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2021年08月20日

【アダルトチルドレン】親が子どもをコントロールするのは、親の親に認めてもらいたいから。

”生きづらさ”に直面したとき、
問題の根本にはしばしば「子どもをコントロールする親」がいる。


たとえば、

  • 親に理想の息子・娘の像があり、
    子どもがそれに沿うなら愛情を与える、沿わないなら冷遇する

  • 子どもへの過干渉、否定、罵倒、
    厳しい規則や習い事で縛りつける

  • 子どもを1人の人間と見ず、
    「親の思い通りになる自分の延長」と見る


どうして親は子どもを支配したり、
親の欲求のためにコントロールしたりするんだろう。

それはきっと、親自身が
親の親に認めてもらえずに育ったから。

そして、親自身が無意識に
親の親に認めてもらうための子育てをするから。


ではないだろうか。


ー目次ー
  1. 子どもは、親の親に提出するための作品
  2. どうして子どもを作品にするのか
  3. 親の信念は、本当に親自身のものなのか
  4. 親も、その親も、”親に愛されたくて一生懸命な子ども”


1.子どもは、親の親に提出するための作品

子どもを1人の人間として見られない親にとって、
子どもは「自分の価値を上げるための作品」。


そのために子どもに厳しくしたり、行動を制限したりする行為は、
「よそ様が」「世間体が」「人に迷惑をかけてはいけないから」
と言って正当化される。

そうやって、一見
「厳しい社会で生きていくため」を装っても、
真の目的は別のところにある。


親は自分の作品を提出し、自分を評価してもらいたい。

誰に?親自身の親に。
どんな作品?もちろん、親の親が気に入るような作品。



親は「子どものためを思って」コントロールしていても、
心の奥底にはこんな叫びを抱えているのではないか。

『お父さん、お母さん、見て見て、
 私はこんなにすごい子ども(=作品)を作ったよ。

 お父さんとお母さんが私に教えた理想の通りに作ったんだよ。
 だからお願い、認めてよ、すごいねって褒めてよ。
 こっちを向いてよ、抱きしめてよ、愛情がほしいよ』


2.どうして子どもを作品にするのか

昨今、これだけ毒親が問題になっているのに解決が難しいのは、
親自身が子どもをコントロールしていることに気づかないか、
それを悪いことだと思っていないから。

コントロールする=作品の調整をするのは親心であり、
愛情であると思っている親が多いから。


では、なぜそう思うようになってしまったのか。

それはきっと、
親自身も作品としてコントロールされてきたから。


だから、今は子どもをコントロールしている親も、
無意識にこんな思いに苦しんでいるかも知れない。

『私のお父さん・お母さんは
 おじいちゃん・おばあちゃんの理想に沿うように私をしつけた。

 だけど、おじいちゃん・おばあちゃんはいつまでたっても
 お父さん・お母さんのことを認めたり褒めたりしなかった。

 だからお父さん・お母さんは次こそ認めてもらいたくて、
 ますます私のことを厳しくしつけた。

 きっと、おじいちゃん・おばあちゃんも同じだったんだ。
 認めてもらいたくて、認めてもらえなくて、
 自分の子どもを使ってリベンジしようとしてきた。

 私はお父さん・お母さんの操り人形なのかなぁ…。』



疑問に思っても、大人になるにつれて、
それが「当たり前の親像」になっていった。

そして今、同じことを子どもにしている。
そうやって連鎖してきたのではないだろうか。

3.親の信念は、本当に親自身のものなのか

僕の父は、僕を厳しく管理し、
気に入らなければ怒鳴る人だった。

厳しいしつけ、門限や就寝時間の厳守、
「学校を休んではならない」という掟。

父は僕に怒鳴ったり、
説教したりした最後に、よくこう叫んだ。

「男はすべてを我慢して家族のために働くものだ」
「お前は社会をなめている、甘えている」



当時はただ恐怖だった。
悲しくて、怒りに震えても、怖くて何もできなかった。

だが、大人になり当時を振り返ると、1つの疑問が生まれた。

『「男はすべてを我慢して家族のために働くものだ」
 という信念は、本当に彼自身のものなのか?』



もしかすると、
父自身が幼い頃、祖父に認めてもらえずに育ったのでは?
厳しいしつけや罰則で息苦しい少年時代を過ごしたのでは?

そんな中で、
父が僕にとっての祖父に認めてもらえる唯一の方法が
「”すべてを我慢して家族のために働く男”になること」だったとしたら。

父が繰り返した言葉は、
祖父に認められたい一心で作り上げた「かりそめの信念」ではないか。


かりそめだから、本当は苦しい。
それでも、本音を押し殺した人生を正当化したいあまり、
あたかもそれを自分自身の信念と思い込みたかったのではないか。

まるで自分に刷り込ませるかのように、強い口調で、何度も繰り返して。

4.親も、その親も、”親に愛されたくて一生懸命な子ども”

きっと、ほとんどの親が子どもに愛情を注いでいる。

結果的にコントロールになっていても、その理由が

  • 本当に血も涙もない人だから
  • 自分の利益しか考えない冷酷な人だから

という親はほとんどいないと思う。
きっと、愛情の伝え方がわからなかっただけ。


親自身も、お父さんとお母さんが大好きだから、
認めてもらえなかったことが今でも悲しいのではないか。

大人になり、親になっても
「親に認めてもらいたかった、愛されたかった」
という欲求が満たされないままなのではないか。

だからこそ、
自分の延長=作品である我が子をコントロールし、
「親の親が描く理想像」に応えようとするのではないか。


たとえ、親の親がすでにこの世にいなくても、
未だに「親の亡霊」の言葉に支配されながら。


たしかに、親は子どもを傷つけてきた。
親の親も、そのまた親も、悲しみは連鎖してきた。

だけどきっと、加害者なんてどこにもいなかった。

ただ、歴代の親の中にいる
「親に愛されたくて、一生懸命な子ども」が、
親の愛情を求めただけだった。








posted by 理琉(ワタル) at 19:23 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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