2021年09月12日
謝らない人が自己正当化するのは、”正しい勝者でいなければ恐ろしい目に遭う”という思いが強いから。
「自分に非があるとわかっていても謝らない人」
に出逢うことがある。
彼らは謝罪の言葉のかわりに、
その場の状況や理屈を説明する。
非を認めない姿勢ばかり取っていると、
人が離れていき、自分の首を絞める。
にもかかわらず、彼らは自己正当化を繰り返す。
なぜ「ごめんなさい」だけが言えないんだろう。
それは、
正しい自分でいられなかったときに湧きあがる
「恥の感情」に耐えられないから
傷つきやすい心を守るために、
必死で罪悪感から目をそらしているから
ではないだろうか。
ー目次ー
人間関係を上下や優劣で考えていると、
こういう思いにとらわれやすくなる。
「謝ることは負けを認めること」
自分の方が正しいか、優位か、能力が上か下か。
正しいことは勝ちで、まちがっていることは負け。
そういう思いが強いと、
「いつも正しい勝者でいたい」という思いも強くなる。
しかし、それは同時に、
「正しくない敗者」になることへの強い恐怖感になる。
非を認めることは自分のすべてを否定すること
正しい勝者でなければ生きていけない
そんな、自分の存在そのものを揺るがすような恐怖感に。
なぜ「謝ることは負けを認めること」と
強く思うようになったのだろうか。
それはきっと、
謝ったときに湧きあがる”恥の感情”に耐えられないから。
「自分はいつでも”正しい勝者”でいられるわけじゃないのかな」
そう思ったとき、罪悪感や恥ずかしさ、
居心地の悪さなどの不快な感情を感じる。
そういう恥の感情をまともに受け止めたくない。
恥の感情を感じ続けることに心が耐えられない。
だから自分の心を守るため、
必死で自己正当化を繰り返すのではないだろうか。
では、どうしてそこまで恥の感情を避けるのか。
どうして自己正当化してまで自分の心を守るのだろうか。
それはきっと
「正しい勝者でいなければ恐ろしい目に遭う」
という思いが強いから。
たとえば子どもの頃、友達とケンカしたら、
親に恐ろしい𠮟られ方をされた。
入ってはいけないと言われた場所に入り、
おじいちゃんに怖いお仕置きをされた。
「正しくないこと」をすると、
家に入れてもらえなかった、殴られた、罵倒された。
そんな育ち方をするうちに、
「正しくいなければ生きていけない」
「非を認めたらあんなに恐ろしい目に遭う」
という思いも育ってしまったなら。
たとえ悪いことをしたのが自分でも、
謝るわけにはいかなくなる。
『もう二度とあんな思いはしたくない。
謝らなければ、非を認めなければ恐ろしい目に遭わずにすむ』
謝った後に待ち受ける仕打ちへの、
強い恐怖があるんじゃないだろうか。
では、どうして「謝る」以外の方法で
自分の心を守るようになったのだろうか。
どうして理屈をこねたり、自己正当化したりする方法を
採用するようになったのだろうか。
それはきっと幼少期に、親が
「恥の感情と向き合う方法」をうまく教えられなかったから。
何か悪いことをしたら、親に𠮟られる。
𠮟られた子どもは落ち込む。
心の中は罪悪感や自責の念でいっぱいになる。
それを親がフォローできなかったとしたら。
ずっと罪悪感を持たせたまま放置し、
さらにコントロールするために追撃したなら。
心に恥の感情をとどまらせるのはあまりにつらい。
なのに、その感情を心から追い出す方法を学べなかった。
だから自分で見つけるしかなかった。
そうして編み出した方法が、
「理屈をこねる」「自己正当化する」
ではないだろうか。
謝らない人が自己正当化する姿を見ると、
「”ごめんなさい”の一言で済むのに…。」
と思ってしまう。
その是非はともかく、謝らない人には
「どうしても謝れない、切羽詰まった理由」がある。
それは、非を認めること、恥の感情を受け入れることで、
心にすさまじい痛みが走るから。
そして、痛みでボロボロになった心を、
親にさえ癒してもらえなかったから。
謝らない人が、謝った方がいい状況に出くわしたとき。
次々と弁護の言葉をしぼり出す姿は苦しそうに見える。
それはきっと、
心の痛みに、罪悪感に、恥ずかしさに、
1人で立ち向かっている姿だから。
あなたのまわりに
謝らない人、自己弁護ばかりする人がいるなら。
「どうして謝らないんだろう?」とモヤモヤするのなら。
その人をこういう視点で見ることで、
少しは気持ちが楽になるかも知れない。
「この人は自分の心を必死で守っているんだ」
「きっといまも孤独と戦っているんだ」
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に出逢うことがある。
彼らは謝罪の言葉のかわりに、
その場の状況や理屈を説明する。
非を認めない姿勢ばかり取っていると、
人が離れていき、自分の首を絞める。
にもかかわらず、彼らは自己正当化を繰り返す。
なぜ「ごめんなさい」だけが言えないんだろう。
それは、
正しい自分でいられなかったときに湧きあがる
「恥の感情」に耐えられないから
傷つきやすい心を守るために、
必死で罪悪感から目をそらしているから
ではないだろうか。
ー目次ー
- 謝ることは負けを認めること
- ”恥の感情”に耐えられない
- ”正しい勝者”でいなければ恐ろしい目に遭う
- ”恥の感情と向き合う方法”を学べなかった幼少期
- 自己正当化は、”恥の感情”との孤独な戦い
1.謝ることは負けを認めること
人間関係を上下や優劣で考えていると、
こういう思いにとらわれやすくなる。
「謝ることは負けを認めること」
自分の方が正しいか、優位か、能力が上か下か。
正しいことは勝ちで、まちがっていることは負け。
そういう思いが強いと、
「いつも正しい勝者でいたい」という思いも強くなる。
しかし、それは同時に、
「正しくない敗者」になることへの強い恐怖感になる。
非を認めることは自分のすべてを否定すること
正しい勝者でなければ生きていけない
そんな、自分の存在そのものを揺るがすような恐怖感に。
2.”恥の感情”に耐えられない
なぜ「謝ることは負けを認めること」と
強く思うようになったのだろうか。
それはきっと、
謝ったときに湧きあがる”恥の感情”に耐えられないから。
「自分はいつでも”正しい勝者”でいられるわけじゃないのかな」
そう思ったとき、罪悪感や恥ずかしさ、
居心地の悪さなどの不快な感情を感じる。
そういう恥の感情をまともに受け止めたくない。
恥の感情を感じ続けることに心が耐えられない。
だから自分の心を守るため、
必死で自己正当化を繰り返すのではないだろうか。
3.”正しい勝者”でいなければ恐ろしい目に遭う
では、どうしてそこまで恥の感情を避けるのか。
どうして自己正当化してまで自分の心を守るのだろうか。
それはきっと
「正しい勝者でいなければ恐ろしい目に遭う」
という思いが強いから。
たとえば子どもの頃、友達とケンカしたら、
親に恐ろしい𠮟られ方をされた。
入ってはいけないと言われた場所に入り、
おじいちゃんに怖いお仕置きをされた。
「正しくないこと」をすると、
家に入れてもらえなかった、殴られた、罵倒された。
そんな育ち方をするうちに、
「正しくいなければ生きていけない」
「非を認めたらあんなに恐ろしい目に遭う」
という思いも育ってしまったなら。
たとえ悪いことをしたのが自分でも、
謝るわけにはいかなくなる。
『もう二度とあんな思いはしたくない。
謝らなければ、非を認めなければ恐ろしい目に遭わずにすむ』
謝った後に待ち受ける仕打ちへの、
強い恐怖があるんじゃないだろうか。
4.”恥の感情と向き合う方法”を学べなかった幼少期
では、どうして「謝る」以外の方法で
自分の心を守るようになったのだろうか。
どうして理屈をこねたり、自己正当化したりする方法を
採用するようになったのだろうか。
それはきっと幼少期に、親が
「恥の感情と向き合う方法」をうまく教えられなかったから。
「上機嫌から恥の意識、そして回復までの一連のプロセス」は、
幼児が恥の感情を処理する方法を学ぶ重要な練習機会であり、
健全な自己感の発達を促す手段でもある。
それによって、幼児は気持ちが傷ついても回復できること、
自分にはその能力があり、養育者が信頼できることを学ぶのだ。
だがそのプロセスが省かれてしまえば、
幼児は自分の欲求や感情を恥ずべきものとみなし、
「自分は悪いのだ」と感じる。
『結局、自分のことしか考えない人たち: 自己愛人間への対応術』 より
何か悪いことをしたら、親に𠮟られる。
𠮟られた子どもは落ち込む。
心の中は罪悪感や自責の念でいっぱいになる。
それを親がフォローできなかったとしたら。
ずっと罪悪感を持たせたまま放置し、
さらにコントロールするために追撃したなら。
心に恥の感情をとどまらせるのはあまりにつらい。
なのに、その感情を心から追い出す方法を学べなかった。
だから自分で見つけるしかなかった。
そうして編み出した方法が、
「理屈をこねる」「自己正当化する」
ではないだろうか。
5.自己正当化は、”恥の感情”との孤独な戦い
謝らない人が自己正当化する姿を見ると、
「”ごめんなさい”の一言で済むのに…。」
と思ってしまう。
その是非はともかく、謝らない人には
「どうしても謝れない、切羽詰まった理由」がある。
それは、非を認めること、恥の感情を受け入れることで、
心にすさまじい痛みが走るから。
そして、痛みでボロボロになった心を、
親にさえ癒してもらえなかったから。
謝らない人が、謝った方がいい状況に出くわしたとき。
次々と弁護の言葉をしぼり出す姿は苦しそうに見える。
それはきっと、
心の痛みに、罪悪感に、恥ずかしさに、
1人で立ち向かっている姿だから。
あなたのまわりに
謝らない人、自己弁護ばかりする人がいるなら。
「どうして謝らないんだろう?」とモヤモヤするのなら。
その人をこういう視点で見ることで、
少しは気持ちが楽になるかも知れない。
「この人は自分の心を必死で守っているんだ」
「きっといまも孤独と戦っているんだ」
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