アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2021年08月31日

子どもの泣き声が苦手なのは、”私も泣きたい”をずっと我慢してきたから。

僕は子どもの泣き声がものすごく苦手だ。

赤ちゃんのギャン泣き
小さい子の叫び泣き


耳にすると、
身体の中をぐちゃぐちゃにされるような、
激しい不快感に襲われる。


胸の奥から、すごい圧力の何かがこみ上げてくる。
息苦しいのに、それを吐き出すことも、抑え込むこともできない。

「破裂してしまいたい」という思いだけがつのる。


子どもは必死で感情を訴え、
親は必死でそれに対応しているだけ、自分には関係ない。

なのに、
どうしてこんなにつらくなるんだろう。
どうして子どもの泣き声が苦手なんだろう。


それはきっと、
自分の中に”我慢している感情”があるから。

自分ができなかったこと、
やってはいけないと思い込んでいることを、
目の前で堂々とやっているのが許せないから。

そして、”本当は泣きたかった自分”に
ずっと我慢をさせてきたから。



ー目次ー
  1. うるさい!泣くんじゃない!
  2. あぁ、泣く私はダメな子なんだ
  3. 本当は私だって、思いきり泣きたいのに!
  4. 親自身も、”泣きたい私”に我慢をさせてきた
  5. あなたの中の”我慢している感情”に気づいて

1.うるさい!泣くんじゃない!

小さい頃、
たとえば親にこんなことを言われなかっただろうか。

「うるさい!」
「男のくせに泣くな!」
「わがまま言うんじゃない!」


いくつ覚えているだろう、
もう1つも覚えていないかも知れない。


もっと小さい頃、
ものごころがつく前に、
たとえばこんなことがなかっただろうか。

自分が泣いたら親は不機嫌になった
言葉はわからないけど怒鳴られた
ため息をつかれた
放っておかれた



ものごころがつく前のことだから、覚えていない。

けど、
そのときに身体で感じ取った悲しみや恐怖は、
今もしっかり残っているんじゃないだろうか。


2.あぁ、泣く私はダメな子なんだ

そうやって過ごすうちに、自分の中にはいつしか
こんな思い込みができあがったんじゃないかな。

泣いたらダメ
叫んだらダメ
怒ったらダメ



どうして?

泣いたら親を不快にさせる
叫んだら親をイライラさせる
怒ったら親を怒らせる

だから、
親を不快にさせるような
ネガティブな感情を出したらダメ。



どうして親を不快にさせたらダメ?

愛情をもらえないから。
それはつまり、生きていけなくなるから。


自分が泣きたかったときの気持ちは、
親に受け入れてもらえなかった。

「あぁ、泣く私はダメな子なんだ」
「泣きたくても我慢しなきゃ」


いつの間にか、泣きたくなるときの感情
「悲しみ」や「怒り」も、悪者にされていった。

3.本当は私だって、思いきり泣きたいのに!

子どもの泣き声が心に突き刺さるのは、
自分が泣くことを我慢してきたから。

泣く自分は親に受け入れてもらえなかった。

だから見捨てられるのを避けるため、
自分の中にこんなルールを作って生きてきた。

「泣くことは我慢すべき」


なのに、目の前の子は我慢せず泣いている。
泣いてはいけないという”私のルール”を破って。

『私がこれだけ我慢しているのに…。
 本当は私だって、思いきり泣きたいのに!』



自分のネガティブな感情を否定している…
つまり「ネガティブな感情を出してはいけない」
とガマンしている人ほど、ガマンできない人に腹が立ってしまう。


だから、泣いてる子どもに
「そんなことくらいで泣かないの!」と言いたくなったり、
小さなことで怒っている上司を見るとザワザワしたりするんです。


『泣いてる子どもにイライラするのはずっと「あなた」が泣きたかったから』 より



泣き声だけじゃない。

  • 大人の男性が怒っているところが怖い
  • 言い争いの現場にいると罪悪感でいっぱいになる
  • 誰かが𠮟られているのを見ると自分が謝りたくなる

そういう、人の激しい感情にふれるのが苦手なのも、
きっと同じ理由。

本当は怖かった、悲しかった、言い返したかった。
だけどずっと我慢してきた。

なのに、不本意に作った”私のルール”を、
他者はたやすく破る。


それが悲しいんじゃないかな。

4.親自身も、”泣きたい私”に我慢をさせてきた

なら”泣く私”を受け入れてくれなかった親が悪いの?

生きのびるためとはいえ、
子どもに「ゴキゲン取り」をさせた親のせいなの?

それも違う。悪者なんていない。


幼い僕らの泣き声に、親はイライラした。
「うるさい!泣くんじゃない!」と怒鳴った。

どうして?
それは親自身も、泣くことを我慢してきたから。

どうして親自身も、泣くことを我慢してきた?
それは親の親も、同じように接したから。



「泣く私」「怒る私」「感情を出す私」
この”私たち”を悪者にしたのは、僕らが初めてではなかった。

親も、そのまた親も、
”ネガティブな私”を押し殺したから育ててもらえた。

確かに命は、僕らまでつながってきた。

だけど”泣きたい私”は、
もうどれくらい前かもわからない昔に断ち切られていた。


5.あなたの中の”我慢している感情”に気づいて

怒り
イライラ
ザワザワ

僕らが過去に「悪者」にしてきた
これらの感情は教えてくれる。

「あなたの中に、我慢している感情があるよ」
「あなたが不本意に作った”私のルール”があるよ」

と。

「目の前のできごとはただのきっかけ」
「あなたの本音と向き合いなさい」
と。


いつから自分は、
「嬉しい」はどんどん感じていいけど、
「悲しい」は感じてはいけないと決めつけた?

いつから自分は
「喜ぶ」ことは良いことで、
「怒る」ことは悪いことと決めつけた?

泣いていい、怒っていいんだ。
1人になったときにでも、感情を出していいんだ。
感情に良いも悪いもないんだから。



子どもの泣き声は、
子どもの泣き声を苦しいと感じることは、
そう伝えてくれている。



<参考書籍>







posted by 理琉(ワタル) at 19:20 | TrackBack(0) | 家族

2021年08月24日

愚痴ばかり言うのは、いつも敵か味方かを見極めて警戒しているから。

あなたのまわりに1人は
「いつも愚痴や人の悪口ばかり言う人」がいるだろう。

  • こんなことをされて腹が立った
  • あの人のこんな態度がイヤだった

会うたびにこんな話ばかりされると、正直とても疲れる。

愚痴を聞かされる側としては
関わりたくない人、めんどくさい人に分類しがち。


だが、そうやって
人の悪いところを延々と話す人は

「常に警戒している人」
「相手が敵か味方かを見極めている人」


でもあるんじゃないだろうか。

彼らはいつも神経をすり減らし、
自分を必死で守っているんじゃないだろうか。



ー目次ー
  1. ”危険のサイン”を見逃さないため、短所ばかり見る
  2. 強い警戒心は、親が怖かったから
  3. 聞き役のあなたは”お母さん、聞いて聞いて!”と言える人
  4. 他者を攻撃するのは、自分を守るのに必死だから

1.”危険のサイン”を見逃さないため、短所ばかり見る

彼らの話を聞いていると、
他者の優しさや長所をほめることがほとんどない。
自分がイヤだと思ったところを目ざとく見つける。

なぜ、わざわざそこにばかり目がいくんだろう。

それはきっと
自分が不快になるような「危険のサイン」を見逃さないため。


  • 他者のせきやくしゃみ、物音がうるさい
    →大きくて不快な音を立てる危険な存在

  • 店員の接客態度が気に入らない
    →自分をぞんざいに扱う危険な存在

  • 変わった身なりや言動をする人が許せない
    →自分の常識にないことをする危険な存在



自分が理解できないことに出逢っても、
心に余裕があれば「そうなんだ」で終わる。

たとえ心がざわめいても、
「聞いた人が不快になることは言わないでおこう」と思える。

これらができない人が「愚痴ばかり言う人」になる。

なぜできないのか。
「身の危険」が大きすぎて、心にまったく余裕がないから。

2.強い警戒心は、親が怖かったから

では、その人はどうして愚痴をまき散らすほど
警戒するようになってしまったのか。

それはきっと、子どもの頃、親が怖かったから。


  • 親がいつも不機嫌だった
  • 怒鳴り散らされた
  • 否定ばかりされた

そんな家庭環境では、親の地雷を踏まないよう、
常に気を張っていなければならない。

親を怒らせたら恐ろしい思いをする、
そんな親でも見捨てられたら育ててもらえない。

だから、幼い自分が生きのびるためには、
親が怒るサインを見逃すわけにはいかなくなる。



そうやって
”人のネガティブの入口”ばかり注目して育った結果、
親以外の他者に対しても同じ見方をするようになる。

いつのまにか、
「いつ親に攻撃されるかも知れない」から
「いつ他者に攻撃されるかも知れない」になっている。


3.聞き役のあなたは”お母さん、聞いて聞いて!”と言える人

あなたが愚痴の聞き役にされたということは、
感情のゴミ箱にされたということ。

  • この人なら何を言っても許してくれるだろう
  • 反撃してこないから怖くない

  • そうやって甘えられ、依存されたということ。
    聞き役にされた側にとっては苦しい。
    だけど、それはあなたが「味方」と判断された証拠でもある。


    もっと言えば、
    いつも愚痴の聞き役にされて困っているあなたは、
    彼らに「お母さんの代わり」と思われた可能性がある。


    「お母さん、聞いて聞いて!」と言える人。
    「お母さん、私こんなにひどいめにあったんだ」と言える人。

    幼い頃、お母さんに話を聞いてもらえなかった悲しみを
    埋めてくれる存在と思われたのかも知れない。


    たとえば、彼らのお母さんは怖かった。
    ヒステリックだった、いつも子どものことを否定した。

    それでもお母さんから愛されたかった。
    「お母さん、聞いて聞いて!」と言いたかった。

    でも、それが叶わなかった。



    大人になっても、
    彼らは無意識に「お母さんの代わり」を求めた。

    そして、目の前に
    「何でも話を聞いてくれるあなた」が現れた。

    「やっとお母さんの代わりを見つけた」
    そう安心したのもつかの間、悲劇が起きた。


    知識も、語彙力もついた彼らのことを、
    誰も「お母さんに甘えるかわいい子ども」とは
    見てくれなくなった。

    もう外見も子どもじゃない彼らは、
    「愚痴ばかり言う人」「関わりたくない人」
    と思われ、ますます孤独になってしまった。


    4.他者を攻撃するのは、自分を守るのに必死だから

    愚痴や人の悪口ばかり言う人は、
    その攻撃的な言動からどうしても避けたくなる。

    うっかり話を聞いてしまうと、ぐったりと疲れたり、
    エネルギーを奪われたような感覚にすらなる。


    だが、それは彼らの
    ”他者のネガティブなサイン”への過剰反応とも言える。

    「見逃したら恐ろしい目に遭う、幼い頃のように」

    そんな、攻撃的な親の幻影に怯えているのかも知れない。



    だから、あなたがいつも
    愚痴の聞き役にされて困っているなら。
    悪口や陰口を言われて悩んでいるなら。

    こう考えてみれば、きっと心が少し軽くなる。

    『彼らは自分の身を守るのに必死だから
     他者を攻撃したり愚痴をぶつけるんだ』




    <参考書籍1>




    <参考書籍2>



    posted by 理琉(ワタル) at 19:12 | TrackBack(0) | 生き方

    2021年08月20日

    【アダルトチルドレン】親が子どもをコントロールするのは、親の親に認めてもらいたいから。

    ”生きづらさ”に直面したとき、
    問題の根本にはしばしば「子どもをコントロールする親」がいる。


    たとえば、

    • 親に理想の息子・娘の像があり、
      子どもがそれに沿うなら愛情を与える、沿わないなら冷遇する

    • 子どもへの過干渉、否定、罵倒、
      厳しい規則や習い事で縛りつける

    • 子どもを1人の人間と見ず、
      「親の思い通りになる自分の延長」と見る


    どうして親は子どもを支配したり、
    親の欲求のためにコントロールしたりするんだろう。

    それはきっと、親自身が
    親の親に認めてもらえずに育ったから。

    そして、親自身が無意識に
    親の親に認めてもらうための子育てをするから。


    ではないだろうか。


    ー目次ー
    1. 子どもは、親の親に提出するための作品
    2. どうして子どもを作品にするのか
    3. 親の信念は、本当に親自身のものなのか
    4. 親も、その親も、”親に愛されたくて一生懸命な子ども”


    1.子どもは、親の親に提出するための作品

    子どもを1人の人間として見られない親にとって、
    子どもは「自分の価値を上げるための作品」。


    そのために子どもに厳しくしたり、行動を制限したりする行為は、
    「よそ様が」「世間体が」「人に迷惑をかけてはいけないから」
    と言って正当化される。

    そうやって、一見
    「厳しい社会で生きていくため」を装っても、
    真の目的は別のところにある。


    親は自分の作品を提出し、自分を評価してもらいたい。

    誰に?親自身の親に。
    どんな作品?もちろん、親の親が気に入るような作品。



    親は「子どものためを思って」コントロールしていても、
    心の奥底にはこんな叫びを抱えているのではないか。

    『お父さん、お母さん、見て見て、
     私はこんなにすごい子ども(=作品)を作ったよ。

     お父さんとお母さんが私に教えた理想の通りに作ったんだよ。
     だからお願い、認めてよ、すごいねって褒めてよ。
     こっちを向いてよ、抱きしめてよ、愛情がほしいよ』


    2.どうして子どもを作品にするのか

    昨今、これだけ毒親が問題になっているのに解決が難しいのは、
    親自身が子どもをコントロールしていることに気づかないか、
    それを悪いことだと思っていないから。

    コントロールする=作品の調整をするのは親心であり、
    愛情であると思っている親が多いから。


    では、なぜそう思うようになってしまったのか。

    それはきっと、
    親自身も作品としてコントロールされてきたから。


    だから、今は子どもをコントロールしている親も、
    無意識にこんな思いに苦しんでいるかも知れない。

    『私のお父さん・お母さんは
     おじいちゃん・おばあちゃんの理想に沿うように私をしつけた。

     だけど、おじいちゃん・おばあちゃんはいつまでたっても
     お父さん・お母さんのことを認めたり褒めたりしなかった。

     だからお父さん・お母さんは次こそ認めてもらいたくて、
     ますます私のことを厳しくしつけた。

     きっと、おじいちゃん・おばあちゃんも同じだったんだ。
     認めてもらいたくて、認めてもらえなくて、
     自分の子どもを使ってリベンジしようとしてきた。

     私はお父さん・お母さんの操り人形なのかなぁ…。』



    疑問に思っても、大人になるにつれて、
    それが「当たり前の親像」になっていった。

    そして今、同じことを子どもにしている。
    そうやって連鎖してきたのではないだろうか。

    3.親の信念は、本当に親自身のものなのか

    僕の父は、僕を厳しく管理し、
    気に入らなければ怒鳴る人だった。

    厳しいしつけ、門限や就寝時間の厳守、
    「学校を休んではならない」という掟。

    父は僕に怒鳴ったり、
    説教したりした最後に、よくこう叫んだ。

    「男はすべてを我慢して家族のために働くものだ」
    「お前は社会をなめている、甘えている」



    当時はただ恐怖だった。
    悲しくて、怒りに震えても、怖くて何もできなかった。

    だが、大人になり当時を振り返ると、1つの疑問が生まれた。

    『「男はすべてを我慢して家族のために働くものだ」
     という信念は、本当に彼自身のものなのか?』



    もしかすると、
    父自身が幼い頃、祖父に認めてもらえずに育ったのでは?
    厳しいしつけや罰則で息苦しい少年時代を過ごしたのでは?

    そんな中で、
    父が僕にとっての祖父に認めてもらえる唯一の方法が
    「”すべてを我慢して家族のために働く男”になること」だったとしたら。

    父が繰り返した言葉は、
    祖父に認められたい一心で作り上げた「かりそめの信念」ではないか。


    かりそめだから、本当は苦しい。
    それでも、本音を押し殺した人生を正当化したいあまり、
    あたかもそれを自分自身の信念と思い込みたかったのではないか。

    まるで自分に刷り込ませるかのように、強い口調で、何度も繰り返して。

    4.親も、その親も、”親に愛されたくて一生懸命な子ども”

    きっと、ほとんどの親が子どもに愛情を注いでいる。

    結果的にコントロールになっていても、その理由が

    • 本当に血も涙もない人だから
    • 自分の利益しか考えない冷酷な人だから

    という親はほとんどいないと思う。
    きっと、愛情の伝え方がわからなかっただけ。


    親自身も、お父さんとお母さんが大好きだから、
    認めてもらえなかったことが今でも悲しいのではないか。

    大人になり、親になっても
    「親に認めてもらいたかった、愛されたかった」
    という欲求が満たされないままなのではないか。

    だからこそ、
    自分の延長=作品である我が子をコントロールし、
    「親の親が描く理想像」に応えようとするのではないか。


    たとえ、親の親がすでにこの世にいなくても、
    未だに「親の亡霊」の言葉に支配されながら。


    たしかに、親は子どもを傷つけてきた。
    親の親も、そのまた親も、悲しみは連鎖してきた。

    だけどきっと、加害者なんてどこにもいなかった。

    ただ、歴代の親の中にいる
    「親に愛されたくて、一生懸命な子ども」が、
    親の愛情を求めただけだった。








    posted by 理琉(ワタル) at 19:23 | TrackBack(0) | 家族

    2021年08月11日

    【アダルトチルドレン】戦争後遺症が「わかってくれない親」を生み出した。

    たとえば、子どもから”毒親”と呼ばれた親はこう言う。
    「子どものことは私がいちばんわかっているのに」

    そんな親の言葉に対して、子どもはこう言う。
    「親がわかってくれない」


    親子の主張は平行線のまま、親はこう嘆く。
    「あんなに苦労して育てたのにどうして」

    親のそんな言葉にショックを受けた子どもは、こう嘆く。
    「私じゃなくても誰でもよかったんでしょう?」

    なぜ、こんなすれ違いが起こるんだろう。


    それはおそらく、親子の間で
    「わかってもらうこと」への認識がズレているから。

    • 親にとっての”子どもへの関心”は
      「子どもを育てて、生きのびてもらうこと」

    • 子どもにとっての”子どもへの関心”は
      「自分の気持ちに興味を向けて、共感してもらうこと」


    そして、このズレの背景には、
    戦争の後遺症があるのではないだろうか。



    ー目次ー
    1. 戦時を生きのびるために、感情を閉じた
    2. 安全がほしい親、共感がほしい子ども
    3. 戦争後遺症は、アダルトチルドレンを大量に生み出す

    1.戦時を生きのびるために、感情を閉じた

    戦時中は「生きるか死ぬか」の極限状態だ。

    目の前で人が死ぬ、家を失う、そんなことが平気で起こる。
    そのたびに「悲しい」「怖い」などと感じていたら身がもたない。


    だから僕らの親か祖父母はきっと、感情を閉じた。
    感情を感じないよう、心にフタをした。

    彼らの人生の至上命題は「生き残ること」になった。
    人の気持ちに寄り添う、共感するなど「余計なこと」になった。



    戦争が終わり、そうして生きのびた人が親になると、
    子どもにも「とにかく生き残れ」と教えた。

    気持ちがどう、共感がどう、
    などと言っていられる環境ではなかったから。


    戦時を生きのびるため、
    「人の気持ちに寄り添うこと」を諦めた祖父母。

    その祖父母に「人の気持ちに寄り添うこと」を
    教えられずに育てられた親。

    そして、
    「人の気持ちに寄り添うこと」を知らない親に
    育てられた僕らはこう言う。

    「親がわかってくれない」



    戦火は、人間の”感情”まで吹き飛ばしてしまった。

    2.安全がほしい親、共感がほしい子ども

    「マズローの欲求5段階説」によると、
    人間の欲求はおおよそ5段階に分けられる。

    そして下位の欲求が満たされると、
    上位の欲求を満たそうとする心理があるという。

    1. 「生理的欲求」:食事、睡眠
    2. 「安全の欲求」:安全な暮らしがしたい、危機を回避したい
    3. 「社会的欲求」:愛情、仲間意識、集団へ所属したい
    4. 「承認欲求」:自分を高く評価してほしい
    5. 「自己実現の欲求」:自分らしく生きたい


    これに沿って考えると、

    僕らの言う「親がわかってくれない」とは、
    『親が「3.社会的欲求」を満たしてくれない』

    そして、
    親の言う「あんなに苦労して育てたのにどうして」とは、
    『「2.安全の欲求」を満たしているのになぜ不満なの?』


    この時点で、すでにズレているのだ。


    戦時中、そして戦後は、
    そもそも安全が満たされていなかった。

    だから、
    その中を生きてきた祖父母世代と、
    その影響を強く受けた親世代は、
    今も安全欲求が満たされていない(と思っている)。

    一方、僕らは戦争を知らないため、
    始めから安全欲求が満たされている。

    だからこそ、
    「気持ちをわかってほしい」という、
    次の段階の欲求にたどり着ける。


    生きのびることに必死な親と、
    生きのびることは当たり前な子ども。


    「わかってくれない」というすれ違いは、
    満たされていない欲求の違いでもある。

    3.戦争後遺症は、アダルトチルドレンを大量に生み出す

    「わかってくれない親」の中には、こういう親もいると思う。

    • 親が自分自身の気持ちにしか興味がない
    • 親には子どもの気持ちに寄り添う余裕がない
    • 親が子どもを「自分の価値を上げるための作品」と見ている


    だけど、「わかってくれない」は決して、
    そんな親の自己都合だけじゃない。

    戦火をくぐり抜けた後遺症で、
    「人の気持ちに寄り添うことを知らない人」が、
    たくさん生まれてしまったことも一因ではないだろうか。



    『確かに親はたくさん食べさせてくれた、
     住む家も服もあった、希望の学校にも行かせてくれた。

     だけど、私が本当にほしかったのは共感だった。

     私が何に興味を持ち、何を考えているのか。
     私がどういう性格で、何がイヤで何が嬉しいのか。

     世界に1人しかいない”親”だからこそ、
     私の内面を理解してもらいたかったんだ』



    戦争の後遺症は、
    そんな寂しさに苦しむアダルトチルドレンを、
    大量に生み出してしまったのかも知れない。







    posted by 理琉(ワタル) at 19:59 | TrackBack(0) | 家族

    2021年08月10日

    【YouTube:英訳つき自作ミュージックビデオ5作目】魔王魂『ハルジオン』。

    僕は2020年12月より動画制作を始め、
    YouTubeへの投稿をスタートしました。

    本記事で紹介するのは、
    英訳つき自作ミュージックビデオ5作目:

    魔王魂『ハルジオン』

    あわせて制作のコンセプトや、使用したものも紹介します。
    ※著作権フリーの楽曲をお借りしています。


    ー目次ー
    1. 制作した動画
    2. 作品の概要
    3. 英訳つき歌詞
    4. 制作の所感

    1.制作した動画




    2.作品の概要


    3.英訳つき歌詞

    『ハルジオン』
    ”Philadelphia Fleabane”

    ーーーーーーーーーー

    作詞作曲:森田 交一
    ボーカル:KEI

    Music & Lyrics: Koichi Morita
    Vocal: KEI

    ギター:森田 交一, 村上 友太
    ベース:森田 交一

    Guitar: Koichi Morita, Yuta Murakami
    Bass: Koichi Morita

    ーーーーー

    駆け巡る想いは いつまでも消化できずに
    The feelings of running around are still undigested,

    伝えたい想いは いつまでも言葉にならない
    and the feelings I want to convey are still unspeakable.

    振り返ることより 羽ばたける翼 動かせば
    Rather than looking back, moving the flapping wings is

    心閉じているより 苦しまずにすむのに
    less painful than closing my heart. Even so...


     Ah 行かないで 消えないで 夢から醒めないでずっと
     Ah, don't leave, don't disappear.
     Don't wake up from my dreams forever.

     掴んでも 掴んでも それは幻のまま
     No matter how many times I grabbed it,
     it remained an illusion.

     Ah 行かないで 消えないで 最後に交わした言葉も
     Ah, don't leave, don't disappear.
     The last words I exchanged with you also

     消えてゆく 止められず 手のひらからこぼれた
     disappeared, I couldn't stop it,
     and it spilled from my palm.

     ハルジオン
     Philadelphia Fleabane...

    ーーーーー

    引きずるこの想い 翼は飛ぶことも忘れ
    I dwelled on this feeling so much
    that my wings even forgot to fly.

    だけど消えない想い どうすることもできないまま
    But my feelings that never disappear remain uncontrollable.

    『どうせ何も変わらない』
    "Nothing changes anyway."

    口癖はいつも人生を 少し曇らせている
    That habit has always clouded my life a little.

    わかっているはずなのに
    I should be aware. Even so ...


     Ah うたかたの夢ならば せめて幻の虜に
     Ah, if it's a fleeting dream,
     at least I want to be addicted to a phantom.

     浮かんでは消えてゆく 想いの欠片眺め
     While looking at the fragments of feelings
     that float and disappear.

     Ah 切なさと無力さに 打ち震える力も無く
     Ah, I didn't even have the energy
     to be overwhelmed by sadness and helplessness,

     過ぎ去った幻に ただ立ち尽くしたまま
     and I just stood still in the illusion that had passed.

    ーーーーー

    霞んでは消えてゆく
    It disappears in the haze...

    霧の中 夢の中
    Beyond the fog, beyond the dreams...


     Ah 行かないで 消えないで 夢から醒めないでずっと
     Ah, don't leave, don't disappear.
     Don't wake up from my dreams forever.

     掴んでも 掴んでも それは幻のまま
     No matter how many times I grabbed it,
     it remained an illusion.

     Ah 行かないで 消えないで 最後に交わした言葉も
     Ah, don't leave, don't disappear.
     The last words I exchanged with you also

     消えてゆく 止められず 手のひらからこぼれた
     disappeared, I couldn't stop it,
     and it spilled from my palm.


     Ah うたかたの夢ならば せめて幻の虜に
     Ah, if it's a fleeting dream,
     at least I want to be addicted to a phantom.

     浮かんでは消えてゆく 想いの欠片眺め
     While looking at the fragments of feelings
     that float and disappear.

     Ah 切なさと無力さに 打ち震える力も無く
     Ah, I didn't even have the energy
     to be overwhelmed by sadness and helplessness,

     過ぎ去った幻に ただ立ち尽くしたまま
     and I just stood still in the illusion that had passed.


     ハルジオン
     Philadelphia Fleabane...

    4.制作の所感

    • 独自テーマ「夏・ホタル・思い出」の設定
    • 表現はシンプルに、動画素材を重ねすぎない

    この2つの課題に挑戦した作品。

    ”あの夜、2人で見たホタル”
    ”あの夏、2人で行ったお祭り”
    ”もうあの頃に戻れないなら、せめて幻の虜に”

    いま持っている編集技術で、
    そんな切ない気持ちの表現を試みた。



    動画制作は大変、だけどやっぱり楽しい。

    たとえクォリティが低くても、
    作るのが大変な分、完成した時の喜びは言葉にならない。


    今作も、公開した動画を観て泣いた。





    2021年08月06日

    【アダルトチルドレン】いつも苦手な人に捕まるのは、親との関係を再現しているから。

    恋愛、友人、職場などで

    「いつも苦手な人に捕まってしまう」
    「イヤなはずなのになかなか離れられない」
    「なぜかこの人には言いたいことが言えない」

    という経験はないだろうか。


    人間同士だから、
    どうしても苦手な人や、そりが合わない人はいる。

    ただ、過去の人間関係を振り返ったとき、
    いつも自分が捕まってしまう人の気質には
    共通点がなかっただろうか。

    もし共通点が見つかった場合、
    幼少期の親との関係を再現している可能性がある。



    ー目次ー
    1. 親を怒らせたら生きていけない
    2. 親と似た気質の人に親を重ねる
    3. 怖かった父親との関係の再現
    4. あのとき我慢した感情に気づいて

    1.親を怒らせたら生きていけない

    子どもは親に見捨てられたら生きていけない。
    だから無意識に、親の要求に応えるために行動する。


    「良い子にしていれば親からほめられた」
    「親の言うことに逆らわなければ世話してもらえた」

    それらを「親に気に入られる成功体験」として学習する。


    逆に、
    「駄々をこねると外へ放り出された」
    「親に逆らうと怒鳴られたり殴られた」

    という体験は、
    「親を怒らせる=生きていけなくなる行為」として学習する。

    その恐怖はトラウマとなり、心の奥底に刻まれる。

    2.親と似た気質の人に親を重ねる

    大人になってからも、
    親と似た気質の人が現れると、
    かつて刻まれた恐怖体験がよみがえる。

    その恐怖から身を守るため、無意識にその人と親を重ねる。

    その人の中に「逆らってはいけない人リスト」があるとしたら、
    いつの間にかこんな追記がされている。

    • 親と似た気質のすべての人(←New!)


    だからこそ、親でもない他人にこう思ってしまう。

    「この人の要求に応えないと見捨てられる」
    「この人に逆らうと怒鳴られる、殴られる」
    「そうなったら生きていけないよ」


    こうして、
    親と似ているだけの他人の要求に応えようとする。
    親と似た性格なだけの他人に反論できない。


    かつて親に支配されたのと同じように、
    その人に支配されてしまう。

    3.怖かった父親との関係の再現

    僕の父親は威圧的で、
    自己愛と支配欲の強い人だった。

    幼少期の僕は、そんな父に怒鳴られたり、
    長い説教に捕まるのが怖かった。

    「父と関われば怒鳴られる、説教される」
    「だから関わるな、怒らせるな」
    「何を言われても、言い返すな」

    怯える毎日の中で、父の恐怖をやり過ごす方法を学んだ。


    大人になっても、僕は攻撃的な人に悩み続けた。

    愚痴の聞き役にされても「イヤだ」と言えない。
    無理な頼みごとをされても断れない。
    つらい関係なのになかなか離れられない。

    それは無意識に、その人に父親を投影していたからだった。


    実際には、威圧的な人こそがいちばん怯えている。

    支配されるのが怖いから、先に相手を恐怖で支配する。
    攻撃されたら耐えられないから、先に攻撃する。
    そうやって、自分を強く見せようと必死なだけ。

    誰に支配されるのが怖い?
    誰から攻撃されるのが怖い?
    その人自身の親だ。

    一見、強そうなその人も、本当はずっと親の影に怯えている。

    何度も同じような人との関係に悩んだ末、
    ようやくそこに気づいた。

    4.あのとき我慢した感情に気づいて

    たとえばパートナーからのDVやモラハラがつらいのに、
    なぜか離れられないとき。

    対等な交友関係を結べず、
    なぜかいつも支配されてしまうとき。

    あなたは無意識に、
    相手に「親」を重ねているのかも知れない。


    それは幼い頃のあなたが必死で考えた、
    生きのびるための方法。

    親に世話してもらうために、
    親から攻撃されないために、我慢した証拠。



    あなたが何度も、苦手な人に捕まるのは、
    きっとあなたの心がこう伝えたいからだ。

    「また親との関係を再現しているよ」
    「自分の中のトラウマに気づいてよ」

    「あのとき我慢した感情にも、早く気づいてあげてよ」




    →あわせて読みたい
     気にしないのも大切だけど、気にする自分も否定しないであげてね。



    posted by 理琉(ワタル) at 19:19 | TrackBack(0) | 家族

    2021年07月30日

    【アダルトチルドレン】なぜ母は子どもを助けなかったのか。

    僕の両親は

    父親:ヒステリック、不機嫌、怒鳴る、説教が長い
    母親:黙って従う、無口

    という組み合わせだった。



    僕は小さい頃から、父に怒鳴られるのが怖かった。

    父とは関わらない、話しかけない、同じ空間にいない、
    そればかり考えて怯えていた。

    父がなぜこれほどまでに攻撃的なのか、
    子ども心に不思議だった。

    そしてもう1つ不思議だったのは、
    「母はなぜ、父に怒鳴られる僕を助けてくれなかったのか?」
    ということだった。


    ー目次ー
    1. 自分を守るのに必死
    2. ”嫁は耐えて当たり前”という洗脳
    3. 経済力のある者に従って生きのびる
    4. 母もアダルトチルドレン

    1.自分を守るのに必死

    夫の暴力やモラハラを自分に向けさせないために、
    子どもをスケープゴートにする母親もいる。


    僕の両親はケンカもしないし、
    一見すると穏やかな関係だった。

    それもあって、僕は長いこと
    「母が自分の子どもを身代わりにした可能性」
    を信じられなかった。


    それでも、支配的な父からのストレスを
    母も少なからず受けていたはずだ。

    直接的な暴力や罵倒はなくとも、
    父からの無言の要求を見逃さないよう、
    つねに気を張っていなければならない。

    子どもが怒鳴られたり、説教されている間は、
    そのストレスを自分に向けられなくてすむ。


    たとえ無意識にでも、
    母は子どもを”いけにえ”に捧げることで、
    自分を守っていたのかも知れない。

    2.”嫁は耐えて当たり前”という洗脳

    母にはそもそも、
    「父親に攻撃される子どもを助ける」
    という発想自体がなかった可能性がある。


    母が子ども時代を過ごしたのは、
    敗戦のトラウマが残る昭和30〜40年代。

    家父長制も、
    力ある者に従って当たり前という風潮も、
    色濃く残っていただろう。


    そして、幼少期の母から見た”家庭”とは、
    おそらくこのようなものだった。
    おばあちゃんが家のすべてを取り仕切る
    お母さんは女中のようにこき使われる
    長女のわたしはいつもこう教えられる

    「完璧な家事で家を守れ」
    「嫁は一家の長の命令に耐えて当たり前」


    一家の長は夫。
    だから嫁(=わたし)や子どもは
    夫の言うことに従うのが当たり前。


    母は自分の祖母や親を見て、
    無意識にそんな価値観に染まったのかも知れない。

    3.経済力のある者に従って生きのびる

    母は専業主婦だった。

    就労経験も少なく、
    経済的には完全に父に依存していた。


    そんな母にとって、
    夫を怒らせることは生活の崩壊を意味した。

    たとえ、子どもを攻撃する夫に
    思うところがあったとしても。

    子どもを守る行為がもとで
    夫に見捨てられたら生きていけない。



    父に怒鳴られたり、説教が終わった後。
    恐怖に怯え、怒りにふるえる僕に、母はこう言った。

    「お父さんは大変だから仕方ないの」

    母はいつも、子どもではなく夫を擁護した。
    いや、生きのびるために、擁護せざるを得なかった。

    4.母もアダルトチルドレン

    「父親に恐怖していた僕を、なぜ助けてくれなかったのか」

    家族問題の勉強を始めて、
    母への恨みがましい気持ちや、
    見捨てられたような悲しみに気づいた。

    同時に、
    母へ悲しみや恨みをぶつけても、
    誰かを無理やり加害者に仕立てても、
    誰も幸せになれないことにも気づいた。



    母もずっと我慢してきた、
    強烈なアダルトチルドレンだ。

    子どもの頃には自分の祖母や親に対して、
    大人になってからは夫や生活に対して。
    本当の気持ちを押し殺して、我慢してきた。

    生きのびるために、
    自分の気持ちに共感してもらうことや、
    素直な感情を表現することをあきらめてきた。


    きっと、祖母も、その親もずっと…。


    みんな「我慢病」をわずらってきた。
    本当の気持ちをないがいしろにされ、
    孤独に命をつないできた。

    その命の先端にいる僕ができることは、
    親を責めることでも、被害者意識を振りかざすことでもない。

    この「我慢病」の世代間連鎖に気づいて、止めることだ。




    posted by 理琉(ワタル) at 19:38 | TrackBack(0) | 家族

    2021年07月27日

    【遅咲き】何かを始めるのに年齢は関係ない、楽しいかどうかで決めればいい。

    社会人バスケを続けていると、
    本当にいろんな経歴の選手に出会う。

    学生時代からのエース。
    長いブランクを経ての復帰。
    バスケ以外のスポーツから参入。

    人生の道は本当に無限だと実感する。



    そして、
    現役で社会人バスケを続けている選手には遅咲きが多い
    ことにも気づく。

    僕の知っているバスケ仲間に限っても、
    こんなにすごい選手がいる。

    • 社会人からバスケを始めたエース級の選手
    • 40歳を超えてからベンチプレス100kg達成した選手
    • サッカー・野球・マラソンなどとの二刀流選手
    • 55歳の現役バリバリ選手




    彼らの超人的なプレーや、
    バスケに真剣な姿を見るたびに思い知らされる。

    何かを始めるのに年齢なんて関係ない、
    楽しいかどうかで決めればいいんだ。


    と。



    彼らは10代、20代の選手に走り負けたり、
    押し負けたりしない。

    それどころか、若い選手よりも
    エネルギッシュにコートを駆け回る。

    その姿はまさに

    「年齢なんてただの数字」

    を体現している。



    「いまさら経験者に追いつけないから」
    「小さい頃からやっていないから」
    「失敗したくないから」
    「年だから」

    年齢が上がれば上がるほど、
    やらない理由を見つけるのが簡単になる。

    仕事、家庭、社会的な地位、プライドなど、
    しがらみも増えていく。



    でも、
    そうやってやりたいことを我慢して生きるのは、
    本当に自分の本心だろうか。

    楽しそうだからやる。楽しいから続ける。
    そんな自分の本音に素直になっていいじゃないか。


    僕はいつも、そう学ばせてもらっている。



    何かを始めることに、臆病になったとき。
    僕は社会人バスケで出会う遅咲きの選手たちを思い出す。

    そしたら不思議と、臆病な自分が一歩を踏み出してくれる。



    【公式】スポーツ用品総合通販ならスーパースポーツゼビオ



    posted by 理琉(ワタル) at 19:31 | TrackBack(0) | バスケ

    2021年07月24日

    【ブログと向き合う】ブログ連続更新を950日でやめて思うこと。

    先日、ブログ連続更新を950日でやめた。

    1つの目標としていた「1000日連続更新」に
    届かなかったことは悔しい。



    理由はいろいろあるが、
    「更新のための更新」がつらくなったことが大きい。

    ブログを書くことが楽しかった、
    自分の内面を表現できることが嬉しかった、

    はずなのに。

    いつの間にか、
    たかだか「毎日更新する」ためだけに、
    寝る時間まで削って書いていた。



    僕はたった今、大きな挫折をした。

    そのはずなのに、
    今はとてもすがすがしい気持ちだ。


    それは、
    いちど立ち止まり、自分のブログと向き合えたから。
    ブログとの付き合い方を考えるきっかけになったから。




    僕は何のためにブログを書いてきたのか?
    副業を始めて稼ぎたいからか?それだけか?

    ここまで続けられたモチベーションは、
    本当に「稼ぎたいから」か?

    「自分を表現できることが楽しいから」
    ではなかったか?


    一体いつから、
    毎日更新すること自体が目的になった?




    SEO対策
    集客・マネタイズ
    キーワード選定
    マーケティング戦略
    売れそうなジャンルを探す
    etc…

    そんなことをあれこれ考えて。

    稼ぐことと、書きたいことの狭間で、
    揺れながらブログを書いて、

    楽しかったか?
    つらくなかったか?
    僕にとってブログとは何だ?


    自問自答の中で、
    「自分はブログを通して何がしたかったのか」に
    気づくことができた。



    それに、
    「楽しさを忘れながら1000記事近く書いたこと」
    自体からも、多くを学べた。


    キーワード上位表示を狙って書いた記事なら、
    「この記事ではGoogleに評価されない」
    ことを学べた。

    収益化を狙って書いた記事なら、
    「こう書いても収益につながらない」
    ことを学べた。

    数々の失敗、挫折、苦しみ、寝不足は、
    僕の財産として残った。




    ブログで何の実績もない僕でも、
    今ならエジソンのこの言葉を、少しは理解できるだろうか。

    ”I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work.”
    「私は失敗などしていないよ。1万通りのうまくいかない方法を見つけただけさ。」



    posted by 理琉(ワタル) at 19:40 | TrackBack(0) | 人生観

    2021年07月23日

    【バスケ】謙虚に教えを請い、仲間を頼る姿勢が大切。

    僕は数年前まで、
    3ポイントシュートが届かなかった。


    「チーム1のシューターになりたい」
    そんな目標を掲げ、何年も1人で練習した。

    それでも、届かなかった。

    「筋力が足りないのか?」
    「身体の使い方が悪いのか?」

    誰にも相談せず、1人で悶々と悩み続けた。



    ある日、僕は2人のバスケ仲間に
    3ポイントシュートをどう打っているか尋ねた。


    そこで教えてもらったことを
    自分なりにかみ砕いて、練習を変えた。

    数ヶ月後、
    気づいたら僕は普通に3ポイントシュートを打っていた。

    意地を張らずに仲間を頼ること、
    謙虚に教えを請う姿勢の大切さを、
    身にしみて学んだ。




    確かに、
    自分の力でやり遂げようとする姿勢は大切だ。

    何でも人にやってもらうばかりでは、
    自分には何ひとつ残らないし、
    道を切り開く力もつかない。

    だけど、1人の力には限界がある。

    どれだけ学んでも、
    自分が気づいていない視点や考え方はいくらでもある。


    だからこそ、
    NBAのトップ選手にさえ何人もの専属コーチがついている。



    それに、
    教えを請うことは決して”負ける”ことじゃない。

    自分が何年も解決できなかったことが、
    人に教えてもらってあっさり解決しても、

    「今までやってきたことはムダだったのか?」

    なんて思う必要もない。


    少し、遠回りしただけ、
    少し、やり方がちがっただけ。

    それに気づかせてくれた仲間には、
    本当に感謝している。



    もしあなたに、
    なかなか上達しないプレーがあって悩んでいるなら。
    長い間、解決できていない問題があるなら。

    仲間を頼り、教えを求めてみてはどうだろうか。



    【公式】スポーツ用品総合通販ならスーパースポーツゼビオ



    posted by 理琉(ワタル) at 19:51 | TrackBack(0) | バスケ
    検索
    プロフィール
    理琉(ワタル)さんの画像
    理琉(ワタル)
    自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
    プロフィール
    最新記事
    カテゴリーアーカイブ
    ×

    この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。