善し悪しを考えて、自分自身で判断して人生を
歩んでいくと言うこと。こういうことが出来ていない親が非常に多いことも現代の
社会問題といえるのではないでしょうか。
【はじめての方限定!一冊無料クーポンもれなくプレゼント】ぼくはアスペルガーなお医者さん ...
たしかに、モンスターの親は、結果的に毒親であることは多いです。
ただ、毒親要素があるから、全ての人がモンスターかというと、それはまた別の話。
このモンスターの重症程度、毒親の重症程度も家庭によってさまざまであります。
しかし、忘れてはいけないことがあります。
一般社会から見て、それは正当化どうかというよりも、この問題は、
実際子どもがどう思うかというポイントがないがしろにされがちになります。
〇モンスターペアレントと毒親の違いとは。
モンスターペアレントやヘリコプターペアレントというと、学校と保護者という関係要素
が強くなります。しかし、モンスターの人はモンスタークレーマーだったりもするわけで、
自分の意にそぐわない対象があれば、学校だけで無く、お店の店員や、近所の奥さんまで
とさまざまな人間が対象となり得ると言うことです。
モンスターペアレントとまでは言えない人間でも、毒親であるという場合があります。
毒親というのは、モンスターと敢えて大きく区別するならば、家庭内は独裁政治、
対外的には非常に温厚で良い人間性として評価されるような行動をしている感じが多い
のではないでしょうか。
ですから、毒親というと酷い言葉になりますが、外ではいいかっこしいだったり、
周りからの世間的な評価をすごく気にしており、家庭では自分の支配下に子どもを置く
という感じです。
〇問題点は、どちらも本人に自覚がなく、自分が正義だと思っていること。
大切なポイントですね。相手がどんなに理不尽なことを言っていても
端から否定してはいけないという
マニュアルが多いようですが、その理由はココにあります。
問題を起こしてしまっているモンスターや毒親本人達は、自分が正義である、
正しい主張であるということを曲げることはありません。
少しでも相手がひるむ姿を見せるようなら、そこにつけ込んで人の心に
土足で踏いりめちゃめちゃにしていきます。
じゃあ、ひるまないで真っ向勝負を受ければ良いかと言えば、反撃されると
一生根に持つタイプであるということも理解しておきましょう。
〇一番の被害者は子ども達
親が未熟で自己主張が強いという場合、一番被害を受けるのは、子ども達です。
実際は、たくさんの周りの人たちも不愉快な思いをするわけですが、心への
爪痕として、何年も何十年も残ってしまうのは子どもの心の傷なのです。
理不尽な行動を正当化しようとするモンスターな親を見て育てば、子どもは
それが標準の知識になります。大人になって自分も同じ価値観で物事を判断
するような人間へと種を植えられている状態です。
毒親のように、対外的には良識的で、常識人のような人は、モンスターとは異なり、
2面性を持っていますので、家の外と、家の中で全く別の顔だったりします。
そのため、外部からわかりにくいと言うことが問題点でもあり、問題が発覚するのは、
毒親に育てられた子どもが大きくなって、この支配から抜け出せないジレンマで
頭を悩ましたりすることで発覚することも多いです。
単純に子どもに精神的な虐待をするといってもさまざまです。
悪口、罵倒、罵声などは誰が見ても良くないと判断できるものから、
世話をしすぎる、なんでもやってあげすぎるということも実は毒親だったりします。
「立派な子ども」に育てることだけが目的になってしまい、子ども達の
心で何が動いているか、何が出来るか、そういった人間的な要素を根こそぎ
取ってしまうことが毒親要素が強いと言えるでしょう。
私たちが、子どもを育てるのは、親の理想のレールを歩かせるためではありません。
あくまで、自立させるためのしつけや教育ということが大切なのです。
自立とは自分自身で物事の善し悪しを考えて、自分自身で判断して人生を
歩んでいくと言うこと。こういうことが出来ていない親が非常に多いことも現代の
社会問題といえるのではないでしょうか。
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2016年03月09日
毎日つまらない!苦しい!!イライラする!!!原因の根幹は己の考え方にある
毎日が楽しくて楽しくて仕方が無い!という人はイライラとは
無縁な生活がおくれているのでしょう。
しかし、現実的にはなかなか理屈では分かっていてもどうにもならない、
ということの方が多いのでは無いでしょうか。
あまり、
「良い親になろう」
「良いパートナーになろう」
「良い男、女になろう」
と考えるばかりに、自分の理想を高くおきすぎていませんか。
私の場合は、無意識にそんなことばかり頭は考えていたのだと思います。
良くならないと!向上心を持たないと!改善し続けないと!という
強迫観念的なものも強かったです。
そもそもその良いという定義は誰が決めているのでしょう。
それはあくまで自分自身であるのです。
そして、たいていのひとは目指しているものが、ちょっと現実的には
達成できないようなものを目指していたりもします。
登れない山に対していくら指をくわえてうらやましがっても
登れはしないのです。
そして、中途半端な覚悟で登ろうものなら返り討ちにあいます^^
本質的にはその山を登らない、登れないことは自分自身に問題が
あるにもかかわらず、なにかしら登れないことをなにかのせいにして、
生活をしつづけてしまうのです。
「パートナーがこうだからああだから」
「子どもたくさんがいるから」
「忙しくて時間が無いから」
いつやるか?ということでなく、やらない理由だけを述べているのに
理想は高い。このギャップが私たちを苦しめている一因です。
何も装備も訓練もしていない人間がエベレスト登山を行えばおそらく
命を落とすでしょう。もの凄く高いものを目指すというのはそのぐらいリスクも
同時に負うわけです。用意周到にしていても失敗することもあります。
先が誰にも予測できないのが人生でもあります。
私たちは、高い山を首が痛くなるまで見つめるのでは無く、
まずは自分の力量をしっかり把握して、自分が今登ることが
できる山を品定めして、行動をしていくことが重要なのかもしれません。
エベレストを登り切ったら世間の評価は高くなるのはわかりますが、
それだけの力量がないのです。自分でも気づいているけど、自分が
傷つきすぎるため認めることも出来ないのです。その結果が責任転嫁…
不平不満、愚痴泣き言もたまにはガス抜きにもなるでしょう。仕方がありません。
ただ、そればかり念仏のように唱えても何も自分の周りは変化などしないでしょう。
むしろ自分の親しい人達にまで毒をばらまいてしまうような存在にもなりかねません。
毒を1つ吐くなら、1つ自分の行動を見返り関係なく
変えてみると視野が広がることでしょう。
私自身は仏教徒でもキリスト教徒でもありませんので、宗教的な
意味合いは全くありませんが、言霊という言葉があるように、
日頃話している言葉遣いや言葉の重要性を最近になってようやく
実感しています。
悪いことを言うことを我慢するのではなく、それを言って自分の何が
プラスになるのかをよく考えて、毒を吐いた瞬間的な快楽に溺れすぎない
ような毎日を過ごしていきたいです。
【楽天ブックスならいつでも送料無料】アスペルガーの男性が女性について知っておきたいこと [ ...
無縁な生活がおくれているのでしょう。
しかし、現実的にはなかなか理屈では分かっていてもどうにもならない、
ということの方が多いのでは無いでしょうか。
あまり、
「良い親になろう」
「良いパートナーになろう」
「良い男、女になろう」
と考えるばかりに、自分の理想を高くおきすぎていませんか。
私の場合は、無意識にそんなことばかり頭は考えていたのだと思います。
良くならないと!向上心を持たないと!改善し続けないと!という
強迫観念的なものも強かったです。
そもそもその良いという定義は誰が決めているのでしょう。
それはあくまで自分自身であるのです。
そして、たいていのひとは目指しているものが、ちょっと現実的には
達成できないようなものを目指していたりもします。
登れない山に対していくら指をくわえてうらやましがっても
登れはしないのです。
そして、中途半端な覚悟で登ろうものなら返り討ちにあいます^^
本質的にはその山を登らない、登れないことは自分自身に問題が
あるにもかかわらず、なにかしら登れないことをなにかのせいにして、
生活をしつづけてしまうのです。
「パートナーがこうだからああだから」
「子どもたくさんがいるから」
「忙しくて時間が無いから」
いつやるか?ということでなく、やらない理由だけを述べているのに
理想は高い。このギャップが私たちを苦しめている一因です。
何も装備も訓練もしていない人間がエベレスト登山を行えばおそらく
命を落とすでしょう。もの凄く高いものを目指すというのはそのぐらいリスクも
同時に負うわけです。用意周到にしていても失敗することもあります。
先が誰にも予測できないのが人生でもあります。
私たちは、高い山を首が痛くなるまで見つめるのでは無く、
まずは自分の力量をしっかり把握して、自分が今登ることが
できる山を品定めして、行動をしていくことが重要なのかもしれません。
エベレストを登り切ったら世間の評価は高くなるのはわかりますが、
それだけの力量がないのです。自分でも気づいているけど、自分が
傷つきすぎるため認めることも出来ないのです。その結果が責任転嫁…
不平不満、愚痴泣き言もたまにはガス抜きにもなるでしょう。仕方がありません。
ただ、そればかり念仏のように唱えても何も自分の周りは変化などしないでしょう。
むしろ自分の親しい人達にまで毒をばらまいてしまうような存在にもなりかねません。
毒を1つ吐くなら、1つ自分の行動を見返り関係なく
変えてみると視野が広がることでしょう。
私自身は仏教徒でもキリスト教徒でもありませんので、宗教的な
意味合いは全くありませんが、言霊という言葉があるように、
日頃話している言葉遣いや言葉の重要性を最近になってようやく
実感しています。
悪いことを言うことを我慢するのではなく、それを言って自分の何が
プラスになるのかをよく考えて、毒を吐いた瞬間的な快楽に溺れすぎない
ような毎日を過ごしていきたいです。
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2016年03月08日
自分の中にある劣等感の矛先は社会的弱者へ!負の連鎖が恐ろしい呪縛を生み出す。
時代と言えば時代なのでしょうか、内縁の夫が子どもをDVして殺したとか、
親が子どもを殺したとか、孫が祖父母を殺したとか、本来絆を深めて
やっていくはずの家族同士が人をあやめてしまう事件がよく耳に入ってきます。
最近では、ゲージ内で動物のように子どもを飼育まがいなことをして
殺した両親。マンガとかフィクションというわけでなく現実というのだから
なんと言って良いのやら…
もちろん、気分が良いものではありませんよね。
そして、そんな恐ろしいことをどういう思考状態なら行えるのか
疑問だけでなく憤りさえおきます。
ほとんどのことは、その家庭内の人間関係はもちろんのこと、
親と子どもの関係が根っこにあると思われます。
斎藤一人 世界一幸せになれる7つの魔法 (PHP文庫)
その親も、自分の親との関係が上手くいっていないことがあったり、
未だに共依存で過干渉な生活をしていたり、抜け出せないジレンマで
毎日をイライラした感情で生活しているようなかんじでしょうか。
モンスターペアレント、クレーマーにしても、アダルトチルドレンにしても
本質的なものは結構共通しているものがあります。
特定の対象者を過剰なまでに責め立てたり、ひれ伏すまで
どん底に落とそうとしたり、以下に自分がその対象者よりも優性であるのだ
ということを発言や行動、態度などで表現していきます。
人間誰もが優越感や劣等感は少なからず持っていると思いますが、
どうしてここまで、相手に責を向けたいのか。
ここが尋常では無い人たちとの境でもあります。
人間的なアビリティが全く同じで、
人間心に余裕がある人と、逼迫した人がいるとしたら、
同じ嫌なことがおきたとき、逼迫している感情を持っている人ほど、
責を他人や環境、物など自分の周りの物に向けることが多いです。
自分が一杯一杯の状態で、自分が悪いんだ!なんて余計に自分を
攻めてしまうと、自分で耐えられないと、自己防衛本能が分かっているんですね。
これが常態化してくると、全てのできごとや思考の癖が、
自分の思っていることは正しくてそう思わない人は悪であるという
思考により一層偏っていくことになります。
先天的にこういう脳の癖を持っているという人もイルでしょうが、
大抵は、親から植え付けられた劣等感が肥大して自分でも収集が
付かなくなっていると言うことが多いのです。
劣等感を植え付けたのは親ですが、その芽を大きくしたのは自分自身です。
相手を責め立てて、自分を正当化したり、相手を自分よりも低く見せることで
自分の劣等感をやわらげ、相手よりも優越感を感じて安心感を得ようとしたり、
とにかく、自分の心を安定させるため、自分を自分で認めてあげるための
行為に成ってしまっているのです。
ここから、自分がおかしいと気づいて、改善する人はかなり少ないです。
非常に気づきにくく、今まで自分が悪くないと思って生きて生きた人が
いきなり自分にも問題があるのだという考えにはなかなかなり得ないからです。
クレーマーや不平不満、愚痴、泣き言などを常に行っている人は、
一緒にいても当然楽しくはありませんが、彼らの心の中は劣等感で一杯なのです。
自分が下だとみられてしまうと、生きていけないとさえ思っているから、強烈な
暴言や、虚言、ありもしない噂、暴力、などあらゆる手段で相手を下げる努力を
するのです。
もの凄く迷惑な話ですが、切ない話ですね。小さい頃の自分と対話が出来ていないのです。
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
親が子どもを殺したとか、孫が祖父母を殺したとか、本来絆を深めて
やっていくはずの家族同士が人をあやめてしまう事件がよく耳に入ってきます。
最近では、ゲージ内で動物のように子どもを飼育まがいなことをして
殺した両親。マンガとかフィクションというわけでなく現実というのだから
なんと言って良いのやら…
もちろん、気分が良いものではありませんよね。
そして、そんな恐ろしいことをどういう思考状態なら行えるのか
疑問だけでなく憤りさえおきます。
ほとんどのことは、その家庭内の人間関係はもちろんのこと、
親と子どもの関係が根っこにあると思われます。
斎藤一人 世界一幸せになれる7つの魔法 (PHP文庫)
その親も、自分の親との関係が上手くいっていないことがあったり、
未だに共依存で過干渉な生活をしていたり、抜け出せないジレンマで
毎日をイライラした感情で生活しているようなかんじでしょうか。
モンスターペアレント、クレーマーにしても、アダルトチルドレンにしても
本質的なものは結構共通しているものがあります。
特定の対象者を過剰なまでに責め立てたり、ひれ伏すまで
どん底に落とそうとしたり、以下に自分がその対象者よりも優性であるのだ
ということを発言や行動、態度などで表現していきます。
人間誰もが優越感や劣等感は少なからず持っていると思いますが、
どうしてここまで、相手に責を向けたいのか。
ここが尋常では無い人たちとの境でもあります。
人間的なアビリティが全く同じで、
人間心に余裕がある人と、逼迫した人がいるとしたら、
同じ嫌なことがおきたとき、逼迫している感情を持っている人ほど、
責を他人や環境、物など自分の周りの物に向けることが多いです。
自分が一杯一杯の状態で、自分が悪いんだ!なんて余計に自分を
攻めてしまうと、自分で耐えられないと、自己防衛本能が分かっているんですね。
これが常態化してくると、全てのできごとや思考の癖が、
自分の思っていることは正しくてそう思わない人は悪であるという
思考により一層偏っていくことになります。
先天的にこういう脳の癖を持っているという人もイルでしょうが、
大抵は、親から植え付けられた劣等感が肥大して自分でも収集が
付かなくなっていると言うことが多いのです。
劣等感を植え付けたのは親ですが、その芽を大きくしたのは自分自身です。
相手を責め立てて、自分を正当化したり、相手を自分よりも低く見せることで
自分の劣等感をやわらげ、相手よりも優越感を感じて安心感を得ようとしたり、
とにかく、自分の心を安定させるため、自分を自分で認めてあげるための
行為に成ってしまっているのです。
ここから、自分がおかしいと気づいて、改善する人はかなり少ないです。
非常に気づきにくく、今まで自分が悪くないと思って生きて生きた人が
いきなり自分にも問題があるのだという考えにはなかなかなり得ないからです。
クレーマーや不平不満、愚痴、泣き言などを常に行っている人は、
一緒にいても当然楽しくはありませんが、彼らの心の中は劣等感で一杯なのです。
自分が下だとみられてしまうと、生きていけないとさえ思っているから、強烈な
暴言や、虚言、ありもしない噂、暴力、などあらゆる手段で相手を下げる努力を
するのです。
もの凄く迷惑な話ですが、切ない話ですね。小さい頃の自分と対話が出来ていないのです。
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2016年03月07日
モンスターペアレントに対する教師の心構え!保護者の対応をするヒントとは?
モンスターペアレントの増殖していっていることだけが社会問題化されていますが、
実は、教師の対応能力という点も問題があったりします。これは能力が低い!
といっているのではなくて、昔の教員と異なり、多様化している価値感に追いつけない
という現実もあるわけです。
学校の先生は、教職の課程で、自分の専攻の科目があります。その教科については
当然それなりの教育は受けてきています。しかし、苦情処理班のエキスパートではありません。
最近では、この2足のわらじを履かなくてはいけない状況が多く、対応に疲弊してしまう教員が
多いと言うことも事実です。
▽子どもが困っていると主張して、自分の正当性をアピールする親。
モンスターペアレントが、学校側に抗議をするときは、もちろん何か理由があります。
常識か非常識は別として、なにかオリジナルな言い分があるのです。
学校側の、初動での対応の仕方ひとつで、こじれないはなしがこじれてしまったり
と言うこともあるので、厄介です。
この人達は、まずとりあえず、話を聞いてあげることが必要なのです。
常識的なことか?非常識的なことか?を抜きにして、どういうロジックで、どうゆう要求が潜んでいるのかを
複数の教員が同席して察することができるようになる必要があります。
ちょっとおかしなクレームは、たいてい「親がこうして欲しい」という妄想とも言える理想の押しつけです。
実際に子どもがそれを望んでいるかは本当は分からないのです。
しかし、モンスターは、「うちの〇〇ちゃんが困っているんです」ということを大きくアピールします。
その矢を放って置いて、自分がこうして欲しいという要求を押しつけてくるのです。
「お子さんが本当にそう思っているのですか?」と聞いてもむだでしょう。
子どもも親の言いなりになっているケースが多いです。
これを初動で判断できず、曖昧な態度や発言をしてしまうと、そこを突っ込まれる材料とされて
結果的に対応の悪さをつつかれかねないという状況に陥ります。
その場で判断できるような内容のことは、校長と協議したり、教育委員会と協議したりと、
判断をおそれて先延ばしせず、毅然と「できないものはできない」ということを伝えないといけません。
こういうときに、「たぶん」「おそらく」などという推測的な弱い言葉は使うべきではありません。
後日協議して、回答する場合は、日時や場所、方法などを確認の上、迅速に回答できるように
することが良いでしょう。
あまり自信がないような態度や、全く聞く耳を持たないような態度は逆効果になるので、
とりあえず、馬鹿なこといっていると思っても、聞くことが大切です。
そして、出来る事であれば、教員は個人的にボイスレコーダーを持参しておくべきでしょう。
いつなんどきそう言う状況に遭遇するか分かりません。なるべくマンツーマンはさけるべきですが、
そうならないときのためにも、保険として持っておきましょう。
電話を録音できたり、立ち話でもポケットで簡単に操作できたりするものが良いです。
裁判の証拠として使うと言うことでは無く、校長や教育委員会など別の人への意見を
仰ぐときには、公平な意見を聞くことができるでしょう。
▽モンスターの妄想はなかなかぬぐえない。
モンスターペアレントは自分が正義で、正当で、常識だ!という感覚しかありません。
一般的に考えて、「世間的に自分の意見てどうかなぁ」なんて思う人は、まずモンスター
になりえません。周りを気にしていたらモンスターのような行動や発言はできませんから。
スケールが大きくなりますが、宗教戦争のようなものです。
各宗教の信者達は、自分が信仰している宗教が一番正しいと思っています。
なので、世界でどの宗教が正しいのかをきめましょうなどという話になったら、
自分たちが正しいという物同士が、対立することになるのです。
歴史上ではこういう戦争が今まで何回も繰り返されてきているわけです。
学校という狭いスケールに戻って考えても同じです。
モンスター教の教祖が、先生教へ自分の理を主張するわけです。
普通の感覚では、先生達が、今の日本の一般的な常識から〇か×かを
判断して、伝えれば話は納まるはずなのです。
しかしモンスターは、「あなたの感覚が間違っています。その通りにはできません。」
といわれますと、そこで小競り合いが始まるわけです。
先生側も、毅然と対応すれば良いのですが、先生も万能ではありません。
最近の傾向ですと、最終的に学校側が折れて、モンスター保護者の言うとおりに
受け入れてしまうと言う前例を作ってしまうことも、モンスターが増えている原因なの
かもしれません。
モンスター達は、周りの保護者には「学校へこういってこうしてもらった!」と意気揚々と
自分の正義が通ったことを話すでしょう。それをきいて、真似する人もいるのです。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
実は、教師の対応能力という点も問題があったりします。これは能力が低い!
といっているのではなくて、昔の教員と異なり、多様化している価値感に追いつけない
という現実もあるわけです。
学校の先生は、教職の課程で、自分の専攻の科目があります。その教科については
当然それなりの教育は受けてきています。しかし、苦情処理班のエキスパートではありません。
最近では、この2足のわらじを履かなくてはいけない状況が多く、対応に疲弊してしまう教員が
多いと言うことも事実です。
▽子どもが困っていると主張して、自分の正当性をアピールする親。
モンスターペアレントが、学校側に抗議をするときは、もちろん何か理由があります。
常識か非常識は別として、なにかオリジナルな言い分があるのです。
学校側の、初動での対応の仕方ひとつで、こじれないはなしがこじれてしまったり
と言うこともあるので、厄介です。
この人達は、まずとりあえず、話を聞いてあげることが必要なのです。
常識的なことか?非常識的なことか?を抜きにして、どういうロジックで、どうゆう要求が潜んでいるのかを
複数の教員が同席して察することができるようになる必要があります。
ちょっとおかしなクレームは、たいてい「親がこうして欲しい」という妄想とも言える理想の押しつけです。
実際に子どもがそれを望んでいるかは本当は分からないのです。
しかし、モンスターは、「うちの〇〇ちゃんが困っているんです」ということを大きくアピールします。
その矢を放って置いて、自分がこうして欲しいという要求を押しつけてくるのです。
「お子さんが本当にそう思っているのですか?」と聞いてもむだでしょう。
子どもも親の言いなりになっているケースが多いです。
これを初動で判断できず、曖昧な態度や発言をしてしまうと、そこを突っ込まれる材料とされて
結果的に対応の悪さをつつかれかねないという状況に陥ります。
その場で判断できるような内容のことは、校長と協議したり、教育委員会と協議したりと、
判断をおそれて先延ばしせず、毅然と「できないものはできない」ということを伝えないといけません。
こういうときに、「たぶん」「おそらく」などという推測的な弱い言葉は使うべきではありません。
後日協議して、回答する場合は、日時や場所、方法などを確認の上、迅速に回答できるように
することが良いでしょう。
あまり自信がないような態度や、全く聞く耳を持たないような態度は逆効果になるので、
とりあえず、馬鹿なこといっていると思っても、聞くことが大切です。
そして、出来る事であれば、教員は個人的にボイスレコーダーを持参しておくべきでしょう。
いつなんどきそう言う状況に遭遇するか分かりません。なるべくマンツーマンはさけるべきですが、
そうならないときのためにも、保険として持っておきましょう。
電話を録音できたり、立ち話でもポケットで簡単に操作できたりするものが良いです。
裁判の証拠として使うと言うことでは無く、校長や教育委員会など別の人への意見を
仰ぐときには、公平な意見を聞くことができるでしょう。
▽モンスターの妄想はなかなかぬぐえない。
モンスターペアレントは自分が正義で、正当で、常識だ!という感覚しかありません。
一般的に考えて、「世間的に自分の意見てどうかなぁ」なんて思う人は、まずモンスター
になりえません。周りを気にしていたらモンスターのような行動や発言はできませんから。
スケールが大きくなりますが、宗教戦争のようなものです。
各宗教の信者達は、自分が信仰している宗教が一番正しいと思っています。
なので、世界でどの宗教が正しいのかをきめましょうなどという話になったら、
自分たちが正しいという物同士が、対立することになるのです。
歴史上ではこういう戦争が今まで何回も繰り返されてきているわけです。
学校という狭いスケールに戻って考えても同じです。
モンスター教の教祖が、先生教へ自分の理を主張するわけです。
普通の感覚では、先生達が、今の日本の一般的な常識から〇か×かを
判断して、伝えれば話は納まるはずなのです。
しかしモンスターは、「あなたの感覚が間違っています。その通りにはできません。」
といわれますと、そこで小競り合いが始まるわけです。
先生側も、毅然と対応すれば良いのですが、先生も万能ではありません。
最近の傾向ですと、最終的に学校側が折れて、モンスター保護者の言うとおりに
受け入れてしまうと言う前例を作ってしまうことも、モンスターが増えている原因なの
かもしれません。
モンスター達は、周りの保護者には「学校へこういってこうしてもらった!」と意気揚々と
自分の正義が通ったことを話すでしょう。それをきいて、真似する人もいるのです。
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