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2021年10月08日
「どうして相談してくれなかったの?」は、親の自己保身。
「実はあのときいじめを受けていた」
何年も経って、子どもからこんな告白をされたとき。
親は
「どうして相談してくれなかったの?」
「どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」
と返していないだろうか。
「どうして相談してくれなかったの?」は、
「私は子どもの味方」に見せかけた、親のための言葉。
不安や罪悪感から心を守る、自己保身の言葉。
ー目次ー
「いじめられていたあのときに相談してくれたら…。」
「どうして親の私に今まで黙っていたんだろう?」
それは、
親が子どもからの信頼を失っているから。
「親は私を助けてくれない」と思われているから。
何かあるたびに、子どもを否定してこなかっただろうか。
子どもがテストで100点を取ってきても、
「これくらい当たり前」と突っぱねてこなかっただろうか。
子どもが親のお手伝いをぎこちなくやっていても、
「遅い」「それはちがう」「さっさとしなさい」と
言ってこなかっただろうか。
たとえ親でも、
そうやって何をしても否定してくる相手に、
自分の悩みを相談したいと思えるだろうか。
厳しく育てる教育方針だったなら、
それを子どもに伝えただろうか。
子どもは納得していただろうか。
「ほめないのは𠮟咤激励」
「あえて厳しいことを言うのは期待の裏返し」
それを伝えないまま、
子どもに”察してほしかった”と思っていないだろうか。
「どうして相談してくれなかったの?」
そう言う親は、
「相談してくれれば力になるよ」
と言いたいんだと思う。
だけど言われた方は、
それが親の本心ではないことを見抜いている。
『子どもの相談にのる優しい親のように見せて、
本当は「助けなかった自分を悪者にしたくない」んだな
だから「相談してくれなかったあなたが悪い」
ことにしたいんだな』
と。
「どうして相談してくれなかったの?」と言われた子どもは
親の「自分の心を守りたい」意図に気づいている。
『子どもがいじめられているのに気づけなかった、
または気づいていても助けなかった罪悪感から逃れたい。
「子どもに信頼されていない親」と
世間サマから見られる不安から目をそらしたい。』
子どもが絶望するのは、親が自分の悩みを否定するから。
同時に、親の心の根底にある「自己保身」も読み取ってしまうから。
「もう過ぎたことなんだから」
「あのときは余裕がなくて」
親がそういう返答をしたとして、
子どもが納得したように見えたなら。
本当は納得したフリをして落胆を隠している。
なぜなら、親の言葉はもう
「自己正当化の追加」だと見破られているから。
「もう過ぎたこと」
子どもはそれくらいわかっている。
親が昔も今も、自分の不安でいっぱいで、
子どもを気づかう余裕がないことも承知している。
そして、子どもは
あのとき助けてくれなかった親を責めたいわけじゃない。
ただ、気持ちを受け止めてほしかっただけ。
1度でいい。
親に自分の気持ちを肯定してもらいたい。
「そうだったんだね」と、何も聞かずに受け入れてほしい。
それだけで、子どもの心は救われる。
子どもはいくつになっても、
その瞬間が訪れる希望を捨てられずにいる。
本も電子書籍も送料無料の総合書店「honto」
何年も経って、子どもからこんな告白をされたとき。
親は
「どうして相談してくれなかったの?」
「どうしてもっと早く言ってくれなかったの?」
と返していないだろうか。
「どうして相談してくれなかったの?」は、
「私は子どもの味方」に見せかけた、親のための言葉。
不安や罪悪感から心を守る、自己保身の言葉。
ー目次ー
- 否定を繰り返すと”相談してもムダな人”になる
- 子どもを助けなかった罪悪感から逃れたい
- 子どもはただ、気持ちを受け止めてほしかっただけ
1.否定を繰り返すと”相談してもムダな人”になる
「いじめられていたあのときに相談してくれたら…。」
「どうして親の私に今まで黙っていたんだろう?」
それは、
親が子どもからの信頼を失っているから。
「親は私を助けてくれない」と思われているから。
何かあるたびに、子どもを否定してこなかっただろうか。
子どもがテストで100点を取ってきても、
「これくらい当たり前」と突っぱねてこなかっただろうか。
子どもが親のお手伝いをぎこちなくやっていても、
「遅い」「それはちがう」「さっさとしなさい」と
言ってこなかっただろうか。
たとえ親でも、
そうやって何をしても否定してくる相手に、
自分の悩みを相談したいと思えるだろうか。
厳しく育てる教育方針だったなら、
それを子どもに伝えただろうか。
子どもは納得していただろうか。
「ほめないのは𠮟咤激励」
「あえて厳しいことを言うのは期待の裏返し」
それを伝えないまま、
子どもに”察してほしかった”と思っていないだろうか。
2.子どもを助けなかった罪悪感から逃れたい
「どうして相談してくれなかったの?」
そう言う親は、
「相談してくれれば力になるよ」
と言いたいんだと思う。
だけど言われた方は、
それが親の本心ではないことを見抜いている。
『子どもの相談にのる優しい親のように見せて、
本当は「助けなかった自分を悪者にしたくない」んだな
だから「相談してくれなかったあなたが悪い」
ことにしたいんだな』
と。
「どうして相談してくれなかったの?」と言われた子どもは
親の「自分の心を守りたい」意図に気づいている。
『子どもがいじめられているのに気づけなかった、
または気づいていても助けなかった罪悪感から逃れたい。
「子どもに信頼されていない親」と
世間サマから見られる不安から目をそらしたい。』
子どもが絶望するのは、親が自分の悩みを否定するから。
同時に、親の心の根底にある「自己保身」も読み取ってしまうから。
3.子どもはただ、気持ちを受け止めてほしかっただけ
「もう過ぎたことなんだから」
「あのときは余裕がなくて」
親がそういう返答をしたとして、
子どもが納得したように見えたなら。
本当は納得したフリをして落胆を隠している。
なぜなら、親の言葉はもう
「自己正当化の追加」だと見破られているから。
「もう過ぎたこと」
子どもはそれくらいわかっている。
親が昔も今も、自分の不安でいっぱいで、
子どもを気づかう余裕がないことも承知している。
そして、子どもは
あのとき助けてくれなかった親を責めたいわけじゃない。
ただ、気持ちを受け止めてほしかっただけ。
1度でいい。
親に自分の気持ちを肯定してもらいたい。
「そうだったんだね」と、何も聞かずに受け入れてほしい。
それだけで、子どもの心は救われる。
子どもはいくつになっても、
その瞬間が訪れる希望を捨てられずにいる。
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2021年10月06日
かわいいものが好きなのは、警戒して生きてきたから。
リラックマ
キイロイトリ
すみっコぐらし
ペンギン
ウサギ
この子たちのような
「ゆるくてかわいいもの」が好きなのはなぜだろう。
「かわいいものが好き」とは何だろう。
「人の好みはそれぞれだから」
きっと、それだけじゃない。
好きなものには、
その人がどんな環境で生きてきたか、
心の底で何をほしがっているかが映っていると思う。
かわいいものが好きな人はきっと、
幼い頃から強く警戒して生きてきた人。
「かわいい」の根底にあるのはきっと、
安心感を求める気持ち。
ー目次ー
たとえば、こんな環境で生きてきた人にとって、
かわいいものは「安心の保証」になる。
親が支配的
手足が出る
言葉の暴力
過干渉
いつも攻撃に備えて警戒してきた人は、
「かわいい」の裏側にこんな思いもあるんじゃないだろうか。
「この子なら怒鳴らないから警戒しなくていい」
「恐ろしい思いをしなくてすむだろう」
自分を傷つけないことが保証される「かわいいもの」に
安心感を得られるんじゃないだろうか。
マリリン・モンローがこんな言葉を残している。
彼女は幼い頃に両親が離婚し、
孤児院や里親の家をたらい回しにされたそうだ。
どこへ行っても「大切にされた実感」を得られない彼女は、
こんな思いを抱えていたんじゃないだろうか。
「人間は私の心を傷つける、危険な存在だ」
彼女にとって人間は、どれだけ愛情を注いでも裏切るもの。
たとえ肩書きが親であっても。
対して、犬は愛情を注いだらその分だけ懐いてくれる。
心を許しても、決して裏切らない「かわいい」存在。
彼女にとって、犬には
「決して私の心を傷つけない安心感」が
あったんじゃないだろうか。
かわいいものは愛でられる。
優しくなでてもらえたり、抱きしめてもらたりする。
かわいいものへの安心感には、
そういう「かわいがられる行為」への羨望も含まれていると思う。
「私もかわいいもののように愛でられたかった」という、
自分自身の願望を映しているんじゃないだろうか。
安心できない生育環境では、
人を近づけたり触らせたりすることは身の危険になる。
いちばん安心できるはずの親でさえ
自分を傷つけるんだったら、他人なんてもっと危険。
だからこそ、かわいいものに
「近づけても安心な相手がほしかった」
「なでてもらえるくらい心を許せる相手がほしかった」
という願望を映しているんじゃないだろうか。
好きなものはきっと、
その人の無意識の願望を映し出している。
「強そうなもの」が好きなのは、
強さへの憧れや、弱い自分でいたくない気持ちを。
「怖いもの」が好きなのは、
刺激のない現状から逃げ出したい気持ちを。
そして、「かわいいもの」には、
安心できる場所がほしい気持ちを。
かわいいものが好きなのはきっと、警戒して生きてきた証。
かわいいものが好きな気持ちが伝えてくれるのは、
「もう警戒しなくていいんだよ」
「生き残ったあなたは愛でられていい存在だよ」
キイロイトリ
すみっコぐらし
ペンギン
ウサギ
この子たちのような
「ゆるくてかわいいもの」が好きなのはなぜだろう。
「かわいいものが好き」とは何だろう。
「人の好みはそれぞれだから」
きっと、それだけじゃない。
好きなものには、
その人がどんな環境で生きてきたか、
心の底で何をほしがっているかが映っていると思う。
かわいいものが好きな人はきっと、
幼い頃から強く警戒して生きてきた人。
「かわいい」の根底にあるのはきっと、
安心感を求める気持ち。
ー目次ー
- かわいいものにある”攻撃されない安心感”
- マリリン・モンローの言葉”犬は決して私に噛みつかない”
- 願望の投影”私も愛でられたかった”
- 好きなものが映し出す”無意識の願望”
1.かわいいものにある”攻撃されない安心感”
たとえば、こんな環境で生きてきた人にとって、
かわいいものは「安心の保証」になる。
親が支配的
手足が出る
言葉の暴力
過干渉
いつも攻撃に備えて警戒してきた人は、
「かわいい」の裏側にこんな思いもあるんじゃないだろうか。
「この子なら怒鳴らないから警戒しなくていい」
「恐ろしい思いをしなくてすむだろう」
自分を傷つけないことが保証される「かわいいもの」に
安心感を得られるんじゃないだろうか。
2.マリリン・モンローの言葉”犬は決して私に噛みつかない”
マリリン・モンローがこんな言葉を残している。
『Dogs never bite me. Just humans.』
犬は決して私に噛みつかない、噛みつくのは(裏切るのは)人間だけ。
彼女は幼い頃に両親が離婚し、
孤児院や里親の家をたらい回しにされたそうだ。
どこへ行っても「大切にされた実感」を得られない彼女は、
こんな思いを抱えていたんじゃないだろうか。
「人間は私の心を傷つける、危険な存在だ」
彼女にとって人間は、どれだけ愛情を注いでも裏切るもの。
たとえ肩書きが親であっても。
対して、犬は愛情を注いだらその分だけ懐いてくれる。
心を許しても、決して裏切らない「かわいい」存在。
彼女にとって、犬には
「決して私の心を傷つけない安心感」が
あったんじゃないだろうか。
3.願望の投影”私も愛でられたかった”
かわいいものは愛でられる。
優しくなでてもらえたり、抱きしめてもらたりする。
かわいいものへの安心感には、
そういう「かわいがられる行為」への羨望も含まれていると思う。
「私もかわいいもののように愛でられたかった」という、
自分自身の願望を映しているんじゃないだろうか。
安心できない生育環境では、
人を近づけたり触らせたりすることは身の危険になる。
いちばん安心できるはずの親でさえ
自分を傷つけるんだったら、他人なんてもっと危険。
だからこそ、かわいいものに
「近づけても安心な相手がほしかった」
「なでてもらえるくらい心を許せる相手がほしかった」
という願望を映しているんじゃないだろうか。
4.好きなものが映し出す”無意識の願望”
好きなものはきっと、
その人の無意識の願望を映し出している。
「強そうなもの」が好きなのは、
強さへの憧れや、弱い自分でいたくない気持ちを。
「怖いもの」が好きなのは、
刺激のない現状から逃げ出したい気持ちを。
そして、「かわいいもの」には、
安心できる場所がほしい気持ちを。
かわいいものが好きなのはきっと、警戒して生きてきた証。
かわいいものが好きな気持ちが伝えてくれるのは、
「もう警戒しなくていいんだよ」
「生き残ったあなたは愛でられていい存在だよ」
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2021年10月04日
【YouTube:英訳つき自作ミュージックビデオ7作目】魔王魂『白銀の小舟』。
僕は2020年12月より動画制作を始め、
YouTubeへの投稿をスタートしました。
本記事で紹介するのは、
英訳つき自作ミュージックビデオ7作目:
魔王魂『白銀の小舟』
あわせて制作のコンセプトや、使用したものも紹介します。
※著作権フリーの楽曲をお借りしています。
ー目次ー
『白銀の小舟』
水面にたたずむ あなたの姿が
Your figure standing on the surface of the water is
月に照らされた波に揺れてる
swaying in the waves illuminated by the moon.
1つじゃない幸せの答えを寄り添い感じてる
I feel with you an answer of happiness that is not one.
人は寂しさの中 優しさを探し
We search for kindness in loneliness,
想い出を繋ぎ 生きてゆくけど
and live by connecting memories,
辿り着くあの場所は あたたかな想いで溢れていて
but the place we reach is full of warm feelings.
気付いていますか この瞳が 熱い情熱から変わって
Are you aware of it? That my eyes have changed from a burning passion
優しい愛の色になったことを
to a gentle color of love.
いつか恋人よ あなたのこと すべて包み込みたい
Someday my lover, I want to cover all of you.
私の瞳に映る姿 優しく見守れたなら
I wish I could gently watch over you in my eyes ...
ーーーーー
すれ違う心に差し出した手すら
傷付けられるような日もあるでしょう
There will be days when even the hands
that reach out to our hearts that grow apart will be hurt.
涙色したその揺れる想いは あなたを愛しぬく証になる
The tear-colored swaying feelings are proof that I love you.
気付いていますか この想いが 今はかけがえのないものになって
Are you aware of it? My feelings are now irreplaceable.
そう例えば あたたかい海のよう
For example, it's like a warm sea.
いつか恋人よ あなたのこと 海のように包みたい
Someday my lover, I want to cover you like the sea.
私の瞳に映るすべて あなたに届けたいよ
I wish I could convey to you everything that I see in my eyes.
ーーーーー
手と手 触れ合う瞬間に 優しい風が頬を撫でてゆく
The gentle breeze pats my cheeks the moment you and my hands touch.
高鳴るこの鼓動の一瞬
The heartbeat beats only for a moment,
永久に出来るのは記憶だけ
and the only thing that can be done forever is that memory...
星空が月を浮かべている 海は憂い揺れて
The moon is floating in the starry sky, and the sea is swaying with melancholy.
月と海が触れ合う瞬間 見つめていたい
The moment the moon and the sea touch, I want to stare at you.
白銀の小舟に揺られ海に溶けてゆく
My feelings melt into the sea while being shaken by a silver boat.
愛に包まれてゆく
And it will be covered by love.
月のようにあなたを照らすから そっと優しい色で
I will illuminate you like the moon. With a gentle color.
ずっと傍にいるよ
I'll be by your side all the time.
「この恋が叶わないことを知っています」
「それでも月のように、優しい色で、ずっとあなたのそばにいます」
そんな人魚姫の気持ちを表現してみました。
この曲を初めて聴いたとき、
最初に浮かんだのはこの疑問でした。
「どうしてこんなに”儚さ”を感じるんだろう?
もしかして、結ばれた幸せな恋人の話ではないのでは?」
ここから、独自解釈「人魚姫」につながりました。
今作から「カメラ制御機能」の使用に挑戦しました。
今まではタテ・ヨコ・ナナメだけだった視点に奥行きを追加でき、
表現の幅が広がりました。
カメラ位置の調整にはまだ四苦八苦していますが、
新たな表現の可能性にワクワクしながら制作できました。
動画制作に出会えたことは、僕にとって救いの1つになりました。
「自分の内面を表現してもいい場所」
「自分の気持ちを出しても誰にも怒鳴られない場所」
そんな場所があると知れたことで、
少しずつ「自分を表現してもいい」と思えるようになりました。
自分の中に無意識の思い込みがある人、たとえば
「本心を言ったら嫌われる」
「自分の気持ちになんて誰も興味ない」
みたいなものがあると気づけたなら、
ぜひ”何か作品を創る”ことをおすすめしたいです。
そこは誰にも否定されない「あなただけの自由な世界」。
どんな思いをぶつけようと、すべて受け入れてくれる世界です。
YouTubeへの投稿をスタートしました。
本記事で紹介するのは、
英訳つき自作ミュージックビデオ7作目:
魔王魂『白銀の小舟』
あわせて制作のコンセプトや、使用したものも紹介します。
※著作権フリーの楽曲をお借りしています。
ー目次ー
- 制作した動画
- 作品の概要
- 英訳つき歌詞
- 制作の所感
1.制作した動画
2.作品の概要
- コンセプト
著作権フリー楽曲を使い
英訳つきミュージックビデオ風の動画を作ってみる
独自解釈テーマ「人魚姫」を設定する - 使用曲
『白銀の小舟』 - 楽曲提供
魔王魂さま
魔王魂 Webサイト
魔王魂 公式チャンネル - 制作期間
約1ヵ月 - 使用した動画編集ソフト
「AviUtl」
AviUtlのお部屋 - 使用したフリー画像素材サイト
1.「Pixabay」
2.「ニコニ・コモンズ」
3.英訳つき歌詞
『白銀の小舟』
水面にたたずむ あなたの姿が
Your figure standing on the surface of the water is
月に照らされた波に揺れてる
swaying in the waves illuminated by the moon.
1つじゃない幸せの答えを寄り添い感じてる
I feel with you an answer of happiness that is not one.
人は寂しさの中 優しさを探し
We search for kindness in loneliness,
想い出を繋ぎ 生きてゆくけど
and live by connecting memories,
辿り着くあの場所は あたたかな想いで溢れていて
but the place we reach is full of warm feelings.
気付いていますか この瞳が 熱い情熱から変わって
Are you aware of it? That my eyes have changed from a burning passion
優しい愛の色になったことを
to a gentle color of love.
いつか恋人よ あなたのこと すべて包み込みたい
Someday my lover, I want to cover all of you.
私の瞳に映る姿 優しく見守れたなら
I wish I could gently watch over you in my eyes ...
ーーーーー
すれ違う心に差し出した手すら
傷付けられるような日もあるでしょう
There will be days when even the hands
that reach out to our hearts that grow apart will be hurt.
涙色したその揺れる想いは あなたを愛しぬく証になる
The tear-colored swaying feelings are proof that I love you.
気付いていますか この想いが 今はかけがえのないものになって
Are you aware of it? My feelings are now irreplaceable.
そう例えば あたたかい海のよう
For example, it's like a warm sea.
いつか恋人よ あなたのこと 海のように包みたい
Someday my lover, I want to cover you like the sea.
私の瞳に映るすべて あなたに届けたいよ
I wish I could convey to you everything that I see in my eyes.
ーーーーー
手と手 触れ合う瞬間に 優しい風が頬を撫でてゆく
The gentle breeze pats my cheeks the moment you and my hands touch.
高鳴るこの鼓動の一瞬
The heartbeat beats only for a moment,
永久に出来るのは記憶だけ
and the only thing that can be done forever is that memory...
星空が月を浮かべている 海は憂い揺れて
The moon is floating in the starry sky, and the sea is swaying with melancholy.
月と海が触れ合う瞬間 見つめていたい
The moment the moon and the sea touch, I want to stare at you.
白銀の小舟に揺られ海に溶けてゆく
My feelings melt into the sea while being shaken by a silver boat.
愛に包まれてゆく
And it will be covered by love.
月のようにあなたを照らすから そっと優しい色で
I will illuminate you like the moon. With a gentle color.
ずっと傍にいるよ
I'll be by your side all the time.
4.制作の所感
「この恋が叶わないことを知っています」
「それでも月のように、優しい色で、ずっとあなたのそばにいます」
そんな人魚姫の気持ちを表現してみました。
この曲を初めて聴いたとき、
最初に浮かんだのはこの疑問でした。
「どうしてこんなに”儚さ”を感じるんだろう?
もしかして、結ばれた幸せな恋人の話ではないのでは?」
ここから、独自解釈「人魚姫」につながりました。
今作から「カメラ制御機能」の使用に挑戦しました。
今まではタテ・ヨコ・ナナメだけだった視点に奥行きを追加でき、
表現の幅が広がりました。
カメラ位置の調整にはまだ四苦八苦していますが、
新たな表現の可能性にワクワクしながら制作できました。
動画制作に出会えたことは、僕にとって救いの1つになりました。
「自分の内面を表現してもいい場所」
「自分の気持ちを出しても誰にも怒鳴られない場所」
そんな場所があると知れたことで、
少しずつ「自分を表現してもいい」と思えるようになりました。
自分の中に無意識の思い込みがある人、たとえば
「本心を言ったら嫌われる」
「自分の気持ちになんて誰も興味ない」
みたいなものがあると気づけたなら、
ぜひ”何か作品を創る”ことをおすすめしたいです。
そこは誰にも否定されない「あなただけの自由な世界」。
どんな思いをぶつけようと、すべて受け入れてくれる世界です。
2021年10月01日
【YouTube:英訳つき自作ミュージックビデオ6作目】魔王魂『12345』。
僕は2020年12月より動画制作を始め、
YouTubeへの投稿をスタートしました。
本記事で紹介するのは、
英訳つき自作ミュージックビデオ6作目:
魔王魂『12345』
あわせて制作のコンセプトや、使用したものも紹介します。
※著作権フリーの楽曲をお借りしています。
ー目次ー
『12345』
<オリジナルセリフ>
一時の遊び相手でもいい…
I'm enough with a temporary playmate…
あなたの気まぐれでもいい…
It can be your whim…
たとえ愚かなことだとわかっていても
Even if I know I'm stupid,
この虚しさを 心にあいた穴を埋めてくれるなら
if you fill my emptiness and the hole in my heart,
私は…
I will…
ーーーーー
<歌詞>
あなた 待ち合わせの時間も守ることができないの?
Can't you even keep the meeting time?
いいわ それでも遊んであげる
Eh, whatever, I'll play for you.
夜の街は退屈だから
Because the nightlife districts are boring.
蝶も蜂も 駆け引きやめて まどろみを魅せて
Stop bargaining with both butterflies and bees. And please fascinate the drowse.
愛を数えて12345 今宵は時を止めて
Counting love, "One, two, three, four, five." Stop the time tonight.
「愛の無い遊びの相手でもいいわ」
I'm enough with a playmate without love.
だけど本当は好きなのに あなたに尽くしてるのに
But I really love you, I'm devoted to you, even so…
もう全然あなたは気づかないフリ
Oh well, you just pretend not to notice at all.
この鈍感
How insensitive you are!
ーーーーー
あなた その冷たい笑顔の裏は誰を見ているの?
Who are you looking at behind your cold smile?
だけど今夜だけは私を
But only tonight,
その乾いた瞳に映し続けて
keep me reflected in your cold eyes.
飴も鞭も 駆け引きのない 真実を魅せて
Fascinate the truth without bargaining, both the candies and the whips.
愛を数えて12345 時を止められなくて
Counting love, "One, two, three, four, five." I can't stop the time with you.
あと少し 側にいたいことに気づいて
Please notice that I want to be with you for a little while.
だから本当は好きなのに 気持ち伝えられない
So I really love you, but I can't convey my feelings to you.
Ah 段々あなたが振り向くような魔法は無いの?
Ah, isn't there any magic that will gradually make you fall for me?
ーーーーー
だから本当は好きなのに…Uh…
So I really love you, uh…
あなたに合わせすぎてもう 気持ち伝えられない
I'm too fit for your taste, and I can no longer convey my feelings to you.
あなた色 染まってあげるから
I'll dye in your hue, so…
愛を数えて12345 今宵は時を止めて
Counting love, "One, two, three, four, five." Stop the time tonight.
あんず酒のせいにして甘えたいの
I want to spoil you, blame it on apricot wine.
だから本当は好きなのに あなたに尽くしてるのに
So I really love you, I'm devoted to you, even so…
もう全然あなたは気づかないフリ
Oh well, you just pretend not to notice at all.
この鈍感
How insensitive you are!
恋愛依存症を自覚しながらも
抜け出せない女性の虚しさと寂しさを、
劇場に見立てて表現してみました。
歌詞の主人公の気持ちを自分なりに想像すると、
『誰かにわかってもらいたい、人肌が恋しい
見捨てられ不安が強くて、
遊びとわかっている相手にもしがみついてしまう
それを自分でもわかっているから、なおさら虚しい』
男女問わず、夜の街に身を投じる理由の1つは、
埋められない穴が心に空いているからだと思います。
僕自身は恋愛依存ではなく回避依存を選びました。
「人と親密になってこれ以上傷つくくらいなら諦める」
という道を選びましたが、
心にどうしようもないほどの虚しさを抱えている点には
とても共感しました。
編集技術はまだまだ未熟ですが、
その共感できた気持ちを表現してみました。
動画制作は本当に大変ですし、
イメージがわかないときはぜんぜん進みません。
でも、そうやって
悩みながらもタイムラインが埋まっていくこと、
1つずつ素材を足していくこと、
何より自分の内面を表現できることが楽しいです。
たとえ下手くそでも、
いろんな楽しみや悩みが詰まっているからこそ、
いつも完成した動画を観て泣くんだと思います。
最短1ヶ月で動画編集スキルが身につく!【クリエイターズジャパン】
YouTubeへの投稿をスタートしました。
本記事で紹介するのは、
英訳つき自作ミュージックビデオ6作目:
魔王魂『12345』
あわせて制作のコンセプトや、使用したものも紹介します。
※著作権フリーの楽曲をお借りしています。
ー目次ー
- 制作した動画
- 作品の概要
- 英訳つき歌詞
- 制作の所感
1.制作した動画
2.作品の概要
- コンセプト
著作権フリー楽曲を使い
英訳つきミュージックビデオ風の動画を作ってみる
独自解釈テーマを設定する
「虚しさと依存〜心の穴を埋められなくて〜」
「恋愛依存から抜け出せない」
「それを自覚していても虚しさと寂しさに飲み込まれる」
そんな女性の気持ちを表現する - 使用曲
『12345』 - 楽曲提供
魔王魂さま
魔王魂 Webサイト
魔王魂 公式チャンネル - 制作期間
約1ヵ月 - 使用した動画編集ソフト
「AviUtl」
AviUtlのお部屋 - 使用したフリー画像素材サイト
1.「Pixabay」
2.「ニコニ・コモンズ」
3.「ぱくたそ」
3.英訳つき歌詞
『12345』
<オリジナルセリフ>
一時の遊び相手でもいい…
I'm enough with a temporary playmate…
あなたの気まぐれでもいい…
It can be your whim…
たとえ愚かなことだとわかっていても
Even if I know I'm stupid,
この虚しさを 心にあいた穴を埋めてくれるなら
if you fill my emptiness and the hole in my heart,
私は…
I will…
ーーーーー
<歌詞>
あなた 待ち合わせの時間も守ることができないの?
Can't you even keep the meeting time?
いいわ それでも遊んであげる
Eh, whatever, I'll play for you.
夜の街は退屈だから
Because the nightlife districts are boring.
蝶も蜂も 駆け引きやめて まどろみを魅せて
Stop bargaining with both butterflies and bees. And please fascinate the drowse.
愛を数えて12345 今宵は時を止めて
Counting love, "One, two, three, four, five." Stop the time tonight.
「愛の無い遊びの相手でもいいわ」
I'm enough with a playmate without love.
だけど本当は好きなのに あなたに尽くしてるのに
But I really love you, I'm devoted to you, even so…
もう全然あなたは気づかないフリ
Oh well, you just pretend not to notice at all.
この鈍感
How insensitive you are!
ーーーーー
あなた その冷たい笑顔の裏は誰を見ているの?
Who are you looking at behind your cold smile?
だけど今夜だけは私を
But only tonight,
その乾いた瞳に映し続けて
keep me reflected in your cold eyes.
飴も鞭も 駆け引きのない 真実を魅せて
Fascinate the truth without bargaining, both the candies and the whips.
愛を数えて12345 時を止められなくて
Counting love, "One, two, three, four, five." I can't stop the time with you.
あと少し 側にいたいことに気づいて
Please notice that I want to be with you for a little while.
だから本当は好きなのに 気持ち伝えられない
So I really love you, but I can't convey my feelings to you.
Ah 段々あなたが振り向くような魔法は無いの?
Ah, isn't there any magic that will gradually make you fall for me?
ーーーーー
だから本当は好きなのに…Uh…
So I really love you, uh…
あなたに合わせすぎてもう 気持ち伝えられない
I'm too fit for your taste, and I can no longer convey my feelings to you.
あなた色 染まってあげるから
I'll dye in your hue, so…
愛を数えて12345 今宵は時を止めて
Counting love, "One, two, three, four, five." Stop the time tonight.
あんず酒のせいにして甘えたいの
I want to spoil you, blame it on apricot wine.
だから本当は好きなのに あなたに尽くしてるのに
So I really love you, I'm devoted to you, even so…
もう全然あなたは気づかないフリ
Oh well, you just pretend not to notice at all.
この鈍感
How insensitive you are!
4.制作の所感
恋愛依存症を自覚しながらも
抜け出せない女性の虚しさと寂しさを、
劇場に見立てて表現してみました。
歌詞の主人公の気持ちを自分なりに想像すると、
『誰かにわかってもらいたい、人肌が恋しい
見捨てられ不安が強くて、
遊びとわかっている相手にもしがみついてしまう
それを自分でもわかっているから、なおさら虚しい』
男女問わず、夜の街に身を投じる理由の1つは、
埋められない穴が心に空いているからだと思います。
僕自身は恋愛依存ではなく回避依存を選びました。
「人と親密になってこれ以上傷つくくらいなら諦める」
という道を選びましたが、
心にどうしようもないほどの虚しさを抱えている点には
とても共感しました。
編集技術はまだまだ未熟ですが、
その共感できた気持ちを表現してみました。
動画制作は本当に大変ですし、
イメージがわかないときはぜんぜん進みません。
でも、そうやって
悩みながらもタイムラインが埋まっていくこと、
1つずつ素材を足していくこと、
何より自分の内面を表現できることが楽しいです。
たとえ下手くそでも、
いろんな楽しみや悩みが詰まっているからこそ、
いつも完成した動画を観て泣くんだと思います。
最短1ヶ月で動画編集スキルが身につく!【クリエイターズジャパン】
2021年09月25日
【マンスプレッディング】電車で足を広げて座るのは自信がないから。
電車での迷惑行為ランキングの常連といえば
「電車で足を広げて座る」
男性に多いこの行為は
「マンスプレッディング(Manspreading)」と呼ばれる。
この行為の理由は、
・自分を大きく見せるための威嚇
・支配欲やコントロール欲の強さ
・性的アピール
といわれているので、はた目には「強くて自信家」に見える。
でも、それは本当に「強くて自信家」だろうか。
本当に「強くて自信家」なら、
まわりに反感を持たれてまで2人分の座席を占領するだろうか。
わざわざそこまでする本当の理由は、
自信がないから
自分を見てほしくて仕方ないから
ではないだろうか。
ー目次ー
威嚇する
支配する
大きく見せる
そうやって相手を怖がらせるのは、自分が攻撃されるのが怖いから。
先に攻撃されないように、支配されないように、
「こちらの方が強いぞ」と相手に伝えたいから。
「自分は攻撃されても反撃できる」という自信があれば、
威嚇する必要はなくなる。
だから、わざわざ足を広げて座るのは、
「素の自分では反撃できる自信がない」
「自信がない素の自分に気づかれたくない」
という気持ちのあらわれ。
過度なアピールは自信ではなく、
恐れる気持ちの裏返しではないだろうか。
人はそれぞれの「パーソナルスペース」を持っている。
ここまでは近づかれてもいい
これ以上は不快だ
と感じる距離感のこと。
電車で足を広げて座る人が座席を占有すると、
「より広いナワバリを確保した」という支配欲を満たせる。
同時に、より広いパーソナルスペースも確保できる。
なぜ周囲に迷惑をかけてまで、
広いパーソナルスペースが必要なのか。
それは近づかれるのが怖いから。
安全な支配領域をおびやかされることを恐れているから。
足を広げて座る人だけじゃない。
きっと、荷物を自分のとなりに置いて座席を埋める人も同じ。
支配するのは、支配されるのが怖いから。
距離を取るのは、近づかれないよう警戒しているから。
電車で足を広げて座る人は、
承認欲求に飢えているんじゃないだろうか。
自分に注目してほしい
いちばん強いと思われたい
そんな思いが、
自分の中にしまっておけないくらい
強くなってしまったんじゃないだろうか。
今までも、今も、満たされてこなかった、
注目してもらえなかった。
自分の存在を認めてほしい、
自分の価値をほめてほしい。
たとえ電車という公共の場を荒らしてでも、
まわりからひんしゅくを買ってでも。
電車で足を広げて座るのは、
きっと抑えきれない承認欲求からのメッセージ。
「お願い、見て見て!聞いて聞いて!」
電車で足を広げて座る人は
満員電車でも、微妙に座れそうな電車でも、高確率で目につく。
自分に余裕がないときほど、
「周囲の迷惑に気づけないのかな…」
と、モヤモヤした気持ちがふくらむ。
そんなときは、彼らのことをこう考えてみてはどうだろう。
「周囲を気づかう余裕すらないくらい、自分を守るのに必死なのかな」
「本当は大きくない自分を隠すのに精いっぱいなのかな」
ただモヤモヤするよりも、そういう視点で見てみることで、
少しは気持ちが楽になるかもしれない。
電車でのストレスを、少しでも軽くするお役に立てれば嬉しい。
送料無料の総合書店「honto」
「電車で足を広げて座る」
男性に多いこの行為は
「マンスプレッディング(Manspreading)」と呼ばれる。
この行為の理由は、
・自分を大きく見せるための威嚇
・支配欲やコントロール欲の強さ
・性的アピール
といわれているので、はた目には「強くて自信家」に見える。
でも、それは本当に「強くて自信家」だろうか。
本当に「強くて自信家」なら、
まわりに反感を持たれてまで2人分の座席を占領するだろうか。
わざわざそこまでする本当の理由は、
自信がないから
自分を見てほしくて仕方ないから
ではないだろうか。
ー目次ー
- 反撃できる自信がないから、自分を大きく見せたい
- 近づかれるのが怖いから、パーソナルスペースがほしい
- 満たされていないから、自分の存在をアピールしたい
- 視点を変えて、電車でのストレスの軽減を
1.反撃できる自信がないから、自分を大きく見せたい
威嚇する
支配する
大きく見せる
そうやって相手を怖がらせるのは、自分が攻撃されるのが怖いから。
先に攻撃されないように、支配されないように、
「こちらの方が強いぞ」と相手に伝えたいから。
「自分は攻撃されても反撃できる」という自信があれば、
威嚇する必要はなくなる。
だから、わざわざ足を広げて座るのは、
「素の自分では反撃できる自信がない」
「自信がない素の自分に気づかれたくない」
という気持ちのあらわれ。
過度なアピールは自信ではなく、
恐れる気持ちの裏返しではないだろうか。
2.近づかれるのが怖いから、パーソナルスペースがほしい
人はそれぞれの「パーソナルスペース」を持っている。
ここまでは近づかれてもいい
これ以上は不快だ
と感じる距離感のこと。
電車で足を広げて座る人が座席を占有すると、
「より広いナワバリを確保した」という支配欲を満たせる。
同時に、より広いパーソナルスペースも確保できる。
なぜ周囲に迷惑をかけてまで、
広いパーソナルスペースが必要なのか。
それは近づかれるのが怖いから。
安全な支配領域をおびやかされることを恐れているから。
足を広げて座る人だけじゃない。
きっと、荷物を自分のとなりに置いて座席を埋める人も同じ。
支配するのは、支配されるのが怖いから。
距離を取るのは、近づかれないよう警戒しているから。
3.満たされていないから、自分の存在をアピールしたい
電車で足を広げて座る人は、
承認欲求に飢えているんじゃないだろうか。
自分に注目してほしい
いちばん強いと思われたい
そんな思いが、
自分の中にしまっておけないくらい
強くなってしまったんじゃないだろうか。
今までも、今も、満たされてこなかった、
注目してもらえなかった。
自分の存在を認めてほしい、
自分の価値をほめてほしい。
たとえ電車という公共の場を荒らしてでも、
まわりからひんしゅくを買ってでも。
電車で足を広げて座るのは、
きっと抑えきれない承認欲求からのメッセージ。
「お願い、見て見て!聞いて聞いて!」
4.視点を変えて、電車でのストレスの軽減を
電車で足を広げて座る人は
満員電車でも、微妙に座れそうな電車でも、高確率で目につく。
自分に余裕がないときほど、
「周囲の迷惑に気づけないのかな…」
と、モヤモヤした気持ちがふくらむ。
そんなときは、彼らのことをこう考えてみてはどうだろう。
「周囲を気づかう余裕すらないくらい、自分を守るのに必死なのかな」
「本当は大きくない自分を隠すのに精いっぱいなのかな」
ただモヤモヤするよりも、そういう視点で見てみることで、
少しは気持ちが楽になるかもしれない。
電車でのストレスを、少しでも軽くするお役に立てれば嬉しい。
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2021年09月21日
親が子どもに言う「自分勝手」「わがまま」は、自由に生きる子どもへの嫉妬。
親の言うことを聞かない子どもに
「自分勝手」と言う。
親の敷いたレール通りに生きない子どもに
「わがまま」と言う。
どうして親は子どもにそんなことを言うの?
そんなに自分勝手でわがままだから?悪い子だから?
そんなことない。
親が子どもに「自分勝手」「わがまま」と言うのは、
決してあなたが「自分勝手」で「わがまま」だからじゃない。
自由にふるまう子どもに嫉妬しているから。
『私だって本当は自由に生きたかったのに我慢してきた。
なのにあなただけ自由にふるまうなんて許せない!』から。
ー目次ー
どうして親は、自由に対して嫉妬するのか。
それは親自身が子どもの頃、
親の親にたくさん我慢させられてきたから。
悲しい時に泣いたら「我慢しろ」と怒鳴られた。
親のまちがいを「おかしい」と言ったら
「親に口ごたえするな!」と抑えつけられた。
本当は行きたかった学校、
やりたかったスポーツがあったのに、
親がイヤな顔をするからあきらめてきた。
嫉妬は、他人が持っているものを
「自分は手に入れられない」と思うときに襲ってくる。
親の親を満足させるため、たくさんあきらめるうちに、
自分があきらめた自由を持つ子どもが妬ましくなる。
「私は自由なんか手に入れられないんだ、自由を望むのは”わがまま”なんだ」
いつの間にか、
やりたいことをやるのは”自分勝手”で、
表現したいことを表現するのは”わがまま”になった。
そうして大人になり、親になると、
今度は無意識にこう思うようになる。
『だから私の子どもだって、私と同じように我慢するのが当たり前』
『私と同じように苦しみなさい』
親は「自由への嫉妬」から、
子どもに「自分勝手」「わがまま」と言う。
結果、子どもは罪悪感を抱き、
親の信じる「わがままでないこと」だけをするよう
コントロールできる。
どうしてそこまでするんだろう。
どうして、罪悪感を植え付けてまで、
子どもを「わがまま」認定したいんだろう。
それは
我慢してきた自分の人生が否定されるのが怖いから。
もしも、
親の思う「自分勝手なこと」をする子どもが、
幸せに生きてしまったら。
親自身がずっと見ないようにしてきた
この問いから目をそらせなくなる。
『多くをあきらめ、ずっと我慢してきた自分の人生はいったい何だったのか?』
我慢しなくても楽しく生きていける。
自分のモノサシが言う「自分勝手なこと」をしても、
否定や罵倒をされない。
それを子どもに証明されてしまったら、
自分がしてきた我慢が無意味になってしまう。
罪悪感の植え付けやコントロールは、親の叫び。
「自分の人生を正当化させてくれ」
という、心の叫び。
「自分勝手に」「わがままに」生きても、幸せになれる。
親はそれを子どもに証明されたくないから、
罪悪感を与えてコントロールする。
親のコントロールは証明の阻止であり、
「親の親への復讐」でもある。
その復讐とは、
自らが我慢と不幸にまみれた人生を生きることで、
「あなたたちの子育ては失敗だ」と証明すること。
『私はあなたたちの言いつけ通り、
すべてを我慢して生きてきた。
その結果、私はいろんなものを諦めてきた。
あなたたちの子育てでは
こんなに不幸な人間しか作れなかったんだ。
ざまみろ!お前らの子育ては失敗だ!』
この先、自分が我慢をやめ、幸せになったら。
親の子育てで幸せな人間ができることが証明されてしまう。
そんなことになったら、
親に「子育て失敗の烙印」を突き付けられなくなる。
だから苦しくても、子どもを「わがまま認定」してでも、
親は不幸なままでいることを選ぶ。
自分を不幸にした親の親への復讐を完遂するために。
親から「自分勝手」「わがままな子」と言われるのは、
大きな心の傷になる。
それを小さい頃から繰り返し言われると、
「私はわがままな子なんだ」
という強い自己否定がすり込まれてしまう。
強い自己否定に悩んだときには、思い出してほしい。
それはいったい誰から見て自分勝手?
誰の基準でのわがまま?
すべて「親」という1個人の主観じゃないか。
自由に嫉妬し、我慢に苦しみ、
親の親への復讐をあきらめきれない親の。
あなたがずっと苦しんできた言葉、
「私は自分勝手」
「私はわがまま」
それは決して、世界の総意ではないことを思い出してほしい。
ただの個人の感想。
それがたまたま、自分を生んだ人だっただけ。
今まで出会ったすべての人から
「あなたはわがまま」と言われただろうか。
「優しいね」「友達おもいだね」
「気遣いのできる人だね」
そういうあたたかい言葉も
たくさんもらってこなかっただろうか。
どうか、
自分を苦しめる言葉じゃなく、
嬉しかった言葉を思い出してほしい。
あなたの人生は、
親に「わがままじゃないね、合格!」と
認められるためにあるんじゃない。
あなたの人生は、
あなた自身が楽しく生きるためにあるんだから。
あわせてよみたい
【アダルトチルドレン】親が子どもをコントロールするのは、親の親に認めてもらいたいから。
【アダルトチルドレン】いつも苦手な人に捕まるのは、親との関係を再現しているから。
「自分勝手」と言う。
親の敷いたレール通りに生きない子どもに
「わがまま」と言う。
どうして親は子どもにそんなことを言うの?
そんなに自分勝手でわがままだから?悪い子だから?
そんなことない。
親が子どもに「自分勝手」「わがまま」と言うのは、
決してあなたが「自分勝手」で「わがまま」だからじゃない。
自由にふるまう子どもに嫉妬しているから。
『私だって本当は自由に生きたかったのに我慢してきた。
なのにあなただけ自由にふるまうなんて許せない!』から。
ー目次ー
- 親の親に我慢させられ、多くをあきらめてきた親
- 自分がしてきた我慢がムダになる恐怖
- 親の親への復讐、”お前らの子育ては失敗だ!”
- ”わがままではない証明”はいらない、楽しむために生きよう
1.親の親に我慢させられ、多くをあきらめてきた親
どうして親は、自由に対して嫉妬するのか。
それは親自身が子どもの頃、
親の親にたくさん我慢させられてきたから。
悲しい時に泣いたら「我慢しろ」と怒鳴られた。
親のまちがいを「おかしい」と言ったら
「親に口ごたえするな!」と抑えつけられた。
本当は行きたかった学校、
やりたかったスポーツがあったのに、
親がイヤな顔をするからあきらめてきた。
嫉妬は、他人が持っているものを
「自分は手に入れられない」と思うときに襲ってくる。
親の親を満足させるため、たくさんあきらめるうちに、
自分があきらめた自由を持つ子どもが妬ましくなる。
「私は自由なんか手に入れられないんだ、自由を望むのは”わがまま”なんだ」
いつの間にか、
やりたいことをやるのは”自分勝手”で、
表現したいことを表現するのは”わがまま”になった。
そうして大人になり、親になると、
今度は無意識にこう思うようになる。
『だから私の子どもだって、私と同じように我慢するのが当たり前』
『私と同じように苦しみなさい』
2.自分がしてきた我慢がムダになる恐怖
親は「自由への嫉妬」から、
子どもに「自分勝手」「わがまま」と言う。
結果、子どもは罪悪感を抱き、
親の信じる「わがままでないこと」だけをするよう
コントロールできる。
どうしてそこまでするんだろう。
どうして、罪悪感を植え付けてまで、
子どもを「わがまま」認定したいんだろう。
それは
我慢してきた自分の人生が否定されるのが怖いから。
もしも、
親の思う「自分勝手なこと」をする子どもが、
幸せに生きてしまったら。
親自身がずっと見ないようにしてきた
この問いから目をそらせなくなる。
『多くをあきらめ、ずっと我慢してきた自分の人生はいったい何だったのか?』
我慢しなくても楽しく生きていける。
自分のモノサシが言う「自分勝手なこと」をしても、
否定や罵倒をされない。
それを子どもに証明されてしまったら、
自分がしてきた我慢が無意味になってしまう。
罪悪感の植え付けやコントロールは、親の叫び。
「自分の人生を正当化させてくれ」
という、心の叫び。
3.親の親への復讐、”お前らの子育ては失敗だ!”
「自分勝手に」「わがままに」生きても、幸せになれる。
親はそれを子どもに証明されたくないから、
罪悪感を与えてコントロールする。
親のコントロールは証明の阻止であり、
「親の親への復讐」でもある。
その復讐とは、
自らが我慢と不幸にまみれた人生を生きることで、
「あなたたちの子育ては失敗だ」と証明すること。
『私はあなたたちの言いつけ通り、
すべてを我慢して生きてきた。
その結果、私はいろんなものを諦めてきた。
あなたたちの子育てでは
こんなに不幸な人間しか作れなかったんだ。
ざまみろ!お前らの子育ては失敗だ!』
この先、自分が我慢をやめ、幸せになったら。
親の子育てで幸せな人間ができることが証明されてしまう。
そんなことになったら、
親に「子育て失敗の烙印」を突き付けられなくなる。
だから苦しくても、子どもを「わがまま認定」してでも、
親は不幸なままでいることを選ぶ。
自分を不幸にした親の親への復讐を完遂するために。
4.”わがままではない証明”はいらない、楽しむために生きよう
親から「自分勝手」「わがままな子」と言われるのは、
大きな心の傷になる。
それを小さい頃から繰り返し言われると、
「私はわがままな子なんだ」
という強い自己否定がすり込まれてしまう。
強い自己否定に悩んだときには、思い出してほしい。
それはいったい誰から見て自分勝手?
誰の基準でのわがまま?
すべて「親」という1個人の主観じゃないか。
自由に嫉妬し、我慢に苦しみ、
親の親への復讐をあきらめきれない親の。
あなたがずっと苦しんできた言葉、
「私は自分勝手」
「私はわがまま」
それは決して、世界の総意ではないことを思い出してほしい。
ただの個人の感想。
それがたまたま、自分を生んだ人だっただけ。
今まで出会ったすべての人から
「あなたはわがまま」と言われただろうか。
「優しいね」「友達おもいだね」
「気遣いのできる人だね」
そういうあたたかい言葉も
たくさんもらってこなかっただろうか。
どうか、
自分を苦しめる言葉じゃなく、
嬉しかった言葉を思い出してほしい。
あなたの人生は、
親に「わがままじゃないね、合格!」と
認められるためにあるんじゃない。
あなたの人生は、
あなた自身が楽しく生きるためにあるんだから。
あわせてよみたい
【アダルトチルドレン】親が子どもをコントロールするのは、親の親に認めてもらいたいから。
【アダルトチルドレン】いつも苦手な人に捕まるのは、親との関係を再現しているから。
リンク
2021年09月17日
人をほめたくないのは、ずっとあなたがほめられたかったから。
「人をほめると自分が負けた気がする」
「人がほめられるのを見ると
自分は無力だと言われている気がする」
という理由から、決して他者をほめない人がいる。
そういう人は誰かをほめる代わりに、
あら探しをしたり、欠点を指摘したりする。
人間関係の名著『人を動かす』では、
人に好かれる6原則の1つとして
人をけなすよりほめた方が、
おだやかな人間関係を作りやすい。
人をほめない人も、
きっとそれを頭ではわかっている。
なのに、なぜ「ほめること」が
「自分の負け」や「無力感」につながるんだろう。
なぜ世の中には、ほめる言葉よりも
人をけなす言葉があふれているんだろう。
それは
自分自身がずっと親にほめられたかったから
自分がもらえなかった称賛をもらえるその人がうらやましいから
ではないだろうか。
ー目次ー
子どもの頃、何をしても親にほめてもらえなかった。
それどころか否定された、認めてもらえなかった。
「親にほめられたかった」
叶わない願いをずっと心においておくのはつらすぎる。
その心の負担をへらすため、
親にほめられたかった自分を心の底に封印した。
誰かがほめられているのを見ると、
その心の封印がほどけかかる。
「親にほめられたかった」
あきらめたはずの願いが顔を出して、こう叫ぶ。
私だってほめられたかったのに、あなただけほめられてズルい!
「人がほめられるのを見ると
自分は無力だと言われている気がする」
その気持ちの正体は、
『封印したはずの「ほめられたかった自分」に刺さる痛み』
じゃないだろうか。
僕らは生まれたときから競争にさらされて育つ。
0歳から
近所の●ちゃんより歩き始めるのが遅い
言葉をしゃべるのが遅い
保育園や学校にいけば
クラスの●ちゃんより成績が悪い
かけっこが遅い
よくも悪くも、勝敗や優劣を意識させられる。
そこへ、
親の強い不安と競争心が加わったらどうなるだろう。
他の子より発達が遅い
他の子より成績が悪い
そんな我が子の親である自分はダメだ
だからあなたは勝ちなさい
人より優れていなさい
”私が”安心するために
親のそんな思いを浴び続けたら、
子どもはどうなるだろう。
「人より優れていないと親に安心してもらえない」
と思うんじゃないだろうか。
たとえ一部分でも、
「人の優れた点を認める=自分の負け」
になってしまわないだろうか。
「人をほめると自分が負けた気がする」
その気持ちの正体は、
『「親を不安にさせたら育ててもらえない」という恐怖感』
じゃないだろうか。
「人をけなす」
「人の悪いところばかり指摘する」
それはきっと、
ほめてもらえなかった自分をなぐさめるため。
「人をほめたくない」
「人がほめられている場面が苦手」
それはきっと、
ほめられたかった自分が叫ぶ痛み。
ほめられたくて、ほめられなくて、
泣いている自分がいる。
競争は自分を成長させる力になり、
劣等感という苦しみを生み出す力にもなる。
誰かがほめられる場面は、
「私はずっと、親にほめられたかったんだ」と
気づかせてくれる。
あわせてよみたい
子どもの泣き声が苦手なのは、”私も泣きたい”をずっと我慢してきたから。
謝らない人が自己正当化するのは、”正しい勝者でいなければ恐ろしい目に遭う”という思いが強いから。
「人がほめられるのを見ると
自分は無力だと言われている気がする」
という理由から、決して他者をほめない人がいる。
そういう人は誰かをほめる代わりに、
あら探しをしたり、欠点を指摘したりする。
人間関係の名著『人を動かす』では、
人に好かれる6原則の1つとして
「心からほめる」と紹介されている。
「重要感を与える-誠意をこめて-」
人をけなすよりほめた方が、
おだやかな人間関係を作りやすい。
人をほめない人も、
きっとそれを頭ではわかっている。
なのに、なぜ「ほめること」が
「自分の負け」や「無力感」につながるんだろう。
なぜ世の中には、ほめる言葉よりも
人をけなす言葉があふれているんだろう。
それは
自分自身がずっと親にほめられたかったから
自分がもらえなかった称賛をもらえるその人がうらやましいから
ではないだろうか。
ー目次ー
- あなただけほめられるなんてズルい!
- 競争に勝てば親に安心してもらえる
- 私はずっと、親にほめられたかったんだ
1.あなただけほめられるなんてズルい!
子どもの頃、何をしても親にほめてもらえなかった。
それどころか否定された、認めてもらえなかった。
「親にほめられたかった」
叶わない願いをずっと心においておくのはつらすぎる。
その心の負担をへらすため、
親にほめられたかった自分を心の底に封印した。
誰かがほめられているのを見ると、
その心の封印がほどけかかる。
「親にほめられたかった」
あきらめたはずの願いが顔を出して、こう叫ぶ。
私だってほめられたかったのに、あなただけほめられてズルい!
「人がほめられるのを見ると
自分は無力だと言われている気がする」
その気持ちの正体は、
『封印したはずの「ほめられたかった自分」に刺さる痛み』
じゃないだろうか。
2.競争に勝てば親に安心してもらえる
僕らは生まれたときから競争にさらされて育つ。
0歳から
近所の●ちゃんより歩き始めるのが遅い
言葉をしゃべるのが遅い
保育園や学校にいけば
クラスの●ちゃんより成績が悪い
かけっこが遅い
よくも悪くも、勝敗や優劣を意識させられる。
そこへ、
親の強い不安と競争心が加わったらどうなるだろう。
他の子より発達が遅い
他の子より成績が悪い
そんな我が子の親である自分はダメだ
だからあなたは勝ちなさい
人より優れていなさい
”私が”安心するために
親のそんな思いを浴び続けたら、
子どもはどうなるだろう。
「人より優れていないと親に安心してもらえない」
と思うんじゃないだろうか。
たとえ一部分でも、
「人の優れた点を認める=自分の負け」
になってしまわないだろうか。
「人をほめると自分が負けた気がする」
その気持ちの正体は、
『「親を不安にさせたら育ててもらえない」という恐怖感』
じゃないだろうか。
3.私はずっと、親にほめられたかったんだ
「人をけなす」
「人の悪いところばかり指摘する」
それはきっと、
ほめてもらえなかった自分をなぐさめるため。
「人をほめたくない」
「人がほめられている場面が苦手」
それはきっと、
ほめられたかった自分が叫ぶ痛み。
ほめられたくて、ほめられなくて、
泣いている自分がいる。
競争は自分を成長させる力になり、
劣等感という苦しみを生み出す力にもなる。
誰かがほめられる場面は、
「私はずっと、親にほめられたかったんだ」と
気づかせてくれる。
あわせてよみたい
子どもの泣き声が苦手なのは、”私も泣きたい”をずっと我慢してきたから。
謝らない人が自己正当化するのは、”正しい勝者でいなければ恐ろしい目に遭う”という思いが強いから。
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2021年09月12日
謝らない人が自己正当化するのは、”正しい勝者でいなければ恐ろしい目に遭う”という思いが強いから。
「自分に非があるとわかっていても謝らない人」
に出逢うことがある。
彼らは謝罪の言葉のかわりに、
その場の状況や理屈を説明する。
非を認めない姿勢ばかり取っていると、
人が離れていき、自分の首を絞める。
にもかかわらず、彼らは自己正当化を繰り返す。
なぜ「ごめんなさい」だけが言えないんだろう。
それは、
正しい自分でいられなかったときに湧きあがる
「恥の感情」に耐えられないから
傷つきやすい心を守るために、
必死で罪悪感から目をそらしているから
ではないだろうか。
ー目次ー
人間関係を上下や優劣で考えていると、
こういう思いにとらわれやすくなる。
「謝ることは負けを認めること」
自分の方が正しいか、優位か、能力が上か下か。
正しいことは勝ちで、まちがっていることは負け。
そういう思いが強いと、
「いつも正しい勝者でいたい」という思いも強くなる。
しかし、それは同時に、
「正しくない敗者」になることへの強い恐怖感になる。
非を認めることは自分のすべてを否定すること
正しい勝者でなければ生きていけない
そんな、自分の存在そのものを揺るがすような恐怖感に。
なぜ「謝ることは負けを認めること」と
強く思うようになったのだろうか。
それはきっと、
謝ったときに湧きあがる”恥の感情”に耐えられないから。
「自分はいつでも”正しい勝者”でいられるわけじゃないのかな」
そう思ったとき、罪悪感や恥ずかしさ、
居心地の悪さなどの不快な感情を感じる。
そういう恥の感情をまともに受け止めたくない。
恥の感情を感じ続けることに心が耐えられない。
だから自分の心を守るため、
必死で自己正当化を繰り返すのではないだろうか。
では、どうしてそこまで恥の感情を避けるのか。
どうして自己正当化してまで自分の心を守るのだろうか。
それはきっと
「正しい勝者でいなければ恐ろしい目に遭う」
という思いが強いから。
たとえば子どもの頃、友達とケンカしたら、
親に恐ろしい𠮟られ方をされた。
入ってはいけないと言われた場所に入り、
おじいちゃんに怖いお仕置きをされた。
「正しくないこと」をすると、
家に入れてもらえなかった、殴られた、罵倒された。
そんな育ち方をするうちに、
「正しくいなければ生きていけない」
「非を認めたらあんなに恐ろしい目に遭う」
という思いも育ってしまったなら。
たとえ悪いことをしたのが自分でも、
謝るわけにはいかなくなる。
『もう二度とあんな思いはしたくない。
謝らなければ、非を認めなければ恐ろしい目に遭わずにすむ』
謝った後に待ち受ける仕打ちへの、
強い恐怖があるんじゃないだろうか。
では、どうして「謝る」以外の方法で
自分の心を守るようになったのだろうか。
どうして理屈をこねたり、自己正当化したりする方法を
採用するようになったのだろうか。
それはきっと幼少期に、親が
「恥の感情と向き合う方法」をうまく教えられなかったから。
何か悪いことをしたら、親に𠮟られる。
𠮟られた子どもは落ち込む。
心の中は罪悪感や自責の念でいっぱいになる。
それを親がフォローできなかったとしたら。
ずっと罪悪感を持たせたまま放置し、
さらにコントロールするために追撃したなら。
心に恥の感情をとどまらせるのはあまりにつらい。
なのに、その感情を心から追い出す方法を学べなかった。
だから自分で見つけるしかなかった。
そうして編み出した方法が、
「理屈をこねる」「自己正当化する」
ではないだろうか。
謝らない人が自己正当化する姿を見ると、
「”ごめんなさい”の一言で済むのに…。」
と思ってしまう。
その是非はともかく、謝らない人には
「どうしても謝れない、切羽詰まった理由」がある。
それは、非を認めること、恥の感情を受け入れることで、
心にすさまじい痛みが走るから。
そして、痛みでボロボロになった心を、
親にさえ癒してもらえなかったから。
謝らない人が、謝った方がいい状況に出くわしたとき。
次々と弁護の言葉をしぼり出す姿は苦しそうに見える。
それはきっと、
心の痛みに、罪悪感に、恥ずかしさに、
1人で立ち向かっている姿だから。
あなたのまわりに
謝らない人、自己弁護ばかりする人がいるなら。
「どうして謝らないんだろう?」とモヤモヤするのなら。
その人をこういう視点で見ることで、
少しは気持ちが楽になるかも知れない。
「この人は自分の心を必死で守っているんだ」
「きっといまも孤独と戦っているんだ」
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に出逢うことがある。
彼らは謝罪の言葉のかわりに、
その場の状況や理屈を説明する。
非を認めない姿勢ばかり取っていると、
人が離れていき、自分の首を絞める。
にもかかわらず、彼らは自己正当化を繰り返す。
なぜ「ごめんなさい」だけが言えないんだろう。
それは、
正しい自分でいられなかったときに湧きあがる
「恥の感情」に耐えられないから
傷つきやすい心を守るために、
必死で罪悪感から目をそらしているから
ではないだろうか。
ー目次ー
- 謝ることは負けを認めること
- ”恥の感情”に耐えられない
- ”正しい勝者”でいなければ恐ろしい目に遭う
- ”恥の感情と向き合う方法”を学べなかった幼少期
- 自己正当化は、”恥の感情”との孤独な戦い
1.謝ることは負けを認めること
人間関係を上下や優劣で考えていると、
こういう思いにとらわれやすくなる。
「謝ることは負けを認めること」
自分の方が正しいか、優位か、能力が上か下か。
正しいことは勝ちで、まちがっていることは負け。
そういう思いが強いと、
「いつも正しい勝者でいたい」という思いも強くなる。
しかし、それは同時に、
「正しくない敗者」になることへの強い恐怖感になる。
非を認めることは自分のすべてを否定すること
正しい勝者でなければ生きていけない
そんな、自分の存在そのものを揺るがすような恐怖感に。
2.”恥の感情”に耐えられない
なぜ「謝ることは負けを認めること」と
強く思うようになったのだろうか。
それはきっと、
謝ったときに湧きあがる”恥の感情”に耐えられないから。
「自分はいつでも”正しい勝者”でいられるわけじゃないのかな」
そう思ったとき、罪悪感や恥ずかしさ、
居心地の悪さなどの不快な感情を感じる。
そういう恥の感情をまともに受け止めたくない。
恥の感情を感じ続けることに心が耐えられない。
だから自分の心を守るため、
必死で自己正当化を繰り返すのではないだろうか。
3.”正しい勝者”でいなければ恐ろしい目に遭う
では、どうしてそこまで恥の感情を避けるのか。
どうして自己正当化してまで自分の心を守るのだろうか。
それはきっと
「正しい勝者でいなければ恐ろしい目に遭う」
という思いが強いから。
たとえば子どもの頃、友達とケンカしたら、
親に恐ろしい𠮟られ方をされた。
入ってはいけないと言われた場所に入り、
おじいちゃんに怖いお仕置きをされた。
「正しくないこと」をすると、
家に入れてもらえなかった、殴られた、罵倒された。
そんな育ち方をするうちに、
「正しくいなければ生きていけない」
「非を認めたらあんなに恐ろしい目に遭う」
という思いも育ってしまったなら。
たとえ悪いことをしたのが自分でも、
謝るわけにはいかなくなる。
『もう二度とあんな思いはしたくない。
謝らなければ、非を認めなければ恐ろしい目に遭わずにすむ』
謝った後に待ち受ける仕打ちへの、
強い恐怖があるんじゃないだろうか。
4.”恥の感情と向き合う方法”を学べなかった幼少期
では、どうして「謝る」以外の方法で
自分の心を守るようになったのだろうか。
どうして理屈をこねたり、自己正当化したりする方法を
採用するようになったのだろうか。
それはきっと幼少期に、親が
「恥の感情と向き合う方法」をうまく教えられなかったから。
「上機嫌から恥の意識、そして回復までの一連のプロセス」は、
幼児が恥の感情を処理する方法を学ぶ重要な練習機会であり、
健全な自己感の発達を促す手段でもある。
それによって、幼児は気持ちが傷ついても回復できること、
自分にはその能力があり、養育者が信頼できることを学ぶのだ。
だがそのプロセスが省かれてしまえば、
幼児は自分の欲求や感情を恥ずべきものとみなし、
「自分は悪いのだ」と感じる。
『結局、自分のことしか考えない人たち: 自己愛人間への対応術』 より
何か悪いことをしたら、親に𠮟られる。
𠮟られた子どもは落ち込む。
心の中は罪悪感や自責の念でいっぱいになる。
それを親がフォローできなかったとしたら。
ずっと罪悪感を持たせたまま放置し、
さらにコントロールするために追撃したなら。
心に恥の感情をとどまらせるのはあまりにつらい。
なのに、その感情を心から追い出す方法を学べなかった。
だから自分で見つけるしかなかった。
そうして編み出した方法が、
「理屈をこねる」「自己正当化する」
ではないだろうか。
5.自己正当化は、”恥の感情”との孤独な戦い
謝らない人が自己正当化する姿を見ると、
「”ごめんなさい”の一言で済むのに…。」
と思ってしまう。
その是非はともかく、謝らない人には
「どうしても謝れない、切羽詰まった理由」がある。
それは、非を認めること、恥の感情を受け入れることで、
心にすさまじい痛みが走るから。
そして、痛みでボロボロになった心を、
親にさえ癒してもらえなかったから。
謝らない人が、謝った方がいい状況に出くわしたとき。
次々と弁護の言葉をしぼり出す姿は苦しそうに見える。
それはきっと、
心の痛みに、罪悪感に、恥ずかしさに、
1人で立ち向かっている姿だから。
あなたのまわりに
謝らない人、自己弁護ばかりする人がいるなら。
「どうして謝らないんだろう?」とモヤモヤするのなら。
その人をこういう視点で見ることで、
少しは気持ちが楽になるかも知れない。
「この人は自分の心を必死で守っているんだ」
「きっといまも孤独と戦っているんだ」
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2021年09月07日
【『人を動かす』”議論をさける”】論破に執着する自分に気づいたら、裏にある劣等感と向き合うチャンス。
D.カーネギーの名著『人を動かす』
人を説得する12原則「議論をさける」の中でこう言っている。
「議論に負けても、その人の意見は変わらない」
※1982年度版
なのに、昔もいまも”論破”はそこかしこにある。
相手を説得する最善の方法は論破ではないと、
うすうす気づいていたとしても。
議論に勝って得られるものは、
その場かぎりの優越感だけではないだろうか。
議論に勝とうとする心理の根底には、
「劣等感から目をそらしたい自分」がいるのではないだろうか。
議論に勝とうとする自分に気づいたら、
自分の中の劣等感と向き合うチャンスではないだろうか。
ー目次ー
相手の理論の穴を攻め、まちがいを指摘し、
何も言い返せなくさせたとき。
言い負かした方は、
相手より自分が上だと確かめられて満足する。
言い負かされた方はどう思うだろう。
素直にまちがいを認め、改善しようと思えるだろうか。
悔しさや屈辱感に飲みこまれ、
憎しみや復讐心をたぎらせるのではないだろうか。
議論に勝った方は、その場かぎりの優越感を得られる。
それとひきかえに、多くのものを失う。
相手が友人なら、
生涯の親友になれたかも知れないチャンス。
仕事で関わる人なら、
いちばんのお得意様になったかも知れないチャンス。
そして、その人たちから広がったであろう、
新しい人とのつながり。
以前の僕は、彼らのことを
「自分に揺るぎない自信がある人」だと思っていた。
言いたいことがなかなか言えない自分と比べては、
羨ましいとさえ思っていた。
しかし、人間の心理を学ぶうちにその考えが変わった。
他者を言い負かす人、理論武装する人は、
こんなメッセージを発しているように思えてきた。
「”人より優れた自分”を確かめていないと不安です」
そうまでして”勝ち”にこだわるのは、
負けた時の痛みに耐えられないからではないだろうか。
彼らにとって、負けることや非を認めることは、
自分の方が劣っていると認めること。
そのときに襲ってくる
激しい劣等感を受け止めたくない。
そして、
自分にはその激しい劣等感を跳ね返す自信がない。
他者を言い負かすのは、
「負けたときの劣等感に押しつぶされる不安」から
逃れたいからではないだろうか。
そういう”無用な勝ち”に執着する自分に気づいたら、
その裏にある劣等感と向き合うチャンス。
『自分はいま、誰かに勝たないと
自分の価値を確かめられないくらい不安なんだ。
それくらい自信をなくしているんだ。
そして、いまの自分には認める余裕がないんだ。
”いまの自分の能力”
”劣っているかも知れない自分”を。』
なぜ自分は「勝たないといけない」と思っているのか。
なぜ自分は、その場かぎりでも優越感をほしがっているのか。
自分はいったい、何に怯えているんだろうか。
劣等感は、そう自分に問うチャンスをくれる。
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人を説得する12原則「議論をさける」の中でこう言っている。
「議論に負けても、その人の意見は変わらない」
※1982年度版
なのに、昔もいまも”論破”はそこかしこにある。
相手を説得する最善の方法は論破ではないと、
うすうす気づいていたとしても。
議論に勝って得られるものは、
その場かぎりの優越感だけではないだろうか。
議論に勝とうとする心理の根底には、
「劣等感から目をそらしたい自分」がいるのではないだろうか。
議論に勝とうとする自分に気づいたら、
自分の中の劣等感と向き合うチャンスではないだろうか。
ー目次ー
- ”その場かぎりの優越感”を得て、”人とのつながり”を失う
- ”人より優れた自分”を確かめていないと不安
- 無用な勝ちへの執着は、裏にある劣等感と向き合うチャンス
1.”その場かぎりの優越感”を得て、”人とのつながり”を失う
仮に相手を徹底的にやっつけたとして、
その結果はどうなる?
やっつけたほうは大いに気をよくするだろうが、
やっつけられたほうは劣等感を持ち、
自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。
『人を動かす』”議論をさける” より
相手の理論の穴を攻め、まちがいを指摘し、
何も言い返せなくさせたとき。
言い負かした方は、
相手より自分が上だと確かめられて満足する。
言い負かされた方はどう思うだろう。
素直にまちがいを認め、改善しようと思えるだろうか。
悔しさや屈辱感に飲みこまれ、
憎しみや復讐心をたぎらせるのではないだろうか。
議論に勝った方は、その場かぎりの優越感を得られる。
それとひきかえに、多くのものを失う。
相手が友人なら、
生涯の親友になれたかも知れないチャンス。
仕事で関わる人なら、
いちばんのお得意様になったかも知れないチャンス。
そして、その人たちから広がったであろう、
新しい人とのつながり。
2.”人より優れた自分”を確かめていないと不安
- 他者を言い負かす人
- 理論武装する人
以前の僕は、彼らのことを
「自分に揺るぎない自信がある人」だと思っていた。
言いたいことがなかなか言えない自分と比べては、
羨ましいとさえ思っていた。
しかし、人間の心理を学ぶうちにその考えが変わった。
他者を言い負かす人、理論武装する人は、
こんなメッセージを発しているように思えてきた。
「”人より優れた自分”を確かめていないと不安です」
- ああ言えばこう言う
- 自分に非があっても理屈をつけて正当化する
そうまでして”勝ち”にこだわるのは、
負けた時の痛みに耐えられないからではないだろうか。
彼らにとって、負けることや非を認めることは、
自分の方が劣っていると認めること。
そのときに襲ってくる
激しい劣等感を受け止めたくない。
そして、
自分にはその激しい劣等感を跳ね返す自信がない。
他者を言い負かすのは、
「負けたときの劣等感に押しつぶされる不安」から
逃れたいからではないだろうか。
3.無用な勝ちへの執着は、裏にある劣等感と向き合うチャンス
- 議論で相手をやっつけたい
- 理論武装して相手から反論されないようにしたい
そういう”無用な勝ち”に執着する自分に気づいたら、
その裏にある劣等感と向き合うチャンス。
『自分はいま、誰かに勝たないと
自分の価値を確かめられないくらい不安なんだ。
それくらい自信をなくしているんだ。
そして、いまの自分には認める余裕がないんだ。
”いまの自分の能力”
”劣っているかも知れない自分”を。』
なぜ自分は「勝たないといけない」と思っているのか。
なぜ自分は、その場かぎりでも優越感をほしがっているのか。
自分はいったい、何に怯えているんだろうか。
劣等感は、そう自分に問うチャンスをくれる。
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2021年09月03日
【バスケ心理分析】ディフェンスをサボる理由は、強い承認欲求と自己否定ではないか。
バスケを続けていると、たまに
「オフェンスだけやって、ディフェンスをサボる選手」
に出会うことがあります。
僕はディフェンスをサボる選手が大嫌いです。
他の4人で守って、つないだボールをその選手に渡したら、
「私はシュートしかしません」とばかりに打ちまくる
なのにディフェンスに戻らない、追いかけない
そんなことをされたら、その選手の欲望のために
自分たちがないがしろにされているように感じます。
しかし、僕はある日、
ディフェンスをサボる選手に憤るだけでは
生産性がないことに気づきました。
そこで、彼らが
「なぜディフェンスをサボるのか?」を考えることにしました。
そして、
だけで片づけていいんだろうか?
もっと根深い心理が隠されているのではないか?と疑問に思いました。
バスケの華に見えるオフェンス、
地味でハードなディフェンス。
そういう競技の特性を合わせて考えると、
ディフェンスをサボる選手の心の底には、
満たされない承認欲求と深い自己否定があるんじゃないでしょうか?
ー目次ー
たとえば子どものころ、
目に見える結果を出した。
親やまわりの大人が満足する成果を出した。
そのときだけ褒められたら、どう思うでしょうか。
逆に、
結果を出せなかった。
親やまわりの大人の期待に届かなかった。
そのときは𠮟られ、関心を向けてもらえなかったら。
過程を評価してもらえなかったら、どう思うでしょうか。
そうやって「条件付きの愛情」ばかり注がれたら、
その子の心には、こんな思いが育っていかないでしょうか。
「目に見える結果を出せない私はダメな子だ」
「期待に応えられない私は愛してもらえない」
「私を認めてほしい」
「私に関心を向けてほしい」
「結果を出せない私には価値がない」
「目に見える結果でないと見てもらえない」
そんな思いが膨らんだ結果、
目に見えない成果や、そこに至るまでの道のりは、
「無価値なもの」になってしまったんじゃないでしょうか。
バスケットでいちばん華があり、
成果がわかりやすいのはオフェンスです。
これらはバスケットになじみのない人にもわかりやすい成果です。
それに対してディフェンスは、
たとえ成果を出していても見つけてもらえる可能性が低いです。
どれもすばらしいディフェンスです。
しかし、残念ながらそこにボールはありません。
バスケに限らず、ボールのないところで起きるプレーは
なかなか注目してもらえません。
サッカーでは、ゴールが決まったら
得点した選手を中心に歓喜の輪ができあがります。
しかし、ボランチやセンターバックの選手がピンチを予測して、
「危険なスペースへパスを出させなかった」としても、
歓喜の輪はできません。
「ピンチを防いだ」ならわかりやすいですが、
「ピンチの芽を摘んで何も起こさなかった」ことは、
誰にも気づかれない可能性すらあります。
繰り返しますが、僕はディフェンスをサボる選手が大嫌いです。
が、ディフェンスの現実は「成果を出していても気づかれにくい」です。
承認欲求に飢え、強い自己否定を抱えた彼らが、
その現実に立ち向かえるでしょうか。
「目に見える結果を出せない私はダメな子だ」
「期待に応えられない私は愛してもらえない」
その悲しみに抗いながら、
成果を見つけられにくいディフェンスに力を注げるでしょうか。
『シュートを決めたらほめてもらえる。
すごいパスを通したら評価してもらえる。
だけど、いくら「ナイスディフェンス」をしても、
誰にも評価してもらえない。目に見える結果を出せない。
仲間からも、お父さん、お母さんからも…。
まわりの評価のためにやってるわけじゃない。
だけど、やっぱり結果を出して認めてもらいたい。』
そんな悲しみが、
「どうせ評価してもらえない」というあきらめが、
ディフェンスに戻る足を止めてはいないでしょうか。
『必死で戻っても、攻めにくくさせても、成果は目に見えない。
結果を出して評価されない「ダメな私」のまま…。
だったらオフェンスだけやればいいや。』
そんな、
ディフェンスに対するあきらめの気持ちを抱いてしまわないでしょうか。
そこには「サボる」「疲れる」「エゴ」では片づけられない、
心理的な闇があるんじゃないでしょうか。
僕はディフェンスが好きです。
ディフェンスをサボる選手の擁護はしたくありません。
それでも、ディフェンスをサボる選手の心理を
考察する機会をもらえたことに感謝しています。
「ディフェンスが好きと思えるのは幸せなこと」
だと気づけたからです。
ディフェンスはオフェンスよりも
地味で、ハードで、成果が見えにくいです。
なのにディフェンスを楽しめるのは、
バスケットという競技の、より多くのプレーを好きになれたということです。
こんなに夢中になれる競技を、長く続けられることが幸せです。
そして、ディフェンスをサボる選手に
憤っていただけの自分の狭量さを恥じました。
もし、承認欲求や自己否定による
ディフェンスへのあきらめがあるのなら、
僕にはその背景が見えていませんでした。
「ディフェンスをサボる選手は嫌い」という感情と、
その選手の長所を見つける意識は分けて考えることができます。
僕は今まで以上に、
味方のナイスディフェンスを見つけて励まし、
見えない成果や過程に目を向けたいと思います。
そして、もっともっとディフェンスを楽しみたいと思います。
<関連記事>
【遅咲き】何かを始めるのに年齢は関係ない、楽しいかどうかで決めればいい。
【バスケ心理分析】セルフィッシュな選手の自己顕示欲を満たしても、感謝はされない。
「オフェンスだけやって、ディフェンスをサボる選手」
に出会うことがあります。
- ボールを持つと強引にでもシュートするが
ディフェンスではすぐに追いかけるのをあきらめる - オフェンスでは走るのに
ディフェンスになると歩いて戻る
僕はディフェンスをサボる選手が大嫌いです。
他の4人で守って、つないだボールをその選手に渡したら、
「私はシュートしかしません」とばかりに打ちまくる
なのにディフェンスに戻らない、追いかけない
そんなことをされたら、その選手の欲望のために
自分たちがないがしろにされているように感じます。
しかし、僕はある日、
ディフェンスをサボる選手に憤るだけでは
生産性がないことに気づきました。
そこで、彼らが
「なぜディフェンスをサボるのか?」を考えることにしました。
そして、
- 疲れるから
- オフェンスで目立ちたいから
- 自分の得点や活躍にしか興味がないから
だけで片づけていいんだろうか?
もっと根深い心理が隠されているのではないか?と疑問に思いました。
バスケの華に見えるオフェンス、
地味でハードなディフェンス。
そういう競技の特性を合わせて考えると、
ディフェンスをサボる選手の心の底には、
満たされない承認欲求と深い自己否定があるんじゃないでしょうか?
ー目次ー
- 目に見える結果を出したときだけほめられた
- ディフェンスは”目に見える結果”を出しづらい
- ほめられないディフェンスへのあきらめ
- ディフェンスが好きと思えるのは幸せなこと
1.目に見える結果を出したときだけほめられた
たとえば子どものころ、
- 学校で上位の成績を取った
- 受験で難関の学校に合格した
- 試合で多く得点を取った
目に見える結果を出した。
親やまわりの大人が満足する成果を出した。
そのときだけ褒められたら、どう思うでしょうか。
逆に、
- 学校の成績で順位が下がった
- 志望校に合格できなかった
- 試合で得点を取れずに負けた
結果を出せなかった。
親やまわりの大人の期待に届かなかった。
そのときは𠮟られ、関心を向けてもらえなかったら。
過程を評価してもらえなかったら、どう思うでしょうか。
そうやって「条件付きの愛情」ばかり注がれたら、
その子の心には、こんな思いが育っていかないでしょうか。
「目に見える結果を出せない私はダメな子だ」
「期待に応えられない私は愛してもらえない」
「私を認めてほしい」
「私に関心を向けてほしい」
「結果を出せない私には価値がない」
「目に見える結果でないと見てもらえない」
そんな思いが膨らんだ結果、
目に見えない成果や、そこに至るまでの道のりは、
「無価値なもの」になってしまったんじゃないでしょうか。
2.ディフェンスは”目に見える結果”を出しづらい
バスケットでいちばん華があり、
成果がわかりやすいのはオフェンスです。
- シュートを決めた
- アシストパスを通した
- ドリブルで相手を抜いた
これらはバスケットになじみのない人にもわかりやすい成果です。
それに対してディフェンスは、
たとえ成果を出していても見つけてもらえる可能性が低いです。
- 相手が出したいパスコースを邪魔した
- 相手が使いたいスペースを先読みしてつぶした
- 味方がリバウンドを取れるように相手を抑えた
どれもすばらしいディフェンスです。
しかし、残念ながらそこにボールはありません。
バスケに限らず、ボールのないところで起きるプレーは
なかなか注目してもらえません。
私たちは「目につきやすい」業績をあげた軍の高官や、
政治家や、救急外科医や、セラピストの役割を過大評価し、
社会や個人が大きな問題に巻き込まれるのを
未然に防いだ人たちの役割を過小評価している。
だが真のヒーローや賢人は、
実は腕のいいホームドクターや、優れた教師や、
合理的な立法者や、百戦錬磨の外交官といった、
「問題を事前に防いでいる人たち」のほうなのだ。
『Think clearly』34”解決よりも、予防をしよう” より
サッカーでは、ゴールが決まったら
得点した選手を中心に歓喜の輪ができあがります。
しかし、ボランチやセンターバックの選手がピンチを予測して、
「危険なスペースへパスを出させなかった」としても、
歓喜の輪はできません。
「ピンチを防いだ」ならわかりやすいですが、
「ピンチの芽を摘んで何も起こさなかった」ことは、
誰にも気づかれない可能性すらあります。
3.ほめられないディフェンスへのあきらめ
繰り返しますが、僕はディフェンスをサボる選手が大嫌いです。
が、ディフェンスの現実は「成果を出していても気づかれにくい」です。
承認欲求に飢え、強い自己否定を抱えた彼らが、
その現実に立ち向かえるでしょうか。
「目に見える結果を出せない私はダメな子だ」
「期待に応えられない私は愛してもらえない」
その悲しみに抗いながら、
成果を見つけられにくいディフェンスに力を注げるでしょうか。
『シュートを決めたらほめてもらえる。
すごいパスを通したら評価してもらえる。
だけど、いくら「ナイスディフェンス」をしても、
誰にも評価してもらえない。目に見える結果を出せない。
仲間からも、お父さん、お母さんからも…。
まわりの評価のためにやってるわけじゃない。
だけど、やっぱり結果を出して認めてもらいたい。』
そんな悲しみが、
「どうせ評価してもらえない」というあきらめが、
ディフェンスに戻る足を止めてはいないでしょうか。
『必死で戻っても、攻めにくくさせても、成果は目に見えない。
結果を出して評価されない「ダメな私」のまま…。
だったらオフェンスだけやればいいや。』
そんな、
ディフェンスに対するあきらめの気持ちを抱いてしまわないでしょうか。
そこには「サボる」「疲れる」「エゴ」では片づけられない、
心理的な闇があるんじゃないでしょうか。
4.ディフェンスが好きと思えるのは幸せなこと
僕はディフェンスが好きです。
ディフェンスをサボる選手の擁護はしたくありません。
それでも、ディフェンスをサボる選手の心理を
考察する機会をもらえたことに感謝しています。
「ディフェンスが好きと思えるのは幸せなこと」
だと気づけたからです。
ディフェンスはオフェンスよりも
地味で、ハードで、成果が見えにくいです。
なのにディフェンスを楽しめるのは、
バスケットという競技の、より多くのプレーを好きになれたということです。
こんなに夢中になれる競技を、長く続けられることが幸せです。
そして、ディフェンスをサボる選手に
憤っていただけの自分の狭量さを恥じました。
もし、承認欲求や自己否定による
ディフェンスへのあきらめがあるのなら、
僕にはその背景が見えていませんでした。
「ディフェンスをサボる選手は嫌い」という感情と、
その選手の長所を見つける意識は分けて考えることができます。
僕は今まで以上に、
味方のナイスディフェンスを見つけて励まし、
見えない成果や過程に目を向けたいと思います。
そして、もっともっとディフェンスを楽しみたいと思います。
<関連記事>
【遅咲き】何かを始めるのに年齢は関係ない、楽しいかどうかで決めればいい。
【バスケ心理分析】セルフィッシュな選手の自己顕示欲を満たしても、感謝はされない。
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