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2018年11月20日

教室の掲示物に書き込みをしたら… 〜若手の先生へのアドバイスA〜

教室に掲示している張り出しに、勝手に書き込んだり、落書きする生徒がいる。
これは『しつけ』の問題。何もしなければ、一人の行為が、クラス全体、学年全体に波及する。

4月、クラス開きの時の約束事で、「掲示物は私物ではありません」と、こんこんと語るのが定番。
ただ、新年度当初は忙しく、忘れてしまうこともある。
年初にクラスの約束事を決め、、周知徹底させることは大切なことだが、あまりにたくさんの、「○○してはいけない」があると、教師も生徒も悲しくなる。
だから、そんなときは、「書き込み一人目」を活用して、しつけてゆけばよい。

誰かが、書き込みをしたときが、指導のチャンス。
やってしまった生徒には気の毒だが、ここぞとばかりに「しつけ」が始まる訳だ。

これは、できるだけ早い時期にやっておかないと、大切な掲示物にもイタズラをされる可能性があるので、概ねごゴールデンウイークまでに終えておく。
そうでないと、写真に書き込みをしたり、イタズラしたり…、と掲示物の「荒れ」がエスカレートしていく。
先延ばしをすればするほど、
「なんで俺だけ…。みんなもやっているじゃないか。」
と、生徒が思い、指導にかけるエネルギーが増えてしまう。

一番駄目なのは、何か事件が起きてからの後手後手の指導である。

例えば、写真に落書きをするという事件が起こったとき、もちろん「書き込む」のは悪いことだが、「平気で書き込みをしまうクラスのムードを放置していた」という責任も生じるのだ。担任らが、何も感じることなく、事が起こってから、初めて指導の不備に気づくようでは遅い。
できたらそうならないように、事前に手を打っておこう、と言いたいのである。

仏教では、初期の釈迦教団では、「比丘の二百五十戒、比丘尼の三百四十八戒」と、二百、三百あまりの戒律ができた。これは、隋犯隋制(ずいぼんずいせい)と言って、仏陀が「何か過ちが起こるたびに規則を作っていった」もので、だんだんと増えていったのだ。釈迦教団は、学生(がくしょう)であり、学びの場でもあったので、それを妨げる行為は、次々と禁止されていったのである。

現代の学校も、事が起こるたびに、どんどん規則が増えていく。
そうならないためにも、できだけ教師の経験と智慧で、余分な規則ができないように、「手を打っておくべき」だと思う。

いくら生徒に、
「どうして書き込むの…。」
などと聞いたところで、おそらくは、
「何となく…。」
という言葉しか返ってこないだろう。
昨今の生徒は、『何となく』イタズラをする。

本当は、『何となく』の裏に、「自分の方を振り向いてくれ」、「私の叫びに気づいてくれ」というメッセージがあるのだろうが、だからと言って許されるものではないだろう。そうした生徒たちは、事前に察知して、注意深く観察しておくべきだ。

ちなみに、一般的には、掲示物への書き込みの前に、黒板への落書きが起こる。

「落書きくらい、いいだろう…。」
と、放っておくと、どんどんエスカレートしていくので、要注意だ。








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