2021年07月30日
【アダルトチルドレン】なぜ母は子どもを助けなかったのか。
僕の両親は
父親:ヒステリック、不機嫌、怒鳴る、説教が長い
母親:黙って従う、無口
という組み合わせだった。
僕は小さい頃から、父に怒鳴られるのが怖かった。
父とは関わらない、話しかけない、同じ空間にいない、
そればかり考えて怯えていた。
父がなぜこれほどまでに攻撃的なのか、
子ども心に不思議だった。
そしてもう1つ不思議だったのは、
「母はなぜ、父に怒鳴られる僕を助けてくれなかったのか?」
ということだった。
ー目次ー
夫の暴力やモラハラを自分に向けさせないために、
子どもをスケープゴートにする母親もいる。
僕の両親はケンカもしないし、
一見すると穏やかな関係だった。
それもあって、僕は長いこと
「母が自分の子どもを身代わりにした可能性」
を信じられなかった。
それでも、支配的な父からのストレスを
母も少なからず受けていたはずだ。
直接的な暴力や罵倒はなくとも、
父からの無言の要求を見逃さないよう、
つねに気を張っていなければならない。
子どもが怒鳴られたり、説教されている間は、
そのストレスを自分に向けられなくてすむ。
たとえ無意識にでも、
母は子どもを”いけにえ”に捧げることで、
自分を守っていたのかも知れない。
母にはそもそも、
「父親に攻撃される子どもを助ける」
という発想自体がなかった可能性がある。
母が子ども時代を過ごしたのは、
敗戦のトラウマが残る昭和30〜40年代。
家父長制も、
力ある者に従って当たり前という風潮も、
色濃く残っていただろう。
そして、幼少期の母から見た”家庭”とは、
おそらくこのようなものだった。
一家の長は夫。
だから嫁(=わたし)や子どもは
夫の言うことに従うのが当たり前。
母は自分の祖母や親を見て、
無意識にそんな価値観に染まったのかも知れない。
母は専業主婦だった。
就労経験も少なく、
経済的には完全に父に依存していた。
そんな母にとって、
夫を怒らせることは生活の崩壊を意味した。
たとえ、子どもを攻撃する夫に
思うところがあったとしても。
子どもを守る行為がもとで
夫に見捨てられたら生きていけない。
父に怒鳴られたり、説教が終わった後。
恐怖に怯え、怒りにふるえる僕に、母はこう言った。
「お父さんは大変だから仕方ないの」
母はいつも、子どもではなく夫を擁護した。
いや、生きのびるために、擁護せざるを得なかった。
「父親に恐怖していた僕を、なぜ助けてくれなかったのか」
家族問題の勉強を始めて、
母への恨みがましい気持ちや、
見捨てられたような悲しみに気づいた。
同時に、
母へ悲しみや恨みをぶつけても、
誰かを無理やり加害者に仕立てても、
誰も幸せになれないことにも気づいた。
母もずっと我慢してきた、
強烈なアダルトチルドレンだ。
子どもの頃には自分の祖母や親に対して、
大人になってからは夫や生活に対して。
本当の気持ちを押し殺して、我慢してきた。
生きのびるために、
自分の気持ちに共感してもらうことや、
素直な感情を表現することをあきらめてきた。
きっと、祖母も、その親もずっと…。
みんな「我慢病」をわずらってきた。
本当の気持ちをないがいしろにされ、
孤独に命をつないできた。
その命の先端にいる僕ができることは、
親を責めることでも、被害者意識を振りかざすことでもない。
この「我慢病」の世代間連鎖に気づいて、止めることだ。
父親:ヒステリック、不機嫌、怒鳴る、説教が長い
母親:黙って従う、無口
という組み合わせだった。
僕は小さい頃から、父に怒鳴られるのが怖かった。
父とは関わらない、話しかけない、同じ空間にいない、
そればかり考えて怯えていた。
父がなぜこれほどまでに攻撃的なのか、
子ども心に不思議だった。
そしてもう1つ不思議だったのは、
「母はなぜ、父に怒鳴られる僕を助けてくれなかったのか?」
ということだった。
ー目次ー
- 自分を守るのに必死
- ”嫁は耐えて当たり前”という洗脳
- 経済力のある者に従って生きのびる
- 母もアダルトチルドレン
1.自分を守るのに必死
夫の暴力やモラハラを自分に向けさせないために、
子どもをスケープゴートにする母親もいる。
僕の両親はケンカもしないし、
一見すると穏やかな関係だった。
それもあって、僕は長いこと
「母が自分の子どもを身代わりにした可能性」
を信じられなかった。
それでも、支配的な父からのストレスを
母も少なからず受けていたはずだ。
直接的な暴力や罵倒はなくとも、
父からの無言の要求を見逃さないよう、
つねに気を張っていなければならない。
子どもが怒鳴られたり、説教されている間は、
そのストレスを自分に向けられなくてすむ。
たとえ無意識にでも、
母は子どもを”いけにえ”に捧げることで、
自分を守っていたのかも知れない。
2.”嫁は耐えて当たり前”という洗脳
母にはそもそも、
「父親に攻撃される子どもを助ける」
という発想自体がなかった可能性がある。
母が子ども時代を過ごしたのは、
敗戦のトラウマが残る昭和30〜40年代。
家父長制も、
力ある者に従って当たり前という風潮も、
色濃く残っていただろう。
そして、幼少期の母から見た”家庭”とは、
おそらくこのようなものだった。
おばあちゃんが家のすべてを取り仕切る
お母さんは女中のようにこき使われる
長女のわたしはいつもこう教えられる
「完璧な家事で家を守れ」
「嫁は一家の長の命令に耐えて当たり前」
一家の長は夫。
だから嫁(=わたし)や子どもは
夫の言うことに従うのが当たり前。
母は自分の祖母や親を見て、
無意識にそんな価値観に染まったのかも知れない。
3.経済力のある者に従って生きのびる
母は専業主婦だった。
就労経験も少なく、
経済的には完全に父に依存していた。
そんな母にとって、
夫を怒らせることは生活の崩壊を意味した。
たとえ、子どもを攻撃する夫に
思うところがあったとしても。
子どもを守る行為がもとで
夫に見捨てられたら生きていけない。
父に怒鳴られたり、説教が終わった後。
恐怖に怯え、怒りにふるえる僕に、母はこう言った。
「お父さんは大変だから仕方ないの」
母はいつも、子どもではなく夫を擁護した。
いや、生きのびるために、擁護せざるを得なかった。
4.母もアダルトチルドレン
「父親に恐怖していた僕を、なぜ助けてくれなかったのか」
家族問題の勉強を始めて、
母への恨みがましい気持ちや、
見捨てられたような悲しみに気づいた。
同時に、
母へ悲しみや恨みをぶつけても、
誰かを無理やり加害者に仕立てても、
誰も幸せになれないことにも気づいた。
母もずっと我慢してきた、
強烈なアダルトチルドレンだ。
子どもの頃には自分の祖母や親に対して、
大人になってからは夫や生活に対して。
本当の気持ちを押し殺して、我慢してきた。
生きのびるために、
自分の気持ちに共感してもらうことや、
素直な感情を表現することをあきらめてきた。
きっと、祖母も、その親もずっと…。
みんな「我慢病」をわずらってきた。
本当の気持ちをないがいしろにされ、
孤独に命をつないできた。
その命の先端にいる僕ができることは、
親を責めることでも、被害者意識を振りかざすことでもない。
この「我慢病」の世代間連鎖に気づいて、止めることだ。
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