そう、あれはさかのぼるところ数十年前、スマホもインターネットも無い時代。わたくしが小学校低学年の出来事です。純粋無垢な少年が世の不条理、イカサマの洗礼を受けたお話です。
比較的バカ正直者だった私がイカサマに気づくきっかけは、いつも優しく接してくれるクジ屋のおじいちゃんでした。
箱の横についているボタンを押すと色のついたガムが1個、コロンと出てくるのです。赤い玉が出たら100円。青色の玉が出たら50円。好きなお菓子と交換し子供にできる精いっぱいのギャンブルを楽しんでおりました。
色々な大きさのスーパーボール。私たちは当時ピンポン玉と呼んでいました。クジを引いて良い番号を引くと大きなスーパーボールが獲得でき、クジ1回の金額が比較的高く、これも子供にとってはギャンブル性のあるクジでした。これらはみんな昭和の時代のクジ屋さんの思い出。
当時、ファミコンが発売されたばかりの世。当時の携帯電話機なんてものは、今の人が見るとコンクリートブロックを持ち運んでいるのか? というくらい大きかった時代。
そんな時代に少年が、歴代もっとも高いギャンブル性のあるクジと対面することになりました。それは「鉱石ラジオ」クジ。スマートフォン5個を重ねたくらいの大きさがありました。今の世なら百円ショップに行けば、買えてしまうような景品ですが、昭和時代の少年にとっては目を輝かせるような魅力を備えていたのです。
クジ1回の値段は300円。小学校低学年の懐事情を簡単に破壊できる価格設定です。月のお小遣いが1500円のわたくしにとってもそれは、とてもハードルの高い挑戦でした。
クジの数は100個。当たりのラジオは2つ。1等と3等が鉱石ラジオ。2等は何故か「おもちゃの銃」。わたくしにとってハズレに分類される景品です。2つのラジオに全てを集約しているのでしょう。その他の景品も300円にしては、どれもハズレと言えるものばかりでした。
正月から数日が経ったある日。日本全国の小学生のふところ具合が1年で最も良い時です。かく言う小学生の私もクジに挑戦するには格好の日より。お年玉の数千円を握りしめ、クジ屋に突撃したのであります。
高いクジなので、ほとんど引かれておらず、ラジオも2つ残ったままでした。1枚、2枚、3枚…、20枚ほどを引きましたが当たりを出すことはできませんでした。確率を良く分かっていなかった自分が恨めしく思えてきます。あと、6000円あれば、当時でもラジオくらい買えたのではないかと今では思います。
小学生には大金である6000円程を一瞬で無くしてしまった悔しさと、この事を親などに話したら怒られるんじゃないかという恐怖に押しつぶされそうでした。今でもトラウマとなっています。
それから数日経ったある日。クジ屋の近くを歩いていたら、そこのおじいちゃんが手招きをしていました。大金を使い果たした事を申し訳なく思ったのでしょうか。それとも小学生低学年の上得意への接待でしょうか、50円ほどのお菓子を差し出してきました。悔しい気持ちが再び燃え上がりました。生意気な私は「いらない」と接待を断って去ってしまったのを覚えています。
忘れようと努力していた糸が、この時プツンと切れる音が聞こえた気がします。気が付くと、家に帰り追加補充されたお年玉を握りしめ、クジ屋に再突撃しておりました。
人間はこうやってギャンブルにはまってゆくのでしょう…。なんて早熟なギャンブル中毒。クジ屋のおじいちゃんは、ギャンブル中毒になりつつある小学生低学年の小僧を目の前にして、やめさせようと説得したのか。それともいい勉強だと、とことん使い果たさせたのか。頭に血が上りすぎていたため、当時の事を思い出せません。
数千円を握りしめているので、10回はできる計算になります。突撃した割には、最初の挑戦よりも弾数が少ないのは、臆病心です。気合を入れて挑んだ一発目。なんと1枚目で3等を引き当てました。あまりの嬉しさに涙が出そうになりながら喜びました。そうして「当たったよ」と言ってクジを見せたのですが…、おじいちゃんの顔はそれに反して残念そうな表情をしていました。
クジを1枚しか買っていない客が当てたのではありません。このクジ一番の上お得意様。しかも、ちゃんとお金を貢いだ後なのです。それなのに困ったような顔。子供ながら、この状況を不可解に感じたのを覚えています。
おじいちゃんは「ああ、おしいね。三等はこれだよ」と言いながら、どう見てもハズレのおもちゃの銃を指差しやがりました。明らかに銃の下には2の数字が書いてあるにもかかわらず。ラジオの下にもちゃんと3が書いてあります。
いくら小学生とは言え、「誰が見ても明らかな状況を、騙し通せると思うなョジジイッ」と、思ったか思ってないかは、今は思い出せませんが…。
「こっちが3等だよ。ほら、ちゃんと下に書いてあるよ」「いや、でもね違うんだよ」というやり取りをおおよそ10分程はしたでしょうか。
折れない小僧に負け、しぶしぶラジオを渡してくれました。10分間のやりとりで、小学生ながら感づいたことがあるのです。おじいちゃんは、口を滑らせ、当たりは入っていないというニュアンスの話をうっかりしてしまったのです。
本当は 0/98 の設定にしていた「イカサマクジ」でした。それを私が当たりを引き当ててしまったのです。店主の設定ミスのおかげで…。これが第二のトラウマとなりました。
やっとの事で当てたラジオですが、うれしくて毎日のように聴いておりました。寝る時も横に置いていた記憶があります。しかしあまりにもいじくりすぎて半年も経たずして壊れてしまいました。
私にいくつものトラウマを生み出したクジ屋。それ以降、そこには行くことは無くなってしまっておりました。数ヵ月が過ぎたある日。友達に比較的に裕福で、小学生の分際でお小遣いを月に数万円もらっている花輪くんのような社長息子がおりました。その子からある話を聞いたのです。
「そのクジ屋でスーパーボールのクジを全部引いたけれど、1等は最後まで出なかった」と言うのです。「結局、おじいちゃんに1等のでかいボールを300円で売ってもらった。」と、いう話でした。花輪くんは騙されたというよりも、自慢っぽく話しておりましたが、私は、「ああ、やっぱりそうか」と、怒りよりもむしろ納得しました。
私が小学生低学年にして、「大人はイカサマをするもの」と、気づいた瞬間です。
この事がきっかけで全ての事をまずは「本当に大丈夫なのか?」と疑って入る、ちょっとひねくれた大人へと成長してしまいました。
しかしその性格せいで何度もイカサマに気づいて回避する事もできました。太刀打ちできないイカサマと疑わしい案件には近づかないよう、心に刻んでいるおかけで荒波もかいくぐって生き残れたと言えます。
ついこないだ、車の販売修理を行ってる会社の不正がニュースになりましたし、産地偽装・横領・詐欺のニュースが絶え間なく報道されています。これは氷山の一角で、もっと想像以上の人間がイカサマをしています。
将来、事業などを計画されている方は、是非とも世のイカサマに惑わされないよう気を付けてください。
その後の、クジ屋には続きがありますので少し語らせて頂きます。私は小学生高学年になり、クジ屋には行くこともなくなっていました。近所でも悪名名高い悪ガキがいたのですが、そのくじ屋でイカサマ被害にあったようで、仕返しに投石でクジ屋のガラスを割りまくる事件がありました。
激高したクジ屋のおじいちゃんが、その親へ抗議に行ったのですが、その親も一癖ある人物。返り討ちに合ってしまい、結局、被害を泣き寝入りすることになりました。また、それが原因でクジ屋をたたんでしまいました。
当時は、嫌な思い出としか考えていませんでした。しかし、大人になってからはクジ屋程度のイカサマであれば社会に出る前の学び場として最適だったな、と気づきました。このような経験の無い方に、教訓として共有して頂ければと考え、まとめてみました。
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