2016年09月23日
母親の紙おむつ姿・・・一瞬だったが、忘れられない。
父の紙おむつを母が
我が家には、紙おむつが沢山ある。
父が要介護状態で、その父を母が看ていた。
父が初めて紙おむつを使うことを余儀なくされたのは、
父が56歳の時だったから、今から14年前になる。
脳梗塞で病室のベッドから離れることが出来ない状態。
尿道に管を入れることをかたくなに拒否した父。
残された道は・・・「紙おむつ」の装着。
悔しさを前面に出しながら
父は紙おむつを履いた。
父のプライドはそれだけでずたずたにされただろう。
それから十数年・・・今度は母に順番が・・・
末期の肺がんは腎臓と骨に転移
骨に転移したこととの関連はわからないが、
痛み止めが効かなくなった。
全く効かなかったわけではないが、
服用の間隔ギリギリを狙って
最大回数を服用していた。
それは強い副作用を伴った。
主に眠気だった。
意識が飛ぶ・・・という表現が適している・・・
そう思うほどに、母は意識もうろうとなっていた。
腎臓への転移は、むくみをもたらした。
パンパンだった。
排尿の回数が減った。
おしっこがあまり出なくなった・・・
夜になると尿意をもよおした。
しかし、トイレまでの移動が大変だった。
最期は紙おむつしかなかった。
一瞬だけ見えた母のおむつ姿
それまでは、母とは別の部屋で寝ていた自分でしたが、
最期は母が動けなくなったことで、
同じ部屋で寝ていた。
トイレは起こしてもらい、キャスター付きの椅子に座らせて
トイレまで移動した・・・母の車椅子はなかった。
車椅子は父が使用している・・・その父は施設にいる。
移動中、高濃度酸素吸入器からのチューブが邪魔だったが、
踏まないように、絡まないように細心の注意をした。
トイレ前で降ろして、トイレのドアの開け閉めをしてあげたが
閉めるときに、母がパジャマのズボンを
降ろす瞬間が目に入った。
母の紙おむつ姿・・・後姿だったが、
今でも目に焼き付いている。
ほんの一瞬だった・・・それこそ一秒もない。
母はパンツすら履けない状態だった。
その後もパンツを履くことなく、
母は永眠した。
68歳の冬・・・それはわかり切っていたお別れだったが、
自分にとっては急なお別れとなった。
心の準備は整っていなかった・・・。
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