2016年07月08日
母親の死を初めて覚悟した日
入院から1年で他界してしまった母、
行年68歳・・・現在の日本人女性の平均寿命年齢が確か86.6歳
だったと思いますが、それと比較すると、約20年早い。
他界する前日の夜に、「いい人生だった!」という言葉と、
「でも、もう少しこっち(現世)に居たかった」とも言っていました。
母の正直な気持ちだと思います。
あっという間に過ぎ去った、母と私たちの闘病生活は
良くも悪くも、濃い想い出として心に焼き付いています。
私の覚悟
2014年末、母が倒れたとの連絡が入ってすぐに仕事を切り上げて
母の職場へ直行する車中で、私は祈るような気持でした。
意識障害、生あくび、寝てしまう・・・
聞いた限りでは、明らかな脳の疾患・・・
脳内出血・・・クモ膜下・・・脳梗塞・・・
すでに倒れてから2時間近くが経過していた。
自分が行くまで持ちこたえて欲しい・・・
逝かないで欲しい・・・いろんなことを考える中、
もしかして・・・間に合わないかもしれない・・・と、
現実的にも考えました。
しかし、母は逝かずに待ってくれました。
病院で会話が出来た時、思わず涙が溢れ出したことを
思い出します。
生きていてくれて良かった・・・と、
話をすることが出来て良かった・・・、
その時、素直にそう思いました。
終わりの始まり
母は即日入院しました。
診断結果は脳内で出血した痕跡があること、
腫瘍があるかもしれないということでした。
詳しくは入院して検査とのことで、MRI造影撮影、カテーテル検査、
最初に入院した病院設備には限界があり、もっと詳しく検査をする
必要がある旨の説明を頂き、大学病院を紹介されました。
転院後の母に課せられたのは、全身検査でした。
脳に腫瘍があることが確定したと同時に、原発巣が母の
体のどこかにあることも判明したのです。
脳腫瘍は転移性の脳腫瘍だったのです。
原発巣は勿論のこと、更に他の臓器に転移していないかを
くまなく検査する・・・五臓六腑、骨までも・・・、
骨髄液の検査が一番辛かったとも言っていました。
母は肺がんでした、転移が認められると言うことで
必然的に病期はステージWとなり、治療をしなければ
余命は2か月との宣告がありました。
母は治療を受けることを決意してくれました。
ここまで約3週間での出来事。
突然のドタバタ劇で頭の整理がつかないなりに、
母の命について現実的に考えるというきっかけをくれた。
そして、自分でも気が付かないうちに、心の中で
母の死に対しての準備を始めていたのでした。
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