2014年10月23日
尊氏の逆襲と決戦湊川「太平記10」
覚悟を決めた尊氏の動きは早く義貞の弟脇屋義助の陣を襲撃しあっと言う間に崩壊させた。
箱根で足利直義を壊滅寸前に追い詰めた新田義貞にもこの知らせは伝わり義貞は焦った。このとき義貞に味方していた
佐々木判官はさっそく足利方に寝返り新田は形成不利となって退却した。
このことは京にも伝わり公家たちは狼狽し、しかも播磨の赤松円心、四国の細川も京に攻め上ってきた。
このとき去就がはっきりしない楠木正成の動向を確かめるために尊氏は正成と極秘に会談し新たに幕府を作る
ときに正成に参画するよう促すが物別れに終わった。尊氏は正成軍を避けて淀の新田を撃破して入京したが、
そのとき奥州にいた北畠顕家(後藤久美子)が電撃の速さで京に攻め上がり尊氏の背後をついてせめ落としたのである。
尊氏は丹波から兵庫へ逃げここで赤松円心と会う。賊軍の立場に不利なものを感じていた尊氏は円心の助言で
後醍醐天皇に皇位を簒奪れた持明院統の光厳上皇の院宣を出してもらいこちらも官軍になるべく画策するが
新田に敗れて九州に落ち延びる。
一方後醍醐天皇側は勝利の美酒に酔っていた。しかし院宣を手にした尊氏は九州の武士を引き連れて船で都を
目指していた。数万の大船団で瀬戸内を進む尊氏軍、尊氏を迎撃すべく陸路山陽道を目指す.義貞だったが、
播磨白旗城で大苦戦、尊氏側は軍を海路と陸路に分け直義は陸路、京を目指した。
結局、義貞は退却し事態を憂慮した後醍醐天皇は正成を呼び対策を尋ねるが、正成はこの戦はわが方の負けで
あり、一旦京都を放棄し帝は叡山に退却しゲリラ戦を仕掛けるしか勝ち目がないことを奏上するが、面子にこだわる
公家の坊門清忠に叱責され、不利と知りつつ兵庫湊川で尊氏軍を迎え撃つべく出立する。
しかし人心はすでに帝から離れており、河内や和泉でも兵は集まらなかった。
一方2万五千の大軍を率いた尊氏軍は光厳上皇の院宣を受けた官軍であることを強調し錦の御旗を掲げる。
足利直義軍と楠木正季軍が大乱戦となり、錦の御旗を見た新田は狼狽し和田岬より生田へと退却、楠木軍は
少数で足利軍の真っただ中に孤立、孤軍奮闘するが多勢に無勢、敗北は時間の問題だった。
箱根で足利直義を壊滅寸前に追い詰めた新田義貞にもこの知らせは伝わり義貞は焦った。このとき義貞に味方していた
佐々木判官はさっそく足利方に寝返り新田は形成不利となって退却した。
このことは京にも伝わり公家たちは狼狽し、しかも播磨の赤松円心、四国の細川も京に攻め上ってきた。
このとき去就がはっきりしない楠木正成の動向を確かめるために尊氏は正成と極秘に会談し新たに幕府を作る
ときに正成に参画するよう促すが物別れに終わった。尊氏は正成軍を避けて淀の新田を撃破して入京したが、
そのとき奥州にいた北畠顕家(後藤久美子)が電撃の速さで京に攻め上がり尊氏の背後をついてせめ落としたのである。
尊氏は丹波から兵庫へ逃げここで赤松円心と会う。賊軍の立場に不利なものを感じていた尊氏は円心の助言で
後醍醐天皇に皇位を簒奪れた持明院統の光厳上皇の院宣を出してもらいこちらも官軍になるべく画策するが
新田に敗れて九州に落ち延びる。
一方後醍醐天皇側は勝利の美酒に酔っていた。しかし院宣を手にした尊氏は九州の武士を引き連れて船で都を
目指していた。数万の大船団で瀬戸内を進む尊氏軍、尊氏を迎撃すべく陸路山陽道を目指す.義貞だったが、
播磨白旗城で大苦戦、尊氏側は軍を海路と陸路に分け直義は陸路、京を目指した。
結局、義貞は退却し事態を憂慮した後醍醐天皇は正成を呼び対策を尋ねるが、正成はこの戦はわが方の負けで
あり、一旦京都を放棄し帝は叡山に退却しゲリラ戦を仕掛けるしか勝ち目がないことを奏上するが、面子にこだわる
公家の坊門清忠に叱責され、不利と知りつつ兵庫湊川で尊氏軍を迎え撃つべく出立する。
しかし人心はすでに帝から離れており、河内や和泉でも兵は集まらなかった。
一方2万五千の大軍を率いた尊氏軍は光厳上皇の院宣を受けた官軍であることを強調し錦の御旗を掲げる。
足利直義軍と楠木正季軍が大乱戦となり、錦の御旗を見た新田は狼狽し和田岬より生田へと退却、楠木軍は
少数で足利軍の真っただ中に孤立、孤軍奮闘するが多勢に無勢、敗北は時間の問題だった。
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