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2016年03月21日
来週はいよいよ修了式!アスペ息子の小学校1年生としての生活態度は?!(その2)
⇒来週はいよいよ修了式!アスペ息子の小学校1年生としての生活態度は?!(その1)からの続きです。
▼脳のキャンバスが真っ白な分、大人のアスペより教え込みやすい。
大人のアスペルガー症候群の人の場合、子どもとは異なり、今までの人生の中で
たくさんの人と出会い交流をして色んな価値観が混ざり合いながら成長してきています。
それゆえ、大人になってから新しい方法や考え方を脳にインプットして情報を書き換える
ということはなかなか至難の業なのです。
その反面、発達障害の子どもでも自閉症の子どもでも、親がある程度子どもの
考えを理解してあげていて、子どもも親を信頼していれば、意思の疎通はしやすいです。
応用的なことまで求めるのは、難しいと思いますが、感情的にならずに、どのポイント
で本人はひっかかっているのか?を親が考えてあげるような気持ちで向き合えば、
信頼関係は生まれてくることもあるでしょう。なんだかどこかの塾の講師みたいな
話ですが、そのぐらい客観的な存在として見た方が良いのかもしれません。
我が子我が子ということが先に脳裏によぎると、正そう正そうという欲求が自然に
湧いてきます。そう思った瞬間、我が子の自己肯定感や自尊心を奪うような言葉
がでてしまったりするので、まずは、良いか悪いかということは横に置いて、我が子の
言い分をとりあえず聞く!片手間でなく(重要)真剣なまなざしで聞いていったんは
肯定的な言葉で受け止めるということが私自身の課題でもあります。
▼不安を抱えながらだった1年を振り返って
子どもが親が思っているように成長するなんてことはまずありえないですね。
勝手に親が期待して落胆している姿を子どもに見せて自尊心を傷つけては
いけないなぁと思いました。なによりもアスペ息子は、毎日楽しそうに学校へ
通ってくれていることがなによりうれしかったです。
良い親になろうという潜在意識が動き出すと、ああでもないこうでもない、
とついつい言い過ぎてしまうことがあり、むしろ自分が成長してないなとさえ思うぐらいでした^^
私もアスペ息子の純粋に日々を楽しみながら生活している点は見習おうと思います。
自分が学校に通っていたときはなんて1年とは長いのだろうと、
学校嫌いの私は思ったものです。その反面夏休みとかは短く感じるんですよね。
これ自体も脳の考え方の癖の典型的な物ですよね。
・楽しいことは短く感じる
⇒そのぐらい集中して、自分の楽しいという気持ちで行動できている。
・嫌だなと思うことは長く感じる
⇒脳が目の前のことを否定していてしかも周りに半強制的にやらされている感で行動している。
・怖いとビクビクしているから恐れて不安が湧き出てくる。
⇒悪いと思うことが起きたらその時はその時という覚悟で毎日に臨んで余計な不安を感じないようにする。
入学前、入学後と子どもは何も根本的な性格は変わることなく過ごした訳ですが、
マイナスの感情を生み出しているのは、親である自分だと…
露骨に嫌な顔をしたり、いろいろ不安を感じて焦燥感に駆られたり。
細かい常識を教えていくのも大切ですが、子どもに必要なのは、知識
だけでなく、親の笑顔という安心感に包まれた空間なのだと思います。
私の母親は、以前も書きましたが、あらゆることをテキパキとこなしていて
子どもながらに凄いなと思っていましたが、決して笑顔でやっていることは
ありませんでした。笑顔ではないムスッとした母親の顔を見ると、私は
「自分がなんか悪いことしちゃったかな」なんて思って自尊心を傷つけられたのかもしれません。
それは大人になって気づいたことですが、暴言暴力がない家庭でも、表情の
ありかたで傷つく子どももいるので、日々の生活にちょっとした楽しみを感じながら
生きていくことが一番の子どもにとってのしつけになるのかもしれません。
さあて、笑顔の練習でもしようっと^^
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
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2016年03月20日
来週はいよいよ修了式!アスペ息子の小学校1年生としての生活態度は?!(その1)
時が流れていくのはやいものですね。アスペ息子が小学校へ
入学してもう1年が経過しようとしています。去年の今頃は、卒園式の
歌を一生懸命練習していたことが印象深いです。
特段大きな病気にもかからず、事故にも遭わず本当によかったです。
簡単にどんなことがあったか記録しておこうと思います。
▼良くも悪くも流されがちなアスペ息子。
7歳ぐらいの子どもですから、発達障害のあるなしに関係なく、
周りの雰囲気などに流されてしまいがちな年齢でもあります。
親にとって良いことも悪いと思うことも、いつどこで学んだのやら、
他のクラスの子がやっていること、話していることを見聞きして、
延々と繰り返したりしています。
社会的に大人から見ての善悪と、子どもにとっての善悪はまったく別世界で、
子どもの場合は好奇心の方が勝ってしまうということが多いようです。
普段家の中では、守ることができるようなルールでも学校で友達が
大人から見たら良くないようなことをやっていると、釣られてやってしまい、
真似したアスペ息子が先生から注意されると言うことも何度かありました。
「〇〇くんがやってたからやったんだよ。僕悪くない。」
「〇〇ちゃんがやれっていったんだよ。僕はやりたくなかったの」
そんな主張をするんですね。
学年が上がってくると、こういうことで喧嘩したり、いじめにつながったりという
ことがあるので、自分自身で善悪を判断し行動できるように脳の回線が
働いてくれれば良いと思いますが、どこまで息子ができるかは分かりません。
親としては、なかなかこういうときの対応は難しいですね。
どうしても感情的で頭ごなしに「ダメだろ!」とかいいそうですから。
▼勉強意欲、運動意欲、創作意欲どれも興味を示しています。
国語、算数、体育、生活など小学生ともなると授業ごとに頭の切り替えが必要になるので、
「本当にじっと座っていられるのだろうか」「他の子とトラブルが起こらないだろうか」と
入学当時は脳裏をかすめたものです。しかし、こんなことを考えてしまうこと自体が、
我が子を信じていない証拠ですし、発達障害とはいえど、できないレッテルを貼って
しまい余計に自己肯定感を下げさせてしまう考え方なんですね。
どうしても自分だったら…で物事を考えてしまうので、私の場合はなるべくトラブルに
ならないように生きてきたので(自分の気持ちを押し殺して^^)、トラブルが起きるのが
私にとってはもの凄く嫌ということしか考えていなかったのかもしれません。
しかし、現実はどんなに注意をしていてもトラブルに巻き込まれるときはありますし、
注意していなくても問題なく過ごせるときもあるので、考えすぎて杞憂になるよりは、
起きてしまったときに対応を都度考えようという風に思うようになりました。
文字を書くのは相変わらず鏡文字を書いていたりしますが、勉強をすることは
楽しいようです。基本的に落ち着きがないので、体育など体を動かすことは
本人にとってもストレス発散になるようですが、たまに度を超して暴れて
意味不明な傷を作ってくることなんかがありました。
絵を描いたり、物を作ったりは手先の器用さが試されますが、私が思った
以上に絵を描いたり、折り紙を折ったり、あやとりをやったり、細かいことを
集中してできているのには驚かされました。
ひとことでアスペルガー症候群といっても親が勝手に悪い方向へ
考えすぎてしまうことは子どもにとっても心外でしょうし、ちょっと反省させられました。
つづく
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
入学してもう1年が経過しようとしています。去年の今頃は、卒園式の
歌を一生懸命練習していたことが印象深いです。
特段大きな病気にもかからず、事故にも遭わず本当によかったです。
簡単にどんなことがあったか記録しておこうと思います。
▼良くも悪くも流されがちなアスペ息子。
7歳ぐらいの子どもですから、発達障害のあるなしに関係なく、
周りの雰囲気などに流されてしまいがちな年齢でもあります。
親にとって良いことも悪いと思うことも、いつどこで学んだのやら、
他のクラスの子がやっていること、話していることを見聞きして、
延々と繰り返したりしています。
社会的に大人から見ての善悪と、子どもにとっての善悪はまったく別世界で、
子どもの場合は好奇心の方が勝ってしまうということが多いようです。
普段家の中では、守ることができるようなルールでも学校で友達が
大人から見たら良くないようなことをやっていると、釣られてやってしまい、
真似したアスペ息子が先生から注意されると言うことも何度かありました。
「〇〇くんがやってたからやったんだよ。僕悪くない。」
「〇〇ちゃんがやれっていったんだよ。僕はやりたくなかったの」
そんな主張をするんですね。
学年が上がってくると、こういうことで喧嘩したり、いじめにつながったりという
ことがあるので、自分自身で善悪を判断し行動できるように脳の回線が
働いてくれれば良いと思いますが、どこまで息子ができるかは分かりません。
親としては、なかなかこういうときの対応は難しいですね。
どうしても感情的で頭ごなしに「ダメだろ!」とかいいそうですから。
▼勉強意欲、運動意欲、創作意欲どれも興味を示しています。
国語、算数、体育、生活など小学生ともなると授業ごとに頭の切り替えが必要になるので、
「本当にじっと座っていられるのだろうか」「他の子とトラブルが起こらないだろうか」と
入学当時は脳裏をかすめたものです。しかし、こんなことを考えてしまうこと自体が、
我が子を信じていない証拠ですし、発達障害とはいえど、できないレッテルを貼って
しまい余計に自己肯定感を下げさせてしまう考え方なんですね。
どうしても自分だったら…で物事を考えてしまうので、私の場合はなるべくトラブルに
ならないように生きてきたので(自分の気持ちを押し殺して^^)、トラブルが起きるのが
私にとってはもの凄く嫌ということしか考えていなかったのかもしれません。
しかし、現実はどんなに注意をしていてもトラブルに巻き込まれるときはありますし、
注意していなくても問題なく過ごせるときもあるので、考えすぎて杞憂になるよりは、
起きてしまったときに対応を都度考えようという風に思うようになりました。
文字を書くのは相変わらず鏡文字を書いていたりしますが、勉強をすることは
楽しいようです。基本的に落ち着きがないので、体育など体を動かすことは
本人にとってもストレス発散になるようですが、たまに度を超して暴れて
意味不明な傷を作ってくることなんかがありました。
絵を描いたり、物を作ったりは手先の器用さが試されますが、私が思った
以上に絵を描いたり、折り紙を折ったり、あやとりをやったり、細かいことを
集中してできているのには驚かされました。
ひとことでアスペルガー症候群といっても親が勝手に悪い方向へ
考えすぎてしまうことは子どもにとっても心外でしょうし、ちょっと反省させられました。
つづく
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
2016年03月19日
イライラする人に効果てきめんな改善法!?瞑想は心と脳の整理体操のようなもの。(その3)
⇒イライラする人に効果てきめんな改善法!?瞑想は心と脳の整理体操のようなもの。(その1)
⇒イライラする人に効果てきめんな改善法!?瞑想は心と脳の整理体操のようなもの。(その2)からのつづきです。
▼瞑想の熟練者を目指してしまい、大失敗。
「よし!脳を休めるには瞑想がいいんだね!」とわかっても、
アダルトチルドレンの私は、なかなかこれを自分のライフサイクルの中で習慣化
することができませんでした。
私の失敗例でいいますと、
不安や恐れがある私は、情報や知識でその不安を解消しようとする傾向があります。
しかし根底はビクビクとなにかに恐れていますから、結果が伴わないと、
自分が能力がないのか、このやり方が悪いのか混同して投げ出したくなるんです。
▼自分が瞑想をする目的を自動思考にかき消されないようにする。
そしてここがポイントで、瞑想をやるのではなく、世間から見てレベルが高く、誰から見ても
称賛されるような瞑想を実践しようと自動思考が思っているんです。
この時点で目的が自動思考に書き換えられています。
瞑想⇒脳を休めるために、整理するためにおこなう。
という目的なのにもかかわらず、
瞑想⇒凄い瞑想をマスターした自分⇒周りから称賛されているイメージ
を勝手に抱いているんです。完璧主義的な思考がありますから、
この「周りから称賛されるような凄い瞑想をマスター」しなければ、
なんだかもうどうでも良くなっていたのです。
▼難しいことを考えないで、とりあえず何も考えない時間をつくる
瞑想はその人のレベルによってみえている世界感がかなり異なります。
ですから、初めから極みを目指そうなんていうことは御法度です^^
登山したことがない人が、いきなりエベレスト登頂をめざすようなものです。
脳の整理、もしくは、脳にストレスを抱えやすい人のネックになるのが、
考え方の癖であることが多いです。そしてその癖とは意図的ではなく、
自動思考というものが勝手に思い浮かばせて、私たちにブレーキをかけるのです。
さらに、人並み以上に常に何か考えてしまっているアダルトチルドレン気質の人は、
脳を知らず知らずに酷使しているということになります。もちろん無自覚で。
寝ても覚めても、なにか嫌なことや不安が思い浮かんで気分を自分で落ち込ませて
いるのです。
ここに加えて、人間関係が入ってくるわけですから、もう大変ですね^^
ですから、まず自分の脳の整理体操という意味では、瞑想という
難しい言葉を使うよりも、
「何も考えない時間をつくる」
ということをテーマに取り組んだ方が良いと思います。
何も考えないってやったことがある人は分かると思いますが、
慣れていない人にはかなりむずかしいことです。アダルトチルドレン気質の
人は常に何かつまらない不安なことなりを自己防衛本能で考えていますから、
それを考えないようにするのは訓練が必要なんですね。
1日5分でも10分でも30分でも自分が無理なくできる範囲で始めるのが
いいでしょう。初めのうちは、目をつむっても色んなことが脳裏をよぎります。
それはそれで仕方がないので、なるべく何も考えない、イメージしないということ
を意識的におこなうということが大切なのだと思います。
慣れてくると、そのプチ瞑想でもある「何も考えない」が終わった後
脳がすーっと楽になった気持ちになるときがあります。
そうなってくれば、後はひたすら習慣化をするのみです。
毎日食事をする、寝るのと同じようにライフサイクルにその時間を組み込むのです。
「忙しいから無理だよ」と最初からさじを投げてはいけませんね。
どんなに忙しくても、食事をしない寝ないということはまずないと思います。
ですから、そのレベルまで「何も考えない時間」を大切な時間として価値観を
あげていく必要はあります。
まずは、周りから称賛される瞑想ではなく、そういったポイントに重点が
おけるようになったとき、自分自身の中のターニングポイントとなるのかもしれません。
こればかりは、自分しかできないことです。他人に「何も考えないのやっておいて!」と
はできませんからね^^
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
⇒イライラする人に効果てきめんな改善法!?瞑想は心と脳の整理体操のようなもの。(その2)からのつづきです。
▼瞑想の熟練者を目指してしまい、大失敗。
「よし!脳を休めるには瞑想がいいんだね!」とわかっても、
アダルトチルドレンの私は、なかなかこれを自分のライフサイクルの中で習慣化
することができませんでした。
私の失敗例でいいますと、
〇書籍やネットからたくさん情報を集める。
↓
〇とりあえず、知識をつめこんでみる。
↓
〇一番良い(レベルが高い)と思われる方法を実践する
↓
〇本に書いてあるようなことが体験できず自己嫌悪
↓
〇馬鹿らしくなって途中で投げ出す
不安や恐れがある私は、情報や知識でその不安を解消しようとする傾向があります。
しかし根底はビクビクとなにかに恐れていますから、結果が伴わないと、
自分が能力がないのか、このやり方が悪いのか混同して投げ出したくなるんです。
▼自分が瞑想をする目的を自動思考にかき消されないようにする。
そしてここがポイントで、瞑想をやるのではなく、世間から見てレベルが高く、誰から見ても
称賛されるような瞑想を実践しようと自動思考が思っているんです。
この時点で目的が自動思考に書き換えられています。
瞑想⇒脳を休めるために、整理するためにおこなう。
という目的なのにもかかわらず、
瞑想⇒凄い瞑想をマスターした自分⇒周りから称賛されているイメージ
を勝手に抱いているんです。完璧主義的な思考がありますから、
この「周りから称賛されるような凄い瞑想をマスター」しなければ、
なんだかもうどうでも良くなっていたのです。
▼難しいことを考えないで、とりあえず何も考えない時間をつくる
瞑想はその人のレベルによってみえている世界感がかなり異なります。
ですから、初めから極みを目指そうなんていうことは御法度です^^
登山したことがない人が、いきなりエベレスト登頂をめざすようなものです。
脳の整理、もしくは、脳にストレスを抱えやすい人のネックになるのが、
考え方の癖であることが多いです。そしてその癖とは意図的ではなく、
自動思考というものが勝手に思い浮かばせて、私たちにブレーキをかけるのです。
さらに、人並み以上に常に何か考えてしまっているアダルトチルドレン気質の人は、
脳を知らず知らずに酷使しているということになります。もちろん無自覚で。
寝ても覚めても、なにか嫌なことや不安が思い浮かんで気分を自分で落ち込ませて
いるのです。
ここに加えて、人間関係が入ってくるわけですから、もう大変ですね^^
ですから、まず自分の脳の整理体操という意味では、瞑想という
難しい言葉を使うよりも、
「何も考えない時間をつくる」
ということをテーマに取り組んだ方が良いと思います。
何も考えないってやったことがある人は分かると思いますが、
慣れていない人にはかなりむずかしいことです。アダルトチルドレン気質の
人は常に何かつまらない不安なことなりを自己防衛本能で考えていますから、
それを考えないようにするのは訓練が必要なんですね。
1日5分でも10分でも30分でも自分が無理なくできる範囲で始めるのが
いいでしょう。初めのうちは、目をつむっても色んなことが脳裏をよぎります。
それはそれで仕方がないので、なるべく何も考えない、イメージしないということ
を意識的におこなうということが大切なのだと思います。
慣れてくると、そのプチ瞑想でもある「何も考えない」が終わった後
脳がすーっと楽になった気持ちになるときがあります。
そうなってくれば、後はひたすら習慣化をするのみです。
毎日食事をする、寝るのと同じようにライフサイクルにその時間を組み込むのです。
「忙しいから無理だよ」と最初からさじを投げてはいけませんね。
どんなに忙しくても、食事をしない寝ないということはまずないと思います。
ですから、そのレベルまで「何も考えない時間」を大切な時間として価値観を
あげていく必要はあります。
まずは、周りから称賛される瞑想ではなく、そういったポイントに重点が
おけるようになったとき、自分自身の中のターニングポイントとなるのかもしれません。
こればかりは、自分しかできないことです。他人に「何も考えないのやっておいて!」と
はできませんからね^^
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
2016年03月18日
イライラする人に効果てきめんな改善法!?瞑想は心と脳の整理体操のようなもの。(その2)
⇒イライラする人に効果てきめんな改善法!?瞑想は心と脳の整理体操のようなもの。(その1)からの続きです。
▼体には整理体操があるように、心には瞑想という方法がある。
大人になってからはやったことはありませんが、体には整理体操というものがありますね。
小中学校なんかで体育の時間とかやりませんでした?私は全く意味が分からずやって
いたわけですけど、大人にとっても大切なことだと思います。
準備体操⇒運動⇒整理体操
という感じですよね。
車でいえば、いきなりアクセルをべた踏みせず、エンジンを少し暖めてからという
感じでしょうか。停止した後も、カバーを掛けたりしてメンテナンスしてあげてね!みたいな。
1回、2回では差が出ないでしょうが、何年もしっかりこれをやっている人とそうでない人の
車では、大きな差になることは間違いありませんね。
整理体操は、体をゆっくりとクールダウンさせるための運動といえます。
では、脳はどうすればよいでしょう。
脳も体そして肉体の一部であることは間違いありませんが、
体と脳は別にケアしてあげるという発想が大切なのかもしれませんね。
実際はすべてリンクしているのですが、目に見えない脳はどうしても
後まわしにしがちなのです。特にアダルトチルドレンで完璧主義者、
自己犠牲が美徳であるという価値観を正しいという認識で持っている人(私)は、
自分の脳の疲労は感じていても、一番後まわしにしてしまいますから^^
前にも書いたことがありますが、私みたいなタイプに必要なのは
脳のメンテナンスにもなる
「瞑想」という方法です。
正直、瞑想という言葉を聞くと、宗教的な意味合いに聞こえてしまうことが多いようです。
こんなことを書いている私も、瞑想ときいて真っ先に思いつくのがオウム真理教の「麻原彰晃」
でしたから、良いイメージなんてまったくありません^^
「瞑想」=オウム真理教=非道で悪い奴ら
ゆえに、瞑想=胡散臭くわるいもの
という自動思考がレッテル貼りをしてくれたおかげで、
なかなか心にスッと入ってこない時期があったのです。
▼瞑想は宗教でもなんでもなく、頭の整理体操です。
私の場合は、瞑想ができるかどうかよりも、自分の中で瞑想=麻原という
自動思考をまずは取り除くという第一段階が大変でした。子どもながら、連日地下鉄
サリン事件のニュースを見て座禅を組んで瞑想している麻原が鮮明に
脳裏に残っていたからです。
しかし、瞑想は魔法でも空中に浮くわけでもなく^^
色んな本を読んでいると、ごくごく自然に脳を休ませるための
一つの手段に過ぎないということが分かったのです。
これは人によって、瞑想と聞いてどういうことをイメージするかにもよるので、
偏った悪いイメージを持っている人は、まずはそこを整理する必要があります。
瞑想とひとことでいっても、訓練している人とそうでない人では、
熟練度のレベルがかなり違ってきます。そして、瞑想自体が目に見える物では
ありませんので、なかなかコツをつかむといっても、すぐに成果につながる
とは限りませんから、疑心暗鬼で取り組んでしまうというのが普通なのかもしれません。
つづく
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
▼体には整理体操があるように、心には瞑想という方法がある。
大人になってからはやったことはありませんが、体には整理体操というものがありますね。
小中学校なんかで体育の時間とかやりませんでした?私は全く意味が分からずやって
いたわけですけど、大人にとっても大切なことだと思います。
準備体操⇒運動⇒整理体操
という感じですよね。
車でいえば、いきなりアクセルをべた踏みせず、エンジンを少し暖めてからという
感じでしょうか。停止した後も、カバーを掛けたりしてメンテナンスしてあげてね!みたいな。
1回、2回では差が出ないでしょうが、何年もしっかりこれをやっている人とそうでない人の
車では、大きな差になることは間違いありませんね。
整理体操
せいりたいそう
激しい身体運動後,調整をはかるために行う体操。興奮状態にある呼吸,血液循環,神経などをなるべく早く常態に戻し,筋肉の疲労を回復させることを目的としている。ゆるやかに呼吸の調整をはかりながら,身体の力を抜き,柔らかく楽に行う。
引用元:コトバンク
整理体操は、体をゆっくりとクールダウンさせるための運動といえます。
では、脳はどうすればよいでしょう。
脳も体そして肉体の一部であることは間違いありませんが、
体と脳は別にケアしてあげるという発想が大切なのかもしれませんね。
実際はすべてリンクしているのですが、目に見えない脳はどうしても
後まわしにしがちなのです。特にアダルトチルドレンで完璧主義者、
自己犠牲が美徳であるという価値観を正しいという認識で持っている人(私)は、
自分の脳の疲労は感じていても、一番後まわしにしてしまいますから^^
前にも書いたことがありますが、私みたいなタイプに必要なのは
脳のメンテナンスにもなる
「瞑想」という方法です。
正直、瞑想という言葉を聞くと、宗教的な意味合いに聞こえてしまうことが多いようです。
こんなことを書いている私も、瞑想ときいて真っ先に思いつくのがオウム真理教の「麻原彰晃」
でしたから、良いイメージなんてまったくありません^^
「瞑想」=オウム真理教=非道で悪い奴ら
ゆえに、瞑想=胡散臭くわるいもの
という自動思考がレッテル貼りをしてくれたおかげで、
なかなか心にスッと入ってこない時期があったのです。
▼瞑想は宗教でもなんでもなく、頭の整理体操です。
私の場合は、瞑想ができるかどうかよりも、自分の中で瞑想=麻原という
自動思考をまずは取り除くという第一段階が大変でした。子どもながら、連日地下鉄
サリン事件のニュースを見て座禅を組んで瞑想している麻原が鮮明に
脳裏に残っていたからです。
しかし、瞑想は魔法でも空中に浮くわけでもなく^^
色んな本を読んでいると、ごくごく自然に脳を休ませるための
一つの手段に過ぎないということが分かったのです。
これは人によって、瞑想と聞いてどういうことをイメージするかにもよるので、
偏った悪いイメージを持っている人は、まずはそこを整理する必要があります。
瞑想とひとことでいっても、訓練している人とそうでない人では、
熟練度のレベルがかなり違ってきます。そして、瞑想自体が目に見える物では
ありませんので、なかなかコツをつかむといっても、すぐに成果につながる
とは限りませんから、疑心暗鬼で取り組んでしまうというのが普通なのかもしれません。
つづく
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
2016年03月17日
イライラする人に効果てきめんな改善法!?瞑想は心と脳の整理体操のようなもの。(その1)
心と身体のバランスとは良くいいますが、アダルトチルドレン気質の人は、
特にこの平衡を保つということが苦手なようです。
「そんなのわかってるわ!」
そうなんです。誰もが大切だと分かっているのに難しいという現実。
肉体外部に傷がついたときは、自分や周りの人が視覚で確認でき、
対応するということができます。肉体内部が傷ついているときは、
自分の目では直接確認ができませんから、人間ドッグや定期検診などで、
お医者さんに体の中を見てもらいチェックしてもらいます。
ですから、肉体的な体の不調はどちらかというと気がつきやすく、即効性の
ある対処療法がみつかることが多いです。
しかしながら、心となるとどうでしょうか。一般的に心というと胸や心臓の部分
を押さえたり、ジェスチャーとしてはしますが、そこには心はありません。
ではいったいどこが心かといえば、ズバリ脳です。
つまり、心が疲れているということは脳が疲れているということでもあります。
▼体の疲れは寝れば回復しやすいが、脳の疲れは積算する。
性質が異なるので、単純に比較できるものではありませんが、
肉体的な疲労と精神的な疲労はどちらが回復しやすいでしょうか。
30代ぐらいまでは圧倒的に肉体だと思います。当然、加齢により
自然治癒力や免疫力が落ちていきますし、個人差があるので、
一概にはいえませんが…
そこそこ体の新陳代謝ができている年齢であれば、質の良い睡眠を
とることで疲労は回復に向かいます。しかしながら、脳というのは厄介で、
私たちの意図することから無意識なことまで、あらゆることに対して
指令をだしています。もちろん睡眠を取ることで休まることは確かですが、
寝ているから脳が休まるかというとそうでないときもあるはずです。
あまりにも仕事が忙しく、頭が混乱している。家庭不和や悩みが多い場合、
人生観が悲観的な方向に傾いているとき、不安が襲いかかってくるような
気持ちにさいなまれているときなどは、寝ていても夢として潜在的なストレス
や真相心理的なものがあらわれてくるのです。
目が覚めた状態でも、色々考えてしまいすぎているのに、寝ても考えてるんです^^
脳が休まるわけがありませんね。
▼脳の疲れが蓄積してくると、冷静な判断ができなくなり感情的になりがち。
包丁で指を切ってしまったら、すぐに止血をして応急処置として絆創膏でも
貼るでしょう。私たちは目で見える物に関しては、日常生活の経験上、どうすれば
良くなるかということが理解しやすいようです。原因が明確にわかっていることが
多いからだと思います。
脳の場合は、そうはいかないのが肝でもありますね。
目で視覚化ができるわけではないし、その根本的な悩みの原因が
明確に分かるなんてこともなかなかないので、自己判断でまだ自分は
大丈夫だろうと脳の傷(心の傷)を無視して先送りしてしまいがちです。
肉体的なちょっとした外傷は、自然治癒していくものですが、脳のうけた
ダメージというものは、自然治癒していくどころか無視していると蓄積して
とんでもない暴走を始めたりするのです。
暴走した脳のシステムは、冷静沈着な判断はもとより、活動を強制的に
停止してしまったり、人間本来の本能である感情的な部分だけしか働かない
など、生活の中でさまざまな支障を来すことがおきてくるでしょう。
▼脳の休ませ方が分からない人が多い現状。
では、どうすれば脳がそこまでひどいダメージを受けずにすむのか。
誰でも言葉では理解しているんです。
「頭をやすませましょう」
これは、うつ病などの精神疾患はもとより、発達障害などの人で、
普段の生活でうまく脳が機能しない場面にでくわすような人にもいえることで、
心療内科や精神科にいっても同じようなことをいわれることが多いです。
しかし、頭の休め方が分からない人間だからそこまで追い詰められちゃっているんです。
なんとなく、病院で先生に頭を休めましょうといわれたからといって、子どものころから
できなかった脳の休息が本当にできるのでしょうか?
おそらく「うつ病」などを煩ったとしても、数ヶ月で治る人、何十年も治らない人
がいるのはこういうことなのではないでしょうか。
対症療法として、抗うつ剤などを併用することは効果的なときもあるでしょう。
ですが、薬だけでは心の病は治らないのだと思います。根っこは自分自身の
脳の休め方がマスターしていけるか?というのが大切なのではないでしょうか。
つづく
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
特にこの平衡を保つということが苦手なようです。
「そんなのわかってるわ!」
そうなんです。誰もが大切だと分かっているのに難しいという現実。
肉体外部に傷がついたときは、自分や周りの人が視覚で確認でき、
対応するということができます。肉体内部が傷ついているときは、
自分の目では直接確認ができませんから、人間ドッグや定期検診などで、
お医者さんに体の中を見てもらいチェックしてもらいます。
ですから、肉体的な体の不調はどちらかというと気がつきやすく、即効性の
ある対処療法がみつかることが多いです。
しかしながら、心となるとどうでしょうか。一般的に心というと胸や心臓の部分
を押さえたり、ジェスチャーとしてはしますが、そこには心はありません。
ではいったいどこが心かといえば、ズバリ脳です。
つまり、心が疲れているということは脳が疲れているということでもあります。
▼体の疲れは寝れば回復しやすいが、脳の疲れは積算する。
性質が異なるので、単純に比較できるものではありませんが、
肉体的な疲労と精神的な疲労はどちらが回復しやすいでしょうか。
30代ぐらいまでは圧倒的に肉体だと思います。当然、加齢により
自然治癒力や免疫力が落ちていきますし、個人差があるので、
一概にはいえませんが…
そこそこ体の新陳代謝ができている年齢であれば、質の良い睡眠を
とることで疲労は回復に向かいます。しかしながら、脳というのは厄介で、
私たちの意図することから無意識なことまで、あらゆることに対して
指令をだしています。もちろん睡眠を取ることで休まることは確かですが、
寝ているから脳が休まるかというとそうでないときもあるはずです。
あまりにも仕事が忙しく、頭が混乱している。家庭不和や悩みが多い場合、
人生観が悲観的な方向に傾いているとき、不安が襲いかかってくるような
気持ちにさいなまれているときなどは、寝ていても夢として潜在的なストレス
や真相心理的なものがあらわれてくるのです。
目が覚めた状態でも、色々考えてしまいすぎているのに、寝ても考えてるんです^^
脳が休まるわけがありませんね。
▼脳の疲れが蓄積してくると、冷静な判断ができなくなり感情的になりがち。
包丁で指を切ってしまったら、すぐに止血をして応急処置として絆創膏でも
貼るでしょう。私たちは目で見える物に関しては、日常生活の経験上、どうすれば
良くなるかということが理解しやすいようです。原因が明確にわかっていることが
多いからだと思います。
脳の場合は、そうはいかないのが肝でもありますね。
目で視覚化ができるわけではないし、その根本的な悩みの原因が
明確に分かるなんてこともなかなかないので、自己判断でまだ自分は
大丈夫だろうと脳の傷(心の傷)を無視して先送りしてしまいがちです。
肉体的なちょっとした外傷は、自然治癒していくものですが、脳のうけた
ダメージというものは、自然治癒していくどころか無視していると蓄積して
とんでもない暴走を始めたりするのです。
暴走した脳のシステムは、冷静沈着な判断はもとより、活動を強制的に
停止してしまったり、人間本来の本能である感情的な部分だけしか働かない
など、生活の中でさまざまな支障を来すことがおきてくるでしょう。
▼脳の休ませ方が分からない人が多い現状。
では、どうすれば脳がそこまでひどいダメージを受けずにすむのか。
誰でも言葉では理解しているんです。
「頭をやすませましょう」
これは、うつ病などの精神疾患はもとより、発達障害などの人で、
普段の生活でうまく脳が機能しない場面にでくわすような人にもいえることで、
心療内科や精神科にいっても同じようなことをいわれることが多いです。
しかし、頭の休め方が分からない人間だからそこまで追い詰められちゃっているんです。
なんとなく、病院で先生に頭を休めましょうといわれたからといって、子どものころから
できなかった脳の休息が本当にできるのでしょうか?
おそらく「うつ病」などを煩ったとしても、数ヶ月で治る人、何十年も治らない人
がいるのはこういうことなのではないでしょうか。
対症療法として、抗うつ剤などを併用することは効果的なときもあるでしょう。
ですが、薬だけでは心の病は治らないのだと思います。根っこは自分自身の
脳の休め方がマスターしていけるか?というのが大切なのではないでしょうか。
つづく
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