玉置浩二『EARLY TIMES〜KOJI TAMAKI IN KITTY RECORDS』八曲目、「Sendenfor」です。「I'm Dandy」カップリングで、弊ブログ指定変な曲三部作の二作目にあたります。
この曲は、まあ曲もたいがい変なんですが、詞が特に変です。歌詞カードを最初に目にしたわたくし、なにこれ何語?英単語がちりばめられてますが文法も単語もメチャクチャ、何を言っているのか全然わからないのです。曲を聴いてみて、ああなんだ日本語か、とようやっとわかった次第でした。前年にリリースされた聖飢魔U『The Outer Mission』内「不思議な第三惑星」と類似のネタでした。松井さん遊びすぎ!ちなみに「不思議な第三惑星」は英語としてどうにか意味が通じる詞なのに対して、この「Sendenfor」はまったく通じません。さらには歌詞中「night mare need more」が「悪夢にも」と歌われるのは聴かないとわからないなど、「不思議な第三惑星」に比べて読解に労力を要する仕掛けになっています。
迫られ拒まずYes I Do 俺流宣伝法
至れり尽くせりI Love You 完璧宣伝法
こんな調子で聴きながら読んでいかないとまったく予想がつきません。正直、なんのつもりでこんな遊びをしようなどと思ったのか傍からはまるで見当がつきません。聖飢魔Uに対抗意識を燃やしたというのはありそうもないですので、もしかして疲れていただけなんじゃないでしょうかという疑いすら抱かせます。世の中には一定のポーズで座り続けて無心になるよう心がけるという修行を行う宗派がありますが、あれは続けているとフッと自分が自然と一体化した感覚を得られることがあるのだそうです。自分は細胞の一つ、いや素粒子の一つのレベルまでが自然の一部であって、それは自分の周囲にあるものとなんら区別するべきものではない、だから自分と周囲を隔てる壁のようなものが崩れてゆく、別の言い方をすれば境界は意味のないものであって、わたしという幻想の意識がそういう意味を作り出しているだけだ……などと感じられる瞬間があるそうなのです。茶化すつもりはないのですが、それアタマが疲れてるだけなんじゃないのと傍からはみえても仕方ないように思われるわけです。もしかして松井さん玉置さんもヘビーな日々の中でそのような境地に至ったのかもわかりません。
そんなわけで、全曲いい曲である思想を堅持している弊ブログ、大ピンチです。「Hen」のときに半ばムリヤリ記事を書いたわたくし、この曲でもかなりの苦戦が予想されます。思い切りいい曲いい曲と書きまくったあとで、松井さんが「あの曲?ちょっと浩二と遊んだだけだけだよ捨て曲だよあんなの」と言ったらすべてが崩壊するという超極大爆弾を抱えながらの執筆になってしまいます。政府と軍がどんなにダメダメでもマスコミが超忖度しまくって威勢のいい記事を書くまくるも、あっさりポツダム宣言受託でその報道姿勢をひっくり返す醜態をさらすという、歴史的クソネタと同様の構図を抱えてしまいます。そんなわけでなるべく厳正中立に、かつこの曲の面白い点優れている点をつとめて客観的に記してゆきたいと思うわけであります上等兵殿!
えーと、まずは、詞の面白さです。「Send Den For宣伝法」と「St. Rent Hoom洗練法」の二種類があります。何が宣伝されているのか、どうして洗練されているのか、それはもちろんナニのためなんですが(笑)、それが一見しただけで読めてしまってはあまりにも生々しすぎます。それで、かなり読みにくい表記法であるこのような書き方を採用したのではないかと思われるのです。「ハッとわりかし攻めても」「きっとそれなり濡れてそう」なんて、いくらきわどい歌をこれまでさんざん作ってきた玉置松井コンビといえど、そのまんま書かれていたらちょっとどギツ過ぎるように思えます。むしろ最初は普通に書かれていたけど、これはいくら何でもヤバいんじゃないのという判断が、会社サイドか玉置松井コンビサイドかの間に起こって、じゃあこういうふうに書こうか、歌は変わってないんだけどね、これなら何か新しい感覚が生まれる感じがしない?いいね五郎ちゃんこれでいこうか!なんて会話の一つもあったかもしれないのです。つまり、この歌は玉置松井コンビ史上ナンバーワンのドエロソングであるという、唯一無二の称号が与えられる可能性があるわけです。もちろんエロいだけでなくてそこには言葉選びやリズムの妙などの芸術性があってこその、この演出であったわけですから、これは高度な
曲に関しましては、BAnaNA的ギミックにあふれた聴きこみ甲斐のあるアレンジです。ベースの音がボッキボキ、これもシンセベースな気がしますが、ずいぶんゴキゲンです。ドラムの音はずいぶん生音感がありますが、マシーンのような正確さですので、生ドラムかどうかまではわかりません。右チャンネルに細かく仕組まれたパーカッション、左チャンネルから聴こえてくるアオリ、当時の聴衆が当時の家庭用機材でどれだけ聴きとれるのか非常に疑問に思えるほどの変態的凝り方をしていまして、ああBAnaNAだな、BAnaNAでなくてもBAnaNA的な凝り方をするアレンジャーだな、と思わされます。BAnaNAファンはもちろん聴き逃せません。メインリフを刻む鍵盤はやや右より、ギターがやや左の奥から聴こえてきます。こういうふうに位置をハッキリさせるのもまあ基本といえば基本ですが、バンドでのライブだとふつうこういう立ち位置にはなっていませんので、そういうことにあまり囚われない柔軟な思考の持ち主がアレンジ・ミックスしたのでしょう。ちなみにギター、これいい音ですねえ。正確すぎてこれもシンセなんじゃないのと思わせられる箇所もあるんですが、間奏のソロはさすがに弾いたでしょう。「I'm Dandy」のギタリストがそのまま弾いたか、もしくは玉置さんがお弾きになったのだと思います。まるきり根拠がないこともなくて、『CAFE JAPAN』以降の玉置さんと音階の使い方が似ているように聴こえる……まあ聴こえるだけで、根拠ないんですが(笑)。
とまあ、変な曲ですから、こんな感じにあまりストーリーとか感じさせないようなご紹介になる……いやエロいんでそれはご勘弁くださいって感じではあります(笑)。A面「I'm Dandy」が主題歌になった『右曲がりのダンディー』の映画は観たことがないのですが、原作のマンガは当時パラパラと読んだことがあります。いわゆるいい男であることを自他ともに認めていて、自分がいい男であることをちらと疑いもしない、自分磨きなどする必要のないモテモテの男の話です。あたりまえのように恋はみんなゆきずりで、回転すしのように次から次へと女性が現れます。あのねえ……そんなのいくらバブルで浮ついていたからって、当時だって許されるわけないじゃん、刺されて終わりだよ、と現代からみれば思えます。でも玉置さんならあり得たんじゃないか?と思わせる感じが当時はあったのです。当たり前に玉置さんはそんなんじゃないと思うんですが、なにせほんの数年前に離婚と石原さんとの浮名が報道されまくっていた玉置さん、安全地帯の超ロマンチックな楽曲群のイメージを一身にまとう玉置さんですから、生身の「右曲がりのダンディー」がありうるとしたらこのくらいの男ぶりでないと……という、製作者サイドの判断があっての起用だったのでしょう。軽薄短小の世情ここに極まれりです。性行為のことを「プレイ」とか呼ぶ時代ですから、どんだけバカなんだよと思わせられます。ですがこんなクルクルパーの時代でも、少年少女の性と理不尽な暴力がエンターテイメントの主役になった90年代よりは明るかっただけなんぼかマシだった気がしなくもありません。そんなウルトラスーパー軽薄な時代、おそらくは玉置さん本人も大喜びでやった仕事ではなかったんじゃないかと思われる映画とその主題歌、さらにはそのカップリングであるこの曲が、一見アソビで作ったんじゃないのと思われるような出来であるのは必然でもあったのだと思います。いや、ホントにアソビだった可能性もなくはないのですが(笑)、それにしちゃ妙に凝ってるんだよな、と不思議な輝きを持つ曲でもあるわけです。
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