<個人的な評価:10点中8点>
下記、個人的な感想。
ネタバレあり。
下記、個人的な感想。
ネタバレあり。
Netflixオリジナルのポーランド映画。「ヴロツワフ」というポーランドにある街が舞台だ。
「ヴロツワフ」で18世紀の“疫病週間”に行われた処刑方法になぞらえた連続猟奇殺人事件がテーマのサスペンス。
内容もなかなか面白いが、とにかく、グロの面で評価したい。
あと、冒頭の主人公の意味不明なシーンは伏線で、最後のオチに繋がる。
犯人捜しや謎解き要素は、そんなになかったが、「犯人の二面性+グロ」の方面で大きく評価したい。
とにかく、グロい。有名なグロ・サスペンスミステリー映画『SEVEN』と比較されるが、それと同じぐらい、もしくは、もっとグロいと感じるだろう。(オチ的には、Seven より、私はこっちの方が好きだけどね。)
グロが苦手な人にはおススメしない。
グロ方面では、映画のハンニバルシリーズや、SAWなどを余裕で観れる人は、大丈夫だろう。
私はグロは決して好きなわけではないが、蟲系や拷問系のグロ以外なら、余裕で観れる。
これは、あくまでも殺人事件なので、ミステリーサスペンスとして観た。
しかし、なかなか強烈に、グロい描写を、そこまで見せるのか〜って意味で感心したよ。
ミステリー映画としては、もう一味欲しいところだけどね。あまり謎解き要素はない。
主人公の女刑事もプロファイラーのおばさんも、派手さはない分、リアリティは増してる。
そういうのが日本の作品にはないよね。見た目が美女の刑事しかいないじゃん。刑事というより普通に俳優や女優だよな?と毎回、感じるので、職業的な説得力はない。
私は、美男美女は好きなんだけど、リアリティを追求したサスペンスやミステリーの場合は、見た目の良さは求めてない。この作品は、リアリティーを追求したのだろう。
しかし、主人公の女刑事が刈り上げヘアなので、もしかして、ポリコレ要素でありがちなレズビアンかな?また、そういう余計なポリコレ要素が入ったら嫌だなと思ったが違った。
主人公は夫を過去に理不尽な事故で亡くした未亡人だ。
そして、主人公の相棒としてやってきたプロファイラーも元軍隊に入っていたガタイのいいおばちゃん。
2人は、ヴロツワフで18世紀の“疫病週間”に行われた処刑方法になぞらえた連続猟奇殺人事件に挑む。
日曜日以外の毎日午後6時に罪を犯した者が、18世紀の処刑方法に擬えて公開処刑で惨殺される。遺体には烙印がおされていて、検視や解剖で、わかった事だが、生きている間に烙印をおされていて、全員、苦しみながら死んでいった。とにかく殺し方もグロいし、遺体もバッチリみせてくるので、本当にグロい。そこがまた良いんだけど。殺人を全てまとめると...
1)月曜日
烙印:「堕落者」
現場:市場の一角
殺害方法:牛革の中で殺される
2)火曜日
烙印:「略奪者」
現場:街中
殺害方法:2頭の馬に体を引きちぎられる
3)水曜日
烙印:「汚職者」
現場:オペラ会場
殺害方法:地獄の業火に焼かれる
4)木曜日
烙印:「中傷者」
現場:警察署
殺害方法:窓からくくりつけられて落下
5)金曜日
烙印:「抑圧者」
現場:街中
殺害方法:鉄の処女使用のドラム缶に閉じ込められ街中に放り出される
これらの一連の猟奇殺人の犯人は、実は相棒として入りこんできたプロファイラーのおばちゃんだったのだ。味方と思ってた人が実は犯人だった。
犯人に関しては、中盤を少し過ぎたあたりから明らかにされたので、犯人わかるの早すぎない?しかも主人公が、推理にたどりついて犯人を突き止めたわけでもなく、単純に犯人がバレたといいか犯人側からバラした感じ。主人公だけど名探偵という立ち位置ではない。犯人がわかったのが早すぎるから、真犯人に関しては、最後にどんでん返しがあるのかな?と思ったが、話が進むにつれて、いや、普通にこいつが犯人で間違いないし、動機や殺害方法について作中で説明がされてたので、なるほと!と思った。
サイコパスによる殺人事件にみえるが、実際は、どの動機も私は共感できたし、こんなに酷い殺し方をしているのに、犯人に同情をしてしまった。
殺された人達は、全員人間のクズ。彼ら一人一人は、別に殺人者ではないが、それぞれ人に酷い事をしていて、犯人も連中の被害者だ。
法が裁けないなら、自分が裁くといった感じ。もうこの世に絶望しているんだろう。
そして、犯人は最初から死ぬ気だった。
犯人には可哀想な家族がいる。
犯人は、自分が死んだら、難病の子供達や面倒をみている犯人の母親にお金がいくように、自分に保険をかけいた。どうせ死ぬ予定だったのだ。どうせ死ぬなら、自分たち一家を理不尽に苦しめた連中を殺害してから死のう!といったかんじ。だから犯人はサイコパスではない。やっている事は残酷で狂気の沙汰だけどね。殺すなら、ブレスラウの凶禍になぞられて、殺そうと。
ブレスラウの凶禍とは、18世紀に、堕落、強盗、賄賂、中傷、抑圧、不正という罪を犯したものを公開処刑した出来事だ。
(今の民主主義の国々は、犯罪には厳しくなったが、死刑は滅多にないし、死刑だとしても拷問や公開処刑ではない。処刑方法が甘くなったせいで、逆に犯罪者が増えているだろうな。皮肉なものだ。悪い事をしたら、こういった処刑をされるよってのがあれば犯罪も減るのに)
さて、第六の殺人は、まさに犯人自身の自殺。
彼女は、自分を断頭台で処刑したのだ。迷う事なく、ちょうど午後6時に!
その前に犯人は、主人公に全てを託していたのだ。自殺では家族に保険は入らないので、自分が殺された事にしてくれと。この犯人主人公が自分に感情移入して協力してくれると、自分が死んだあとに、処理をしてくれると信じて託したのだ。
主人公は最初は嫌がったが、でも犯人の可哀想な家族を助けてあげたい一心で、犯人の自殺を殺人にみせかけて処理をしたのだ。
そして、主人公自身は、なんと...
犯人の後を引きづいて、処刑者になっていく....というオチ。
自分の夫を殺したのに、のうのうと生きている男に復讐処刑。
この作品、いいなと思ったのは、主人公や犯人の二面性が描かれていること。
実は犯人は、凶悪で残忍な処刑者(復讐者)であると同時に、情にとってもあつい人でもあり、主人公の同僚が昏睡状態から意識が戻ったのも、彼女のおかげなのだ。
この犯人は、大切な家族を失い、残されてしまった家族に、とても感情移入しているのだ。
自分みたいな人をみるのが辛い。だから情に深いのだ。その点からも、彼女はサイコパスではなく、処刑者だ。
正義気どりの処刑者ではなく、彼女は、自分と自分の家族に酷い事をした者にたいする復讐者でもあるから、余計に、彼女の行動は理解できる。
もちろん、決してこれが正しい復習方法とは思わない。
でも理解はできるし、同情してしまったよ。