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2018年12月09日

ハンドボール女子ヨーロッパ選手権(十二月四日)



 毎年、十二月初めにはハンドボールの女子の大きな大会が行われる。今年はフランスで行われるヨーロッパ選手権である。昨年の世界選手権ではチェコ代表は前評判を覆して、準々決勝にまで進出したから、今年のヨーロッパ選手権でも上位進出を期待したいところなのだけど……。抽選の結果、ものすごく厳しいグループに入ってしまった。

 同じ組になったのは、前回の優勝チームで昨年の世界選手権準優勝のノルウェー、ベスト16に進出したドイツとルーマニアの3チーム。ルーマニアには去年の世界選手権は勝っているけど、大きな番狂わせと言われた試合だった。グループステージで4位のチェコが、別組の1位のルーマニアに勝ったのだから、そんな扱いも当然といえば言える。強いて言えば、ドイツが、伝統的に強豪国だとはいえ近年の成績はそれほどよくないので、一番勝てそうな相手だというのが、個人的な大会前の予想だった。
 去年の世界選手権は放送してくれたチェコテレビだが、今年は同時期にプラハで開催されているフロアボールの世界選手権の中継が優先されるためか、テレビでの中継は行われないようである。一月の男子のヨーロッパ選手権も放送されなかったから、ハンドボールは世界選手権しか放送しないことになっているのかもしれない。

 土曜日に行なわれたチェコ代表の初戦の相手は、ルーマニアだった。去年は準々決勝進出をかけた試合であたり、チェコが大方の予想をひっくり返して1点差で勝利したのだが、そのとき終了間際に勝ち越しのゴールを決めたフルプコバーは、今年の大会には怪我からの快復途中で出場できないのが不安である。ルズモバーと並ぶ攻撃の中心選手が欠場するのである。
 今回もライブスポーツで、得点経過だけを追いかけたのだが、前半の立ち上がりに1点取った後、得点できない時間帯が続き、一気に1−6と5点差つけられてしまった。その後は互角の試合で、最大で7点差つけられたが、前半終了時には、11−17と6点差になっていた。後半も立ち上がりによくない時間帯があり、13−22と9点差にまで点差を広げられた。その後盛り返して一時は2点差にまで詰め寄ったのだが、最終的には28−31と3点差の敗戦だった。

 ルーマニアに負けても、次のノルウェーには確実に負けるだろうけれども、最後のドイツとの試合で勝つことさえできれば、上位三チームが進出する次のステージに進めるという計算だった。しかし、ノルウェーが初戦でまだ全力を出していなかったのか、ドイツが急に強くなったのか、ドイツが勝ってしまったのである。これで話がややこしくなってしまった。ドイツに勝たなければならないのは変わらないが、他の試合の結果次第では、ドイツに勝っても4位に沈む可能性が出てきたのだ。

 ということで、ノルウェーとの試合は勝てないにしても僅差で負けることが期待されたのだが、儚い期待だった。前半途中までは健闘したものの、そこから一気に突き放されて、10−20の10点差で前半が終わった。後半守備は多少改善されたのか、ノルウェーが控え選手中心の布陣になったのかは知らないが、失点は11に抑えたものの、攻撃が前半以上に壊滅的で7点しか取れず、合計17−31と14点という大差で負けてしまった。攻撃に関しては、フルプコバーがいないことでルズモバーにかかる負担が大きくなっているのかなあ。

 もう一試合のほうは、ルーマニアがドイツを5点差で破って、次のステージへの進出を決めた。得失点差から言えばノルウェーもほぼ確定なのだが、チェコとしてはグループ最後のノルウェー対ルーマニアの試合では何としてもノルウェーに勝ってもらわなければならなくなった。ノルウェーが負けた場合、チェコ、ノルウェー、ドイツの勝ち点が並び、当該国の対戦成績も1勝1敗で並ぶため、得失点差で順位が決まることになる。ノルウェーはチェコ、ドイツとの試合を終了して+13、ドイツは+1、チェコは−14である。ノルウェーを逆転するのは無理だし、ドイツとの差をひっくり返すのにも8点差以上での勝利が必要になる。これは厳しい。

 明日はまずチェコ−ドイツの試合があって、試合の時点では勝っても勝ち抜けは決まらないのだが、とにかく勝って終わってほしいものである。
2018年12月5日9時25分。









2018年12月08日

チェコ鉄道の不思議な料金体系(十二月三日)



 オロモウツとプラハを結ぶ私鉄のレギオジェットと、レオエキスプレスの料金は流動的で、電車の走る時間帯によって値段が変わるし、同じ電車でも季節や曜日によって上下する。レギオに関しては、何回も使っているうちに、どの程度の幅で値段が上下に変化していくのかわかってきたし、変化のある程度の傾向も見えてきた。とはいえ、ここhttps://www.regiojet.cz/で検索してみないと、実際の値段はわからないというのは、予定をたてる際にはちょっと厄介である。検索してみたら予想よりも200コルナ以上高いなんてことあったし。

 それに対して、チェコ鉄道の料金は距離を基に決まっていて変動しないから、オロモウツ―プラハなら、220コルナ、ペンドリーノを使うと250だったか、290だったかで安定している。そして、ブルノに行くなら100コルナだと思い込んでいた。今回所要があって早朝から(といっても7時発だけど)ブルノに出向かなければならない事情があって、前日にネット上のチェコ鉄道のE-shop https://www.cd.cz/eshop/でチケットを買おうと、検索をかけたら、違う金額のチケットが表示された。
 そういえば、以前、プラハからオロモウツに来た人に、特定の電車にしか乗れないチケットで廉価に販売されているものがあるという話を聞いたことがあった。あのときには、プラハ−オロモウツは、私鉄が3社も乗り入れていて競争が激しいし、私鉄のチケットはすべて全席予約だから、チェコ鉄道もそれに合わせて、乗る便を指定することで安くするチケットを導入したのだろうと考えていた。普通のチェコ鉄道のチケットは路線だけが指定されていて、どの電車に乗ってもかまわないものである。

 ブルノ―オロモウツは私鉄も走っていないし、バスとは競合するけれども、かかる時間では完全にバスに負けているから、特に値下げをして対抗したりはしないだろうと考えていた。その考えは間違えていて、この路線についても、乗車便指定で価格を下げるチケットを導入したようである。その理由を考えると、今年の夏前に、政府が人気取り政策のひとつとして、政府負担で、26歳以下の学生と、年金生活者に対する鉄道運賃の値引きの幅を大きく拡大したことが考えられる。
 これによって、鉄道の乗車率が大きく高まったらしいのだが、同じ時間帯に乗客が集中することもあって、便によっては立ちっぱなしということも増えていた。それを緩和するために、乗車率の低い便の運賃を値下げすることで、乗客を誘導し乗車率の均衡化を図っているのではなかろうか。そう考えると、こんかいちょっと調べた結果、便によって割引運賃があったりなかったり、その値段も何段階かに分かれている理由が理解できる気がする。以前からこの手の割引チケットがあった可能性もないわけではないけどね。
 ちなみに、国費で鉄道運賃の値下げ分を負担する政策は、またまたスロバキアの制度の真似で、スロバキアでは学生と高齢者に関しては運賃が無料になっている。スロバキアでも野党から批判を浴びている政策を、ちょっと形を変えてチェコでも導入したわけだ。ただ、一概にただの人気取りで、批判されるべき政策というわけでもなく、公共交通機関の利用を促進することで、個人個人の自動車の利用を抑制するという効果はある程度あるはずである。

 とまあ、ここまでは割引運賃の話、オロモウツ―ブルノは、便によっては89コルナと1割引になっていた。帰りは、ちょうどいい直行便がなかったので、プシェロフ経由で戻ってくることにした。以前このルートを使ったときに、ブルノ―プシェロフ、プシェロフ―オロモウツと分けて買った方が安かったような記憶があるので、別々に購入してみた。ちなみにまとめて買うと、161コルナである。ただし窓口で買ったときと同じかどうかは不明。
 ブルノ―プシェロフは、定価で131コルナ、便指定の割引で99コルナというのが出てきた。後で調べたら89コルナというのもあるから、この路線も、いくつかの割引があるようである。プシェロフ―オロモウツのほうは、定価が41コルナで割引のチケットは出てこなかった。距離が短いからだろうか。さらにオロモウツ―ブルノをプシェロフ乗り換えでまとめて買う場合にも、便は少ないが割引運賃が存在していて、なんと半額に近い89コルナになっていた。うーん。今回使った接続は全く割引がなかったので、プシェロフまで割引で買った方が、20コルナほど安かったのだが、なんとも釈然としない。プシェロフからブルノに行くより、オロモウツからプシェロフを通ってブルノに行く方が安いのである。

 さらによくわからないのが、正規運賃の体系で、オロモウツ―プラハは250キロで220コルナ、オロモウツ―プシェロフは22キロで41コルナ、オロモウツ―ブルノ(直通)は、100キロで100コルナだから、利用する距離が長くなればなるほど、1キロあたりの運賃は下がるものだと思っていた。しかし、今回購入したブルノ―プシェロフ間の営業距離は88キロなのである。つまり、ブルノからプシェロフに行く方が、オロモウツに行くより距離は短いのに、運賃は高いのである。さらにブルノからブジェツラフ周りでオロモウツまで来ると、距離は181キロで、運賃はたしか250コルナを越えたはずである。プラハへ行くよりも距離が短いのに、運賃は高いのだ。
 理由として思いつくのは、やはり各地方が地方内の路線に対して出している補助金の額が違うのではないかということだ。地方とチェコ鉄道の間で補助金の額を巡って交渉が行われているというニュースは毎年のように聞かされている。それに、幹線に対しては国が出している補助金もあるのかもしれない。特にプラハ−オロモウツ−オストラバとつながる部分は、高速道路の利用を抑制するためにも鉄道にお金を投入していそうだし。

 ということで、乗る電車が完全に確定している場合には、チェコ鉄道のEショップで割引チケットを購入するのも悪くない。プラハ−オロモウツだとレギオの一番安いのに匹敵する値段のものもあるかもしれない。ただ、窓口で勝ったものとは違い、ネットで買ったチケットは人に譲ることはできず、検札の際に身分証明書の提示を求められることがある。
 さて、次に電車で出かけるのは、恐らくプラハになるのだが、チェコ鉄道の安いチケットを試してみるべきか、否か、悩むところである。
2018年12月4日10時15分。









2018年12月07日

abで始まる厄介な言葉たち〈私的チェコ語辞典〉(十二月二日)



 この前取り上げた「abeceda」も語頭に「ab」が出てきたが、「b」は後ろに母音が続いていたので濁音で読まれた。それに対して今回取り上げるのは、語頭の「ab」を「アプ」と清音、もとい無声子音として発音する言葉である。この中に、なかなか覚えられない厄介な言葉がいくつかあるのだ。

 まず、簡単なのから行くと、「absolvent」「absolventka」は、それぞれ、卒業生の男性形と女性形である。日本で名前を聞いたことのあるアメリカ映画「卒業」は、たしかチェコ語では「absolvent」という題名になっていたと思う。原題がどうなっているのかは知らないが、日本語だと「卒業生」よりも、「卒業」のほうが題名にはふさわしい。チェコ語にも同様の事情があるのだろう。
 どちらが派生語になるのかは知らないが、卒業の動詞形は「absolvovat」で、その名詞形(いわゆる動名詞ってやつ)は「absolvovaní」ということになる。学校の卒業だけでなく研修の修了なんかもこの言葉で表せるのかな。形容詞としては、「absolvující(卒業しようとしている)」「absolvovaný(卒業した)」というのが動詞から作られる。
 では名詞から作られる形容詞はというと、「absolvent」からできた「absolventský」ぐらいしか思いつかない。ただしこれは「卒業生の」という意味で、「卒業の」という意味にはならない。実は、昔、最初に見たときにこの「卒業の」ではないかと勘違いした言葉がある。それが「absolutní」なのだけど、本当に「absolutně」お馬鹿な勘違いだった。

 形容詞の「absolutní」は「絶対的な」という意味で、副詞の「absolutně」は、「完全に」という意味でも使われる。そして、しばしばこれと混同してしまうのが、「absurdní(ばかばかしい)」である。意味がぜんぜん違うじゃないかとは言うなかれ、発音が似ている言葉で、かつ耳で覚えた言葉で、つづりがしっかり頭の中に入っていないために、区別がつきにくいのだ。どちらも恐らくラテン語起源の言葉で、ほかの印欧語ができれば、ありえない間違いのかもしれない。でも、英語でこの言葉は、勉強したかもしれないけど、その記憶はない。
 ということで上の「absolutněお馬鹿な勘違い」は、「absolutně absurdní勘違い」と言い換えられるのだけど、並べて発音すると、音の響きがとても「absurdní」である。

 なかなか覚えられない言葉としては「abstinent」も挙げておかねばなるまい。この言葉、酒抜きとか、お酒を飲まない、飲んでいないことを意味するのだけど、アルコール度数の高いお酒のアプサン(absint)とつづりと発音が似ているのである。アプサンはもともとフランスのお酒で、フランスの言葉というのはその通りだが、つづりもチェコ語化しているし、チェコ人よく飲むし、チェコ人がよく飲むお酒とよく似た言葉が、お酒を飲まないことを意味するというのが理解できなくて、
 酔っ払っていないことを示す形容詞「střízlivý」もなかなか覚えられず、使えないから、問題は別のところにあるのかもしれない。反対の意味の「opilý(酔っ払った)」は何の問題もなく覚えて使えるようになったのだから。最近お酒の量が減ったとはいえ、ことはすべて酔境に及ぶべしなのである。

 所定の分量に達しないので、もう一つだけ言葉を付け加えるとすれば、「abstraktní」であろうか。この言葉は抽象的なという意味を持つ形容詞である。反対の具体的なという意味の「konkrétní」は、すぐに使えるようになったのだが、抽象的なものというのは、それを現す形容詞自体も覚えにくいということだろうか。思い返すと「konkrétní」も最初は「コンクリートの」という意味の形容詞だと勘違いしたのだった。コンクリートの硬いイメージが具体的と妙にマッチしたのか、それ以来問題なく使えるようになったのだった。問題はいつも「l」か「r」かで悩むぐらいである。

 今回取り上げた言葉のほとんどは、チェコ語起源の言葉ではなく、外来語である。やはりその言葉の体系からは外れるところのある外来語ってのは覚えにくいよなあというのを結論にして、無理やり今回の文章を締めることにする。
2018年12月2日23時35分。




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2018年12月06日

ale〈私的チェコ語辞典〉(十二月一日)



 もう少し「a」で始まる言葉を続けよう。ということで「a」と並んでよく使われると思われる典型的なチェコ語の逆接の接続詞の「ale」である。
 この言葉は原則として、日本語の「しかし」と同じような使い方をすると考えておけばいいのだが、文中で二つの文をつないで一文にすることもあるので、そんなときは接続助詞の「が」で訳すことが多い。間違えてはいけないのは、「,」は、「ale」の前に置かなければならないことである。これはチェコ語のできる日本人よりも、日本語のできるチェコ人が注意すべきことかな。
 日本語の「しかし」も、「それは、しかし実現しなかった」というように、文頭に来ないこともあるが、チェコ語でも同様に可能である。その場合、「ale」の前に「,」は不要である。個人的にはこの使い方が苦手で、前の文を逆説で受けるときには、「ale」は文頭で使うようにしている。

 ここにつらつら書いている文章をちょっと読んでもらえばわかると思うが、接続詞の「しかし」はあまり使わない。しかし、逆接であれこれつないで文を長くする傾向はある。それは当然チェコ語で文章を書く際にも現れ、師匠に「ale」の使いすぎだと指摘されたことがある。師匠は「ale」の代わりとして「však」という言葉を教えらてくれたのだが、実際に使ってみたら違うと指摘された。「však」は文頭、節の最初には使えないと言うのである。
 文頭以外でこの手の言葉を使うのは苦手だというと、さらに「však」の前に「a」をつけた「avšak」という言葉を教えられた。これなら前の文を逆接で受けるときに、文頭に使っても問題ないらしい。とはいえ、たったの一文字違いで、使い分けを間違えることも多く、教えてもらった当初はしばしば意識して使っていたのだが、次第に使わなくなった。人間諦めが肝心な部分はあるのである。それで、最近は、言葉の置き換えではなく、むしろ、文章をいじることで、逆接の「ale」が多くなりすぎないように調整している。

 この「ale」は、日本語の「〜だけでなく〜も」という文を訳すのにも使える。これは一見難しそうに見えるが、実は簡単なので、初学のころには濫用していた。使うと自分のチェコ語のレベルが上がったような気になることができたのだ。使い方は、「Včera jsem jel nejen do Brna, ale i do Prahy(昨日はブルノだけでなく、プラハにも行った)」と、「ne」「jen」「ale」「i」という四つの言葉を組み合わせるだけである。「i」の代わりに「také」を使ってもかまわないし、「ne」は「jen」ではなく、動詞につけて否定形にしてもいい。注意するとしたら、文中ではあるけれども、「ale」の前に「,」を打つのを忘れないことだろうか。

 それから、「a」のところでは書き忘れたが、「a」と「ale」は語順を決めるときの要素にはならないというのも忘れてはならない。つまり「ale」が文頭にあっても0番目として、1番目とは数えないのである。どこにでも出てきて、単純接続でほとんど意味のない「a」に関しては、すぐに無視して語順を整えることができるようになったが、逆接の意味を持つ「ale」を数えずに語順を決められるようになるまでには、かなりの時間を要した。
 それで、問題になるのが、「ale」と同じような逆接の接続詞なのだが、「přesto」「i když」なんかは、1番目として数えるのである。では「avšak」はというと、0番目にはならいだろうとしか言えない。自分で意識して使っていないとこんなもんである。その点、「však」は、文頭に来ないから、つまり1番目にも0番目にもなりえないから、語順を考えるときには楽である。じゃあ文中のどこにおくんだということになると、これもよくわからん。動詞の前と言いたいけど、動詞で始める文も多いし。

 この「ale」は、チェコ語を勉強し始めたばかりのころに最初に口癖になる言葉かもしれない。何も考えずにとりあえず「ale」が口から出てしまうのである。少し話すのに慣れてくると今度は「jako」を頻用してしまうことになる。これが間投詞的に使われる「vlastně」「přece」あたりになると、チェコ人的な口癖といってもいいのだけど、そこまでたどり着くのは大変である。でも「vlastně」が口癖とか、そんな人にはなりたくないなあ。
 若者の使う「vole」「ty vole」あたりは、外国人としては避けたほうがいいだろうし、英語と組み合わせた「sorry jako」もやめておこう。これはバビシュ首相の口癖として揶揄の対象になっているのである。
2018年12月2日7時35分。











2018年12月05日

大嘗祭(十一月卅日)



 来年今上陛下が譲位し、皇太子が即位することになるわけだが、新天皇の即位後に行なわれる大嘗祭が政教分離の原則に反していると主張して騒ぐ人たちが、またぞろ出現しているようだ。この問題は、政治と宗教が分離されているかどうかではなく、政教分離の原則をどこまで厳密に適用するかが問題になる。政教分離というものを100パーセント厳密に達成している国など世界のどこにもないのである。
 日本の政教分離にうるさい人たちが考えるのは、恐らくヨーロッパレベルの政教分離であろうが、ヨーロッパの政教分離のレベルは、実はそれほど厳密ではない。政党名に堂々と宗教名キリスト教が入っていて、キリスト教的な価値観を守ることを主張する政党が何の規制もなく活動し、キリスト教会の利権を守るために積極的に動いているのである。日本で神道なんて言葉をつけた政党が存在できるかと考えたら、その緩さも理解できるだろう。

 また、これはチェコの話だが、国家の行事にキリスト教の大司教が登場して演説することもあるし、国葬の会場となるのはプラハ城内のキリスト教の教会で、儀式はプラハの大司教が取り仕切る。そもそも、大統領の官邸たるプラハ城内に、教会が存在、いや建物が存在すること自体は問題ないが、教会組織が管轄管理しているのは政教分離の観点から見ると問題ではないのか。規模が違うとはいえ日本の首相官邸の敷地内に神社があって、そこで国葬が行なわれるようなものである。
 以前読んだ、政教分離にうるさい人の著書では、テレビのニュースで、神道行事や、仏事を取り上げるのにも、また冥福を祈るなどの仏教に起源を持つ言葉が使われるのにもクレームをつけていたが、そんなところまで気をつけてニュースを作成しているテレビ局なんて世界中のどこにもあるまい。チェコだってキリスト教の重要な行事は毎年大々的に報道される。チェコの国家の守護聖人たる聖バーツラフが、キリスト教の聖人となっていて、聖バーツラフの日が国の祝日となっている時点で、政教分離もくそもあったもんじゃない。ビロード革命後のチェコの教会って国費で運営されてきたしさ。

 念のために言っておくが、このヨーロッパ、チェコの状況を批判する気は全くない。こんなことを、いちいち批判するのが野暮というものであって、政教分離の原則で規制されなければならないレベルのものではない。だから政教分離がヨーロッパのレベルでいいのであれば、日本で、大嘗祭だろうが、これもしばしば裁判がおこわれる地鎮祭だろうが、公費を費やして行ってもまったく問題がないという結論が出る。
 以前もどこかに書いたが、日本の政教分離を主張する人たちは、神道的なものだけを政教分離の対象にしていて、キリスト教的なものには無頓着である。だから、キリスト教の行事であるクリスマスのイベントを行政が主催してもだれも裁判を起こさない。もしくはヨーロッパのやっていることは盲目的に正しいと考えているだけだろうか。チェコの政治家なんかヨーロッパ的民主主義はキリスト教的な価値観に基づいているとか発言してしまうのだから、これが正しいのであれば民主主義自体が、厳密に言えば政教分離の原則に反していることになる。それを批判する人はいないし、批判すべきでもなかろう。

 また、大嘗祭に関しては、皇室の中からも、秋篠宮が国費で行なうのはどうかと疑問を呈されたらしい。大嘗祭に宗教性があるというのは確かで、それを否定するつもりはないが、流行の世界規準から言えば十分に許容範囲である。日本基準の政教分離を確立するというなら、それはそれでかまわないけれども、その場合には、キリスト教的なものについても対象にして批判したり裁判を起こしたりしてもらわないと話にならない。
 正直今回の秋篠宮の発言にはがっかりなのだが、これも戦後の民主的であろうと努力してきた皇室のあり方からすると仕方がないのだろう。できれば、皇室の私的行事なのだから国は金も口も出すなという面からの批判を聞きたかったものである。そうすれば、現在のゆがんだところのある皇室の位置づけを議論するきっかけになったと思うのだが……。
 公と私の境目があいまいで、私がないようにも見えながら、同時に秘密主義的でもある皇室のあり方は、決して健全ではあるまい。この機会に、今後も天皇制を続けていくのなら、どのような位置づけを皇室に与えるのかについても議論されるべきであろう。いや、今の日本には建設的な議論自体が期待できないから秋篠宮の発言自体はこれでよかったのかもしれない。
2018年12月1日10時50分。






日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)






posted by olomoučan at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2018年12月04日

ノハビツァ詐欺(十一月廿九日)



 ノハビツァは、この前、ロシアのプーチン大統領から勲章をもらったことで批判されている、チェコ、スロバキア、ポーランドなどの西スラブ圏を中心に人気を誇るフォーク歌手だが、そのノハビツァが詐欺を働いたというわけではない。詐欺のネタにされたらしいのである。
 オロモウツからモラバ川の支流、ビストジツェ川沿いのサイクリングロードを東に遡って行くと、最初に出会う集落が、ビストロバニという村である。何の変哲もない小さな村で、もうひとつ先のベルカー・ビストジツェには、昔の貴族の城館が残っていてホテルになっているから、それ目当てで出かける人もいるだろうけど、ビストロバニを目的地として出かけるのは、村に親戚や友人知人が住んでいる人ぐらいだろう。

 夕食をとりながチェコテレビのニュースをぼんやり眺めていたら、そんなせいぜい人口1000人ほどの小さな村の名前が突然登場した。何事かと思って注意して見ると、行なわれる予定だったノハビツァのコンサートが行なわれず、警察では詐欺として主催者でチケットの販売をしていた飲み屋の主人を捜索しているということだった。

 画面にはコンサートが行なわれるはずだった会場の前に集まった騙された人々と、その人たちに聞き取りをする警察官の姿が流れた。チケットを購入したのは大半は地元のビストロバニの住民だったらしいが、シレジアのクルノフからやってきたという人もいた。何でも早めのクリスマスプレゼントとしてチケットをもらったのだそうだ。
 そのチケットというのがまたすごいもので、ビロード革命以前にはよく使われていた汎用のもので、ノハビツァのコンサートだということは印刷されておらず、値段も日付も手書きで書かれているというものだった。いや、お金と引き換えにこんなチケットをもらったときに怪しいと思わなかったのだろうか。今週行なわれるはずだったのは、ノハビツァのコンサートだが、来年初頭に予定されたクリシュトフというグループのコンサートのチケットも販売していたらしい。

 いやいや、ノハビツァとか、クリシュトフのコンサートなんてオロモウツでもしょっちゅうあるわけじゃないんだよ。それがどうしてビストロバニなんていう小村で行われると信じられたのだろうか。そもそも、ふさわしい会場はあるのかなんて考えていたのだが、会場は詐欺師が経営する飲み屋の奥にあるイベントホールみたいな部屋だった。かつて飲み屋が文化の中心だった時代の名残で、田舎の飲み屋の中には、普段は使わない多目的ホールとも呼べる大きな部屋があるところがある。この飲み屋もその類の飲み屋で、これまでも演劇やコンサートなどが開催されていたようである。

 今回詐欺を働いた人物は、二年前から飲み屋の経営に当たっていて、これまで数回、何の問題もなく文化行事を実行してきたらしい。だから信じてしまったというのだけど、この人物が実現したのは自身が主催するバンドのコンサートや、地元の劇団の公演のようで、いってみればローカルな地元の人による地元の人のためのイベントだったようだ。それができたからって、いきなりノハビツァやクリシュトフなんて大物を呼び寄せられるなんて信じてしまう人が、いるんだろうなあ。
 実は、その信頼できそうな人物が、ふたを開けてみたら詐欺師で、ただ単に今回ビストロバニで詐欺を働いたというだけでなく、警察の発表では、過去の詐欺などの疑いで指名手配されている人物だったというのだ。それも国外逃亡が予想されたからか、ヨーロッパ全域を対象にした逮捕状が出された人物なのだそうだ。逃亡生活の果てにオロモウツの近くの村を潜伏先に選んだのか、何らかの地縁があったのかはわからないが、警察の想定できない場所だったのだろう。

 とまれ、二年の潜伏を経て再び詐欺に手を染めた人物は、すでに行方をくらまし連絡がつかなくなっているという。ニュースでは、今回の事件で手に入れられた額が、発覚して警察に捕まる可能性があることを考えると割に合わないから、急にお金の必要な事情でも発生したのではないかという推測も語られていたが、この詐欺をやらかすのにも結構準備に時間と手間をかけているようにも見える。そうすると、生来の詐欺の虫が動き始めたというのが正しいかもしれない。
 信じやすい田舎の人たちをカモにする詐欺師は、できるだけ早く捕まってほしいものである。
2018年11月30日9時15分。







posted by olomoučan at 06:38| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2018年12月03日

abeceda〈私的チェコ語事典〉(十一月廿八日)



 せっかく新シリーズ、もしくは新しいカテゴリーを立てたのだから、忘れないようにしばらく重点的に書くことにする。問題は「a」の次に何を選ぶか、どういう基準で言葉を選んでいくかである。ぱっと辞書『現代チェコ語日本語辞典』(大学書林)のページを開いてみても、自分自身で一度も使ったこともないような言葉も結構ある。そうなると書けることは何もないと言っていい。でも、せっかくなので、できるだけたくさんの言葉について、一つ一つにつけるコメントは短くなったとしても触れておきたい。
 ということで、座右(というほどは使っていないが)の『現代チェコ語日本語辞典』の「a」から順番に目についた言葉を取り上げていくことにする。場合によっては関連する言葉も一緒に扱うことにしよう。其ほうが分量が稼げるし、多くの言葉に触れることもできる。

 ローマ字のことを、カタカナでアルファベットという。これがギリシャ文字の最初の二文字アルファ(α)、ベータ(β)の組み合わせからできているというのはいいだろう。じゃあチェコ語でアルファベットを何というかというと、最初の二文字ではなく、四文字を使って「アベツェダ」となるのである。
 チェコでのそれぞれの文字の読み方を示すと、「A=アー」「B=ベー」「C=ツェー」「D=デー」である。すべて短くしてつなげて格変化しやすいように、最後の「de」だけ「da」に変えたということだろうか。この言葉を知るまでは、日本語でもアルファベットと外来語を使っているから、チェコ語っぽくして「アルファべトカ(alfabetka)」になるんじゃないかと考えたこともある。また、チェコ語では文字そのものを指すときには、「アーチコ(áčko)」「ベーチコ(béčko)」というので、この二つを組み合わせて、「アーベーチコ(ábéčko)」と言ったりはしないかなんてことも考えた。どちらも大間違いで師匠には大笑いされることになったけどさ。

 語学の勉強にはこのような、考えても仕方がない、四の五の言わずに覚えるしかないことは多い。この手の言葉、表現は知っていれば使えるけど、知らなきゃどうしようもない。昔英語を勉強していた頃は、それが納得できずに、あれこれ考えすぎて嫌気が差して、できるようにならなかったのだけど、チェコ語はもう考えてどうこうしようというのは最初から諦めて、とにかく知識を詰め込んだ。そして、ある程度詰め込んでから、改めて考えるようにした。それが功を奏して英語とは比べられないところまでチェコ語ができるようになったのだから、正しかったのだと思う。

 ところで、「a」ではじまる言葉の中には、もう一つアルファベットと同じようなものをあらわす言葉がある。それは「a」の最後のほうにある「azbuka」という単語で、ロシア語などの東スラブの言葉で使用されているキリル文字のアルファベットを指す言葉である。これも「a」で始まるから、文字を二つ三つ組み合わせてできた言葉じゃないかと思っうのだけど、正しいかどうかはわからない。
 キリル文字のキリルは、モラビアにキリスト教を伝えた兄弟ツィリルとメトデイのうち、文字を作ったとされるツィリルの名前からきている。実はツィリルが作った文字は、現在のキリル文字ではなく、昔バルカン半島で使われていたグラゴール文字だという話は黒田龍之助師の『羊皮紙に眠る文字たち』で知った。じゃあ、キリル文字を作ったのはツィリル(キリルのチェコ語形)ではなく誰なんだとか、グラゴールはなんでグラゴールなんだという疑問にまで答えが出されていたかはちょっと覚えていない。再読して確認してみよう。

 キリル文字はソビエトの全盛期には、スラブとは何の関係もないモンゴルなんかでも使われて、ローマ字(ラテン文字)と世界を二分したようだが(人口から行くと漢字も入れて三分といってもいいかも)、ソ連崩壊後は、人工的にキリル文字を導入した地域では、その地域でもともと使われていた文字や、ローマ字への回帰が進んでいるようである。言葉というのは、特に近代以降の言葉というものは、文字も含めて極めて政治的な存在なのである。
2018年11月29日21時45分。







2018年12月02日

a其参〈私的チェコ語事典〉(十一月廿七日)



 最初から、無駄に長くなっているのだけど、他の言葉に関してはこんなに書くことがあるとも思えないから、分量は稼げるところで稼ぐ。ということで「a」についてはもう少し続く。

 次は動詞を並列する場合だけれども、単に動詞だけを並べる場合だけでなく、他の文節もくっつけてほとんど文をつなぐような形になる場合もある。動詞だけを並べるときには、もちろん並列する動詞は同じ形、不定形(原形)、過去形などに統一されている。チャールカ「,」と「a」の使い分けは名詞と同じなので、例の有名なカエサルの言葉「来た、見た、勝った」も「přišel, viděl a zvítězil」になると思うのだが、これをもじったリトベルのビール会社の広告は「přišel, viděl, Litovel」で「a」は使われていなかったような気もする。
 動詞だけを並べる場合には、その前に助動詞「moct」「muset」なんかがあっても、「a」でつなぐだけで問題ないのだが、あれこれ付いた場合に、助動詞を繰りかえすべきなのかで悩むことが多い。例えば、「Musím jíst a pít(食べて飲まなければならない)」なら、特に悩むことなく繰り返さないが、「Dnes musím dojíst několik starých japonských jídel a vypít několik lahví nedobrého japonského piva(今日、いくつかの古い日本の食べ物を食べて、何本かのまずい日本のビールを飲んでしまわないといけない) 」なんてことになると、「pít」の前にも「musím」を追加した方がいいような気がしてくる。

 この点で一番悩むのが、過去形を使ったときの人称を示すための「být」の変化形である。「V hospodě jsme hodně pili a jedli(飲み屋で大いに飲んで食った)」ぐらいなら、繰り返さないけど、「Jel jsem do Prahy vlakem a tam jsem se setkal s kamarády(電車でプラハに行って友人と会った)」なんて文は、ついつい「být」の変化形を繰り返してしまう。なくてもいいのか、あったほうがいいのか、誰に聞いても明確な答えは返ってこない。
 だから、仕方なく個人的なルールを作って、「飲んで食った」のように同時に二つの動作をしてもおかしくないときには繰り返さず、「プラハに行って友人に会った」のように前後関係がはっきりしている場合には繰り返すようにしている。繰り返しておくが、このやり方が正しいという保証はないし、よくわからない理由で修正されてしまうこともままある。この辺はチェコ人は感覚で判断してやがって、自覚的に使ってないから、うまく言葉で説明できんって人が多いんだよなあ。日本人も日本語について同じような感覚で使っているのだろうし仕方がない。

 ここに書いた文章を読んでもらえば、読まなくてもちょっと見ればわかると思うが、日本語で文章を書くときにはついつい個々の文が長くなってしまう。その癖はチェコ語でも消せず、「a」を使った二つの文の単純接続や、関係代名詞や関係副詞を使った連体修飾節などを組み合わせて長い文を書いてしまう。日本語でなら、長大な文になっても、語順を入れ替えたり、接続の仕方を変えたりして、わかりやすい文に修正することはできる。チェコ語だと……、書いた直後であっても、読み直して自分が何を書きたかったのかわからないなんて事態も発生してしまうのである。「a」で文を単純につなげるのはしないほうがいいのかもしれない。別々の二文になっていても、意味はあまり変わらないのだしさ。

 それで思い出したのだが、以前、師匠に教わっていたころ、森雅裕の小説の冒頭をチェコ語に訳して、そこに現れる間違いをネタにして勉強するという方法をとっていたことがある。日本語の接続詞の「そして」「それで」なんかをあまり考えずに「a」と訳していたら、「文を「a」で始めるのはよくない」と指摘された記憶がある。「a」を使うのなら前の文とつなげてしまえということだったのかな。以来、文頭に「a」は使わないようにしているのだが、最近なぜかしばしば「a」で始まる文を見かけるのである。いいのかねこれと思いつつ、意味は分かるから特に文句を言ったりはしないのだけど、自分では師匠の言葉を守って、大文字の「A」ではなく、小文字の「a」にして前につなげるようにしている。

 ここまでつらつらと「a」を使う状況ごとに、問題になることを書いてきたのだが、自分が使うとき、特に書くときに一番困るのは、これらが組み合わされているときである。「a」がありすぎて気持ち悪いというか、変な感じがしてしまう。例えば、変な文だけど「Včera jsme si koupili já a Pavel v obchodě české a japonské pivo a slovenské a maďarské vino a rozdali jsme je kamarádům Petrovi a Karlovi(昨日私とパベルはお店でチェコのビールと日本のビールとスロバキアのワインとハンガリーのワインを買って友達のペトルとカレルにあげた)」とか。日本語も「と」が連発していてちょっと落ち着かないけど、チェコ語ではさらに変な感じがしてしまう。

 読んで意味を取るだけなら簡単だけど、実は、正しく使おうと思うと「a」ってのは奥の深い言葉なのだよ。もう一つ悩んでいるのは、「a」を使って二つの関係代名詞を使った連体修飾節を、一つの名詞につなげられるかなのだけど、そこまで行くと、何が問題なのかをわかりやすく説明できるとは思えないので、この件はこれでお仕舞ということにする。
2018年11月28日20時55分。





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2018年12月01日

a其弐〈私的チェコ語辞典〉(十一月廿六日)



承前
 形容詞を並列する場合にも問題がある。文末に述語として形容詞が二つ以上並列されている場合はあまり問題はない。例えば「Ta nemocnice je nová a velká」なんて文は、「あの病院は新しくて大きい」と連用接続の「て」を使って訳しておけばいいだけである。ここでも並列できるのは、日本語で並列できるものだけだというのは適用できる。つまり「あの病院は大きくて小さい」などという対義の形容詞は普通は並列しないものである。これはチェコ語も変わらない。
 問題は二つ以上の形容詞が名詞の前にくる場合で、例えば「nová a velká nemocnice」は「新しくて大きい病院」と訳すか、「新しい大きい病院」と訳すか昔は悩んだものである。今は悩まず、文脈からどちらがいいか考えてその場でさっと決めることが多い。チェコ語でも「nová velká nemocnice」ということもできるらしいので、人によっては、「nová a velká nemocnice」は連用接続で「新しくて大きい病院」と訳して、「nová velká nemocnice」はどちらも連体修飾と見て「新しい大きい病院」と訳すなんて人もいる。だけどそんなふうに簡単に割り切れるものでもないだろう。

 上で日本語では「大きい」と「小さい」は普通は並列しないと書いたが、チェコ語だと名詞の前に並べるときに限って並列できることがある。ただしその場合は、形容詞の並列というよりは後ろに来る名詞も含めた名詞節の並列といったほうがいいかもしれない。例えば「malé a velké nemocnice」(念のために複数にしておく)は、「大きくて小さい病院」ではなく、「大きい病院と小さい病院」と訳すべきもので、最初の形容詞の後に来る名詞を省略した形だと考えたほうがいい。
 それで問題になるのが、次の例。「bílé a černé ponožky」は、白と黒の二色が使われた靴下を指すのか、白の靴下と黒の靴下を指すのか、よくわからない。使われた場合にはしかたがないので、確認の質問をするが、自分では、できるだけこのわかりにくい形は使わないで、一つの靴下に白と黒が使われている場合には、「černobílé ponožky」と二つの形容詞を一語化した形を使い、白と黒と二種類の靴下の場合には、「bílé ponožky a černé ponožky」と靴下を繰り返すようにしている。日本語でも「白と黒の靴下」と言われたら微妙だから、似ていると言えば似ているのかな。

 副詞を二つ並べる場合には、前の副詞が後の副詞に係る場合もあって、そのときには「a」は使わない。とてもという意味の「moc」「strašně」「velice」なんかはしばしばもう一つの副詞を強調するのに使われる。日本語に訳すと、二つ目の副詞を形容詞で訳すこともあるけどさ。サマースクールの先生が連発していた「moc pěkně」なんてのは、前後に来る言葉次第だけど、「とても美しい」と訳すことも多い気がする。
 チェコ語で「a」を入れるのは、二つとも同じ用言、たいていは動詞にかかる場合なのだけど、日本語だと特に何も入れなくてもいいはずである。「mluvte pomalu a jasně」なんてお願いは、日本語にすると、「ゆっくりはっきり話してください」ということになる。強調しようと思えば、「そして」を入れてもいいか。あれ、チェコ語でも「a」を省略できるかもしれない。

 この辺の言葉の使い方は、系統立てて勉強していないので、どういう使い方をするのが一番いいのか、いまいちよくわからないのである。質問してもどっちでもいいよなんて答えが返ってくることもあるし、あれこれ試行錯誤しながら、自分なりの使い方を見つけていくしかないのである。
 中途半端だけど、ここでまた明日。
2018年11月27日24時。





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