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2014年11月06日

高倉健原田芳雄中野良子「君よ憤怒の河を渉れ」

ハードサスペンスの巨匠、西村寿行原作の「君よ憤怒の河を渉れ」は、佐藤 純彌監督が「新幹線大爆破」に続いて

高倉健と組んだサスペンス映画である。

主人公の杜丘冬人検事(高倉健)は、政治家の謎の自殺事件を捜査中、新宿で、水沢恵子
伊佐山ひろこ)と名乗る若い女性に衆人環視の

中、強盗呼ばわりされて警察に連行される。当然、杜丘は身に覚えのないことで否定するが拘束され事情を聞いてもらう

ためかねて知り合いの警視庁捜査一課の矢村警部(原田芳雄)を呼んだが面通しで寺田某(田中邦衛)に強盗犯人呼ばわりされ

窮地に陥る。杜丘はしかし警察の隙をみて逃亡し水沢恵子の故郷能登へ飛ぶ。

そこで水沢が本名は横路加代で寺田は彼女の主人であることを知る。しかしここにも黒幕の手がまわっていて

加代はすでに殺害されていた。

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能登で手がかりをつかんだ杜丘は北海道へ移動したが、容疑は殺人に切り替えられしかも逃亡先には刑事がいた。

そのころ矢村は横路の経歴を洗い横路が製薬会社とつながっていたことを知った。

杜丘は猟銃を持った男に追われ日高山脈に逃げ込むが矢村は執拗に追跡してくる。そんななか杜丘は山中で熊に追われている若い女性(中野良子)を目撃し偶然手に入れた猟銃で熊を倒し救出する。

遠波真由美と名乗るこの女性は北海道知事選に出馬しようとしていた地元の有力者の娘だった。

ここで杜丘は真由美の協力を得て警察の追跡を逃れて真相を突き止めようと真由美の父のセスナを借りて東京へと向かうのだが・・

この映画はいろいろと突っ込みどころ満載でなんで素人の杜丘がセスナを運転できるんだとか、杜丘が矢村に捕まり絶対絶命

に追い込まれた杜丘がピンチになったとき偶然、矢村が熊に襲われたり、熊が着ぐるみ丸出しだとか、敵の配下にある杜丘が薬を飲むふりして

薬を便器にすてるのがなぜバレないんだとか確かにディテールにおかしい点はあるが、テンポが速く次々に事件がおこり
場面も東京、能登、北海道、又東京と移動し飽きさせない。健さんだけではなく矢村刑事の原田芳雄の荒々しい演技

や健さんの上司役の池辺良の渋い演技もいい。

ヒロインの中野良子が競走馬の大群を引き連れて登場するシーンはかなり迫力があった。

製作は大映倒産後、永田雅一が徳間書店と組んで復帰した作品だったが惜しくもヒットしなかった。

しかし中国で大ヒットし「追捕」の名で知られ、高倉、中野両者は中国では知らぬ者がいないほどである。

音楽は青山八郎、メインテーマは男性的なスキャットでまだいいのだがサブテーマが気の抜けるようなBGMで

その脱力ぶりに思わずのけぞりそうになる。しかし古き良き昭和の映画であることは確かである。

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2014年10月28日

果てしなき戦い「太平記15」

高師直兄弟を殺されて、頼みの綱を失った尊氏は京へ惨めな帰還をする。一方、勝利に酔いしれる直義陣営は

戦いの後始末のため会議を開き尊氏も招かれる。さぞかしうちひしがていると思われた尊氏だったが、決してひるまず

逆に師直暗殺に加担した石塔頼房を見かけて叱責し追い出してしまう。

思わぬ尊氏の強気に直義たちもひるみ、恩賞の沙汰は将軍である自分が決めるとまで言った。

しかもこの場にいなかった上杉能憲に死罪を命じ完全に会議の主導権を握ったのである。

会議の結果、細川顕氏と斎藤利泰は直義を裏切り尊氏についてしまう。

桃井刑部は激怒して斎藤利泰を暗殺してしまう。直義もあせり師直残党に大弾圧を繰り返す。

そんなとき九州に逃れていた直冬が兵をあげようとしていた。全国各地で尊氏側と直義側に分かれてまたも戦乱が

ひろがろうとしていた。

しかも近江で佐々木判官が寝返り、播磨で赤松円心まで寝返ったとの知らせを受け尊氏は東へ義詮は西へ出兵して

いった。

親子で同時に分かれて兵を出すことに桃井刑部は不信を抱く。尊氏親子は京を挟み撃ちするつもりとの疑いを持ったのだ。

そのころ尊氏は佐々木判官とともに伊賀で南朝方の北畠親房と和睦のために会談していた・・・



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2014年10月27日

観応の擾乱高師直の非業の死「太平記14」

九州へと逃亡した直冬だったが、土着の土豪を集めて勢力を伸ばし危機感を覚えた幕府は直冬を討つべく

兵を派遣することに決めたが政務を仕切っていた義詮を無視して師直は兄師泰の派遣を決めてしまう。

しかも失脚してもなお不穏な動きを見せる直義
とその一派を討つべしと尊氏に進言し叱責を受ける。

師泰は石見で思わぬ苦戦をし義詮は動揺し、事態を重く見た尊氏は師直を引き連れて自ら出兵することを決める。

そのころ幽閉されていた直義は師直の放った刺客から逃れて密に脱出するのだった。そして大和賀名生に逃れていた

南朝の北畠親房に和議の申し入れをし、これを受けた南朝側は、天下を平定すべしと綸旨を出すのだった。

この直義の奇策に愕然とする尊氏だったが・・・

そして天王寺に陣を置いた直義のもとには細川顕氏が駆けつけ、桃井刑部が京を目指して進撃を始めた。

思わぬ事態に尊氏は派遣を中断し京を守っていた義詮は桃井の軍の勢いに押され京を放棄する。

この情勢に尊氏も京に攻め上るが桃井軍に敗退し丹波に逃れる。

直義の陣には高師直によって暗殺された上杉重能の 息子能憲と、畠山国清が師直抹殺を語りあう。

そして摂津打出浜にて尊氏師直軍は直義軍と激突、さんざんに打ちのめされるのだった。

直義は和議の条件に師直、師泰兄弟を引き渡すことを要求したが尊氏はこれをことわり、結局師直兄弟が出家

することで落ち着いた。

しかし、二人を京への護送中、上杉の手の者によって摂津武庫川にて襲撃され高師直、師泰は無残な.最期を遂げる

のであった。バサラ武士高師直の非業の死であった。

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2014年10月26日

高師直のクーデター「太平記 13」

高師直を執事から解任した直義だったが追撃の手をゆるめなかった。口実を設けて三条の直義亭におびき寄せ

暗殺しようとしたのである。このたくらみを直義の家臣のひとりから伝え聞き師直は屋敷を脱出した。

そのころ鎌倉にいた尊氏の嫡子義詮(片岡孝太郎)は、この謀略を知りながらな尊氏が下手人を罰しないのかいらだっていた。

すべて直冬に奪われることの恐れもあった。

一方尊氏はそんな騒ぎをよそに邸内で申楽三昧であった。屋敷を訪れた佐々木判官がほとんど出席者のいない宴を

怪訝に思ったが、尊氏はひそかに手を打っていた。

尊氏の意を受けて師直、師泰兄弟が五万の兵を率いて三条の直義亭を急襲したのだ。斯波高経、吉良満義、桃井刑部(高橋悦史)らが直義亭にいたが

狼狽し直義は尊氏亭に逃げ込んだ。師直は直義を追って尊氏の将軍亭を五万の兵で取り囲んだ。

これは尊氏の思惑通りだった。尊氏は嫌がる直義を政治から遠ざけ変わって嫡子義詮を呼び戻し政務にあたらせることを直義に迫る。


しかし言うことを聞かない直義に手を焼いた尊氏だったが、判官が中に入り、屋敷の外の師直が足利一族もろとも滅ぼす野心がちらついている。

早く決断せねば大変なことになると告げるとさすがの直義も折れ、師直は執事に復帰しクーデターは
成功したのである。

鎌倉より呼び戻された義詮に政務が引き継がれ直義は権力を失った。

直義の養子になっていた直冬(筒井道隆)も長門探題を解任され不満に思った直冬は西国へと流れていった。


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2014年10月25日

尊氏と直義の対立高師直の解任「太平記12」

そのころ、吉野では後醍醐天皇は重い病に倒れ最後のときを迎えようとしていた。

帝は阿野廉子 が寄り添う中皆を呼び遺言を授ける。「朝敵足利を討ち天下を太平ならしめよ」後継者には義良親王(後

村上天皇)が指名された。帝崩御の知らせが京に伝わると尊氏は悲嘆にくれた。

敵である帝が逝去したのを嘆くのを見て弟直義以下配下のものは戸惑い怒った。

帝の太平の願いもむなしく各地で南朝方の反乱は相次いだ。又尊氏は政事を直義に任せ幕府は二頭体制をとり

軍事面は執事の高師直、師泰兄弟が仕切り三条に住む直義と対立し始めた。

公家や朝廷の立場を重んじ形式に走る直義の政事に、血を流して南朝方と戦う新興の武士と大きな祖語が生まれたのだ。
そんなとき、 土岐頼遠が光厳上皇の行列に狼藉を働く事件が発生、厳罰を主張する直義側と尊氏は激しく対立

尊氏の意見も無視して土岐は三条河原で斬首される。二人の決裂は決定的に見えたが母清子のとりなしで収まったかに

見えたのだが・・

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一方、直義の養子となっていた不知哉丸は直冬と名前を変え立派な武士に成長していた。

直冬は尊氏の反対も無視して光厳上皇の吉野方討伐の院宣を得て南朝軍に攻め込んだ。

尊氏は和平をさぐるべく天敵親房と京都天竜寺で密会していた。

ことを聞いた直義は激怒して尊氏に詰め寄るが、このことはこれ以上追及せず、そのかわり獅子身中の虫、高師直を

執事より解任する。

師直は狼狽し尊氏のもとに駆け込んでくる。この政変で師直は終わったかに見えたが・・・

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2014年10月24日

楠木正成新田義貞北畠顕家の死「太平記11」

わずか千の兵力で数万の足利軍と戦っていた楠木軍だったが、もはや勝ち目はなく死に場所を求めて山中を彷徨っていた。
一同は偶然見つけたお堂に集まり互いに顔を見合わせここを終焉の地とした。最後に正季が「七度生まれかわっても

鬼となり朝敵を討ち滅ぼしましょうぞ」と言い切り正成と差し違え自害した。

尊氏は首をさらさず河内の家族へ送り届ける温情を見せた。そのころ都で新田義貞が帝に拝謁していた。

敗戦の責任を問われ公家に叱責される義貞、さりとて朝廷側に策があるわけでなく結局戦の前に正成が進言していた

ように叡山に逃げ込んだのである。

一方義貞は京を舞台に尊氏と終わりなき戦いを繰り広げていた。しかしそんな義貞を尻目に叡山から尊氏と和睦して京に戻った後醍醐天皇から光明天皇に三種の神器

が引き渡され尊氏は権大納言に任じられ京都に幕府を開く。が花山院に幽閉されていた後醍醐天皇は吉野へ逃亡し

ここに南北朝時代の始まる。奇怪なことに朝廷が二つ存在することになるのである。

そのころ奥州では南朝軍の北畠顕家が怒涛のように鎌倉に攻め込み足利軍を蹴散らす。

尊氏は成長した不義の子不知哉丸と再会するが不知哉丸が武士になりたいと所望するが反対し不知哉丸は怒って

飛び出してゆく。顕家は河内和泉と転戦し天王寺で細川軍を破るが高師直軍の不意を突かれ胸に矢を受け絶命する。

又越前で戦っていた義貞も戦いの最中落馬しぬかるみに足を取られたところを矢を受け帝のご宸筆を口に加えたまま

非業の最期を遂げるのである。


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2014年10月23日

尊氏の逆襲と決戦湊川「太平記10」

覚悟を決めた尊氏の動きは早く義貞の弟脇屋義助の陣を襲撃しあっと言う間に崩壊させた。

箱根で足利直義を壊滅寸前に追い詰めた新田義貞にもこの知らせは伝わり義貞は焦った。このとき義貞に味方していた

佐々木判官はさっそく足利方に寝返り新田は形成不利となって退却した。

このことは京にも伝わり公家たちは狼狽し、しかも播磨の赤松円心、四国の細川も京に攻め上ってきた。

このとき去就がはっきりしない楠木正成の動向を確かめるために尊氏は正成と極秘に会談し新たに幕府を作る

ときに正成に参画するよう促すが物別れに終わった。尊氏は正成軍を避けて淀の新田を撃破して入京したが、

そのとき奥州にいた北畠顕家(後藤久美子)が電撃の速さで京に攻め上がり尊氏の背後をついてせめ落としたのである。

尊氏は丹波から兵庫へ逃げここで赤松円心と会う。賊軍の立場に不利なものを感じていた尊氏は円心の助言で

後醍醐天皇に皇位を簒奪れた持明院統の光厳上皇の院宣を出してもらいこちらも官軍になるべく画策するが

新田に敗れて九州に落ち延びる。

一方後醍醐天皇側は勝利の美酒に酔っていた。しかし院宣を手にした尊氏は九州の武士を引き連れて船で都を

目指していた。数万の大船団で瀬戸内を進む尊氏軍、尊氏を迎撃すべく陸路山陽道を目指す.義貞だったが、

播磨白旗城で大苦戦、尊氏側は軍を海路と陸路に分け直義は陸路、京を目指した。

結局、義貞は退却し事態を憂慮した後醍醐天皇は正成を呼び対策を尋ねるが、正成はこの戦はわが方の負けで

あり、一旦京都を放棄し帝は叡山に退却しゲリラ戦を仕掛けるしか勝ち目がないことを奏上するが、面子にこだわる

公家の坊門清忠に叱責され、不利と知りつつ兵庫湊川で尊氏軍を迎え撃つべく出立する。

しかし人心はすでに帝から離れており、河内や和泉でも兵は集まらなかった。

一方2万五千の大軍を率いた尊氏軍は光厳上皇の院宣を受けた官軍であることを強調し錦の御旗を掲げる。

足利直義軍と楠木正季軍が大乱戦となり、錦の御旗を見た新田は狼狽し和田岬より生田へと退却、楠木軍は

少数で足利軍の真っただ中に孤立、孤軍奮闘するが多勢に無勢、敗北は時間の問題だった。



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2014年10月20日

尊氏の反逆「太平記9」

関東での北条残党は手強く、尊氏の弟直義は各地で敗戦を続けていた。事態を案じた尊氏は自ら兵を率いて

これを鎮圧すべく参内して帝に拝謁し、大義を得るため征夷大将軍に任じてくれるよう帝に働きかけるが尊氏の

力量を恐れた帝はこれを拒絶する。

しかし背に腹は変えられず帝の命に背き尊氏は執事の高師直(根本明)とともに兵を関東に出した。

そのころ、京都で尊氏と一夜をともにした藤夜叉(宮沢りえ)は小役人に斬られひん死の重傷を負っていた。

知らせを聞いて尊氏は藤夜叉のもとに駆け付け藤夜叉との間にできた不知哉丸と対面する。

一方直義は三河まで落ち延び撤退するおり護良親王を北条に奪われることを恐れ殺害するのである。

藤夜叉の死も見届けることなく疾風のように関東に駆け付けた尊氏は北条残党を壊滅させ鎌倉に入り登子や

千寿王も後に続く。そのころ奥羽では反乱軍相手に北畠親子が戦っていた。北畠は足利の真意を知るべく京に使いを

出すが、京では名和長年らが足利討つべしと息巻いていた。

帝も護良親王逝去の知らせを受け嘆き悲しむ。

帝は尊氏のもとに勅使を送るが高師直や直義はこれに反対し追い返す。

このことは帝と尊氏の対立が決定的になったことを意味した。帝は新田義貞を呼び足利討伐の綸旨を下す。

新田は6万の大軍を率いて三河に攻め込んだ。だが尊氏は優柔不断で賊軍になることを恐れ帝の怒りを鎮めるため突如出家する。

しかし出家したとて新田が攻撃の手を緩めない。

そんな尊氏の態度を危惧して佐々木判官が尊氏のもとに赴き督戦する。

直義らが新田軍にさんざん打ち破られたことを聞いた尊氏は逆賊の汚名を受けても新田と戦うことを決意するのだった。


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2014年10月19日

公家か武家か「太平記8」

鎌倉幕府の滅亡で、台頭してきたのは、武家よりむしろ公家であった。千草種明や坊門清忠らは北条の土地を

切り取り放題であった。武家でも後醍醐天皇に近い楠木正成は河内守、名和長年は伯耆守に任じられたが主要な

機関の長には足利一門からが誰ひとり任じられなかった。

又、六波羅壊滅にもっとも功績のあった播磨の赤松円心はわずかに佐用庄を与えられたにとどまり多いに不満の残る

内容だった。

そのころ各地で北条残党による反乱が相次ぎ後醍醐天皇は、北畠親房を呼び親房は嫡子顕家(後藤久美子)と

奥州に行くことを決める。本来この仕事は武家のものであるはずである。尊氏の弟直義(高島政伸)らはこれは

奥州に公家政権を立てる布石ではないかと疑う。

そして尊氏は武家の面目を保つべく帝に奏上するのである。尊氏は関東平定のため足利一門を派遣するよう帝に

奏上するが帝は尊氏が鎌倉に新たに幕府を作ることを警戒するがついに直義が出兵することを認めざるを得なかった。

がこのことはますます護良親王の尊氏に対する憎しみを募らせるのであった。

帝はまた大内裏造営のために過酷な税を民衆から取り立てる。都の治安は乱れ強盗が続出、武家の不満も頂点に

達したころ護良親王は息のかかった武家を集めて都で戦を画策するが、結局武家の大半は尊氏につき、新政が乱れる

ことを恐れた帝は尊氏が親王を排除することを了解し護良親王は電撃的に逮捕され鎌倉にいた直義のもとに護送

されるのだがこのことが新な悲劇を生むのである。


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2014年10月13日

鎌倉幕府の滅亡と建武の新政「太平記 7」

数万の新田軍が、笛吹峠をこえたとの知らせを受け信じられない思いの長崎円喜であったが、かねて足利を外に出すこと

を危惧していた金沢貞明(児玉清)は「だから言わないことではない。足利は野に放った虎も同然、六波羅はどうでもよい。

まず鎌倉の新田を討つべき」と半狂乱になる。千早城に立てこもっていた楠木正成(武田鉄矢)も六波羅陥落の知らせを

受け安堵する。高氏は戦のあと京都の治安維持にあたっていた。新田軍は高氏の嫡子千寿王を大将に立てて鎌倉に

攻め上る。

赤橋守時(勝野洋)も戦死し北条高時(片岡鶴太郎)以下北条一族は、紅蓮の炎の中、東勝寺で田楽舞を見ながら滅亡してゆく。
ここに140年の歴史を誇る鎌倉幕府が滅んだが、高氏に喜びはなく焼野原になった京都の再建に心を砕く日々が始まった。
後醍醐天皇は京に帰還し、高氏は佐々木判官らとともに拝謁し理想の政治が始まるかに思えた。

しかし建武の新政は最初から同床異夢だった。帝と公家たちと武家たちの間に根本的に利害が対立していた。

護良親王(堤大二郎)は高氏の力量を恐れこれを警戒、新田側と足利側の部下たちの間も激しく対立した。

そして護良親王は新田義貞を上洛させて、これを高氏にぶつけようとの謀を巡らすのだった。

事態を危惧した公家の北畠親房(近藤正臣)は護良親王と高氏を引き合わすが互いの溝は埋まらずそんなおり高氏は正成の弟

正末(赤井秀和)の配下のものに闇討ちにあう。

公家と武家だけではなく、武家同志も利害は一致しなかったのである。

幸い事なきを得たが、高氏は参内して後醍醐天皇に拝謁し、武蔵の国司に任じられ帝より諱の尊治の一字をもらって尊氏をこの日から名乗ることになる。

高氏の高は北条高時の高からもらったものだったのである。

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