玉置浩二『EARLY TIMES〜KOJI TAMAKI IN KITTY RECORDS』九曲目、「行かないで」です。5thシングルで、カップリングは「スケジュール」でした。
最近とみに人気があるというか、一度は完全に忘れられていたのに大復活を遂げた曲です。へたするとなかったことにされてるんじゃないかってくらい存在感の薄い曲だったんですが、YouTUBEによって発掘された時期と、玉置さんがオーケストレーションコンサートで歌う時期がたまたま一致したのか、多くの人の胸をうちまくり、今日では玉置ソロ随一の大号泣必至超壮絶バラードとして知られます。
89年の、ちょうど今頃(記事執筆は2022年11/18)の晩秋に発売されました。事前情報なしに日課のレコード屋巡りをしている最中に発見し、「おっ!出てんじゃん!」と喜んだわたくし、速攻で買い求め家までダッシュ、光の速さでコンポに挿入、再生ゴー!なにやら寂しげで憂鬱なコードを重ねてゆくホワホワ系のシンセ、堅めの音でアルペジオを奏でるピアノをバックに「パーララー」と流れるオーボエ、むむ!これは久しぶりの大バラードの予感がするぞ!と喜んだわたくし、歌詞カードとジャケットが一緒になったケースを眺めて期待感に胸を躍らせます。
いかにも玉置さんらしいことにAメロとかBメロとかそういうセオリーなどどこ吹く風、早々にいきなりサビに突入します。行かないで……行かないで……ちょっと待て!卑怯すぎるぞなんだその切ないファルセットは!ピアノもストリングスも装飾音のシンセもぜんぶ切ないパラメータに全振りだ!「悲しいんじゃない」「あなたにふれたのがうれしくて」って喜んでるじゃん!なんでこんなに切ないんだよ!わかってるよ、会えたってことはいつか別れるってことだなんて。ふれたってことは、いつか離れるんだ。当たり前じゃんか当たり前だよ……だからわかっているのに願うんだ、行かないで、はなさないでって、切実に。切ないトルネードにすっかり巻き込まれはるか遠くに吹っ飛ばされたわたくし、何が起こったのかわからずしばらく呆然でした。
思考を取り戻したわたくし、「好きさ」「じれったい」と同じく一つの感情のみを切々と繰り返す曲だと気がつきます。同時に、威力はそれらの曲を上回っていることにも気がつきます。「あなたの肌に夜が訪れる」とか「やっかいな目が揺れてる」とか、視点や視座があちこちに移動していた(だからこそリアルで鮮やかだった)安全地帯時代の曲とは違い、あなたがそばにいる、くっついているこの瞬間、はなれたくない!いま、これがおれの本拠地であり、いま以外ここ以外はすべてウソなんだ!とでも思わされるあの幸福感と、その幸福感を失わなくてはならない運命にたいする絶望感とだけを切々と繰り返すという、前代未聞のとんでもない曲を、玉置・松井・星・BAnaNAチームは作り上げて叩き込んできました。この渾身の一球は糸をひくようにキャッチャーミットに吸い込まれ、スパアン!と軽やかかつ力強い音を立てた切れ味最高の、誰も打てないストレートだったのです。これはさすがの打撃の天才川上哲治も打てなかったものと思われます。塀の穴から突如飛び出してきた剛速球が電柱にあたり、また出てきた穴に吸い込まれてゆくのを呆然と眺めるだけだったことでしょう(現代ではわかる人少なそうなネタ)。
で、当時中学生だったわたくし、当然そんな「行かないで」という幸福感・絶望感などわかるはずがありません(笑)。いや、わかっているつもりなんですよ?クラス替えや席替えで知り合ったかわいいあの娘といろいろ可愛らしい交流を重ね始めるようなお年頃ですから!もう名前も忘れたけど!貸してくれたカルロストシキ&オメガトライブのアルバムを(あんま興味ないのに)一生懸命聴いて君は1000%!ほしいよ〜とか音楽室のギターで弾き語りして喜んでもらおうなどとよこしまなことを企むなど、順調に大人の階段を上っておりましたから!授業中は隣の席にいてはなれないで!掃除当番に行かないで!うん、やっぱわかってないですね。
つまり、その真価は当時わかってたつもりで呆然としつつも、まるで分かりようがなかったのです。そんなことを言ったら安全地帯時代から真価がわかっていた曲なんてひとつもないですが、この「行かないで」はとりわけワンスポット感が高かった、結局この曲が収録されたオリジナルアルバムは出ずにこのときだけポンとこの路線で出てきたものですから、そのうちになんとなく忘れていたのです。『夢の都』『太陽』を経て三年強経って『あこがれ』を聴いてようやくハッと気がついたような体たらくでした。この経緯は「コール」の記事に書いておきましたが、ああ、こういう路線をやろうとしていたんだ!と気がつかされました。最初に佐渡ヶ島が出てきて、美しい島だけどなんだこれなんのつもり?と思っていたところにしばらくたって水平線の向こうに新潟県が現れたので、なるほどこうだったのか!と……意味が分からなさすぎるたとえですが、欠かせないワンピースが先に出ていたんだ!と、あとから玉置アコースティック・シンセ超怒涛切ない悲しい愛しいバラード群の全体像が見えたわけです。それから何年も経って『あこがれ』が「長年録りためていたバラード集」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)だと知り、この「行かないで」の位置づけを確信するに至りました。つまり、というか結果的に、この「行かないで」はそのバラード群の中で松井さんが参加している唯一の曲なのだということです。
玉置さんが松井さんの詞を歌います。あたたかいあなたにやっと触れることができ、うれしさに泣く、でもこのうれしさもいずれは過去になり、思い出になってしまう、それがわかってしまっていて辛い、悲しい、そんなこと知らなくてよかった……歌は信じられないほどのあたたかさ、愛しさ、悲しさ……用いられる言葉の種類が絞られているぶん、シン!と澄み切った切なさが何度も胸に迫り、貫いてきます。これは須藤さんにはできない、安全地帯の世界をともに作り上げたこの二人だからこそできた唯一無二の曲だと言えるでしょう。だからこそ、ポツンとひとつだけ、その輝きを保って現代によみがえった、いや生き続けていたのではないでしょうか。
すでに中学生どころか学生でなく、独身でなく、若者でもなくなったわたくし、玉置さんのこの歌が再び脚光を浴びているこの時代にあって、別の意味を読み取るようになってきました。当たり前ですけども、べつに抱きあってなくてもいいというか、抱きあいなんかしたら暑苦しいし動きづらいですからそれは是非とも遠慮したいのですが(笑)、嫁さん子どもたちとの日々はいつまでもは続かないということを受け入れたくない気持ちを投影するようになってきました。こんな切ない歌声やアレンジの似つかわしくない気持ちではあるのですが。子どもたちはいずれ自分の足で立って私のもとを去ります。順当な順番でいうと親は先に死ぬんですからそうでないと困りますが、でも寂しいですね。嫁さんとは、たぶんわたしとどっちかが先に死にますから、どっちにしてもいずれお別れです。その前に別の原因でお別れにならなければですが。そう考えると、いまは大変だけど愛おしむべき楽しき日々なんじゃないか、行かないで、行かないで、この日々よどこかへ行ってしまわないで、と思えてきます。
当時はまだ30やそこらだった玉置さん松井さんにはきっとそのような気持ちはなかったことでしょう。ですから、完全な曲解であるわけなんですが、名曲はこのようにして長く生き残るものであるのかもしれません。
ゴールデン☆ベスト 玉置浩二 アーリー・タイムズ・プラス [ 玉置浩二 ] 価格:1,837円 |
あれは、凄い端から見ていてもハラハラしましたね。しかも、音楽活動停止中の出来事でしたし。
紆余曲折を経てまた再び安全地帯を復活させて、更に最初の全国ツアーの終盤にお客とトラブりましたが、自分自身でその失敗を挽回して現在に繋がって。
もう、ちょっと映画にする内容満載で凄すぎますよ。日本人音楽家巨匠の偉人伝として。
このあとは歴史が語る通りなんですが……どうしてもこれでよかったと思ってしまいます。玉置さんが思うように存分にやれていた世界線はどうも想像できません。
でも、1990は未完であこがれへとたどり着き、須藤さんとの出逢いに繋がったのも不思議な巡り合わせですね。
とんねるずの番組では、曲は使われていましたがさよなら李香蘭の主題歌としてそれなりに当時話題になってました。
のちに発売された安全地帯記念ボックスのライナーノーツには、翌年の玉置さんツアーが全て安全地帯のツアーに変更となったと書かれていますので、前年に決まっていたソロのコンサートが夢の都が完成して安全地帯が再始動するタイミングとガシッと合わさった感じですかね。
ラッカーマスターサウンドで再発されてる
ラッカー盤に針落としてデジタル化する
針はオルトフォンのMCカートリッジ用いてる
オルトフォンのMCカートリッジは全工程手作業で
ベテラン女性スタッフが数人で担当してる
プロデューサーの回想録もあり島田さん1948年生まれ
その中で「LPは発売3ヶ月前に仕上げなければダメなんです」とある
それ見て録音ギリギリまでやるキティは特殊という事になる
「行かないで」の発売は89年11月20日です「Koji Tamaki1990」の発売予定は
12月18日なので当然録音も済んでCDもプレスしてなければ間に合わないし
12月18日発売と日付の記載など出来ないはず
最悪回収したのかも知れない1990年2月発売予定とか
曖昧なら未完かもしれんが
『月に濡れたふたり』で顕著でしたが、収録されているシングルが多すぎる感じがしてたんですよ。もうシングルなんだか短期ベストなんだかわからない状況になっていて、玉置さん自身も一年に四つも五つもシングル出して、とオーバーペースだったように思うのです。売れるから企画して出すんですけど、それが玉置さんのリズムを壊していたんじゃないかと思えるんです。
YMOの高橋さん亡くなりましたね。1990の頃にはそんなご縁もあったんですか……教えてくださりありがとうございます。
長年の、腑に落ちない感じが解決しました😊
シングル「行かないで」を自分も買いまして、それに書かれていたアルバム「1990」発売予定記載を信じて、発売日にレコード屋さんに行ったんですよ(笑)
そしたら、なかったもので店員さんに言ったら、そんなのないですよ、と言われてしまいまして…
ちょっとショックだった思い出です。
自分の妄想だったらどうしよう、と思っていましたが、歌詞カードに書かれていたことが事実で良かったです。
他、当時の音楽雑誌(なんだか完全に忘れました‼️)に、先日亡くなられた高橋幸宏さんらと協力してアルバムを作っています、みたいなことが書いてあった遠い記憶もあるのですが、その雑誌も立ち読みのみでして何度も読んだわけでもなく、これこそ妄想かもしれないです。
それで、たしかにアルバムの企画があったのですが、ユニバーシアードのテーマ曲依頼が安全地帯宛にありまして、活動休止中だったのを急遽活動再開して「この道は何処へ」を作ったんですね。それでこのままアルバムも作っちゃおうという話になり、作られたのが『夢の都』なんです。アルバムを作ったからにはツアーも行かないと気がすまない玉置さんのことですから、そのまま安全地帯ロードを突っ走っちゃって、「キ・ツ・イ」「I'm Dandy」「氷点」「行かないで」のシングル四枚は完全に宙に浮いちゃったままになっていたんです。
その後『太陽』で安全地帯が崩壊して、玉置さんは『あこがれ』の製作にかかります。この時点でもう作風が完全に違いますから、『1990』を完成させることは不可能になってしまったのでしょう。
玉置浩二の「行かないで」の記事を探していまして、こちらの記事を拝見しコメントを書かせていただきます。
当時、「キ・ツ・イ」「I'm Dandy」「氷点」とドラマや映画のテーマ曲シングルが続いていました。氷点も美しい曲でしたが、さらにファルセットを駆使して切なさ倍増だったのが「行かないで」でしょうね。ドラマ「さよなら李香蘭」のテーマ曲であり、香港で「李香蘭」のタイトルでカバーされ大ヒットしたのですよね。当時、日本では全く売れなかった記憶があります。
ところで、当時「1990」というソロアルバムが発売予定、発売日まで公表されていながらお蔵入りになってしまった記憶があるのですが、ご存知ないでしょうか?ネットで検索していても、この事に触れられている方を見つけられずにいます。
あの狂熱の90年代を経てしまうと、ちょっと有名な曲だと当たり前にミリオンって感覚がありますから、その前の時代の売上を聞くと少なくてびっくりしちゃいますよね。10万枚いけばヒット、40万枚なら大ヒットで、ミリオンなんて奇跡って感覚です。曲の凄さとセールスの凄さは必ずしも連動しないのが社会の仕組みってやつなのでしょう。
オーケストレーション行かれたんですね!三回?なんとうらやましい。もちろん生演奏に決まってます、というかわたくしまだ行ってませんが、ホールでカラオケ流してたら怒っちゃいますよ(笑)。さぞこの曲は響いたことと思います。
今年もお邪魔します、よろしくお願いします。
この歌本当にすごいですね。私は恥ずかしいですけど聴くと泣きそうになります。演奏もボーカルも歌詞もタイトルも全てが芸術作品で、美術館に飾ってほしいくらい。
私、玉置さんのオーケストラのコンサート行ったんですよ!というかもう3回くらい行きました。この曲生で聴きましたがすごすぎて死ぬかと思うような余裕もないくらい引き込まれて時が止まりました。
演奏の人達もすごすぎて、詳しくないので録音なのか生演奏なのか分からなくて、本当に今、本番一発で弾いてるんですか?って思ってちょっと混乱しました。
話はそれましたが、この歌がミリオンいかなかったと知ったとき、芸能界は実力だけではなく裏の力が働いてるんだなと思いました…笑
忘れ去られるような曲ではないのに笑