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2018年11月22日
教室の机を揃える 〜若手の先生方へのアドバイスC〜
教室の机が乱れていると、クラスの雰囲気が悪くなる。
雑然とした中では、良い授業など絶対にできないだろう。
教室の机は、縦横がそろってこそ、整然とした状態になる。
だから、教師は机の整頓を強く意識しなければならないと思う。
ベテランの先生なら、授業開始時に机が乱れていたら、必ず
「机をそろえなさい。」
と言う。しかし、机の整頓に無頓着な先生は、机が乱れたままで授業をしようとする。
しかし、これでは授業を始める状態になっていないということを知るべきだ。
授業がうまくいっていない先生の授業は、たいてい机が乱れたままになっている。
小学校や、中学でも学校によっては、床に机の位置のマークが付けてある。
このマークがあれば、素早く机の整頓ができるだろう。
しかし、私のクラスでは、あえてマークはつけていない。
「マークがなくても、縦横きっちりそろえる」、ことを指導しているからだ。
確かに掃除の時などには、マークがないために、多少の時間がかかる。しかし、生徒たちはどうしたらきれいに整頓できるか、あれこれと工夫をする。そして、しばらくすると、マークなどなくても、きちんと机が並べられるようになる。
授業の初めに机が乱れている場合でも、前列さえそろえられれば、全員が左右を見ながら、さっとそろえられるようになるのだ。
何も考えずにマークに合わせるよりも、『互いを意識』しながら机を整頓そろえられた方が、「全員で協力してきれいに並べよう」、という意識になる。
「席を立ち上がる時に、椅子を入れる」、という習慣も定着させたい。
それが、「まずは自分のことよりも、公共のことを考える」、訓練になるだろう。
凡事徹底の部分だが、まずは『意識する』ことが大切だ。
「何も考えない行動ではなく、意識しなければならない行動へマインドを変えていくことが、公共心を育てることにもつながっていく。
いつもきれいな状態であれば、乱れたときにはよく目につくようになる。
生徒の目が肥えるようになるためにも、常に美しい状態を維持しておくべきだ。
先生の指示がなくても、生徒たちが自然に、当たり前の行為として、机の乱れを直してゆければ、最高だ。
かつて学校が荒れていたとき、
『服装の乱れは心の乱れ』と言われたことがあるが、『机の乱れは、教室の乱れ』に直結する。
黒板を徹底的にきれいに、カーテンをまとめ、掲示物をきちんと管理。まだまだいろいろあるが、教室に入った瞬間、
「整ってるな…。」
と、思えなければ、何か足りない部分があるということを認識しておきたい。
もちろん、私自身もまだまだ完璧ではないのだけれど…。
雑然とした中では、良い授業など絶対にできないだろう。
教室の机は、縦横がそろってこそ、整然とした状態になる。
だから、教師は机の整頓を強く意識しなければならないと思う。
ベテランの先生なら、授業開始時に机が乱れていたら、必ず
「机をそろえなさい。」
と言う。しかし、机の整頓に無頓着な先生は、机が乱れたままで授業をしようとする。
しかし、これでは授業を始める状態になっていないということを知るべきだ。
授業がうまくいっていない先生の授業は、たいてい机が乱れたままになっている。
小学校や、中学でも学校によっては、床に机の位置のマークが付けてある。
このマークがあれば、素早く机の整頓ができるだろう。
しかし、私のクラスでは、あえてマークはつけていない。
「マークがなくても、縦横きっちりそろえる」、ことを指導しているからだ。
確かに掃除の時などには、マークがないために、多少の時間がかかる。しかし、生徒たちはどうしたらきれいに整頓できるか、あれこれと工夫をする。そして、しばらくすると、マークなどなくても、きちんと机が並べられるようになる。
授業の初めに机が乱れている場合でも、前列さえそろえられれば、全員が左右を見ながら、さっとそろえられるようになるのだ。
何も考えずにマークに合わせるよりも、『互いを意識』しながら机を整頓そろえられた方が、「全員で協力してきれいに並べよう」、という意識になる。
「席を立ち上がる時に、椅子を入れる」、という習慣も定着させたい。
それが、「まずは自分のことよりも、公共のことを考える」、訓練になるだろう。
凡事徹底の部分だが、まずは『意識する』ことが大切だ。
「何も考えない行動ではなく、意識しなければならない行動へマインドを変えていくことが、公共心を育てることにもつながっていく。
いつもきれいな状態であれば、乱れたときにはよく目につくようになる。
生徒の目が肥えるようになるためにも、常に美しい状態を維持しておくべきだ。
先生の指示がなくても、生徒たちが自然に、当たり前の行為として、机の乱れを直してゆければ、最高だ。
かつて学校が荒れていたとき、
『服装の乱れは心の乱れ』と言われたことがあるが、『机の乱れは、教室の乱れ』に直結する。
黒板を徹底的にきれいに、カーテンをまとめ、掲示物をきちんと管理。まだまだいろいろあるが、教室に入った瞬間、
「整ってるな…。」
と、思えなければ、何か足りない部分があるということを認識しておきたい。
もちろん、私自身もまだまだ完璧ではないのだけれど…。
強制補講
ベネッセの速報が出たので、学年ごとに成績を集計してみると、どの学年も2ポイント以上成績がダウンしていることが分かった。
「この結果出ても、放課後の補講は続けるんですかね。」
隣の担任が、ぽつり…。
入学生徒のレベルが落ちてきたので、学力アップと、保護者のニーズに応えるためにと、主として成績不振者を集めての補講を始めたのが今年の4月。原則部活動をやらない、火曜日と金曜日の放課後に、7時間目、8時間目の時間帯に行われている。
昨年は、
「『たくましい』生徒を育てよう。」
という校長の号令のもと、希望すれば火曜日と金曜日にも部活動ができたのだが、今年度からは一転、方針が変わり、部活は禁止になり、『強制補講』が実施されるようになった。
この『強制補講』、実は、生徒も先生も不幸せなことになっている。
対象生徒が成績不振者であるためか、彼らは補講を「逃げる」のである。
だから、担当教員らは、校舎内を探し回ってでも、彼らを教室に連れてくる。
そうした教員たちの心労に加え、そこまで逃げ回る生徒たちのモチベーションもきわめて低い。
しかも強制的にやらされている中での、成績アップは望めない。
「宿題をやらない生徒を居残りさせて宿題を解かせる」、のであればまだしも、特定の生徒ばかりを呼び出して、プリントやら宿題を解かせるというシステムは、うまくいっていない。
どうやら、お互いが疲れてしまって、もはや機能不全を起こしているようだ。
昨年一年間は、どんどん成績が上がった。
そのときは、強制の補講はなかった。
「何故この結果出たのか、分析しなさい。」
などと、校長からの大号令がかかりそうだが、もとよりこの方法では向上は難しいことは見えていた。
生徒が意欲的に勉強することができれば、成績は自ずと上がっていく。
保護者対策、募集対策としての意味合いもあったのだろうが、主役は誰なのかを忘れてはならない。
「教員がどんなに意見しても、校長は話を聞かないからなあ…。」
そんなぼやきが聞こえてくる。
保護者からの意見は、クレーム対策としてすぐに対応するが、教職員たちの意見は、なかなか反映されない。
模試対策をして、クラスで目標を決め、個人の目標もクラスに掲示し、授業でも対策をしてなお、この結果であるということは、何かが間違っていると言わざるを得ない。
教育の世界は、現在進行形で生徒が存在する。
失敗が予想されるような実験は、慎まなければならないのではないだろうか。
「この結果出ても、放課後の補講は続けるんですかね。」
隣の担任が、ぽつり…。
入学生徒のレベルが落ちてきたので、学力アップと、保護者のニーズに応えるためにと、主として成績不振者を集めての補講を始めたのが今年の4月。原則部活動をやらない、火曜日と金曜日の放課後に、7時間目、8時間目の時間帯に行われている。
昨年は、
「『たくましい』生徒を育てよう。」
という校長の号令のもと、希望すれば火曜日と金曜日にも部活動ができたのだが、今年度からは一転、方針が変わり、部活は禁止になり、『強制補講』が実施されるようになった。
この『強制補講』、実は、生徒も先生も不幸せなことになっている。
対象生徒が成績不振者であるためか、彼らは補講を「逃げる」のである。
だから、担当教員らは、校舎内を探し回ってでも、彼らを教室に連れてくる。
そうした教員たちの心労に加え、そこまで逃げ回る生徒たちのモチベーションもきわめて低い。
しかも強制的にやらされている中での、成績アップは望めない。
「宿題をやらない生徒を居残りさせて宿題を解かせる」、のであればまだしも、特定の生徒ばかりを呼び出して、プリントやら宿題を解かせるというシステムは、うまくいっていない。
どうやら、お互いが疲れてしまって、もはや機能不全を起こしているようだ。
昨年一年間は、どんどん成績が上がった。
そのときは、強制の補講はなかった。
「何故この結果出たのか、分析しなさい。」
などと、校長からの大号令がかかりそうだが、もとよりこの方法では向上は難しいことは見えていた。
生徒が意欲的に勉強することができれば、成績は自ずと上がっていく。
保護者対策、募集対策としての意味合いもあったのだろうが、主役は誰なのかを忘れてはならない。
「教員がどんなに意見しても、校長は話を聞かないからなあ…。」
そんなぼやきが聞こえてくる。
保護者からの意見は、クレーム対策としてすぐに対応するが、教職員たちの意見は、なかなか反映されない。
模試対策をして、クラスで目標を決め、個人の目標もクラスに掲示し、授業でも対策をしてなお、この結果であるということは、何かが間違っていると言わざるを得ない。
教育の世界は、現在進行形で生徒が存在する。
失敗が予想されるような実験は、慎まなければならないのではないだろうか。