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2014年10月19日

公家か武家か「太平記8」

鎌倉幕府の滅亡で、台頭してきたのは、武家よりむしろ公家であった。千草種明や坊門清忠らは北条の土地を

切り取り放題であった。武家でも後醍醐天皇に近い楠木正成は河内守、名和長年は伯耆守に任じられたが主要な

機関の長には足利一門からが誰ひとり任じられなかった。

又、六波羅壊滅にもっとも功績のあった播磨の赤松円心はわずかに佐用庄を与えられたにとどまり多いに不満の残る

内容だった。

そのころ各地で北条残党による反乱が相次ぎ後醍醐天皇は、北畠親房を呼び親房は嫡子顕家(後藤久美子)と

奥州に行くことを決める。本来この仕事は武家のものであるはずである。尊氏の弟直義(高島政伸)らはこれは

奥州に公家政権を立てる布石ではないかと疑う。

そして尊氏は武家の面目を保つべく帝に奏上するのである。尊氏は関東平定のため足利一門を派遣するよう帝に

奏上するが帝は尊氏が鎌倉に新たに幕府を作ることを警戒するがついに直義が出兵することを認めざるを得なかった。

がこのことはますます護良親王の尊氏に対する憎しみを募らせるのであった。

帝はまた大内裏造営のために過酷な税を民衆から取り立てる。都の治安は乱れ強盗が続出、武家の不満も頂点に

達したころ護良親王は息のかかった武家を集めて都で戦を画策するが、結局武家の大半は尊氏につき、新政が乱れる

ことを恐れた帝は尊氏が親王を排除することを了解し護良親王は電撃的に逮捕され鎌倉にいた直義のもとに護送

されるのだがこのことが新な悲劇を生むのである。


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posted by ハヤテ at 13:41| (カテゴリなし)
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