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2018年11月01日

地獄的ないじめの構図

「ここにE君がいます。」
そう言いながら、私は黒板に一つの丸を書いた。
「そして、これがK君です。」
と、そばにもう一つの丸を書いた。

K君がE君をいじめている。
いじめられたE君は、負けじと一生懸命応戦する。一人相手なら、なんとかなることもある。
そこへ、新たにO君がやってきた。何か面白いことをしているように見えたのだ。
O君は、K君がいじめている姿を見て、E君が応戦しているのを見て笑っている。
ここで、O君、K君は一つのグループになる。笑ってみているだけでも、それは同罪。
ここで2対1のいじめの構図が完成する。

そこに今度は、F君がやってきた。「何、やっているのの…」と、グループに加わる。
F君は、この状況を見てはやし立てた。さらに騒ぎを大きくしたのだ。
ここに3対1のいじめの構図になった。

さらに二人がやってきて、仲間に加わる。その二人は、その様子を見て、ただ笑って見ている。ニヤニヤしているのだ。これも、いじめの仲間。
これで、とうとう5対1のいじめに発展した。

こうなると、E君はもう、太刀打ちできない。言われるがまま、なされるがままになる。
たとえ、肉体的な暴力ではなくとも、言葉の暴力は、E君を傷つける。
言葉は生き物だから、いうろいろな形に姿を変える。
暖かな愛の形にもなれば、鋭利なナイフや、矢、銃弾のようにもなる。

ここにあとから集まったグループのメンバーは、必ずこう言う。
「僕は何もしていません。ただ見てただけです。」
「ただ笑っていただけです。」
「止めようと思ったんですけど…。」
「僕だけじゃありません。」

そして、最初からいたK君のような立場の人は、必ずこう言う。

「深い意味はありません。」
「何となくやったんです。」
「つい、口をついちゃって。」
「別に傷つけるつもりはなかったんです。」
「反射的にやっちゃいました。」
「ふざけただけです。」
「だって、あいつが…だから。」

一方で、これを天国的な逆の構図にしたらどうだろう。

悩んでいるE君がいて、そこにK君がやってくる。
「どうしたの?」
と、優しく声をかけて、
「僕にできることがあったら、なんでもするよ。」
と言う。
次にやってきたO君も、
「一緒に解決していこうぜ。」
と、心に寄り添う。

つぎにやってくる二人も、優しく接する。
これが、集団で、一人を救済しようという構図になる。
これが天国的なスパイラル。

集団で一人を責めれば地獄。
皆で助け合おうと、手をさしのべれば天国。

地獄的な構図にならないためには、一人ひとりが、自立すること。
安易に流されないこと。
本能のままに生きないこと。
周りのことを考えて行動すること。
次に起こりうることを予想して、発言すること。

こんな注意が必要となる。

これが、今朝、私が朝の会で私が話したこと。

その間、ずっと校長が私の話を聞き続けていたことも銘記しておく。

TANP

Slim Slender(スリムスレンダー)

あったか【定率】

什の掟

会津藩校『日新館』に入学する前の遊び仲間(6歳〜9歳)が、毎日唱和し合う戒律に、『什(じゅう)の掟』というものがある。

『日新館』の講話の中で、この『什の掟』の紹介は、生徒たちのインパクトが強い。

今で言う、小学校低中学年が、このような決まりを守りながら生活していたことに驚くのだ。
もちろん、それ以上の年齢には、それに応じた心得があるし、学びの内容も、極めて高度でかつ実学に沿っている。

遠足で見学した施設の中で、時程の遅れにより、最も滞在時間が短かったにもかかわらず、生徒たちが一番印象に残っているのが、『日新館』であった。

昨日、まとめとして、「遠足で見つけたクールジャパン」というテーマで、班ごとにポスターを作らせたが、そのほとんどが『日新館』を特集したポスターだった。

 一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
 一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
 一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
 一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
 一、戸外で物を食べてはなりませぬ
 一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
 ならぬことはならぬものです


このうち、『戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ』は、さすがに現代の世の中では当てはまらないものだが、その前の、『戸外で物を食べてはなりませぬ』は、少しその文化が残っている。

世の中がアメリカナイズされて、歩き食いが違和感なくなってきた昨今だが、多くの学校では、食べながら廊下を歩いていたら、さすがに注意を受けるだろう。

しかし、最初から5つめまでは、現代でも通用する道徳訓であろうと思う。

会津武士は、幼少期から、『什の掟』によって、武士道につながる潔さを体得していたのだろう。

最終行の『ならぬことはならぬものです』は、「固く守るべきものである」という意味だそうで、「駄目なものは駄目」という意味ではないそうだが、どちらも「きちんと守れ」という意味は含まれる。

『日新館』は、『国の発展の基礎は人材の育成、すなわち教育にあり』という考え方により、設置された藩校である。各藩で競って藩校が設置されいくが、会津藩も優秀な人材が育っている。

現在の学校も、この考えに変わらない。

教育が荒廃すれば、社会が乱れ、国は衰退していく。
また、間違った思想を教育すれば、国の進む方向は間違ったものになる。

『自分たちにはとても真似できない厳しい生活の中で、学び、身体を鍛え(文武両道)ながら生活していたんだ。』、ということがよく分かった。

そんな感想が目立った。

「遠足という名の社会科見学」とも揶揄されたが、彼らなりに学びが得られたらしい。













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