『女王蜂 (1978)』
<個人的な評価:10点中6点>
下記、個人的な感想。
ネタバレあり。
下記、個人的な感想。
ネタバレあり。
前に、SMAPの稲垣吾郎さんと栗山千秋さんが演じてたもので、一回、観た事がある作品だが内容も犯人も忘れた。でも、神秘的な印象がいまだに残っている作品だ。
今回は、1978年版の映画のを観た。
暇つぶしには、良いと思う。
けど、女王蜂ね....
犯人は、両親の仇の為に復讐に手を染めた、嫉妬に狂った男だったけどね。
個人的に、女王蜂らしいキャラはいなかった。
神尾秀子というキャラは、女王蜂というより、拗らせた片思い女だったし。
大道寺智子も存在が薄すぎるし、巻き込まれた弱い女って感じ。
大道寺智子役は、やはり、あの栗山千秋さんが演じたのがしっくりくる。
ストーリーの中身はともかく、彼女は神秘的な印象だったし。あの見た目と存在感だけで、女王蜂というのがしっくりくる。
今回の女優さん(名前わからない)が演じた大道寺智子は、ただただ存在感が薄い巻き込まれた弱い女だ。
彼女の母親である琴絵も、女王蜂という印象はなく、これも、ただの哀れな女性。
琴絵は、とても儚い感じの美人で、個人的に好きな系統の顔立ちだけど。
ただ神秘的な印象はない。
美人といえば、個人的に、蔦代さんって人も好き。(妾というポジションだけど、奥様である琴絵に、自分の代わりに夫の世話をよろしくと頼まれた人)
性格もよく、キャラもいいんだけど、彼女も、これまた、女王蜂という印象はなく、良い意味で、昔気質の誠実な人という感じ。主役というより、影に徹するタイプ。
琴絵も、どっちかっていうと儚い感じなので、影のポジションだ。
存在感が一番ある女性なら、強いていえば、神尾秀子だけど、結局、恋愛脳こじらせた片思いの悲しい人だったしなー。うーん。
やっぱり、印象としては、稲垣吾郎さんと栗山千秋さんが演じた作品の方が、個人的に好きだ。
女王蜂を、人間の女性に例えると、私が持っている印象というのは、クレオパトラとか、楊貴妃とか、そういうタイプの女性。傾城の美女タイプ。私の好きなフィクションに例えると、Game of ThronesのCersei Lannisterのような女性。
そこらへんにいるタイプの美人ではなく、絶世の美女と名高く、見た目は、麗しく儚さもあるが、裏がある女性で、狡猾さや冷酷さもあり、なにかと、まわりの男たち(1人じゃなく複数)を誑かしたり、利用したりして、時には戦争の引き金になったり、挙句の果てに、自分自身が、女王になったり、権力者になったり。
そして、共通しているのは、家族にしろ恋人にしろ敵にしろ、関わってしまった男は、ろくな運命を辿らない。男に利用されるというより、男を利用する立場の女性だ。
でも、やはり、どこか人間らしく、生きるのに必死で、自分の子供を守るのに必死な人。
それが、私が持っている女王蜂のイメージだ。
片思いをこじらせて、男の為に死んだ神尾秀子は、少なくとも、私が持っている女王蜂のイメージはない。
とはいえ、原作は読んでいないので、実際はどんなストーリーかは知らないし、色々とリメイクされているので、たまたま、この実写版がそうだっただけかもしれない。
暇つぶしには、面白かったけど、特に響くものはなかった。